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2013年5月1日水曜日

「これから待ってる世界」 (志村正彦LN 23)

    前回は『モテキ』から少し離れて、『茜色の夕日』を媒介として、志村正彦の「聴き手中心の歌」という特質を論じてきた。今回は再び、漫画『モテキ』と『夜明けのBEAT』に戻りたい。
 漫画『モテキ』は、「藤本幸代」の成長の物語(正確に言うと、成長の端緒へと至る物語)である。最終話で、「俺(幸世)」は、2年前に「土井亜紀」とフジロックに出かけたことを思い出し、「世界」という言葉を使って、次のように考える。

     知らない方が 良かったかも しれない
  世界の片隅で 誰かに 手を繋いで もらえる なんて

    俺がぼんやり 世界に絶望してる間 
    すてきな事を 沢山見逃してきた なんてさ

 自分が「ぼんやり」と「世界」に絶望している間、「すてきな事」、例えば誰かとつながる可能性を数多く逃してきたという、痛切な悔恨と自分に対する問い直しが「俺(幸世)」に訪れる。

 人は「世界」に絶望することもある。「俺(幸世)」のように「ぼんやり」とにしろ、より深刻な形にしろ。そのような時に、人は「世界」を閉ざし、その結果、人とのつながりを失う。
 しかし、逆に、「世界」の方は人に対して絶望することがない、と考えられないだろうか。「世界」は、確かに、人が望むような形でいつも現れることはない。だが、人の想いや望みを超えて、「世界」は存在し、どのような形であれ、「世界」は人に関わろうとする。人は「世界」の中で生きている。ということは、「世界」は人の中で生きているとも言える。そのようにして、「世界」は人と共にあろうとして、いつでも人を待っている。「世界」が「俺」を「僕」を「私たち」を待っている。

 志村正彦が作り、歌った、ドラマ&映画『モテキ』主題歌の『夜明けのBEAT』には、次の一節がある。

  半分の事で良いから 君を教えておくれ
  些細な事で良いから まずはそこから始めよう

 
  バクバク鳴ってる鼓動 旅の始まりの合図さ
  これから待ってる世界 僕の胸は躍らされる
 
 

   「君」の「半分の事」から、「些細な事」から、「世界」への「旅」は始まり、「これから待ってる世界」が「僕」の胸を踊らす。「僕」そして「君」が「世界」を待っているのか、「世界」が「僕」と「君」を待っているのか。それとも「僕」と「君」が「世界」そのものとなるのか。「僕」と「君」は「世界」へと旅立つ。
 
 志村正彦が歌詞の中で「世界」という言葉を使うとき、その言葉は特別の意味を帯びる。

  どこかに行くならカメラを持って 
     まだ見ぬ世界の片隅へ飛び込め!(『Sunny Morning』)

  遠く彼方へ 鳴らしてみたい
   響け!世界が揺れる! (『虹』)

  羽ばたいて見える世界を 思い描いているよ
   幾重にも 幾重にも (『蒼い鳥』)

  志村正彦にとって、「世界」はいつも、駆けていったり、飛び込んでいったり、飛翔していったり、浮上していったりする、その先、その彼方にある、たどりつきがたい、しかしそれゆえに、たどりつきたい何かである。

  言わなくてもいいことを言いたい
  まわる!世界が笑う! (『虹』)

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも生まれてくるものもみな踊ってる  (『蜃気楼』)

 「世界」がまわり、「世界」が笑う。その「素晴らしき世界」の中で、「僕」も「君」も、「消えてくもの」も「生まれてくるもの」も「みな踊っている」。このように、志村正彦は独創的で魅力的な「世界」のヴィジョンを描いた。これについては、稿をあらためて、いつか書くことにしたいが、彼が歌詞の中で「世界」という言葉を使うとき、この言葉の広がりや奥行きを、聴き手は繊細に丁寧に受けとめねばならないだろう。

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