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2015年12月17日木曜日

下岡晃(Analogfish)、『夕暮れ』から『茜色の夕日』へ。

 外から夕方5時のチャイムが聞こえてくるとまもなく、下岡晃の登場。椅子に座り、アコースティックギターを奏でる。

 カバー曲だろうか、知らない歌から始まった。続いて『GOLD RUSH』。「シャッターばかりが異様に目立つ駅前通りをゆっくり流す」と歌い出される。彼の故郷近くの飯田市と富士吉田市の街並みが似ているというMC。今はシャッター通りという共通性もあるのだろう。
 数曲を経て、「胸骨と胸骨のすき間に 真ん丸い大きな穴が あいたので」という無気味な言葉が抑揚のない語りのように歌わる。『夕暮れ』だ。

  「夕暮れです 夕暮れです 夕暮れ」って サイレンが サイレンが鳴る
  夕暮れ 死者数名。

  夕暮れのオレンジの粒子が 蒸発して
  反射して 光ってる様が好きなんだ。

 「夕暮れ」は、視覚というよりも聴覚を刺激する音として表されている。サイレンが鳴り、「死者数名」と告げる。サイレンの音とオレンジの光が乱反射して、生と死の境界が踏み越えられる。生きる場が「グラグラ」と揺らいでいる都市生活者の静かな悲鳴のように「夕暮れ」が連呼される。つかの間、すぐに次の歌が始まった。

  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すことがありました

 『茜色の夕日』だった。突然、「志村正彦」という名も『茜色の夕日』という名も触れずに歌い出された。予想外の展開に、どこか緊張感のようなものが生まれた。この歌が、他ならぬ富士吉田でそして下岡によって歌われたという驚き、喜び、そして哀しみを伴う複雑な感情と共に。

 引用でそのまま記したように、下岡は意識的にか無意識的にかあるいは単なる錯誤か分からぬが、「思い出すこと」と歌った。志村は「思い出すもの」と書いた。「もの」か「こと」か、その差異が気になり、歌を追うことが少し遅れてしまう。(このことは機会を改めて書いてみたい)僕の位置からは彼の表情はうかがえない。なんとなく直視できないような気持ちもあり、耳を澄まして聴くことに集中した。
 次第に、声に力が込められていく。

  僕じゃきっとできないな できないな
  本音を言うこともできないな
  無責任でいいな ラララ
  そんなことを思ってしまった

 記憶の中の聴き取りを言葉にしてみた。「無責任でいいな ラララ」はひときわ大きく、高く、強く歌い上げられた。『茜色の夕日』が下岡晃の声と息によって命を吹き込まれたように感じた。歌い終わると、ぼそっと「いい歌だね」と呟いた。そこで終わった。
 結局、志村の名も曲名も何も言われなかった。沈黙のままに、沈黙のままだからこそ、伝わるものがある。そのことが歌い手と聴き手の間に共有されていた。


 歌だけが存在していた。だからこそ、不在の志村正彦が存在していた。


 下岡のライブは、現在の状況と対峙する『抱きしめて』でひとまず閉じられた。淡々とした歌い方が続いたが、クールな熱情とでもいうべきものが強く感じられた。
 下岡晃・アナログフィッシュの『夕暮れ』と志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』。オレンジ色の風景と茜色の風景。
 人工的な「オレンジ色」は、都市生活者の憂鬱や悲哀が熱をおびて発光しているかのようだ。それに対して「茜色」は、「子供の頃のさびしさが無い」「短い夏」、「見えないこともない」「東京の空の星」という季節や風景、迂回された形で描かれる自然を想起させる。下岡と志村の資質や世界は異なるが、きわめて優れた「都市の歌」の作り手、歌い手としての同時代性がある。

 2015年12月、富士吉田のリトルロボット。
 下岡晃は『夕暮れ』から『茜色の夕日』へと、大切なものをリレーして走り続ける走者のようだった。

   (この項続く)

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