2026年3月5日木曜日

『ダニー・ボーイ』の唄-『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台と小説5

  小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に戻りたい。

 「世界の終り」(以下「世界」)パートの主体〈僕〉は、〈君〉〈彼女〉(司書の女性)の〈心〉を取り戻そうとする。22章「灰色の煙」で、〈君〉〈彼女〉は〈母〉の特別な〈独り言〉のことを想い出す。

「ええ、何かとても奇妙なアクセントで、言葉をのばしたり縮めたりするの。まるで風が吹いているような具合に高くなったり低くなったりして……」
 僕は彼女の手の中の頭骨を見ながら、ぼんやりとした記憶の中をもう一度まさぐってみた。今回は何かが僕の心を打った。
「唄だ」と僕は言った。

 〈母〉の特別な〈独り言〉は唄だった。この唄が母と子を結びつける重要な伏線となる。

 「世界」パート34章「頭骨」で〈僕〉は〈君〉に次のように語る。

 君の中にはたぶん心の存在に結びついている何かが残っているんだと僕は思う。でもそれが固くロックされて、外に出てこないだけなんだ。

 君の中にはお母さんの記憶を媒体として、その心の残像か断片のようなものが残っていて、それがおそらく君を揺さぶっているんだ。そしてそれを辿っていけばきっと何かに行きつけるはずだと僕は思う

 母の記憶を媒体とする心の残像か断片が〈君〉を揺さぶる。そこから〈心〉に行き着くことができると〈僕〉は考えている。その鍵となるのは音楽だ。〈僕〉は〈彼女〉を連れて、楽器があるという森の中の発電所に行く。そこには様々な種類の古い楽器があり、〈僕〉は管理人から手風琴をもらう。

 「世界」パート36章「手風琴」で、〈僕〉は〈手風琴〉を弾いてコードを探していく。

 そのとき何かがかすかに僕の心を打った。ひとつの和音がまるで何かを求めているように、ふと僕の中に残った。〔……〕
 それは唄だった。完全な唄ではないが、唄の最初の一節だった。僕はその三つのコードと十二音を何度も何度も繰りかえしてみた。それは僕がよく知っているはずの唄だった。
『ダニー・ボーイ』
 僕は目を開じて、そのつづきを弾いた。題名を思いだすと、あとのメロディーとコードは自然に僕の指先から流れでてきた。僕はその曲を何度も何度も弾いてみた。メロディーが心にしみわたり、体の隅々から固くこわばった力が抜けていくのがはっきりと感じられた。久しぶりに唄を耳にすると、僕の体がどれほど心の底でそれを求めていたかということをひしひしと感じることができた。

 僕〉が『ダニー・ボーイ』の唄を心の底で強く求めていた理由が語られることはないが、おそらく、〈僕〉と〈彼女〉との関係において記憶に残る唄だったのだろう。
 この後で〈僕〉はある覚醒へと至る。この覚醒は〈壁〉のある〈街〉の真実につながっていく。

 僕はずいぶん長いあいだその曲を繰りかえして弾いてから楽器を手から離して床に置き、壁にもたれて目を閉じた。僕は体の揺れをまだ感じることができた。ここにあるすべてのものが僕自身であるように感じられた。壁も門も獣も森も川も風穴もたまりも、すべてが僕自身なのだ。彼らはみんな僕の体の中にいた。この長い冬さえ、おそらくは僕自身なのだ。

 つまり、〈街〉にあるすべてが〈僕〉自身であることに気づいたのだ。これがこの物語の最終的な伏線となる。
 そして、〈彼女〉にも変化が訪れる。彼女が〈心〉を取り戻す一歩を踏み出す。

 僕が手風琴をはずしてしまったあとでも、彼女は目を閉じて、僕の腕を両手でじっと握りしめていた。彼女の目からは涙が流れていた。僕は彼女の肩に手を置いて、その瞳に唇をつけた。涙はあたたかく、やわらかな湿り気を彼女に与えていた。ほのかな優しい光が彼女の頼を照らし、彼女の涙を輝かせていた。しかしその光は書庫の天丼に吊された薄暗い電灯のものではなかった。もっと星の光のように白く、あたたかな光だ。
 僕は立ちあがって天丼の電灯を消した。そしてその光がどこからやってくるのかをみつけることができた。頭骨が光っているのだ。部屋はまるで昼のように明るくなっていた。〔……〕
 それは素晴しい眺めだった。あらゆるところに光が点在していた。

 音楽、『ダニー・ボーイ』のメロディーが〈僕〉を覚醒させ、〈彼女〉に〈心〉を回復させていく。この重要な場面で一角獣の頭骨が光り出す。舞台でもこのあたりの光の演出が工夫されていた。


 「世界」パート36章「手風琴」に先立つ「ハードボイルド・ワンダーランド」パート35章「爪切り、バター・ソース、鉄の花瓶」で、〈私〉は図書館司書の〈彼女〉といっしょのビング・クロスビーのレコードを聴く。その曲が『ダニー・ボーイ』だった。

 私はビング・クロスビーの唄にあわせて「ダニー・ボーイ』を唄った。
「その唄が好きなの?」
「好きだよ」と私は言った。「小学校のときハーモニカ・コンクールでこの曲を吹いて優勝して鉛筆を一ダースもらったんだ。昔はすごくハーモニカが上手くてね」
 彼女は笑った。「人生というのはなんだか不思議ね」
「不思議だ」と私は言った。
 彼女がもう一度『ダニー・ボーイ』をかけてくれたので、私ももう一度それにあわせて唄った。二度めにそれを唄うと、私はわけもなく哀しい気持になった。

 この『ダニー・ボーイ』という音楽が、「世界の終り」パートと「ハードボイルド・ワンダーランド」パートをつなぐ媒介となる。「ハードボイルド・ワンダーランド」の〈私〉が好きだった『ダニー・ボーイ』のメロディを「世界の終わり」の〈僕〉は〈手風琴〉を弾いていくうちに想い出す。小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の読者はこの地点で、〈私〉が〈僕〉であり〈私〉が〈僕〉であることに気づく。

 『ダニー・ボーイ』(Danny Boy)は、1913年にイギリスの弁護士フレデリック・ウェザリーがアイルランドの民謡「ロンドンデリー・エア」に歌詞を付けたバラードである。戦場へ息子を送り出す親の心情を語る歌、恋人への別れの歌、アメリカへ渡る移民を見送る歌などの解釈があるようだ。

 YouTube にビング・クロスビーの『ダニー・ボーイ』があった。1945年の録音である。

 Bing Crosby- Danny Boy (1945)


 たくさんの歌手にカバーされているが、エルヴィス・プレスリーの歌詞対訳付きのヴァージョンがあったので添付させていただく。

 (歌詞対訳) Danny Boy - Elvis Presley (1976)


 ビング・クロスビーの抑制のある穏やかで落ち着いた声、エルヴィス・プレスリーの情感豊かな甘やかな声、どちらのヴァージョンにも聴き入ってしまう。特に次の歌詞の部分だ。

But if ye come, when all the flowers are dying,
If I am dead, as dead I well may be.
Ye'll come and find the place where I am lying.
And kneel and say an Ave there for me.


 小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」パートでは、『ダニー・ボーイ』は〈君〉〈彼女〉の母の〈心〉を象徴している。そしてまた、〈君〉〈彼女〉の〈心〉を回復させていくもの、〈僕〉の記憶を想起させるものとなっている。

  (この項続く)

0 件のコメント:

コメントを投稿