2015年8月31日月曜日

雨宮弘哲、甲府ハーパーズミルで。

 先週の日曜日、甲府のハーパーズミルで開催の『雨宮弘哲レコ発「沼」ツアー2015夏・ファイナル』に行ってきた。出演は、雨宮弘哲・中西ヒロキ・よよよゐの三人。山梨出身あるいは在住のフォークシンガーだ。この日は所用があって、会場に着いたのは午後八時半頃、中西ヒロキさんの終わり近くだった。のびやかな明るい声の歌い手だった。
 まもなくすると、雨宮弘哲(弘哲は「ひろあき」と読む)さんの登場。でも「さん」を付けて呼ぶのはやはりしっくりこない。「弘哲君」と呼ぶのが自然だからそう書くことにしよう。というのも彼は、私が以前勤めていた高校で知り合った生徒だったからだ。

 もう二十年ほど前のことになる。弘哲君は高校2年生でたしか十七歳、私も三十代半ばの頃で今からするとまだ充分に若かった。早熟だった彼は、あの当時や昔のフォークソングをいろいろと聴きこんでいて、少しずつ自分の作品を作り、歌いはじめていた。ハーパーズミルで友部正人のライブを一緒に聴いたこともあった。あの頃の彼の自作の歌詞には、自分の言葉をつかもうとする意欲が感じられた。歌う力はまだまだだったが、ギターの演奏は上手かった。私は私なりに彼の成長を楽しみにしていた。

 卒業後、彼は山梨から東京に行った。学生時代を過ごし、バイト生活をしながらフォークを歌う道を選んだ。2003年、「あめあめ」というユニットでMIDI Creativeレーベルから『和同開珎』をリリース、その後は中央線沿線を主な活動場所にして、自主製作CDを発表したり、企画ライブを主催したりして、各地を旅して歌い続けている。(「雨宮弘哲 ホームページ」参照)
 数年に一度は山梨に帰り、ハーパーズミルで歌った。そのほとんどに行ったはずだが、前回は都合で行けなかったので、この日は久しぶりに彼の歌を聴くことになった。今年4月発表の新アルバム『沼』収録曲のお披露目。三十七歳になった彼の現在が刻まれた作品の数々。彼の日々のつぶやきが聞こえてきた。

 歌が上手いとは言えない、と率直に書こう。歌い方、特に言葉の強弱、末尾の発声が相変わらず不安定なのだが、その歌声が「ゆらぎ」のようなものを伴い、ある意味では、彼の心そのものの「ゆらぎ」を伝えているようでもある。
 そのような歌い方は聴き手を限定してしまうという弱さを持つと同時に、彼の「個」を際立たせる、ある種の強さにもなっている。彼の歌が聴き手に受け止められるかどうかの壁がここにあるが、この壁を乗り越えてしまえば、雨宮弘哲の歌の世界に入ることができるのだろう。



 アルバム最後の歌『小舟』は、彼の今までの旅の航路が歌われている。

  ぼくの小舟は  波に揺れない
  うねりの風も 笑いとばして
  すすむだろう 光へ向けた矛先
  手製の帆を張って 金の夕空
    
 日々の暮らしの中で、その航路を遮るもの。問いも答えもなく、立ちはだかるもの。それを前にして、時に折れ曲がり、時にいじけてしまう主体。しかし、「笑いとばして」進むしかない。
 彼は自らの声と言葉の「ゆらぎ」で、そのようなものたちに「ゆらぎ」を与えようとしているのかもしれない。

 しかし、アルバム『沼』の全体を通してみれば、もっともっと、言葉に「ゆらぎ」をもたせたらどうだろうかという考えが浮かんでくる。ゆらぎはじめている言葉もあるが、まだまだありふれた言葉もある。
 「小舟」が、「言葉」そのものの「うねりの風」を「手製の帆」で受けとめて進んでみたら、どのような風景が広がるのだろうか。そのような風景を聴いてみたい気がした。

 終了後、弘哲君と少しの間言葉を交わした。つい最近、このハーパーズミルで佐々木健太郎のライブを聴いたことを話すと、Analogfishがまだ下岡晃と佐々木健太郎の二人で活動していた頃に、下北沢で共演したことがあったそうだ。前野健太もいたようだ。その頃の下岡・佐々木の印象はエレファントカシマシのようだったらしい。2000年代初めの頃の話だ。

 もう一つ、興味深い話があった。弘哲君は、インディーズ時代のフジファブリック(いわゆる第2期の時代)のベーシストとバイト先のパスタ屋が一緒だった縁で、『茜色の夕日』等が収録されたカセット音源を2種類もらって聴いていた。志村正彦もそのパスタ屋に食べに来たこともあったが、会ったことはなかったそうだ。(弘哲君は志村正彦と同世代。山梨出身の二人が何かのきっかけでもし出会っていたらという想像をしてしまった)。彼が第2期のベーシストを通じて、当時のフジファブリックの様子を知っていたことには驚いたが、ある時代に新宿や高円寺という中央線沿線の場所で、フォークとロックという違いはあれ、インディーズシーンで活動をしていたのだから、どこかに接点があっても不思議ではない。

 1980年前後に生まれた世代には新しい感覚を持った歌い手がたくさんいる。彼らも三十歳代の後半に入りつつある。
 歌い手としてのポジションは様々だが、今もなお歌い続けている存在がいる。

2015年8月15日土曜日

『戦争がおきた』 Analogfish

 「戦後70年」とことさらに言われると、「戦後」という捉え方が自明なものであるのかどうか、あらためて問いかけてみたくもなる。
 「戦」の「後」という時の区分は、「戦」の「前」「中」と言う時との対比としてある。戦争が起きる「以前」、戦争が行われている「最中」という時の状況はある程度明確である。しかし、「戦後」とは定義上、戦争が終わった「後」の時を示す。そうであればすぐに、戦争が終わったのかどうか、ということが問われる。
 もちろん、戦闘としての戦争は、私たちの国の場合、1945年8月15日に終結している。しかし、戦争が終わるということが、戦争に関わるあらゆることが本当の意味で終わるということであれば、未だに戦争は終わっていないと考えられる。沖縄の現実を見れば明らかであり、現在の社会の動きもそのことを示している。
 

 先週の土曜日、Analogfishの佐々木健太郎のライブに出かけたこともあり、ここ数日、Analogfishの「社会派三部作」と言われる、『荒野 / On the Wild Side』(2011年)、『NEWCLEAR』(2013年)、『最近のぼくら』(2014年)の三枚のアルバムを聴いた。Analogfishには下岡晃、佐々木健太郎という二人のボーカル、ソングライターがいるが、下岡はあるインタビューで「僕はレベル・ミュージックを作りたいと思ってるんですよ」と語っている。(http://chubu.pia.co.jp/interview/music/2014-11/analogfish.html

 確かに「社会派三部作」には、この時代に向き合うレベル・ミュージックが数多く収められていて、しかも定型的なものはなく、自由で多様な作品が展開している。中でも、第1作『荒野 / On the Wild Side』収録の『戦争がおきた』(作詞:下岡晃、作曲:アナログフィッシュ)は、その題名の直接性が際立っている。「朝目が覚めて」と冒頭にあるように、朝のまどろみを想起させる美しいメロディを持つが、歌詞そのものの読みとりは難しい。歌詞の全てを引用する。


  朝目が覚めてテレビをつけて
  チャンネル変えたらニュースキャスターが
  戦争がおきたって言っていた


  街へ出かけて彼女と飲んで
  家へと向かう電車で誰かが
  戦争がおきたって言っていた


     借りてきた映画を見て その後で愛し合って
  戦争がおきた


  ずっと昔に夕飯時に
  手伝いしてたら近所の誰かが
  戦争がおきたって言っていた


  料理が並び家族がそろい
  食事をしてたらまばゆい光が
  暗闇の中を不確かな国の
  確かな家族へ飛んでった


  世界が終わるんだって 勝手に思い込んで
  眠れずに朝になった そんな事思い出して
  少しだけビール飲んで 昼まで眠りこけた


  戦争がおきた

  朝目が覚めて彼女も起きて
  昨夜の行為の続きの後で
  戦争がおきたって言っていた


  何かが変わるといいね

  戦争がおきた


 この歌には、「戦争がおきたって言っていた」という表現と「戦争がおきた」という表現の二つがある。この二つの間にはどのような差異があるのだろうか。

 歌の現在時(他の解釈もあるだろうが、ここではいちおうそのように捉える)、「テレビ」の「ニュースキャスター」が、街から家へと向かう電車で「誰か」が「戦争がおきたって言っていた」。その後、「ずっと昔」と時が遡り、その「夕飯時」の出来事として、「近所の誰か」が「戦争がおきたって言っていた」。もう一度現在時に戻り、「朝」「彼女も起きて」、「昨夜の行為の続きの後で」「戦争がおきたって言っていた」と歌われる。誰が言ったのかは明示されていないが、文脈上は「彼女」の発話だとするのが自然だろう。
  「戦争がおきたって言っていた」の実際の歌唱では、「戦争がおきた 戦争がおきた 戦争がおきた って言っていた」と歌われている。「戦争がおきた」は三回反復された後、「って言っていた」という他者の発話として、他者を通じて、その事態が歌の主体に伝えられる。

 第5連にある、「まばゆい光が/暗闇の中を不確かな国の/確かな家族へ飛んでった」は、この歌で描かれる「戦争」の像の中心にある。「国」と「家族」とが、「不確かさ」と「確かさ」とで対比されている。「レベル・ミュージック」の批評性がこのフレーズには現れている。しかし、この歌は、「国」のあり方を批判する方向には進まずに、「戦争」をめぐるある現実の露出に向かおうとしている。

 「戦争がおきたって言っていた」という他者の発話を聴く経験ではなく、歌の主体の経験、少なくとも他者を介在させることのない間接的ではない経験として、「戦争がおきた」と歌われるのは三度ある。                                                                      
 最初は、「借りてきた映画を見て その後で愛し合って」という「行為」の後で「戦争がおきた」と歌われる。その行為と「戦争がおきた」という出来事との文脈上のつながりは特にない。行為と出来事とは乖離している。次は、「少しだけビール飲んで 昼まで眠りこけた」に続けて「戦争がおきた」と歌われる。この場合も、「眠り」とその覚醒と「戦争がおきた」という出来事との間にはつながりはない。「眠り」は意識の断絶としてある。「愛し合って」という行為も一種の断絶だとするなら、断絶を経ての覚醒の後、「戦争がおきた」という出来事が起きる、という流れを読みとることができるかもしれない。そして、「何かが変わるといいね」という願望が唐突に歌詞の中に織り込まれた上で、「戦争がおきた」と最後に歌われて、この作品は閉じられる。
  最後の「戦争がおきた」には、とても静かに、それゆえ突然に、「戦争」という現実が露出したような響きがある。


 『戦争がおきた』という歌は、「戦争がおきた」という出来事と、「戦争がおきた」ことを主体が把握する出来事との二重の出来事を伝えようとしている。意味というよりも、出来事そのものが現れ出るように言葉が配置されている。(まだ私はそれを解析できないのだが、その端緒としてこの文を記そうと考えた)


 下岡晃、Analogfishは今、全く新しいレベル・ミュージックを創りつつある。

2015年8月9日日曜日

佐々木健太郎・岩崎慧、甲府ハーパーズミルで。

 昨夜8月8日、甲府のハーパーズミルで、「トットコサマーで王さまツアー!2015」佐々木健太郎(アナログフィッシュ)と岩崎慧(セカイイチ)のライブを聴いてきた。

 岩崎慧の歌を聴くのは初めてだった。のびやかな声を持つ歌い手で、プロとしての十数年のキャリアが伝わってくる。
 最後に歌われた『バンドマン』。「夢はもうないのかい/夜になったまま朝がこないのかい」という最初のフレーズには少しどきりとした。「狭い狭い枠の椅子とりゲーム」という繰り返される言葉からはバンド業界で生きる者の悲哀が漂う。
 このライブのみの印象だが、洋楽を始め様々な音楽を消化できる器用な人なのだろうが、もっと削ぎ落とすことで、彼の「地」のようなものを表した方が聴き手により届くのではないだろうか。歌の力は感じられるのだから。

 佐々木健太郎は、昨年1月にもこの場所で聴いた。(http://guukei.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html
 今回は『希望』から始まった。この歌の世界はありふれたようでありふれていない。彼の歌う力と言葉の力がほどよく結晶されている。今のところ最も好きな作品で、収録アルバムのアナログフィッシュ『NEWCLEAR』を時々聴いている。
 ただし、昨年とは何かが違う。歌のパフォーマンスのあり方だろうか。例えば、「希望 希望 希望」と口ずさむ時に目線が彼方を眺めるように動いていく。単独ライブではなく、二人によるライブツアーという背景があり、歌い方を変えているのかもしれないが、昨年の飾り気のない木訥としたスタイルの方が好きだ。

 岩崎、佐々木の順で歌い、二人による歌とアンコールでしめくくられた。最後はアナログフィッシュの名曲『LOW』。岩崎によると、二人の出会いのきっかけとなった曲。「How are you? 気分はどうだい/僕は限りなく ゼロに近い LOW LOW/胸焦がして 胸焦がして 頭かかえて 胸焦がして」と、佐々木と岩崎が激しく声と身体を使う。この日こちら側に最も迫ってきた歌だ。

 「限りなくゼロに近いLOW」は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』へのオマージュだろうか。90年代からゼロ年代にかけてのロック青年は、60年代から70年代にかけてのロック青年の持つ「透明な浮遊や高揚」からはほど遠い日常を生きる。下降や逡巡を繰り返す焦燥感が吐き出される。それは「透明」たりえない。
 『LOW』は佐々木の初期の作。「ゼロに近いLOW」いう表現は時代を鏡のように反射していて、ある種の社会性や批評性を帯びている。この頃の佐々木の歌には、アナログフィッシュの盟友、下岡晃の世界との共通項が多い気がする。

 この日の聴衆は三十人弱。半分以上は他県からの客か。少人数の、そして静かな客を前に熱演し盛り上げようとして二人のパフォーマンス。一人の聴き手としてはこれ以上求めるものはないのだが、正直に書くと、その盛り上げ方に入り込めないような感じが残った。私の捉え方の問題かもしれないが、佐々木健太郎は逆にやや疲れているようにも見えた。

 佐々木と岩崎も三十歳代の後半を迎えている。
 歌い続けること。そのことの意味は、歌うことには無縁である私のような聴き手にとっては計りがたい。勝手に想像したり了解したりすることは慎むべき、少なくとも丁寧で慎重であるべきだらう。
 それでも今こうして書いている最中にも、そのことが頭の中で回り続けている。
                                                             

2015年7月28日火曜日

柴咲コウ『若者のすべて』 [志村正彦LN110]

 柴咲コウと言えば、やはり、女優という印象が強い。プロフィールを確認すると、廣木隆一監督の『東京ゴミ女』が映画初出演のようだ。この映画は2000年製作、かなり前の作品だが、廣木監督作が好きだったので衛星放送で見たことがある。柴咲コウ演じる役の記憶はほとんどなく、新感覚の女性映画だという印象だけが残っている。その後、柴咲コウは人気女優の地位を築いていくのだが、もともとは歌手志望だったようだ。

 その柴咲コウが志村正彦作詞作曲の『若者のすべて』を歌った。6月発売のカバーアルバム『こううたう』に収録されている。
 このCDは、期間限定で一部のショップで特製のリーフレットが添付され、その中に本人が選曲について語った「こうえらぶ」が掲載されていたようだが、私はそのエディションを購入できなかったので、残念ながら未読である。『若者のすべて』を選んだ理由は分からないのだが、どのような理由であっても、この曲が選ばれたことは素直にうれしい。

 歌そのものを繰り返し聴いてみる。
 志村の《声》の持つ、ある種のやるせなさ、よるべなさのようなものが脱色され、淡い色調の《声》を柴咲はまとう。志村の『若者のすべて』の複雑な陰影に満ちた言葉の世界に対して、言葉そのものは同一ではあるが、柴咲の歌う世界は、女性の男性に対する想いを述べているようにも聞こえてくる。この歌の主体は、歌詞の中の人称としては「僕」であるのだが、柴咲が歌うと、歌の主体が女性であると解釈してもそんなに違和感がない。そのように言葉がたどれる。
 女性が男性主体の歌詞を歌うという、日本のポピュラー音楽にしばしばある、いわゆる「CGP(Cross-Gendered Performance)」、「歌手と歌詞の主体とのジェンダー上の交差(女性歌手が歌う「男うた」等)」ではなく、女性が女性主体の歌詞を歌う、つまり歌詞の主体が女性に変換されている(実際に「僕」という言葉が換えられているわけではないが)ように、私には聞こえてきた。

 特に、「ないかな ないよな きっとね いないよな」の「な」音の響きは、むしろ女性の《声》に合うような気もする。ただし、志村の《声》の響きに比べて、幾分か単調ではあるのだが。
 志村の歌い方は、やはり、「語り」の要素が強いことも再発見する。語りによって、風景がスクリーンに投影され、外へと広がっていく。そのような流れは柴咲の歌にはない。むしろ、言葉は内に向かい、女性の想いという一点に集約されていく。それはそれで、美しく結晶されていて、この曲の数あるカバーの中でも、柴咲コウの『若者のすべて』は聴く価値のある作品となっている。

 以前書いたことだが、志村の歌う『若者のすべて』の季節は、なぜか「冬」のように感じられる。凍てつく風景に「冬の花火」の最後の光が上る。それに対して、柴咲の歌う『若者のすべて』は、当然かもしれないが、「夏」の季節感にあふれている。明るい光にあふれる空と雲の中を、《声》がゆるやかに漂う。そんな情景が浮かぶ。

  カバーされた全15曲中の第1曲目という重要な位置付けであり、「amazon」などのレビューを読むと、このアルバムで『若者のすべて』という歌を知った人も多いようだ。柴咲コウがこの曲を私たちに贈り届けてくれたことはとても有り難い。

 なお、 『若者のすべて』(フジファブリック)のカバー、あるいはフジファブリック『若者のすべて』のカバーというように音楽サイト等で紹介されているが、限定版同封の「こうつづる」というブックレットには、「作詞・作曲:志村正彦 編曲:関口シンゴ」というクレジットが記載されていた。これを見て大いに肯いた。
 フジファブリックの作品であることはもちろんだが、カバーされる場合は、「こうつづる」に記されているように、あくまで、志村正彦作詞作曲の『若者のすべて』のカバー、というように書いてほしい。少なくともそのように作詞作曲者名を補ってほしい。志村作品を愛する者の一人として、これは譲れない。

2015年7月23日木曜日

『ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~』 [志村正彦LN109] 

 昨日、甲斐市立竜王図書館で開催中の展示「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」を見てきた。甲斐市は十数年前に合併して誕生した市。甲府市の西側に位置する。竜王図書館は私の家からは車で10分ほどのところにあるが、今回初めて訪れた。開架式のスペースが広く、オープンな雰囲気の図書館だった。

 階段を上がり2階の展示ホールへ。宮沢和史・藤巻亮太・志村正彦のプロフィールと写真のパネル、歌詞のパネルが壁面に飾られている。CDを数枚ずつ入れた展示ケースが二つ。中央の机上に『宮沢和史全歌詞集』『志村正彦詩集』等の著書。感想を記す用紙が置かれていたが、志村正彦についてはメッセージを記入できる特別なノートも用意されていた。
  
 宮沢・藤巻・志村の「歌詞」を紹介する今回の展示は、「歌い手」というよりも「詩人」としての三人に焦点を当てている。図書館らしい視点だが、そのことによって、来館者に彼らの音楽との新たな出会いをつくりだす可能性がある。
 山梨では宮沢和史・THE BOOM、藤巻亮太・レミオロメンの知名度が高く、彼らの代表曲を聴いたことがある人は多いだろうが、彼らの「言葉」をあらためてたどり直すことは「再発見」の経験ともなる。志村正彦・フジファブリックについては、残念なことだが宮沢・藤巻ほどは知られていないので、そのまま「発見」の契機となるだろう。
 そのような展示を甲斐市立竜王図書館が主催したことは大いに評価される。現実の場において何かをなすことはとても大切なことだから。

 ただし、課題もある。歌詞パネルの数が宮沢2点、藤巻3点、志村10点というようにアンバランスなことだ。テーマから考えると、三人の扱いは均等であるべきだろう。(私は志村のファンであるからこそ、なおさらそのように感じた)また、彼らの詩から読みとれる「山梨の風景」について何らかの解説があれば、一般の来館者の関心をより高めることができると思う。甲府の宮沢、御坂の藤巻、吉田の志村という出身地の対比があれば、親しみもわく。

 どのようなイベントにも成果と課題がある。課題については次の機会、あるいは別の機会で向き合えばよい。そのことよりも、一人のロックの聴き手として、今回の試みに踏み出した図書館のスタッフの情熱と勇気をたたえたい。

2015年7月13日月曜日

『路地裏の僕たち上映会』 [志村正彦LN108]

 一昨日の土曜日、7月11日、以前から予定が入っていて、甲府を出発できたのは午後4時を回っていた。「路地裏の僕たち」主催の『フジファブリック Live at 富士五湖文化センター』上映会が富士吉田で行われている。その最後に何とか間に合いたいと車を走らせた。

 夏の観光シーズンを迎えるこの季節、県外ナンバーも多くなり、山梨の幹線道路は混雑する。甲府バイパスから御坂へ進み、河口湖の手前で左折し、3月末開通の「新倉河口湖トンネル」を初めて通る。照明が明るく、道もほぼ直線で、とても通行しやすい。全長2.5キロの長いトンネルだが、少し経つと吉田側の光がかすかに見えてきた。抜けると見覚えのある風景が広がる。志村正彦の生まれ育った場の近くだった。       

 これまでは、甲府から吉田までは必ず河口湖周辺を経由しなくてはならなかったが、今後は、御坂トンネルから下ってそのまま四つほどトンネルを過ぎると吉田にたどりつく。御坂から吉田まで「直結」したような感じだ。甲府と吉田との距離よりがさらに近くなり、時間帯によっては20分ほど短縮されたのではないだろうか。

 新トンネルのおかげで、午後5時過ぎに会場の下吉田第一小学校に到着。茜色の「路地裏の僕たち」Tシャツを着ている方々が忙しそうに動き回っていた。「志村商店」をはじめとする臨時の出店があると知ったので楽しみにしていたのだが、もう店じまいだった。遅く来たのでこれは仕方がない。

 入口には今回制作されたポスターやフライヤーが並んでいた。フジファブリックのCDデザインを数多く担当された柴宮夏希さんの協力があり、「路地裏」らしい雰囲気で味わい深い。グラフィックという点でも、これまでのイベントからさらに進化している。

 体育館に入ると、かなりの人数の熱気があふれる。映像と音響の設備も本格派だ。後方に写真やギターや機材がおぼろげに見える。「飛び箱」や用具らしきものもあったので、ここが小学校の体育館だということを実感した。

 アンコールが始まった。永遠に聴かれ、語り継がれることになるであろう『茜色の夕日』とそのMC。最後の『陽炎』。この二曲に間に合うことができた。

 『陽炎』が今回は特に胸に迫ってきた。
 志村少年が「路地裏の僕」として駆け回った「場」。
 陽炎がそこらじゅうに立つような夏の「時」。

 そのような「場」と「時」を得て、「路地裏の僕たち」の方々そして会場の人々の熱気、迫力のある映像と音響、フジファブリック・メンバーの熱演、志村正彦の「声」、それら全てが溶け合い、下吉田一小の『陽炎』は静かに熱く揺れていた。
 (エンディング近くでギターを激しくかき鳴らす彼。そのシーンが終わると、哀しみにおそわれるのはいつものことなのだが。)

 上映会の終了後、展示コーナーを見た。文字通り、飾りっ気のない展示がこの場にはふさわしい。ゼロ年代を代表するロック音楽家というよりも、「路地裏」の「英雄」としての彼が母校の小学校に還ってきた。この感覚を「路地裏の僕たち」は大事にしているのだろう。

 体育館を出ると、掲示板にクボケンジや片寄明人をはじめとする志村正彦の友人知人のコメントが掲げられていた。2011年の志村展の際に、私の勤務校の生徒たちが授業を通じて書いた文章も再び掲示されていた。
 以前、生徒の文が良かったという感想をよせてくれた地元の方がいらっしゃって、今回も展示することに決めたそうだ。生徒の文が志村正彦ゆかりの人々の文と並んで飾られているのは場違いのような気がして、当事者でもある私は大変恐縮したのだが、このように大切にされているのはとても有り難い。(あの生徒たちも卒業して三年になる。その内の一人は国文科に進み、今年母校に教育実習生として戻ってきた。教職に就くのはなかなか難しい時代だが、彼女が教壇に立ち、いつの日か自らの視点で志村正彦の詩について語ることがあるかもしれないと、勝手に思い描いている。)

 出口付近でチャイムを待っていると、久しぶりにお会いできた大切な方々、昨年の甲府での志村展やフォーラムでお世話になった方々と再会することができた。挨拶の言葉しかかわすことはできなかったけれども、このような機会があるからこそ再び会うことができてとても嬉しかった。

 午後6時、『若者のすべて』のチャイムが鳴りはじめる。小学校横の防災無線スピーカーを皆が見上げている。2012年の暮れ、冬の季節に市民会館前で聞いたときよりも、音が明るくかろやかに響く。この歌はある種の力強さも持っている。「すりむいたまま僕はそっと歩き出して」と歌詞にあるとおり、どのような状況であれ前に歩き出そうと伝えているようだ。夏の季節の始まり、私たちも歩き始めねばならない。       

 主催者と共催者の皆様の自発的な活動に対して敬意を表したい。私も経験者として、準備まで、そして当日の苦労はよく分かる。また、映写技師やプロ機材を使っているので経費もかなりかかったことと思う。彼らは「全国のファンへの恩返し」として企画したと述べているが、私たち各々が自分のやり方で志村正彦を聴き、語り続けることが、彼らへの恩返しとなるのではないか。私もその一人としてこのblogを書き続けていきたい。

 私個人として最も励まされたことを最後にひとつ書かせていただく。
 3回目の上映会の後で、志村正彦の子どもの頃から29歳までの写真の映写があった。その最後に映されたのが「ロックの詩人 志村正彦展」のフライヤー画像だった。事前には全く知らなかったので、とても驚いた。「路地裏の僕たち」の皆様から、昨年7月の甲府展へのエールが送られたような気持ちになった。
 深く、感謝を申し上げます。

2015年7月9日木曜日

去年の7月、今年の7月。 [志村正彦LN107]

 明日は志村正彦の誕生日。彼が元気であれば三十五歳を迎えた日だ。

 昨年7月12,13日開催の「ロックの詩人 志村正彦展」と「フォーラム」は、この時期に合わせて計画された。一年前の今頃は、最後の準備に追われていた。パネルの解説文を時間の許す限り推敲していた。

 思い返すと、私たちの試みがフジファブリックの所属事務所SMAやナタリーのサイトで紹介していただいたのは、全く予想外の出来事だった。そのことには非常に感謝したのだが、反響を呼ぶに従って、予想より大勢の人たちが来場される可能性が出てきた。正直に書くと、そのことがかなりのプレッシャーになった。二日間、私たちがこのイベントを無事コントロールできるのかという不安も生じた。精神的にも時間的にも余裕のない状態だったが、何とか展示の準備を完了することができた。会場での実務の仕事も、友人や協力者、そして会場の係の方に助けられた。無事終了することができた最大の要因は、何よりも来場者の御理解であったと思う。入場までの時間が非常に長くなっても辛抱強く待ち続けていただいた。ほんとうに有り難かった。

 すでに発表があったとおり、7月11日、土曜日に、志村正彦の母校、富士吉田市立下吉田第一小学校の体育館で、彼の同級生グループ「路地裏の僕たち」主催による『フジファブリック Live at 富士五湖文化センターDVD』の無料上映会が開かれる。ゆかりの品も一部展示され、あわせて、12日まで夕方6時のチャイムが「若者のすべて」のメロディに変更されるそうだ。

 「路地裏の僕たち」は、志村の故郷富士吉田で様々なイベントを推進してきた。これまでも、そしてこれからも、志村正彦に関する活動の中心を担う。ゆかりの場所での上映会という今回の企画は「路地裏の僕たち」ならではのアイディアだ。これまでの展示やチャイムに加えて、志村正彦・フジファブリックの音楽そのものを、故郷でのライブを、「映像」という形ではあるが「体験」してもらう会は、新しい試みとしてとても重要なものとなるだろう。

 また、30日まで甲斐市立竜王図書館で、志村正彦、宮沢和史、藤巻亮太の歌詞パネルを展示した「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」が開催されている。まだ見に行ってないのだが、図書館という場所からして、志村正彦の詩集や著書を山梨の人々が知る、良い契機になると思っている。

 昨年の展示やフォーラム、今年の「路地裏の僕たち」主催の上映会や甲斐市立竜王図書館主催の展示。共通するのは、志村正彦の作品を現在の世界に広げ、未来の世界に伝えていくという目的であろう。そのためには、多様な視点や方法があってよいと考えている。
 以前も書いたことだが、富士山の登山ルートには昔のものを含め、幾つものルートがあり、それは全て富士山の頂上を目指している。そのことになぞらえれば、多様性を保ちながら、共通の目標を目指していくのが、志村正彦にふさわしい「歩み」のような気がする。

 去年は間際に台風が到来したが、会期の週末は天気になった。今年も梅雨の長雨が続いたが、今週末は雨もあがるようだ。天気予報士がテレビで良い天気となると言うように祈っている。
 夏の富士に祝福されて、『路地裏の僕たち上映会』は開催されることになるだろう。
 

    週末 雨上がって 街が生まれ変わってく
        紫外線 波になって 街に降り注いでいる
        不安になった僕は君の事を考えている
   
                               ( フジファブリック 『虹』 、 作詞作曲 ・ 志村正彦 )