ページ

2016年5月20日金曜日

妻夫木聡の贈る曲『茜色の夕日』[志村正彦LN130]  

 昨夜、5月19日のNHK番組「ミュージック・ポートレイト」に、妻夫木聡と満島ひかりが出演していた。前の週、番組表を見てこんな番組があるのかと思っていたが見逃してしまった。今週は前週に続く第2夜だが、見ることができた。

 この番組は、出演者の二人が人生で大切な音楽を紹介する。妻夫木聡の大切な曲の一つが、志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』だった。第1夜と合わせると、10曲が選ばれたようだが、なかでも、「互いへ贈る一曲」として選ばれたのがこの歌だった。
 単に好きだ、大切だというよりも、大切な相手へ贈る一曲とされたことに心を動かされた。音楽家にとってこれほどうれしいことはないだろう。

 妻夫木は、この歌の「東京の空の星は/見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな/そんなことを思っていたんだ」に触れて、当たり前のように東京で星は見えないと思っていたけれど、よく見れば東京でもきれいな星がみえる、当たり前だと捉えすぎて大事なことを忘れてしまう、そういうことを気づかせてくれる歌だと述べていた。

 調べてみると、妻夫木聡は1980年福岡県柳川市に生まれた。志村正彦と同年になる。小学生の頃に神奈川に移ったようだが、地方出身者であることにちがいはない。
 「東京の空の星」は「見えないこともないんだな」というのは地方からの上京者ならではの経験だ。遠い記憶をたどってみると、上京して石神井に住みはじめた頃、東京でもわりと星が見えるんだなと気づいたことが僕にもある。
 甲府で見る綺麗な星空とはやっぱり違うけど、それでも見えるんだな。
 それっきりで、そのことは忘れていた。『茜色の夕日』を初めて聴いたとき、その時の記憶と感覚が少しよみがえってきた。

 志村正彦の歌には、何か忘れてしまったこと、大切であったり些細であったりする出来事、どこかにしまいこんでしまった記憶を思い起こさせてくれるものが多い。

 曲に焦点をあてる番組であり、志村正彦やフジファブリックへの言及はなかったが、「2009年 ボーカルの志村正彦が29歳の若さで急逝」というテロップが出された。簡潔だが、作詞作曲者の名が画面に登場した。

 満島ひかりが選んだのは、サイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』(The Sound of Silence)だった。説明する必要もない名曲だ。
 『茜色の夕日』と『サウンド・オブ・サイレンス』。この二曲が妻夫木聡と満島ひかりの「互いへ贈る一曲」となった。この偶然の組み合せもまた、ある忘れてしまったことを思い出させてくれた。



[付記]
  幸いにも再放送が5月23日[月]午前1時10分(日曜日の深夜)に予定されています。このblogは志村正彦をめぐる「記録」という性格もあり、海外の方がこの番組を見るのは難しいのも考慮して、録画から該当部分をシナリオ風に記しておきます。(再放送をご覧になられる方はスルーしてください)


(ナレーターの声が入る)
大切にしている歌の中から互いへ贈る一曲を選んでもらいました。
(『茜色の夕日』のミュージックビデオが画面に登場。志村正彦が歌う姿が映し出される。「笑うのをこらえているよ/後で少し虚しくなった」の場面。)
(テロップが入る)
(右上)妻夫木聡/「茜色の夕日」/フジファブリック
(右下)フジファブリック/2009年 ボーカルの志村正彦が29歳の若さで急逝/「茜色の夕日」は志村が作詞作曲した初期の名曲
(ナレーターの声)
妻夫木が満島に贈る歌。それは見落としがちな大切なことを思い出させてくれる曲。
(歌詞がテロップとして流れる)
 東京の空の星は
 見えないと聞かされていたけど*
 見えないこともないんだな
 そんなことを思っていたんだ
   *映像には「けれど」とあったが「けど」が正しい。
(MVは終了するが、「僕じゃきっとできないな できないな/本音を言うこともできないな できないな/無責任でいいな ラララ/そんなことを思ってしまった」まで歌は流れた。その間、映像は妻夫木のトークに切り換わる。)
(妻夫木の話)
 当たり前のようにさ、星は見えないもんだと思っていたけど、よくよくぱあっと見たら、あっ東京でもこんなにきれいな星がみえるんだっつって。なんか当たり前になってることが当たり前だと捉えすぎて大事なことを忘れてたっていう、なんかそういうのを気づかせてくれる歌なんだよね。
 この後、妻夫木はもともと星を見るのが好きで、双眼鏡で月を見る話をしてくれた。

 『茜色の夕日』が取り上げられた部分は2分弱続いた。

0 件のコメント:

コメントを投稿