公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込/先着90名 *下記の申込フォームからお申し込みください。

公演内容

公演内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(文学研究 山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて声と身体で演じる)・下座(三味線)エイコ

申込案内

下記の申込フォームから一回につき一名のみお申し込みできます。記入欄に ①名前 ②メールアドレス  ③メッセージ欄に「11月3日公演」と記入して、送信ボタンをクリックしてください。(ご要望やご質問がある方はメッセージ欄にご記入ください) *申し込み後3日以内に受付完了(参加確定)のメールを送信しますので、メールアドレスはお間違いのないようにお願いします。3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください。 *先着90名ですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

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2015年12月4日金曜日

早川義夫、桜座カフェ。

 11月28日、甲府の桜座で早川義夫を聴いた。「悲しみと官能の音楽」と題する、早川義夫(vocal,piano)・熊坂るつこ(accordion)・坂本弘道(cello)の三人のコラボレーションだ。

 前回ここで聴いたのは2010年10月のこと、「早川義夫・佐久間正英」ライブだった。確か山梨初のライブだったせいか、客もたくさんいて、通常のホールが会場だった。早川と佐久間のユニットのみが構築できる音で桜座が満たされていたことを想い出す。今回はホール手前の小さなカフェのスペースで開かれた。客も三十数人ほどと少し寂しい入りだった。もう冬の季節。カフェの土間から冷気が上がる。

 ライブが始まる。
 カフェのフロアから少しだけ高い位置に座り、ピアノを弾きながら彼は歌う。こちらもフロアで椅子に腰掛けて聴く。歌い手と聴き手との間の距離は数メートルあるが、座る位置、高さがそんなに変わらないせいか、耳に音がリアルに飛び込んでくる。早川義夫の身体の動き、声や息のうねりがダイレクトに届く。熊坂るつこがアコーディオンを、坂本弘道がチェロを奏でる動きも生々しく伝わってくる。
 桜座の通常の会場、ホールでは床面に座るのだが、それとは聴く位置、音の響きも異なり、新たな発見があった。

 歌とは、言葉である前に、声や息であり、声や息を運ぶ身体そのものの振動である。そんなことが自然に浮かぶ。
 そもそも、彼の歌は「意味」として捉えられることを拒んでいるところがある。あるいは、「意味」とは異なる次元に歌を築いていると言うべきだろうか。

  ここで、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という小林秀雄の言葉(『無常といふ事』)を想起するのは、あまりにおあつらえむきの展開だろうか。
 それでも、この言葉の枠組で語らせてもらうのなら、早川義夫のソロの歌、1994年の復帰後の歌は、いわゆる「歌の解釈」というものに対する「プロテスト」だ。歌を「意味」とは異なる次元へ解き放つ試みと言ってもいい。どこへ解き放たれていくのか。言葉にするのは難しい。これもまた言葉を拒んでいる。

 この試みはジャックス時代と異なる。そして、それゆえ、復帰後の彼の聴き手は、以前ほどの広がりを得ることができない。彼の歌を愛するものの一人として、それはきわめて残念なことだが、必然であり不可避でもあると考えるしかない。

 それだけ早川義夫の歌は孤絶している。
 そのような歌がこの時代に存在する。そのかけがえなさに、現代の聴き手は気づいてない。

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