2022年8月21日日曜日

第5ブロックの時間、第1と第4ブロックとのつながり-『茜色の夕日』3[志村正彦LN313]

   前回、『茜色の夕日』の第1~4ブロックのフレーズを構成要素abcdに分けた。第1~4ブロックは、基本として回想であり、歌の主体が回想する出来事が述べられている。それに対して、第5ブロックは回想というよりも、歌の現在時における主体の想いが表出されている。構成要素abcdとは独立した関係にあるので、eという新しい要素を付した。


 第5ブロックを引用する。

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 第1~4ブロックの回想は〈そんなことを思っていたんだ〉と語られるが、第5ブロックは〈そんなことを思ってしまった〉と述べられる。第5ブロックの〈思ってしまった〉の方は、今まさしくそのようなことを〈思ってしまった〉という、思う行為が完了した時点を示している。〈そんなこと〉は、歌の主体の現在時に近い出来事になる。それに比べて、第1~4ブロックの〈思っていたんだ〉は〈そんなこと〉を思い、その思いが持続していたという時の流れを示している。〈そんなこと〉は、歌の主体にとって、近い過去から遠い過去までの出来事になる。

 つまり、〈そんなことを思ってしまった〉とされた第5ブロックの想いは、歌の現在時のものと言ってもよいだろう。その内容も、〈僕じゃきっと出来ないな〉〈本音を言うことも出来ないな〉〈無責任でいいな〉という〈僕〉と〈僕〉自身との対話であり、現在の思いであろう。その自己対話を〈ラララ〉と受けとめながら、〈そんなこと〉と捉えた上で、〈思ってしまった〉と結んでいる。ここでは表現の観点で分析したが、この第5ブロックの意味については後に論じたい。


 第1~4ブロック全体を再度引用する。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックには、abの構成要素はあるが、それに続くcdはない。

 歌の主体ははじめに、〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉と語り始める。〈てたら〉は、〈ている〉という現在進行形を含む〈ていたら〉であるので、この眺める行為は、今、進行中、継続中の事態や行為である。そして、眺める行為の帰結は〈少し思い出すものがありました〉という想起となる。回想される出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去の日と、その過去の時点で〈誰もいない道 歩いた〉という行為である。

 〈晴れた心の日曜日の朝〉という表現は独特だ。〈晴れた日曜日の朝〉という通常の表現に〈心の〉が繰り込まれている。おそらく、〈晴れた心〉(心が晴れやかだ)と〈晴れた日曜日の朝〉(天気が晴れている、日曜日の朝)が複合されているのだろう。続くフレーズは〈誰もいない道 歩いたこと〉。つまり、歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。この〈歩行〉のモチーフを、志村正彦は繰り返し表現している。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。このモチーフとリズムは、『若者のすべて』などの他の作品に引き継がれている。

 第2ブロック・第3ブロックで焦点化されるのは〈君〉であり、〈君〉との出来事である。注目したいのは第4ブロックである。cdの構成要素はあるが、それ以前のabがない。その意味で、第1ブロックと第4ブロックは対照的である。ここで一つの仮説を提示したい。第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがある、というものだ。第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させて、一つのブロックを作るとこのようになる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックのabで回想される出来事は〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去と、その時点で〈誰もいない道 歩いたこと〉という行為である。歌の主体はどこかを歩いている。この〈歩行〉の場、〈誰もいない道〉は、歌の主体の故郷にある道のような気がする。根拠はないのだが、そのように感じられる。

 第4ブロックのcdで〈東京の空の星〉が登場する。作者志村正彦が、東京という具体的な場を表現することは極めて珍しい。それは〈見えないと聞かされていたけど〉〈見えないこともないんだな〉と、〈ない〉という否定と〈ないこともない〉の二重否定による肯定がある。〈ない〉という表現は三度重ねられる。第1ブロックにも〈誰もいない道〉という〈ない〉による否定がある。

  第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させると対比的な構造が現れる。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉。晴れて見えないこともないもの。そして、〈朝〉と夜という時間。そのような構造を想定すると、この歌詞の展開において、第1ブロックのabと第4ブロックのcdとの間につながりがある、という仮説が成り立つかもしれない。


2022年8月14日日曜日

歌詞の構成要素-『茜色の夕日』2[志村正彦LN312]

  『茜色の夕日』(作詞・作曲:志村正彦)の歌詞は、歌詞カードによって異同があるが、ここでは、『志村正彦全詩集新装版』(パルコ 2019/8/28)収録の本文を引用する。


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない

君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

僕じゃきっと出来ないな
本音を言うことも出来ないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 この歌詞も、他の志村の歌と同様に、具体的な物語の展開がたどりにくい。反復されるフレーズが多いことも影響しているだろう。把握しにくいのではあるが、歌われている出来事、物語がないことはない。その出来事、物語をこのblogでよく使っている歌詞の構成要素abcd(いわゆる「起承転結」に相当する)によって分析してみたい。

 現代詩作家荒川洋治『詩とことば』 (岩波現代文庫 2012.6、原著2004刊)の次の箇所を参考にした。その部分を引用する。

 詩は、基本的に、次のようなかたちをしている。

  こんなことがある           A
  そして、こんなこともある   B
  あんなこともある!      C
  そんなことなのか         D

 いわゆる起承転結である。Aを承けて、B。Cでは別のものを出し場面を転換。景色をひろげる。大きな景色に包まれたあとに、Dを出し、しめくくる。たいていの詩はこの順序で書かれる。あるいはこの順序の組み合わせ。はじまりと終わりをもつ表現はこの順序だと、読者はのみこみやすい。

 この論ではABCDを小文字のabcdに置き換えて、歌詞の展開の基本要素にする。

 物語の展開および楽曲の展開から、五つのブロックに分けた。1~4の四つのブロックには、各々、abcdの構成要素を付したが、1と4については空白の行を設定して、それぞれcd、abを付した。また、1~4の展開から独立したブロックは5として、eという構成要素を新たに付けた。このeは、起承転結的な展開からは独立した部分、歌の主体の思いが直接表現されているところを示している。abcdそしてeの差異を明らかにするために、フォントの色を分けてみた。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックから第4ブロックまでのabcdの構成要素を要素別に配列してみると、歌詞の物語構造が明確になる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
4a

1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
4b  

1c
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

1d 
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 〈a〉は、この歌の起、イントロダクションであり、すべての回想が引き起こされる。このフレーズは1~3にかけて、そのまま反復される。〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉という主体の行為。夕方という現在時。〈少し思い出すものがありました〉という回想は、思うに任せない現実に気を揉むような焦慮が変化していったものだと考えられる。焦慮が回想へと転換されていくことで、次第に、主体の想いが動き始めるといってもよい。

 〈b〉は、〈a〉の回想を受けて展開される。その回想される出来事、それと共に、その出来事の時間や時代が表される。〈誰もいない道 歩いたこと〉〈君がただ横で笑っていたこと〉〈どうしようもない 悲しいこと〉〈子供の頃の寂しさがない〉という出来事。〈晴れた心の日曜日の朝〉〈短い夏が終わった〉〈今〉という時間や時代。

 〈c〉で、ある種の転換が起きる。〈君〉が焦点化されて、その〈君〉と歌の主体〈僕〉との間にある大切な出来事が語られる。また、〈東京〉の〈空〉の〈星〉というもう一つの重要なモチーフが登場する。

 〈d〉は、そのブロックの結となる部分である。〈そんなことを思っていたんだ〉という語り口で、それぞれの回想が終わる。そして、歌の主体の現在の想いが語られる。〈忘れることは出来ないな〉の〈な〉、〈笑うのをこらえているよ〉の〈よ〉、〈そんなことを思っていたんだ〉の〈んだ〉と添えられた言葉。志村正彦が愛用した表現である。その〈な〉、〈よ〉、〈んだ〉は、歌の主体と出来事とのあいだの一種の距離を示しているとも感じとれる。

2022年8月7日日曜日

焦燥から焦慮へ、1stアルバム『アラカルト』-『茜色の夕日』1[志村正彦LN311]

 志村正彦・フジファブリックは、2002年10月21日、インディーズでデビューを果たした。1stミニアルバム『アラカルト』がロフトプロジェクト主宰のレーベルSong-Cruxから発売。今年2022年はそのデビューから20年となる。

  インディーズに在籍したことのあるアーティストのデビュー時期をインディーズにするかメジャーデビューにするかという問題がある。各々独立したデビューとして考えればよいのかもしれないが、志村正彦の場合、2022年のインディーズデビューを、表現者としての活動開始、デビューとして捉えたいと私は考えている。『アラカルト』収録作品は6曲。いずれも、「習作」的な段階を超えた水準にある作品であり、何よりも独創性が光っている。作品の観点からすると、そのディストリビューションがインディーズかメジャーかということは本質的なことではない。サブスクリプションの時代を迎えて、今後はさらにその識別は無意味になるだろう。

 今年は志村正彦・フジファブリックのデビュー20周年。『アラカルト』から20年。このアルバムの代表曲が『茜色の夕日』であることは多くの聴き手が同意するだろう。だから、『茜色の夕日』20周年と捉えてもよいだろう。

 『茜色の夕日』については、このblogの作品indexをみるとすでに19回ほど書いてきた。ただし、2014年武道館LIVEの志村正彦の《声》による『茜色の夕日』。様々な番組で取り上げられた『茜色の夕日』。『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープ。『茜色の夕日』のカバー。映画の作中歌『茜色の夕日』。下吉田駅の『茜色の夕日』というように、この十年間のこの歌をめぐる様々な出来事を主に記してきた。

 このblogでは、作品そのものを論じる場合、通番を付している(例えば『若者のすべて』で通番を付したものは24回ある)が、『茜色の夕日』について通番を付したことはない。つまり、作品そのものを本格的に論じたことはこれまでなかったといってよい。なぜか。私にとって端的に、この歌がつかみづらい、ということに帰する。もっと正直に言えば、これまでこの歌についてどのように論じてよいのか分からなかった。ずっとこのことは気になっていた。この歌が『アラカルト』でCD音源としてリリースされて20年となる今、この歌について通番を付して論じていきたい。


 ここであらためて1stミニアルバム『アラカルト』の曲を振り返りたい。このアルバムにもアルバムとしてののストーリーというものが、そこはかとなく、ある。

 収録曲は全六曲。すべての作詞・作曲は志村正彦。

1.線香花火
2.桜並木、二つの傘
3.午前3時
4.浮雲
5.ダンス2000
6.茜色の夕日




 『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲には共通するモチーフがある。


線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら
最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ      『線香花火』

最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト       『桜並木、二つの傘』

いやしかし何故に いやしかし何故に
踏み切れないでいる人よ                『ダンス2000』


 〈走る〉〈出かける〉〈踏み切る〉という移動や運動の動詞群。〈走りなよ〉〈出かけないか〉。その逆の〈踏み切れないでいる〉。二十歳前後の青年である歌の主体の〈今〉〈ここ〉からの離脱あるいは脱出の願望、それが遂げられない焦燥感が独特のグルーブ感によって歌われている。何かに追い立てられる。それが何かは分からないままにとにかく、どこか外へと出て行くこと。所謂「初期衝動」的なモチーフといってもよい。最も初期の志村正彦の世界がここにある。

 この四曲に対して、『浮雲』『茜色の夕日』は異なる次元へと踏み出している。一つの方向性が定まる。(『茜色の夕日』は最も初期の作と言われているが、ここでは、現実の制作時期についてはあえて問わないことにしたい)移動や運動の動詞はそのまま継承されている。しかし、『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲にみられた「焦燥感」、思い通りにならない現実に対する苛立ちや焦りに駆られることから、思うに任せない現実に起因する不安が内面をめぐることへと変化していく。後者は「焦慮」の感覚と捉えることもできる。アルバム『アラカルト』全体を通じて、歌の主体の「焦燥」から「焦慮」へという想いや感覚の転換が描かれているといえるかもしれない。


 『アラカルト』の三曲目に『午前3時』がある。次の一節が注目される。


鏡に映る自分を見ていた
自分に酔ってる様でやめた


 〈自分〉が、〈鏡に映る自分〉とそれを〈見ていた自分〉とに分離されている。ここでは〈自分に酔ってる様でやめた〉とされているが、このような鏡像との対話は繰り返されたのだろう。志村の場合おそらく、自己陶酔や自己愛に閉じられていくのではなく、自分自身を見つめるもう一人の自分が形成されていった。これはもちろんどの人間にもある経験だが、志村の場合、その経験を自ら深めていった。自分に対する〈他者〉としての自分という存在ががある強度を持って形成されていった。〈他者〉としての志村正彦の誕生である。


 『浮雲』『茜色の夕日』には次の一節がある。


独りで行くと決めたのだろう
独りで行くと決めたのだろう                  『浮雲』


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと        『茜色の夕日』


 『浮雲』では、〈独りで行く〉ということを、歌の主体は自分自身に対して〈決めたのだろう〉と問いかける。自らに問いかけるのではあるが、〈独りで行く〉ことは、すでに決められていたように思える。

   『茜色の夕日』では、〈茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました〉と語りかける出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉、歩みの記憶である。〈…ものがありました〉という語りかけは、まず第一に自らに対するものだ。〈…たのだろう〉の問いかけと、〈…ものがありました〉の語りかけ。その問いかけと語りかけの話法によって、〈独りで行く〉という主体の決意と、〈歩いたこと〉という主体の歩みの記憶が伝えられる。

 『浮雲』の主体は、現在の自分、故郷の「いつもの丘」にいる自分が、未来の自分自身に対して問いかける。現在の自己と未来の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。『茜色の夕日』では、現在の自分、おそらく東京の街にいる自分が、故郷にいる自分、過去の自分へと語りかける。現在の自己と過去の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。


 2002年の1stミニアルバム『アラカルト』収録の『浮雲』と『茜色の夕日』の二曲が、一人の青年志村正彦を一人の表現者志村正彦へと転換させていった。

 柴宮夏希による『アラカルト』ジャケット画をもう一度見てみよう。近景に花々、中景に白銀の富士、遠景に赤色と黄色の太陽が描かれているように見える。この二つの太陽が茜色の夕日の象徴なのかもしれない。あるいは、この赤色と黄色のコントラストが何かと何かの対比を表している、とも捉えられる。どちらにしろ、この対比的構造は志村正彦・フジファブリックの始まりを象徴的に表している。


2022年7月17日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(3)[志村正彦LN310]

 〈志村正彦の世界 3〉では、〈志村正彦でしか表現できないような世界〉に関する歌を四つのテーマ二分けて取り上げた。

  •  試みの歌    :『サボテンレコード』『Sufer King』
  •  「眠りの森」の歌:『夜汽車』『セレナーデ』
  •  2009年の歌    :『バウムクーヘン』『タイムマシーン』
  •  往路と帰路の歌 :『浮雲』『ルーティーン』


 毎回、ゼミ修了後に200字程度の振り返り文を書いてもらう。10人のゼミ生のコメントを載せたい。


  • 「若者のすべて」しか知らなかったが、「Sufer King」や「バウムクーヘン」等様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる。
  • 「Surfer King」のような激しい曲調のものがあり、志村正彦の作り手としての幅の広さを感じた。「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた。
  • 志村さんの、幅広い音楽に触れて「ロック」というものを覆されたような気がした。「サボテンレコード」では出だしの、でもでもだってね という独特の歌詞で魅了され、”チクチク タク” が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた。
  • 思い出を思い返す歌など少し後ろ向きな歌が多いと感じていたのですが、「誰しもが感じる後ろ暗いことを楽曲にしたい」という気持ちがあったからそういう楽曲が沢山生まれたのだなと思いました。「Surfer King」の「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転するのが印象に残りました。
  • 志村正彦さんは、「銀河」や「Surfer King」などの曲になると擬音系や少しアレンジをした歌詞を使って爽快感を出していた、しかし「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う。
  • 「夜汽車」が印象に残っている。最初に歌詞を見た時は、駆け落ちの男女を想像したが、結ばれない関係の二人だと解釈した。本当の事を言う前に曲が終わるため、もどかしさが残ると感じた。相手が寝息を立てている時に、静かに本当の事を言おうとしているため、相手に直接言う可能性はおそらく低いだろう。結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まると想像した。
  • 「セレナーデ」では「若者のすべて」に出てくる僕はまだ思いを寄せる君に会いたい、幸せになって欲しいという思いが夢の中で現れているのだろうと感じた。曲調も自分がその「僕」が見ている夢の中を体験できるような曲調だと感じた。最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた。
  • 「Surfer King」の歌詞が興味深かった。冒頭の「ギラギラ」は男の金髪の輝きと夏の暑い太陽の二つを表しているのだと思った。「ギラギラ」だと何だか強そうで男のイメージが伝わってくる。「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った。
  • 志村正彦さんの歌をいくつか聴いて、その中で特に歌詞に注目したときに、「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた。
  • 「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい。あまり曲には使われなさそうな擬音を上手く歌詞と合わせており、一つ一つの言葉がより現実に沿っている、親近感を持てる曲だと改めて感じました。


  引用文から分かるように、「Sufer King」が学生の関心を集めた。この曲についてのスライド資料では、歌詞の起承転結abcd展開、人称による三項構造ABCの分析を図で示した。言葉と言葉、フレーズとフレーズの要素間の関係を視覚的につかむことが大切だからだ。SLIDE資料を添付する。




 ゼミ生は、〈「サーファー気取りについていく君」でストーリーが一転する〉、〈「彼」と「君」を見ている視点だからこそ、「彼」への少し皮肉な表現が感じられるし、もう想いが届くことはないと思っている諦めの「フフ」という自嘲的な笑いなのかなと思った〉というように、歌の主体、「彼」、「君」という三者の関係を注目したようだ。この三者の関係はよく分からないからこそ想像力が求められる。余白の物語を読んでいく愉しさもある。

 「夜汽車」と「セレナーデ」の二つは、「眠りの森」という表現が共通項になる。また、「セレナーデ」はシングル「若者のすべて」のカップリング曲である。この三つの歌の関係については講義で触れた。「夜汽車」や「セレナーデ」に惹かれた学生も少なくなかった。

〈結ばれない二人が気晴らしに出かけ、夜汽車に乗ってから物語が始まる〉という想像、〈最後の「お別れのセレナーデ」の部分では曲調が大きくなってると感じた。これは夢から現実に戻る合図のように感じられた〉という感受性、〈「若者のすべて」と「セレナーデ」では、記憶と夢、自身の現状の感情や想いに対して未来の君に対する願いなどの対比の構図があるように感じた〉という分析。

  「サボテンレコード」の〈”チクチク タク”が時計の音を表すとともに、サボテンのトゲも音として隠されているように感じた〉という音に対する感性、〈「バウムクーヘン」では、擬音を用いた表現とそれまでの歌詞の中の人生観が上手く噛み合って、世間に訴いかけているような描写が非常に分かりやすい〉という分析、〈「タイムマシン」は、擬音系を使わずありのままの歌詞を使って後悔や悲しさを出していた。歌手としての責任による悩みが入っているように思う〉という指摘。

 それぞれの作品についての的確なコメントである。また、作品全体についても、〈様々な曲調の歌をたくさん作っていたことを知り、とても驚いた。その歌の全てにきちんとその歌独自の世界観があったり、歌詞において起承転結がしっかりと作られていたりと、一つの曲の歌詞だけでもたくさんの考察ができる〉、〈「言葉はこちらで選んで提示しておくから、そこから先の物語は自由に想像して自身で作ってください」とでも言われている気分になるような、言葉の使い方、歌詞の書き方、情景の示し方だと個人的に感じた〉と捉えている。これはゼミ学生に共通する観点でもある。

 専門ゼミナールでの歌詞研究では、歌詞の起承転結abcdの展開、歌に登場する人間・時間空間の三項ABCの構造、表現(音の要素を含めて)の技術など、大きく三つの観点からの分析を図で示すが、そこから先にある、作品のテーマやモチーフ、作品の解釈や捉え方については学生の自由と主体性を尊重する。教員自身の解釈や意味づけは必要最小限にとどめることが、学生に豊かな感性と知性を発揮させる条件だろう。   


2022年7月3日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(2)[志村正彦LN309]

 この六月、私が担当する3年次専門ゼミナールで、〈志村正彦の世界1・2・3〉と題して、3回連続で志村の作品に関するゼミを集中的に行った。前回に引き続き、これについて書いてみたい。


 〈志村正彦の世界 1〉では、〈『茜色の夕日』から 『若者のすべて』への歩み〉というテーマで、山梨学Ⅰで話した内容(「志村正彦LN307」で言及したもの)をより丁寧に、歌詞の具体的分析をまじえて説明した。事前に、学生には対象作品の映像音源(FujifabricVEVO等)を聴き、歌詞を読んで、事前提出文を書いてもらい、それをもとにグループで議論した。その後、私が作成したスライド資料で歌詞分析の要点を説いた。最後に学生に授業の振り返り文を書いてもらい、ゼミ仲間で共有した。ゼミであるから当然ではあるが、学生中心に運営している。この準備の過程で、「茜色の夕日」の物語の展開についての新しい考えが浮かんできたので、それについてはこのブログで後日書きたい。


 〈志村正彦の世界 2〉では、〈四季盤、花に関する歌〉をテーマにして、四季盤の『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』『銀河』をあらためて取り上げた。今回、四季盤の歌に関して、〈四季全体をメタ視点から描写する歌の主体〉について考えたので、その概要をSLIDEで示した。後日、この点についてもブログで書いてみたい。


 花に関する歌では、『花』『花屋の娘』『ムーンライト』『蜃気楼』『ペダル』『ないものねだり』を取り上げた。四季盤の「桜」や「金木犀」のような名前の知られた花、季節感と結びついた花ではなく、たまたま見た花、名も知らないような花である。以下に記す。

 つぼみ開こうか迷う花 『花』
 野に咲く花 『花屋の娘』
 鮮やかな花 『蜃気楼』
 花 『ムーンライト』
 咲いている花 『ペダル』
 路地裏で咲いていた花 『ないものねだり』

  ほとんどの学生はこれらの花の歌を聴いたことがなかったので、新しい発見があったようだ。意外にもというか当然だというべきか、『花屋の娘』が男子学生に好評だった。「妄想が更に膨らんで 二人でちょっと/公園に行ってみたんです」「そのうち消えてしまった そのあの娘は/野に咲く花の様」という展開が新鮮だったそうだ。


 〈志村正彦の世界 3〉では、下記の四つのテーマのもとに、〈志村正彦でしか表現できないような世界〉に関する歌を集めた。

 試みの歌    :『サボテンレコード』『Sufer King』
 「眠りの森」の歌:『夜汽車』『セレナーデ』
 2009年の歌    :『バウムクーヘン』『タイムマシーン』
 往路と帰路の歌 :『浮雲』『ルーティーン』

 この回については、ブログの次回で書く予定である


 また、各回の中で、〈歌詞分析の方法〉についても説明していった。〈歌詞分析の方法〉といっても、私がこのブログで志村正彦の作品を分析した方法をまとめたものである。日本語ロックの歌詞についての分析方法がアカデミズムで確立されているわけではない。私の方法も基本的に文学研究の方法を歌詞に適用したものである。さらに言えば、70年代のロック批評の方法にも影響されている。以下に、SLIDEで示した方法名を記す。


  1.   《作者》《話者》《人物》の分離
  2.    語りの枠組の分析
  3.    品詞(自立語:名詞・形容詞・動詞)による分析
  4.    品詞(付属語:助動詞・助詞)による分析
  5.  和語・漢語・外来語の語彙による差異
  6.    歌詞の展開・起承転結abcd
  7.    時間の観点(過去・現在・未来)
  8.    言語文化的主題(例、桜の文化史)
  9.    テーマ・モチーフの横断的把握
  10.    メタ視点による構造化(例、3人の「僕」)
  11.    音の反復(擬音語など)
  12.    音源による変遷


 私の方法は志村正彦の作品によって鍛えられた、というのが最も正確な言い方になる。既成の方法によって作品を分析したというよりも、志村正彦の作品の一つひとつを分析するために、その都度、適切な方法を適用したり考え出したりしていった。要するに、歌詞そのものが歌詞分析の方法を作り出すのだ。

    (この項続く)


2022年6月19日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(1)[志村正彦LN308]

   『志村正彦全詩集新装版』(2019年)の重版が決定したそうだ。詩集で重版ということはなかなかない。2011年刊行の元版とあわせて、かなりの部数になるだろう。番 歌、音源としてだけでなく、活字の言葉、「詩」としても、志村の作品は人々に愛されている。

 前回、「志村正彦の世界」という山梨学の講義を紹介したが、担当しているゼミナールでも志村正彦・フジファブリックの作品をテーマにして、3回に分けて演習を行った。

 今年3月卒業したゼミ生の一人が、「オノマトペ・音の持つ想像-フジファブリック・志村正彦の詩と演奏」という題で卒業論文を書いた。「追ってけ 追ってけ」「打ち上げ花火」「銀河」の三作品を主な対象にして、オノマトペという観点から作品を考察した。歌の主体の描写のありかたについての独創的な分析もあり、優れた論文となった。卒論発表会の際に他の教員からも評価された。

 今年度の3年次専門ゼミナールの学生は10人いる。このうちの半数ほどが、ロックやポップスの歌詞を研究する予定だ。大学という場であるので、アカデミックな歌詞研究が求められているが、アカデミアの中でロックやポップスの歌詞研究が進んでいるとは言えないだろう。また、その方法論が確立されているわけでもない。比較的多いのは、データ分析に基づく計量国語学的研究だが、この研究では歌詞の構造やモチーフについての深い分析は試みられていない。視野を広げれば、人々に支持された歌詞から聴き手の心情や時代精神を探る社会学的な観点での研究もあるが、こちらの方も歌詞自体の丁寧な分析は不充分であろう。


 音楽学・ポピュラー音楽の研究者である増田聡は、『聴衆をつくる―音楽批評の解体文法』(2006年)の第4章「誰が誰に語るのか―Jポップの言語行為論・試論」で、英国の社会音楽学者サイモン・フリスの歌詞論を参照して次のように述べている。少し長くなるが引用したい。


 ポップソングのコミュニケーションには特有の重層性がある、とサイモン・フリスは言う。彼によれば、ポップソングが聴かれるとき、われわれは実際には同時に三つの意味の水準を聴くことになる( Simon Frith   Performing Rites: On the Value of Popular Music 1996 :159)。一つはことばとしての「歌詞」である。それは読まれるものとしての詞であり、言語的な水準で意味作用をなす。次に「レトリック」であり、それは歌唱という言語=音楽行為が行う、音楽的発話の特性に関わる。歌における語調や修辞法、あるいは音楽とのマッチングや摩擦などが、単に歌詞を読むのとは異なる意味形成を生じさせる。最後に挙げられるのが「声」である。声はポップの文脈ではそれ自体が個人を指し示し、意味形成を行う。このことはクラシックの歌唱と比較してみれば明瞭であろう。クラシックの歌手の声は楽器と等しく、取り替え可能なものであるが(異なる歌手が同じ歌曲を歌っても、その曲の「意味」はさほど変わらない)、ポップの歌手はその声自体が独自の意味作用をもたらす。同じ歌を違う歌手が歌うとき、両者の意味は明らかに異なるのだ。
 このような三つの水準でわれわれはポップソングを聴く。それぞれのレベルは、各々独自の意味と質的評価を伴うだろう。このような複数の水準が関与する様態こそが、優れた「歌われる歌詞」が必ずしも優れた「読まれる詩」ではないことの要因となる。歌われる歌詞は歌詞自体とその言語行為、および声の質との関係の中で評価されるのだから。ゆえに、歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析することは可能であっても、どこか見当はずれな感は否めない。ポップソングは何よりもまず、「音楽」として流通し受容されていることを忘れてはならない。


  増田は「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」を「可能」だとしているが、一方で「どこか見当はずれな感」が否めないことを指摘している。そして、フリスの主張を受けて、歌唱という行為を「歌詞」「声」「歌」「音楽」の四つのレベルに分けることを提唱している。

 私自身が「志村正彦LN」で行っていることは、増田の言う「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」にほぼ該当するだろう。それゆえ、「見当はずれな感」も自覚しているつもりではいる。方法として言語としての歌詞に限定しているが、歌詞の「意味」よりも、歌詞の構造や語りの枠組、歌の主体の在り方、歌詞を横断するモチーフなどに分析を集中させているところには、それなりの特色があるかもしれない。文学研究の方法が根底にあるからだ。また、「声」や「歌」のレベルの分析にも関心はある。特に志村正彦の「声」の魅力についてはこれまで断片的に触れてきたが、まとまった論として書きたいと考えている。


 今年の専門ゼミナールは、洋楽のカバーポップス、漣健児の訳詞、グループサウンズ、早川義夫・ジャックス、松本隆・はっぴいえんどという流れで、60年代初頭から70年代初頭までのポップス、日本語ロックの歌詞の変化をたどった。その後、70年代中頃から現在までの動きを、歌詞の役割の相対的低下という観点で簡単に追った。さらに、冒頭で述べたように、日本語ロックの一つの到達点として、志村正彦・フジファブリックの歌詞を3回に分けて考察していった。

     (この項続く)


2022年6月12日日曜日

「志村正彦の世界」山梨学2022[志村正彦LN307]

 山梨英和大学は四月から、多人数が受講する一部の科目を除いて、対面授業を実施している。キャンパスに学生が戻ってきて、活気があるのは好ましいことだが、当分の間、感染対策と学生の学びとの両立を図らねばならない。

 三年前から「山梨学」という科目を担当してきた。山梨の文化、社会、歴史、地域、観光などを総合的に学び、「山梨」の可能性を探究する科目である。年次の必修科目であり、受講生が200名近くいるので、この科目はオンライン遠隔授業となった。全14回の半分は外部講師、残り半分は僕が〈芥川龍之介と甲斐の国〉〈映画作品に描かれた戦後山梨の風景と社会〉〈山梨のロックの詩人-宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)・志村正彦(フジファブリック)〉などのテーマで講義している。

 今年度は、志村正彦・フジファブリックの音楽について、「志村正彦の世界」と題して、独立した1回分の講義を行った。『若者のすべて』が高校音楽の教科書の教材になるなど、志村正彦の評価が確立されてきたからである。山梨学の枠組の中で、山梨出身の優れた音楽家、表現者という観点で取り上げるのにふさわしいという了解が得られると判断した。

 2年次学生に対しては、1年次の際に「人間文化学」というオムニバス科目で、〈日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』〉という授業をすでに実施している。題名からも分かるように、『若者のすべて』の歌詞を文学作品として読解し、分析する方法を中心に置いている。今回の山梨学では、志村正彦の全体像に可能な限り接近できるように、次の三つのテーマで構成した。取り上げたい作品はたくさんあるのだが、講義時間は70分程度なので絞らざるをえなかった。


1.『若者のすべて』と系譜的な原点としての『茜色の夕日』

2.四季盤、『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』『銀河』

3.2009年の歌、『バウムクーヘン』『ないものねだり』『ルーティーン』


 『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。『茜色の夕日』の「できないな できないな」の「ない」は、『若者のすべて』の「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっていく。「できない」「ない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。この二つの歌は、〈歩いていく〉という共通のモチーフがあるが、志村の歌の軌跡は、「ない」ことを巡る〈歩み〉としても捉えられる。

 山梨学という科目の性格から、富士吉田という地域とその季節感と関わりが深い四季盤の作品は重要である。〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉という富士吉田という場の光景と〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉という春夏秋冬の変化が歌詞の中でどのように活かされているのかを話題とした。桜の四季の変化を見通す「桜の季節」の視点、少年期と青年期の二人の自分とそれを見つめる主体という「陽炎」の三つの視点、往路と帰路を見渡す「赤黄色の金木犀」の視点、丘や空から「二人」を俯瞰する「銀河」の視点。四季盤の作品については、視点論を中心に据えた。

 2009年制作のアルバム『CHRONICLE』から『バウムクーヘン』と『ないものねだり』。そして、ストックホルムで最後に録音された『ルーティーン』。〈2009年の歌〉としてこの三曲を取り上げた。『CHRONICLE』についての志村のコメント「"僕"という今の人間は、28年間のなかで、いろんな人と出会ったからこそ形成された"僕"であるし、だからこそ生まれた、自分の分身のような楽曲たちなんですよね」も紹介した。


 この〈志村正彦ライナーノーツLN〉の文章を基にしてSLIDEを作成した。実質的に、この〈ライナーノーツ〉が研究ノートになったわけだが、これは当初まったく想定していなかった。300回を超える記事は各回3000字ほどはあるので、すでに10万字程度、一冊の書物に相当する分量がある。自分で自分のブログのメニュー右側にある「このブログを検索」に検索語を入れて、該当の文章を探していった。すでに記憶が薄れて、この時はこんなことを書いていたのだな、などと発見することもあった。いうならば、過去の自分が今の自分に言葉を送り出している。そんな不思議な感じだった。この作業によってSLIDEを作ったのだが、結局、76頁と多めの量になった。僕の講義スタイルからすると、要点を絞っていけば1分1頁程度可能なので、何とかなるだろうとは思った。

 SLIDEでは、曲ごとに、歌詞をレイアウトし(音声ボタンを作り、クリックすると音源再生)、歌詞の構造を分析して図示した上で、歌詞の技法、表現の特徴を中心とする説明を記述した。志村の作詞と作曲についての姿勢については次のSLIDEなどで示した。




 講義終了後、学生に「振り返り文」を書いて提出してもらった。取り上げた作品の中では、やはり、『茜色の夕日』について言及する者が多かった。『ルーティーン』についてはほとんど知られていなかったが、この曲に惹かれた者も少なくなかった。また、志村の「色々なアーティストの感動する曲」について「すばらしいなあと思いつつも」「ちょっと自分じゃないような感じがする」、「100パーセント自分が聴きたい曲」を探したが「自分が作るしかない」ということに行きついた、という発言に対する反響が大きかった。数多くの学生が〈聴き手中心の歌は、私たちに寄り添ってくれるものであり、自分が表現しきれない気持ちを代弁してくれるようなものだと思う〉、〈志村さんが作る曲の数々がどこか懐かしさを覚え、誰が聞いてもその描かれている情景が目に浮かぶようなものになっていることは、彼自身が一番の聴き手として曲を理解して曲を作られているからなのだなと思いました〉などの的確なコメントを寄せてくれた。

 また、〈人が作った歌は「ちょっと自分じゃないような感じがする」と言う言葉に、自分が創作活動をするときも同じようなことを思うので共感を覚えた。また、「ルーティーン」の歌詞中の「君」は音楽を聞いている私たちなのではないかと感じた〉という捉え方にも感心した。『ルーティーン』の「折れちゃいそうな心だけど 君からもらった心がある」の「君」を「音楽を聞いている私たち」つまり聴き手だとする解釈は、〈聴き手中心の歌〉の本質とも重なる。

 さらに、〈フジファブリックの曲に多くの人が賛同し共感できるのは、この方の歌を通して自己を見つめ自分について考えることができるからではないかと考えました〉という学生の言葉が、志村正彦の世界の核心を捉えていた。


2022年5月29日日曜日

宮沢和史「Paper Plane」

 2016年、宮沢和史は療養のために歌手活動を休止していたが、その後、少しずつ活動を再開し、 2019年5月、ソロアルバム『留まらざること 川の如く』をリリースした。オリジナルアルバムとしては17年半ぶり、4作目となる作品である。

 その中に「Paper Plane」という歌がある。そのミュージック・ビデオと歌詞を紹介したい。

        「Paper Plane」MV(Short ver.)



指先から解き放たれた 紙飛行機は思う
なぜ無様な姿で落ちるために
空(そら)を舞うのだろう

風と風の隙間をぬって
逃げ道を探したけれど
吹きすさぶ風におだてられて
空(くう)を彷徨った

歌は人の人生よりも 先に始まり
後に終わるのだろうか

Paper Plane Paper Plane
北風に抱かれて
キリストが見下ろす街まで 旅に出よう
Fly away Fly away
いつか風が止んだら
あの人が生きる大地に 無様に落ちよう


自分の意思で飛んでいるような
誰か任せの航路のような
誰よりも高く舞い上がるから
落ちるのが怖くなる

夕日の紅(あか)よりも
朝焼けのマゼンダに染まりたいから
眠れない夜も風を探し
空(くう)を彷徨った

愛の歌を書きあげるのには
ほんの少しだけ人生は短い

Paper Plane Paper Plane
木枯らしに誘われ
エイサーが踊る島まで 海を渡ろう
Fly away Fly away
いつか力尽きたら
あの人が眠る大地で 無様に眠ろう


 曲の1番の映像は山梨で撮影されている。甲府市内の風景、甲府盆地の西部を流れる釜無川やその土手が舞台となっている。2番の映像は沖縄のものだろう。宮沢は甲府盆地を逆さまの島と見立ていたことがあったが、このMVでは山梨と沖縄を二つの「美しい島」として描いている。

 このアルバムの制作過程について彼は次のように述べている。( J-WAVE ORIENT STAR TIME AND TIDE 2019.06.08「シンガーソングライターの宮沢和史さん」


去年、もう一回人前に立ってみようと思い立ち、そのためには新曲があったほうがいいなと思って原点に帰る意味で出身地でもある山梨県の山の中に小屋を借りてギターだけ持って行って2週間くらい籠もりました。今まではTHE BOOMでもソロにしても音楽的なコンセプトを伝えたいというか、例えばブラジル音楽とロックの融合であったり、どうすれば沖縄の音楽をポップスに変えられるかといったサウンド面での勝負みたいなことが僕の音楽人生でしたが、ギターとドラムとベースだけのシンプルな編成でミドルテンポでも言いたいことが伝えられて自分自身の身の丈を表現できるということに気付いた2週間でした。それは貴重な体験だったし、アルバムに上手くパッケージできたかなと思っています。


 もともと彼の出発点にあったのはフォークであり、シンプルな編成のロックであった。山梨の山小屋で籠もって作った楽曲は原点回帰と捉えられる。歌詞も、五十歳を超えた時点からの過去への振り返りがある。

 同じ記事の中で、甲府についてこう語っている。

すり鉢の底のようだと表現した人がいましたけど盆地なので隠し事ができないし人の噂がすぐ耳に入ってきてちょっと窮屈だけど裏を返せば誰もがお互いのことを知っているので困った人がいたりすると誰かが手を差し伸べてくれるというか。イメージは真逆かもしれませんが沖縄も海に囲まれていて閉鎖的な部分もありますが沖縄の人と交流するようになって似ているところが多いと感じるようになりました。


  「すり鉢の底のようだと表現した人」というのは、太宰治「新樹の言葉」の〈よく人は、甲府を、「擂鉢の底」と評しているが、当っていない。甲府は、もっとハイカラである。シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである〉と関連があるのだろう。

 太宰が言うように、甲府は明治大正期から昭和初期にかけて「きれいに文化の、しみとおっているまち」だったようだ。昭和20年の甲府空襲で中心部が焼失してしまった後は、田舎の小都市になってしまった。最近はだいぶ薄れては来たが、それでも、宮沢の言うように、盆地の地形から来るある種の閉鎖性とそれゆえの人間関係が支配するところでもある。その濃密さは時に窮屈ではあるが、時に相互扶助的なものをもたらす。

 甲府盆地は四方の険しい山々によって、沖縄は四方の海によって、外部と隔てられている。外部との交流が少ない地である。内向きな土地柄であるが、それゆえに、外への屈折した夢や憧れもある。


 このような地を脱して、宮沢は東京へ出て行った。しかし、その後、第二の故郷ともいえる沖縄に出会った。その沖縄には山梨と似た人間関係があると述べているところが興味深い。そのような山梨と沖縄の共通項を考えると、「Paper Plane」の歌詞の味わいがさらに深くなる。

 歌詞1番の「キリストが見下ろす街」は、ブラジルのリオデジャネイロを指しているのだろう。宮沢はブラジルに出かけてライブも行った。2番の「エイサーが踊る島」は沖縄だ。この歌は、山梨から、沖縄、ブラジルへという旅がモチーフになっている。

  人生の行路を〈紙飛行機〉の飛ぶ軌跡に重ね合わせる。〈空(そら)を舞う〉〈空(くう)を彷徨った〉。〈そら〉と〈くう〉に呼び方を変えながら、〈空〉から〈無様な姿で落ちる〉〈紙飛行機〉を想う。

〈歌は人の人生よりも 先に始まり/後に終わるのだろうか〉〈愛の歌を書きあげるのには/ほんの少しだけ人生は短い〉という声は、〈紙飛行機〉の空を切る音、音とも言えない静かな音のようにも聞こえてくる。その〈紙飛行機〉の微かな音と自分自身の声を宮沢は重ね合わせているのだろう。宮沢はこう述べている。(「再始動コンサート中の宮沢和史、ニューアルバムも発表」チケぴ  2019/6/21


自分の飛行、すなわち人生の航路が“ぶざま”であると自覚したことはとても素晴らしいことだと思っています。これからはカッコつけず、自然な旅ができる気がしています。


 「島唄」は〈このまま永遠に夕凪を〉という平和への祈りを込めた歌だった。宮沢はこの歌を三十年にわたって歌い続けてきた。そうではあるのだが、「島唄」が人々に求められなくなった時こそが平和が訪れる時でもあるという逆説もある。そのことに宮沢は自覚的であり、そのような発言もしている。「島唄」のような歌になると、そのような運命を背負っているのかもしれない。

 「島唄」が歌われ続けるのがこの世界の現実である。これからも宮沢は歌い続けるだろう。しかし、〈自然な旅〉も歩んでいってほしいとも思う。一人の聴き手としてそのように望んでいる。


【付記】山梨日日新聞社の創刊150年記念ライブ、宮沢和史&藤巻亮太ライブ「おなじ空の下で」が7月1日(金)甲府・YCC県民文化ホールで開催される。抽選で600名が無料招待となる。(応募はサンニチのwebから可能)。後日、アーカイブ配信もあるようだ。

 このライブの題名は「おなじ空の下で」。「若者のすべて」の最後のフレーズ「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」が浮かんでくる。志村正彦が存命であれば、おそらく、宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦のライブになったことだろう。同じ空の下で三人が歌い、そして、山梨について語りあっただろう。

2022年5月15日日曜日

沖縄復帰50年。島唄。

 5月15日。1972年のこの日に沖縄が日本に復帰してから半世紀が経った。当時の僕は中学生だったが、新聞やテレビのニュースで大きく報道されたことは記憶に残っている。

 山梨の僕にとっては、沖縄は遠い遠い地だった。70年代の半ばから、沖縄のロック、コンディション・グリーンや紫が注目されるようになった。二つのバンド共に、ハードロックやブルースロックなどの洋楽のサウンドだった。その後、喜納昌吉とチャンプルーズの「ハイサイおじさん」によって、沖縄民謡のリズムや音階に基づくロックも聴くことになった。僕にとっての沖縄は、音楽の比重が大きかった。

 高校生の頃、僕は『ミュージック・マガジン』や『話の特集』で竹中労の記事を読んだ。『琉歌幻視行 島うたの世界』(1975年)も読み、〈琉歌〉の存在を知った。労の父、竹中英太郎は山梨日日新聞社の記者だったことがあり、戦時中と戦後の一時期まで、労は甲府に住んでいた。労は甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校、僕の母校でもある)で学んだのだが、校長退陣運動で退学となる。高校の恩師が労の同級生だったので、その時の話を少しだけ聞いたことがある。


              表紙画:竹中英太郎


 竹中労には『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から、琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースしたり、コンサートを企画したりして、嘉手苅林昌を始めとする島唄を紹介した仕事も特筆される。竹中労によって、島唄に出会った「本土」の人間は少なくないだろう。

 父の英太郎は甲府で暮らしたが、優れた挿絵画家でもあった。没後の1989年、労の監修による回顧展が甲府のギャラリーで開催された。当時は山梨県立文学館に勤めていたので、その仕事もかねて、展覧会を見に行った。会場に竹中労がいた。おだやかな表情をしていた。何か話しかけたかったのだが、結局、話しかけることはできなかった。その二年後、労は63年の生涯を閉じた。

 甲府市の湯村には、英太郎の娘、労の妹である竹中紫が館長を務める「竹中英太郎記念館」がある。英太郎の作品や労の資料が展示されている。竹中英太郎・労の父子にとって、甲府は第二の故郷ともいえる地だろう。今日5月15日の山梨日日新聞の「FUJIと沖縄」シリーズの「山梨関係者の足跡息づく」で、「竹中労 島唄を通し文化紹介 復帰問題問い続ける」という題の記事があった。その中で、竹中紫さんの「兄の後半生は島唄と共にあった。島唄を愛し、愛された人」という言葉が紹介されている。


 島唄というと、やはり、THE BOOM・宮沢和史の「島唄」が思い浮かぶ。ほとんどの音楽ファンにとっても同様だろう。「島唄」についてはこのブログで何度か書いてきたが、今日は、「THE BOOM - 島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」の映像とオリジナルの歌詞を紹介したい。


      THE BOOM - 島唄 (オリジナル・ヴァージョン)



   THE BOOM  島唄
   作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史 

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た 

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た 
くり返す悲しみは 島渡る波のよう 

ウージの森であなたと出会い 
ウージの下で千代にさよなら 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙 

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ 
ささやかな幸せは うたかたの波の花 

ウージの森で歌った友よ 
ウージの下で八千代の別れ 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 


 「島唄」は、1992年1月22日リリースの4枚目アルバム『思春期』で発表された。このアルバムは「子供らに花束を」など聞き手に問いかける作品が多かったが、なかでも「島唄」は印象深い作品だった。

 前作、1990年9月発売の3枚目アルバム『JAPANESKA』に沖縄民謡・音階を取り入れた「100万つぶの涙」があったが、「島唄」はその歌詞の世界において、沖縄戦とその犠牲者への想いを歌っていた。宮沢の転機となる作品だという直観があった。しかし、その時点ではその後の展開はまったく想像できなかった。翌年1993年6月、この「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」シングルが発売されて、大ヒットとなった。この映像には若々しい姿と声の宮沢和史がいる。


 あらためてこの歌を聴くと、〈でいごの花が咲き〉〈でいごが咲き乱れ〉〈でいごの花も散り〉〈うたかたの波の花〉というように、〈花〉の表象の変化のなかに、沖縄戦の犠牲者への想いが表現されている。 宮沢和史の歌詞には、志村正彦や藤巻亮太と同じように、自然の風景や景物がよく描かれる。山梨のロックの詩人には、自然を描くことから、自己の存在、社会や歴史の出来事、世界の在り方を問いかける歌が多い。

     

  西日本新聞の記事〈「島唄よ海を渡れ」宮沢和史、歌い続け縮めた心の距離 沖縄復帰50年〉(2022/1/31)の中で、宮沢の想いが次のように述べられている。 


 完成しても発表には迷いがあった。「ヤマト(本土)の人間だし、戦争も知らないし」。山梨県出身の自分が歌っていいのか、不安を抱えながら世に送り出した。

 CDは150万枚超を販売する大ヒットとなる。応援の一方、批判の声も大きく響いた。「民謡をろくに知らないヤマトンチュ(本土の人)が」「ウチナー(沖縄)の音階を使うな」

 平和を希求する沖縄戦への鎮魂歌だ、と言いたい。でも、言葉でそれを訴えるのは音楽家として敗北だと思った。「歌い続ければ、本当の意味を分かってもらえる。いつかは心に染みていくはず」。そう信じた。


 沖縄復帰50年の今日、島唄と深い関わりのある山梨ゆかり・出身の二人の人物、竹中労と宮沢和史のことを書いた。竹中労が亡くなったのは1991年、宮沢和史「島唄」が生まれたのは1992年。山梨出身の青年が「島唄」を作ったことを労は喜んだに違いない。

 宮沢の〈歌い続ければ、本当の意味を分かってもらえる。いつかは心に染みていくはず〉という発言は重い。歌は、言葉による説明ではなく、歌うという行為であるのだから。

 歌が心に染みいることによって、何らかの形で、現実に働きかけることを信じたい。


2022年5月8日日曜日

「若者のすべて」-上白石萌音『こえうた』『関ジャム 完全燃SHOW』『MOUSA1』[志村正彦LN306]

 昨夜、5月7日の夜10時55分から、NHK総合テレビの番組「こえうた」で、上白石萌音が、志村正彦作詞作曲の「若者のすべて」を歌った。

 「こえうた」は、若い世代から募集した「わたしの推し曲」をもとに構成した新たな音楽番組。事前に、上白石が「『若者のすべて』、高校生の時から大好きです。素晴らしいアレンジに『すべて』を乗せて、福岡からお届けします!」と述べていたので、楽しみにしていた。ここ数年の活躍はめざましい。特に、テレビドラマ『ホクサイと飯さえあれば』(毎日放送)での演技が良かった。料理を作る楽しさや味わう喜びを上手に演じていた。

 「若者のすべて」が紹介された際に、志村正彦・フジファブリックのMVが少し流れた。画面には、「「若者のすべて」を上白石萌音が歌いつなぐ」「2007年に発表されて以降多くのアーティストがカバー。今年音楽の教科書にも記載され世代を超えて愛される」というテロップも表示された。

 この番組は生放送で、「若者のすべて」は福岡からの中継だった。しかも番組のトリだったので、聴く側にも臨場感が生まれる。無事に歌い終わってほしいという、緊張感のようなものもあった。

 2番の歌詞が省略された3分ほどの短縮版。フルコーラスで無かったのが残念だった。地上波の生放送という制約上、仕方がなかったのかもしれない。ピアノ、ハープ、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの6人編成によるアコースティックヴァージョン。アレンジは河野圭。プロデューサー、作曲家、編曲家、キーボーディストとして豊富な実績のある方だ。

  上白石萌音の声は透明感がある。女優らしい表現力もある。身体から言葉が溢れ出てくるように歌っていた。特に、「ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」のフレーズ。この歌は、〈まぶたを閉じる・開ける〉というモチーフが全篇に貫かれている。上白石は、まぶたの動かし方、その表情の変化によって、この歌の言葉の世界を伝えていた。

 ミュージカルの経験が豊かなので、あたかも、ミュージカル「若者のすべて」のクライマックスシーンのようにも感じた。(志村正彦の作品によるミュージカルというアイディアはどうだろか。主演はもちろん上白石萌音。「茜色の夕日」から「若者のすべて」へと続いていく一人の若者の物語。そんなことを空想した)

 NHK MUSICのtwitterで、本番間近の“声”が紹介されていた。上白石は次のように述べていた。

フジファブリックさんの「若者のすべて」歌わせていただくんですけど、 当時若い頃聴いていらしたという方もいらっしゃれば今もなお聴き続けられている名曲だと思います。

ほんとうに言葉が素晴らしいですし、歌えば歌うほど名曲だなと思うので、大切に尊敬の気持ちを込めて、届くように歌わせていただきます。


  「ほんとうに言葉が素晴らしい」こと、「大切に尊敬の気持ちを込めて、届くように」歌うこと。上白石萌音は、志村正彦の言葉を深く理解し、尊敬している。なによりも「届くように」歌うことは、志村の歌に対する根本的な在り方でもあった。この番組はNHKプラスで5/14(土) 午後11:40 まで配信中である。


 一昨日の5月6日、テレビ朝日「関ジャム 完全燃SHOW」の特番「関ジャムJ-POP史 最強平成ソングベスト30!!」で、「若者のすべて」が4位になった。平均年齢25.8歳の若手人気アーティスト48名に一斉アンケ―トを実施した結果だ。この番組の放送を見ることはできなかったのだが、GYAO!で配信されていることを知った(5月13日(金)まで)。ありがたい。早速視聴した。

 「若者のすべて」は「根強い支持を得る 伝説的ロックバンド代表曲 バンドF」として紹介された。「若者のすべて('07) フジファブリック 作詞作曲 志村正彦」というテロップのもとにミュージックビデオが流された。その間に、若手アーティストのコメントが添えられていた。その言葉を引用したい。

   

  • 私の青春の一曲です。  kiki vivi lily(シンガーソングライター)
  • いつ聴いても胸を締めつけられる    PORIN(Awesome City Club)
  • 日本人なら誰もが共感してしまうような歌詞の情景、世界観   baratti(Nagie Lane)
  • 高校生の時にCDショップで流れていてあまりにも自分の心情とリンクしていて思わず立ち止まった     秋山黄色(シンガーソングライター)
  • 体験したわけじゃないのにタイムスリップした気持ちになれる     やまもとひかる(ベース&ボーカル)
  • あまりフォーカスされない、夏も終わり特有の侘しさをまるで独り言を言うように歌詞や歌で表現されています。その等身大なニュアンスに共感を覚えます。サビ前のギターフレーズからのピアノの掛け上がりがとてもドラマチック。  PORIN(Awesome City Club)
  • 夏が終わっていく夕暮れや街灯の灯りがつく時間の空気などを切実に感じられる。全詩がパンチラインなのがたまらない。    くじら(ボカロP)


 若手アーティストのコメントは、当然といえば当然だが、的確にこの作品の本質を捉えている。何よりも、この歌に対する愛が感じられる。「若者のすべて」は歌というものの本質に立ち戻らせる力がある。この時代、想いを歌うという本源が失われがちだ。だからこそ、若手アーティストのなかの鋭敏な歌い手たちは「若者のすべて」という2007年の作品を新鮮な驚きと共に見出した。この歌は、現在の音楽シーンに決定的な影響を与えている。さらに、これからの音楽シーンにも。この半世紀に及ぶ〈日本語ロック〉の最高の到達点であるのだから。歌い手の想いの深さと伝える力、卓越した言葉の表現と楽曲の構成の技術がこの歌にはあるのだが、そんなことを誇示することもなく、つつましく、さりげなく、存在している。そのたたずまいが「若者のすべて」である。


 ゴールデンウィーク中に、その他の番組でも「若者のすべて」が取り上げられたようだ。この4月から、高校音楽Ⅰの教材として採用されたのも、大きな流れでは、この評価の高まりと連動しているのだろう。

 その教科書、教育芸術社の『MOUSA1』を入手できた。教科書はだれでも購入できる。近くの教科書取次店で注文すればよい。私も甲府市内の取次店で取り寄せた。想像していた以上に、沢山の楽譜が掲載されていたが、「若者のすべて」は、初めの方のP.16・17に見開き2頁で掲載されていた。やはり、この教科書の「押し曲」なのだろう。嬉しく、誇らしいのだが、教科書の頁に志村正彦の名があるのは、どこか不思議な感じもする。


 音楽教科書掲載、最強平成ソング4位、そしてNHK総合テレビの生放送と、この歌の評価は高まるばかりだ。〈「運命」なんて便利なもので〉語ることは慎むべきかもしれないが、この歌の運命に想いを巡らせてしまう。「若者のすべて」は、自らの運命に向かって、2007年のリリースから〈そっと歩き出して〉いった、というように。

 すでに15年間の歩みがある。2022年、志村正彦の「若者のすべて」は、人々に聴き継がれ、歌い継がれ、愛されていく。



2022年4月24日日曜日

現実

 2016年の夏、ロシアに旅行した。モスクワとサンクトペテルブルクの二つの都市を回った。

 モスクワの空港の手荷物検査は2回あった。自動小銃を持った警備員もいた。入国審査も他のヨーロッパの国に比べて厳しかった。凄いというほどでもないにしろ、何かしらの緊張感があった。

 サンクトペテルブルクといえば、ゴーゴリの『外套』そしてドストエフスキーの『白夜』。この二つの作品には思い入れがあるので、そのゆかりの場所を見た。エルミタージュ美術館のコレクションは素晴らしかったが、その割に観覧者が触れられそうな距離に展示されているなど、展示の仕方がおおらかなことに驚いた。

 モスクワ。赤の広場、クレムリン。私たちの世代では、この地はロシアというよりもソ連、ソビエト社会主義共和国連邦の中心地という印象が強いが、かつての社会主義の要塞といったイメージはなかった。観光客が多く、賑わいを見せていた。土産店には、ソ連・ロシアの歴代の指導者(書記長や大統領)から成るマトリョーシカがあり、人形の顔を見てその名を思いだしていった。

 空港でも街でも、ユーラシア大陸の様々な民族を見かけた。私もいきなりロシア語(だと思う)で話しかけられたことがあった。その時は少し特徴のある黒い帽子を被っていた。帰国して調べると、キルギス人の被る帽子に似ていたので、もしかしたら、キルギス人に間違えられたのかもしれない。キルギス人は日本人と似ていると言われている。ロシアは、多様な民族から構成されているユーラシアの大国であると妙に納得した。 

 学生時代を振り返る。ロシア・フォルマリズムの文学理論。ロマーン・ヤーコブソンの言語理論。構造主義、物語の構造分析、記号論の源流。そして、ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』。私たちの世代の学生で文学理論に関心のあるものにとって、必読の文献だった。ポリフォニーの理論は大きな影響を与えた。ロシアの文学理論は、1910年代から30年代、今から百年前に発展し、その後深化していった。

 私にとってロシアは何よりも、文学と言語の理論の国であった。


 ロシアのウクライナ侵略から二ヶ月が経つ。

 私が知っていることは、ニュース映像やネットの情報で得たものに限定されるが、その一部になんらかの虚構がある可能性を排除できないにしても、その情報源が多様な媒体からもたらされていることを考慮すると、総合的に判断して、それらの情報がこの侵略の〈現実〉を伝えていることは間違いないだろう。

 国際政治にも国際法にも全くの素人である私がこのブログに書くことがあるとしたら、日本という場でのこの現実をめぐる様々の言説、そこで使われる言葉の問題、日本の言論の在り方についてである。言葉や言説についての教育や研究に携わる者として、今日はこの点について書いてみたい。

 この間、特に違和感を持ったのは、〈戦争〉という言葉である。戦争の定義は、通常、〈武力による国家間の闘争〉である(実際にはいろいろな定義があるようだが)。国際法上は、戦争は〈宣戦布告〉により始まり、当事国間に〈戦時国際法〉が適用される。当事国のロシアは戦争ではなく〈特別軍事作戦〉と命名している。それゆえに、と言うべきだろうか、宣戦布告はいまだない。

 日本の言論での〈戦争〉という括り方に違和感を持ち、この問題について考えあぐねていたが、危機管理の専門家、福田充氏(日本大学危機管理学部教授)のツイッターの発言によって、考え方を整理することができた。

福田充 Mitsuru Fukuda@fukuda326 Apr 20
「戦争」というメディア的概念の誤用によって、侵略する側と、侵略される側という圧倒的な関係性の非対称性、権力的な非対称性、コミュニケーションの非対称性が無視されて全てごちゃごちゃに語られる日本の弊害の拡散に、一部の研究者や記者、思想家などインフルエンサーも加担しています。 

 副田氏は、戦争というメディア的概念を〈誤用〉(この誤用という表現は、恣意的な使用あるいは党派的な適用という意味だろうが、まだ充分には理解できていない)することによって、侵略する側と、侵略される側という圧倒的な関係性の非対称性を無視している日本の一部の言論を批判している。確かに、この非対称性を無視どころか否定さえしている論者もいる。

 現実を直視しないで、自分の固定観念だけで考えると、現実の関係性そのものを捉え損ねる。そうするとさらに、現実の関係性よりも、自分自身の理想や観念、主義やイデオロギーによって見出した関係性の方へと思考が横滑りしていく。副田氏の観点に拠るのであれば、関係の圧倒的な非対称性がある種の対称性へと整理されていく。〈侵略する側と侵略される側〉という非対称的な関係が、〈戦争する側と戦争する側〉少なくとも、〈戦争をする側と応戦した側〉という対称的な関係へと置き換えられる。歪められると言ってもよい。

 国際法の専門家、酒井啓亘氏(京都大学大学院法学研究科教授)は3月20日の時点で、次のようにツイッターで述べている。

酒井啓亘(Hironobu Sakai)@UtBeneVivas Mar 20
備忘録として。周知のとおり、国際法の観点からすると、ロシアが主張する個別的自衛権による武力行使の正当化が困難なのは、ウクライナによるロシアへの先行武力攻撃の不存在から明らか。国連憲章51条は、「武力攻撃が発生した場合」に自衛権行使を国連加盟国に認めているから。

 要するに、「先行武力攻撃の不存在」は明白であり、主権国家による主権国家に対する武力の一方的な行使、侵略である。国連憲章も正当な「自衛権行使」を認めている。侵略・攻撃とそれに対する自衛・反撃は、当然、非対称的なものである。この場合、非対称的な関係と対称的な関係との間には絶対的な差異がある。

 しかし、対称的な関係を見出す論者は〈戦争〉として捉えがちである。そうなると、戦争の〈当事国〉同士という対称的な関係によって、いわゆる「どっちもどっち論」によって、「喧嘩両成敗」的な論を提示しやすくなる。当事国に対する中立論や、各々の原因を想定した両論併記論にも陥りやすい。さらに、その背景としての「代理戦争」論や根拠のない陰謀論まで持ち出してくる。このような論によって、当事国を相対化する視線が強くなる。この思考の流れは、その論者をメタレベル的な視点に立たせる。

 このメタレベル的な視点は、結果として、その論者にある種の思考停止をもたらす。そのような傾向を持つ専門家、研究者が一定数いる。意外にも、と言いたいところだが、ある面ではこれは当然なのかもしれない。ある局面で思考停止する方が、自分の主張や学説の一貫性を保つことができるからだ。メタレベルからの俯瞰する視点によって、当事国各々の原因や背景という方向に思考が向かう。当事国が対称化され、結果として、相対化されてしまう。「どっちもどっち論」の循環による思考停止。この現状についての強い違和感がある。

 全ての出来事は、その原因をかなりの次元まで遡ることができる。様々な原因、理由、背景を指摘できるだろう。しかし、それはあくまでも〈論〉にすぎない。あらゆる論は、その論じる主体の姿勢をあからさまにする。無意識の在り方を露呈させる。


 2022年、日本の言説の世界に起こっているのはこのような事態である。専門家や研究者は大学の教員である場合も多いので、この現状には特に関心がある。

 論は論であり、現実は現実である。その現実を、前回紹介したピーター・ゲイブリエルの言葉を再度引用するなら、世界の目が、今、見つめている。そして、この世界の現実に対して、思考停止に陥ることなく、今、この場で、思考を深めていくこと。その思考が現実に対して少しでも何らかの作用を果たすこと。働きかけること。私がこの二ヶ月間で考えて特に伝えたいことをこのブログに書かせていただいた。


2022年4月10日日曜日

Peter Gabriel の言葉

 敬愛するピーター・ガブリエルがこう呟いていた。

 Peter Gabriel@itspetergabriel

 

Mar 16
This horrific, totally unnecessary and barbaric invasion should encourage us to imagine something different for the future - pg


この恐ろしい、全く不要で野蛮な侵略は、将来のために異なる何かを想像することを私たちに強く促しています。


 このメッセージの全文「Out of Ukraine」(15th March, 2022)が、petergabriel.comに掲載されているが、その最後の部分に「Japan」という言葉が突然現れて、驚いてしまった。日本の「金継ぎ」という技術に触れているのだ。


In Japan, kintsugi is the art of repair. It translates as ‘join with gold.’ It is the broken pot, put back together with gold, that has greater value than the original whole pot. Rescuing something, or someone, from destruction, from the edge of the void and from worthlessness, gives it, or them, greater value.

日本では、金継ぎは修理の芸術です。「金でつなぐ」という意味です。壊れた器を金でつなぎあわせることによって、元の器よりも大きな価値を持つようになります。何かを、あるいは誰かを、破壊から、虚無の淵から、無価値の状態から、救いだすことは、より大きな価値を与えます。


 金継ぎは、陶磁器の破損部分を漆によって接着し金などで装飾して仕上げる修復技法である。壊れた物、壊された物を修復するだけでなく、その修復された器の継ぎ目が調和としての美となり、大きな価値が生まれる。

 ピーター・ガブリエルは、この「金継ぎ」を「将来のために異なる何かを想像すること」の喩えにしている。そして、この現実の中で「何かを、あるいは誰かを、破壊から、虚無の淵から、無価値の状態から、救いだすこと」を強く訴えている。


  1980年、ピーター・ガブリエルは、南アフリカの反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコをテーマとする「Biko」という歌を創った。音楽活動の外でも人権活動に積極的に取り組んできた。

 昨年2021年、彼は「Biko」リリース40周年とBlack History Monthを記念し、チャリティー・プロジェクトのPlaying For Changeと協力して、新しいヴァージョンを制作した。Playing For Changeは、この歌によって「世界の人々と団結、平和、希望のメッセージを共有します」とコメントしている。そのミュージックビデオを紹介したい。


 Biko | Peter Gabriel | Playing For Change | Song Around The World



  「Biko」の歌詞の最後はこう結ばれている。


    And the eyes of the world are watching now, watching now.
        
 そして、世界の目が今見つめている、今見つめている。


 今、現実に起きていることを、世界の目、つまり私たち一人ひとりの目が見つめている。