志村正彦は《声》そのものになった。2014年11月28日、フジファブリックの武道館LIVEで聴いた『茜色の夕日』はそのことを告げていた。引き続き、その経験をここに記したい。
『茜色の夕日』の《声》が聞こえてくる。《声》が心と身体を覆う。CD音源で聴いている彼の《声》よりも、なにか生々しく、なぜか懐かしく、響く。《声》はPAによって武道館の巨大な空間へ広がっていったのだが、視線を舞台に向けると、その《声》の中心は不在だ。
いつもは、その《声》から『茜色の夕日』で歌われている《物語》を紡ぎ出していくのだが、あの日は違った。聴き手としての感情が極まっていたせいか、《声》が伝える《言葉》が切れ切れにしかつかめない。
しばらくすると《声》に少し遅れるようにして、《言葉》が《言葉》として現れるようになり、《意味》が区切られるようになった。しかし、そこから《物語》をなかなか築くことができない。
その代わり、「少し思い出すものがありました」「どうしようもない悲しいこと」「大粒の涙が溢れてきたんだ」「忘れることはできないな」というような歌詞の一節が、こちらに迫ってくる。
「悲しいこと」「大粒の涙」、言葉の断片が、『茜色の夕日』の本来の《物語》から離れて、聴き手が今ここで『茜色の夕日』を聴いているという現実につながってくる。
作者志村正彦がこの歌に込めた《物語》、その背景や文脈を超えて、《声》が聴き手自身に直接伝わってくる。聴き手一人ひとりの異なる現実に置かれ、異なる意味を帯びるかのようだった。
例えば、聴き手自身が、歌の主体「僕」から呼びかけられる「君」となる。聴き手の目から「大粒の涙」が溢れてくる。あるいは、聴き手が歌の主体「僕」となり、「君」を「忘れることはできないな」と心の中で呟く。聴き手自身が「僕」となる。あるいは「君」となる。
そのような聴き手の《物語》があの武道館の会場で、沈黙のままに、語られたのではないだろうか。
あの日の『茜色の夕日』は、メビウスの帯のように、作者の世界と聴き手の世界という二つの世界が折り重なってしまうように響いていた。
僕じゃきっとできないな できないな
本音を言うこともできないな できないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった
我に返ると、この「僕」の言葉が痛切に迫ってきた。「できないな できないな」「できないな できないな」というように、志村正彦の歌にはいつもどこかに、この「ない」という《声》が貫かれている。
その《声》が彼の歌の根源に在り続けている。
(この項続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿