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2016年5月12日木曜日

農鳥のことなど-『桜の季節』5[志村正彦LN129]

 今朝は、昨日の雨も上がり、五月のすがすがしく晴れた空が広がっていた。いつもの場所、勤め先の入口にある桜の樹の向こう側に富士山を見た。雪解けが進んでいた。八合目あたりから上にはまだ残雪がところどころあるが、山肌は青みがかり、夏の富士へと移ろいつつある。これから一月半ほど経つと、すっかり夏山へと変わる。

 日中の気温は29度を超えた。それでもこの時期らしく不愉快な蒸し暑さはなかった。帰宅後、NHK甲府の夜のニュースで、「富士吉田市で、富士山の雪どけに伴って現れる鳥のように見える雪形、『農鳥(のうとり)』が12日確認された」という報道があった。(NHK NEWS WEBにその記事と映像が載っている)

 農鳥はさすがに甲府盆地からは見えない(それらしきものが見えないこともないのだが、形がはっきりしない)。富士北麓の地では春の訪れを告げる風物詩として、農家が農作業を始める時期の目安とされてきた。寒冷のこの地の桜の開花は遅い。桜の季節が過ぎてまもなく五月を迎える。しばらくすると、農鳥が現れる。大地にも街にも活気が出てくる。短い期間で、春から初夏へ、そして山開きの時へと向かっていく。
  志村正彦『桜の季節』の「桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?」にも、このような時節の背景があるのかもしれない。

 数回にわたって、『桜の季節』について書いてきた。この一年間、ある桜の樹を見つめ続け、その経験をもとに考えた。巡り合わせのように視た二つの番組、「桜守」佐野藤右衛門の話、岩崎航の「桜吹雪」の詩にも触発された。番組との出会いは半ば偶然だが、その偶然によって動かされるのは大切な作用となった。今日の農鳥のニュースもそのように働いた。
 『桜の季節』と桜についてまだ書いてみたいことがあるが、季節も移り変わったので、今年はひとまず終わりとする。いつかまた再開したい。季節の循環のように、書くことも循環していく。

 この「偶景web」も開始以来、三年半ほどになる。今年になって、回数が増えた。単純に書いてみたいことが多いからだが、「志村正彦ライナーノーツ」を中心として、他の音楽に関すること、日々の風景や出来事、小さな旅や遠くへの旅など、様々な事柄について記している。お節介ながら紹介したい音源や映像、VF甲府の話題もある。個人的な備忘録のような感じもある。少しでも書くことで、その後展開していく契機を得られる。長文のもの、短文のもの、量や質は異なるが、とにかく続けていくことにする。
 私の住む甲府でのイベント、例えば「桜座」でのライブについては、記録する意味合いもある。東京と異なり山梨では、何かを書き記す人の絶対数が少ない。誰かが書き残しておかねば、忘れられてしまう。そのことへの抗いでもある。

 春夏秋冬、時や季節に応じて、風景を眺めることは心を動かす契機となる。僕の場合、この年になって、それを志村正彦・フジファブリックの歌から教えられた。誇張ではいささかもなく、そう言いきれる。五十歳代の摩り減って衰えた感受性であっても、何かしら動いていくものがある。この動いていくものを少しでも捉え、記してみたい。

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