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2015年12月19日土曜日

継がれていく『茜色の夕日』[志村正彦LN117]

 今日12月19日から27日まで、富士吉田の夕方5時のチャイムが、志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』に変わる。彼がこの歌を作るために音楽家になったという作品のメロディが故郷で奏でられる。

 富士吉田市役所によって2011年12月から始まり、もう八度目になる。行政の試みとしては特筆すべきものだ。これからの地域と音楽との関わり方の具体例のひとつを示している。当然、市民の中には、志村への想いがある人もいれば、彼のことを全く知らない人もいるのだろうが、そのことを離れてみても、この楽曲の調べそのものが美しく、どこか郷愁を誘う。冬の吉田の空と冷たい外気によく合う。
 
 前回は、13日、下吉田のリトルロボットで下岡晃が歌った『茜色の夕日』について書いた。佐々木健太郎も二年前の12月に歌ったことがあるそうだ。
 「TOTE(トート)」という音楽サイトに掲載された記事「2013.12.15 三重・四日市 カリー河 佐々木健太郎(アナログフィッシュ) 弾き語りソロライブ REPORT」[2014.01.14](文/撮影:山岡圭) を引用させていただく。

「一昨日、GO FOR THE SUNというイベントを、フジファブリックとHINTOとで8年ぶりにやりました。楽しかったけど、志村くんがいたらもっと楽しかった。だから今日はフジの曲をやります」と言って、『茜色の夕日』。2009年に急逝したフジファブリック・志村正彦の歌を、言葉をしっかり掴み取るように丁寧に歌い込む。歌はこうやって彼を想う仲間によって継がれ、いつまでも鮮やかな色を放つ。そしてそれを聴ける幸せを噛み締めた。

 筆者の山岡氏が言うように、『茜色の夕日』は歌い継がれ、語り継がれ、吉田ではチャイムとなって、今もおそらくこれからも人々の記憶に残り続ける。

 佐々木健太郎が言及している「GO FOR THE SUN」のイベントは、2005年、アナログフィッシュ、フジファブリック、SPARTA LOCALS(作風は異なるが実質的な後継バンドがHINTOになる)の三つのバンドの合同企画によって行われた。2005年11月23日、恵比寿のLIQUIDROOMで開かれたファイナルのアンコールでは、あの『今夜はブギーバック』(スチャダラパー+小沢健二)が歌われた。その映像がyoutubeにあり、すでに二十二万回を超える再生回数となっている。志村ファンにとってはもうなじみの映像であろうが、この機会にここでもリンクさせていただく。



 
 小沢健二のパートを志村正彦と佐々木健太郎が歌い、スチャダラパーのパートを下岡晃と安部コウセイ(SPARTA LOCALS、現在はHINTO・堕落モーションFOLK2)が語っている。3バンドのボーカル4人の共演。貴重な動画だ。佐々木、下岡晃、安部が堂々としているのに対して、志村はステージの端の方にいて、終始、真中の方を斜め目線で見ながら控えめに歌っている。途中で工藤静香の「L字」の振り付けらしきものを披露する。なんだかヘンテコで、フロントマンらしからぬ振る舞い。「ここにあらず」という風情が彼らしいといえば彼らしい。とても愉快な映像なのだが、見るたびに哀しくなるところもある。

 2005年11月のライブなのでちょうど十年になる。アナログフィッシュとHINTOの作品は、その言葉も楽曲も、あの頃よりさらに深化している。

 志村正彦は同時代のバンドとしてアナログフィッシュを高く評価していた。
 LOFT PROJECT"Rooftop"掲載の「メレンゲ×フジファブリック:ヴォーカリスト対談 クボケンジ(メレンゲ)×志村正彦(フジファブリック)ー新宿ロフトで出会い、共に“SONG-CRUX”卒業生の2人が語る内なる“ロック”的なもの-」[2004.11.15]でこう述べている。

志村 学生の頃は冴えなくて、引きの感じなんですよ。いろんな人に憧れてばかりで。でも、僕はバンドをやり始めて、曲を作っていく上で“いい”って言ってくれる人がいて、プラス思考になって。それで、音楽は辞められないなって思った。自分のなかでそういったことを感じられたことがロックだなって。音楽人生、みたいな
 (中略)
志村 ステージに立った瞬間に何か“ボン”と出るものがあって。いつもは出ない何かが出るものがあって。観る人はそういった人に興味ありますね
──最近、同世代でそこまでの凄さを持ったロックの人って思えば少ないよね。
クボ 突出したものは少ないのかな? って思うことはあるよね
志村 同世代だとアナログフィッシュとか
クボ そうだね、凄いものを感じる

 2010年7月の「フジフジ富士Q」以来、同世代の仲間の音楽家が志村の故郷で彼の作品を演奏したことはなかったように思う。下岡晃は『夕暮れ』から『茜色の夕日』へと何かをリレーするように歌った。ことさらに言葉として発言するのではなく、その人の歌を歌うというのは音楽家にしかできない行為だ。ひとつの追悼のあり方だろう。

 先ほど、今日のチャイムの映像がkazz3776さんによってyoutubeにUPされていることを知った。僕のように行けなかった人にとってはとても有り難い。




 富士急行線から下吉田駅そして富士山へとカメラがパンしていく。電車や車の音も入っているが、逆に土地の生活の匂いがして良い。深い青の空に富士の稜線が綺麗に浮かんでいる。最後に月も写っている。今日、山梨は快晴だった。天気にも恵まれ、この映像は今までのチャイム映像の中でも最良のものだろう。

 今回は、下岡晃、佐々木健太郎、各々の『茜色の夕日』と、今日の夕方5時の『茜色の夕日』のチャイムに触発されて書いた。ことごとしく書くのは下岡氏と佐々木氏の「志」に反しているかもしれないが、山梨での志村正彦に関わる出来事はできるだけ「記録」として書き残していくのが、このblogの役割だとも考えているので、ここに記させていただいた。

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