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2013年5月5日日曜日

可能性としてのコラボレーション (志村正彦LN 25)

 再びというか三度というか、志村正彦と『モテキ』というテーマに戻りたい。ずっと頭にあったのだが、志村正彦が漫画『モテキ』を読んでいたかもしれないという可能性のことである。

 彼は読書好きで知られるが、漫画の単行本もよく読んでいたことがいろいろな資料から分かる。漫画『モテキ』は、『イブニング』(講談社)の2008年23号から2010年9号まで連載された。単行本の発売日は、1巻2009年3月23日、2巻2009年8月21日、3巻2010年1月22日、4巻2010年5月21日、4.5巻2010年9月7日である。この発売日からすると、彼が単行本の1巻と2巻までは手にすることができた可能性がある。
 しかし、あらかじめ断っておきたいのだが、これはあくまで「可能性」にとどまる。彼がほんとうに読んでいたかどうかは事実として確認しようがない。事実の次元が問題なのではない。あくまで、作品という次元で、虚構という次元で、久保ミツロウ氏の言う「奇跡」が、『モテキ』と『夜明けのBEAT』そして志村正彦の作品群との間に見いだされることが重要なのだから。可能性としてのコラボレーションを想定できることが、作品というものの本質であろう。

 もともと『モテキ』は、「藤本幸世」と「林田尚子」の中学時代を描いた漫画「リンダリンダ」(『週刊ヤングマガジン』2003年35号、単行本1巻に収録)がプロトタイプになっている。この作品は、いろんな作家が曲をテーマにして描くという、『平成歌謡大全』という企画から生まれた。
 『モテキ』の各話の題名には、1話が大江千里の「格好悪いふられ方」、2話が「ボクラの海はクラゲの海」というムーンライダーズの『9月の海はクラゲの海』のもじりというように、日本のロックやJポップの歌から引用されている。また、フジロックが物語の重要な舞台にもなっているように、漫画『モテキ』は、漫画とロックのコラボレーションという発想から作られた作品だと言える。特に、ドラマや映画の方では実際に音源として使われ、効果的な演出となっていた。

 漫画『モテキ』のテーマや作者のモチーフはどこにあったのだろうか。
 その点については、真実一郎氏のブログ「インサイター」に掲載された久保ミツロウのロングインタビュー「話題の漫画『モテキ』作者・久保ミツロウ氏インタビュー」(前・後篇)」が非常に参考となる。この取材は単行本2巻の発売直前に行われているが、久保氏は率直にこの作品について語っている。

幸世君が不治の病に罹って、死を前提にしたら皆のことを愛してると言えるようになったとか、そんな話絶対描いちゃいけないなと思ってます。だって死とか強迫観念じゃないところで変われる要素を私が描いてあげないと、皆も変われないんじゃないかなと思って。でもどうやったら変われるのかといったら私もまだ分からないんですけど。
( 2009年07月30日、前篇、http://blog.livedoor.jp/insighter/archives/51638703.html  )

幸世君が誰かと付き合えるのかどうかはまだ分からないけど、でも「誰かと付き合うことだけが正解」みたいに捉えられるように描いちゃったら、『モテキ』を読んでくれている人が裏切られることも多いと思う。付き合わなくても人間関係って案外続いていく部分ってあるから、そのあたりを伝えることが読んでくれている皆に残せることかなって。
( 2009年08月02日、後篇、http://blog.livedoor.jp/insighter/archives/51640107.html  )

 久保氏は、まだ連載中ということもあり、「幸世」がどうしたら変われるのかというこの物語のテーマについて、この時点ではまだ分からないという発言をしている。「死とか強迫観念」というような、よくある話、定型的な物語ではないところで、「幸世」の変化を描くことに作者の強いモチーフがあることが伝わってくる。そして、「誰かと付き合うことだけが正解」ではなく、「付き合わなくても人間関係って案外続いていく」ことを読者に伝えることも、大きなモチーフとなっている。付き合っていても付き合っていなくても、モテキであってもなくても、自己と他者との間に人間関係を形成し、それを持続していくこと。そのようなテーマを追究している点で、すでに何度か書いたように、漫画『モテキ』は「藤本幸代」の成長、成長への可能性を探る物語である。

 作者久保ミツロウ氏が描きたかったのは、恋愛とか友情とかあるいは男女の差異を超えて、どのようにして人は他者と出会い、どのように関係を築いていくという、私たちの普遍的な問題である。特に青年期においては、恋愛という形で、そのような関係が、あるいは関係の不在が切迫してくる。このことは誰もがよく経験することであろう。志村正彦の名曲の名を借りて言えば、若者にとって、時にそのことが「若者のすべて」となることもある。

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