5月15日、武田神社の甲陽武能殿で行われたCharのアコースティックライヴに行ってきた。
甲陽武能殿は野外の能楽堂。時に薪能が開催されるが、ロックのライブは初めてのことだろう。なぜ武田神社そして能楽堂という場が選ばれたのか分からないが、思いがけない取り合わせはロック的かもしれない。
夕方5時過ぎに開始。日中は27度に届く気温で五月とは思えない暑さ。それでも神社は樹々が豊かで、緑がさわやかだ。舞台前の芝生の広場に席を設けていた。600席ほどだったが、ほぼ満員。年齢層はやはり高いが、若い人も少し混じっているのがうれしかった。
Charはアコースティックギター、他にアコースティックベース、パーカッション、アコーディオン(時にキーボード)という四人編成。PAを通してかなりの音量だったので、純粋なアコースティックライヴとは言えない。
歌と演奏が始まる。独特のグルーブ感があって、ここちよい。数曲の後、ニュー・サディスティック・ピンクの天野滋君が作ってくれた曲だと紹介されたのが、『空模様のかげんが悪くなる前に』だった。
ニュー・サディスティック・ピンク、NSP。1974年の『夕暮れ時はさびしそう』がヒットした。僕らの世代はこの歌をリアルアイムで聞いている。ラジオでよく流れていた。人をひきつける不思議な力を秘めた歌だった。
CharはNSPのギターのバックアップメンバーとして活動し、デビューアルバム『Char』の日本語曲の歌詞を天野滋に依頼したことを大切な思い出として語ってくれた。(以前、志村正彦・フジファブリックの『陽炎』に触発されて、「陽炎」をモチーフとする歌を調べたことがあった。その時、アルバム『Char』の中に『かげろう』という名の曲を見つけた。作詞者はS.Amano。誰なのか。そのときはそのままにしてしまった。この日、Charの話でその名が天野滋だと初めて気づいた。)
2005年、天野滋は病気で52歳の生涯を終えている。
歌はこう始まる。
空模様のかげんが悪くなる前に
ゆくあてのない旅にでよう
昔から人はみな 旅が好きなんだ
北のはてにも 人生があり
南のはてにも 歴史がある
「北のはて」の「人生」、「南のはて」の「歴史」。北へと南へと、想像力が刺激される。言葉の組み合わせ方が独特だ。Charの作ったメロディとリズムが、彼の歌とギターが、その言葉をほどよくドライブしていく。まぎれもなく1970年代の感性なのだが、フォークともロックともニューミュージックとも少しずつ異なり、独自の世界を持つ。youtubeに20年前のライブ映像もある。
間奏部を過ぎて次のように歌われる。
静かな緑に つつまれたなら
耳をすますと きこえるメロディー
それは木もれ日 木の葉の吐息か
北のはてにも 人生があり
南のはてにも 歴史が…woo…
( 『空模様のかげんが悪くなる前に』 作詞:S.Amano 作曲:Char)
「静かな緑」「木もれ日」。Charが歌う能舞台の周辺の風景がまさしくそれだった。時々、木の葉も舞い落ちてきた。 「きこえるメロディー」「木の葉の吐息か」という歌詞につながる光景もあった。歌と現実が重なった。
歌う前、偶然にも、参拝客が拝殿の鈴を振る音がした。会場にも透き通るように響いた。Charは天野君が降りてきたと言った。なにせ「天」野だからとユーモアをまじえて微笑みながら、友を偲んだ。その伝え方には友への想いがあふれていた。
カバー曲も多かった。クリームの『White Room』が素晴らしかった。この曲のプロデューサーはフェリックス・パパラルディだ。回想モードに包まれた。
1985年、マウンテンが再結成されて発表されたアルバム『Go For Your Life』の邦題はなぜか『風林火山』だった。(このアルバムはフェリックスに捧げられた)
志村正彦の幻の歌『武田の心』はどんなロックだったか。
音楽は様々のことを思い出させる。
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