公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込/先着90名 *下記の申込フォームからお申し込みください。

公演内容

公演内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(文学研究 山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて声と身体で演じる)・下座(三味線)エイコ

申込案内

下記の申込フォームから一回につき一名のみお申し込みできます。記入欄に ①名前 ②メールアドレス  ③メッセージ欄に「11月3日公演」と記入して、送信ボタンをクリックしてください。(ご要望やご質問がある方はメッセージ欄にご記入ください) *申し込み後3日以内に受付完了(参加確定)のメールを送信しますので、メールアドレスはお間違いのないようにお願いします。3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください。 *先着90名ですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

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2016年5月3日火曜日

"Triste plaisir " Gilles de Binchoisー古楽フェスティヴァル〈山梨〉

 毎年このゴールデンウィークの時期に甲府では、古楽フェスティヴァル〈山梨〉、国際古楽コンクール〈山梨〉が開かれている。その一つとして開催された「15世紀の巨匠たち(第28回国際古楽コンクール〈山梨〉優勝者によるコンサート)」に、一昨日出かけた。西欧の古楽を甲府で聴けるのはこの機会くらいしかない。しかもこのコンサートは無料だった。主催者にほんとうに感謝を申し上げたい。

 会場は甲府商工会議所の2階会議室。甲府の街中を会場とする条件と予算の制約のためにこの場所となったのだろうが、これはこれで手作り的な感じがしてよい。あの桜座でもクラヴィコードの展示会があった。コンクールの方は山梨県立図書館の2階ホールで行われた。音楽をめぐる環境に厳しいこの時代で音楽の場を確保するためには、様々な協力を得たり、公立の施設を借りたりするネットワークや知恵が必要だ。どのジャンルでもそれは変わらないだろう。

 今年は佐藤裕希恵(ソプラノ、昨年第28回優勝者)を中心に、福島康晴(テノール)、菅沼起一(リコーダー)、小坂理江(ハープ)、上田美佐子(中世フィドル)の五人のユニットがGuillaume Dufay(1400-1474、ギョーム・デュファイ)等のブルゴーニュ楽派を始めとする15世紀の作品を歌い奏でた。佐藤裕希恵さんの明るく華やかでしかも繊細な声が素晴らしかった。
 僕にとっては初めて聴く作品ばかりだったが、美しい旋律と多声的な響きに心を動かされた。「世俗歌」に分類される歌が多かったが、その世俗のありようにも関心を持った。フォークやロックは現代の世俗歌だ。

 特にジル・バンショワ(1400-1460、Gilles de Binchois)の『悲しき悦び(Triste plaisir)』の美しい響きとフランス語の歌詞に魅了された。詩はAlain Chartier (1385-1433アラン・シャルティエ)。youtubeの音源 【Lena Susanne Norin (Alto), Randall Cook,Susanne Ansorg】を紹介させていただく。(なお、当日のプログラムに翻訳が掲載されていたので、冒頭の四行を引用させていただきます)

        Triste plaisir

  Triste plaisir et douloureuse joye,
  Aspre doulceur, desconfort ennuieux,
  Ris en plorant, souvenir oublieux
  M'acompaignent, combien que seul je soye.


      悲しき悦び

  悲しき悦びとつらい楽しみ
  苦き甘美と苛立ちの癒し
  涙の笑いと忘却の思い出
  私と共にあれ、私は孤独であるけれど。 


 「悲しき悦び」相反する感情、矛盾する感覚。「忘却の思い出」忘れていく記憶、あるいは忘れてはならない記憶。歌の主体はそれらの記憶と共に一人で生きていく。その言葉は500年以上の時、文化や国境を越えて、現在の聴き手にそのまま伝わってくる。

 時に、異なる時代、異なる様式の音楽に触れることは、聴き手として揺さぶられる。自らの音楽体験をふりかえることになる。あたりまえのことかもしれないがそのことを強く感じた。

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