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2014年9月1日月曜日

「作られてはいけない音楽」という呟き-『若者のすべて』13 [志村正彦LN89]

 9月に入る。一日しか違わないが、8月31日という日付が「夏の終わり」を想わせるのに対して、9月1日になると「秋の始まり」を感じてしまう。今日は朝から雨模様、涼しく、長袖がほしくなる。「秋霖」と言えるのだろうか。秋を告げる長雨ではある。季節の感受性は、寒暖や光の強弱という自然な感覚に基づいてはいるが、「暦」の区切りや俳句の「季語」のような制度とも密接に関わっている。

 8月末の数日、『若者のすべて』がラジオやテレビで流れることが多かったようだ。25日夜のNHK「サラメシ」を見るともなく見ていると、『若者のすべて』がBGMで流れていた。この番組は昨年も『茜色の夕日』を流してくれた。志村正彦の声もフジファブリックのサウンドも、言葉によって描かれる確かな世界があるにも関わらず、主張するというよりゆるやかに空間に溶けこんでいく。BGMに適しているのかもしれない。
  7月末、FM富士でオンエアされた『若者のすべて』を偶々聴いた。テレビでもネットでもなく、ラジオから流れる音楽は何か特別の響きを持っているのは何故か。私のような世代の郷愁だろうか。ラジオはおそらく未だに音楽と一番関わりの深い媒体だからか。

 昨年夏に話題となったドラマ『SUMMER NUDE 』でも、物語の鍵となる『若者のすべて』はラジオから聞こえてくるという設定だった。それを契機に、作中の二人がこの歌の解釈について議論する場面が回想される。ラジオから流れてくるという偶然性がこのドラマを動かしていく力になっていた。
 「夏の終わり」の歌として、文字通りの風物詩として、この季節を代表する楽曲として、『若者のすべて』は今や百年後まで聴かれ続けるような勢いを持つ。沢山の聴き手がこの歌を想いだし、残そうとしている。

 昨年、この「志村正彦LN」で『若者のすべて』について12回ほど書いた。今回、その「13」として久しぶりに書くのは、精神科医で批評家でもある香山リカ氏の8月25日のツィート(https://twitter.com/rkayama)を二つ読んだからだ。

 90年代最初から半ばにかけて、「imago」という精神医学・精神分析関連の雑誌が青土社から発行されていた。ジャック・ラカンに関心があった私はほぼ毎号を読んでいて、連載されていた「自転車旅行主義-真夜中の精神医学」によって香山リカの存在を知った。時代が精神医学的な言説をますます求めるようになって、氏は「メディア」によく登場するようになった。メディアという「他者」の欲望を生きることで、香山リカ氏はその名の由来通り「香山リカ」というメディアとなった。
 今回の最初のツイートにこうある。

フジファブリックの「若者のすべて」を聴かないようにしてる。何日間か心がフワフワするから。今日ラジオから流れてきてカバーだったから聴いてしまった。…失敗だ、またやられた。この時期はよくかかるから油断しちゃいけないんだ。

 『若者のすべて』を「聴かないようにしてる」という「回避」は、精神分析で言うところの「症状」のようなものかもしれない。オリジナルではなくカバーでも「何日間か心がフワフワする」のは、志村正彦の創り出した世界、言葉や楽曲そのものが心に作用していることになる。「油断しちゃいけないんだ」には少し微笑んでしまったが、意外に本当のことなのだろう。続くツイートにはこうある。

フジファブリック「若者のすべて」聴いてるとほかのほとんどのことがすーっと遠ざかって小さくなり、どうでもよくなってしまう。ほかの音楽がじゃなくて、仕事、お金、友だち、恋愛、家族、景色とかなんでも。これは作られてはいけない音楽だったのではないか。

 「ほかのほとんどのことがすーっと遠ざかって小さくなり、どうでもよくなってしまう」という感覚からは何かが伝わってくる。こちら側にも「転移」してくるような感覚だ。
 「仕事、お金、友だち、恋愛、家族」は社会的な関係であり、その関係の結び目として、私たち一人ひとりはどうしようもなく存在している。そして、結び目をほどくことはなかなかできない。無理にほどこうとすると、かえってその結び目が強くなったり、少しほどけたと思っても元の木阿弥になったりする。結び目は強固なのだ。

  香山氏は『若者のすべて』によって「何日間か心がフワフワ」し、少なくともその間、結び目がほどけてしまうようだ。どうでもよくはないもの、あるいはどうしようもないものが、「どうでもよくなってしまう」。そのように作用するとしたら、その聴き手にとって『若者のすべて』は「ありえない」希有な作品となる。

  とにもかくにも「これは作られてはいけない音楽だったのではないか」という呟きは、きわめて批評的な言葉だ。逆説的ではあるが、『若者のすべて』に対する最高の評価であることは間違いない。志村正彦ならどう考えただろうか。

 香山リカ氏の『若者のすべて』論、志村正彦・フジファブリック論をもっと読んでみたいという欲望がわきあがる。 

         (この項続く)

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