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2016年7月3日日曜日

金箔師通りの「砦」[ペソア 9]

 フィゲイラ広場からコメルシオ広場あたりまでの地区は「バイシャ」と呼ばれる。整然とした通りに商店やカフェが並ぶ。下町の綺麗な商業街といった風情だ。
 ペソアがこの界隈を歩く写真が残されている。
 
Wikipedia より

 フィゲイラ広場を後にして、プラタ通りをテージョ川方向に歩いていく。プラタ通りのひとつ東側に金箔師通り(Rua dos Douradores)がある。ポルトガルの銘品「金箔飾り」ゆかりの名だろう。『不安の書』の話者「ベルナルド・ソアレス」が務めている繊維問屋はこの金箔師通りにあるという設定だ。
 17章でソアレスは次のように語る。彼は帳簿係の補佐だった。

 今日、わたしの生活の精神的な本質の大部分を構成している、目的も威厳もない夢想に耽っていて、自分が金箔師通りから、社長のヴァスケスから、主任会計係のモレイラから、従業員全員から、使い走りの若者から、給仕から、猫から永遠に自由になったと想像した。 

 会社勤めからの自由の夢想を書いている。「猫」からも永遠に自由になる想像とはどういうものだろうか。読んでいて微笑んでしまうのだが。
 これに続く部分では、社長や同僚に信頼をよせていることも述べている。孤高の人ソアレスはこの仕事場を自分の「砦」のひとつとして考えていたようだ。

 わたしは、ほかの人たちが自分の家庭へ帰るように、金箔師通りの広い事務所、我が家ではない場所へ帰る。生きることから守ってくれる砦でもあるかのように自分の机に近づく。他人の勘定を記入しているわたしの帳簿や、わたしの使っている古いインクスタンドや、わたしよりも少々奥で送り状を書いているセルシオの曲がった背中を見ると、わたしは優しい気分、目頭が熱くなるほど優しい気分になる。こういうものに愛情を感じるのは、おそらく、わたしには愛すべきものがほかに何もないからであろうし、あるいはまた、おそらく、人が愛する価値のあるものは何もないからなのであろう。

 「帳簿」「インクスタンド」そして「セルシオ」への眼差しには、ソアレスそして作者ペソアの感情の「地」を感じる。「愛すべきものがほかに何もない」と「愛する価値のあるものは何もない」と語っているが、その理屈を額面通りには受けとれない。「優しい気分、目頭が熱くなるほど優しい気分」という「気分」の方がペソアらしい。自己憐憫が投影されたものではなく、日常の細部への繊細な「情」、つましい他者へのそこはかとない「情」が、意外なほどに、彼の散文にはあふれている。

 プラタ通りからサンタ・ジュスタのリフト に向かう角を曲がり、リフトの隣を抜け、カルモ通りを上がっていく。けっこうな坂だ。途中で右折してガレット通りへ。この界隈は「シアード」と呼ばれている高台。人通りも多く活気がある。

 少し歩くとカフェ「A Brasileira」に着く。1905年創業の老舗で、当時の知識人や芸術家が集った店だ。ペソアも常連客だった。店の前の通りにペソアの銅像がある。その近くの席に座り、冷たいものを飲みながら、しばらく時を過ごした。


 
 
 この像はガイドブックにも記載されている。隣には椅子があり、観光客が座ってツーショットの写真を撮ってもらおうと順番待ちをしていた。記念写真の名スポットと化していた。
 大人気のペソアの分身。この像は今、「人が愛する価値のあるもの」になったのだろう。

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