一昨日の9月23日夜、HINTOの渋谷CLUB QUATTRO公演“NERVOUS PARTY” release ONE-MAN TOUR「清楚なふりしてアメージング」に出かけた。以前から安部コウセイのライブを聴きたかった。急に行けることになり、チケットも間にあったのが幸いだった。
新作『NERVOUS PARTY』を入手し、数日間、聴きこんだ。特に、7曲目『エネミー』の歌詞は鋭く深い。日本語のロックでこれほどの水準の言葉に出会うことは稀だ。安部コウセイはこういう切り口でこういう世界を描くことができるのだとその才能に驚く。ライブへの期待が高まった。
渋谷のクアトロに行くのは十数年ぶり。BRNXD Xの来日ライブの時以来だ(パーシー・ジョーンズの驚異のフレッドレスベースが懐かしい)。開演20分位前に入ると会場には沢山のファン。整理番号は400番台だから、500人は超えていただろう。ホールの一番後ろの端っこに佇む。にわかHINTOファンのおじさんにはこういう場所が落ち着く。
ライブは『アイノアト』で始まる。「愛の後」「愛の痕」という二重の意味を持つ題名。なかなか複雑なアイノウタだ。前半?(安部コウセイが「これからはアゲアゲで」と言った前まで)の最後は『シーズナル』。夏の寂しい、切ない感じを歌ったという意味のMC。美しいメロディとゆったりとしたリズムで「ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ/新しい季節が始まるみたいさ」と高らかに歌われる。
ライブ本編の最後は『エネミー』。伊東真一のギターと安部光広のベースがイントロを刻み始めると、聴衆はこの歌と対峙するかのように、むしろ、静まりかえる。
こんなモグラみたい眼で見つめても
地図がぼやけて読めるわないだろ
安部コウセイが歌い出す。サングラスが外されている。菱谷昌弘のドラムスが絡み合う。
フロア内では静かにスローモーションのように踊る光景。
静かな熱狂がその場を支配していく。
私は10代の半ばから40年ほどの間、時代により密度の差はあるが、ロックのアルバムを聴き続け、そこそこライブにも出かけてきたが、これまで経験したことのないような、圧倒的な歌と演奏が現前していた。9月23日のHINTO『エネミー』は、語ることの難しいほどの圧倒的な「出来事」だった。
m社[@m_sya_](https://twitter.com/m_sya_)の24日のツイートには「昨日のHINTO渋谷Quattro素晴らしかったです。エネミーヤバいですね。コウセイは攻めてるのが似合う。下岡」とあった。アナログフィッシュの下岡晃自身によるコメントだろう。あの場にいた人が皆、同じような想いを抱いたのは間違いない。
安部コウセイ[@kouseiabe]のツイートで、本人はこう述べている。(https://twitter.com/kouseiabe)
あとエネミーの時、光広も真くんもビッツも演奏の向こう側の表現をしていて、スゲェかっこよかった。演奏中にバンド内で爆発が起きてるのをビリビリ感じた。
そうか、「爆発」が起きていたのか。確かに爆発のようだったが、熱い熱狂の爆発というよりも、心の中の堅くて厚い氷を、一瞬のうちに、歌と演奏で爆発させ破壊していくような、ものすごくクールな熱狂が広まっていく。演奏者の側から「演奏の向こう側の表現」という言葉が放たれたことも希有なことだろう。
どのようにその光景を描写したらいいのだろうか。
HINTOは言葉の向こう側に行こうとしていた。四人全員が、安部コウセイの書いた『エネミー』の研ぎ澄まされた言葉を受けとめて、そして、その言葉の「向こう側」に辿り着こうとしていたと、とりあえず描くことができるかもしれない。
この日のライブ映像はyoutubeで配信される予定とのMCがあった。待ち遠しい。
『エネミー』の言葉と演奏については、もっともっと考え抜かねばならない。何かを掴むことができたらできるだけはやく、この場で書いてみたい。
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