11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

10月1日から申込の受付を開始します。 右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月15日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2020年5月31日日曜日

Step by step『茜色の夕日』 [志村正彦LN256]

 五日ほど前、正午の直前だった。

 UTYテレビ山梨をなんとなく見ていると、綺麗な夕焼け雲を背景に富士山とその裾野の街が映し出された。ドラムの音と共に「茜色の夕日眺めてたら」の歌声。志村正彦の声。フジファブリックの『茜色の夕日』だ。反射的に録画ボタンを押した。すぐに画面に「富士吉田市 ♪茜色の夕日♪フジファブリック」の表示。 UTYなので、あの「STAY HOME」のシリーズなのかと思ったが、「STAY HOME」の広告はすでに終わったはずだ。60秒ほどの映像だったが、次の言葉が流された。


 Step by step
 今できることを
 一歩一歩新しい日常へ…

 いつかみんなで眺めよう
 その日のために今できること


 画面の右上には「50TH Uバク UTY」のクレジット。あの「STAY HOME」に継ぐ「Step by step」というテーマのUTY開局50周年と連動した公共的な広告のようだ。「STAY HOME」の『若者のすべて』に続いて『茜色の夕日』が使われたのである。「STAY HOME」から「Step by step」へ。一歩一歩、「新しい日常」へ歩んでいくというメッセージである。
 この映像は山梨県内でしか視聴できないのが残念だが、こればかりは仕方がない。UTYのホームページでもこの動画を見ることはできない。
 『茜色の夕日』の中で使われた部分は下記の通りである。 


  茜色の夕日眺めてたら
  少し思い出すものがありました
  君が只 横で笑っていたことや
  どうしようもない悲しいこと

  君のその小さな目から
  大粒の涙が溢れてきたんだ
  忘れることはできないな
  そんなことを思っていたんだ


 映像は富士吉田市の上空からのドローン撮影だろう。富士山に向かって北東の方向からドローンは飛んでいく。下には富士吉田の市街が広がる。街や車の灯り、川や大きな通りも見える。
 富士山の南西の方向に、茜色に照らされた雲の群れが水平にたなびいている。富士山の頂上あたりのラインで、地平線に近いところに茜色のグラデーションの雲、その上方は青いグレー色の雲に分かれているが、その色彩の差異がコントラストをなしている。しばらくすると夕闇に包まれていくのだろう。その前の「茜色の夕日」の時間。見た瞬間に引き込まれていく富士山と吉田の街の空間、「茜色の夕日」の空間。時間と空間の美しい光景に『茜色の夕日』の歌が流れていく。

 フジファブリック『茜色の夕日』と富士山の「茜色の夕日」の風景。あからさまと言えばあまりにあからさまな組合せだが、これが意外なほどに合っていた。この風景と志村の言葉が見事に融合していたのだ。志村の記憶の中にこの自然の光景が刻まれていたとも言えるほどに。

 文芸批評家の吉本隆明は、『吉本隆明歳時記』(1978年、日本エディタースクール出版部)で、「自然詩人」について次のように述べている。

 わたしの好きだった、そしていまでもかなり好きな自然詩人に中原中也がいる。この詩人の生涯の詩百篇ほどをとれば約九十篇は自然の季節にかかわっている。しかもかなり深刻な度合でかかわっている。こういう詩人は詩をこしらえる姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触りが手がかりのように到来してしまうのである。景物が渇えた心を充たそうとする素因として働いてしまう。 (「春の章 中原中也」)


 「自然詩人」は、「空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触り」を手がかりにして詩的世界を創る。この論を参考にして考えてみた。
 志村正彦も「茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました」、「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた」と歌い始める。「茜色の夕日」、「真夏のピーク」。風景と場所の感覚、季節と時間の感触。志村の数多くの歌は、自然から受け取った感覚を一つのイントロダクションのようにして、自分自身の世界を語り始める。

 そういう捉え方をすれば、志村正彦も中原中也と同じような「自然詩人」と言えるだろう。しかし、実際の語り方、言葉の展開の仕方は異なる。書かれる詩と歌われる歌詞という違いもある。それ以上に、生の根本的感覚がこの二人は異なっている。しかし、そのような差異を超えて、志村正彦と中原中也の間にはどこか響き合うところがある。


【追伸】
 このブログのページビューが30万を超えました。どうもありがとうございます。



2020年5月16日土曜日

Analogfish / 下岡晃 『 I say 』【S/R007】

【S/R007】はAnalogfish 『 I say 』。

 S/R(Songs to Remember)は、洋楽と邦楽を交互に取り上げている。邦楽は、フジファブリック、HINTO、メレンゲ、そしてAnalogfishと続いてきた。HINTO、メレンゲ、Analogfishは、志村正彦とのつながりの流れだと受けとめられるかもしれない。自然にそう思われることはその通りなのだろうが、そうではないという気持ちの方がはるかに強い。この三つのバンドは日本語ロックの最高水準にある。安部コウセイ、クボケンジ、下岡晃の歌詞、そして楽曲、バンド演奏も、洋楽・邦楽を超えてロック音楽の「Songs to Remember記憶すべき歌」に入る。

 Analogfish 『 I say 』は2013年リリースのアルバム『NEWCLEAR』収録曲。アルバムではバンドサウンドだが、映像『Analogfish - I say / TOKYO ACOUSTIC SESSION』では、下岡晃、佐々木健太郎、斉藤州一郎の3人によるコーラスとアコースティックギターがとても美しい音楽を響かせている。クレジットには「Sunday 25th of August 2013 経堂 しゅとカフェ」とある。8月の日曜日のカフェ。やわらかい光と樹の緑に囲まれている。
 これと対照的なのがもう一つの映像『 “I say”【下岡晃バージョン】』。クレジットは「@代官山ノエル 2018/12/22-23」、クリスマスの前夜に本多記念教会で収録されたものだ。

 『Suono Dolce「Music Go Round」』(GUEST : 下岡晃、聞き手 : 小野島大)で、下岡は次のように語っている。

 「I Say」は、街を歩いてる時にずらずらっと出てきましたね。

 「I Say」みたいな歌詞は、もう完璧にそぎ落として、何度聴いても耐えうるように磨きこんでいく。

 この歌街を歩いてる時に出てきてから完璧にそぎ落として磨きこんでいくまで、どれくらいの時間が流れたのだろうか。「夕日が道行く彼女の頬を染めれば/もう済んだ事をなんだか思い出して/テールランプの灯りが夜に滲めば/無い物ばかりがやけに気になって」のところが染み込んでくる。
 下岡は日常の光景、見える世界を掴みながら、それを見えない世界、不可視のものへとつなげていく。
 「I say / 愛せ」という音の戯れ。音の戯れを通じてあえて語ろうとする愛であろう。愛とは持っていないものを与えることである、というジャック・ラカンの言葉を想い出す。
 
 2013年、TOKYO ACOUSTIC SESSION」versionの夏の昼の光、自然の陽光。Analogfish3人のおだやかな「I say」が漂う。2018年、「代官山ノエル」versionの冬の夜の光、クリスマスのキャンドルの灯り。下岡晃の「祈り」のような「I say」が教会に広がる。



 『Analogfish - I say / TOKYO ACOUSTIC SESSION』
     Sunday 25th of August 2013 経堂 しゅとカフェ
 Editor:Yuko Morita  Camera:Tetsuya Yamakawa,
 Takaaki Komazaki  Director and Producer:Rie Niwa




 “I say”【下岡晃バージョン】@代官山ノエル 2018/12/22-23
 撮影:澤崎昌文  (VANESSA+embrasse)  制作補助:有吉達宏
 ディレクター:西川啓




    アナログフィッシュ 『 I say 』

              作詞:下岡晃
              作曲:アナログフィッシュ


              悲しいときは泣いたら見つけてくれた
              パパはいないよママもいないよ
              なんにも言わずにただ抱きしめてくれた
              人はいないよ君に会いたいよ

              愛されたいより愛せ
              I say ただI say
              ただ愛せ

              夕日が道行く彼女の頬を染めれば
              もう済んだ事をなんだか思い出して
              テールランプの灯りが夜に滲めば
              無い物ばかりがやけに気になって

              愛されたいより愛せ
              I say ただI say
              ただ愛せ

              悲しいときは泣いたら見つけてくれた
              パパはいないよもうママもいないよ
              なんにも言わずにただ抱きしめてくれた
              人はいないよ君に会いたいよ

              愛されたいより愛せ
              I say ただI say
              ただ愛せ

              世界じゃなくても
              時代でもなくても
              卵が先でも
              鶏が先でも

              I say ただI say
              ただ愛せ

2020年5月10日日曜日

Lou Reed 『Perfect Day』 [S/R006]

  Lou Reed ルー・リードの『Perfect Day』パーフェクト・デイをS/R(Songs to Remember)第6回にとりあげたい。
 1972年、ソロ2枚目のアルバム『Transformer』(トランスフォーマー)の一曲。彼の数多くの作品の中でも最も親しまれているものだろう。

 この歌は、ルー・リードが当時の婚約者(後の最初の妻)とニューヨークのセントラルパークで過ごした一日をモチーフにして書いたそうだ。「この男にとっての完璧な一日のビジョンは、女の子、公園のサングリア、そのように過ごして家に帰ることだった。完璧な一日、すごくシンプルなものだ。この言葉は私が言ったことだけを意味している」とインタビューで述べている。

 ルー・リードが言うように、シンプルな言葉でショートストーリーが綴られる。何でもない日であるがそれゆえに完璧な一日の物語。しかし、歌詞の後半に彼らしい屈折が現れてくる。
  「Just a perfect day/You make me forget myself/I thought I was/someone else, Someone good」のところが気に入っている。誰だって自分のことを忘れたい。何か別のものになりたい。そうしてくれる存在がほしい。

 そしてラストの「You’re going to reap/Just what you sow」は、『ガラテヤの信徒への手紙』(パウロ書簡)第6章 第7節にある「A man reaps what he sows.」(この英訳は新国際版聖書による)から着想を得たようだ。この「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」の次の第8節は「すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう」とある。Lou ReedにしろPeter Gabiriel にしろ、欧米のロックの歌詞の中には聖書や文学作品の言葉が織り込まれている。キリスト教文化圏の人々にとっては自明のことでも僕たちには分からないことがある。
 あなたが蒔いたものは何だろうか。そしてあなたはそれを刈り取っていく。詩的な想像が膨らむ。

 2000年10月の"ECSTASY" TOUR で来日したときに、この『Perfect Day』が最後に歌われた。この曲らしい余韻を残す終わり方だった。この時はLou Reed、Mike Rathke(ギター)、Fernando Saunders(ベース)、Tony Smith (ドラム)の4人編成だった。ロックバンドらしいユニットによるグルーブ感とPAの音が素晴らしくクリアだったことが印象に残っている。

 紹介する映像は、「Lou Reed - Perfect Day (Live) | Montreux Jazz Festival 2000」。"ECSTASY" TOUR と同じユニットである。





  Lou Reed  『Perfect Day』

 Just a perfect day
 Drink sangria in the park
 And then later
 when it gets dark we go home

 Just a perfect day
 Feed animals in the zoo
 then later
 A movie, too, and then home

 Oh, it’s such a perfect day
 I’m glad I spent it with you
 Oh, such a perfect day
 You just keep me hanging on
 You just keep me hanging on

 Just a perfect day
 Problems all left alone
 Weekenders on our own
 It’s such fun

 Just a perfect day
 You make me forget myself
 I thought I was
 someone else, Someone good

 Oh, it’s such a perfect day
 I’m glad I spent it with you
 Oh, such a perfect day
 You just keep me hanging on
 You just keep me hanging on

 You’re going to reap
 Just what you sow
 You’re going to reap Just what you sow
 You’re going to reap Just what you sow
 You’re going to reap Just what you sow
 You’re going to reap Just what you sow




2020年5月6日水曜日

メレンゲ『火の鳥』 [S/R005]

 S/R(Songs to Remember)第5回は、メレンゲの『火の鳥』。
 このブログでもう何度も取り上げたのだが、前回の記事「空を飛ぶ鳥の視線[志村正彦LN255]」を書き終わったときに、次の[S/R]はこの曲しかないと思った。
 レクエイムとしてこの作品は記憶されるべき歌である。

 フジファブリック『若者のすべて』音源のUTY「STAY HOME」60秒version。「いつもの丘」の上空を飛ぶ4Kドローンの速度と高度から、空を飛ぶ鳥を想像した。空をゆるやかに旋回する鳥の視線から眺めている風景の映像に、フジファブリック『若者のすべて』が重なることによって、空を飛ぶ「鳥」になった志村正彦が「いつもの丘」を眺めながら歌っている、そのような想像が浮かんできた。その直後に、メレンゲ『火の鳥』を想起した。この曲は「まっすぐに空を鳥が飛ぶ」光景を歌っている。クボケンジが志村正彦を追悼した作品だと言われている。

 メレンゲ『火の鳥』にはミュージックビデオがある。以前、この歌について次のように書いた。

 海辺の光景。荒れた白い波。波打ち際に寄せられた無惨な花。赤い花、青い花、橙色の花。上空で旋回する一羽の鳥。黒い影。鳥が落ちてきて、花と化したのか。それとも、これから、花が鳥と化して、飛び立っていくのか。

 この映像の冒頭部分は、海、波、花、鳥、空で構成されている。空を飛ぶ鳥と波打ち際の花は、その対比が際立つがゆえにある象徴性をもつ。「STAY HOME」映像は、僕の想像の中で、鳥があたかも桜を愛でるようにして空を飛んでいく。「いつもの丘」を慈しむようにして旋回していく。
  メレンゲ『火の鳥』の映像、UTY「STAY HOME」映像。偶々の取り合わせであるが、この二つの映像が「偶景」のように現れてきた。志村正彦が愛した花の光景が互いを照らし合う。

 クボケンジは「世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる」「世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう」と語っている。ツンドラは地下に永久凍土が広がる凍原。凍りつく世界の向こうへと鳥が飛び立っていく。そのような光景を思い浮かべることができる。そしてツンドラの凍原にも花が咲く季節はあるだろう。


   メレンゲ『火の鳥』MV 2011.10
(監督 / 編集: 江森丈晃、撮影監督 / 編集: 北山大介、カメラマン: 林洋輔、制作: 前田久美子)


   


 メレンゲ『火の鳥』 (作詞作曲:クボケンジ)

      まっすぐに空を鳥が飛ぶ
      急いでいるのでしょうか どちらまで?
   
    急いでいるように見えましたか?
      実は私にもわからないのです

      意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです
   
      泣きそうな声 悲しい事言うなよな
      ならその空の旅を 僕と行かないかい?
      道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海

      争ったり 仲直りしたり 勝った方が正義か 遊びじゃないんだぜ
 
      いろんな人と いろんな命と 微妙なバランスで青い地球

      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      君にだって会える 言えなかった事言おう 言えなかった事を言うよ

      世界には愛があふれてる 夜になれば灯りはともる
      それでも僕ら欲張りで まだまだ足りない
 
      他人事みたいに 世界中を見に行こう ツンドラのもっと向こう
      優しくなれるかい 人は変われるって言うよ?
      同じように僕も 他人事じゃなくて 他人事じゃなくて
      ツンドラのもっと向こう
   


2020年5月2日土曜日

空を飛ぶ鳥の視線[志村正彦LN255]

 前回の記事はたくさんのアクセスをいただき、300を超えた日もあった。
 フジファブリック『若者のすべて』を音源にしたテレビ山梨の「STAY HOME」60秒versionが反響を呼んだのだろう。この映像は毎日UTYで流されている。この一週間で2回ほど、リアルタイムで放送版を見ることができた。もう何度も見たのだが、それでも感動してしまう。なぜだろうか。そのことを考えたい。

 今日は、あの記事に対する「yuko」さんのコメントを最初に引用させていただく。


ファンとしては、上空から眺めた「いつもの丘」が、まるで志村君の目線のようにも感じました。そして、STAY HOME のテロップとともに写し出された忠霊塔の画面は、志村君が「ここにいるよ」とでも言っているかのようでした。


 このコメントへの返信に書いたことだが、この《上空から眺めた「いつもの丘」が、まるで志村君の目線のようにも感じました》という捉え方に非常に考えさせられた。

 あの映像はUTYによると、高精細の4Kドローンのカメラを使って撮影したようだ。「いつもの丘」、新倉山浅間公園の界隈は僕も何度か訪れたことがある。桜の季節に、新倉富士浅間神社から忠霊塔へと続く400段ほどの階段を上っていくと、右側奥の斜面の方にも美しい桜の光景が広がっていた。その時、周辺を含めて「いつもの丘」の桜の全体の姿を見てみたい気持ちになった。でもそのためには、丘のかなり上の方に上らなければならないだろう。とりあえず無理なのでその気持ちはしまいこんだ。

 そういう経緯があるので、4Kドローンによる「いつもの丘」の映像を見て、上空からはこのように見えるのだという感動があった。桜と忠霊塔と富士山、丘、階段、下の駐車場、周辺の家並、中央道、富士吉田の街並、そして富士山が再度登場、最後に「いつもの丘」の斜面、全景。
 通常では得られることのない「視線」によって、志村正彦が生まれて育った地の風景をたどることができたのだ。志村さんは友だちと「いつもの丘」よりさらに高い場所へと歩いて登っていき、特に何をするわけでもなく、そこから見える風景を眺めて時を過ごしたという話を伺ったことがある。少年にとっては冒険の丘、秘密の場だったのかもしれない。もしかすると、あの映像に近い風景を見ていたのかもしれない。

 「STAY HOME」60秒versionは、どういう視点から撮影されたのだろうか。あのドローンは地上十数メートルから百メートルほどの上空を飛んでいたのだろう。また、ゆるやかな速度で進んでいる。ヘリコプターからの映像とくらべて、高度も速度も異なる。この高度と速度は、空を飛ぶ鳥の視線に近いのではないだろうか。
 鳥が空を旋回して「いつもの丘」を眺めている、そんな視線を思い描くことができる。そうすると、あの映像は、空を飛ぶ「鳥」になった志村正彦が「いつもの丘」を眺めている、そのように想像することもできる。《上空から眺めた「いつもの丘」が、まるで志村君の目線のようにも感じました》というコメントは、そのことを直観したのかもしれない。

 そしてこの映像は、『若者のすべて』歌詞の「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」とも結果的にもシンクロしてくる。その流れの中で、最後の最後に「STAY HOME」が出てくる。この映像の制作者は志村正彦と『若者のすべて』のことを深く理解している。
 「僕らは変わるかな」と志村は歌っている。この歌詞の文脈からかなり離れてしまうが、「僕らは変わるかな」は若者の、いやすべての人間の問いかけの言葉だ。

 「STAY HOME」といっても、私たちの「生」を維持するための仕事に就いている人々は、「HOME」ではなく各々の場所で働いている。「HOME」ではなく「AWAY」にいる。この危機の中で、私たちの命、生活、社会を守るために、忍耐強く過酷で困難な仕事を続けている。「STAY HOME」が可能となるのはこのような働きによって支えられていることを忘れてはならない。深い感謝を持つ。

 私たちは変わるだろうか。私たちの「生」が真に守られる社会に変わることを祈る。

2020年4月25日土曜日

STAY HOME(テレビ山梨)『若者のすべて』[志村正彦LN254]

 今日2回目の記事となる。

 前の記事「Virtualな四季」をUPした後、メールチェックの仕事に戻り、夜6時頃からUTYテレビ山梨(TBS系列)の「報道特集」を見ていた。当然だが「コロナ危機」の特集である。

 途中でいきなり、志村正彦の声が聞こえてきた。フジファブリック『若者のすべて』が流されていた。画面を見ると、新倉山浅間公園の桜の風景が広がっていた。忠霊塔(五重塔)、富士山、富士吉田の街並が見える。
 頭が混乱した。これが番組の一部でないことだけは確かだ。すぐに録画ボタンを押した。後で再生して確認した。

  『若者のすべて』の最後のブロックがBGMとして流される。右下には「♪若者のすべて♪ フジファブリック」のテロップ。ドローンで空撮したのだろう。風景の様子や周囲の状況からして最近の撮影だと思われる。富士山の美しい姿、そして「いつもの丘」の風景、最後に「STAY HOME」の文字が現れた。右下に「50TH UバクUTY」のクレジット。ここでやっと了解した。この映像はテレビ山梨が制作した「STAY HOME」の公共的な広告だということを。UTYは今年が開局50周年ということで、一連のキャンペーンを行っているが、その一つでもあるのだろう。

 番組終了後、UTYテレビ山梨のサイトを見ると、「STAY HOME 新型コロナに警戒しよう!」という特設ページ に、STAY HOME(30秒)とSTAY HOME(60秒)の二つのversionが置かれていた。ありがたい。STAY HOME(60秒)が『若者のすべて』versionである。ぜひご覧になってください。

 STAY HOME(30秒)の方は、サンボマスターの『できっこないをやらなくちゃ』をBGMにして、甲府盆地の釜無川あたりの風景が映されていた。つまり、UTYテレビ山梨の制作部は、「STAY HOME」30秒version サンボマスター、60秒version フジファブリックの音源を使ったことになる。甲府盆地と富士北麓の二つの地域別のversionとも言える。
 
 『若者のすべて』の歌詞は次の最後のブロックである。


  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな

  最後の最後の花火が終わったら
  僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


  STAY HOME(60秒)のセンスが素晴らしい。映像と音源が相乗効果を上げている。志村正彦の優しい声が美しい風景に溶け込んでいる。
 志村正彦・フジファブリックが誕生したのはこの山梨である。しかし、この曲がいわゆる「山梨枠」として使われたのではないだろう。若者のすべてを表現する類い稀な詩として選ばれたのだと僕は考える。

 「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」のところで、富士山と「いつもの丘」の桜が映し出される。 あの美しい桜を「今年は見られなかったけど…」「来年はきっと見られる」。
 
 そのための「STAY HOME」である。
 

Virtualな四季 [志村正彦LN253]

  「S/R(Songs to Remember)」を4回続けたが、今回は久しぶりに志村正彦ライナーノーツに戻りたい。

 コロナ危機の状況下、大学の新学期は延期され休校状態になっている。僕も在宅勤務が基本となった。「Stay Home」である。
 5月中旬から予定されている遠隔授業、Online授業の環境整備の担当として、教職員、学生、ネットワーク会社と、毎日二十を超えるメールのやりとりをしている。校務の仕事がものすごく増えて、正直、とても疲れている。オンとオフの切り替えができない。実務文書やメールばかり書いているので、ブログのテキストを書くことは一種の解放となる。

 我が家のCDプレーヤーのトレイには通常、フジファブリック『SINGLES 2004-2009』か『シングルB面集 2004-2009』が載せてある。フジファブリックは、PCやネットワークでなく、CD音源ともう20年も愛用している小型のブックシェルフスピーカーを通した音で聴きたいのだ。
 この前、『SINGLES 2004-2009』を久しぶりにかけた。このところ、音楽を聴く気持ちにも慣れないほど仕事に追われていた。そんな状態で、スピーカーが、1. 桜の季節、2. 陽炎、3. 赤黄色の金木犀、4. 銀河と、四季盤の曲を次々に鳴らしていった。目をつぶって志村正彦・フジファブリックの春夏秋冬の歌に耳を傾けた。

 三月末から家にいる時間が多くなり、外の世界と隔てられている。季節から遠ざかっているという感覚だ。そんな自分の身体に、「桜の季節」、「陽炎」の季節、「赤黄色の金木犀」の季節、「きらきらの空」の季節が順々に訪れてくる、そんな気分に浸ることができた。
 僕のまわりに志村正彦が描く季節が動き出していく。「Virtualな四季」を擬似的に経験した。


桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい? 桜のように舞い散って しまうのならばやるせない    『桜の季節』


窓からそっと手を出して やんでた雨に気付いて 慌てて家を飛び出して そのうち陽が照りつけて 遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる    『陽炎』


赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって 何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道      『赤黄色の金木犀』


きらきらの空がぐらぐら動き出している! 確かな鼓動が膨らむ 動き出している!    『銀河』


 四季の移り変わりと共に、「遠くの町」「家」「帰り道」「丘」と、場所も動いていく。春夏秋冬の映像が頭の中に浮かんでくる。四季の時間と場所、この二つが連動して、志村正彦の季節の感覚とシンクロナイズしていくような感覚になった。


 時を少し遡りたい。
 3月26日(木) 午後3時08分から、NHK総合テレビで『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』(NHK甲府制作)が再放送された。そのことに触れたLN251で、槇原敬之『若者のすべて』の歌とコメントの映像がどうなるのかが気になると書いた。
 結果は、柴崎コウの写真を背景に彼女が歌う『若者のすべて』が流された。当然ではあろうが、やはり変更されていた。柴崎コウの『若者のすべて』の純度の高い声は素晴らしい。

 一昨日、4月23日の夜、日本テレビ「今夜くらべてみました」は、『菅田将暉が熱弁!大切な事は全てJ-POPから学んだ男と女』というタイトルだった。このタイトルに惹かれて、番組を見てみた。菅田将暉は『茜色の夕日』を聴いて音楽を始めようとしたほど志村正彦の作品を敬愛している。もしかするとという予感があった。番組は、ゲストの菅田将暉(20代)、平川美香(30代)、平野ノラ(40代)の3世代が、大切な事を学んだ曲を選んでいくという内容だった。

 「落ち込んでいる時に聴く曲」でくらべてみましたというテーマで、菅田将暉はフジファブリック『夜明けのBEAT』を選んだ。菅田は、「モテキ」の曲です、歌詞も「バクバク鳴ってる」みたいなわりと上げ目の曲で、と紹介していた。『夜明けのBEAT』が志村の声で流されて、画面にはフジファブリックの写真と共に次のような表示が出た。

  フジファブリック「夜明けのBEAT」2010
  ドラマ&映画「モテキ」の主題歌
  心踊る気持ちを疾走感あふれるビートで表現

 もっとコメントがほしかったのだが、こういう構成の番組にそれを求めても仕方がない。菅田将暉のフジファブリック愛が充分に伝わってきた。この後で『若者のすべて』がBGM的に流されるシーンもあった。

 翌日の24日、NHKBS1で「ひとモノガタリ」の『若者のすべて ~“失われた世代”のあなたへ~』が再々放送された。放送局は制作が困難なために、このところ再放送が多くなっている。
 そういう状況下ではあるが、 志村正彦の番組がこれだけ繰り返しオンエアされるのは、彼の人と音楽に対する高い評価があるからだろう。

2020年4月18日土曜日

Peter Gabriel and Kate Bush『Don't Give Up 』[S/R004]

 S/R(Songs to Remember)第4回は、Peter Gabriel and Kate Bush(ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュ)の『Don't Give Up 』。

 Peter Gabrielは、洋楽の中で最も愛する音楽家だ。ロックの歴史上、才能という観点で彼は最も優れた存在であろう。

 出逢いは、Genesisの1973年の『GENESIS LIVE』だった。僕が初めて買った輸入盤だった。「ミュージックマガジン」の輸入レコード店(どの店かは覚えていない)の広告でアルバムの奇妙な写真に惹かれて通信販売で購入した。つまり「ジャケ買い」だった。
 Genesisの存在は雑誌を通じて少しだけ知っていたが、音楽は聴いたことがなかった。ラジオで流されることもなかったと思う。70年代前半の日本では、英国プログレッシブロックでの知名度は最も低かった。GENESISやPeter Gabrielが日本でもブレイクするのは70年代後半から80年代初頭にかけての頃である。

 『GENESIS LIVE』を聴いて、その不可思議な世界に魅了された。Peter Gabriel(ボーカル、フルート、パーカッション)、Tony Banks(キーボード)、Mike Rutherford(ベース)、Steve Hackett(ギター)、Phil Collins(ドラムス)の5人編成。Peter Gabrielの声と歌。変幻自在なメロディとリズムを奏でる演奏。シアトリカルな演出。聖書や神話、物語や小説から題材を取った奇想天外な歌詞はほとんど理解不能だったが、断片的に聞こえてくるフレーズが耳にこびりついてきた。Peter Gabrielはロックの詩人として高く評価されていた。

 1974年リリースの『The Lamb Lies Down on Broadway』(眩惑のブロードウェイ)は、GENESIS の最高傑作だった。インナースリーブに記された物語や歌詞を読み込んだ。英米の文学へ関心を持つようにもなった。しかし、1975年、Peter GabrielはGENESISを脱退。悲嘆に暮れたのだが、1977年に彼はソロアーティストとして復活した。その後の活躍はここで記すまでもないだろう。

 このPeter Gabriel &Kate Bushの 『Don't Give Up 』は、1986年の5枚目ソロアルム『So』に収録。Kate Bushも好きだったが、二人のデュエットと知って初めはとまどっていたが、レコードをかけるとその出来映えに驚いた。Godley & Creme(ゴドレイ&クレーム)制作のミュージックビデオも秀逸だった。背景の太陽が日食になり、コロナらしきものが見える。特に象徴性はないのだろうが、コロナ危機の状況下の偶然に目を引きつけられた。最後になると、日食が終わり太陽の光が戻ってくる。二人のシルエットが光の中に消えていく。

 この歌は、大恐慌時代の貧困に苦しむアメリカ人を撮影した写真から着想を得て、サッチャー時代のイギリスで失業に苦しむ人々を重ね合わせているようだ。
 「I am a man whose dreams have all deserted 僕はすべての夢をなくした男だ」と語る男に、「Don't give up 'cause you have friends あきらめないで あなたには友だちがいる / Don't give up You're not the only one あきらめないで あなたは一人じゃない」と語りかける女。
 女は「'cause I believe there's the a place/There's a place where we belong 信じている 私たちの居場所があることを」と歌っている。

 誰もが「居場所」に帰り、安らぎが得られることを祈りたい。
   Don't give up.



  The official Don't Give Up video.  Directed by Godley and Creme.




Don't Give Up    [ Peter Gabriel ] 

In this proud land we grew up strong
We were wanted all along
I was taught to fight, taught to win
I never thought I could fail
No fight left or so it seems
I am a man whose dreams have all deserted
I've changed my face, I've changed my name
But no-one wants you when you lose

Don't give up 'cause you have friends
Don't give up you're not beaten yet
Don't give up I know you can make it good

Though I saw it all around
Never thought that I could be affected
Thought that we'd be last to go
It is so strange the way things turn
Drove the night toward my home
The place that I was born,  on the lakeside
As daylight broke, I saw the earth
The trees had burned down to the ground

Don't give up you still have us
Don't give up we don't need much of anything
Don't give up  'cause somewhere there's a place where we belong

Rest your head
You worry too much
It's going to be alright
When times get rough
You can fall back on us
Don't give up
Please don't give up

Got to walk out of here
I can't take anymore
Going to stand on that bridge
Keep my eyes down below
Whatever may come
and whatever may go
That river's flowing
That river's flowing

Moved on to another town
Tried hard to settle down
For every job, so many men
So many men no-one needs

Don't give up 'cause you have friends
Don't give up you're not the only one
Don't give up no reason to be ashamed
Don't give up you still have us
Don't give up now we're proud of who you are
Don't give up you know it's never been easy
Don't give up 'cause I believe there's a place
There's a place
Where we belong

Don't give up
Don't give up
Don't give up


2020年4月15日水曜日

HINTO『エネミー』[S/R003]

 前回のS/R[Songs to Remember]は、ポール・サイモンの『The Boxer』だったが、昨日たまたまNHKBSプレミアムで映画『卒業』[The Graduate](マイク・ニコルズ監督,1967)」が放送されたので、録画して鑑賞した。この映画はかなり前に見たことがあるが、今回の印象はそれとはまったく異なっていた。映画、音楽、文学の名作は、もう一度あるいは何度でも繰り返し見たり読んだり聞いたりすると、新たな発見がある。そのことを再確認させられた。
 サイモン&ガーファンクルのいくつかの名曲が場面場面で流される。でも曲自体は映画の展開とは独立している。歌と物語が分離されているのだ。『The Boxer』はなかなか複雑な作品であるが、S&Gの声はとても美しく響きわたっていた。

 S/R[Songs to Remember]第3回は、HINTOの『エネミー』ライブ映像。『The Boxer』からの連想というわけではないが、「敵」をモチーフとするこの傑作を紹介したい。

 この映像の収録は2014年9月23日の渋谷CLUB QUATTRO。これもたまたまだが、このライブに行っていた。ただひたすら凄い演奏だった。得がたい音の体験だった。 安部コウセイのボーカル・ギター、伊東真一のギター、安部光広のベース、菱谷昌弘のドラムス。僕にとっては、1980年新宿ロフトでのFRICTIONライブを凌駕する衝撃だった。

 この映像はそのライブを撮影した「official bootleg LIVE MOVIE」である。クレジットを見ると、ディレクターが須藤中也(m社 映像部)であることに初めて気づいた。あのフジファブリック『FAB BOX III』の映像の制作者である。あの日のライブの迫真性を忠実に捉えて、映像に見事に再現している。僕は会場の一番奥の方に立っていた。一番引いた映像を撮っているカメラのすぐ後ろだった。演奏後の静かな熱狂の余韻を示す観客の拍手のシーン。あの日の記憶を共有できる。

 『エネミー』の歌詞にある「敵」はある抽象としても一つの具象としても捉えることができるのだろう。見えるものも見えないものもある。そもそも敵であることが明らかなものも明らかでないものもある。

 安部コウセイ・HINTOは「敵の声を掻き消せ/歌声」と歌っている。「歌声」が「敵の声」を掻き消す。この歌の究極のvisionだ。安部のそしてHINTOの「歌声」がこの時代に突き刺さってくる。僕らの「歌声」にこだましてくる。


  HINTO 『エネミー』【official bootleg LIVE MOVIE】
  2014.09.23@渋谷CLUB QUATTRO 
  dir.須藤中也(m社 映像部)
  撮影.鈴木謙太郎(m社 映像部)/大石規湖/ 宮本杜朗




  HINTO  『エネミー』(作詞:安部コウセイ  作曲:HINTO)

       こんなモグラみたいな眼で見つめても
              地図がぼやけて読めるわないだろ

              こんなO脚の足で歩いても
              そこに辿り着ける筈がないだろ

              目をつぶって祈らないで
              救いなんて待たないで
              やがてそうして受けとめて
              決めたから
              決めたから

              こんな汗にまみれた手で掴んでも
              すぐにすべり落ちてしまうだけだろ

              耳すまして怯えないで
              許しなんてこわないで
              だからどうした?はね返して
              今からだ
              今から行く

              『奴の次はおまえさ』
              闇にまぎれ囁く
              どこへゆこうと同じさ
              敵の声を掻き消せ
              歌声

2020年4月13日月曜日

Paul Simon 『The Boxer』[S/R002]

 3月31日、ポール・サイモン(Paul Simon)が「The Boxer」を歌う映像を公開した。この時期の演奏ということはおそらく、「コロナ危機」と闘うニューヨークそして全世界の「ボクサー」に対して捧げたのだろう。

 「The Boxer」はサイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel、S&G)の言わずとしれた名曲である。70年代前半、日本でもS&Gの人気は圧倒的だった。それこそラジオに毎日流れるくらいの。僕もファンだった。英語の歌詞に興味を持つきっかけにもなった。

 1982年5月、S&Gの初来日公演に行った。今はなき後楽園球場が会場だった。記憶はうすれてしまったが、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの二人の声が大空を駆け上がるように綺麗に広がっていたことは覚えている。

 2018年9月、彼は故郷のニューヨークでのライブを終えて引退したようだが、現在の危機に対抗するかのように復活して演奏する姿を見ると、ポール・サイモン自身がボクサー、闘う歌い手であり詩人であることが強く伝わってくる。

 79歳になった彼はもちろん年齢相応の姿となっているが、アコースティックギターを抱えるようにして奏でて美しく響かせている。時折みせる深くて優しい眼差し。声はみずみずしく何かと闘っている。最後の「"I am leaving, I am leaving", but the fighter still remains」というところが胸に突き刺さる。「still remains」が繰り返されるのだ。

  Paul Simon - The Boxer (Acoustic Version March 2020)




I am just a poor boy, though my story's seldom told
I have squandered my resistance for a pocketful of mumbles, such are promises
All lies and jest, still a man hears what he wants to hear
And disregards the rest, hmmmm

When I left my home and my family, I was no more than a boy
In the company of strangers
In the quiet of the railway station, runnin' scared, laying low
Seeking out the poorer quarters, where the ragged people go
Looking for the places only they would know

Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie

Asking only workman's wages, I come lookin' for a job
But I get no offers
Just a come-on from the whores on 7th Avenue
I do declare, there were times when I was so lonesome
I took some comfort there, lalalalalalala

Now the years are rolling by me
They are rockin' evenly
I am older than I once was
And younger than I'll be; that's not unusual
Nor is it strange
After changes upon changes
We are more or less the same
After changes we are more or less the same

Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie

And I'm laying out my winter clothes and wishing I was gone
Goin' home
Where the New York City winters aren't bleedin' me
Leadin' me
Goin' home

In the clearing stands a boxer, and a fighter by his trade
And he carries the reminders
Of every glove that laid him down or cut him
'Til he cried out in his anger and his shame
"I am leaving, I am leaving", but the fighter still remains

Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie

2020年4月12日日曜日

フジファブリック『桜の季節』[S/R001]

 「コロナ危機」への対策として、勤務先の山梨英和大学は「緊急クローズ」宣言を出した。学生・関係者の来校が原則禁止。教職員の自宅研修・自宅勤務も始まっている。今、五月以降の遠隔授業の準備に追われている。

 この危機の中で自宅勤務となった方はまだ幸せだろう。通勤して勤めざるをえない方の感染への不安、仕事を奪われて自宅に留まざるをえない方、住む場所がない方の不安と窮乏を思うと、心が痛む。言葉にはどうしても現実との隔たりがある。書くことには距離がある。軽さも伴う。なんともいえない気分になるが、僕にできることはこのblogを続けることしかないので、その原点を確認して歩みを進めたい。

 以前から考えていたことを始めたい。ロックを聴き始めてからもう四十数年の歳月が経った。その間に聴いてきた数々の名曲がある。中にはもう忘れられてしまったような作品もある。また、比較的最近聞いてとても気に入った曲もある。
 このような状況下だからこそ、ネットの映像や音源を活用して、それらの名曲を紹介したい。説明はあまりしないで歌詞を載せるというスタイルでいきたい。

 シリーズ名は「Songs to Remember」の略記[S/R]にした。この名は、Scritti Politti スクリッティ・ポリッティの1982年のアルバム『Songs to Remember』から取った。学生の頃愛聴していたアルバムだ。 "Jacques Derrida" という歌もあって、愉快でラディカルな作品だった。

 一曲目は何にしようと数日考えていた。[S/R]は邦楽、洋楽を問わず、時代もジャンルも関係なく取り上げていく。それでもこの季節にやはり思い浮かんだのは、2004年4月14日リリースのフジファブリック『桜の季節』だ。16年前の曲になる。

 今年の春は、桜を見ることもなく、桜が過ぎ去っていった。日常の風景が少し異なって見えてきた。
 志村正彦は、「ならば愛をこめて/手紙をしたためよう」と歌っている。この「ならば」の前に挿まれる仮定の言葉は無限にあるのだろう。




 フジファブリック 『桜の季節』 
  (作詞・作曲:志村正彦)


  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない

  oh ならば愛をこめて
  so 手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!

  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない

  oh その町に くりだしてみるのもいい
  桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

  坂の下 手を振り 別れを告げる
  車は消えて行く
  そして追いかけていく
  諦め立ち尽くす
  心に決めたよ

  oh ならば愛をこめて
  so 手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!

  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない

  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない



2020年4月5日日曜日

隔たりのある笑い

 前回、志村けんの姓「志村」について述べた。今回は志村けんの「芸」について触れたい。とは言ってもそのことを書ける知識も見識もないので。この間に読んで教えられることが多かった二つの記事を紹介したい。

  西条昇氏(フリーの放送作家、お笑い評論家を経て、現在は江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授)は、『普遍的笑い、比類なき観察眼で 志村けんさんを悼む』(朝日新聞2020.4.1)という追悼文で次のように書いている。


 私が20代の時、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の構成作家を1年だけ担当しました。テレビで見るのとは全く違う、志村さんの笑いへの厳しい姿勢にとにかく驚きました。

 私たちが出したコント案が加藤茶さん、志村さんに次々に却下され、ゼロから考え直すことは日常茶飯事です。たばこの煙がモクモクとする会議室で、数時間も机に突っ伏しながらネタを考えます。志村さんは物静かに考えられていました。そんな中でアイデアの出発点となるのが、加藤さんと志村さんが「あの映画のこの場面が面白かった」と何げなくつぶやく一言でした。

 加藤さんもたくさんの映画を見られていましたが、志村さんの勉強量はすさまじかった。まだ日本で発売されていない海外のコント番組のビデオを輸入業者を通じて取り寄せておられました。自宅にはコメディー映画のビデオも大量にあり、早送りで見ながら面白い所だけ通常再生して確認すると伺ったこともあります。テレビ画面上では飲み屋の延長のようなノリで振る舞っておられましたが、志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出されたものなのです。


 「志村さんの勉強量はすさまじかった」「志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出され」ということを知ると、もう一人の「志村」のことを思いだざずにはいられない。あたりまえのことだが、この勉強量や知識量は表には出てこない。表に出てきたのでは「笑い」も「音楽」も「芸」として成立しないからだ。そのことはしかし、あまり省みられない。


 話題作『ポスト・サブカル 焼け跡派』の著者「TVOD」の一人であるコメカ氏は、『たけしと何が違うのか――コントで勝負した志村けんは、最後の世代の「喜劇人」だった』(文春オンライン)で、ビートたけしと対比しながらこう述べている。


 インターネット以降の世界では、芸人もミュージシャンも作家もみな生身の人間であることをわたしたちは実感として知っている。だが、70~80年代にテレビで活躍しその存在を確固たるものにした志村けんというキャラクターは、その生身の奥行を想像しにくい存在としてのコメディアンの、最後の一人だったのではないだろうか。

 だから私たちは、そういう平板な(これは揶揄ではない)キャラクターが消失してしまったことを上手くイメージできない。ミッキーマウスが生々しく死ぬ場面を想像できないのと同じことだ。

 70年代までの日本には、お茶の間のブラウン管を通し平板なキャラクターたちのドタバタ劇に笑っていられる状況が、良くも悪くもあった。その残滓の消失を、恐らく私たちはいま実感しているのである。


 「その生身の奥行を想像しにくい存在としてのコメディアン」というコメカ氏の捉え方には、なるほど、と頷くものがあった。
 同時代の視聴者としての実感としても、テレビのブラウン管の向こう側にいる存在は、端的に、向こう側の人だった。televisionという言葉どおり、その技術は「tele」遠くにあるものをこちら側に近づけた。日常を日常にもたらした。
 ザ・ドリフターズの時代のテレビ番組では、向こう側とこちら側はブラウン管で隔てられていて、その隔たりによって、「笑い」という非日常と日常がゆるやかに接していた。

 あの時代、ブラウン管のテレビという機械には確固たる存在感があった。茶の間で君臨していたが、それはある種の異物でもあった。電源ボランを押すと非日常が日常と接続し、離すと断絶していった。
 今日、ブラウン管が液晶などのフラットパネルに変わった。その形が象徴するかのように、向こう側とこちら側とはまさしく「フラット」に接続する。小さなフラットパネルをポケットに入れて持ち歩くこともできる。異物感はなくなり、接続が常態化される。そして、「tele」遠くにあるものをこちら側にもたらすのではなく、すべてのものが私たちの身体の近くに接しているような感覚をもたらす。

 ブラウン管のテレビが茶の間に君臨していたあの時代、ザ・ドリフターズや志村けんの時代を思い出す。あの笑いとあの隔たりの感覚が懐かしい。それはゆるやかさでもあった。
 笑いとは隔たりの感覚によって人を解放するものである。隔たりのある笑いがさらに遠ざかっていく。