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2014年9月28日日曜日

HINTO 『シーズナル』

 
 9月23日、HINTOの渋谷CLUB QUATTRO公演。前半の最後は『シーズナル』。 
 伊東真一のギターが奏でるイントロ、何かが始まるような予感に満ちた旋律と音色だ。安部光広のベースと菱谷昌弘のドラムスによるビートも、安部コウセイの歌の言葉を導いていくようにゆったりと響いていく。 会場の皆がこの歌に聴き入っていた。やるせないような、いつでももうすでに、切なく懐かしいような夏。その雰囲気に包まれていた。

  誰かと出会って 誰かとは別れて
  めぐってめぐってくシーズン
  めぐってめぐってくシーズン
  めぐってめぐって
  少しだけ変わった


 会場でこのラストの言葉が聞こえたときに、一瞬、フジファブリック『若者のすべて』のラスト、志村正彦が歌う「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」という一節が想い浮かんできた。
 『若者のすべて』の「変わるかな」と『シーズナル』の「変わった」。「変わる」という動詞を媒介にして、この二つの歌がつながっているように感じてしまったのだ。不意打ちのようにその連想におそわれた。

   『若者のすべて』のラストシーンで、「最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と結ばれる。「僕らは変わるかな」と、歌の主体「僕」は「僕ら」(それが誰を指すのかは明らかでないのだが)の未来に向けて、問いかけている。
 『シーズナル』において、歌の主体「僕」は、「僕」自身(あるいは作中の「君」を含めた「僕ら」かもしれないが)が「少しだけ変わった」と結んでいる。

  『シーズナル』と『若者のすべて』の間に、描かれる物語の内容でもモチーフの面でも、直接的、間接的な対応関係はないと考えられる。しかし、二つの歌のサビの部分にはある種の共通した雰囲気もある。
 『シーズナル』のサビは三回繰り返される。それぞれの末尾はこうだ。

  めぐってめぐって少しずつ変わって

  愛して憎んで少しだけわかって

  めぐってめぐって少しだけ変わった

 「少しずつ変わって」→「少しだけわかって」→「少しだけ変わった」と変化していく。「変わって」→「わかって」の「かわ」「わか」には音の戯れもある。「少しずつ」→「少しだけ」→「少しだけ」という展開。述語の終わり方は「て」→「て」→「た」。「て」という「余韻」のある接続助詞を使いながら、最後は「た」という助動詞で締めくくる。「変わった」と完結させるのが、『シーズナル』にふさわしい終わり方なのだろう。

 「めぐってめぐって」というシーズナル、季節の循環の中で、「僕」は「少しずつ 変わって」いく。そして、「愛して憎んで」という経験を経て、「僕」自身のことが「少しだけわかって」いく。若者の、というかより広く人間の、というべきなのだろう、ある種の成熟が描かれている、と書いてしまえばつまらない物語になってしまうかもしれないが、そのような「解釈」から離れてみても、『シーズナル』の言葉と楽曲は自然にさりげなく、聴き手に響いていく。「少しだけ変わった」というフレーズがそのまま素直に届いてくるのだ。

  『シーズナル』は、歌詞、楽曲、演奏共に完成度が非常に高い作品だ。独自の世界を持つ。それを前提とした上で、それでもなぜか、『シーズナル』のラストが『若者のすべて』のラストへの応答のように感じた。応答とは言っても、いわゆるアンサーソングではないが、どこかかすかに、この二つの歌はこだましているような気がした。

 安部コウセイの別ユニット堕落モーションFOLK2には、志村正彦の生と歌を凝縮して描く『夢の中の夢』というきわめて優れた作品がある(「LN66」参照)。歌の一節にこうある。

  そーいやさあれから 新しいバンド組んだよ
  相変わらず ひねくれているけど カッコイイんだぜ
  もし君が聴いてたら 何て言われたんだろうか 教えてよ


  新しいバンドとは「HINTO」のことであり、歌の主体は安部コウセイで、「君」は志村正彦であろう。安部は志村が聴いてたら「何て言われたんだろうか」と問いかけ、「教えてよ」と呼びかける。安部は志村と歌で対話している。「ひねくれている」者同士の友愛は続いているのだ。

 もちろん、何でも志村正彦と関係づけるのは、安部コウセイに対して、そして志村正彦に対しても失礼だろう。そのことは戒めねばならない。それでも、自分の連想や感覚には素直でありたい。
 私自身の無意識が、『若者のすべて』の「変わるかな」と『シーズナル』の「変わった」という言葉を連鎖させてしまった、とでも書くことができるだろうか。

 何をどのように聴きとるのか。それは結局、聴き手の自由だ、というよりも、聴き手の無意識の次元に起きてしまうことだ。それが聴き手の現実だろう。
 今日は『若者のすべて』と『シーズナル』を交互に繰り返し聴いた。そうするとなんだか、『若者のすべて』の「僕」が、数年の時を経て、「少しだけ変わった」と呟いている映像が浮かんでくるようだった。

 『シーズナル』のMVがyoutubeにある。(https://www.youtube.com/watch?v=YiA5hCBgaGI) 未見の人にはぜひご覧いただきたい。
 ラストシーンの海辺の光景。二人の女性(篠田光里と森康子が演じている)のヘッドフォンとサングラスをかけた姿、浜辺に一人で佇む安部コウセイらしき男の後姿、そしてクローズアップされた「履歴書」の言葉には微笑んでしまう。そして、こころがあたたまる。

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