11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

10月1日から申込の受付を開始します。 右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月15日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2019年8月18日日曜日

2019年夏の『若者のすべて』[志村正彦LN229]

 8月9日のミュージックステーション。志村正彦・フジファブリック『若者のすべて』の演奏は大きな反響を呼んだ。番組の録画を見直してみた。
 スタジオ収録用カメラはありのままの姿を映し出してしまうところがある。番組での加藤慎一、金澤ダイスケ、山内総一郎の三人の姿はいつもより年齢を感じさせた。加藤・金澤が39歳、山内が37歳、若者の季節をすでに過ぎた彼らが『若者のすべて』を歌い奏でる。もちろん、あらゆる歌は年に関係なく歌うことができる。しかし、歌のリアリティは歌い手という存在に支えられていることも確かだ。挿入された映像の志村正彦は二十代後半の声と身体のままである。2019年という時の区切りはそんなことも感じさせた。

 時間は前後するが、8月5日の河口湖湖上祭で、「路地裏の僕たち」による「河口湖湖上祭 若者のすべて花火プロジェクト」による花火が打ち上げられた。『FAB BOX III 上映會』と展示会の際に集まった協力金は71万を超えたそうだ。一人500円だったのでざっと計算すると1400人もの人が協力したことになる。僕は現地には行けなかったが、動画サイトでその映像を見ることができた。初めに志村正彦のことを伝えるアナウンスがあった。志村の歌声が会場に流れ、美しい花火の数々が夜空を飾っていた。いったん終わりかけ、少しの沈黙の後、ひときわ大きな花火が打ち上げられた。「最後の最後の花火」を意図した演出だろうか。余韻が残る終わり方だった。三分ほどの時間、その間の火花の一点一点の光の粒が一人一人のファンによって支えられていた。
 「同じ空を見上げているよ」、歌詞の最後の一節のように、志村を想う人々が現地であるいは動画を通じて、河口湖湖上祭の同じ空、同じ花火を見上げていた。

 8月8日、 槇原敬之が初のカバーベストアルバム『The Best of Listen To The Music』に『若者のすべて』を収録するというニュースがあった。槇原は10月にデビュー30年目を迎える。30周年イヤー第1弾作品として、 これまで3作あるカバーアルバム『Listen To The Music』シリーズの中から厳選された13曲にフジファブリック『若者のすべて』とYUKI『聞き間違い』が新たに録音されて全15曲が収録され、10月23日に発売されるそうだ。この収録曲が凄い。


■槇原敬之『The Best of Listen To The Music』収録曲
01. 君に、胸キュン。(YMO)
02. 月の舟(池田聡)
03. traveling(宇多田ヒカル)
04. Your Song(エルトン・ジョン)
05. 言葉にできない(小田和正)
06. ごはんができたよ(矢野顕子)
07. WHAT A WONDERFUL WORLD (ルイ・アームストロング)
08. ヨイトマケの唄(美輪明宏)
09. MAGIC TOUCH(山下達郎)
10. Hello,my friend(松任谷由実)
11. 時代(中島みゆき)
12. Rain(大江千里)
13. Missing(久保田利伸)
14. 若者のすべて(フジファブリック)※新録
15. 聞き間違い(YUKI)※新録
※カッコ内はオリジナル歌唱アーティスト


 『若者のすべて』が、『Your Song』(エルトン・ジョン)、『WHAT A WONDERFUL WORLD』(ルイ・アームストロング)という世界の名曲、『ヨイトマケの唄』(美輪明宏)、『Hello,my friend』(松任谷由実)、『時代』(中島みゆき)という日本の名曲、『君に、胸キュン。』(YMO)、『ごはんができたよ(矢野顕子)』という日本語ロックの秀作と並んでいる。これを知った時の驚き、喜び。月並みな言葉しか浮かばないが、嬉しさがこみ上げてきた。槇原敬之という傑出した歌い手による選曲の中で、『若者のすべて』は歌い継がれるべき名曲として認められた。『若者のすべて』はついにこのような並びの中で記憶されていくのだ。
(いつも書いていることだが、カバーソングの場合はオリジナル歌唱アーティストを記すのが通例だが、作詞作曲者名も記してほしい。15曲中、バンドによる作品は他に『君に、胸キュン。』(YMO)があるが、これは作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏である。YMOというアーティスト名とともに、作詞作曲者名が重要であることが分かる)

 一昨日、県立図書館2階の郷土資料コーナーで調べ物をしていた。2階から1階を見下ろした時に、5年前の2014年7月、この場所で『ロックの詩人 志村正彦展』を開催した時のことを思い出した。あの時は志村正彦の没後五年、今年は十年である。年月は過ぎ去り、年齢は重ねられていく。
 図書館を後にして車に乗り込むと、『若者のすべて』が流れ始めた。午後3時過ぎ、FM FUJIだった。偶然の遭遇は幸せな気分をもたらす。家への帰路の途中。猛暑の甲府盆地。車の外では夏の光が溢れている。車の中では志村の声が響きわたっている。彼の声が夏の光を縫いあわせるようにして歩き出していった。
 この歌を愛する一人ひとりに、夏の『若者のすべて』がある。FM FUJIの ONAIR SONGSが僕にとって、2019年夏の『若者のすべて』となった。

2019年8月9日金曜日

『若者のすべて』の声と像(ミュージックステーション)[志村正彦LN228]

 今日8月9日、テレビ朝日「ミュージックステーション」にフジファブリックが初出演し、志村正彦作詞・作曲の『若者のすべて』を歌った。

 演奏の前に、『若者のすべて』、志村正彦、フジファブリックを紹介する時間があった。テロップとナレーションで構成されていたが、テロップだけを以下に記す。


フジファブリックが夏の名曲ライブ!
「若者のすべて」(07) 作詞・作曲:志村正彦

多くのアーテイストに愛される名曲
櫻井和寿 藤井フミヤ 槇原敬之 錚々たるアーティストがカバー

2009年12月24日
ボーカル&ギター志村正彦、急逝。

残された三人でバンドを存続
亡くなった志村正彦に代わりギターの山内総一郎がボーカルも担当
ロック界に確固たる地位を確立

デビュー15周年 志村正彦没後10年 Mステ初登場!
志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!


 あくまで現在のフジファブリックからの視点ではあるが、簡潔に振り返っていた。伝えるべきことは伝えていた。この後、タモリと山内によるトークなどがあった。
 CM後に演奏が始まった。山内総一郎(Vo/G)、加藤慎一(B)、金澤ダイスケ(Key)、ゲストドラマー(ニコという方らしい)の四人編成。「志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!」と予告されたからどのような演出になるのか、期待と不安が入り混じった気分で『若者のすべて』を聴くことになった。

 三人のメンバーともに緊張した表情。山内の声が幾分かこわばっている。Mステという番組でこの作品を歌う意味合いが迫ってくる。
 第1ブロックとその間奏の後で、「作詞作曲した志村正彦の過去映像と共演」というテロップが出て、おそらく『FAB BOX Ⅲ』収録の映像が流れる。志村が楽しそうに笑っているシーンだった。
 その後、いきなり、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」という志村の声が始まる。映像が鮮明にになり、両国国技館ライブ時だと思われる志村の歌う姿が画面全体に現れた。この瞬間、心がかなり動かされた。どういう展開になっていくのだろうと想像するのもつかの間で、「歩き出して」のところでスタジオで歌う山内の映像と声がミックスされた。スタジオのスクリーンに志村の映像が投影されていることが分かった。
 「志村正彦の歌声とともにパフォーマンス!」と告げられたので、最先端の技術を作って加工された映像にでもなるのかなとも思っていたが、シンプルな手法による編集だった。奇を衒っていないという点ではこの手法は妥当であろう。

 しかし、違和感が残った。第1ブロックからいきなり最終パート近くの歌詞へと跳んでいったからである。ゴールデンタイムの放送という制約だろうか、5分ほどの曲を3分弱に縮められていた。
 歌詞を確認してみた。記録と記憶のために、歌われた部分を太字で歌われなかった部分をアンダーラインを引いて普通の字で示す。


  真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
  それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

  夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
  「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  世界の約束を知って それなりになって また戻って

  街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
  途切れた夢の続きをとり戻したくなって

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな

  最後の最後の花火が終わったら
  僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 要するに第2ブロックのすべてと第3ブロックの重要な部分が欠落していた。Mステという番組がいつもこのように尺を短くするのかどうかは知らないが、民放の音楽番組ではよくあることなのだろう。仕方がないことかもしれない、しかしそう言ってしまえば、この歌が損なわれる。だから仕方がないとは言いたくない。非常に残念であったと記しておく。

 『若者のすべて』は歌の主体の「語り」によって成立している作品である。その語りの枠組や構造はこのブログで何度も書いてきた。聴き手は、志村正彦の語りの声と言葉を一つ一つたどることによって、心の中のスクリーンに自由に物語を描いていく。「夏の名曲」として愛されているゆえんである。
 特に「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」という転換がなければ、「最後の最後の花火」と「僕らは変わるかな」が登場する必然性が失われる。語りの本質が損なわれる。

 このような疑問が残ったのだが、ミュージックステーションという長い伝統のある番組で取り上げられたのは、ファンの一人として率直にうれしかった。そして演奏終了時の山内、加藤、金澤の眼差しには志村正彦への想いが込められていた。三人にとっても特別な場所と時間だったのだろう。

 2019年の夏、志村正彦は、出演を希望していたというミュージックステーションで、「すりむいたまま 僕はそっと歩き出して」と歌った。そのように記憶したい。声と像は、歌い続けることができる。

2019年8月4日日曜日

〈音楽家の自分vs.自分〉-『同じ月』5 [志村正彦LN227]

 今日、『FAB BOX III』の「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」のDVD2枚、計3時間40分に及ぶ映像を初めて通しで見た。

 DISC1(約1時間17分)は、ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング。『CHRONICLE』付属DVDなどに収録されなかった映像が収められている。新たに公開された志村正彦のインタビューが貴重である。また、『同じ月』の日本のスタジオでの録音の様子も記録されていた。プロデューサーの亀田誠治と志村が話し合う場面や最終テイクの完了場面もあった。『Sugar!!』と同様に、『同じ月』もほぼ日本で完成されたと考えてよいだろう。

 DISC2(約2時間23分)の「ライブ映像」中の7曲目が『同じ月』だった。7月6日の『FAB BOX III 上映會』で見た映像と同一のものだろうが、印象は異なっていた。繰り返し見たせいだろうか、志村正彦の痩せた姿や伏し目がちに歌う表情が気になる。言葉のニュアンスを伝える力が弱く、サビで声を振り上げるところが痛々しい。MCや舞台裏で笑うシーンを見るとなんだかホッとするのだが。
 このツアーをなんとか成功させようとする意志は充分にうかがえる。逆に言うとその意志だけでステージに立っていたのだろうか。

 『同じ月』の歌詞に戻ろう。今回は最後の第3ブロックを読んでいきたい。


  君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです
  振り返っても仕方がないと 分かってはいるけれど

  にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜


  君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです
  壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

  にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜


  僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜


 「にっちもさっちも」という表現がユーモラスで、音の響きも面白い。この言葉は算盤用語に由来し、漢字では「二進も三進も」と書くそうだ。「二進」「三進」ともに2と3で割り切れることを意味し、反対に2や3でも割り切れないことを「二進も三進も行かない」と言うようになった。「にっちもさっちも」は、割り切れないこと、うまくいかないこと、どうにもできないことを表す。
 歌詞の文脈では、「君の言葉」「君の涙」を振り返っても仕方がない、分かってはいるけれど、割り切れない想いが残る、ということになるだろうか。行き詰ってどうにもできない。結局、「僕」は「何にも変われずにいる」。
 "CHRONICLE TOUR"のDVDを見て気づいたのだが、最後の「Uh〜」の節回しは独特で「志村節」と名付けていいかもしれない。反復される「Uh〜」に志村の想いが込められている。

 この歌を通して聴くと、冒頭の「この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか」に対する応答は、「僕」は「壊れそうに滲んで見える月を眺めている」である。「僕」は「君と同じ月」ではなく、おそらく一人で「壊れそうに滲んで見える月」を眺めているのだ。あるいはかつて二人で見た「同じ月」は今「壊れそうに滲んで見える月」に変わってしまったということかもしれない。いつものようにと言うべきだろうか、「僕」の「月」に対する眼差しは孤独である。

 志村は『同じ月』を「自分用に作りました。人にあげる曲も最高だったけれども、今回は僕が歌うためだけに生まれてくれた曲」だと述べた。詩は自己に対する慰藉でもある。「僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜」と歌うのは、自分を慰め、自分をいたわる行為でもある。それでも『同じ月』からは、どこか作者の志村が「変われずにいる」「僕」に対してある種の距離を取って歌っているようにも聞こえてくる。それは、作者、音楽家、表現者としての志村と、現実に生きる志村との距離の設定であり、分離でもある。

 志村正彦はあるインタビュー(『bounce』 310号2009/5/25、文・宮本英夫)で『CHRONICLE』について、「今回は〈音楽家の自分vs.自分〉という感じです。自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘いです。その答えはまだ出ていないですね。これから出たらいいなと思います」と語っていた。ここで「闘い」という言葉が使われたことに留意したい。『同じ月』も、月火水木金そして週末の「闘い」の軌跡でもあり、それゆえの慰藉を求める日々でもある。

 また彼は「今回はまったく意識せずに思ったことを完全ノンフィクションで歌ったというそれだけです」とも言っているが、それを額面通りに受け取ってはならないだろう。確かに内容は「完全ノンフィクション」なのかもしれない。しかし、音楽家としての志村正彦は、「完全ノンフィクション」を音楽として完成させている類い希な表現者でもあることを忘れてはならない。

2019年7月28日日曜日

「めくるめくストーリー」-『同じ月』4 [志村正彦LN226]

 一月ぶりに志村正彦・フジファブリックの『同じ月』に戻りたい。
 前回は第一ブロックを論じたので今回は第二ブロックとなる。このブロックは次の二つからなる。


  月曜日から始まって 火曜はいつも通りです
  水曜はなんか気抜けして 慌てて転びそうになって

  イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです
  何万回と繰り返される めくるめくストーリー


  木曜日にはやる事が 多すぎて手につかずなのです
  金曜日にはもうすぐな 週末に期待をするのです

  家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ
  映画を見て感激をしても すぐに忘れるから


 月曜日、火曜日は「いつも通り」だが、水曜日は「気抜け」し、木曜日は「やる事」が多すぎて、金曜日になると「週末」に期待する。
具体的な描写があるわけではないが、歌の主体の一週間のリズムが伝わってくる。「慌てて転びそうになって」「多すぎて手につかずなのです」「イチニサンとニーニッサンで動いてく」などというユーモラスな語り口から、作者志村正彦の素顔が現れている。飾り気のない実直さとでも言うべきか。そうして冷静に自分を観察している。

 志村正彦は、「イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々」の中に「何万回と繰り返される めくるめくストーリー」を物語っていく。彼は繰り返される日々の出来事から、あまり気づかれることはない微細なものであるが、何かを契機に輝きはじめるものを見つけ出す。例えばそれは「四季盤」の作品に傑出した形で表現されている。一年という単位の繰り返しは、春・夏・秋・冬という季節の循環となる。その反復の中で、「桜」「陽炎」「金木犀」「銀河」の物語を紡ぎ出す。定型的な表現ではなく志村の眼差しが捉えた独特の景物の「めくるめくストーリー」でもある。

 この『同じ月』では繰り返しの単位が一週間となっている。月・火・水・木・金そして週末という、より日常的な単位での反復である。題名に「月」が入っていることも示唆的である。一週間が何度か繰り返されると「月」の単位となる。また、「昨日、明日、明後日、明明後日」と歌われる『ルーティーン』は、一日単位の繰り返しを描いている。
そして、アルバムタイトルの『CHRONICLE』は年代記・編年史のことだから、一年単位の繰り返しによって築かれていく人生の年代記を指している。

 「家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ」という表現がある。志村のすべての歌詞の中で「欲望」という言葉が使われているのはこの箇所だけである。尽きることのない欲望とは何か。具体的な文脈が語られていないのであくまでも想像になるが、歌うことの欲望、作品を創ることの欲望だと僕は捉える。
 時間の反復の感覚は、一年、一月、一週間、一日という単位で繰り返し表現されてきた。そのような時間の中の「めくるめくストーリー」を歌うのが志村正彦の欲望である。志村はその欲望について何も譲ることがなかった。欲望に忠実であった。優れた表現者の欲望とはそのようなものである。

2019年7月21日日曜日

NHK『沁(し)みる夜汽車』

 昨夜、7月20日、BS1スペシャル『沁(し)みる夜汽車 2019夏』が放送された。NHKのwebで次のように紹介されている番組だ。

寝入りばなの一時、旅情ある夜行列車がゆく。鉄道にまつわる素敵なお話、心に染み入るエピソードを一日のおわりにお届け。出会い、別れ、日々の営み。鉄道はそれぞれの人生にとって大切な役割を担っている。その中でも、人々の心に“沁みる”物語を取り上げご紹介していく。番組は駅や路線にまつわる心温まるストーリー、本当にあった「沁みる話」を現場取材のドキュメンタリー部分と再現イメージで構成していく。

 制作者側から“沁みる”物語を強調されると、少し引いてしまう人が多いかもしれないが、この『沁(し)みる夜汽車』は僕のようなすれっからしの心にも沁みてきた。

 「沁」は常用外漢字なので「(し)みる」と読み仮名が当てられている。そのような表記を避けるために他の字で代用することをしないで、この「沁」の字をあくまで使ったことには意味がある。漢字の形はまさしく文字通りである。「氵」と「心」が織り込まれている。「氵」はそのまま「涙」と捉えてもいい。あるいは何か心の中で流れていくもの、静かに流動するものとも考えられる。なにかが心の中を流れていく。それが「沁みる」なにかなのだろう。

 昨夜の五つの物語はどれも素晴らしかったのだが、「親子をつなぐ鉄道画~西武鉄道~」「50歳からの再出発~紀州鉄道~」がとりわけ沁みてきた。ネタバレになってしまうので内容には触れないが、親と子のすれ違いの行方を追う物語であった。

 今回の番組は、4月に放送された『沁(し)みる夜汽車』の続編である。4月放送版の第1話は「49歳差の友情~JR中央線~」だった。5年前のJR中央線が舞台。山梨から東京に単身赴任してきた56歳の男性が、電車の中で具合が悪くなった小学1年生の男子を助けたことから交流が始まる。49歳の差を超えた不思議な友情の物語。あたたかくてやわらかなものが沁みてくる。

 題名に「夜汽車」とあるが、「夜汽車」が舞台となっているわけではない。タイトルバックなどの映像として流されていて、物語全体の象徴として使われている。その夜汽車のシーンを見ると、志村正彦・フジファブリックの『夜汽車』が僕の心の中で再生されてくる。


  長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む
  夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる

  話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く

  夜汽車が峠を越える頃 そっと
  静かにあなたに本当の事を言おう

 
 この歌についてはもう何度か書いてきた。新たに付加できることもないのだが、「FAB LIST I - 2004~2009」投票に関連して、歌の完璧な叙情性という観点からすると、『夜汽車』はベスト3に入る作品であろう。
 志村の歌う「夜汽車」の物語は、具体的な出来事としては語られることがない。「長いトンネル」「見知らぬ街」「夜」「明かり」「峠」と、通り過ぎる場と時が描かれるだけである。
 「眠りの森へ行く」「あなた」に「本当の事を言おう」とする歌の主体。主体の想いそのものが叙情に純化されて、聴く者に静かに届けられる。聴く者の心に沁みてくる。
 なにかが心の中を静かに深く流れていく。それが志村正彦の叙情である。


 BS1スペシャル『沁(し)みる夜汽車』はもともと一話10分の作品。昨夜は五本分まとめての総集編だった。明日7月22日午後10時40分から一話ずつNHKBS1で放送される。

2019年7月10日水曜日

上映會のあるシーン[志村正彦LN225]

 今日7月10日は志村正彦の誕生日。そして『FAB BOX III』の発売日。予想より大きな箱が我が家にも昨日届けられた。まだ開封していない。なんだかもったいない気がする。週末までそのままにして落ち着いた気分の時に聴くことにしよう。

 上映會について書き切れなかったこと、とても大切なことを記したい。

 新装版『志村正彦全詩集』は会場入口のすぐ横で先行販売されていた。大きな看板があって目を引いた。
 初版は箱入りで重厚感があったが、新装版は全体として軽やかな印象だ。装丁家は初版と同様に名久井直子さん。スカイブルー系の薄い青色にかすかに緑系の色が入りこんでいる色合い。手触りがよくてめくりやすい紙質。あまり重くないので手に携えるのにも適している。新装版は手元に置いていつでも開いて読める。そんな親しみやすさがある。(まるで近代詩人の詩集のようだった質感を持った初版は本自体の価値が高い。愛蔵版や保存版としてこれからも愛されるだろう)


 購入してすぐに本を開けると、扉の志村正彦の写真が変更されていた。それを見て僕は心が動かされた。まだ一般発売されていないのでその写真について記すことは控えたいが、詩人としての志村を表象する素晴らしい写真である。この日の記念品として志村の描いたヤクザネコのステッカーが付いていた。しおりのようにして挟み込んだ。
  ホールで僕等の近くに座っていた二十代前半の男子二人もこの詩集を熱心に読んでいた。頁をめくり詩を追いかける眼差し。購入できた喜び。微笑ましく頼もしい。初版は法外な値段で取引されていて入手困難だった。だがこの新装版の発売によって、志村正彦の詩が新しい読者を獲得していくことだろう。最近聞き始めた若者たちが志村の詩の全貌に触れることができるのはとても喜ばしい。



 上映會について付言すれば、設置された装置の限界なのか、スクリーンに投影された映像、特に音質や音量にやや問題があったことは否めない。耳への刺激が少し強かったが次第に慣れてきた。個人が室内でDVD鑑賞する場合には映像も音声も調整可能ではあろうが。
 『FAB BOX III』のDVDは「Official Bootleg Live & Documentary Movies」と記されていたが、上映會の映像を見る限り、「Live」作品というよりも「Documentary」作品の色合いが強い。観客席の後ろから撮影された映像には客の後ろ姿や腕や指の動きが映り込んでいる。ノイズのように思われるかもしれないが、まるでその場にいるような臨場感を感じることもできる。やはり「Documentary」なのだ。2009年のファンの熱い想いが伝わってきた。
 

 上映中は冷静に観賞することにつとめたが、悲しみがこみ上げてきたシーンがあった。志村が富士急ハイランドで来年コンサートを行うと告知したシーンである。そのことを誇らしく思い、そして自らを鼓舞するかのようなポーズもあった。
 2010年7月の富士急ハイランドでどのようなコンサートが開かれたかを僕たちは知っている。そのことを知っている僕たちが、今、スクリーンの中で、故郷での大規模コンサートを告げる2009年の志村を目撃している。時間は確かに流れた。映像は時間をさかのぼろうとした。真逆の時間の流れの中で時が交錯し、スクリーンの志村が幻のように見えてきた。

 2010年は志村正彦・フジファブリックにとって飛躍となる年だった。富士急ハイランドはかつて奥田民生の音楽と出会った場所、志村の音楽家としての原点である場所だった。上映會会場の富士吉田市民会館とともに富士急ハイランドが彼にとってどれだけ意味のある場だったか。音楽家としての彼の軌跡の一つの到着点となり、そして新たな出発点となる地だった。

 残酷な現実が残された。
 そのように書いてはいけないのかもしれないが、上映會のあのシーンを見てその言葉が浮かんできた。上映會の最後までその想いを引きずっていた。でも、最後の最後の「闘っている」という志村の言葉を聴いて、引きずる想いから少しずつ離れていくことができた。
 残酷な現実が残されたなどと書くのはある種の感傷なのだろう。彼は残酷な現実とも闘っていたのだ。そして時間とも闘っていた。

 志村正彦は闘っていた。

 


2019年7月7日日曜日

7月6日『FAB BOX III 上映會』[志村正彦LN224]

 昨日7月6日、フジファブリック志村正彦没後10年『FAB BOX III 上映會』を見てきた。午後3時近くに僕と妻の二人は会場に到着。富士吉田市民会館に来るのも2014年4月の『live at 富士五湖文化センター上映會』以来だ。

 ほんの少しだけ雨が煙っている。富士山は残念だが姿を現さない。
 会場「ふじさんホール」の収容数は800人、午前と午後の二回上映ということは今日ここに1600人の志村正彦・フジファブリックを愛する人々が集う。これはやはり特筆すべきことだ。列に並んでいる人々を眺める。志村の同世代のファンが多いが、20代前後の若者たちもいる。そして意外というべきか、男性も少なくはない。

 会場の入り口には大きなポスターがスタンドにかけられていた。




 さっそく同時開催の「路地裏の僕たち」企画の『志村正彦展』に並ぶ長い列に加わったのだが、開始時間に間に合いそうもない。列から離れ、先行発売されていた新装版『志村正彦全詩集』を購入。薄青色の装丁になり手に取った感触もいい。新しい読者を獲得していくことだろう。

 会場に入った。前方に新倉山浅間講演から見た富士山の緞帳が広がる。ほぼ定刻通り、今村圭介ディレクター(EMI Records / UNIVERSAL MUSIC)の前説から上映會が始まった。DVDの総収録時間は430分、つまり7時間10分で偶然志村正彦の誕生日と同じ数字になったという話に感心した。今村氏の仕事のおかげで『FAB BOX Ⅲ 』そしてこれまでの『Ⅰ』も『Ⅱ』も存在している。

 あの大地讃頌のコーラスがしばらく流れてから幕が上がり映像がスタート。まず2004年のデビューから2009年までの歴史が振り返られる。中では『CHRONICLE』録音地ストックホルムのインタビュー映像が興味深かった。「スウェーデンレコーディングの未収録オフショット映像」から編集したものだろう。これまで公開されていない発言もあり、『FAB BOX III 』を入手してから丁寧に追っていきたい。

 演奏シーンではいくつか興味深いことがあった。
 「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO」のリハーサルシーンと本番での『茜色の夕日』が素晴らしかった。2005年の志村の声はとても伸びやかで透明感もあり力強い。
 5周年ツアー時の『桜の季節』は歌詞の一部(坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く そして追いかけていく/諦め立ち尽くす 心に決めたよ)が歌われなかった。なぜだろうか。歌詞の流れからするとこの箇所は必要がないかもしれない。かねてからそう考えていたのでこの改変には納得できたのだが、どういう意図からそうしたのかという関心を持った。

 最近このブログで書いている『同じ月』の演奏全篇が上映された。志村が「僕が歌うためだけに生まれてくれた曲」「自分で言ってしまうけど、最高だ。」と述べた曲だ。CD音源よりこのライブ映像の方がこの曲の魅力は増す。やや自分を突き放しているようなユーモアがあり、独特のゆるやかさで歌われていた。
 全体として志村の笑顔のシーンが多く含まれ、明るい激しい曲調の作品中心の構成だった。彼の足跡をたどり、2009年の映像に向き合うことが悲しくならないようにという配慮があったのだろう。

 一番心に刻まれたのは『雨のマーチ』。梅雨の季節、曇り時々小雨模様の日ということもあってか、昨日は特にこの曲が心に染み込んだ。


  ぽつりぽつりぽつりと ほろりほろりほろりと

  雨が降ったよ しとしと降ってたよ
  僕を通り過ぎて遠くにいった人
  時が経ったよ 戻れなくなっちゃったよ
  おあいこにしたり戻したり


 書き写していると、歌詞と楽曲の基調ともなる雨の風景が浮かび上がる。「時が経ったよ 戻れなくなっちゃったよ」という時間の感触が哀切に響く。「おあいこにしたり戻したり」といういくぶん無邪気でそして謎めいた表現が志村らしい。

 まだ半日しか経っていない上映會の印象を断片的に綴ってみた。『FAB BOX III』を視聴してから、気がついたり感じたりしたことをふたたび書いてみたい。

 終了後、「路地裏の僕たち」による『志村正彦展』を見ることができた。時間がなかったので駆け足だった。僕が関わった2014年『ロックの詩人志村正彦展』や2011年志村展で掲示した説明文も展示されていた。ありがたかった。
 今回おそらく初めて展示されたもの、これまで見たことのない写真のパネルもあり、とても充実した展示会だった。楽器類、服装や帽子も綺麗に並べられていた。準備や展示自体にかなりの時間がかかっただろう。僕たちファン一人ひとりにとってほんとうに貴重な機会となった。
 出口で、8月5日河口湖湖上祭「路地裏の僕たち」による花火打ち上げのための協力金を入れた。湖上祭ではどんな花火が打ち上げられるのだろか。『若者のすべて』が会場に響くのだろうか。楽しみである。
 そして久しぶりにお会いできた方々の元気な姿がうれしかった。

 最後に最も印象に残った志村正彦の言葉について記したい。
 2時間ほどの上映のラスト、映像の背後にかぶさる形で志村の言葉が場内に広がっていた。

  闘っている。

 という意味の言葉だった(と聞こえた。あるいは闘っていくだったかもしれないが。『FAB BOX III』で確認したい)

 志村正彦は何に対して闘っているのか。闘ってきたのか。闘おうとしているのか。
 音楽か、自分自身か、それとも世界か。
 ありふれた言葉をそこに入れてもしかたない。何と闘っているのか分からないこともある。分からないのだが、何かと闘っているという確信がある。そういうことかもしれない。あるいは闘っているという実感が自らの活動を支えることもある。自らの動力になることもある。

 そんなことを考えて甲府への帰路についた。

2019年6月30日日曜日

FAB LIST I - 2004~2009 投票結果 [志村正彦LN223]

 注目の「FAB LIST I - 2004~2009」投票結果が発表された。1位から15位までの15曲が『FAB LIST 1』に収録される。特設サイトから30位までの作品を列挙する。


 1 .赤黄色の金木犀
 2. 星降る夜になったら
 3. 若者のすべて
 4. 茜色の夕日
 5. バウムクーヘン
 6. 虹
 7. 陽炎
 8. サボテンレコード
 9. 銀河 (Album ver.)
10. 花屋の娘

11. ロマネ
12. Sugar!!
13. 笑ってサヨナラ
14. 桜の季節
15. Anthem
16. TAIFU
17. ペダル
18. ダンス2000
19. 記念写真
20. 線香花火

21. シェリー
22. TEENAGER
23. エイプリル
24. 花
25. 環状七号線
26. Day Dripper
27. 打上げ花火
28. タイムマシン
29. クロニクル
30. NAGISAにて


 僕が選んだのは『花』、『セレナーデ』、『ルーティーン』の三曲。『花』は24位、『セレナーデ』、『ルーティーン』は30位までにも入らず圏外。予想はしていたが、実際はどのくらいの投票だったのだろう。せめて50位くらいまで公表してもらえれば、フジファブリック・ファンの好みが分かるのだが。

 1位『赤黄色の金木犀』、2位『星降る夜になったら』、3位『若者のすべて』の並びで意外だったのは『星降る夜になったら』。この作品は作詞:志村正彦、作曲:金澤ダイスケ・志村正彦。フジファブリックの中では明るい曲調とロマンティックな歌詞が特徴である。若い世代に支持者が多いようだがそれが反映された2位なのだろう。3位の『若者のすべて』はトップ3に入るのは確実だと予想していた。志村正彦作品の中で最も知名度が高く、人々に愛されている曲であることは間違いない。

 『赤黄色の金木犀』が1位だったことには納得できる。歌詞、楽曲、演奏ともに完成度がきわめて高い。総合的な完成度という観点ではナンバー1といえるだろう。ファンが支持しているのもうなずける。
 歌詞の世界は、金木犀の花、香り、秋の季節感と日本文学の伝統とも呼応する。「過ぎ去りしあなたに」の「し」という文語助動詞も効いている。イントロアウトロの志村が奏でるアルペジオ。次第にスピート感を増すテンポ。言葉の世界と楽曲が見事に溶け合っている。ミュージックビデオの同一ポジションを維持した実験的な撮影も秀逸だ。
 以前この歌詞について書いた拙文を引用する。


  いつの間にか地面に映った
  影が伸びて解らなくなった
  赤黄色の金木犀の香りがして
  たまらなくなって
  何故か無駄に胸が
  騒いでしまう帰り道


 「影」を「僕」の「影」だと仮定してみる。そうなると、「影」は「僕」の「分身」ともなる。「僕」は僕の「影」を追いかける。あるいは僕の「影」が「僕」を追いかける。一日も終わる頃、夕陽をあびて、「影」は遠く果てまで伸びていく。陽も落ちると、周囲に溶けこみ、「僕」は「影」が解らなくなる。一日の時の流れの中で、「僕」は「影」を通じて、自分自身の「時」を追いかけているのかもしれない。

 それでも、金木犀は香り続けている。あたりの風景を香りで染め上げている。「僕」は平静でいられなくなり、「何故か」「無駄に」「胸が」「騒いでしまう」。一つひとつの言葉は分かりやすいものであっても、この配列で表現されると、なかなか解読しがたい。言葉の連鎖のあり方が単純な了解を阻んでいる。なぜ、「無駄に」胸が騒ぐのか。その理由は明かされることがなく、行間に沈められている。「僕」の「胸」にある想いを描くことは不可能だが、「無駄に」という形容は痛切に響く。


 あらためて『赤黄色の金木犀』を聴いてみた。
 歌詞の行間に沈められた作者志村の想いが静かに溢れてくる。
 「僕」は僕の「影」を追いかけ、僕の「影」が「僕」を追いかける。この曲には何かに追いかけられるような焦燥感がある。夕暮れ時に「僕」は「帰り道」にいるのだが、その道は遠く感じられる。
 「何故か」「無駄に」「胸が」「騒いでしまう」という言葉の連鎖は、志村正彦が表現した言葉の中でも最も痛切に哀切に響いてくる。

 日本語ロックの枠を超えて日本語の歌として傑出した作品『赤黄色の金木犀』がファン投票の1位だったことを素直に喜びたい。

 『FAB LIST 1』は8月28日EMI Records / UNIVERSAL MUSICから発売される。初回生産限定盤は、TOP15曲を収録したプレイリストCDとフジファブリックEMI在籍時代のツアーやライブより厳選した貴重なライブCDの2枚となる予定だ。

2019年6月23日日曜日

鏡としての月-『同じ月』3 [志村正彦LN222]

 『同じ月』(詞・曲:志村正彦)は主に三つのブロックから構成されている。

 第一は、冒頭の「この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか Uh〜」という問いかけ。
 第二は、2,3連の「月曜日から始まって 火曜はいつも通りです/水曜はなんか気抜けして 慌てて転びそうになって」「イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです/何万回と繰り返される めくるめくストーリー」と6,7連の「木曜日にはやる事が 多すぎて手につかずなのです/金曜日にはもうすぐな 週末に期待をするのです」「家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ/映画を見て感激をしても すぐに忘れるから」から構成される「こんな日々」のブロック。

 第三は、4連「君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです/振り返っても仕方がないと 分かってはいるけれど」、8連「君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです/壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです」、5連「にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜」、12連「僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜」から構成されるブロック。
 三つのブロックの鍵となる表現、モチーフは、第一が「同じ月」、第二が「こんな日々」「つきない欲望」、第三が「君の言葉」、「君の涙」であり、最終的には「僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ」に収斂していく。

 今回は第一のモチーフ、「同じ月」について考えてみたい。
志村正彦・フジファブリックのインディーズ時代の作品で、「月」は数多く歌われている。ここでは『午前三時』『浮雲』『お月様のっぺらぼう』の三作に注目したい。(初期では他に『環状7号線』『打ち上げ花火』『花』で「月」が登場する)


『午前3時』

  赤くなった君の髪が僕をちょっと孤独にさせた
  もやがかった街が僕を笑ってる様

  鏡に映る自分を見ていた
  自分に酔ってる様でやめた

  夜が明けるまで起きていようか
  今宵満月 ああ


『浮雲』

  登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月
  僕は浮き雲の様 揺れる草の香り

  (中略)

  独りで行くと決めたのだろう
  独りで行くと決めたのだろう


『お月様のっぺらぼう』

  眠気覚ましにと 飴一つ
  その場しのぎかな…いまひとつ
  俺、とうとう横になって ウトウトして
  俺、今夜も一人旅をする!

  あー ルナルナ お月様のっぺらぼう


 『午前3時』の「鏡に映る自分を見ていた」「僕」。『浮雲』の「独りで行くと決めたのだろう」と自らに語りかける「僕」。『お月様のっぺらぼう』の「今夜も一人旅をする!」「俺」。歌の主体である「僕」「俺」。作者の分身といえるこの一人称の主体は、「独りで行く」「一人旅をする」孤独な主体であるが、「鏡に映る自分を見ていた/自分に酔ってる様でやめた」とあるように、その孤独な「自分に酔う」ことからは距離を置いている。自分が自分に酔う「鏡」の効果から逃れている。

 歌詞の中の「月」はどのようなあり方を示しているのだろうか。
 満月 、満ちる欠ける月、「のっぺらぼう」の月。どちらかというと光に溢れた月がイメージの中心にある。太陽の光を受けてそれを反射する月。太陽という「他」が光の源であり、月はそれ「自」ら光を持たない。逆に言うと、「月」は「他」を反射する「鏡」である。そしてこの「他」と「自」の関係は象徴的に機能し、志村正彦の歌に作用している。

インディーズ時代の「月」が登場する三作を連鎖する光景を描いてみよう。
 夜、「独りで行く」主体。その視線の向こう側に「月」がある。主体は「月」を見つめる。「月」も主体を見つめる。主体の眼差しを反射する鏡のように「月」が空に浮かんでいる。志村はこのような光景を繰り返し歌った。

 『同じ月』は2009年『CHRONICLE』収録曲としてリリースされた。(作詞作曲は2008年7月)。初期からは数年の時間が流れている。「この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか」という一節には、「僕」と「君」が登場する。一人ではなく二人であることに留意したい。

 月は古来から、遠く離れた恋人や友人が同時に眺めている景物として詩歌に登場してきた。月への想いはまるで鏡のように「自」と「他」、「他」と「自」を照らし合わせる。
 その伝統の中で作者志村正彦は、「僕」と「君」が「同じ月」を眺めているのだろうかと問いかける。異なる場所にいる。それでも同一の時間を共有している。そう想えるのかどうか。その問いかけがこの歌の起点となっている。

   (この項続く)

2019年6月16日日曜日

歌の作者と歌の主体-『同じ月』2[志村正彦LN221]

 前々回の記事で、志村正彦が『東京、音楽、ロックンロール 完全版』の「インタビュー」(p202)で、2008年の6,7月頃を指して、「この頃はまだポリープ中で、人の提供曲ばっかり書いていたけど、自分のためだけに作った曲を7月30日に書いて。これは4枚目のアルバム『CHRONICLE』に入っている”同じ月”って曲です。そのへんから徐々に回復していきました。」と述べていることを紹介した。
  この頃の状況について別の記事(『bounce』 310号2009/5/25、文・宮本英夫)ではこう語っている。


『TEENAGER』というアルバムを昨年1月にリリースして、5月31日に僕の中学時代からの夢だった(故郷の)山梨県富士吉田市富士五湖文化センターでライヴをやることができて、そこで夢を叶えてしまったんです。今後どうしたらいいんだ?ということを6~7月にずっと悩んでいて、その後、8月中旬に喉のポリープの手術をしました。僕は人から〈曲を作れ〉と言われると作らないタイプなんですけど、手術に失敗したら声が出なくなるかもしれないという話を聞いて、自発的に2~3週間でアルバム収録曲のほとんどを書いたんです。明日はどうなるかわからないと思った末に、後悔したくないし人のせいにしたくないというのがあったので、全作詞作曲とアレンジを僕が考えてやりました。28歳になったという意識も強くありましたし、28歳のミュージシャンがいろいろ考えている、切迫感が出ているアルバムになったと思います。


  「全作詞作曲とアレンジを僕が考えてやりました」という『CHRONICLE』収録曲の中で『同じ月』は特別な存在であった。志村は、「志村日記2008.07.30」(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』所収)で、7月30日に書いた曲について次のように説明している。この作品が『同じ月』である。


   2008.07.30 スランプ脱出か?

 提供曲ばっかで、最近自分のために曲作ってなかったんで。自分用に作りました。人にあげる曲も最高だったけれども、今回は僕が歌うためだけに生まれてくれた曲。
 最高だ。自分で言ってしまうけど、最高だ。曲作ったりして2,3日もすると結構その曲になんとなく冷めてきたりするんですが、今回は、無い。多分リリースすると思う。っていうかしたいんですけど。志村、作曲モチベーション上がってます。
 ここからは暴露話。僕は正直、デビュー以降4年間くらい、作曲ペースがスランプ気味だったのですが、これからスゴいですよ。スランプでも今までのあのクオリティでしょ? それが自分でスランプ脱出しそうって言ってるんだから、そういうことです。


 この「僕が歌うためだけに生まれてくれた曲」が何よりも「最高だ。自分で言ってしまうけど、最高だ。」とされていることに注目すべきだろう。自分の作品についてどちらかというと控えめに抑制気味に語ることの多い彼だが、『同じ月』については「最高だ」という確信があったことがうかがわれる。「スランプ脱出」の悦びや開放感がその背景にあるのかもしれない。
 結果として、この『同じ月』はアルバム『CHRONICLE』の基調をなす作品となった。
 
 『bounce』 310号の記事は、初期の歌詞についての興味深い発言を記している。


昔のフジファブリックは、歌詞を見られて頭が悪いと思われたくないというのがとてもあって。文学的な感じに見られたいというのがあったんですけど、今回はまったく意識せずに思ったことを完全ノンフィクションで歌ったというそれだけです。怖いとか弱いとか臆病だとか、そういう歌詞は後ろ向きかもしれないですけど、それはネガティヴではなくて誰しも持っているものだと思うんですね。誰しも持っている後ろ向きなことを惜しまずに出した、という気持ちはあります。


 「歌詞を見られて頭が悪いと思われたくない」「文学的な感じに見られたい」というのは、読書好きの文学青年でもあった志村らしい発言だ。特に1stアルバム『フジファブリック』では、四季の風景や季節の感覚を定型から離れて表現する工夫や言葉の行間その余白を効果的に作用させる技術を駆使している。
 「今回は」「完全ノンフィクション」で歌ったという対比から、「昔」の作品にはフィクションが入り込んでいるという含意が読み取れる。例えば四季盤の作品には、幾分か虚構とも捉えられる「小さな物語」的な枠組がある。

 『桜の季節』の別離、『陽炎』の少年時代、『赤黄色の金木犀』の「帰り道」、『銀河』の「逃避行」。いずれも作者の私的経験にある程度まで基づいているのだろうが、その経験の断片は複雑に組み合わされながら「小さな物語」として構築されていく。それでも物語に収束するのではなく、その枠組の中で、主体が感じる現実的で切実な感覚とそれを包み込む風景や季節の感触とがファブリックのように織り込まれる。

 作者志村と歌の主体(志村の分身ではある)の「僕」との間にはある一定の距離、分離がある。小さな物語、フィクションとしての枠組がその距離を支えている。凡庸な歌との違いがここにある。彼の歌が詩として評価されるゆえんもまたここにある。フジファブリック初期作品の深さと豊かさは、作者志村正彦とその分身との分離によって成立していると考えられる。

 その文脈からすると、『CHRONICLE』収録曲は「完全ノンフィクション」を目指して、作者と歌の主体との距離を限りなく近づけた。「完全」とあるから、志村はその距離がほとんどゼロとなるように心がけた。それは勇気ある試みだった。フジファブリックの作品の可能性を広げたと同時に、志村正彦にとってみれば少なからぬ反作用もあったのかもしれない。

(この項続く)


2019年6月9日日曜日

King Crimson - Starless

 6月9日は69「ロックの日」、ということで短い記事というか映像紹介を一つ記したい。
 このところ土日まで仕事に追われテキストを書く時間がほとんどない。息抜きにyoutubeで遊んでいたところ、King Crimson の『Starless』に遭遇した。2015年来日時の収録らしいが、詳しいことは分からない。公式映像「DGM LIVE」で視聴できるのはありがたい。

 演奏メンバーはロバート・フリップ(G・Key)、ジャッコ・ジャクスジク(Vo・G)、メル・コリンズ(Sax・Flute)、トニー・レヴィン(Ba・Chapman Stick)、ギャヴィン・ハリソン(Dr・Perc)、パット・マステロット(Dr・Perc)、ビル・リーフリン(Dr・Perc・Key)のようだ。トリプルドラムの編成はきわめて珍しい。




 この曲は、1974年9月発表のアルバム『レッド』(Red)で初めて聴いた。もう45年前のことだ。1973年3月発表の『太陽と戦慄』(Larks' Tongues in Aspic)に驚嘆した僕はこのバンドのファンになっていた。GenesisとKing Crimsonが僕にとってのプログレッシブ・ロックのすべてだった。
 1984年4月、五反田簡易保険ホール。2003年4月、長野県松本文化会館。この二回はライブ演奏も聴いた。どちらも昔の話だが、音源とライブ演奏の差異を愉しむのがクリムゾン経験でもある。

 すでにこの映像は700万回以上視聴されている。キング・クリムゾンのファンがそれだけいるのは驚きだ。繰り返し聴くことが多いのだろうがそれにしてもすごい回数である。
 70歳近いロバート・フリップは相変わらずの演奏だが、全体として穏やかな感じが漂っている。これをどう捉えるかは聴き手の自由だが、様式としても演奏としても完成された音楽がここにはある。

 作曲は発表時のメンバー、ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォード、デヴィッド・クロス。 作詞はリチャード・パーマー・ジェイムス(Richard Palmer-James)。

 歌詞を引用したい。


  Sundown dazzling day
  Gold through my eyes
  But my eyes turned within
  Only see
  Starless and bible black

  Ice blue silver sky
  Fades into grey
  To a grey hope that oh years to be
  Starless and bible black

  Old friend charity
  Cruel twisted smile
  And the smile signals emptiness
  For me
  Starless and bible black


 久しぶりに歌を聴き、歌詞を読んだ。以前より色彩感の感触に心が動かされた。リリース時の音源とは2番と3番が入れ代わっている。最近のライブではこの順だが、こちらの方が色彩の変化や時間の経過が浮かび上がる。

 外界の色彩の溢れる世界が消えていく。内界の色彩のない世界、「Starless and bible black」へと。ロックの言葉と音楽の到達点の一つには違いない。
     

2019年6月2日日曜日

フジファブリックのネトネト言わせて #112 -『同じ月』1[志村正彦LN220]

 フジファブリック 志村正彦没後10年 2009年映像作品集 特設サイト内で、ネットラジオ「フジファブリックのネトネト言わせて」の2007年~2009年に配信した114本を一挙にアーカイブ配信という知らせがあった。「ネトネト言わせて」のアーカイブ化がついに実現したことになる。

 オフィシャル・ブートレグ映像のリリースや「ネトネト言わせて」配信など、志村正彦・フジファブリックの映像や音声資料が「アーカイブ」化されていくのは、志村正彦没後10年というタイミングがあってのことだろうが、そのこととは無関係に今後も、この不世出の詩人・音楽家の足跡を示すものを公開してほしい。権利関係が複雑なのだろうが、音楽フェスティバルの映像などもいつかアーカイブ化できるといい。

 早速少し聴いてみたが、たまままクリックした「#112」は「ネトネト言わせて」の公開収録の回だった。出演者は志村正彦と金澤ダイスケの二人。『CHRONICLE』リリースを記念したもので、ネットで調べると、2009年5月30日、大阪タワーレコードNU茶屋町店での録音のようだ。本人たちのいう「グダグダ」のおしゃべりの後、『同じ月』のライブ演奏が収録されている。29分頃からそのシーンとなる。




 ネトネト音源を聴きながら言葉を追えるように、歌詞を引用したい。


 同じ月(詞・曲:志村正彦)

この星空の下で僕は 君と同じ月を眺めているのだろうか Uh〜

月曜日から始まって 火曜はいつも通りです
水曜はなんか気抜けして 慌てて転びそうになって

イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです
何万回と繰り返される めくるめくストーリー

君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです
振り返っても仕方がないと 分かってはいるけれど

にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜

木曜日にはやる事が 多すぎて手につかずなのです
金曜日にはもうすぐな 週末に期待をするのです

家にいたって どこにいたって ホントにつきない欲望だ
映画を見て感激をしても すぐに忘れるから

君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです
壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ Uh〜

君の言葉が今も僕の胸をしめつけるのです
攘り返っても仕方がないと分かってはいるけれど

君の涙が今も僕の胸をしめつけるのです
壊れそうに滲んで見える月を眺めているのです

僕は結局ちっとも何にも変われずにいるよ Uh〜


 「イチニサンとニーニッサンで動いてくこんな日々なのです」「にっちもさっちも どうにもこうにも変われずにいるよ」。ゆるい雰囲気の言葉が独特の味わいを醸し出す。
 一、二、三。月、火、水、木、金。ルーティーンのように、数字や曜日が進んでいく「こんな日々」の「変われずにいる」「僕」。志村はその「僕」を率直に歌っていく。でも幾分か距離を置くように歌っている感じもある。歌い方そのものは、高いキーの音が不安定でやや声もかすれている。一種の愛嬌のようにも聞こえてくる。加工されていないので、志村の声と節回しが生々しい。どのように形容したらよいのか適切な言葉が見つからない。これは「志村節」としか言いようがない。

 『同じ月』はあまり注目されることがない曲だが、『東京、音楽、ロックンロール 完全版』の「インタビュー」(p202)で、志村はこう語っている。


  この頃はまだポリープ中で、人の提供曲ばっかり書いていたけど、自分のためだけに作った曲を7月30日に書いて。これは4枚目のアルバム『CHRONICLE』に入っている”同じ月”って曲です。そのへんから徐々に回復していきました。


 「この頃」というのは富士吉田ライブを終えた2008年の6,7月頃を指している。『同じ月』は、自分のためだけに作った曲であり、この曲を作ったあたりからスランプ状態から徐々に回復してきたという重要な証言である。

      (この項続く)