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2015年12月31日木曜日

三つの系列-『若者のすべて』20[志村正彦LN118]

 『若者のすべて』についての「批評的エッセイ」の連載も今回で20回目を迎える。関連した回を含めると25回を数える。

 三年前、2012年12月末、富士吉田で『若者のすべて』のチャイムを聴いたことが契機となり、翌年3月にこの歌について書き始めた。6月からは、「ー『若者のすべて』1」というように付番しながらシリーズとして展開していった。2013年は12回まで終えた。
 夏になるとこの歌が話題となる。だから、夏に書き出し、秋や冬の始まりの頃までに書き終わるというのが習慣のようになってしまった。昨年は13回から15回まで、今年は16回から今回の20回まで書くことになった。

 冒頭で記したように、筆者としては「批評的エッセイ」の試みとして書いてきた。歌詞の語りの分析や資料に基づく考察を書く「批評的」側面と、「私」あるいは「僕」という聴き手を通した経験、風景や出来事から触発された想いを述べる「エッセイ」的側面。その二つを追求しようとした。その意図が実現しているかどうかは心もとないが、何か新しいことを試みることがこの連載を続けるモチベーションになっている。

 2015年、今年は、柴崎コウのカバーの話題から始まった。初の女性ボーカルによるカバー。この歌が女性によって歌われることで、この歌の新しい風景が描かれた。 
 10月10日には、フジテレビ『MUSIC FAIR』で、柴咲コウと現在のフジファブリックがコラボレーションしてこの曲を演奏した。柴崎から、現在のボーカル山内総一郎へとリレーしていった。キーが変わる演出には少し驚いた。伊東真一(HINTO、堕落モーションFOLK2)がギターのサポートをしていたのは嬉しかった。彼は「大好きな曲をまたみんなと演奏させてもらえて幸せでした。」とtwitterで呟いていた。

 この日最も印象に残っているのは、柴咲コウの帽子姿。グレー色のハットを被り、綺麗な声で歌っていた。すぐに、志村正彦の帽子姿が浮かんできた。
 彼は、2006年12月の渋谷公会堂のステージでハットをたまたま被り出したそうだ。それ以来、ライブ映像でもアーティスト写真でも帽子姿が多くなる。「晩年」という言葉をあえて使うが、晩年の志村正彦と帽子、その印象は不思議なほど結びついている。記憶に強く残る。

 まだ数日前のことだ。25日クリスマスの夜、テレビをつけて、BSチャンネルをupさせていくと突然、「街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ」という声と字幕が耳と目に飛び込んできた。『若者のすべて』だ。槇原敬之が歌っていた。データを見ると、BS-TBSの『槇原敬之 Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し』という番組だった。この放送のことは全く知らなかった。途中からなのが少し残念だったが、たまたま見られたことを喜んだ。

 内容は昨年発売された同名のDVDの映像と同じようだが、BSとはいえ、テレビというメディアで放送されことは嬉しい。より多くの人がこの歌を知るきっかけともなるからだ。ネットで調べるとこの日が初放送らしい。志村正彦の命日の12月24日の翌日の放送というのは単なる偶然だろうが、この偶然にも感謝したい。ファンにとっては思いがけない贈り物となった。
 槇原敬之はやはり上手い。言葉を丁寧に扱う。彼の歌う『若者のすべて』は、少し情けないところもある男のブルースのようにも聞こえる。

 2015年の現在、『若者のすべて』は柴咲コウや槇原敬之という時代を代表する歌手にカバーされ、テレビで放送されるなど、高く評価されている。最近、フジファブリックと同世代のバンド、THE BACK HORNもライブでカバーしたそうだ。
 すでに若者の歌、夏の歌の「定番」ソングのようにして親しまれている。しかし、発表当時はそうではなかった。
 「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)を連載の前回部分と一部重複するが引用したい。志村はこう語っている。


ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…


 「精魂込めて作った」「達成感もある」「ターニングポイントである」「すべてに気持ちを込めた」というような過剰な表現を、志村はインタビューであまり使ったことがない。それほどこの作品は彼にとって重要なものだった。皮肉なことに、「意外と伝わってないというか……」の「ないというか……」にはこの歌のモチーフでもあった「諦めの気持ち」に近いものも読みとれる。悔しさ、やるせなさのようなものが素直に述べられていて、痛々しい感じさえする。

 確かに、シングル『若者のすべて』やアルバム『『TEENAGER』のレビューをいくつか読んでみても、この作品は少なくとも現在ほどの評価は得ていなかった。良い作ではあっても、フジファブリックらしくないというような声があったようだ。歌詞にしろ楽曲にしろそれまでの作風とは幾分か異なっていたので、ファンもどう受け取っていいのか分からなかった可能性もある。
 なぜ『若者のすべて』が、志村が込めた「すべて」の想いほどには、受け入れられなかったのか。この問いに対しては、事実がそうであった、という現実を確認することしか今のところはできない。(これについてはいつか考察してみたいが)

 しかし繰り返すが、今日、この歌はたくさんの聴き手を得ている。若者だけでなく、多くの世代から支持されている。結果として、この歌が人々に届くまでには「時」が必要だった。
 安部コウセイは 『MUSIC FAIR』放送後のtwitterで「若者のすべては時代を越えていく曲ですね」と呟いた(10月10日@kouseiabe)。
 来年になればまた新たな聴き手そして歌い手を、この歌は獲得していくにちがいない。「時」が必要だった分だけ、それ以上に、はるかに、「時」を超えて、この歌は生き続けていく。
 今回は20回目という区切りになるので、公式サイトからミュージックビデオをこのblog上では初めとなるが紹介したい。




 歌の解釈や分析は、論者の設定するモチーフや系列、分析の枠組によって変化していく。この論は、あたりまえのことであるが、私自身による試論であり私論にすぎない。誰もが多様に自ら読みとることができる。
 歌は開かれている。歌は自由だ。

 今年は戦後70年を迎えた。若者たちによって新しい運動も起きた。社会の現実に向き合うことは私たちの権利であり、それ以上に義務である。義務であるからこそ、時間をかけて、対話する必要がある。多様な視点から深く考えることが、社会や世界の方から私たちに向けて要請されている。

 先の引用にあるように、『若者のすべて』の「ないかな ないよな」には世代や社会に対する問いかけも含まれていた。そうであれば、「世界の約束を知って それなりになって また戻って」という歌詞の一節もより広い文脈や背景の中で捉え直すことができる。「世界の約束」という言葉の重みも増してくるだろう。「運命」や「途切れた夢」という表現も別様の解釈が生まれる余地もあるかもしれない。
 
 私は、第1回から12回まで、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」に収束される、歌の主体「僕」という一人称単数で指し示される「一人」「単独者」の歩行の系列と、「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」に集約される、「僕ら」という一人称複数で示される「二人」の再会、その背景にある「花火」を巡る系列という、二つの系列という枠組でこの歌を分析してきた。

 今年の考察ではその二つに加えて、「世代」「社会」という第三の系列を見いだすことができた。資料の読み直しによるものだが、現実からの触発もあった。
 志村正彦は、「僕」と「僕ら」を超えてそれを包含するものとしての「世代」、それが直面する「社会」という視点をある程度までこの歌に込めたと言える。

  「僕」、「僕ら」、「世代」という三つの系列が『若者のすべて』の「すべて」を構成している。20回目の今回、そのような考えにたどりついた。
 この歌になぜ「若者」「の」「すべて」という題が付けられたのか、その問いに対する一つの答えが少しだけ見えてきたのかもしれない。

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