今日、7月10日は志村正彦の誕生日。存命であれば三十六歳を迎えた。三十代後半になると「若者」という在り方から離れていくことが加速する。
二年前はこの時期に、甲府で『ロックの詩人 志村正彦展』を開催した。(今年は、今年もと書くべきでしょうが、僕たちによる企画はありません)
現在はこのblogを書き続けることが活動の中心だ。最近、すこしだけレイアウトを変更した。これまで「偶景」「詞論」というラベルがあったが、細かい区分をしてもあまり意味がないのでそれを止めて、ラベルやインデックスの構成も変えてみた。それに伴い、ラベル名の通番の削除や表現の修正を施した記事がある。内容については変更していない。
十回にわたり、フェルナンド・ペソアの足跡を訪ねる小さな旅について書いてきた。昨年の夏からあたためてきた原稿だが、春と夏の間のこの時期を見計らって掲載した。志村正彦の歌には季節感があるので、春、夏、秋、冬の季節の盛りの時には書くことが多くなる。だから、彼のこと以外の記事で複数回にわたるものを載せるには季節の狭間の時期がよい。
誕生日ということで、連載でも引用したペソアの異名、アルベルト・カエイロの詩の一節をふたたび紹介したい。
私が死んでから 伝記を書くひとがいても
これほど簡単なことはない
ふたつの日付があるだけ──生まれた日と死んだ日
ふたつに挟まれた日々や出来事はすべて私のものだ
この「志村正彦LN」は彼についての「伝記」を書いているわけではないが、作品を読むことを通じて、結果として「伝記のようなもの」に近づくこともある。だから、ペソア=カエイロの言う「簡単なこと」を忘れてはならないだろう。戒めにもなる。
生と死の日付に「挟まれた日々や出来事」は確かに、すべて詩人のものだ。その二つの日付が「伝記」のすべてだという考え方もあるだろう。ただし、詩人は詩という作品を通じて、彼の「日々や出来事」を他者である読み手に与える。彼の人生を分割し分与する。
昨日は大雨が続き、夜は久しぶりに涼しかった。一夜明けて、雲は残るものの夏全開のような7月10日だ。梅雨はまだ開けていないが、夏が全力で駆け始めている。
夏の初めに生まれた志村正彦は、真夏、そして夏の終わりの季節を繰り返し歌った。夏の始まりから終わりにかけてが、あたかも彼の季節であるかのように。
真夏の午後になって うたれた通り雨 どうでもよくなって どうでもよくなって (『星降る夜になったら』)
そのうち陽が照りつけて 遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる (『陽炎』)
真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた (『若者のすべて』)
悲しくったってさ 悲しくったってさ 夏は簡単には終わらないのさ (『線香花火』)
短い夏が終わったのに 今 子供のころのさびしさが無い (『茜色の夕日』)
誕生の季節がどのような影響を詩人に与えるのかは分からない。全く関係のないこともあり、偶然もあるのだろう。志村の場合、詩人が夏を意識していたというよりも、夏が詩人をつかんで離さなかった。漠然とだがそんな気がする。
夏という季節は、太陽の強い光とその影が、あらゆる感情を曝け出し、逆に押さえつけ、隠す。数々の夏の歌。「どうでもよくなって どうでもよくなって」「悲しくったってさ 悲しくったってさ」「子供のころのさびしさが無い」。感情が陽炎のように揺れている。
一週間ほど前、アルバム『フジファブリック』のアナログ盤レコードが届いた。新しい媒体による音源なので、志村正彦・フジファブリックの「新譜」だ。開けるのがもったいない気がして、まだ封を切っていない。部屋に『ロックの詩人 志村正彦展』のポスターを張ってあるのだが、その近くにレコードを置いて、ジャケットを眺めている。学生時代、このようにしてレコードを飾っていたことを思い出す。昔、LPレコードは高価だった。大切な贈り物のように受けとめていた。
30センチ四方の大きなジャケットの絵の印象はCD盤とはずいぶん異なる。オリジナルのCD盤のart direction は柴宮夏希と志村正彦。二人のアイディアがレコード盤になってようやく具現化されたのかもしれない。
眼差しの虹。七つの色が広がる。
フジファブリックの五人、志村正彦・金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎・足立房文の顔が陽炎のように揺れている。モノトーンの白と黒、光の質感によって、氷柱に刻まれているメンバーの顔が夏の熱で溶け始めているようにも見える。
「夏」を強く感じる。
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