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2013年12月8日日曜日

アルバムのテーマ-CD『フジファブリック』3 (志村正彦LN 61)

 今回は、LN56・57に引き続き、2004年11月10日リリースの1st CD『フジファブリック』に焦点を当てて、アルバム全体のテーマ、その詩的世界について論述したいのだが、その前に、志村正彦、フジファブリックが作ったアルバム全体を振り返ってみたい。

 志村正彦在籍時のフジファブリックのアルバムは、2枚のインディーズCD、1枚のプレデビューCD、4枚のメジャーCD(+1枚の遺作CD)の計7(8)枚になる。各々にCD全体を通じたコンセプトがある。彼は『CHRONICLE』発表時に次のように語っている(インタビュー・文 久保田泰平氏[http://musicshelf.jp/?mode=static&html=series_b100/index  ]

 ファースト・アルバムは東京vs.自分、セカンド・アルバムは当時の音楽シーンvs.フジファブリックっていうテーマがあって。で、前作の『TEENAGER』は東京vs.東京が好きになった自分、なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマがあったんですけど、そこで思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてないように思えたんですね。だから、今回は音楽vs.自分みたいな、そのぐらいまで根詰めてやってましたね。

 志村正彦がどれだけ自覚的にアルバムを作り、自分自身とフジファブリックの進む道を見いだそうとしていたことがよく分かる発言だ。テーマを作品名・発売日と共に挙げてみる。

 1st  2004年11月10日 『フジファブリック』    東京vs.自分
 2nd 2005年11月 9日  『FAB FOX』           当時の音楽シーンvs.フジファブリック
 3rd 2008年1月23日   『TEENAGER』         東京vs.東京が好きになった自分
 4th 2009年5月20日   『CHRONICLE』        音楽vs.自分

 4枚のアルバム各々が、「自分」あるいは「フジファブリック」を定点にして、それと対峙するテーマを決めていった。最初からそのようなテーマとその展開があったというよりも、試行錯誤の果てに掴んでいったものだろう。この四つのテーマは作者側からの《自注》だから、当然といえば当然なのだが、志村正彦の言葉は非常に的確で、アルバムを捉える視点を聴き手に与えてくれる。

 志村正彦を中心として、フジファブリックの歴史を振り返るのなら、インディーズ[SONG-CRUX ]の2枚+プレデビューCDが《初期》、メジャー[EMIミュージック・ジャパン]1st・2ndが《前期》、3rd・4thが《中期》、と位置づけられるのではないのか。私の試みの区分である。

 1st 『フジファブリック』のテーマは「東京vs.自分」であるが、「東京vs.自分」の変奏として「東京VS故郷」、「東京VS富士吉田、山梨」というようなテーマもある。「四季盤」の春夏秋冬の楽曲も、「東京VS故郷」の季節感の対比が、意識的にも無意識的にも、発想の根底にあるだろう。花・植物の歌もそのような系譜にある。そして何よりも、「東京vs.自分」という立ち位置から来る「不安」な感覚がどの曲にも潜在している。そして2nd『FAB FOX』になると、1stで早くも確立したフジファブリックの音楽の可能性を「当時の音楽シーン」の中でより多様に展開していく。
 1st・2ndをリリースして、志村正彦は自分自身とフジファブリックを、きわめて独創的な「日本語ロック」の作り手とバンドとして確立した。これが《前期》の達成点であり、彼の資質の全面的な開花があった。

 3rd 『TEENAGER』の「東京vs.東京が好きになった自分」、「なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマ」という言葉はまさしく、このアルバムを代表する『若者のすべて』の注釈として受けとめることができる。1stの「東京vs.自分」の「自分」は東京との葛藤を抱えている自分であるのに対して、3rdには確かに、「東京」に溶けこみつつある「自分」の「日常」が描かれている。『若者のすべて』の歩行の系列の風景も東京である。
 4th『CHRONICLE』について、3rdで「思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてない」ように思え、「音楽vs.自分」というテーマを「根詰めて」やったという発言は、彼らしい真摯な追究の仕方だ。「音楽vs.自分」は「自分vs.自分」にまで深まり、年代記らしく「タイムマシーン」にも乗って、自分の過去と現在に向きあった。三十代を目前とした彼の眼差しには深さと豊かさが加わり、《中期》の豊穣ともう一度原点に戻ったかのような純粋さを併せ持っていた。
 彼自身は、先ほどのインタビューの続きで「28歳」という年齢に関連してこう述べている。

 まあ、28歳って考えますよね、今後の人生を。果たして音楽を続けていけるのか……とか。今回は、そのぐらいの意志を込めてアルバムを作って、全作詞作曲をして吐き出した感はありますね。

 あれだけの仕事を成し遂げたにも関わらす、「果たして音楽を続けていけるのか」という発言には、私のような単なる聴き手には想像できないような厳しさがリアルに響いている。『CHRONICLE』が転機となる作品だったことは間違いない。

 これからは区分を超えた私の勝手な推測だが、志村正彦の《フジファブリック》というバンド・コンセプトは、存在することができなかった5th(当然、現『MUSIC』とは異なるもの)、そして6thか7th あたりで、一つの完結を見たのではないだろうか(完結ではなく、一つの大きな区切りと考えてもいいが)。幻となった5th・6th・7th等がリリースされたとしたら、それが《後期》のフジファブリック作品となったことだろう。

 多くのロックアーティストは、十代の感性を起点として初期作品を作り、二十代に代表作を作り、二十代後半から三十代前半までに最初の円熟を迎える。それ以降も優れた作品を作り続けるアーティストもいるが、バンドを解散したり休止したりしてソロアーティストになったり、解散しないまでもソロ活動や別のバンドを作ったりすることが多い。
 志村正彦は、三十代・四十代になっても五十代・六十代になっても、素晴らしい作品を作り続けたことだろう。そしてその作品は、今私たちが聴いている歌とはかなり異なる作風になったような気もする。

  彼の命日が近い。
 現実の彼は、《後期》作品も三十代以降の作品も作りだすことはできなかった。私たち聴き手の哀しみや嘆きは尽きることがないが、今ある八十数曲の作品が、志村正彦から私たちに届けられた、かけがえのない贈り物であることに、私たちは深く感謝すべきだろう。
 二十代最後までという限られた時間の中で、これだけの数のきわめて高い質を持つ、あからさまではなく、そっと静かに聴き手の心に寄り添うことができるような、愛のある歌は、洋楽・邦楽のロックの歴史を通じて、他にはないのだから。
  (この項続く)

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