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2015年2月2日月曜日

再会-フジファブリック武道館LIVE 5[志村正彦LN100]

 昨年11月28日開催のフジファブリック武道館LIVEから二月ほど経つ。このLIVEについてすでに4回ほど掲載したが、あと数回は書きたいことがあるので、今回から再開したい。

 武道館ライブの『茜色の夕日』『若者のすべて』『卒業』という三曲の流れ、『卒業』の背景の「空」の映像。あの時あの場において、『卒業』の一節「それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう」の《再会》の相手は、志村正彦その人を指し示していると、前回のLN99で考察した。

 歌詞で歌われる《再会》の相手を特定の人物に限定する必要はない。それは当然の前提だ。
 歌の言葉の中には余白の箇所がある。誰かを何かを指し示す機能しかない人称代名詞はその余白の最たるものだろう。歌い手にとって指し示す対象が明確であったとしても、聴き手にとってはそうではない。逆にそうだからこそ、聴き手はその対象を自由に想像できる余地がある。
 さらに、歌には、歌わないこと、歌えないこと、歌うのが難しいこと、歌うのを避けたいことなどが満ちている。これに関しても人称代名詞と同様のことが当てはまる。

 ある時ある所において、歌い手と聴き手との共同の場において、その現実の文脈の中で、歌の空白が埋められることもある。フジファブリックのデビュー10周年を記念する武道館LIVEは、そのような特別な時、特別な場だった。繰り返しになるが、あの時あの場において、《再会》の相手が志村正彦だということは暗黙の前提だった。たとえそれが無意識的なものであったとしても。
 武道館LIVEは、志村正彦の「成し遂げられなかった10年」を追悼するものでもあった。あのステージの「主役」は現メンバーだが、ステージの「不在の主役」は志村正彦だった。フジファブリックの歴史からすると必然的にそうなる。
 山内総一郎作詞の『卒業』の第2連をあらためて引く。

  ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空は薄化粧
  それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう

 「ぼくら」は「薄化粧」の「空」の下で、歩き出す。「それぞれ道を歩けば」という《歩行》を重ねれば、「いつかまた会えるだろう」というと《再会》の時が訪れる。
 その一方で、この《歩行》は、『卒業』という題名と歌詞の全体が示しているように、《卒業》への歩み、「今ここ」という時と場から巣立ち、離れていくことでもある。
 第3連を引く。

  春の中ぽつり降る ぼくらの足跡消して行く
  悲しみは 悲しみはこのまま雨と流れて行けよ

 「ぼくら」は、この場から「ぼくらの足跡」を消して行かねばならない。「悲しみ」は雨に流れて行かねばならない。痕跡の消去、感情の消失は、「それぞれ道を歩」くための象徴的行為だ。「いつかまた会えるだろう」という《再会》のための《卒業》は、「ぼくら」がいつか向き合わねばならなかった儀式だ。
 この文章を書いている今、あの武道館LIVEを振り返ると、デビュー10周年を数える2014年という時、武道館というロック音楽における象徴的な場で、フジファブリックの《卒業》の儀式が執りおこなわれたのだという印象が強い。
 現在のフジファブリックにとって、志村正彦との《再会》のための《卒業》は、志村正彦からの《卒業》であり、志村正彦への《卒業》でもある。志村正彦から/への《卒業》という二重性を持つだろう。

 《卒業》は、愛着のある場、慣れ親しんだ場、想い出の時、忘れられない時から離れていくことだ。大切な場、大切な時との別離、ある種の分離だ。その外的な分離が時を経て、心の内面にまで作用していくと、忘れること、《忘却》が訪れる。
 志村正彦には『記念写真』という作品(志村作詞・山内作曲、3rdアルバム『TEENAGER』収録、2008年1月リリース)がある。この歌の背景にあるのは《卒業》という出来事だろう。リフレインされる歌詞を引く。

  記念の写真 撮って 僕らは さよなら
  忘れられたなら その時はまた会える  

 「忘れる」こと、《忘却》の時が訪れること。それができたなら、「その時はまた会える」、《再会》が可能となる。志村正彦は、《忘却》と《再会》という、矛盾めいた予言のような言葉をこの歌詞に込めている。
 さらに時を遡りたい。この『記念写真』には、奥田民生作詞のユニコーン『すばらしい日々』(1993年4月、シングルリリース)が遠く彼方からこだましているように聞こえる。志村正彦が奥田から最も影響を受けたことはよく知られている。この歌もユニコーンの解散という《卒業》が背景となっているようだが、《忘却》と《再会》についての深くて逆説的でもある言葉を、奥田民生は日本語ロックの歌詞の世界に導入した。鍵となる一節を引用する。

  朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
  君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける 

 「君は僕を忘れる」、そのような《忘却》の時を経ることで、「君に会いに行ける」、《再会》が果たせる。複雑な感情が込められた《忘却》と《再会》のモチーフは、奥田から志村へと引き継がれた。『記念写真』そのものが志村の奥田に対するオマージュかもしれない。
 武道館LIVEのアンコールで初披露された山内総一郎作詞の『はじまりのうた』には次の一節がある。

  僕ら待つ未来へ歩き出せるなら
  同じ場所をまた見つけられるから
  その時はまた会いにいけるから

 《分離》や《忘却》というモチーフは消えかけているが、「その時はまた会いにいける」という《再会》というモチーフは貫かれている。『はじまりのうた』という題名が示すように、この《再会》は《出発》あるいは《再出発》を背景としている。曲調の明るさからしても、《未来》が志向されている。

 《卒業》という外的な出来事、《忘却》という内的な出来事は、主体とその客体、相手や対象との《分離》を意味している。その《分離》を経た上で《再会》が果たされる。あたかも《分離》が《再会》の条件であるかのように。そのモチーフが、奥田民生・ユニコーン、志村正彦・フジファブリック、そして山内総一郎・現在のフジファブリックとリレーされているかのようだ。意識的なものではなく、多分に無意識的なものかもしれないが。

 私たち志村正彦の聴き手にとって、《分離》と《再会》のモチーフの対象は、当然、志村正彦その人である。彼は『記念写真』の最後の節で「きっとこの写真を 撮って 僕らは さよなら/忘れられたなら その時はまた会える」と歌っている。私たち聴き手は自由で、ある意味では身勝手でもあるから、この「僕ら」という人称代名詞を、たとえば、聴き手と歌い手との間に結ばれる「僕ら」という共同性を示すものとして拡大解釈してしまうこともあるだろう。聴き手の欲望は際限がないが、歌は自由であり、それを許している。

 それにしても、「僕ら」は何故、「忘れられたなら」、「その時はまた会える」のだろうか。この問いに少しでも近づかなくてはならない。

        (この項続く)

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