2026年3月23日月曜日

フィリップ・ドゥクフレの演出-『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台と小説9

 これまで八回にわたって、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の舞台と小説について書いてきた。今回はその最後として舞台の演出について述べたい。

 演出家のフィリップ・ドゥクフレはインタビューでこう語っている。(フィリップ・ドゥクフレが描く村上春樹の世界〜『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台化に挑む〜2025.09.01)

――この作品は、“世界の終り”と“ハードボイルド・ワンダーランド”という異なる二つの世界を行き来しながら物語が進んでいきます。村上作品の中でも独特なスタイルですね。この複雑で長大な物語をどのように舞台化されますか?

偉大な作家の小説です。ファンタジーであり、様々な次元や夢が交錯し、登場人物も非常に象徴的です。世界観を決めつけず、観客がそれぞれ自由に空想できる余地を残したいと考えています。

――原作が持つ物語の力と、ドゥクフレさんのイメージの力がどう融合するか楽しみですね。

演劇ともダンスとも言い切れない、そしてそのどれでもある、ハイブリッドな舞台になるでしょう。演劇的な側面とダンスの側面が融合し、視覚的にも非常にインパクトのあるものになると思います。そういった点に、今とても興味を惹かれています。

 ――この長大な作品のどの部分を取捨選択していくかも悩ましいところですね。

脚本家の高橋亜子さんと互いに大切に思うシーンを持ち寄ってミーティングを重ね、脚本が上がってくるのを楽しみに待っているところです。キャストとスタッフ合わせて約50人、その後ろにはさらに何倍もの人々が支えてくれていて、心強いです。


  ドゥクフレは、脚本家高橋亜子と大切なシーンを互いに持ち寄って物語を構成し、演劇的な側面とダンスの側面が融合したハイブリッドな舞台を作り、観客がそれぞれ自由に空想できる作品を志した。そもそも、この複雑な小説を舞台化すること自体がほとんど困難な試みであるのだから、今回の舞台は基本としては成功したと言えよう。

 小説のアダプテーション作品、原作を映画化したり舞台化したりする作品は、原作とは独立した作品として享受するというのが筆者の考えである。もちろん、原作とアダプテーション作品を比べるのは自由だが、原作と異なることを論ってもあまり意味がないだろう。アダプテーションは多様であってよい。今回の舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』もそのなかの一つの試みである。


 YouTubeにワークショップの映像がある。制作段階の短い記録である。 

ワークショップ映像 ~創作の現場より~ / 舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』




 演出上で素晴らしかった点を挙げたい。まず冒頭の〈一角獣〉のダンス、〈僕〉と〈影〉との分離、〈影〉の踊りなどのダンスは非常に効果的な演出となっていた。奇妙で不可思議な物語の導入にふさわしかった。ときどき、雨が降り注ぐ光景など、美しいが暗い雰囲気もある陰影に富んだ光景がプロジェクションマッピングの映像として舞台の背後に投影されていた。〈一角獣〉の金色のコスチューム、〈一角獣〉の多数の頭骨の動きとそれを照らし出す照明も工夫されていた。ドゥクフレが追求した演劇とダンスの融合によるハイブリッドな演出は斬新であり、堪能することができた。また、音楽は阿部海太郎が担当し、権頭真由が舞台の左の袖でキーボードを生演奏したことも効果的だった。さらに原作にはない音楽も流されていた。

 その反面の気になった点も少し触れておきたい。まずキャスティングだが、「ハード」パートの〈私〉は藤原竜也、「世界」パートの〈僕〉は駒木根葵汰/島村龍乃介のダブルキャストであるのに対して、二つのパートの〈君〉(少女と女性司書)を演じるのは森田望智であるという非対称性が挙げられる。また、舞台のセッティングに関しては、〈壁〉を薄くて柔らかい幕で築いていたが、〈街〉を取り囲む強固な意志を持った〈壁〉には見えないという難点があった。

 この舞台のチケットの入手が遅くなってしまったので追加Sの補助席しか取れなかった。最も左側だが前から三列目であった。そのおかげで舞台の左側で演じることが多かった藤原竜也の演技をかなり間近で見ることができた。2000年、彩の国さいたま芸術劇場で蜷川幸雄演出の三島由紀夫『近代能楽集』の「弱法師」を見たことがあった。あの時は18歳、今は44歳。すでに中年に達しているが、少年や青年のような面立ちがまだ残っている。彼にはなんだか年齢を超越したようなところがある。この舞台ではユーモラスな面も見せながら次第にシリアスな役柄を演じきっていた。


 この連載の第一回目に書いたとおり、筆者にとって1985年の小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、村上春樹の作品との決定的な出会いとなった。それから40年が経った2025年に舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を鑑賞できた。時や場を超えてこの作品は生き続けている。


 最近、「ニューヨーク・タイムズ」に〈村上春樹が米紙に語る「病からの復活」と「小説を書くということ」〉という記事が掲載された。2025年12月、ニューヨークでのインタビューで村上はこう語っている。

「小説を書くときは、いつも別の世界へと入っていきます。潜在意識と呼んでもいいかもしれませんね。そこでは何が起こっても不思議じゃない。僕はそこでたくさんのものを見て、現実の世界に戻ってきてから、それを書き留めるんです」

「僕は自分を芸術家だとは思っていません。いたって普通の人間です。天才でもなければ、それほど頭がいいわけでもない。でも、僕にはそれができる。別の世界へと降りていくことが」

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の話者兼主人公の〈僕〉と〈私〉は、意識と無意識をつなげ、現実と壁のある街を行き来した。作者もまた〈僕〉〈私〉と同じように二つの異なる世界を横断して小説を書いている。村上春樹は〈僕〉であり〈私〉であるのだろう。

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