もう半年ほど前になる。
去年の8月24日、甲府の桜座でシーナ&ロケッツの《NEW ALBUM 「ROKKET RIDE」発売記念レコ発ライブ!》が行われた。おそらく山梨で初のライブということもあり、桜座に出かけた。感じることや思うことが色々とあり、このblogで取り上げようと用意はしたのだが、時機を逃してしまっていた。シーナさんの突然の訃報を聞いた後で書くのは遅きに失し、また、追悼の流れに乗るようで葛藤もあるのだが、それでもやはり、この機会に書きとめておきたい。
私はシーナ&ロケッツのファンというわけではない。あくまで「好きな」バンドという位置づけであり、彼らの少し後の世代として同時代を歩んできたというにすぎない。その間、彼らは「気になる」バンドでありつづけた。
出会いは、ほとんどの人がそうであるように、1979年リリースのシングル『ユー・メイ・ドリーム』そしてアルバム『真空パック』だった。『ユー・メイ・ドリーム』について、例えばwikipediaには、《JALの「マイ・ハート・キャンペーン」のCMに起用され、ブレイクを果たす》とさらりと書かれているが、当時を知るものとして付言すれば、「大ブレイク」だった。テレビで繰り返し繰り返し、あの印象深いサビのフレーズが流れていた。
日本のロックそのものが、まだまだその存在を知られていない時代だった。
シーナさんの甘えるようでそれでいてどこか芯のある《声》、鮎川誠の切れの深いギターの《音》、細野晴臣のプロデュースとYMOの協力によるサウンドデザイン。当時は、ロックンロールバンドというよりも、イギリス風の「NEW WAVE」バンドとして受け取られていた。
女性をメインボーカルとする編成はまだ珍しかった。柴山俊之(サンハウス)による歌詞も当時のロックの歌詞の水準を超えていた。「ユー・メイ」、「YOU MAY」と「夢」の掛詞。日本語と英語のハイブリッドのような歌詞は、洒落ていて、どこか屈折していて、複雑で微妙な感情と感覚に染め上げられていた。
『ユー・メイ・ドリーム』のサビのクールな盛り上がり、離陸して大空を滑空していくようなメロディやリズムは、80年代のロックの幕開けを告げるようだった。
80年前後という時は、RCサクセション、YMOがブレイクし、「東京ロッカーズ」、「めんたいロック」などのムーブメントが起こり、日本のロックがより大きなシーンに浮上し始めた時代だった。(私が二十歳の頃のことだ。あの時代の感触をよく覚えている)
開演十五分ほど前、桜座到着。入りは六十か七十人くらいか。少しさみしい気もしたが、甲府という場ではこの位の人数が精一杯かもしれない。
予定より遅れてスタート。鮎川さんは、シーナ&ロケッツの長い歴史の中で初めて山梨に「着陸」したと話してくれた。やはり初めてだった。山梨初ライブの会場が桜座。時が折り重なっているような雰囲気のあるこの小屋は、結成37年というキャリアのこのバンドによく似合っていた。
始まりから数曲は、シーナさんを除いたロケッツ三人、ギター・ボーカルの鮎川誠、ドラムの川嶋一秀、ベースの奈良敏博による歌と演奏。スリーピースによるブルースロックは、重厚なグルーブ感にあふれていた。(あの頃、新宿ロフトで聴いたルースターズのドライブ感を思い出す。「めんたいロック」のビート感には独特のうねりがある。)
6曲ほど演奏後、「シーナ!」の呼び声と共に、シーナさんの登場。ミニスカートに網タイツというスタイル。「年齢を感じさせない」というよりも、「年齢など考える必要がない」という表現がふさわしい存在感だ。
新しいアルバム『ROKKET RIDE』の同名の冒頭曲『ROKKET RIDE』が始まる。その後は新収録曲を中心に展開。現在進行形のロックに圧倒された。一度シーナさんがバックステージに戻り、再び登場。あの『レモンティー』そして『ユー・メイ・ドリーム』と続き、アンコールのストーンズ『サティスファクション』で終了した。20曲に及ぶ2時間の熱演だった。
その時も、そしてこの文を書いている今も、強く印象に残る場面がある。
終わり近くになって、シーナさんが前の方の客一人ひとりと握手していった。桜座はステージと客席の区別がない。一番前の「畳」の座布団の席から1メートル程の「土間」を隔てた向こう側のエリアが舞台なのだ。言うならば「境界線」がない空間だ。
素晴らしいパフォーマンスの瞬間、歌い手と聴き手とがある種の「境界」を超えられるような場である。そのことに触発されたこともあるのだろうか。シーナさんは「夢」を持ち続けることの大切さも語ってくれた。そして全身でファンへの感謝を表しているように見えた。
後ろの方に座っていた私はシーナさんの姿を眺めていただけだったが、その光景に強く心を動かされていた。一人ひとりに握手しながら歌い、言葉を投げかける姿はとても輝いていた。やわらかく優しい表情としなやかで強い意志。あの時、よく分からなかったが、単なるファンサービスではない、特別な何かを感じた。シーナさんは何かを伝えようとしているかのようだった。説明できないのだが、そのことを受けとめていた。
シーナさんが逝去された今、そのことから遡行して、あのライブに特別な意義を見いだしているのではない。あの日の姿と言葉に過剰な意味づけをするのでもない。
しかし、あの光景の《像》とシーナさんの《声》は、いつまでも響き続けるだろう。
桜座のシーナ&ロケッツは、「ロック」を生きていた。
2015年2月28日土曜日
2015年2月23日月曜日
《声》と《再会》-フジファブリック武道館LIVE 6 [志村正彦LN101]
今日2月23日は富士山の日。そのことに合わせたのかは分からないが、昨夜、日付が変わるとすぐに、「フジファブリック最新情報」メールが届いた。
「GYAO!にて「フジファブリック 10th anniversary Live at 日本武道館 2014」特別編集版公開開始!」とあったので、早速クリック。深夜の故、オープニング、『桜の季節』『陽炎』と『卒業』だけを見て、今夜、残りを見終わった。
ところどころに観客の映像が入る。その姿、姿に引き寄せられる。自分のいた位置とは異なるアングルで再体験することで、3ヶ月前の記憶が別の形でよみがえってくる。このエッセイで記憶を頼りにして記した『卒業』の背景映像もほぼその通りだったが、雲の流れと動きがよりダイナミックだったことに気づいた。
3月15日までの配信(http://gyao.yahoo.co.jp/music-live/player/monthly02/fujifabric)ではあるが、誰もが無料でこの映像を見ることができるのは有り難い。
ただし、あのライブで最も記憶に刻まれたシーンは欠けている。志村正彦の《声》が歌う『茜色の夕日』だ。もちろん、無料配信ですべてを流す必要はない。このシーンとの《再会》は、4月8日発売の『Live at 日本武道館』まで待つべきなのだろう。
前回論じた《再会》のモチーフについて、この3週間の間考え続けてきたのだが、なかなか思考が展開できない。考えあぐねているところに、昨夜の映像配信で、あの日の武道館の《声》の感覚が再び強く迫ってきた。この感覚に導かれて、次のような断片が現れてきた。まとまりがないが、それを記してみたい。
この世界には、すでにその主体が不在であるが、主体の不在を超えて有り続けるもの、残り続けるものが存在する。そのようにして有り続けるものとは、例えば、その不在となった主体がかつて表した言葉である。記憶された言葉。記載された言葉。印刷され、刊行された言葉。言葉は有り続ける。
歌の場合、言葉だけでなく、《声》そのものが有り続ける。百年以上前から、録音や音盤制作という現代の技術によって、《声》が、その主体の不在を超えて、有り続けている。この《声》の現前は、それ以前とそれ以後で、歌の享受に決定的な変化をもたらした。あたりまえとなっているが、これは不可思議なことでもある。不在の主体の《声》は天使的な響きを持つ。
さらに今日、映像技術の飛躍によって、不在の主体そのものの《像》が記録され、《像が有り続ける。記録された《言葉》、《声》、《像》。その主体が不在であるにもかかわらず、《言》や《声》や《像》は、主体の不在を超えて存在し続ける。少なくとも、《言》や《声》や《像》の受け手がいる限り。
モニタやスクリーンの画面上にある《言葉》や《像》は、視覚的なもの、想像的なものとして、私たちに届いている。その経験にはどうしても視覚像という媒体、ある意味で回り道のような余計なものが差し挟まる。
しかし、《声》は異なる。再現された《声》ではあるが、聴覚像という媒体には還元されることなく、限りなく直接的に、聴覚に入り込む。耳に、身体に届く。《声》は、不在の主体を、あたかもそこで歌っているかのように現前させる。ありのままにありありと。
あの日の武道館で、演出や演奏やアレンジの次元を超えて、数分という短い時間ではあったが、志村正彦の《声》はその独自の存在のあり方で聴き手に届いた。
私たちは、《声》の直接性によって、《声》の現前によって、不在の主体と再会することができたのかもしれない。
(この項続く)
「GYAO!にて「フジファブリック 10th anniversary Live at 日本武道館 2014」特別編集版公開開始!」とあったので、早速クリック。深夜の故、オープニング、『桜の季節』『陽炎』と『卒業』だけを見て、今夜、残りを見終わった。
ところどころに観客の映像が入る。その姿、姿に引き寄せられる。自分のいた位置とは異なるアングルで再体験することで、3ヶ月前の記憶が別の形でよみがえってくる。このエッセイで記憶を頼りにして記した『卒業』の背景映像もほぼその通りだったが、雲の流れと動きがよりダイナミックだったことに気づいた。
3月15日までの配信(http://gyao.yahoo.co.jp/music-live/player/monthly02/fujifabric)ではあるが、誰もが無料でこの映像を見ることができるのは有り難い。
ただし、あのライブで最も記憶に刻まれたシーンは欠けている。志村正彦の《声》が歌う『茜色の夕日』だ。もちろん、無料配信ですべてを流す必要はない。このシーンとの《再会》は、4月8日発売の『Live at 日本武道館』まで待つべきなのだろう。
前回論じた《再会》のモチーフについて、この3週間の間考え続けてきたのだが、なかなか思考が展開できない。考えあぐねているところに、昨夜の映像配信で、あの日の武道館の《声》の感覚が再び強く迫ってきた。この感覚に導かれて、次のような断片が現れてきた。まとまりがないが、それを記してみたい。
この世界には、すでにその主体が不在であるが、主体の不在を超えて有り続けるもの、残り続けるものが存在する。そのようにして有り続けるものとは、例えば、その不在となった主体がかつて表した言葉である。記憶された言葉。記載された言葉。印刷され、刊行された言葉。言葉は有り続ける。
歌の場合、言葉だけでなく、《声》そのものが有り続ける。百年以上前から、録音や音盤制作という現代の技術によって、《声》が、その主体の不在を超えて、有り続けている。この《声》の現前は、それ以前とそれ以後で、歌の享受に決定的な変化をもたらした。あたりまえとなっているが、これは不可思議なことでもある。不在の主体の《声》は天使的な響きを持つ。
さらに今日、映像技術の飛躍によって、不在の主体そのものの《像》が記録され、《像が有り続ける。記録された《言葉》、《声》、《像》。その主体が不在であるにもかかわらず、《言》や《声》や《像》は、主体の不在を超えて存在し続ける。少なくとも、《言》や《声》や《像》の受け手がいる限り。
モニタやスクリーンの画面上にある《言葉》や《像》は、視覚的なもの、想像的なものとして、私たちに届いている。その経験にはどうしても視覚像という媒体、ある意味で回り道のような余計なものが差し挟まる。
しかし、《声》は異なる。再現された《声》ではあるが、聴覚像という媒体には還元されることなく、限りなく直接的に、聴覚に入り込む。耳に、身体に届く。《声》は、不在の主体を、あたかもそこで歌っているかのように現前させる。ありのままにありありと。
あの日の武道館で、演出や演奏やアレンジの次元を超えて、数分という短い時間ではあったが、志村正彦の《声》はその独自の存在のあり方で聴き手に届いた。
私たちは、《声》の直接性によって、《声》の現前によって、不在の主体と再会することができたのかもしれない。
(この項続く)
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志村正彦ライナーノーツ(LN)
2015年2月2日月曜日
再会-フジファブリック武道館LIVE 5[志村正彦LN100]
昨年11月28日開催のフジファブリック武道館LIVEから二月ほど経つ。このLIVEについてすでに4回ほど掲載したが、あと数回は書きたいことがあるので、今回から再開したい。
武道館ライブの『茜色の夕日』『若者のすべて』『卒業』という三曲の流れ、『卒業』の背景の「空」の映像。あの時あの場において、『卒業』の一節「それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう」の《再会》の相手は、志村正彦その人を指し示していると、前回のLN99で考察した。
歌詞で歌われる《再会》の相手を特定の人物に限定する必要はない。それは当然の前提だ。
歌の言葉の中には余白の箇所がある。誰かを何かを指し示す機能しかない人称代名詞はその余白の最たるものだろう。歌い手にとって指し示す対象が明確であったとしても、聴き手にとってはそうではない。逆にそうだからこそ、聴き手はその対象を自由に想像できる余地がある。
さらに、歌には、歌わないこと、歌えないこと、歌うのが難しいこと、歌うのを避けたいことなどが満ちている。これに関しても人称代名詞と同様のことが当てはまる。
ある時ある所において、歌い手と聴き手との共同の場において、その現実の文脈の中で、歌の空白が埋められることもある。フジファブリックのデビュー10周年を記念する武道館LIVEは、そのような特別な時、特別な場だった。繰り返しになるが、あの時あの場において、《再会》の相手が志村正彦だということは暗黙の前提だった。たとえそれが無意識的なものであったとしても。
武道館LIVEは、志村正彦の「成し遂げられなかった10年」を追悼するものでもあった。あのステージの「主役」は現メンバーだが、ステージの「不在の主役」は志村正彦だった。フジファブリックの歴史からすると必然的にそうなる。
山内総一郎作詞の『卒業』の第2連をあらためて引く。
ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空は薄化粧
それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう
「ぼくら」は「薄化粧」の「空」の下で、歩き出す。「それぞれ道を歩けば」という《歩行》を重ねれば、「いつかまた会えるだろう」というと《再会》の時が訪れる。
その一方で、この《歩行》は、『卒業』という題名と歌詞の全体が示しているように、《卒業》への歩み、「今ここ」という時と場から巣立ち、離れていくことでもある。
第3連を引く。
春の中ぽつり降る ぼくらの足跡消して行く
悲しみは 悲しみはこのまま雨と流れて行けよ
「ぼくら」は、この場から「ぼくらの足跡」を消して行かねばならない。「悲しみ」は雨に流れて行かねばならない。痕跡の消去、感情の消失は、「それぞれ道を歩」くための象徴的行為だ。「いつかまた会えるだろう」という《再会》のための《卒業》は、「ぼくら」がいつか向き合わねばならなかった儀式だ。
この文章を書いている今、あの武道館LIVEを振り返ると、デビュー10周年を数える2014年という時、武道館というロック音楽における象徴的な場で、フジファブリックの《卒業》の儀式が執りおこなわれたのだという印象が強い。
現在のフジファブリックにとって、志村正彦との《再会》のための《卒業》は、志村正彦からの《卒業》であり、志村正彦への《卒業》でもある。志村正彦から/への《卒業》という二重性を持つだろう。
《卒業》は、愛着のある場、慣れ親しんだ場、想い出の時、忘れられない時から離れていくことだ。大切な場、大切な時との別離、ある種の分離だ。その外的な分離が時を経て、心の内面にまで作用していくと、忘れること、《忘却》が訪れる。
志村正彦には『記念写真』という作品(志村作詞・山内作曲、3rdアルバム『TEENAGER』収録、2008年1月リリース)がある。この歌の背景にあるのは《卒業》という出来事だろう。リフレインされる歌詞を引く。
記念の写真 撮って 僕らは さよなら
忘れられたなら その時はまた会える
「忘れる」こと、《忘却》の時が訪れること。それができたなら、「その時はまた会える」、《再会》が可能となる。志村正彦は、《忘却》と《再会》という、矛盾めいた予言のような言葉をこの歌詞に込めている。
さらに時を遡りたい。この『記念写真』には、奥田民生作詞のユニコーン『すばらしい日々』(1993年4月、シングルリリース)が遠く彼方からこだましているように聞こえる。志村正彦が奥田から最も影響を受けたことはよく知られている。この歌もユニコーンの解散という《卒業》が背景となっているようだが、《忘却》と《再会》についての深くて逆説的でもある言葉を、奥田民生は日本語ロックの歌詞の世界に導入した。鍵となる一節を引用する。
朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける
「君は僕を忘れる」、そのような《忘却》の時を経ることで、「君に会いに行ける」、《再会》が果たせる。複雑な感情が込められた《忘却》と《再会》のモチーフは、奥田から志村へと引き継がれた。『記念写真』そのものが志村の奥田に対するオマージュかもしれない。
武道館LIVEのアンコールで初披露された山内総一郎作詞の『はじまりのうた』には次の一節がある。
僕ら待つ未来へ歩き出せるなら
同じ場所をまた見つけられるから
その時はまた会いにいけるから
《分離》や《忘却》というモチーフは消えかけているが、「その時はまた会いにいける」という《再会》というモチーフは貫かれている。『はじまりのうた』という題名が示すように、この《再会》は《出発》あるいは《再出発》を背景としている。曲調の明るさからしても、《未来》が志向されている。
《卒業》という外的な出来事、《忘却》という内的な出来事は、主体とその客体、相手や対象との《分離》を意味している。その《分離》を経た上で《再会》が果たされる。あたかも《分離》が《再会》の条件であるかのように。そのモチーフが、奥田民生・ユニコーン、志村正彦・フジファブリック、そして山内総一郎・現在のフジファブリックとリレーされているかのようだ。意識的なものではなく、多分に無意識的なものかもしれないが。
私たち志村正彦の聴き手にとって、《分離》と《再会》のモチーフの対象は、当然、志村正彦その人である。彼は『記念写真』の最後の節で「きっとこの写真を 撮って 僕らは さよなら/忘れられたなら その時はまた会える」と歌っている。私たち聴き手は自由で、ある意味では身勝手でもあるから、この「僕ら」という人称代名詞を、たとえば、聴き手と歌い手との間に結ばれる「僕ら」という共同性を示すものとして拡大解釈してしまうこともあるだろう。聴き手の欲望は際限がないが、歌は自由であり、それを許している。
それにしても、「僕ら」は何故、「忘れられたなら」、「その時はまた会える」のだろうか。この問いに少しでも近づかなくてはならない。
(この項続く)
武道館ライブの『茜色の夕日』『若者のすべて』『卒業』という三曲の流れ、『卒業』の背景の「空」の映像。あの時あの場において、『卒業』の一節「それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう」の《再会》の相手は、志村正彦その人を指し示していると、前回のLN99で考察した。
歌詞で歌われる《再会》の相手を特定の人物に限定する必要はない。それは当然の前提だ。
歌の言葉の中には余白の箇所がある。誰かを何かを指し示す機能しかない人称代名詞はその余白の最たるものだろう。歌い手にとって指し示す対象が明確であったとしても、聴き手にとってはそうではない。逆にそうだからこそ、聴き手はその対象を自由に想像できる余地がある。
さらに、歌には、歌わないこと、歌えないこと、歌うのが難しいこと、歌うのを避けたいことなどが満ちている。これに関しても人称代名詞と同様のことが当てはまる。
ある時ある所において、歌い手と聴き手との共同の場において、その現実の文脈の中で、歌の空白が埋められることもある。フジファブリックのデビュー10周年を記念する武道館LIVEは、そのような特別な時、特別な場だった。繰り返しになるが、あの時あの場において、《再会》の相手が志村正彦だということは暗黙の前提だった。たとえそれが無意識的なものであったとしても。
武道館LIVEは、志村正彦の「成し遂げられなかった10年」を追悼するものでもあった。あのステージの「主役」は現メンバーだが、ステージの「不在の主役」は志村正彦だった。フジファブリックの歴史からすると必然的にそうなる。
山内総一郎作詞の『卒業』の第2連をあらためて引く。
ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空は薄化粧
それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう
「ぼくら」は「薄化粧」の「空」の下で、歩き出す。「それぞれ道を歩けば」という《歩行》を重ねれば、「いつかまた会えるだろう」というと《再会》の時が訪れる。
その一方で、この《歩行》は、『卒業』という題名と歌詞の全体が示しているように、《卒業》への歩み、「今ここ」という時と場から巣立ち、離れていくことでもある。
第3連を引く。
春の中ぽつり降る ぼくらの足跡消して行く
悲しみは 悲しみはこのまま雨と流れて行けよ
「ぼくら」は、この場から「ぼくらの足跡」を消して行かねばならない。「悲しみ」は雨に流れて行かねばならない。痕跡の消去、感情の消失は、「それぞれ道を歩」くための象徴的行為だ。「いつかまた会えるだろう」という《再会》のための《卒業》は、「ぼくら」がいつか向き合わねばならなかった儀式だ。
この文章を書いている今、あの武道館LIVEを振り返ると、デビュー10周年を数える2014年という時、武道館というロック音楽における象徴的な場で、フジファブリックの《卒業》の儀式が執りおこなわれたのだという印象が強い。
現在のフジファブリックにとって、志村正彦との《再会》のための《卒業》は、志村正彦からの《卒業》であり、志村正彦への《卒業》でもある。志村正彦から/への《卒業》という二重性を持つだろう。
《卒業》は、愛着のある場、慣れ親しんだ場、想い出の時、忘れられない時から離れていくことだ。大切な場、大切な時との別離、ある種の分離だ。その外的な分離が時を経て、心の内面にまで作用していくと、忘れること、《忘却》が訪れる。
志村正彦には『記念写真』という作品(志村作詞・山内作曲、3rdアルバム『TEENAGER』収録、2008年1月リリース)がある。この歌の背景にあるのは《卒業》という出来事だろう。リフレインされる歌詞を引く。
記念の写真 撮って 僕らは さよなら
忘れられたなら その時はまた会える
「忘れる」こと、《忘却》の時が訪れること。それができたなら、「その時はまた会える」、《再会》が可能となる。志村正彦は、《忘却》と《再会》という、矛盾めいた予言のような言葉をこの歌詞に込めている。
さらに時を遡りたい。この『記念写真』には、奥田民生作詞のユニコーン『すばらしい日々』(1993年4月、シングルリリース)が遠く彼方からこだましているように聞こえる。志村正彦が奥田から最も影響を受けたことはよく知られている。この歌もユニコーンの解散という《卒業》が背景となっているようだが、《忘却》と《再会》についての深くて逆説的でもある言葉を、奥田民生は日本語ロックの歌詞の世界に導入した。鍵となる一節を引用する。
朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける
「君は僕を忘れる」、そのような《忘却》の時を経ることで、「君に会いに行ける」、《再会》が果たせる。複雑な感情が込められた《忘却》と《再会》のモチーフは、奥田から志村へと引き継がれた。『記念写真』そのものが志村の奥田に対するオマージュかもしれない。
武道館LIVEのアンコールで初披露された山内総一郎作詞の『はじまりのうた』には次の一節がある。
僕ら待つ未来へ歩き出せるなら
同じ場所をまた見つけられるから
その時はまた会いにいけるから
《分離》や《忘却》というモチーフは消えかけているが、「その時はまた会いにいける」という《再会》というモチーフは貫かれている。『はじまりのうた』という題名が示すように、この《再会》は《出発》あるいは《再出発》を背景としている。曲調の明るさからしても、《未来》が志向されている。
《卒業》という外的な出来事、《忘却》という内的な出来事は、主体とその客体、相手や対象との《分離》を意味している。その《分離》を経た上で《再会》が果たされる。あたかも《分離》が《再会》の条件であるかのように。そのモチーフが、奥田民生・ユニコーン、志村正彦・フジファブリック、そして山内総一郎・現在のフジファブリックとリレーされているかのようだ。意識的なものではなく、多分に無意識的なものかもしれないが。
私たち志村正彦の聴き手にとって、《分離》と《再会》のモチーフの対象は、当然、志村正彦その人である。彼は『記念写真』の最後の節で「きっとこの写真を 撮って 僕らは さよなら/忘れられたなら その時はまた会える」と歌っている。私たち聴き手は自由で、ある意味では身勝手でもあるから、この「僕ら」という人称代名詞を、たとえば、聴き手と歌い手との間に結ばれる「僕ら」という共同性を示すものとして拡大解釈してしまうこともあるだろう。聴き手の欲望は際限がないが、歌は自由であり、それを許している。
それにしても、「僕ら」は何故、「忘れられたなら」、「その時はまた会える」のだろうか。この問いに少しでも近づかなくてはならない。
(この項続く)
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志村正彦ライナーノーツ(LN)
2015年1月26日月曜日
「愛」の気配-『夜汽車』 [ここはどこ?-物語を読む8]
新宿から中央線に乗って甲府に帰るとき、空いていれば必ず進行方向左の窓側に座る。これまでこうして何度車窓の人となっただろう。たいがいは夜、終列車のことも多かった。
東京のどこまでも続く町並みやビルがとぎれがちになると、列車は暗い山の中を這うように進む。途中いくつものトンネルを抜ける。慣れてはいてもトンネルに入るとやはりどこか窮屈で、逃げ場のないような不安な心持ちがする。笹子トンネルという長い長いトンネルを抜けると、突然左手に甲府盆地の夜景が広がる。今までが闇であった分、その灯の瞬きは息をのむほど美しい。その瞬間、「ああ、帰ってきた」と思う。生まれ育った田舎の町の人々の営みの中に戻ってきた実感がある。
『夜汽車』(ファーストアルバム『フジファブリック』の最後の曲)を聴きながら私が思い浮かべているのは、そんな中央線の光景だ。もっとも、高円寺に住んでいたことがあるという志村正彦が中央線で故郷の富士吉田に帰るとしたら、笹子トンネルまでは行かずに手前の大月駅で富士急行線に乗り換えることになる。だから、これはあくまで私の描く夜汽車で、聴く人によって思い浮かべる車窓の光景は違うだろう。けれど夜汽車には何か独特な風情があることは共感してもらえるのではないか。車内の人々は言葉少なで、多くの人は目を閉じ、ひとときの眠りについている。その中で目覚めているものは、窓に映る己と対話をするように深い物思いに沈んでいく。
『夜汽車』は夜汽車の持つ独特の雰囲気を叙情的に歌った一曲と言えるかもしれない。しかし、どうも引っかかってしまうのだ。
夜汽車が峠を越える頃 そっと
静かにあなたに本当の事を言おう
「本当の事」って何だろう。 恋心の告白なのか、逆に別れを切り出すのか、あるいは普段は思っていても言えないこと、それともずっと隠してきたことなのか。おそらくこの曲を聴く人の多くが気にかかることではないだろうか。そしてそこに多くの物語が紡ぎ出されることになる。二人はどんな関係なのか。何のためにどこへ向かおうとしているのか。その先に何があるのか。とても幸福な物語を描くこともできる。とても悲しい物語を語ることもできる。どの物語が正しいということではない。
私自身はこの歌の語り手には何か屈託があるように感じてしまう。目の前にいる人(この場合、座席はすべて進行方向を向いているのではなく、四人が向かい合わせに座るボックス型であってほしい)はその人にとって救いのような人である。恋人でなくてもいい。友達でも、その日初めて会った人でもかまわない。語り手の心の奥深いところに届くものを持っている人。だから、その人に「本当の事」を言おうとする。普段表面を取り繕ったりごまかしたりして、内側に隠してきたことを言おうとする。それは語り手自身が傷を負う結果を招くかもしれない。それでも、語り手は静かに決意する。「あなたに本当の事を言おう」と。
この曲の中には穏やかな時間が流れている。この二人がつらい旅の途中であったとしても、このひとときだけは安らかに過ぎている。それは語り手が「あなたの眠り」を護っているからだ。私はそれを「愛」と呼びたい。これから愛の告白をしようという場合だけではなく、たとえこれから別れを切り出すことになったとしても、この時間を成り立たせているのは「愛」である。
志村正彦は「愛」などと口にはしないだろうが、『夜汽車』が心に迫ってくるのは、そこに確かに「愛」の気配があるからなのだ。
東京のどこまでも続く町並みやビルがとぎれがちになると、列車は暗い山の中を這うように進む。途中いくつものトンネルを抜ける。慣れてはいてもトンネルに入るとやはりどこか窮屈で、逃げ場のないような不安な心持ちがする。笹子トンネルという長い長いトンネルを抜けると、突然左手に甲府盆地の夜景が広がる。今までが闇であった分、その灯の瞬きは息をのむほど美しい。その瞬間、「ああ、帰ってきた」と思う。生まれ育った田舎の町の人々の営みの中に戻ってきた実感がある。
『夜汽車』(ファーストアルバム『フジファブリック』の最後の曲)を聴きながら私が思い浮かべているのは、そんな中央線の光景だ。もっとも、高円寺に住んでいたことがあるという志村正彦が中央線で故郷の富士吉田に帰るとしたら、笹子トンネルまでは行かずに手前の大月駅で富士急行線に乗り換えることになる。だから、これはあくまで私の描く夜汽車で、聴く人によって思い浮かべる車窓の光景は違うだろう。けれど夜汽車には何か独特な風情があることは共感してもらえるのではないか。車内の人々は言葉少なで、多くの人は目を閉じ、ひとときの眠りについている。その中で目覚めているものは、窓に映る己と対話をするように深い物思いに沈んでいく。
『夜汽車』は夜汽車の持つ独特の雰囲気を叙情的に歌った一曲と言えるかもしれない。しかし、どうも引っかかってしまうのだ。
夜汽車が峠を越える頃 そっと
静かにあなたに本当の事を言おう
「本当の事」って何だろう。 恋心の告白なのか、逆に別れを切り出すのか、あるいは普段は思っていても言えないこと、それともずっと隠してきたことなのか。おそらくこの曲を聴く人の多くが気にかかることではないだろうか。そしてそこに多くの物語が紡ぎ出されることになる。二人はどんな関係なのか。何のためにどこへ向かおうとしているのか。その先に何があるのか。とても幸福な物語を描くこともできる。とても悲しい物語を語ることもできる。どの物語が正しいということではない。
私自身はこの歌の語り手には何か屈託があるように感じてしまう。目の前にいる人(この場合、座席はすべて進行方向を向いているのではなく、四人が向かい合わせに座るボックス型であってほしい)はその人にとって救いのような人である。恋人でなくてもいい。友達でも、その日初めて会った人でもかまわない。語り手の心の奥深いところに届くものを持っている人。だから、その人に「本当の事」を言おうとする。普段表面を取り繕ったりごまかしたりして、内側に隠してきたことを言おうとする。それは語り手自身が傷を負う結果を招くかもしれない。それでも、語り手は静かに決意する。「あなたに本当の事を言おう」と。
この曲の中には穏やかな時間が流れている。この二人がつらい旅の途中であったとしても、このひとときだけは安らかに過ぎている。それは語り手が「あなたの眠り」を護っているからだ。私はそれを「愛」と呼びたい。これから愛の告白をしようという場合だけではなく、たとえこれから別れを切り出すことになったとしても、この時間を成り立たせているのは「愛」である。
志村正彦は「愛」などと口にはしないだろうが、『夜汽車』が心に迫ってくるのは、そこに確かに「愛」の気配があるからなのだ。
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2015年1月18日日曜日
『満月の夕』-書物と番組-
半年ほど前から、石田昌隆氏の『ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍』(河出書房新社 2014.1)を断続的に少しずつ読んできた。
写真家である氏の写真と文章で、ソウル・フラワー・ユニオンの1993年から2013年までの20年間の足跡を描き出している、320頁の労作。阪神淡路大震災と東日本大震災の後で彼らが成したこと。ダブリン、釜山、辺野古、様々な「マージナルな場所」での活動。彼らの「旅」の丹念な記録と共に、「日本語のロックと歌」についての深い問いかけもあるこの書は、日本のロックに関心のあるものにとって読むべき作品だ。
ソウル・フラワー・ユニオンの20年間の軌跡、そして石田昌隆氏の書物の中心にあるのは、必然的に『満月の夕』となる。この歌について、昨夜のNHKで、『「満月の夕」~震災が紡いだ歌の20年~』という番組が放送された。
『満月の夕』を私が初めて聴いたのは、東日本大震後のドキュメンタリーを通じてだった。二つの震災の現場を直接経験していない私のような者が、この歌を「一つの歌」としてあれこれと語ってはならないという気持ちが強くある。それでも、番組で伝えられたこの歌の共作者の一人、山口洋(HEATWAVE)の言葉について考えたことをこの場で記したい。たくさんの人が少しずつ「刻む」ことが大切だからだ。
そもそもこの『満月の夕』には、ソウル・フラワー・ユニオンとHEATWAVEの二つのversionがあることは、石田氏の書物を読むまで全く知らなかった。その経緯についてこの番組は丁寧に触れていた。山口は次のように語っている。(番組のテロップと実際の言葉には少し違いがあるので、音声から文字を起こした)
あの時日本人には 実際行動した人と 心を痛めながらもテレビを見ていることしかできなかった日本人ていう風に 2種類だと思いますね そういう意味でいえば 僕はどちらかというと後者のタイプで ならばもう少し距離を離れて いろんなことを見ていた ほぼテレビを見ていた立場に近い方から 僕は歌詞を書いた
二つの歌詞を読み比べると、確かに、「時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ」(中川敬)、「夕暮れが悲しみの街を包む 見渡すながめに言葉もなく」(山口洋)というように、現場に「立つ」と現場を「見渡す」という二つのあり方が、重要な差異となっていることが分かる。二つの歌は共に「現場」に対する視点が、各々のあり方として誠実で正確だ。現場のことを全く知らない者にとって、この山口洋の発言は記憶すべき言葉だろう。
石田昌隆氏の書物の最後の最後のところで、中川敬との会話の言葉が紹介されている。彼らのような活動に対して、すぐにある種のレッテルが貼られる日本の現状に対する、痛烈にしてユーモアのある、深く深い言葉。「解き放て いのちで笑え」とも受け止められる発言。痛切に動かされた。そして、大いに肯定したい。その言葉を引き、この稿を閉じよう。
「右か左かと聞かれたら、俺は下や」 (中川敬)
写真家である氏の写真と文章で、ソウル・フラワー・ユニオンの1993年から2013年までの20年間の足跡を描き出している、320頁の労作。阪神淡路大震災と東日本大震災の後で彼らが成したこと。ダブリン、釜山、辺野古、様々な「マージナルな場所」での活動。彼らの「旅」の丹念な記録と共に、「日本語のロックと歌」についての深い問いかけもあるこの書は、日本のロックに関心のあるものにとって読むべき作品だ。
ソウル・フラワー・ユニオンの20年間の軌跡、そして石田昌隆氏の書物の中心にあるのは、必然的に『満月の夕』となる。この歌について、昨夜のNHKで、『「満月の夕」~震災が紡いだ歌の20年~』という番組が放送された。
『満月の夕』を私が初めて聴いたのは、東日本大震後のドキュメンタリーを通じてだった。二つの震災の現場を直接経験していない私のような者が、この歌を「一つの歌」としてあれこれと語ってはならないという気持ちが強くある。それでも、番組で伝えられたこの歌の共作者の一人、山口洋(HEATWAVE)の言葉について考えたことをこの場で記したい。たくさんの人が少しずつ「刻む」ことが大切だからだ。
そもそもこの『満月の夕』には、ソウル・フラワー・ユニオンとHEATWAVEの二つのversionがあることは、石田氏の書物を読むまで全く知らなかった。その経緯についてこの番組は丁寧に触れていた。山口は次のように語っている。(番組のテロップと実際の言葉には少し違いがあるので、音声から文字を起こした)
あの時日本人には 実際行動した人と 心を痛めながらもテレビを見ていることしかできなかった日本人ていう風に 2種類だと思いますね そういう意味でいえば 僕はどちらかというと後者のタイプで ならばもう少し距離を離れて いろんなことを見ていた ほぼテレビを見ていた立場に近い方から 僕は歌詞を書いた
二つの歌詞を読み比べると、確かに、「時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ」(中川敬)、「夕暮れが悲しみの街を包む 見渡すながめに言葉もなく」(山口洋)というように、現場に「立つ」と現場を「見渡す」という二つのあり方が、重要な差異となっていることが分かる。二つの歌は共に「現場」に対する視点が、各々のあり方として誠実で正確だ。現場のことを全く知らない者にとって、この山口洋の発言は記憶すべき言葉だろう。
石田昌隆氏の書物の最後の最後のところで、中川敬との会話の言葉が紹介されている。彼らのような活動に対して、すぐにある種のレッテルが貼られる日本の現状に対する、痛烈にしてユーモアのある、深く深い言葉。「解き放て いのちで笑え」とも受け止められる発言。痛切に動かされた。そして、大いに肯定したい。その言葉を引き、この稿を閉じよう。
「右か左かと聞かれたら、俺は下や」 (中川敬)
2015年1月12日月曜日
《itai demo itai》-クリープハイプ『百八円の恋』
映画『百円の恋』の背景では時折、ロック音楽が鳴り響いている。ブルース・ロックが主人公「一子」の日常を、ハード・ロックが「一子」の闘いの序章を告げる。
ラストシーン。「一子」が闘いから日常へと還っていく夜の場面。クリープハイプの『百八円の恋』が流れる。尾崎世界観の声が、暗い画面の奥から聞こえてくる。映画が終わり、音楽が始まる。
もうすぐこの映画も終わる こんなあたしの事は忘れてね
これから始まる毎日は 映画になんかならなくても 普通の毎日でいいから
活動弁士のように、その声は「これから始まる毎日」を語り出すが、「普通の毎日」はほんとうに始まるのだろうか。音楽が終わると何かが始まるのだろうか。一瞬そのことを想うが、間奏を挟んで、声が拳のように素早く観客に打ちこまれる。
「itai itai itai itai itai itai itai itai…」という声の連呼。
「demo」で一呼吸おいて、再び「itai itai itai itai itai itai itai itai…」の連呼。
何回繰り返されるのか。テンポがすごく速い。ボクシングの連打のような声。
「itai… demo itai…」?
「itai」は「痛い」なのか、この連呼の意味の流れはその場では分からない。日本語には同音異義語が多いが、歌の文脈ではアクセントや音の高低も自在なので、言葉をつかみにくい。歌詞カードのような文字化されたテキストなしで聴くと、そのようなことがよく起きる。それもまた聞くことの愉しみではあるのだが、意味を結ばないで宙吊りされるような心持ちにもなる。
帰宅してからネットで調べると次の歌詞だった。(『百円の恋』のパンフレットにも歌詞が掲載されているが、少し違いがある。以前のあるいは以後のversionなのだろうか)
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
でも
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい
「itai… demo itai…」は「痛い… でも 居たい…」なのか。なるほど。この意味であれば、映画のラストシーンとほどよく解け合う。映画『百円の恋』は「痛いでも居たい」という闘いの物語なのだから。
それにしても、この「itai」の分節は特徴的だ。二度目、三度目と歌われるのだが、微妙にその発生や発音が異なっている。「itai」という《音の連なり》(構造言語学で言うところの《シニフィアン》)は、それが意味する「痛い」あるいは「居たい」という《意味》(同じく《シニフィエ》)と、不思議な連鎖をしていく。
「音楽ナタリー」掲載の尾崎世界観(クリープハイプ)と志磨遼平(ドレスコーズ)の対談[http://natalie.mu/music/pp/dresscodes06/page/4]で、尾崎は歌詞を携帯のメモ画面で書くと述べている。
尾崎 ずっとそうでした。歌詞でけっこう韻踏んだりすることが多いんですけど、それも文字変換とかで……。 (中略)
志磨 あれ便利な機能だよね! 作詞家にとって。ひらがなで打ったら漢字が3つくらい出てくるから、じゃあもう1行目それで2行目これでいいじゃんって(笑)。
尾崎 逆に、出てきた言葉に意味を持たせることもけっこうありますよね。「ああ、この読み方もできるなあ。じゃあ2番はどういう歌詞にしたらこの意味につながるだろう」って。
「企業秘密」のような話で面白い。「韻」の「文字変換」の連鎖は、まさしく日本語の日本語たる特徴だ。精神分析家ラカンの教えをもとに、少しだけ理屈をつけたい。
日本語は同音異義語が多い。そのために、特に歌う・聞く場において、シニフィアン(音そのもの)が謎めいたものになるという特徴を持つ。シニフィアンがシニフィアンのままで聞き取られると言ってもいい。日本語はシニフィアンが決定的に優位な言語だ。そして、シニフィアンがもうひとつのシニフィアンに「横滑り」していくことが自然に起きる。一応、一端、そのシニフィアンに対応するシニフィエにピン留めされるのだが、さらに滑っていくこともある。
『百八円の恋』の「itai」というシニフィアンは、尾崎世界観の声に促されるように、「痛い」「居たい」というように、《シニフィアン/シニフィエ》に滑っていく。彼の歌い方そのものが声の横滑りのような感じであるのも、そのことに勢いをつけている。
パンフレット掲載の尾崎のインタビューによると、武正晴監督との打ち合わせで、「この映画を音楽で助けて欲しい。音楽の力を借りたい」という要請があったそうだ。彼は「脚本を読んでこの物語自体がクリープハイプだなって思えた」と延べている。監督と音楽家とのコラボレーションとしては最良のものだろう。
私はクリープハイプについてはyoutubeのMVくらいしか聴いたことがない。「聴き手」とは当然言えない。あくまで映画『百円の恋』の一観客という立場にすぎない。
他の曲と比較することもできないので推測で書くが、「終わったのは始まったから」と歌詞の一節にあるように、歌の物語の始まりと終わりの感覚が独特で、古くてとても新しい。『百円の恋』から『百八円の恋』へと、『百八円の恋』から『百円の恋』へと、始まり終わっていく。
題名につながる一節は次の通りだ。
誰かを好きになることにも
消費税がかかっていて
百円の恋に八円の愛ってわかってるけど
「百円の恋に八円の愛ってわかってるけど」って歌われるけど、これは全く分からない。でも、分からなくてもなんだか分かったような気もする。けど、それではいけないのかもしれない。それでいいのかもしれない。
「百円の恋」「八円の愛」。どちらも謎のシニフィアン。
でも、何に、何処に、誰に、横滑りしていくのだろうか。
ラストシーン。「一子」が闘いから日常へと還っていく夜の場面。クリープハイプの『百八円の恋』が流れる。尾崎世界観の声が、暗い画面の奥から聞こえてくる。映画が終わり、音楽が始まる。
もうすぐこの映画も終わる こんなあたしの事は忘れてね
これから始まる毎日は 映画になんかならなくても 普通の毎日でいいから
活動弁士のように、その声は「これから始まる毎日」を語り出すが、「普通の毎日」はほんとうに始まるのだろうか。音楽が終わると何かが始まるのだろうか。一瞬そのことを想うが、間奏を挟んで、声が拳のように素早く観客に打ちこまれる。
「itai itai itai itai itai itai itai itai…」という声の連呼。
「demo」で一呼吸おいて、再び「itai itai itai itai itai itai itai itai…」の連呼。
何回繰り返されるのか。テンポがすごく速い。ボクシングの連打のような声。
「itai… demo itai…」?
「itai」は「痛い」なのか、この連呼の意味の流れはその場では分からない。日本語には同音異義語が多いが、歌の文脈ではアクセントや音の高低も自在なので、言葉をつかみにくい。歌詞カードのような文字化されたテキストなしで聴くと、そのようなことがよく起きる。それもまた聞くことの愉しみではあるのだが、意味を結ばないで宙吊りされるような心持ちにもなる。
帰宅してからネットで調べると次の歌詞だった。(『百円の恋』のパンフレットにも歌詞が掲載されているが、少し違いがある。以前のあるいは以後のversionなのだろうか)
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
でも
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい
「itai… demo itai…」は「痛い… でも 居たい…」なのか。なるほど。この意味であれば、映画のラストシーンとほどよく解け合う。映画『百円の恋』は「痛いでも居たい」という闘いの物語なのだから。
それにしても、この「itai」の分節は特徴的だ。二度目、三度目と歌われるのだが、微妙にその発生や発音が異なっている。「itai」という《音の連なり》(構造言語学で言うところの《シニフィアン》)は、それが意味する「痛い」あるいは「居たい」という《意味》(同じく《シニフィエ》)と、不思議な連鎖をしていく。
「音楽ナタリー」掲載の尾崎世界観(クリープハイプ)と志磨遼平(ドレスコーズ)の対談[http://natalie.mu/music/pp/dresscodes06/page/4]で、尾崎は歌詞を携帯のメモ画面で書くと述べている。
尾崎 ずっとそうでした。歌詞でけっこう韻踏んだりすることが多いんですけど、それも文字変換とかで……。 (中略)
志磨 あれ便利な機能だよね! 作詞家にとって。ひらがなで打ったら漢字が3つくらい出てくるから、じゃあもう1行目それで2行目これでいいじゃんって(笑)。
尾崎 逆に、出てきた言葉に意味を持たせることもけっこうありますよね。「ああ、この読み方もできるなあ。じゃあ2番はどういう歌詞にしたらこの意味につながるだろう」って。
「企業秘密」のような話で面白い。「韻」の「文字変換」の連鎖は、まさしく日本語の日本語たる特徴だ。精神分析家ラカンの教えをもとに、少しだけ理屈をつけたい。
日本語は同音異義語が多い。そのために、特に歌う・聞く場において、シニフィアン(音そのもの)が謎めいたものになるという特徴を持つ。シニフィアンがシニフィアンのままで聞き取られると言ってもいい。日本語はシニフィアンが決定的に優位な言語だ。そして、シニフィアンがもうひとつのシニフィアンに「横滑り」していくことが自然に起きる。一応、一端、そのシニフィアンに対応するシニフィエにピン留めされるのだが、さらに滑っていくこともある。
『百八円の恋』の「itai」というシニフィアンは、尾崎世界観の声に促されるように、「痛い」「居たい」というように、《シニフィアン/シニフィエ》に滑っていく。彼の歌い方そのものが声の横滑りのような感じであるのも、そのことに勢いをつけている。
パンフレット掲載の尾崎のインタビューによると、武正晴監督との打ち合わせで、「この映画を音楽で助けて欲しい。音楽の力を借りたい」という要請があったそうだ。彼は「脚本を読んでこの物語自体がクリープハイプだなって思えた」と延べている。監督と音楽家とのコラボレーションとしては最良のものだろう。
私はクリープハイプについてはyoutubeのMVくらいしか聴いたことがない。「聴き手」とは当然言えない。あくまで映画『百円の恋』の一観客という立場にすぎない。
他の曲と比較することもできないので推測で書くが、「終わったのは始まったから」と歌詞の一節にあるように、歌の物語の始まりと終わりの感覚が独特で、古くてとても新しい。『百円の恋』から『百八円の恋』へと、『百八円の恋』から『百円の恋』へと、始まり終わっていく。
題名につながる一節は次の通りだ。
誰かを好きになることにも
消費税がかかっていて
百円の恋に八円の愛ってわかってるけど
「百円の恋に八円の愛ってわかってるけど」って歌われるけど、これは全く分からない。でも、分からなくてもなんだか分かったような気もする。けど、それではいけないのかもしれない。それでいいのかもしれない。
「百円の恋」「八円の愛」。どちらも謎のシニフィアン。
でも、何に、何処に、誰に、横滑りしていくのだろうか。
2015年1月6日火曜日
映画『百円の恋』、テアトル石和で。
2015年、年が新しくなり、数日経つ。
山梨県は内陸にあるが、気候は太平洋側に属するので、年末から年始にかけて晴天が続いた。寒さは厳しいが、日の光には恵まれている。富士山を始めとする山々も美しい。
今年も《偶景web》をよろしくお願い申し上げます。
新年早々、映画『百円の恋』を見た。
あのクリープハイプによる主題歌も話題となっている作品。あるきっかけでたまたま調べてみると、今、山梨でも上映している、しかも、あのテアトル石和で!と、かなり驚くやら嬉しいやらで、早速出かけることにした。
テアトル石和(http://www.csc.co.jp)は、石和温泉郷のややはずれにある。「昭和の田舎の場末」感が漂う、とでも形容すべきレトロな小屋。そのせいか、映画やMVのロケ地として何度も使われているようだ(昔の映画では、崔洋一監督『月はどっちに出ている』にも確か登場していた)。
以前は、映画の「二番館」、「三番館」というか「名画座」のようなプログラムだったが、最近は、新作の封切り映画も上映しているようで、そのことを知らずにいた。(もっと前に気づくべきだったと後悔しきり。まあ、何事も遅すぎることはない。これからチェックしようと納得させた)
封切り(12月20日から、新宿、名古屋、福岡、山梨・石和の4館で公開)にもかかわらず、二本立てなのが「謎」というか「お得」というか、愛すべき貴重な映画館である。(併映の『マダム・イン・ニューヨーク』も半年前ほどに公開されたものだ)
テアトル石和に着くと、少しばかりタイムワープ感があった。
学生の頃、早稲田松竹、池袋文芸座地下、飯田橋佳作座などの名画座によく通ったことを思い出した。ネットもレンタルビデオすらも無い時代、映画を見ることは名画座に行くことと等号で結ばれていた。
地方から上京した鬱屈した学生にとって、街を歩き、映画館の暗闇で数時間を過ごすことは、愉しみ、悦びであり、そして学びでもあった。
『百円の恋』は、心とそして身体の方も深く激しく動かされる映画だった。新しい年の初めに素晴らしい作品に出会えて感謝した。物語の内容は「ネタバレ」になってしまうので、ここでは何も記さないが、簡潔に書きたいことがある。
物語そのものはありがちな定型だと言われそうでもあるが、この映画の演出と脚本はその定型を打ち倒している。映画でしか描きえない出来事を定着しているという点で、非常に映画らしい映画だ。別に映画にしなくてもいいのではと感じる映画が多い中、そのことが何よりも賞賛されるべきだ。
監督の武正晴、脚本家の足立紳、「一子」役の安藤サクラ、「祐二」役の新井浩文(『モテキ』でいい味出していた)、スタッフやキャストは皆、物語と静かに闘っている。
『百円の恋』は「闘い」の映画だ。安藤サクラ演じる「一子」は、誰と、何と、闘っているのか。そのような問いを、この作品は観客に打ちだす。
「一子」は、強くなるための闘いというよりも、むしろ、弱くなるための闘いというか、「弱さ」を研ぎすますための闘いに挑んでいるのではないだろうか。
研ぎすまされた「弱さ」がやがて強さともなり、そのようにしてはぐくまれる愛がある。そのことを、激しく痛く、一撃のように、私は受けとった。
ロック音楽が映像の良き伴奏者となっている。「一子」の日常を奏でるブルース・ロック、「一子」が変わり始める際のハード・ロック。
そして、エンディングに流れるクリープハイプ『百八円の恋』がこちら側に《声》の拳を打ちこんでくる。
(この項続く)
付記 『百円の恋』の方はまだ上映しているようなので、山梨にお住まいの「映画 and ロック音楽」ファンの方はご覧になられたらいかかでしょうか。私たちの時は観客が5人でしたので、おせっかいではありますが、応援したくなりました。
山梨県は内陸にあるが、気候は太平洋側に属するので、年末から年始にかけて晴天が続いた。寒さは厳しいが、日の光には恵まれている。富士山を始めとする山々も美しい。
今年も《偶景web》をよろしくお願い申し上げます。
新年早々、映画『百円の恋』を見た。
あのクリープハイプによる主題歌も話題となっている作品。あるきっかけでたまたま調べてみると、今、山梨でも上映している、しかも、あのテアトル石和で!と、かなり驚くやら嬉しいやらで、早速出かけることにした。
テアトル石和(http://www.csc.co.jp)は、石和温泉郷のややはずれにある。「昭和の田舎の場末」感が漂う、とでも形容すべきレトロな小屋。そのせいか、映画やMVのロケ地として何度も使われているようだ(昔の映画では、崔洋一監督『月はどっちに出ている』にも確か登場していた)。
以前は、映画の「二番館」、「三番館」というか「名画座」のようなプログラムだったが、最近は、新作の封切り映画も上映しているようで、そのことを知らずにいた。(もっと前に気づくべきだったと後悔しきり。まあ、何事も遅すぎることはない。これからチェックしようと納得させた)
封切り(12月20日から、新宿、名古屋、福岡、山梨・石和の4館で公開)にもかかわらず、二本立てなのが「謎」というか「お得」というか、愛すべき貴重な映画館である。(併映の『マダム・イン・ニューヨーク』も半年前ほどに公開されたものだ)
テアトル石和に着くと、少しばかりタイムワープ感があった。
学生の頃、早稲田松竹、池袋文芸座地下、飯田橋佳作座などの名画座によく通ったことを思い出した。ネットもレンタルビデオすらも無い時代、映画を見ることは名画座に行くことと等号で結ばれていた。
地方から上京した鬱屈した学生にとって、街を歩き、映画館の暗闇で数時間を過ごすことは、愉しみ、悦びであり、そして学びでもあった。
『百円の恋』は、心とそして身体の方も深く激しく動かされる映画だった。新しい年の初めに素晴らしい作品に出会えて感謝した。物語の内容は「ネタバレ」になってしまうので、ここでは何も記さないが、簡潔に書きたいことがある。
物語そのものはありがちな定型だと言われそうでもあるが、この映画の演出と脚本はその定型を打ち倒している。映画でしか描きえない出来事を定着しているという点で、非常に映画らしい映画だ。別に映画にしなくてもいいのではと感じる映画が多い中、そのことが何よりも賞賛されるべきだ。
監督の武正晴、脚本家の足立紳、「一子」役の安藤サクラ、「祐二」役の新井浩文(『モテキ』でいい味出していた)、スタッフやキャストは皆、物語と静かに闘っている。
『百円の恋』は「闘い」の映画だ。安藤サクラ演じる「一子」は、誰と、何と、闘っているのか。そのような問いを、この作品は観客に打ちだす。
「一子」は、強くなるための闘いというよりも、むしろ、弱くなるための闘いというか、「弱さ」を研ぎすますための闘いに挑んでいるのではないだろうか。
研ぎすまされた「弱さ」がやがて強さともなり、そのようにしてはぐくまれる愛がある。そのことを、激しく痛く、一撃のように、私は受けとった。
ロック音楽が映像の良き伴奏者となっている。「一子」の日常を奏でるブルース・ロック、「一子」が変わり始める際のハード・ロック。
そして、エンディングに流れるクリープハイプ『百八円の恋』がこちら側に《声》の拳を打ちこんでくる。
(この項続く)
付記 『百円の恋』の方はまだ上映しているようなので、山梨にお住まいの「映画 and ロック音楽」ファンの方はご覧になられたらいかかでしょうか。私たちの時は観客が5人でしたので、おせっかいではありますが、応援したくなりました。
2014年12月31日水曜日
追憶の2014年 [諸記]
2014年が終わろうとする。例年より、公私ともにかなり忙しい日々を送った。「追憶」のようにして、今年をふりかえりたい。
最も力を入れた活動、私的ではあるが語の本来の意味では半ば公的でもある活動は、やはり、7月12,13日開催の「ロックの詩人 志村正彦展」とフォーラムだった。
はるばる甲府まで訪れていただいた皆さまには、この場を借りて、もう一度、深く感謝を申し上げます。
予想をはるかに超えた来場者数に、志村正彦の影響力の凄さをあらためて知ることになった。熱心に丁寧に時間をかけて展示物や資料を見ていた彼の聴き手の「愛」に、同様に一人の聴き手である私もとても心を動かされた。考えさせられたことも多く、私的な立場でこの《偶景web》に書きたいこともあるのだが、《ロックの詩人 志村正彦展web》での報告が完了するまでは待つことにしたい(遅々たる歩みで申し訳ありません)。
私的な活動としては、2年目に入ったこの《偶景web》を持続させることに集中した。「志村正彦ライナーノーツ」から独立させた「詞論」、「偶景」や「映像」という新しいシリーズも始めた。中心にあるのは志村正彦だが、多様なシリーズや観点を設定した方が結果的に、彼に接近できるような気がするからだ。
今年出かけたライブのリストを挙げたい。志村正彦、フジファブリックに対する見方が独りよがりなものにならないように、彼に関わりのある音楽家を主にしてロック音楽の現在の「場」に行くことを自らに課してきた。
1/11 佐々木健太郎 (甲府・ハーパーズミル)
1/12 吉野寿・向井秀徳 (甲府・桜座)
2/ 2 a flood of circle (山梨県昭和町・Hangar Hall)
2/14 メレンゲ (渋谷公会堂)
2/22 直枝政広・おとぎ話 (甲府・桜座)
2/23 大森靖子 (甲府・桜座)
4/ 6 斉藤和義 (甲府・県民文化ホール)
4/13 フジファブリック『live at 富士五湖文化センター上映會』 (富士吉田・ふじさんホール)
5/ 3 藤巻亮太 (甲府・県民文化ホール)
8/24 シーナ&ロケッツ (甲府・桜座)
9/23 HINTO (渋谷CLUB QUATTRO)
10/ 5 THE BOOM (甲府・県民文化ホール)
10/26 アナログフィッシュ・moools (甲府・桜座)
11/28 フジファブリック (日本武道館)
やはり4月13日の「上映會」は欠かせない。志村正彦在籍時のフジファブリックの「ライブ」としても、私は経験したのだから。
平均すると一月に一回以上という私にしてはかなりのハイペース、「ロック好きのおじさん!」と化した一年だった。吉野寿・向井秀徳、直枝政広・おとぎ話、大森靖子、藤巻亮太、シーナ&ロケッツ、mooolsについては「詞論」等で取り上げることはできなかったが、どれも素晴らしいライブだった。いつか機会を設けて書くことにしたい。
こうしてリストを眺めると、甲府にある桜座の存在が大きい。「どうしておなかがすくのかな企画」を始めとする地元の企画者の努力も本当に有り難い。
フジファブリックは特別なので除外するとして、この中で心にいつまでも残響しているのは、HINTOとアナログフィッシュのライブ。HINTO『NERVOUS PARTY』とアナログフィッシュ『最近のぼくら』という新アルバムも繰り返し聴いた。
安部コウセイ『エネミー』、下岡晃『Nightfever』の言葉は、自分自身と時代そのものに誠実に向きあっている。「今」を生きる「ロックの詩人」の代表格だ。
今年最も数多く聴いた歌は、フジファブリック『セレナーデ』。
志村正彦の《声》と《言葉》に救われるようにして、2014年という時を過ごすことができた。
最も力を入れた活動、私的ではあるが語の本来の意味では半ば公的でもある活動は、やはり、7月12,13日開催の「ロックの詩人 志村正彦展」とフォーラムだった。
はるばる甲府まで訪れていただいた皆さまには、この場を借りて、もう一度、深く感謝を申し上げます。
予想をはるかに超えた来場者数に、志村正彦の影響力の凄さをあらためて知ることになった。熱心に丁寧に時間をかけて展示物や資料を見ていた彼の聴き手の「愛」に、同様に一人の聴き手である私もとても心を動かされた。考えさせられたことも多く、私的な立場でこの《偶景web》に書きたいこともあるのだが、《ロックの詩人 志村正彦展web》での報告が完了するまでは待つことにしたい(遅々たる歩みで申し訳ありません)。
私的な活動としては、2年目に入ったこの《偶景web》を持続させることに集中した。「志村正彦ライナーノーツ」から独立させた「詞論」、「偶景」や「映像」という新しいシリーズも始めた。中心にあるのは志村正彦だが、多様なシリーズや観点を設定した方が結果的に、彼に接近できるような気がするからだ。
今年出かけたライブのリストを挙げたい。志村正彦、フジファブリックに対する見方が独りよがりなものにならないように、彼に関わりのある音楽家を主にしてロック音楽の現在の「場」に行くことを自らに課してきた。
1/11 佐々木健太郎 (甲府・ハーパーズミル)
1/12 吉野寿・向井秀徳 (甲府・桜座)
2/ 2 a flood of circle (山梨県昭和町・Hangar Hall)
2/14 メレンゲ (渋谷公会堂)
2/22 直枝政広・おとぎ話 (甲府・桜座)
2/23 大森靖子 (甲府・桜座)
4/ 6 斉藤和義 (甲府・県民文化ホール)
4/13 フジファブリック『live at 富士五湖文化センター上映會』 (富士吉田・ふじさんホール)
5/ 3 藤巻亮太 (甲府・県民文化ホール)
8/24 シーナ&ロケッツ (甲府・桜座)
9/23 HINTO (渋谷CLUB QUATTRO)
10/ 5 THE BOOM (甲府・県民文化ホール)
10/26 アナログフィッシュ・moools (甲府・桜座)
11/28 フジファブリック (日本武道館)
やはり4月13日の「上映會」は欠かせない。志村正彦在籍時のフジファブリックの「ライブ」としても、私は経験したのだから。
平均すると一月に一回以上という私にしてはかなりのハイペース、「ロック好きのおじさん!」と化した一年だった。吉野寿・向井秀徳、直枝政広・おとぎ話、大森靖子、藤巻亮太、シーナ&ロケッツ、mooolsについては「詞論」等で取り上げることはできなかったが、どれも素晴らしいライブだった。いつか機会を設けて書くことにしたい。
こうしてリストを眺めると、甲府にある桜座の存在が大きい。「どうしておなかがすくのかな企画」を始めとする地元の企画者の努力も本当に有り難い。
フジファブリックは特別なので除外するとして、この中で心にいつまでも残響しているのは、HINTOとアナログフィッシュのライブ。HINTO『NERVOUS PARTY』とアナログフィッシュ『最近のぼくら』という新アルバムも繰り返し聴いた。
安部コウセイ『エネミー』、下岡晃『Nightfever』の言葉は、自分自身と時代そのものに誠実に向きあっている。「今」を生きる「ロックの詩人」の代表格だ。
今年最も数多く聴いた歌は、フジファブリック『セレナーデ』。
志村正彦の《声》と《言葉》に救われるようにして、2014年という時を過ごすことができた。
2014年12月23日火曜日
空-フジファブリック武道館LIVE 4[志村正彦LN99]
『卒業』のイントロと共に、武道館の巨大な横長スクリーンに、スミス監督による映像が映し出される。
《声》と《音》、聴くことに集中していた意識が再び見ることへと向かう。断片的な記憶で不確かだが、印象を記す。
強い日差しをあびている大地。流れゆく雲の影が写り込む。光と影に照らされ、律動する丘と山。空撮か、かなり高い所からの撮影か、俯瞰的な視点からの映像は、見る者をおのずから「空」の場に位置づける。
私たちは「空」の位置から大地を眺めている。やがて、薄く茜色に染まる「空と雲」がスクリーンを覆う。今度は、遠く、茜色の「空」を見上げる位置へと視点が移動する。
あの時、この映像は、『卒業』だけでなく、『茜色の夕日』と『若者のすべて』を含めて、連続した三つの曲の背景となっていると思われた。
志村正彦の存在しない「空」。この映像はそのような風景を描いているように感じた。
武道館から帰ってきてから、『茜色の夕日』、『若者のすべて』、『卒業』の三曲を繰り返し聴いた。それぞれの歌の主体、なおかつ、風景を眺める主体でもある人称代名詞は、『茜色の夕日』が「僕」、『若者のすべて』が「僕」および「僕ら」、『卒業』が「ぼくら」である。このような人称代名詞の選択は、歌の世界と深い関連がある。
そして、三つの歌の主体が見る風景の中で最も遠い対象として現れるものは、「茜色の夕日」「東京の空の星」(『茜色の夕日』)、「最後の花火」「同じ空」(『若者のすべて』)、「ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空」(『卒業』)だ。
主体は、「空」を眼差している。
志村正彦の二つの作品にまず焦点をあてよう。「茜色の夕日」と「東京の空の星」、「最後の花火」と「同じ空」。夜の空とそこで光り輝くもの。そのようなモチーフの関連性がある。
『茜色の夕日』では、歌の主体「僕」は次のように歌う。
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
上京した地方出身者の共通の経験を語っている。「見えないと聞かされていたけど」という伝聞とは異なり、「東京の空」でも「星」は「見えないこともないんだな」と気づいたことは、随分昔のことになるが、志村と同じように、山梨から東京へと出て行った私の青年時代にもある。「星」の有無で地方と東京が対比されているが、「見えないこともない」という二重否定は、微妙ではありながらも、地方と東京とのつながりも示している。この相反する関係は、『茜色の夕日』の主要なモチーフ、「僕」と「君」との関係も表している。
「星」の見える「東京の空」は当然、夜の空だ。この夜の空を眺める「僕」は、東京の夜を一人で歩く孤独な若者だ。街を歩き、時に、夜の空を見つめ、佇む。単独者の影が濃い。
『若者のすべて』の最後の一節には、「同じ空」を見上げる「僕ら」が登場する。
最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ
「最後の最後の花火」が美しく輝く空、「僕ら」にとっての「同じ空」はやはり夜の空だ。「僕ら」という一人称複数形が指し示す人物が、どのような存在であり、どのような関係を結んでいるかは、志村正彦の詩がいつもそうであるように、明らかでない。
この前の一節で「僕はそっと歩き出して」とあるように、単独者の「僕」が根底にあるにしても、ここで、複数形の「僕ら」が登場したことには、志村の作品にある重要な変化が起きていると読みとれ、ある種の感慨を覚える。(このあたりの考察は一連の『若者のすべて』論を参照していただきたい)
武道館では、志村正彦の音源の《声》が志村作の『茜色の夕日』を歌い、山内総一郎の《声》が志村作の『若者のすべて』を歌った。続いて、山内総一郎が自ら自作の『卒業』を歌った。《声》の主体と歌の作者の組合せが、順に変化していった。
『卒業』は次のように歌い出される。第1節と2節を引用する。
扉風ふわり立つ ぼくらの体を包み込む
沢山の思い出はこっそり鞄に詰め込んだから
ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空は薄化粧
それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう
『卒業』の歌の主体「ぼくら」は、山内、金澤、加藤の三者を指し示していると、私は解釈する。山内の歌詞の特徴として、作者と歌の主体との間の距離が近いことが指摘できる。
作者山内は、自分自身と金澤、加藤を加えた現在のフジファブリックの三人を「ぼくら」という主体に設定して、ある風景の中に佇ませている。
「ぼくら」は「沢山の思い出」を「こっそり鞄に詰め込んだから」、再び歩み始めることができる。この「鞄」という言葉は、志村の『花』の一節「かばんの中は無限に広がって/何処にでも行ける そんな気がしていた」への応答とも捉えられる。「無限」に広がる「かばん」と「思い出」を詰めこむ「鞄」。この対比には、後戻りのできない時間が流れている。
続く、「ゆらゆらゆらり」には、志村の『陽炎』の「残像」が重ねられているかもしれない。「滲んで見えてる」「薄化粧」の「空」の下で、「それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう」と自らに語りかけながら、「ぼくら」は歩き始める。『若者のすべて』の「そっと歩き出して」、《歩行》のモチーフがこだましているようでもある。
「いつかまた会えるだろう」という帰結に対しては「それぞれ道を歩けば」という仮定しか述べられていないが、その「いつかまた会える」相手は、作者の意識としても無意識としても、志村正彦その人だと解釈できるのではないだろうか。
さなぎには触れるなよ もうすぐ羽ばたく時が来て
殻の中もがいてる心を大きく解き放つでしょう
この第3節からは、歌の主体というより、作者自身の声が響いてくるように聞こえる。
「さなぎ」は「ぼくら」の象徴でもあり、「殻」の中でもがいている。「触れるなよ」と接触を禁じているのは、もうすぐ「羽ばたく時」、《卒業》の時が来るからだろう。「心を大きく解き放つ」時が訪れる。そのことを「ぼくら」は必要としている。
美しく沈鬱でもあるメロディ、それに呼応する歌詞。その反面、歌の主体「ぼくら」の意志は強固でもある。山内総一郎の言葉には、志村の詩には見られない、ある種の《烈しさ》がある。《苦さ》を伴う《烈しさ》とでも言うべきだろうか。バンドのフロントマンとして背負わなければならない《烈しさ》のようなもの、《覚悟》と共に進む《意志》のようなものが、『卒業』の底に流れている。
第4と5節はある情景を描いている。
静かな丘に登れば 出て来た街を見渡そう
暗い夜道に迷えば 思い出し灯火燃やそう
春の中ぽつり降る ぼくらの足跡消して行く
悲しみは 悲しみはこのまま雨と流れて行けよ
「静かな丘」「出て来た街」「暗い夜道」「灯火」「春の中」「雨」。これらの情景、イメージ群には、志村の故郷富士吉田の風景と志村の詩的世界が反映されているように感じる。
しかし、その「春」の季節の中で、「雨」が「ぼくらの足跡」を「消して行く」。「悲しみ」は「このまま雨と流れて行けよ」という言葉の表すものは、「悲しみ」の痕跡の消去だろうか、「悲しみ」の封印だろうか。あるいは、「雨」と流れていく「悲しみ」が「心を大きく解き放つ」のだろうか。
その解釈は聴き手にゆだねられている。
『卒業』はアルバム『LIFE』の15曲目、最後の曲であり、この歌を逆回転させて作られたのが1曲目『リバース』だと言われている。『リバース』は文字通り《再生》を意味する。アルバム全体が『リバース』から『卒業』へ、『卒業』から『リバース』へという循環構造を持つ。
『卒業』の歌詞は五節、十行の短い言葉から成る。この歌詞そのものも、第3節を中心軸にして、第4,5節は、そのまま第1,2節に戻っていく循環の構成になっていると読むこともできる。
「春」の「雨」の中、流れていく「悲しみ」は、「ゆらゆらゆらり滲んで見えてる」「薄化粧」の「空」に還っていく。その「空」の場所から、地に降り立ち、「ぼくら」は「道」を歩き始める。
武道館の「空」の映像は、フジファブリックの新たな旅立ちを映し出していたのかもしれない。
(この項続く)
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20141128武道館,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2014年12月16日火曜日
三つの歌-フジファブリック武道館LIVE 3 [志村正彦LN98]
武道館での『茜色の夕日』のフジファブリック・アンサンブル。
志村正彦の《声》音源と、山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケ、そして名越由貴夫、Bobo堀川裕之の生演奏による合奏は、希有な出来事だった。
フジファブリックのメンバーもスタッフも、志村正彦への最大限の敬意と想いを込めて、この日の『茜色の夕日』を準備したのだろう。志村が急逝してから五年が経ち、これまでできなかった、ライブという場での追悼が成し遂げられた。そのことに強く心を動かされた。何千人もの心を込めた拍手が鳴りやまなかったことも、あの場の皆の想いを物語っていた。
志村の《声》の余韻が強く漂う中で、次に演奏されたのは『若者のすべて』だった。金澤がピアノ音のイントロを奏で、山内が静かに歌い出す。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。志村には多彩な名曲がたくさんあり、代表曲を選ぶのはなかなか難しいが、彼の生という観点からは、この二つが代表曲だと言いきってよいだろう。彼自身もそう考えていたはずだ。
表現のモチーフからもそう言える。『茜色の夕日』の二度繰り返される「できないな できないな」の「ない」は、そのまま、『若者のすべて』の三度繰り返される「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっている。「できない」「ない」「いない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。彼の詩の軌跡は、「ない」を巡る《歩み》として捉えられる。
東京上京後まもなく、十八歳の時に作られた『茜色の夕日』は、志村の旅の出発点であった。二七歳の時に発表された『若者のすべて』は、自らの旅の方向を新たに見定めた大きな到達点だった。フジファブリックというバンドにとっても、とても重要な地平を切り開くものとなった。旅はその後も続くはずだったが、彼に残された時間は限りあるものだった。
『茜色の夕日』という志村の原点は、フジファブリックというバンドの原点でもあり、志村の《声》で演奏される必然性があった。『若者のすべて』は今日、バンドとしてのフジファブリックの代表曲であり、それ以上に、いわゆるゼロ年代の日本語ロックの最も優れた作品だという評価も確立している。すでにこの曲は、藤井フミヤ、櫻井和寿、槇原敬之などの著名な歌手によって歌われている。10周年を記念するライブで、現在のボーカル山内総一郎が歌うという選択は、一つの自然な流れから来るものだろう。
今、あの場面をふりかえると、そのような意味合いが了解できる。しかし、あの時には、『茜色の夕日』の志村の《声》で想いがあふれていて、『若者のすべて』の山内の《声》を充分に聴き取ることはできなかった。曲が終わり、『卒業』のイントロが始まると共に、映像がスクリーンに上映されると、ようやく舞台へと視線が戻っていった。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』に続く歌が、山内が創った『卒業』であることには、ある感慨を覚えた。この歌は新アルバム『LIFE』の中でも最も重要な作品だからだ。
『卒業』は、志村正彦の不在の風景と、現在の山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケの三人の心の風景を表現しているように、私には感じられた。スミス監督によるスクリーン映像もまた、そのような風景を描いているようだった。
『茜色の夕日』、『若者のすべて』、『卒業』。この三曲の配列を中心に置いて、このライブが構成されたことは間違いない。10年という時の歩みが、この三つの歌に集約されている。
武道館ライブから半月以上が経つ。この間、この三つの歌を聴き直し、言葉を読み直してみた。
志村正彦作詞作曲の『茜色の夕日』『若者のすべて』、山内総一郎作詞作曲の『卒業』。
各々の歌の主体は、「僕」(『茜色の夕日』)、「僕」および「僕ら」(『若者のすべて』)、「ぼくら」(『卒業』)と異なっている。
この三つの作品をこの順に通して聴いていくと、どのような光景が広がるのだろうか。
(この項続く)
志村正彦の《声》音源と、山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケ、そして名越由貴夫、Bobo堀川裕之の生演奏による合奏は、希有な出来事だった。
フジファブリックのメンバーもスタッフも、志村正彦への最大限の敬意と想いを込めて、この日の『茜色の夕日』を準備したのだろう。志村が急逝してから五年が経ち、これまでできなかった、ライブという場での追悼が成し遂げられた。そのことに強く心を動かされた。何千人もの心を込めた拍手が鳴りやまなかったことも、あの場の皆の想いを物語っていた。
志村の《声》の余韻が強く漂う中で、次に演奏されたのは『若者のすべて』だった。金澤がピアノ音のイントロを奏で、山内が静かに歌い出す。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。志村には多彩な名曲がたくさんあり、代表曲を選ぶのはなかなか難しいが、彼の生という観点からは、この二つが代表曲だと言いきってよいだろう。彼自身もそう考えていたはずだ。
表現のモチーフからもそう言える。『茜色の夕日』の二度繰り返される「できないな できないな」の「ない」は、そのまま、『若者のすべて』の三度繰り返される「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっている。「できない」「ない」「いない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。彼の詩の軌跡は、「ない」を巡る《歩み》として捉えられる。
東京上京後まもなく、十八歳の時に作られた『茜色の夕日』は、志村の旅の出発点であった。二七歳の時に発表された『若者のすべて』は、自らの旅の方向を新たに見定めた大きな到達点だった。フジファブリックというバンドにとっても、とても重要な地平を切り開くものとなった。旅はその後も続くはずだったが、彼に残された時間は限りあるものだった。
『茜色の夕日』という志村の原点は、フジファブリックというバンドの原点でもあり、志村の《声》で演奏される必然性があった。『若者のすべて』は今日、バンドとしてのフジファブリックの代表曲であり、それ以上に、いわゆるゼロ年代の日本語ロックの最も優れた作品だという評価も確立している。すでにこの曲は、藤井フミヤ、櫻井和寿、槇原敬之などの著名な歌手によって歌われている。10周年を記念するライブで、現在のボーカル山内総一郎が歌うという選択は、一つの自然な流れから来るものだろう。
今、あの場面をふりかえると、そのような意味合いが了解できる。しかし、あの時には、『茜色の夕日』の志村の《声》で想いがあふれていて、『若者のすべて』の山内の《声》を充分に聴き取ることはできなかった。曲が終わり、『卒業』のイントロが始まると共に、映像がスクリーンに上映されると、ようやく舞台へと視線が戻っていった。
『茜色の夕日』と『若者のすべて』に続く歌が、山内が創った『卒業』であることには、ある感慨を覚えた。この歌は新アルバム『LIFE』の中でも最も重要な作品だからだ。
『卒業』は、志村正彦の不在の風景と、現在の山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケの三人の心の風景を表現しているように、私には感じられた。スミス監督によるスクリーン映像もまた、そのような風景を描いているようだった。
『茜色の夕日』、『若者のすべて』、『卒業』。この三曲の配列を中心に置いて、このライブが構成されたことは間違いない。10年という時の歩みが、この三つの歌に集約されている。
武道館ライブから半月以上が経つ。この間、この三つの歌を聴き直し、言葉を読み直してみた。
志村正彦作詞作曲の『茜色の夕日』『若者のすべて』、山内総一郎作詞作曲の『卒業』。
各々の歌の主体は、「僕」(『茜色の夕日』)、「僕」および「僕ら」(『若者のすべて』)、「ぼくら」(『卒業』)と異なっている。
この三つの作品をこの順に通して聴いていくと、どのような光景が広がるのだろうか。
(この項続く)
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志村正彦ライナーノーツ(LN)
2014年12月9日火曜日
「ない」という《声》-フジファブリック武道館LIVE 2 [志村正彦LN97]
志村正彦は《声》そのものになった。2014年11月28日、フジファブリックの武道館LIVEで聴いた『茜色の夕日』はそのことを告げていた。引き続き、その経験をここに記したい。
『茜色の夕日』の《声》が聞こえてくる。《声》が心と身体を覆う。CD音源で聴いている彼の《声》よりも、なにか生々しく、なぜか懐かしく、響く。《声》はPAによって武道館の巨大な空間へ広がっていったのだが、視線を舞台に向けると、その《声》の中心は不在だ。
いつもは、その《声》から『茜色の夕日』で歌われている《物語》を紡ぎ出していくのだが、あの日は違った。聴き手としての感情が極まっていたせいか、《声》が伝える《言葉》が切れ切れにしかつかめない。
しばらくすると《声》に少し遅れるようにして、《言葉》が《言葉》として現れるようになり、《意味》が区切られるようになった。しかし、そこから《物語》をなかなか築くことができない。
その代わり、「少し思い出すものがありました」「どうしようもない悲しいこと」「大粒の涙が溢れてきたんだ」「忘れることはできないな」というような歌詞の一節が、こちらに迫ってくる。
「悲しいこと」「大粒の涙」、言葉の断片が、『茜色の夕日』の本来の《物語》から離れて、聴き手が今ここで『茜色の夕日』を聴いているという現実につながってくる。
作者志村正彦がこの歌に込めた《物語》、その背景や文脈を超えて、《声》が聴き手自身に直接伝わってくる。聴き手一人ひとりの異なる現実に置かれ、異なる意味を帯びるかのようだった。
例えば、聴き手自身が、歌の主体「僕」から呼びかけられる「君」となる。聴き手の目から「大粒の涙」が溢れてくる。あるいは、聴き手が歌の主体「僕」となり、「君」を「忘れることはできないな」と心の中で呟く。聴き手自身が「僕」となる。あるいは「君」となる。
そのような聴き手の《物語》があの武道館の会場で、沈黙のままに、語られたのではないだろうか。
あの日の『茜色の夕日』は、メビウスの帯のように、作者の世界と聴き手の世界という二つの世界が折り重なってしまうように響いていた。
僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった
我に返ると、この「僕」の言葉が痛切に迫ってきた。「できないな できないな」「できないな できないな」というように、志村正彦の歌にはいつもどこかに、この「ない」という《声》が貫かれている。
その《声》が彼の歌の根源に在り続けている。
(この項続く)
『茜色の夕日』の《声》が聞こえてくる。《声》が心と身体を覆う。CD音源で聴いている彼の《声》よりも、なにか生々しく、なぜか懐かしく、響く。《声》はPAによって武道館の巨大な空間へ広がっていったのだが、視線を舞台に向けると、その《声》の中心は不在だ。
いつもは、その《声》から『茜色の夕日』で歌われている《物語》を紡ぎ出していくのだが、あの日は違った。聴き手としての感情が極まっていたせいか、《声》が伝える《言葉》が切れ切れにしかつかめない。
しばらくすると《声》に少し遅れるようにして、《言葉》が《言葉》として現れるようになり、《意味》が区切られるようになった。しかし、そこから《物語》をなかなか築くことができない。
その代わり、「少し思い出すものがありました」「どうしようもない悲しいこと」「大粒の涙が溢れてきたんだ」「忘れることはできないな」というような歌詞の一節が、こちらに迫ってくる。
「悲しいこと」「大粒の涙」、言葉の断片が、『茜色の夕日』の本来の《物語》から離れて、聴き手が今ここで『茜色の夕日』を聴いているという現実につながってくる。
作者志村正彦がこの歌に込めた《物語》、その背景や文脈を超えて、《声》が聴き手自身に直接伝わってくる。聴き手一人ひとりの異なる現実に置かれ、異なる意味を帯びるかのようだった。
例えば、聴き手自身が、歌の主体「僕」から呼びかけられる「君」となる。聴き手の目から「大粒の涙」が溢れてくる。あるいは、聴き手が歌の主体「僕」となり、「君」を「忘れることはできないな」と心の中で呟く。聴き手自身が「僕」となる。あるいは「君」となる。
そのような聴き手の《物語》があの武道館の会場で、沈黙のままに、語られたのではないだろうか。
あの日の『茜色の夕日』は、メビウスの帯のように、作者の世界と聴き手の世界という二つの世界が折り重なってしまうように響いていた。
僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった
我に返ると、この「僕」の言葉が痛切に迫ってきた。「できないな できないな」「できないな できないな」というように、志村正彦の歌にはいつもどこかに、この「ない」という《声》が貫かれている。
その《声》が彼の歌の根源に在り続けている。
(この項続く)
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2014年11月29日土曜日
声-フジファブリック武道館LIVE 1 [志村正彦LN96]
昨夜、11月28日、フジファブリックの武道館ライヴを聴いて帰ってきた。
オープニング曲の『リバース』が時を遡らせるかのように響く。
サウンドに合わせて、巨大スクリーンには影絵のような少女のアニメ。その切りとられた影から、志村正彦の顔が浮かび上がってくる。
うっすらと紗がかかる表情。声は聞こえない。彼がそこに像としてはいるのだが、やはり、ここにはいない。それでも、日比谷、渋谷、両国、そして富士吉田、彼が歌い、弾く姿が「残像」のように次々と映し出されると、こみ上げてくるものがあった。しばらくすると、山内総一郎の歌う映像に切りかわり、10周年を集約した映像が閉じられた。
最初に歌い出された曲は『桜の季節』。もしかするとという予感があったのだが、その通りになった。山内が歌うのは初めてのはずだが、さらに、エンディングに近いリフレインでは、加藤慎一、金澤ダイスケがボーカルパートを交替する。『桜の季節』がこの三人で歌われたことに心を動かされた。
十曲ほど演奏された後、志村君と一緒にという山内の言葉。志村の茶色のハットがマイクスタンドにかけられる。とうとう、『茜色の夕日』が歌われるのだなと、一瞬、身構えたのだが、武道館に響きわたったのは、志村正彦自身の声だった。これは全く予期していなかった。不意打ちのような驚きと共に、涙がひたすら溢れてきた。
『茜色の夕日』のライブは、ここにはいない彼の音源とここにいるメンバーの生演奏が合成されるという、ありえない経験をもたらしたのだが、違和感は全くなかった。きわめて自然に、あの巨大な空間を彼の声の波動が包み込んでいた。不思議なのだが、確かに、志村正彦、フジファブリックの『茜色の夕日』を聴いたという記憶が、今、残っている。
どのように言葉にしたらよいのだろうか。言葉にする必要などないのだろうが、このLNの連載は言葉を自らに課している。
会場を去る時、前方やや上に、三日月より少し大きくなった月が見えてきた。武道館の『茜色の夕日』はあることを告げていた。あたりまえかもしれないが、ひとつの単純な真実であることを。
彼は無くなってしまった。
だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。
《声》という純粋な存在になった。
聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。
オープニング曲の『リバース』が時を遡らせるかのように響く。
サウンドに合わせて、巨大スクリーンには影絵のような少女のアニメ。その切りとられた影から、志村正彦の顔が浮かび上がってくる。
うっすらと紗がかかる表情。声は聞こえない。彼がそこに像としてはいるのだが、やはり、ここにはいない。それでも、日比谷、渋谷、両国、そして富士吉田、彼が歌い、弾く姿が「残像」のように次々と映し出されると、こみ上げてくるものがあった。しばらくすると、山内総一郎の歌う映像に切りかわり、10周年を集約した映像が閉じられた。
最初に歌い出された曲は『桜の季節』。もしかするとという予感があったのだが、その通りになった。山内が歌うのは初めてのはずだが、さらに、エンディングに近いリフレインでは、加藤慎一、金澤ダイスケがボーカルパートを交替する。『桜の季節』がこの三人で歌われたことに心を動かされた。
十曲ほど演奏された後、志村君と一緒にという山内の言葉。志村の茶色のハットがマイクスタンドにかけられる。とうとう、『茜色の夕日』が歌われるのだなと、一瞬、身構えたのだが、武道館に響きわたったのは、志村正彦自身の声だった。これは全く予期していなかった。不意打ちのような驚きと共に、涙がひたすら溢れてきた。
『茜色の夕日』のライブは、ここにはいない彼の音源とここにいるメンバーの生演奏が合成されるという、ありえない経験をもたらしたのだが、違和感は全くなかった。きわめて自然に、あの巨大な空間を彼の声の波動が包み込んでいた。不思議なのだが、確かに、志村正彦、フジファブリックの『茜色の夕日』を聴いたという記憶が、今、残っている。
どのように言葉にしたらよいのだろうか。言葉にする必要などないのだろうが、このLNの連載は言葉を自らに課している。
会場を去る時、前方やや上に、三日月より少し大きくなった月が見えてきた。武道館の『茜色の夕日』はあることを告げていた。あたりまえかもしれないが、ひとつの単純な真実であることを。
彼は無くなってしまった。
だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。
《声》という純粋な存在になった。
聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。
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