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2015年12月14日月曜日

佐々木健太郎&下岡晃(Analogfish)ツアー、富士吉田・リトルロボット。

 昨夜、12月13日、富士吉田のリトルロボットで開かれた佐々木健太郎&下岡晃の「真夜中の発明品ツアー ~虹のない人生なんて~山梨編ツアーファイナル!!~」に行ってきた。
 
 小雨が降るあいにくの天気の中、甲府から御坂峠を抜けると、そこに見えるはずの富士山はやはりない。山梨県民の僕らはまあよいのだが、県外から来られた方は残念なことだろう。新トンネルのおかげで今日も1時間ほどで吉田に着く。新倉山浅間神社近くの「しんたく」で吉田うどんをいただく。いつもは何も入っていないかけうどんだが、天ぷらうどんにした。寒い時期はこってりした野菜天ぷらが美味しい。身体もほかほかしてくる。

 開演時間まで間があるので、春にリニューアルオープンした「ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)に寄る。駐車場から博物館までの並木のある道沿いに富士講信者の宿坊「御師の家」が移築されている。霧雨が煙る中、この道が博物館へのアプローチになっている。江戸時代に時をさかのぼるような気分になる。

 博物館の展示は、最新の映像技術を駆使して、親しみやすく分かりやすいものになるように工夫されていた。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という視点で世界文化遺産になったためか、歴史民俗の博物館の性格を強めているのだろう。初めて知ることも多く勉強になった。
 甲府で暮らしているが、であるがゆえにか、にもかかわらずと言うべきだろうか、富士山や吉田はやはり少し遠い存在であり、まだ知らないことの多い場であることを再認識できた。富士吉田に行かれる方はぜひ見学されることを勧める。

  博物館を出て北口本宮冨士浅間神社の前を通り、右折。富士道、本町通を、上吉田から下吉田へと下っていく。先ほどの展示室の地図にあった御師の家跡が左右にところどころある。江戸時代のにぎわいを想像する。吉田という街並みそのものに江戸の文化が染み通っているのかもしれない。
 前回書いたことだが、浜野サトル氏はblog『毎日黄昏』で志村正彦の歌を「都会の少年の詩」だと読みとっている(「響き合い」)。通りを下りながらその指摘が浮かんできた。確かに、彼の詩には「街」や「路地裏」の雰囲気が漂う。
 吉田と江戸。富士講や登山のつながりによる歴史的な関係。近代に入ると、絹織物の産業による東京や横浜との交易。その記憶や残像のようなものがどこかで志村少年に作用していたのかもしれない。

 金鳥居を過ぎ、下吉田の街へ。シャッター街と化してしまった通りの中で「リトルロボット」を見つける。月江寺近くのこの地域にはまだ少し活気がある。通りを少し下って「TORAYA」に寄り、ショートケーキを二つだけ買う。近くに駐車して会場に入った。
 「リトルロボット」はこの通りの空き店舗を改装して造られたコミュニティカフェで、ペレットストーブの展示販売もしているそうだ。様々なイベントの場となることも目指していて、今回、「どうしておなかがすくのかな企画」の勝俣さんが佐々木健太郎・下岡晃の両氏に呼びかけてこの企画が実現した。彼は甲府の桜座やハーパーズミルでも素晴らしいライブを主催している。仕事を持ちながら、山梨で音楽を聴く場を広げようとしている「志」のある方だ。以前から富士吉田でこのような企画を考えていたようで、ようやく実現することになり、とても喜ばしい。
 会場は気持ちのいい空間だった。ペレットストーブも焚かれていて、あたたかい。座席は四十ほどで満員だった。このライブが告知されるとすぐに売りきれとなったそうだ。

 今年は8月にハーパーズミルで佐々木健太郎と岩崎慧(セカイイチ)、10月に桜座でanalogfish(佐々木健太郎・下岡晃・斉藤州一郎)とmools、そしてこの12月にこの場所で佐々木健太郎と下岡晃を聴くことになった。
 いろいろと感じ、考えることも多かったので、二人の歌については次回以降具体的に書くことにしたい。それでも全体の印象を簡潔に書くとすると、とてもとても素晴らしい歌の会であり、一日経った今も、その余韻が残り続けている。
 佐々木健太郎と下岡晃という現在の「日本語の歌」の歌い手、作り手として最高の水準にある二人が各々そしてコンビとして歌うのを間近で聴くという贅沢な時間を過ごすことができた。上手に形容できないのだが、これまでの僕のライブ経験の中で最も、とてもあたたかいものが心にしみこんでくる「歌の会」だったと言える。

 そして、下吉田という場で開かれたこのライブには、ことさらに言われるのではなく、その名の宣伝という形もとられずに、それでもみんなの想いとしてひそかに共有されているものとして、志村正彦という不在の存在があった。

   (この項続く)

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