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2014年10月7日火曜日

ザ・ブーム、山梨での解散ライブ「25 PEACETIME BOOM」

 一昨日、10月5日、甲府市の山梨県民文化ホールで、ザ・ブーム「THE BOOM MOOBMENT CLUB TOUR 2014 ~25 PEACETIME BOOM~」の山梨公演が行われた。

 3月末に今年12月をもって解散し、デビューから25年、結成から28年の活動に終止符を打つという発表があった。その際のコメントには「この4人でやれる事、やるべき事は全てやり尽くしたのではないかという思い」が心を支配するようになったとある。「全てやり尽くした」という完全燃焼の末の決意だった。今回は「解散ツアー」であり、メンバー中3人の出身地である甲府でのライブは、ザ・ブームとして故郷に別れを告げるものとなる。

 地方では県庁所在地にある公立のホールがコンサート会場になることが多い。ロックからクラシック音楽まで、山梨開催のかなりのものがこのホールで開催される。(志村正彦も、山梨でのライブを第一に富士吉田市民会館のホール、第二に富士急ハイランドのコニファーフォレスト、第三に甲府の山梨県民文化ホールの三カ所で行いたいと語っていたそうだ。このホールに来ると、どうしてもそのことを考えてしまう)

 ホールに着席する。前後、左右共に真中あたりの位置。ステージも見やすく、距離感もちょうど良い。ステージ上のスクリーンに、ヒストリー映像が流れている。デビューの頃20歳代の映像は、あたりまえだが若々しい。25年が経ち、彼らも50歳前後となった。当然、聴き手も年をとる。観客も40歳代から50歳代が多い。メンバーのご親戚や関係者かと思わせるような方々もいる。地元ならではの雰囲気だ。

 ヒストリー映像を見ているうちに、こちら側も回想モードになる。いくつかの場面が浮かんできた。

 1989年、風土記の丘公園の野外ステージで開催された山梨での初ライブ。90年代中頃まではここ県民文化ホールで毎年のように開かれたツアー・ライブ。少し間が空いて、2001年、風土記の丘での2度目のライブ。最近では、2011年、甲府駅近くの舞鶴城公園で無料ライブが行われた。そして、今回、2014年の山梨での最後のライブ。記憶に残る数々の歌と演奏があった。

 結果として、山梨での初ライブも最後のライブも見る幸運に恵まれた。この25年の間、時期により濃淡の差はあるが、私はザ・ブームのファンであったと書いてもいいだろう。

 ステージの背には、「25 PEACETIME BOOM」という文字が大きく印されている。 1stアルバム『A PEACETIME BOOM』との関連で名づけられたものだろう。「A PEACETIME BOOM」から「25 PEACETIME BOOM」へと、「A」から「25」へと、「PEACETIME BOOM」は持続していった。

 そもそも、「PEACETIME BOOM」とはどのような意味か。どのような意図を持つ表現なのか。写真家ハービー山口氏の音楽番組"The Roots"で、曲で何を表現したいかというコンセプトはあるのかという山口氏の問いに対して、宮沢はこう答えている。(https://www.youtube.com/watch?v=O4g3Xt26oN0 "The Roots"の映像の最初には2001年の風土記の丘ライブや宮沢和史の実家近くの街並みの映像も入っていて貴重だ)

   僕らがデビューした頃って、世の中けっこう浮かれたムードだったんですよ。ですから本当にこれでいいんだろうかという思いがあって、それで『A PEACETIME BOOM』というタイトルにしたんですよ。「平和景気」ていう、ひねくれたタイトルです。「戦争景気」の逆ですけど。

 「戦争景気(WARTIME BOOM)」とは戦争による特需がもたらす好景気だ。それを反転させて、「平和景気」という逆説的な造語を作ったのは、社会的な批評性のある行為だ。確かに「ひねくれた」ものだが、この言葉には「ひねくれ」と共に「まっすぐ」な姿勢がある。
 日本の戦後はずっと、ある意味で「平和景気」が続いていた。ザ・ブームがデビューしたのはバブル崩壊直前の「平和景気」ピークの時代だった。「平和」であること自体は絶対的に肯定されるべきだが、「平和」による「景気」によっても取り残されてしまう現実、欠落もある。そのような時代への違和や抵抗の感覚を宮沢は持ち続けていた。

 あの『島唄』は言うまでもなく、沖縄戦の犠牲を歌ったものだ。そのことに関連してMCで宮沢は甲府空襲のことを語った。1945年7月、甲府空襲があり、父親と母親は疎開したそうだ。このことは初めて聞いた。宮沢の父母の世代は、「空襲」という「戦争」を体験している世代だ。(私事になるが、私の父もこの年、東京空襲と甲府空襲の二つを経験した。命の危機の中で何とか逃げのびた話を子供の頃から何度も聞いた)

 戦争はそんなに過去のものではない。まだ70年ほどしか経っていない。『島唄』が作られたのは、そのような文脈と背景があってのことだということを忘れてはならない。山梨も沖縄も、日本という「島」の中の「戦争」の経験を共有する「場」として、つながっている。

 今回のライブの前に、ザ・ブームのアルバムを何枚も聴き返した。初期から通して聴くと、宮沢の歌詞には、社会への様々な批評が含まれていることがあらためて確認できる。一貫したラディカルな意志のスタイルがある。
 声高な攻撃的な主張ではなく、むしろ内省が込められた控えめなものだが、高い次元の批評性を持つ。「25 PEACETIME BOOM」という言葉が何よりもそのことを伝えている。

  (この項続く)

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