今日は8月最後の日。真夏のピークがまだ続いている。
前回に続いてフジファブリック『線香花火』について書きたい。まず歌詞のすべてを引用したい。
線香花火 (詞・曲:志村正彦)
疲れた顔でうつむいて 声にならない声で
どうして自分ばかりだと 嘆いた君が目に浮かんだ
今は全部放っといて 遠くにドライブでも行こうか
海岸線の見える海へ 何も要らない所へ
悲しくったってさ 悲しくったってさ
夏は簡単には終わらないのさ
線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら
最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ
戸惑っちゃったってさ 迷っちゃったってさ
夏は簡単には終わらないのさ
悲しくったってさ 悲しくったってさ
夏は簡単には終わらないのさ
悲しくったってさ 悲しくったってさ
悲しくったってさ 悲しくったってさ
『線香花火』は、「疲れた顔でうつむいて 声にならない声で/どうして自分ばかりだと 嘆いた君が目に浮かんだ」と歌い出される。「嘆いた君」に焦点が当たるが、それはあくまでも「目に浮かんだ」光景である。歌詞の物語の中で、「君」と〈歌の主体〉とは同じ場にいるわけではない。〈歌の主体〉は「君」を目に浮かべ、おそらく、想像の世界で「君」に語りかけている。
「今は全部放っといて 遠くにドライブでも行こうか/海岸線の見える海へ 何も要らない所へ」と続くが、「ドライブでも行こうか」という誘いは物語の中での実際の語りかけではない。「行こうか」というのは返答を期待していない呼びかけだ。歌の主体にとっての欲望、想像あるいは妄想のようなものだろう。
「何も要らない所へ」という表現は当然その反対の「何かが要る所から」を思い起こさせる。「何かが要る所から」「何も要らない所へ」の「ドライブ」の行き先は、「海岸線の見える海」である。「海岸線」の向こう側にはおそらく「何も要らない所」が広がっているのだろう。
第1ブロックを読むと、冒頭の「疲れた顔でうつむいて 声にならない声で/どうして自分ばかりだと 嘆いた君」とされた「君」は、具体的な他者というよりも歌の主体そのものを指しているとも考えられる。ラブソングを仮構しているが、実際は、独り言のような世界が表現されている。この「どうして自分ばかりだと 嘆いた君」とされる「自分」は、おそらく、作者志村正彦の分身である〈歌の主体〉であろう。「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」という表現も、自分の自分に対する呼びかけである。一見、他者に語りかけているようで、そうではなく、自分に語りかけている言葉。結局、自分にたどりついてしまう言葉。志村正彦の言葉の世界が『線香花火』にも現れている。
第2ブロックには「線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら/最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ」とある。「遠くにドライブ」から「最終列車に走りなよ」への転換には物語上の連続性はない。要するに、「ドライブ」も「最終列車」に純然たる脱出のイメージとしてある。「海」と「線香花火」は夏の風景、風物詩である。その風物詩と共に「夏は簡単には終わらないのさ」という季節のモチーフが登場する。「終わらない」「夏」という季節の感覚が志村にとって重要だった。終わらない夏が終わるまでの時間。「陽炎」、「虹」、「最後の花火」、「通り雨」と、その間の風景や景物の変化をよく描いた。
この歌は「悲しくったってさ 悲しくったってさ/悲しくったってさ 悲しくったってさ」のリフレインに収束していく。この《悲しさ》は、月並みな形容をするしかないのだが、青春特有の《悲しさ》を表しているのだろう。青春の只中に要るときはこの《悲しさ》の内実は分からない。過ぎ去ってみると、その輪郭がおぼろげに示されてくるのだが、それでもほんとうは分からないままである。ただひたすら《悲しさ》の痕跡が残り続ける。それでもその青春の《悲しさ》から、人はいつの日か離れていく。
『線香花火』にはまだ複雑な語りの表現はない。それよりも、《悲しさ》の強固な表出がある。《悲しさ》が凝縮されている。しかし、《悲しさ》の終わり、というのか、《悲しさ》からの分離があるようにも思われる。「悲しくったってさ 悲しくったってさ/悲しくったってさ 悲しくったってさ」の反復は、《悲しさ》に向き合いながらもそれを乗り越えよう、少なくとも離れようとする意志も感じられる。「たってさ」という話法、激しいリズムによるグルーブの感覚がそれを促している。《悲しさ》ではなく、むしろ《悲しさ》の終わりを志村は歌おうとしたのかもしれない。「夏」そのものが《悲しさ》の象徴でもある。
もちろん、「夏は簡単には終わらないのさ」とあるので、簡単に夏が終わることはない。歌の主体はあがいているようにも見える。嘆いているようでもある。終わらない夏、終わる夏。終わる、終わらない、その過程で、夏の《悲しさ》と離れていく動きが起きる。《悲しさ》からの分離が志村正彦を優れた表現者に変えていった。
2020年8月31日月曜日
2020年8月22日土曜日
花火のない夏-『線香花火』1[志村正彦LN261]
八月に入っても、成績処理その他の仕事に追われていて、このブログの更新も滞っていた。四月からのオンライン授業、それに関連する業務もすべてコンピュータ上の作業。画面を見るだけで、身体の動きがほとんどないことが辛い。神経の疲労が濃いので、しばらく休む時間を作った。
前回、七月の最後の日に「今年は花火のない夏。時が進むのが早い、短い夏となるのだろうか」と書いた。まだ梅雨明けの頃だった。その後は猛暑の連続。私の住む甲府はいつも全国トップクラスの暑さである。盆地ゆえに熱がこもる。富士吉田も例年より暑いようだ。「真夏のピーク」が続いたまま下旬に入っていく。猛暑が凝縮された夏は、時が進むのが早いのだろう。
「花火のない夏」、正確に言うと「花火大会のない夏」になったが、ところどころで予告なく花火が打ち上げられているようだ。僕はまだ見たことがないが、そのまま夏は終わるのだろう。2020年の夏は「花火のない夏」として記憶される。花火を巡る物語もなくなる。
今月の初めにたまたまBSを見ていたら、BS朝日で「山形・赤川花火大会2019」中継録画の番組が放送されていた。もしかすると思い録画しておいて再生すると、最後の方で『若者のすべて』の花火が流された。以前youtubeで見たことがあるが、こちらは「4K完全版」ということで映像が非常に鮮明である。画面には、「エンディング ephemeral bloom 伊那火工堀内煙火店 長野県上伊那郡」と示され、イントロが始まると「♪若者のすべて フジファブリック」と表示された。花火と楽曲がシンクロナイズされた見事な演出だった。最初の画面の方に小さく満月のようなものが見えた。美しい花火と『若者のすべて』そして月。会場ではどのような光景が見ることができたのか。そんなことも想った。
エンディングの曲はもう一つあり、Superflyの『bloom』だった。作詞は、いしわたり淳治。つまり、2019年の赤川花火大会のエンディングは、フジファブリック『若者のすべて』とSuperfly『bloom』の2曲で構成されていた。そのテーマ名は「ephemeral bloom」となっていたが、「bloom」(花)はSuperflyの曲名から取られただろうから、その形容詞の「ephemeral 」(儚い、人生や存在が短い)が『若者のすべて』を指し示していたのかもしれない。併せて「ephemeral bloom」、儚い花。志村正彦『若者のすべて』にふさわしいテーマ名である。
花火のない夏。花火のことを思い浮かべているうちに、フジファブリック『線香花火』を聞きたくなった。それも、2001年夏頃、自主制作のデモテープとして制作された『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープの音源を久しぶりに聴いてみたくなった。このテープをいただいた経緯は、「2018年1月5日 贈り物[志村正彦LN172]」の記事に書いてある。再度、ジャケット写真を添付したい。
あらためてこのジャケットを見ると、やはり、「赤色の球」は、『茜色の夕日』の太陽と『線香花火』の火球のダブル・イメージなのだろう。見る者は勝手にイメージの連想を作ってしまう。僕にとって、『茜色の夕日』と『線香花火』の像はやがて、『若者のすべて』の「最後の最後の花火」につながっていく。
言うまでもなく、花火は、花の火と光、そして、火の光の花である。
カセットテープのクレジットは次のように記されている。
全作詞作曲/志村 正彦
編曲/フジファブリック
Vo&G/志村 正彦
B/加藤 雄一
G/萩原 彰人
Key/田所 幸子
Dr/渡辺 隆之
いわゆる第2期のフジファブリックのメンバー。この五人による『線香花火』カセットテープ版音源は、演奏が若干走りすぎていて、ミキシングのせいで志村の声もクリアとは言いがたいのだが、キーボードとギター、ベースとドラムのグルーブ感はなかなかのものであり、一種の明るさ、爽快感がある。夏の季節感が伝わる。しかし、その音のドライブに志村正彦のやや暗い声が入ってくると、悲しみの疾走感のようなものに変容していく。特に、「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」のところが印象的だ。そのシャウトは何かを吐き出すかのようで、幾分か投げやりのようでもある。「さ」の反復に突き動かされるようにして、終わらない夏というか、むしろ終わらせたくない夏とでもいうべきか、その想いを歌っている。
花火大会という風物詩がない夏。外出を控える夏。夏の景物や風景を見て、季節を味わうことが少ない。
花火のない夏は、始まらない夏、それゆえに終わることもない夏かもしれない。
前回、七月の最後の日に「今年は花火のない夏。時が進むのが早い、短い夏となるのだろうか」と書いた。まだ梅雨明けの頃だった。その後は猛暑の連続。私の住む甲府はいつも全国トップクラスの暑さである。盆地ゆえに熱がこもる。富士吉田も例年より暑いようだ。「真夏のピーク」が続いたまま下旬に入っていく。猛暑が凝縮された夏は、時が進むのが早いのだろう。
「花火のない夏」、正確に言うと「花火大会のない夏」になったが、ところどころで予告なく花火が打ち上げられているようだ。僕はまだ見たことがないが、そのまま夏は終わるのだろう。2020年の夏は「花火のない夏」として記憶される。花火を巡る物語もなくなる。
今月の初めにたまたまBSを見ていたら、BS朝日で「山形・赤川花火大会2019」中継録画の番組が放送されていた。もしかすると思い録画しておいて再生すると、最後の方で『若者のすべて』の花火が流された。以前youtubeで見たことがあるが、こちらは「4K完全版」ということで映像が非常に鮮明である。画面には、「エンディング ephemeral bloom 伊那火工堀内煙火店 長野県上伊那郡」と示され、イントロが始まると「♪若者のすべて フジファブリック」と表示された。花火と楽曲がシンクロナイズされた見事な演出だった。最初の画面の方に小さく満月のようなものが見えた。美しい花火と『若者のすべて』そして月。会場ではどのような光景が見ることができたのか。そんなことも想った。
エンディングの曲はもう一つあり、Superflyの『bloom』だった。作詞は、いしわたり淳治。つまり、2019年の赤川花火大会のエンディングは、フジファブリック『若者のすべて』とSuperfly『bloom』の2曲で構成されていた。そのテーマ名は「ephemeral bloom」となっていたが、「bloom」(花)はSuperflyの曲名から取られただろうから、その形容詞の「ephemeral 」(儚い、人生や存在が短い)が『若者のすべて』を指し示していたのかもしれない。併せて「ephemeral bloom」、儚い花。志村正彦『若者のすべて』にふさわしいテーマ名である。
花火のない夏。花火のことを思い浮かべているうちに、フジファブリック『線香花火』を聞きたくなった。それも、2001年夏頃、自主制作のデモテープとして制作された『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープの音源を久しぶりに聴いてみたくなった。このテープをいただいた経緯は、「2018年1月5日 贈り物[志村正彦LN172]」の記事に書いてある。再度、ジャケット写真を添付したい。
あらためてこのジャケットを見ると、やはり、「赤色の球」は、『茜色の夕日』の太陽と『線香花火』の火球のダブル・イメージなのだろう。見る者は勝手にイメージの連想を作ってしまう。僕にとって、『茜色の夕日』と『線香花火』の像はやがて、『若者のすべて』の「最後の最後の花火」につながっていく。
言うまでもなく、花火は、花の火と光、そして、火の光の花である。
カセットテープのクレジットは次のように記されている。
全作詞作曲/志村 正彦
編曲/フジファブリック
Vo&G/志村 正彦
B/加藤 雄一
G/萩原 彰人
Key/田所 幸子
Dr/渡辺 隆之
いわゆる第2期のフジファブリックのメンバー。この五人による『線香花火』カセットテープ版音源は、演奏が若干走りすぎていて、ミキシングのせいで志村の声もクリアとは言いがたいのだが、キーボードとギター、ベースとドラムのグルーブ感はなかなかのものであり、一種の明るさ、爽快感がある。夏の季節感が伝わる。しかし、その音のドライブに志村正彦のやや暗い声が入ってくると、悲しみの疾走感のようなものに変容していく。特に、「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」のところが印象的だ。そのシャウトは何かを吐き出すかのようで、幾分か投げやりのようでもある。「さ」の反復に突き動かされるようにして、終わらない夏というか、むしろ終わらせたくない夏とでもいうべきか、その想いを歌っている。
花火大会という風物詩がない夏。外出を控える夏。夏の景物や風景を見て、季節を味わうことが少ない。
花火のない夏は、始まらない夏、それゆえに終わることもない夏かもしれない。
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志村正彦ライナーノーツ(LN)
2020年7月31日金曜日
夏の歌-オンライン授業[志村正彦LN260]
今日で7月が終わる。梅雨が長く続いたせいかなんだか時が進むのが早い、といった感覚だ。
一昨日7月29日 の朝日新聞朝刊2面に「コロナ禍、受験生減少を警戒 朝日新聞・河合塾共同調査」という記事が掲載されていた。その中で勤務先の山梨英和大学のコメントが紹介されている。(山梨および長野と静岡以外ではほとんど知られていない大学なので、「全国紙」に名が出るのはきわめて珍しい)
経済状況の悪化が、学生に深刻な影響を及ぼすと予想する大学も多い。「経済的理由による退学・休学の増加」を夏休み以降に予想する大学は、国立13%、公立6%に対し私立は35%。「家庭の経済状況やアルバイト収入減少の影響により、学生が大学継続の意欲を失い大学から離れていく」(山梨英和大)など、懸念する大学は多い。
この通りの状況であり、コロナ危機は多くの学生に経済的な危機をもたらした。本学では5月に「自修環境整備補助」として主にオンライン授業のための通信費整備のために、全学生に5万円を支給した。これは緊急クローズ宣言以降、来校が一切出来なくなったことから、施設設備整備の目的で徴収している教育充実費から一部を還元するという意味合いもあった。文部科学省より「学びの継続」のための『学生支援緊急給付金』があった。ただしいくつかの条件があり、すべての学生に給付できるものではなかった。この危機が長期化すれば、後期そして来年度に経済的困難から学業継続が困難となる学生が顕在化する可能性はある。
同記事には、オンライン授業についての立命館大学のコメントがある。
立命館大は「対面でなければならない授業の価値が、厳しく問い直される。オンラインの広がりと対面の有効性の問い直しは、大学のキャンパスが持つ意味の再考も促すことになる」と予測する。
山梨英和大は7年前から学生全員にモバイルPC(Macbook)を貸与している。学内wi-fi環境も整備されていて、学内のどの場所でもインターネット接続ができる。その充実した環境を利用して、僕は昨年から通常の対面授業の中で、Googleの「G suite for education」という学習支援プラットフォームの「Classroom」を使ってきた。そのきっかけは受講生が150人近くいる「山梨学」という科目だった。学生アシスタントがつかない科目なので、すべてを教員一人でやらねばならない。資料の配付や学生の振り返りペーパーの回収をすると、時間のロスが甚だしい。
そこで、Classroomの質問機能を使って、講義の振り返りや感想を200字程度書いて提出させた。150人ほどの受講生の提出文章から20~30ほど選んで編集して、PDF文書にしてClassroomの資料配付機能を使って配信した。オンラインのネットワークを活用した学生へのフィードバックである。効率の良い方法で学生からも好評だった。通常の対面授業とオンラインの方法とのハイブリッド的形態の一つである。
この経験があったので、幸いにして、4月からのオンライン遠隔授業にもスムーズに移行できたのだ。しかし、今年はすべてがオンライン遠隔授業となった。専門ゼミナール、文学講読、国語科教育法、それぞれ固有の目標や内容がある。それぞれに最適化した方法を見つけるのは難しい。4月からこれまで試行錯誤してきたと言ってよい。
特に、今年度からスタートした「日本語スキル」という初年次教育科目は、学生の読解力、思考力、表現力を育成するという重要な目標がある。論理的な思考の構造を図示して理解を深めるために準備段階では紙媒体のワークシートを活用する計画であったが、オンライン授業では当然、紙媒体のワークシートを利用することは不可能である。また、教室の講義でワークシート内容を説明することもできない。
オンライン授業化のために、根本的に授業展開と教材を変える必要があった。いくつかの方法を検討したが、結局、ワークシートの構成を分割して、Googleの「SLIDE」で資料を作り、「Meet」というビデオ会議ツールの「音声」機能を使って、説明をすることにした。教室でスライドをプロジェクタでスクリーンに投影して、教員が地声で説明する対面授業の方法のオンラインヴァージョンである。
この方法での授業は密度が濃くなる。時間あたりの情報量が多い。オンライン授業は、授業内容の凝縮度という観点では効率的で有効な方法である(入念にデザインされることが条件だが)。コロナ危機はそのような発見をもたらした。もちろん、対面の授業の方が有効な場合もある。だからこそ、立命館大のコメントにあるように、対面そしてオンラインを含めて大学の授業と大学のキャンパスの意味が問われる。
来週半ば前期の授業がようやく終わる。振り返れば、全く新規にスライドを作成するのにはかなりの時間がかかった。一回の授業で20~30枚の枚数が必要となる。週にそれが数本。この4ヶ月の間ほぼ毎日、スライド作成に追われていた。ずっとPC画面に向き合っての作業で特に眼が疲れる。心身共に疲労の色が濃いというのが正直なところである。
担当の専門ゼミナールには、国語教育、文学、山梨に関心を持つ学生が集まっている。詩や歌詞を研究テーマにする学生も数人いる。前期の後半は学生のレポート発表をしたのだが、オンラインであるゆえに変化を持たせた方がよいので、20分ほどのミニ講義を取り入れた。あれこれと考えたのだが、やはり、志村正彦・フジファブリックの音源、歌詞をテーマにすることに決めた。
学生も自宅に閉じ込められているので、「夏」の季節感を大切にしたい。すでにこのブログで少し触れたが、志村正彦・フジファブリックの夏の歌を集めることにした。『虹』『NAGISAにて』『Surfer King』『陽炎』『若者のすべて』の5曲を取り上げ、5本のスライドを作った。各スライドは6~10シートで構成した。その一部を「日本語スキル」の授業でも活用した。日本語表現の分析になるからである。
スライドを2枚ほどjpeg画像にして添付する。あまり鮮明でないが、スライドによるオンライン授業の雰囲気が少しだけ伝わるだろうか。
各回共に、事前にyoutubeなどで音源や映像を聴くことを指示した。授業では、Googleの「ドキュメント」ファイルに各自の感想を書きこむ。共有ファイルなので互いの感想を読むことができる。オンライン授業でも受講生同士のつながりを作るための工夫でもある。他者の考えに触れることは刺激になり、発見をもたらす。
それから講義時間に移る。スライドで歌詞の枠組やモチーフを図示して説明した。これは歌詞の構造であり、そこに意味を吹き込み、解釈を行うのはあくまでも学生である。歌詞分析のスライド作成は大変だったが、愉しみでもあった。どこかに愉しみの要素がないとオンライン授業は辛いものになってしまう。もちろん、授業自体は学生の思考力や表現力を育てることを目的としている。
ようやく梅雨明けとなるようだ。
今年は花火のない夏。時が進むのが早い、短い夏となるのだろうか。
一昨日7月29日 の朝日新聞朝刊2面に「コロナ禍、受験生減少を警戒 朝日新聞・河合塾共同調査」という記事が掲載されていた。その中で勤務先の山梨英和大学のコメントが紹介されている。(山梨および長野と静岡以外ではほとんど知られていない大学なので、「全国紙」に名が出るのはきわめて珍しい)
経済状況の悪化が、学生に深刻な影響を及ぼすと予想する大学も多い。「経済的理由による退学・休学の増加」を夏休み以降に予想する大学は、国立13%、公立6%に対し私立は35%。「家庭の経済状況やアルバイト収入減少の影響により、学生が大学継続の意欲を失い大学から離れていく」(山梨英和大)など、懸念する大学は多い。
この通りの状況であり、コロナ危機は多くの学生に経済的な危機をもたらした。本学では5月に「自修環境整備補助」として主にオンライン授業のための通信費整備のために、全学生に5万円を支給した。これは緊急クローズ宣言以降、来校が一切出来なくなったことから、施設設備整備の目的で徴収している教育充実費から一部を還元するという意味合いもあった。文部科学省より「学びの継続」のための『学生支援緊急給付金』があった。ただしいくつかの条件があり、すべての学生に給付できるものではなかった。この危機が長期化すれば、後期そして来年度に経済的困難から学業継続が困難となる学生が顕在化する可能性はある。
同記事には、オンライン授業についての立命館大学のコメントがある。
立命館大は「対面でなければならない授業の価値が、厳しく問い直される。オンラインの広がりと対面の有効性の問い直しは、大学のキャンパスが持つ意味の再考も促すことになる」と予測する。
山梨英和大は7年前から学生全員にモバイルPC(Macbook)を貸与している。学内wi-fi環境も整備されていて、学内のどの場所でもインターネット接続ができる。その充実した環境を利用して、僕は昨年から通常の対面授業の中で、Googleの「G suite for education」という学習支援プラットフォームの「Classroom」を使ってきた。そのきっかけは受講生が150人近くいる「山梨学」という科目だった。学生アシスタントがつかない科目なので、すべてを教員一人でやらねばならない。資料の配付や学生の振り返りペーパーの回収をすると、時間のロスが甚だしい。
そこで、Classroomの質問機能を使って、講義の振り返りや感想を200字程度書いて提出させた。150人ほどの受講生の提出文章から20~30ほど選んで編集して、PDF文書にしてClassroomの資料配付機能を使って配信した。オンラインのネットワークを活用した学生へのフィードバックである。効率の良い方法で学生からも好評だった。通常の対面授業とオンラインの方法とのハイブリッド的形態の一つである。
この経験があったので、幸いにして、4月からのオンライン遠隔授業にもスムーズに移行できたのだ。しかし、今年はすべてがオンライン遠隔授業となった。専門ゼミナール、文学講読、国語科教育法、それぞれ固有の目標や内容がある。それぞれに最適化した方法を見つけるのは難しい。4月からこれまで試行錯誤してきたと言ってよい。
特に、今年度からスタートした「日本語スキル」という初年次教育科目は、学生の読解力、思考力、表現力を育成するという重要な目標がある。論理的な思考の構造を図示して理解を深めるために準備段階では紙媒体のワークシートを活用する計画であったが、オンライン授業では当然、紙媒体のワークシートを利用することは不可能である。また、教室の講義でワークシート内容を説明することもできない。
オンライン授業化のために、根本的に授業展開と教材を変える必要があった。いくつかの方法を検討したが、結局、ワークシートの構成を分割して、Googleの「SLIDE」で資料を作り、「Meet」というビデオ会議ツールの「音声」機能を使って、説明をすることにした。教室でスライドをプロジェクタでスクリーンに投影して、教員が地声で説明する対面授業の方法のオンラインヴァージョンである。
この方法での授業は密度が濃くなる。時間あたりの情報量が多い。オンライン授業は、授業内容の凝縮度という観点では効率的で有効な方法である(入念にデザインされることが条件だが)。コロナ危機はそのような発見をもたらした。もちろん、対面の授業の方が有効な場合もある。だからこそ、立命館大のコメントにあるように、対面そしてオンラインを含めて大学の授業と大学のキャンパスの意味が問われる。
来週半ば前期の授業がようやく終わる。振り返れば、全く新規にスライドを作成するのにはかなりの時間がかかった。一回の授業で20~30枚の枚数が必要となる。週にそれが数本。この4ヶ月の間ほぼ毎日、スライド作成に追われていた。ずっとPC画面に向き合っての作業で特に眼が疲れる。心身共に疲労の色が濃いというのが正直なところである。
担当の専門ゼミナールには、国語教育、文学、山梨に関心を持つ学生が集まっている。詩や歌詞を研究テーマにする学生も数人いる。前期の後半は学生のレポート発表をしたのだが、オンラインであるゆえに変化を持たせた方がよいので、20分ほどのミニ講義を取り入れた。あれこれと考えたのだが、やはり、志村正彦・フジファブリックの音源、歌詞をテーマにすることに決めた。
学生も自宅に閉じ込められているので、「夏」の季節感を大切にしたい。すでにこのブログで少し触れたが、志村正彦・フジファブリックの夏の歌を集めることにした。『虹』『NAGISAにて』『Surfer King』『陽炎』『若者のすべて』の5曲を取り上げ、5本のスライドを作った。各スライドは6~10シートで構成した。その一部を「日本語スキル」の授業でも活用した。日本語表現の分析になるからである。
スライドを2枚ほどjpeg画像にして添付する。あまり鮮明でないが、スライドによるオンライン授業の雰囲気が少しだけ伝わるだろうか。
![]() |
| 志村正彦『虹』 |
![]() |
| 志村正彦『陽炎』 |
各回共に、事前にyoutubeなどで音源や映像を聴くことを指示した。授業では、Googleの「ドキュメント」ファイルに各自の感想を書きこむ。共有ファイルなので互いの感想を読むことができる。オンライン授業でも受講生同士のつながりを作るための工夫でもある。他者の考えに触れることは刺激になり、発見をもたらす。
それから講義時間に移る。スライドで歌詞の枠組やモチーフを図示して説明した。これは歌詞の構造であり、そこに意味を吹き込み、解釈を行うのはあくまでも学生である。歌詞分析のスライド作成は大変だったが、愉しみでもあった。どこかに愉しみの要素がないとオンライン授業は辛いものになってしまう。もちろん、授業自体は学生の思考力や表現力を育てることを目的としている。
ようやく梅雨明けとなるようだ。
今年は花火のない夏。時が進むのが早い、短い夏となるのだろうか。
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志村正彦ライナーノーツ(LN),
思考と表現の教育
2020年7月10日金曜日
永遠の現在の中 『Surfer King』[志村正彦LN259]
今日、7月10日は志村正彦の誕生日。
1980年の生まれ。存命であれば四十歳を迎えた日である。twitterでは誕生日を祝う呟き。富士吉田では『若者のすべて』のチャイム。地元紙や地元局での報道もあった。四十歳というのは節目の年なのだろう。
自分の四十歳を振り返る。男子の寿命はやはり八十歳くらいである。四十歳はその半ばまでたどりついてしまったことになる。人生の半分が去って、残された時間が半分。その中間の位置にいて過去と未来のことを考えている。そういう意味では中間の年齢、まさしく中年、ミドルエイジである。
僕の場合、過ぎてしまった半生の時間と残された半生の時間との間に挟まれて、現在という時間がなんだか縮んでしまうような、手応えのないような、そんな日々を暮らしていたようにも記憶する。三十歳代まではかろうじて「若者」の感覚があったのだがそれが失われる。それでも成熟にはほど遠い。
四十歳の志村正彦は全く想像できない。作品の中に存在する彼は年齢を重ねることがない。夭折の詩人は永遠の現在の中にいる。
今日は彼のミュージックビデオをこのブログに添付して、誕生日を祝したい。
youtubeの「フジファブリック Official Channel」でMVを探す。現在のフジファブリックの映像がすごく増えていて、分量的には、志村正彦の映像が少なくなっている(再生回数は圧倒的に多いのだが)。これは残念である。志村時代のライブ映像などもアーカイブとして加えるべきだろう。
「永遠の現在の中にいる」というモチーフで、Official ChannelからあるMVを選んでみた。
『Surfer King』である。
サーファーソングを解体し、新たに構築したような歌詞。しかも高度な批評性を併せ持つ。「脱構築ロック」の傑作である。
スミス監督によるMVは奇妙奇天烈、奇想天外。過去作品『銀河』からの「引用」がある。壊れかけた日本が描かれる。
「フフフフフ…」の口笛のようなサビ。「メメメメメリケン!!」のシャウト。左足を少し伸ばしてリズムを取りながら弾くエレクトリックギター。大きく動かす唇。正面を見据える眼差し。でもいつものように遠くを見つめているようでもある。城戸紘志の波打ちドラムに乗って、「サーファー気取り アメリカの…」の「…」のエンディングまでクールに激しく歌い続ける。ロック的なあまりにロック的な志村の姿がある。この姿は永遠だ。撮影時2007年の志村の現在が凝縮されている。
映像の中の志村正彦は、永遠の現在の中にいる。
現在という時がここにあるかのように、ここにしかないように、歌い、叫んでいる。
1980年の生まれ。存命であれば四十歳を迎えた日である。twitterでは誕生日を祝う呟き。富士吉田では『若者のすべて』のチャイム。地元紙や地元局での報道もあった。四十歳というのは節目の年なのだろう。
自分の四十歳を振り返る。男子の寿命はやはり八十歳くらいである。四十歳はその半ばまでたどりついてしまったことになる。人生の半分が去って、残された時間が半分。その中間の位置にいて過去と未来のことを考えている。そういう意味では中間の年齢、まさしく中年、ミドルエイジである。
僕の場合、過ぎてしまった半生の時間と残された半生の時間との間に挟まれて、現在という時間がなんだか縮んでしまうような、手応えのないような、そんな日々を暮らしていたようにも記憶する。三十歳代まではかろうじて「若者」の感覚があったのだがそれが失われる。それでも成熟にはほど遠い。
四十歳の志村正彦は全く想像できない。作品の中に存在する彼は年齢を重ねることがない。夭折の詩人は永遠の現在の中にいる。
今日は彼のミュージックビデオをこのブログに添付して、誕生日を祝したい。
youtubeの「フジファブリック Official Channel」でMVを探す。現在のフジファブリックの映像がすごく増えていて、分量的には、志村正彦の映像が少なくなっている(再生回数は圧倒的に多いのだが)。これは残念である。志村時代のライブ映像などもアーカイブとして加えるべきだろう。
「永遠の現在の中にいる」というモチーフで、Official ChannelからあるMVを選んでみた。
『Surfer King』である。
サーファーソングを解体し、新たに構築したような歌詞。しかも高度な批評性を併せ持つ。「脱構築ロック」の傑作である。
スミス監督によるMVは奇妙奇天烈、奇想天外。過去作品『銀河』からの「引用」がある。壊れかけた日本が描かれる。
「フフフフフ…」の口笛のようなサビ。「メメメメメリケン!!」のシャウト。左足を少し伸ばしてリズムを取りながら弾くエレクトリックギター。大きく動かす唇。正面を見据える眼差し。でもいつものように遠くを見つめているようでもある。城戸紘志の波打ちドラムに乗って、「サーファー気取り アメリカの…」の「…」のエンディングまでクールに激しく歌い続ける。ロック的なあまりにロック的な志村の姿がある。この姿は永遠だ。撮影時2007年の志村の現在が凝縮されている。
映像の中の志村正彦は、永遠の現在の中にいる。
現在という時がここにあるかのように、ここにしかないように、歌い、叫んでいる。
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2020年7月5日日曜日
この十年。「運命」なんて便利なもので。[志村正彦LN258]
志村正彦・フジファブリックの音楽に出会ってちょうど十年になる。今日はそのことを書いてみたい。
十年前の2010年。五月から七月まで、僕は術後の療養のために自宅で静養していた。安静にしていなければならないので自宅に籠もりきりだった。何もすることがなく、ただひたすら回復を待つ。少し読書をしたり、BSやCS放送の音楽番組を見たり聞いたりの日々。スカパーには邦楽ロックや洋楽ロックの音楽番組がいくつもあった。映像をBGM風にして部屋に流していた。
六月頃だった。フジファブリックの特番が「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などで放送されていた。番組を録画して、代表曲のミュージックビデオを繰り返し見た。
なかでも『陽炎』のMVが深く染み込んできた。
その視線がどこに向けられているのか分からないような眼差しで、やや暗い表情をした青年が歌っている。
その青年が、志村正彦だった。
あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ
冒頭の語り出しが秀逸だった。「あの街並」「路地裏の僕」の現れ方が独自だった。物語が動き始めて、心の中のスクリーンに様々な風景が登場する。
真夏の季節。路地裏の街を女性が彷徨う。通り雨、雲の流れ、空、部屋のカーテン、向こう側の海辺の光景。時計の針の逆転、時計の落下。MVの風景が刻まれていった。
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる
一気に最後のイメージに収束していった。完璧な歌詞と楽曲、言葉がこちら側に伝わる「声」と巧みな演奏があった。それまで知っていた日本語ロックのいずれとも似ていない。これは日本語ロックの最高の達成ではないか。その時の直観だった。フジファブリックというバンドは山梨出身の青年が作ったということを地元紙の記事で読んでうっすらと知っている程度だった。もっと前に聴くべきだったという残念な後悔するような気持ちになった。
志村正彦・フジファブリックとの出会いの後、CD・DVD・書籍を入手し、ネットの記事を探した。半年前、2009年12月に急逝したことを知った。故郷が富士吉田であること、7月に富士急ハイランドで「フジフジ富士Q」が開催されること、スカパーの特番は彼の追悼のためだったことも分かった。
2011年、あることを契機に勤め先の高校で、志村正彦・フジファブリックの歌詞について語り合う授業を始めた。地元紙に掲載された縁で、その年の12月、彼の同級生が富士吉田で開催した志村正彦展に生徒の書いた志村論が展示された。その際に僕も「志村正彦の夏」というエッセイを書いた。その文章が原点になって、2012年末にこの「偶景web」を立ち上げた。その後の展開はこのブログに書いてある通りである。2013年夏の富士吉田でのイベント、地元放送局でのニュース番組。2014年の甲府での「ロックの詩人志村正彦展」。この十年間の前半は色々なイベントに関わった。自らも主催した。
この十年間の後半は、「偶景web」を書くことに集中した。テーマを広げ、モチーフを掘りさげていった。志村と関わりの深かった音楽家たちも取り上げるようになった。2016年、志村正彦の作品を教材にした授業実践をある書籍に収録して発表した。2018年、大学に移り、前回の記事に記したように志村正彦の歌詞を講義のテーマにして、日本文学や日本文化を考察している。今年の担当ゼミではロックの歌詞を研究したいという学生も出てきた。
今年度から「日本語スキル」という科目を新たに作り、読解力、思考力、表現力を育成する初年次教育に取り組んでいる。先日、基礎スキルの一つとして、「は」と「が」の違いについて講義した。事前の準備で教科書的ではない用例を探していたところ、『虹』の歌詞に「は」と「が」の区別についての良い事例があることに気づいた。例えば、
週末 雨上がって 街が生まれ変わってく
週末 雨上がって 僕は生まれ変わってく
の二つにおいて、「街が」の「が」と「僕は」の「は」が使い分けられている。この差異を表現的観点から考察してみた。志村の表現は一つ一つの単語の水準で非常に優れている。助詞の使い方一つをとっても正確である。歌詞で描かれる世界は、彼の的確な表現力に支えられている。授業ではスライドを作って図示して説明したのだが、学生たちもかなり関心を持った。自分が好きな歌詞について、表現的な観点から読み直してみたい、分析したいという声もあった。志村正彦の歌詞から日本語の表現を考える。ミニレッスン的な講義だが、そのような手法も開発していきたいと思っている。
この授業を構想したときに「偶景web」で『虹』について書いた記事が参考となった。結果として、このブログが「研究ノート」のようなものになった。「偶景web」を「研究ノート」として大学での講義に活用する。このブログを始めたときには想像もできなかった展開である。
今朝から、フジファブリックのシングルA面集とB面集のCDを再生している。『若者のすべて』の次のフレーズが「なんだか胸に響いて」きた。
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
この十年の歩みを、 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて、というように語りたい気持ちにもなった。
2010年から2020年までの十年。志村正彦の音楽との出会いがなかったら、全く異なる十年になっただろう。それは確かなことである。
でも、「運命」なんて言葉を使うことには、ためらいがある。自らが選択する言葉ではないように思われる。それでも、その便利なもので「ぼんやりさせて」であれば、使うことが許されるだろうか。
この十年を、「運命」なんて便利なもので、振り返る。想いを巡らす。
今日はやはり最後に、そう記しておきたい。
十年前の2010年。五月から七月まで、僕は術後の療養のために自宅で静養していた。安静にしていなければならないので自宅に籠もりきりだった。何もすることがなく、ただひたすら回復を待つ。少し読書をしたり、BSやCS放送の音楽番組を見たり聞いたりの日々。スカパーには邦楽ロックや洋楽ロックの音楽番組がいくつもあった。映像をBGM風にして部屋に流していた。
六月頃だった。フジファブリックの特番が「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などで放送されていた。番組を録画して、代表曲のミュージックビデオを繰り返し見た。
なかでも『陽炎』のMVが深く染み込んできた。
その視線がどこに向けられているのか分からないような眼差しで、やや暗い表情をした青年が歌っている。
その青年が、志村正彦だった。
あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ
冒頭の語り出しが秀逸だった。「あの街並」「路地裏の僕」の現れ方が独自だった。物語が動き始めて、心の中のスクリーンに様々な風景が登場する。
真夏の季節。路地裏の街を女性が彷徨う。通り雨、雲の流れ、空、部屋のカーテン、向こう側の海辺の光景。時計の針の逆転、時計の落下。MVの風景が刻まれていった。
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる
一気に最後のイメージに収束していった。完璧な歌詞と楽曲、言葉がこちら側に伝わる「声」と巧みな演奏があった。それまで知っていた日本語ロックのいずれとも似ていない。これは日本語ロックの最高の達成ではないか。その時の直観だった。フジファブリックというバンドは山梨出身の青年が作ったということを地元紙の記事で読んでうっすらと知っている程度だった。もっと前に聴くべきだったという残念な後悔するような気持ちになった。
志村正彦・フジファブリックとの出会いの後、CD・DVD・書籍を入手し、ネットの記事を探した。半年前、2009年12月に急逝したことを知った。故郷が富士吉田であること、7月に富士急ハイランドで「フジフジ富士Q」が開催されること、スカパーの特番は彼の追悼のためだったことも分かった。
2011年、あることを契機に勤め先の高校で、志村正彦・フジファブリックの歌詞について語り合う授業を始めた。地元紙に掲載された縁で、その年の12月、彼の同級生が富士吉田で開催した志村正彦展に生徒の書いた志村論が展示された。その際に僕も「志村正彦の夏」というエッセイを書いた。その文章が原点になって、2012年末にこの「偶景web」を立ち上げた。その後の展開はこのブログに書いてある通りである。2013年夏の富士吉田でのイベント、地元放送局でのニュース番組。2014年の甲府での「ロックの詩人志村正彦展」。この十年間の前半は色々なイベントに関わった。自らも主催した。
この十年間の後半は、「偶景web」を書くことに集中した。テーマを広げ、モチーフを掘りさげていった。志村と関わりの深かった音楽家たちも取り上げるようになった。2016年、志村正彦の作品を教材にした授業実践をある書籍に収録して発表した。2018年、大学に移り、前回の記事に記したように志村正彦の歌詞を講義のテーマにして、日本文学や日本文化を考察している。今年の担当ゼミではロックの歌詞を研究したいという学生も出てきた。
今年度から「日本語スキル」という科目を新たに作り、読解力、思考力、表現力を育成する初年次教育に取り組んでいる。先日、基礎スキルの一つとして、「は」と「が」の違いについて講義した。事前の準備で教科書的ではない用例を探していたところ、『虹』の歌詞に「は」と「が」の区別についての良い事例があることに気づいた。例えば、
週末 雨上がって 街が生まれ変わってく
週末 雨上がって 僕は生まれ変わってく
の二つにおいて、「街が」の「が」と「僕は」の「は」が使い分けられている。この差異を表現的観点から考察してみた。志村の表現は一つ一つの単語の水準で非常に優れている。助詞の使い方一つをとっても正確である。歌詞で描かれる世界は、彼の的確な表現力に支えられている。授業ではスライドを作って図示して説明したのだが、学生たちもかなり関心を持った。自分が好きな歌詞について、表現的な観点から読み直してみたい、分析したいという声もあった。志村正彦の歌詞から日本語の表現を考える。ミニレッスン的な講義だが、そのような手法も開発していきたいと思っている。
この授業を構想したときに「偶景web」で『虹』について書いた記事が参考となった。結果として、このブログが「研究ノート」のようなものになった。「偶景web」を「研究ノート」として大学での講義に活用する。このブログを始めたときには想像もできなかった展開である。
今朝から、フジファブリックのシングルA面集とB面集のCDを再生している。『若者のすべて』の次のフレーズが「なんだか胸に響いて」きた。
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
この十年の歩みを、 「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて、というように語りたい気持ちにもなった。
2010年から2020年までの十年。志村正彦の音楽との出会いがなかったら、全く異なる十年になっただろう。それは確かなことである。
でも、「運命」なんて言葉を使うことには、ためらいがある。自らが選択する言葉ではないように思われる。それでも、その便利なもので「ぼんやりさせて」であれば、使うことが許されるだろうか。
この十年を、「運命」なんて便利なもので、振り返る。想いを巡らす。
今日はやはり最後に、そう記しておきたい。
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2020年6月21日日曜日
「ロックの詩人」志村正彦は季節をどう歌ったか-『若者のすべて』を読む-2020《人間文化学》[志村正彦LN257]
山梨英和大学には《人間文化学》という1年次必修科目がある。シラバスの概要には「この科目の名称であるだけでなく、学部・学科の名称でもある「人間文化学」とは何なのだろうか。これを学ぶことで、われわれは、どういう地平を切り開くことができるのだろうか」と学生へ問いかけている。
入学生がこれから4年間「人間文化学」を学んでいく出発点となるように、12人の教員が専門分野について講義するオムニバス形式の授業であり、私も日本語日本文学について担当することになった。具体的な事例に触れながら語るという要請なので、下記のテーマを設定した。
日本語日本文学と人間文化学:季節の言語文化論
「ロックの詩人」志村正彦は季節をどう歌ったか -『若者のすべて』を読む-
『若者のすべて』は季節というモチーフだけに限定される作品ではないが、日本文学との接点のために「季節」という観点をイントロダクションに用いた。この作品には多層的な語りの構造やモチーフの展開があり、現在の学生、若者にとっての「文学作品」として享受できる。むしろこのような歌が現代の文学ではないかという問題意識の提起でもある。だから「ロックの詩人」という形容を志村正彦に冠した。また、学生が文学作品を読む方法についても学ぶことができるように配慮した。
受講生は180人程度。当初は大教室で行う予定だったが、コロナ危機の影響によってオンライン遠隔授業で行った。本学は学生全員にモバイルノートPC(MacBook Air)を貸与している。またこの危機に対応するために、自宅でのネット接続環境の整備を目的として「自修環境整備補助」として1人あたり5万円を支給した。昨年度末、学内の無線LAN(Wi-Fi)のネットワーク機器も最新のものにリプレースされた。Googleの「Gsuite for education」をオンライン授業のプラットフォームにしたが、以前から通常の対面授業で資料の配信や課題の提出・回収に使っていた。地方の小規模大学にしては、コンピュータ・ネットワークの整備やICT教育に力を入れてきたので、比較的スムーズにオンライン遠隔授業に移行できた。
先週、その授業を行った。STAY HOMEで、自宅のPCとネットワークを使って講義に臨んだ。Googleの授業支援ツール「Classroom」を基盤にして、ビデオ会議ツールMeet をリアルタイムの映像・音声の送信に活用した。
Meetの画面にGoogleのスライド資料を映し出し、それに私の声による講義を重ね合わせる方法をとった。そのために、56ページのスライドを作成した。授業時間全体は95分、講義分は60分。スライドのすべてを伝えるはできないので、要点を絞って説明していった。関心のある学生には授業後に読んでもらうことを前提にした。
スライド資料はこの偶景webの記事から再編集して作った。現時点で『若者のすべて』は52回書いてきた。この8年間の記事を読み直していったのだが、ほとんど忘れてしまったこと、上手く書けていないところ、もっと掘り下げた方がいいところなど、色々な発見があった。何となく、懐かしさのようなものも味わった。この歌は、テレビドラマや映像のBGMとして使われたり、少なくない歌い手からカバーされたりと、すでに色々な歴史が刻まれている。昨年はドキュメンタリー番組のテーマともなった。
結局、最初の頃に集中して連載した『若者のすべて』1~12(2013年6月23日~10月26日)を基軸にまとめることにした。この全12回の論を書いてからかなりの年月が経つが、基本的な考え方は変わっていないことも確認できた。その基軸にいくつかの重要なモチーフをつなげると10章の構成になった。受講生にとって文学の読解や研究のための参考になる観点については《 》内に記した。各章のテーマは次の通りである。
1)歌の世界をたどりきれない想い 《想いから問いかける》
2)二つの異なる曲、二つの歌の複合 《証言からの推論》
3)《歩行》と《僕》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 1》
4)《花火》と《僕ら》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 2》
5)「二人」と「僕ら」 《横断的に読む》
6)「自然詩人」 季節の風物詩「花火」《文芸批評・文学研究の観点》
7)消えてゆく言葉、解釈への問い《他の作品との関連、モチーフ批評》
8)僕らの世代《想いから問う》
9)「時代」を超える歌 《歌の運命》
10)なぜ志村正彦は歌を作り、歌うのか。《創造すること》
事前課題として、『若者のすべて』歌詞とyoutube公式サイトの『若者のすべて』ミュージックビデオのURLを記載した資料を送信した。学生には繰り返し(できれば2,3回)聴いておくことを伝えた。
授業の最初に、学生に『若者のすべて』を聴いて感じたこと、心に浮かんできたことを150字程度で書くことを指示。学生からの返信。60分の講義の展開。終了後、授業についての感想、振り返りを書くことを指示。学生からの返信。さらに、翌日までに『若者のすべて』論(600~800字程度)を書いて返信することを提出課題にした。
学生が書いて提出した論の総数は167。優れた内容の論が多かった。歌詞と自分の想いを重ね合わせるようにして述べたもの。歌詞の語りや構造を踏まえた上で考察したもの。大学生とは言っても入学したばかりだが、それでも感想のレベルから考察や分析のレベルへと論を進めていく姿勢がうかがわれた。「世界の約束」という表現に注目したり、コロナ危機の状況下での視点を打ち出したりと、若者らしい思考が展開されていた。167の論について的確に書けているところを指摘したコメントを記して、学生一人ひとりに返信した。三日間かかったが、充実した時間だった。彼らの論から学ぶことは少なくない。
学生が提出した『若者のすべて』論はその学生の「著作物」なのでここで紹介することは控えるが、授業の感想として寄せられたものを二つ引用させていただく。
今回の講義を受講して、今までは歌詞は付属のような感覚でしたが、曲同様、またそれ以上の意味があるものだと気づかされた。また、"語りの枠組み"ということを知り、その歌詞で何が語られ、何をモチーフにしているのかと分析していくにつれ、深層にある想いなどを読み取ることができるのではないかと思った。
歌詞の言葉の一つ一つから、言葉を選ぶ慎重さや言葉に対する拘りを感じました。「二人」と「僕ら」の使われ方の違いについて面白いと感じ、さらに詳しく知りたいと思いました。詩のような歌詞と言われているように、曖昧な部分からも様々な考えを読み取ることが出来て面白いと思いました。
担当教員の拙い講義にもかかわらず、授業の目標はほぼ達成されたと考えている。これは『若者のすべて』という歌が、若者に作用する根源的な力を持つからである。学生はその力を若者らしく受けとめて、自らの感性と知性を行使して自由に表現した。
入学生がこれから4年間「人間文化学」を学んでいく出発点となるように、12人の教員が専門分野について講義するオムニバス形式の授業であり、私も日本語日本文学について担当することになった。具体的な事例に触れながら語るという要請なので、下記のテーマを設定した。
日本語日本文学と人間文化学:季節の言語文化論
「ロックの詩人」志村正彦は季節をどう歌ったか -『若者のすべて』を読む-
『若者のすべて』は季節というモチーフだけに限定される作品ではないが、日本文学との接点のために「季節」という観点をイントロダクションに用いた。この作品には多層的な語りの構造やモチーフの展開があり、現在の学生、若者にとっての「文学作品」として享受できる。むしろこのような歌が現代の文学ではないかという問題意識の提起でもある。だから「ロックの詩人」という形容を志村正彦に冠した。また、学生が文学作品を読む方法についても学ぶことができるように配慮した。
受講生は180人程度。当初は大教室で行う予定だったが、コロナ危機の影響によってオンライン遠隔授業で行った。本学は学生全員にモバイルノートPC(MacBook Air)を貸与している。またこの危機に対応するために、自宅でのネット接続環境の整備を目的として「自修環境整備補助」として1人あたり5万円を支給した。昨年度末、学内の無線LAN(Wi-Fi)のネットワーク機器も最新のものにリプレースされた。Googleの「Gsuite for education」をオンライン授業のプラットフォームにしたが、以前から通常の対面授業で資料の配信や課題の提出・回収に使っていた。地方の小規模大学にしては、コンピュータ・ネットワークの整備やICT教育に力を入れてきたので、比較的スムーズにオンライン遠隔授業に移行できた。
先週、その授業を行った。STAY HOMEで、自宅のPCとネットワークを使って講義に臨んだ。Googleの授業支援ツール「Classroom」を基盤にして、ビデオ会議ツールMeet をリアルタイムの映像・音声の送信に活用した。
Meetの画面にGoogleのスライド資料を映し出し、それに私の声による講義を重ね合わせる方法をとった。そのために、56ページのスライドを作成した。授業時間全体は95分、講義分は60分。スライドのすべてを伝えるはできないので、要点を絞って説明していった。関心のある学生には授業後に読んでもらうことを前提にした。
スライド資料はこの偶景webの記事から再編集して作った。現時点で『若者のすべて』は52回書いてきた。この8年間の記事を読み直していったのだが、ほとんど忘れてしまったこと、上手く書けていないところ、もっと掘り下げた方がいいところなど、色々な発見があった。何となく、懐かしさのようなものも味わった。この歌は、テレビドラマや映像のBGMとして使われたり、少なくない歌い手からカバーされたりと、すでに色々な歴史が刻まれている。昨年はドキュメンタリー番組のテーマともなった。
結局、最初の頃に集中して連載した『若者のすべて』1~12(2013年6月23日~10月26日)を基軸にまとめることにした。この全12回の論を書いてからかなりの年月が経つが、基本的な考え方は変わっていないことも確認できた。その基軸にいくつかの重要なモチーフをつなげると10章の構成になった。受講生にとって文学の読解や研究のための参考になる観点については《 》内に記した。各章のテーマは次の通りである。
1)歌の世界をたどりきれない想い 《想いから問いかける》
2)二つの異なる曲、二つの歌の複合 《証言からの推論》
3)《歩行》と《僕》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 1》
4)《花火》と《僕ら》の系列 《語りの構造とモチーフの分析 2》
5)「二人」と「僕ら」 《横断的に読む》
6)「自然詩人」 季節の風物詩「花火」《文芸批評・文学研究の観点》
7)消えてゆく言葉、解釈への問い《他の作品との関連、モチーフ批評》
8)僕らの世代《想いから問う》
9)「時代」を超える歌 《歌の運命》
10)なぜ志村正彦は歌を作り、歌うのか。《創造すること》
事前課題として、『若者のすべて』歌詞とyoutube公式サイトの『若者のすべて』ミュージックビデオのURLを記載した資料を送信した。学生には繰り返し(できれば2,3回)聴いておくことを伝えた。
授業の最初に、学生に『若者のすべて』を聴いて感じたこと、心に浮かんできたことを150字程度で書くことを指示。学生からの返信。60分の講義の展開。終了後、授業についての感想、振り返りを書くことを指示。学生からの返信。さらに、翌日までに『若者のすべて』論(600~800字程度)を書いて返信することを提出課題にした。
学生が書いて提出した論の総数は167。優れた内容の論が多かった。歌詞と自分の想いを重ね合わせるようにして述べたもの。歌詞の語りや構造を踏まえた上で考察したもの。大学生とは言っても入学したばかりだが、それでも感想のレベルから考察や分析のレベルへと論を進めていく姿勢がうかがわれた。「世界の約束」という表現に注目したり、コロナ危機の状況下での視点を打ち出したりと、若者らしい思考が展開されていた。167の論について的確に書けているところを指摘したコメントを記して、学生一人ひとりに返信した。三日間かかったが、充実した時間だった。彼らの論から学ぶことは少なくない。
学生が提出した『若者のすべて』論はその学生の「著作物」なのでここで紹介することは控えるが、授業の感想として寄せられたものを二つ引用させていただく。
今回の講義を受講して、今までは歌詞は付属のような感覚でしたが、曲同様、またそれ以上の意味があるものだと気づかされた。また、"語りの枠組み"ということを知り、その歌詞で何が語られ、何をモチーフにしているのかと分析していくにつれ、深層にある想いなどを読み取ることができるのではないかと思った。
歌詞の言葉の一つ一つから、言葉を選ぶ慎重さや言葉に対する拘りを感じました。「二人」と「僕ら」の使われ方の違いについて面白いと感じ、さらに詳しく知りたいと思いました。詩のような歌詞と言われているように、曖昧な部分からも様々な考えを読み取ることが出来て面白いと思いました。
担当教員の拙い講義にもかかわらず、授業の目標はほぼ達成されたと考えている。これは『若者のすべて』という歌が、若者に作用する根源的な力を持つからである。学生はその力を若者らしく受けとめて、自らの感性と知性を行使して自由に表現した。
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思考と表現の教育
2020年6月12日金曜日
Peter Gabriel 『Biko』/Black Lives Matter[S/R009]
前回、ジョージ・フロイド氏の事件に講義する運動の広がりと弟のテレンス・フロイド氏の「Educate yourself」という訴えについて書いた。数日前、「フロイドさん殺害、ピーター・ガブリエルが人種差別に改めて抗議」という記事がYahoo Japanに載っていた(6/8(月) 13:30配信Rolling Stone Japan)。同記事から引用する。
アメリカ全土でジョージ・フロイド氏の殺害への抗議活動が続く中、ピーター・ガブリエルは米現地時間6月1日、Twitterにて人種差別的な殺人にショックを受けたと投稿した。彼は「こうした残虐行為には直接立ち向かい、それがいつ、どこで起きようと正しく裁かれるべきだ」と、#BlackLivesMatterのハッシュタグを用いて述べた。ピーター・ガブリエルは1992年、人権侵害を監視する非営利組織「WITNESS」を立ち上げた。彼は「WITNESSは警官の暴力行為を監視する団体を援助してきた。私は、今回の抗議活動が、その根本としているものが問題として扱われるように導くだけでなく、世界がどのように人種差別や宗教的迫害に立ち向かうかのように目を向ける勇気を与えるきっかけになることを祈っている」と付け加えた。
ピーター・ガブリエルの公式web「petergabriel.com」には、次の画像とこの記事の基になった「Black Lives Matter 2nd June, 2020」というコメントが掲載されている。
Along with the civilised world I was horrified by the racist murder of George Floyd.
This type of brutality needs to be confronted directly, with justice clearly seen to be done whenever and wherever it occurs.
………
At the same time politicians are trying to win support by fuelling nationalism and racism for their own gain. If we don’t like the way things are going we have to speak out and act. The world can only be what we choose to make it.
ピーター・ガブリエルは、ジョージフロイド氏に対するような残虐行為については直接立ち向かう必要があり、同時に、政治家がナショナリズムと人種差別を助長することによって支持を得ようとしていることも批判している。
すでに、この偶景webでは、2016年12月18日に「『Biko』Peter Gabriel-ビコ生誕70周年」という記事でPeter Gabriel 『Biko』を取り上げている。その時はライブ映像を使ったが、[S/R009]としてこの曲のミュージックビデオを紹介したい。
このMVには『遠い夜明け』(Cry Freedom)[1987年製作・公開、イギリス映画、監督リチャード・アッテンボロー]の映像が使われている。この映画は、アパルトヘイト政権下の南アフリカ共和国で殺害された黒人解放活動家スティーヴ・ビコと南アフリカ共和国の有力紙デイリー・ディスパッチ紙の白人記者ドナルド・ウッズとの交友に基づいている。『Biko』のリリースは1980年、その際にはMVは制作されなかったと記憶している。1987年の『遠い夜明け』公開と共に、このMVはロル・クレームによって作られた。
「the eyes of the world are watching now/Watching now」という状況が、今、世界に広まっている。
September ’77
Port Elizabeth weather fine
It was business as usual
In Police Room 619
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
– The man is dead
The man is dead
When I try to sleep at night
I can only dream in red
The outside world is black and white
With only one colour dead
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja,
– The man is dead
The man is dead
You can blow out a candle
But you can’t blow out a fire
Once the flame begins to catch
The wind will blow it higher
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
– The man is dead
– The man is dead
And the eyes of the world are watching now
Watching now
もう一つの映像も紹介したい。
Peter Gabriel - Biko Live @Johannesburg 46664 against AIDS
2007年12月1日、南アフリカのヨハネスブルクで、ネルソン・マンデラ財団がエイズ(HIV/AIDS)撲滅を訴えるチャリティーコンサート「46664」を開催した。その時のピーター・ガブリエル『Biko』ライブ映像である。コンサート名の「46664」は、18年間ロベン島(Robben Island)に投獄されていたマンデラ元大統領に付けられていた番号。ヨハネスブルクで歌われた『Biko』にはピーター・ガブリエルの特別な想いが込められていただろう。
アメリカ全土でジョージ・フロイド氏の殺害への抗議活動が続く中、ピーター・ガブリエルは米現地時間6月1日、Twitterにて人種差別的な殺人にショックを受けたと投稿した。彼は「こうした残虐行為には直接立ち向かい、それがいつ、どこで起きようと正しく裁かれるべきだ」と、#BlackLivesMatterのハッシュタグを用いて述べた。ピーター・ガブリエルは1992年、人権侵害を監視する非営利組織「WITNESS」を立ち上げた。彼は「WITNESSは警官の暴力行為を監視する団体を援助してきた。私は、今回の抗議活動が、その根本としているものが問題として扱われるように導くだけでなく、世界がどのように人種差別や宗教的迫害に立ち向かうかのように目を向ける勇気を与えるきっかけになることを祈っている」と付け加えた。
ピーター・ガブリエルの公式web「petergabriel.com」には、次の画像とこの記事の基になった「Black Lives Matter 2nd June, 2020」というコメントが掲載されている。
Along with the civilised world I was horrified by the racist murder of George Floyd.
This type of brutality needs to be confronted directly, with justice clearly seen to be done whenever and wherever it occurs.
………
At the same time politicians are trying to win support by fuelling nationalism and racism for their own gain. If we don’t like the way things are going we have to speak out and act. The world can only be what we choose to make it.
ピーター・ガブリエルは、ジョージフロイド氏に対するような残虐行為については直接立ち向かう必要があり、同時に、政治家がナショナリズムと人種差別を助長することによって支持を得ようとしていることも批判している。
すでに、この偶景webでは、2016年12月18日に「『Biko』Peter Gabriel-ビコ生誕70周年」という記事でPeter Gabriel 『Biko』を取り上げている。その時はライブ映像を使ったが、[S/R009]としてこの曲のミュージックビデオを紹介したい。
このMVには『遠い夜明け』(Cry Freedom)[1987年製作・公開、イギリス映画、監督リチャード・アッテンボロー]の映像が使われている。この映画は、アパルトヘイト政権下の南アフリカ共和国で殺害された黒人解放活動家スティーヴ・ビコと南アフリカ共和国の有力紙デイリー・ディスパッチ紙の白人記者ドナルド・ウッズとの交友に基づいている。『Biko』のリリースは1980年、その際にはMVは制作されなかったと記憶している。1987年の『遠い夜明け』公開と共に、このMVはロル・クレームによって作られた。
「the eyes of the world are watching now/Watching now」という状況が、今、世界に広まっている。
September ’77
Port Elizabeth weather fine
It was business as usual
In Police Room 619
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
– The man is dead
The man is dead
When I try to sleep at night
I can only dream in red
The outside world is black and white
With only one colour dead
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja,
– The man is dead
The man is dead
You can blow out a candle
But you can’t blow out a fire
Once the flame begins to catch
The wind will blow it higher
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
– The man is dead
– The man is dead
And the eyes of the world are watching now
Watching now
もう一つの映像も紹介したい。
Peter Gabriel - Biko Live @Johannesburg 46664 against AIDS
2007年12月1日、南アフリカのヨハネスブルクで、ネルソン・マンデラ財団がエイズ(HIV/AIDS)撲滅を訴えるチャリティーコンサート「46664」を開催した。その時のピーター・ガブリエル『Biko』ライブ映像である。コンサート名の「46664」は、18年間ロベン島(Robben Island)に投獄されていたマンデラ元大統領に付けられていた番号。ヨハネスブルクで歌われた『Biko』にはピーター・ガブリエルの特別な想いが込められていただろう。
2020年6月5日金曜日
「Educate yourself」
Sly & The Family Stone『Family Affair』が作られた1970年代の前半は、日本でもアメリカでも60年代後半の雰囲気を濃厚に残す時代だった。荒々しいものがまだうごめく動きと共に次第にその動きが収束していく。その二つの動きが交錯する時代だった。
60年代後半から70年代後半の時代から50年、半世紀が経った。
今、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで警官に拘束されて死亡したアフリカ系アメリカ人ジョージ・フロイド氏の事件に抗議するデモが世界中に広がっている。「正義なければ平和ない」と、フロイドさんに連帯を示すデモは欧州各地で連日繰り広げられている。
アメリカでは暴動や略奪も起きてしまった。そのことに対して、弟のテレンス・フロイド氏が「Educate yourself」と訴えていた。「自分自身を教育して、誰に投票するか決めるんだ」「別のやり方でやろう」という文脈の表現だった。この映像がネットに上がっているのでぜひ見てほしい。
この「educate yourself」について考えてみた。「educate」の語源については幾つかの説があるが、「人を外へ(ex-)引っ張り(duco)伸ばしていくこと」が基本的な意味らしい。このことから、人の力と能力を育成し、開発していくことと捉えることもできる。この言葉の定訳である「教育」には、誰かが誰かに教え込むという意味合いがある。もともとはそうではなく、自らが自らを育てていくという方に近い。「educate yourself」となると、自分自身が自分の力を育て伸ばしていくことになる。自分が主体であり自分が対象である。誰かから、学校や教師から教えられるのではない。自分が自分自身を育てていく。自らの能力や知性を伸ばしていく。
以前、ジョセフ・ジャコトとジャック・ランシエールの『無知な教師 知性の解放について』について書いたことがある。人間は本質的に平等であり、人間は自分で知性を育成し、自身を解放することができる。「educate yourself」はその教えにも重なっていく。
テレンス・フロイド氏の「自分自身を教育して、誰に投票するか決めるんだ」という言葉は、私たちの国も激しく揺さぶる。
私たち一人ひとりが「educate yourself」を実践することによって、この日本も変化していくだろう。いや、変化させなければならない。
私たちも問われているのだ。
60年代後半から70年代後半の時代から50年、半世紀が経った。
今、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで警官に拘束されて死亡したアフリカ系アメリカ人ジョージ・フロイド氏の事件に抗議するデモが世界中に広がっている。「正義なければ平和ない」と、フロイドさんに連帯を示すデモは欧州各地で連日繰り広げられている。
アメリカでは暴動や略奪も起きてしまった。そのことに対して、弟のテレンス・フロイド氏が「Educate yourself」と訴えていた。「自分自身を教育して、誰に投票するか決めるんだ」「別のやり方でやろう」という文脈の表現だった。この映像がネットに上がっているのでぜひ見てほしい。
この「educate yourself」について考えてみた。「educate」の語源については幾つかの説があるが、「人を外へ(ex-)引っ張り(duco)伸ばしていくこと」が基本的な意味らしい。このことから、人の力と能力を育成し、開発していくことと捉えることもできる。この言葉の定訳である「教育」には、誰かが誰かに教え込むという意味合いがある。もともとはそうではなく、自らが自らを育てていくという方に近い。「educate yourself」となると、自分自身が自分の力を育て伸ばしていくことになる。自分が主体であり自分が対象である。誰かから、学校や教師から教えられるのではない。自分が自分自身を育てていく。自らの能力や知性を伸ばしていく。
以前、ジョセフ・ジャコトとジャック・ランシエールの『無知な教師 知性の解放について』について書いたことがある。人間は本質的に平等であり、人間は自分で知性を育成し、自身を解放することができる。「educate yourself」はその教えにも重なっていく。
テレンス・フロイド氏の「自分自身を教育して、誰に投票するか決めるんだ」という言葉は、私たちの国も激しく揺さぶる。
私たち一人ひとりが「educate yourself」を実践することによって、この日本も変化していくだろう。いや、変化させなければならない。
私たちも問われているのだ。
2020年6月4日木曜日
Sly & The Family Stone『Family Affair』[S/R008]
[S/R008]は、Sly & The Family Stoneスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『Family Affair』ファミリー・アフェア。
1971年発表。当時、この曲はラジオでかなり放送されていた。すでにロック音楽に馴染んでいた中学生の僕は、この曲でロックとは異なる音楽の世界があることを知った。この曲を聞くといつも、なぜか冬の夜の情景を思いだす。エレクトリックなファンクのビートに乗って、スライの低くて力強い声がクールに響き出すと、どこか別の世界に持って行かれるような不思議な気分になった。押さえられた高揚感とでも言うのだろうか。この曲は特別な存在となった。
歌詞の世界はいまだによく分からない。「Family Affair」という表現に重層的に織り込まれているアフリカ系アメリカ人の生活や歴史が掴みきれないからだ。「Family Affair」の声、響き、叫びのようなものが、その意味を超えて何かを聴く者に伝えてくる。
"Family Affair" by Sly & The Family Stone
It's a family affair, it's a family affair
It's a family affair, it's a family affair
One child grows up to be
Somebody that just loves to learn
And another child grows up to be
Somebody you'd just love to burn
Mom loves the both of them
You see it's in the blood
Both kids are good to Mom
"Blood's thicker than mud"
It's a family affair, it's a family affair
Newlywed a year ago
But you're still checking each other out
Nobody wants to blow
Nobody wants to be left out
You can't leave, 'cause your heart is there
But you can't stay, 'cause you been somewhere else!
You can't cry, 'cause you'll look broke down
But you're cryin' anyway 'cause you're all broke down!
It's a family affair
It's a family affair
この曲を含むアルバムは、スライ&ザ・ファミリー・ストーン5枚目のアルバム『暴動』 (There's a Riot Goin' On)である。上の画像は『暴動』のオリジナル・ジャケットである。wikipediaによれば、星のかわりに太陽を配した赤・白・黒からなる星条旗を用いている。スライはこのジャケットは「すべての人種の人々」を意味し、黒は色の欠如、白はすべての色の混合、赤はあらゆる人に等しく流れる血の色を表していると説明しているそうだ。アルバムA面の最後にはタイトル・トラックがあるが、これは0分0秒と記されている。つまり、無音であり、聴き取ることはできない。このタイトルはある暴動のことを示しているとも言われてきたが、後年、スライは「自分はいかなる暴動も起こってほしくない」がゆえに表題曲 "There's a Riot Goin' On" には演奏時間がないのだと説明したようである。
youtubeに当時の映像があった。スライの隣にいるのは妹のローズ・ストーン。あの印象深いコーラスを担当している。
Family Affair - Sly & The Family Stone 1972
Sly & The Family Stoneが2008年の「Tokyo Jazz Festival」に出演した時の貴重な映像もあった。5分30秒すぎに、スライが登場し、大喝采を浴びながら、『Family Affair』を歌い始める。
Sly & The Family Stone - Live at Tokyo Jazz Festival 2008
この日本で、東京で、スライ・ストーンが『Family Affair』を歌っているということ自体が不思議だ。奇蹟のようでもある。
オランダ人ドキュメンタリストによるスライ・ストーンのドキュメンタリー映画があるが、まだ見ることができていない。
1971年発表。当時、この曲はラジオでかなり放送されていた。すでにロック音楽に馴染んでいた中学生の僕は、この曲でロックとは異なる音楽の世界があることを知った。この曲を聞くといつも、なぜか冬の夜の情景を思いだす。エレクトリックなファンクのビートに乗って、スライの低くて力強い声がクールに響き出すと、どこか別の世界に持って行かれるような不思議な気分になった。押さえられた高揚感とでも言うのだろうか。この曲は特別な存在となった。
歌詞の世界はいまだによく分からない。「Family Affair」という表現に重層的に織り込まれているアフリカ系アメリカ人の生活や歴史が掴みきれないからだ。「Family Affair」の声、響き、叫びのようなものが、その意味を超えて何かを聴く者に伝えてくる。
"Family Affair" by Sly & The Family Stone
It's a family affair, it's a family affair
It's a family affair, it's a family affair
One child grows up to be
Somebody that just loves to learn
And another child grows up to be
Somebody you'd just love to burn
Mom loves the both of them
You see it's in the blood
Both kids are good to Mom
"Blood's thicker than mud"
It's a family affair, it's a family affair
Newlywed a year ago
But you're still checking each other out
Nobody wants to blow
Nobody wants to be left out
You can't leave, 'cause your heart is there
But you can't stay, 'cause you been somewhere else!
You can't cry, 'cause you'll look broke down
But you're cryin' anyway 'cause you're all broke down!
It's a family affair
It's a family affair
この曲を含むアルバムは、スライ&ザ・ファミリー・ストーン5枚目のアルバム『暴動』 (There's a Riot Goin' On)である。上の画像は『暴動』のオリジナル・ジャケットである。wikipediaによれば、星のかわりに太陽を配した赤・白・黒からなる星条旗を用いている。スライはこのジャケットは「すべての人種の人々」を意味し、黒は色の欠如、白はすべての色の混合、赤はあらゆる人に等しく流れる血の色を表していると説明しているそうだ。アルバムA面の最後にはタイトル・トラックがあるが、これは0分0秒と記されている。つまり、無音であり、聴き取ることはできない。このタイトルはある暴動のことを示しているとも言われてきたが、後年、スライは「自分はいかなる暴動も起こってほしくない」がゆえに表題曲 "There's a Riot Goin' On" には演奏時間がないのだと説明したようである。
youtubeに当時の映像があった。スライの隣にいるのは妹のローズ・ストーン。あの印象深いコーラスを担当している。
Family Affair - Sly & The Family Stone 1972
Sly & The Family Stoneが2008年の「Tokyo Jazz Festival」に出演した時の貴重な映像もあった。5分30秒すぎに、スライが登場し、大喝采を浴びながら、『Family Affair』を歌い始める。
Sly & The Family Stone - Live at Tokyo Jazz Festival 2008
この日本で、東京で、スライ・ストーンが『Family Affair』を歌っているということ自体が不思議だ。奇蹟のようでもある。
オランダ人ドキュメンタリストによるスライ・ストーンのドキュメンタリー映画があるが、まだ見ることができていない。
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Songs to Remember[S/R]
2020年5月31日日曜日
Step by step『茜色の夕日』 [志村正彦LN256]
五日ほど前、正午の直前だった。
UTYテレビ山梨をなんとなく見ていると、綺麗な夕焼け雲を背景に富士山とその裾野の街が映し出された。ドラムの音と共に「茜色の夕日眺めてたら」の歌声。志村正彦の声。フジファブリックの『茜色の夕日』だ。反射的に録画ボタンを押した。すぐに画面に「富士吉田市 ♪茜色の夕日♪フジファブリック」の表示。 UTYなので、あの「STAY HOME」のシリーズなのかと思ったが、「STAY HOME」の広告はすでに終わったはずだ。60秒ほどの映像だったが、次の言葉が流された。
Step by step
今できることを
一歩一歩新しい日常へ…
いつかみんなで眺めよう
その日のために今できること
画面の右上には「50TH Uバク UTY」のクレジット。あの「STAY HOME」に継ぐ「Step by step」というテーマのUTY開局50周年と連動した公共的な広告のようだ。「STAY HOME」の『若者のすべて』に続いて『茜色の夕日』が使われたのである。「STAY HOME」から「Step by step」へ。一歩一歩、「新しい日常」へ歩んでいくというメッセージである。
この映像は山梨県内でしか視聴できないのが残念だが、こればかりは仕方がない。UTYのホームページでもこの動画を見ることはできない。
『茜色の夕日』の中で使われた部分は下記の通りである。
茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
君が只 横で笑っていたことや
どうしようもない悲しいこと
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることはできないな
そんなことを思っていたんだ
映像は富士吉田市の上空からのドローン撮影だろう。富士山に向かって北東の方向からドローンは飛んでいく。下には富士吉田の市街が広がる。街や車の灯り、川や大きな通りも見える。
富士山の南西の方向に、茜色に照らされた雲の群れが水平にたなびいている。富士山の頂上あたりのラインで、地平線に近いところに茜色のグラデーションの雲、その上方は青いグレー色の雲に分かれているが、その色彩の差異がコントラストをなしている。しばらくすると夕闇に包まれていくのだろう。その前の「茜色の夕日」の時間。見た瞬間に引き込まれていく富士山と吉田の街の空間、「茜色の夕日」の空間。時間と空間の美しい光景に『茜色の夕日』の歌が流れていく。
フジファブリック『茜色の夕日』と富士山の「茜色の夕日」の風景。あからさまと言えばあまりにあからさまな組合せだが、これが意外なほどに合っていた。この風景と志村の言葉が見事に融合していたのだ。志村の記憶の中にこの自然の光景が刻まれていたとも言えるほどに。
文芸批評家の吉本隆明は、『吉本隆明歳時記』(1978年、日本エディタースクール出版部)で、「自然詩人」について次のように述べている。
わたしの好きだった、そしていまでもかなり好きな自然詩人に中原中也がいる。この詩人の生涯の詩百篇ほどをとれば約九十篇は自然の季節にかかわっている。しかもかなり深刻な度合でかかわっている。こういう詩人は詩をこしらえる姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触りが手がかりのように到来してしまうのである。景物が渇えた心を充たそうとする素因として働いてしまう。 (「春の章 中原中也」)
「自然詩人」は、「空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触り」を手がかりにして詩的世界を創る。この論を参考にして考えてみた。
志村正彦も「茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました」、「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた」と歌い始める。「茜色の夕日」、「真夏のピーク」。風景と場所の感覚、季節と時間の感触。志村の数多くの歌は、自然から受け取った感覚を一つのイントロダクションのようにして、自分自身の世界を語り始める。
そういう捉え方をすれば、志村正彦も中原中也と同じような「自然詩人」と言えるだろう。しかし、実際の語り方、言葉の展開の仕方は異なる。書かれる詩と歌われる歌詞という違いもある。それ以上に、生の根本的感覚がこの二人は異なっている。しかし、そのような差異を超えて、志村正彦と中原中也の間にはどこか響き合うところがある。
【追伸】
このブログのページビューが30万を超えました。どうもありがとうございます。
UTYテレビ山梨をなんとなく見ていると、綺麗な夕焼け雲を背景に富士山とその裾野の街が映し出された。ドラムの音と共に「茜色の夕日眺めてたら」の歌声。志村正彦の声。フジファブリックの『茜色の夕日』だ。反射的に録画ボタンを押した。すぐに画面に「富士吉田市 ♪茜色の夕日♪フジファブリック」の表示。 UTYなので、あの「STAY HOME」のシリーズなのかと思ったが、「STAY HOME」の広告はすでに終わったはずだ。60秒ほどの映像だったが、次の言葉が流された。
Step by step
今できることを
一歩一歩新しい日常へ…
いつかみんなで眺めよう
その日のために今できること
画面の右上には「50TH Uバク UTY」のクレジット。あの「STAY HOME」に継ぐ「Step by step」というテーマのUTY開局50周年と連動した公共的な広告のようだ。「STAY HOME」の『若者のすべて』に続いて『茜色の夕日』が使われたのである。「STAY HOME」から「Step by step」へ。一歩一歩、「新しい日常」へ歩んでいくというメッセージである。
この映像は山梨県内でしか視聴できないのが残念だが、こればかりは仕方がない。UTYのホームページでもこの動画を見ることはできない。
『茜色の夕日』の中で使われた部分は下記の通りである。
茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
君が只 横で笑っていたことや
どうしようもない悲しいこと
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることはできないな
そんなことを思っていたんだ
映像は富士吉田市の上空からのドローン撮影だろう。富士山に向かって北東の方向からドローンは飛んでいく。下には富士吉田の市街が広がる。街や車の灯り、川や大きな通りも見える。
富士山の南西の方向に、茜色に照らされた雲の群れが水平にたなびいている。富士山の頂上あたりのラインで、地平線に近いところに茜色のグラデーションの雲、その上方は青いグレー色の雲に分かれているが、その色彩の差異がコントラストをなしている。しばらくすると夕闇に包まれていくのだろう。その前の「茜色の夕日」の時間。見た瞬間に引き込まれていく富士山と吉田の街の空間、「茜色の夕日」の空間。時間と空間の美しい光景に『茜色の夕日』の歌が流れていく。
フジファブリック『茜色の夕日』と富士山の「茜色の夕日」の風景。あからさまと言えばあまりにあからさまな組合せだが、これが意外なほどに合っていた。この風景と志村の言葉が見事に融合していたのだ。志村の記憶の中にこの自然の光景が刻まれていたとも言えるほどに。
文芸批評家の吉本隆明は、『吉本隆明歳時記』(1978年、日本エディタースクール出版部)で、「自然詩人」について次のように述べている。
わたしの好きだった、そしていまでもかなり好きな自然詩人に中原中也がいる。この詩人の生涯の詩百篇ほどをとれば約九十篇は自然の季節にかかわっている。しかもかなり深刻な度合でかかわっている。こういう詩人は詩をこしらえる姿勢にはいったとき、どうしても空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触りが手がかりのように到来してしまうのである。景物が渇えた心を充たそうとする素因として働いてしまう。 (「春の章 中原中也」)
「自然詩人」は、「空気の網目とか日光の色とか屋根や街路のきめや肌触り」を手がかりにして詩的世界を創る。この論を参考にして考えてみた。
志村正彦も「茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました」、「真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた」と歌い始める。「茜色の夕日」、「真夏のピーク」。風景と場所の感覚、季節と時間の感触。志村の数多くの歌は、自然から受け取った感覚を一つのイントロダクションのようにして、自分自身の世界を語り始める。
そういう捉え方をすれば、志村正彦も中原中也と同じような「自然詩人」と言えるだろう。しかし、実際の語り方、言葉の展開の仕方は異なる。書かれる詩と歌われる歌詞という違いもある。それ以上に、生の根本的感覚がこの二人は異なっている。しかし、そのような差異を超えて、志村正彦と中原中也の間にはどこか響き合うところがある。
【追伸】
このブログのページビューが30万を超えました。どうもありがとうございます。
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『茜色の夕日』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2020年5月16日土曜日
Analogfish / 下岡晃 『 I say 』【S/R007】
【S/R007】はAnalogfish 『 I say 』。
S/R(Songs to Remember)は、洋楽と邦楽を交互に取り上げている。邦楽は、フジファブリック、HINTO、メレンゲ、そしてAnalogfishと続いてきた。HINTO、メレンゲ、Analogfishは、志村正彦とのつながりの流れだと受けとめられるかもしれない。自然にそう思われることはその通りなのだろうが、そうではないという気持ちの方がはるかに強い。この三つのバンドは日本語ロックの最高水準にある。安部コウセイ、クボケンジ、下岡晃の歌詞、そして楽曲、バンド演奏も、洋楽・邦楽を超えてロック音楽の「Songs to Remember記憶すべき歌」に入る。
Analogfish 『 I say 』は2013年リリースのアルバム『NEWCLEAR』収録曲。アルバムではバンドサウンドだが、映像『Analogfish - I say / TOKYO ACOUSTIC SESSION』では、下岡晃、佐々木健太郎、斉藤州一郎の3人によるコーラスとアコースティックギターがとても美しい音楽を響かせている。クレジットには「Sunday 25th of August 2013 経堂 しゅとカフェ」とある。8月の日曜日のカフェ。やわらかい光と樹の緑に囲まれている。
これと対照的なのがもう一つの映像『 “I say”【下岡晃バージョン】』。クレジットは「@代官山ノエル 2018/12/22-23」、クリスマスの前夜に本多記念教会で収録されたものだ。
『Suono Dolce「Music Go Round」』(GUEST : 下岡晃、聞き手 : 小野島大)で、下岡は次のように語っている。
「I Say」は、街を歩いてる時にずらずらっと出てきましたね。
「I Say」みたいな歌詞は、もう完璧にそぎ落として、何度聴いても耐えうるように磨きこんでいく。
この歌街を歩いてる時に出てきてから完璧にそぎ落として磨きこんでいくまで、どれくらいの時間が流れたのだろうか。「夕日が道行く彼女の頬を染めれば/もう済んだ事をなんだか思い出して/テールランプの灯りが夜に滲めば/無い物ばかりがやけに気になって」のところが染み込んでくる。
下岡は日常の光景、見える世界を掴みながら、それを見えない世界、不可視のものへとつなげていく。
「I say / 愛せ」という音の戯れ。音の戯れを通じてあえて語ろうとする愛であろう。愛とは持っていないものを与えることである、というジャック・ラカンの言葉を想い出す。
2013年、TOKYO ACOUSTIC SESSION」versionの夏の昼の光、自然の陽光。Analogfish3人のおだやかな「I say」が漂う。2018年、「代官山ノエル」versionの冬の夜の光、クリスマスのキャンドルの灯り。下岡晃の「祈り」のような「I say」が教会に広がる。
『Analogfish - I say / TOKYO ACOUSTIC SESSION』
Sunday 25th of August 2013 経堂 しゅとカフェ
Editor:Yuko Morita Camera:Tetsuya Yamakawa,
Takaaki Komazaki Director and Producer:Rie Niwa
“I say”【下岡晃バージョン】@代官山ノエル 2018/12/22-23
撮影:澤崎昌文 (VANESSA+embrasse) 制作補助:有吉達宏
ディレクター:西川啓
アナログフィッシュ 『 I say 』
作詞:下岡晃
作曲:アナログフィッシュ
悲しいときは泣いたら見つけてくれた
パパはいないよママもいないよ
なんにも言わずにただ抱きしめてくれた
人はいないよ君に会いたいよ
愛されたいより愛せ
I say ただI say
ただ愛せ
夕日が道行く彼女の頬を染めれば
もう済んだ事をなんだか思い出して
テールランプの灯りが夜に滲めば
無い物ばかりがやけに気になって
愛されたいより愛せ
I say ただI say
ただ愛せ
悲しいときは泣いたら見つけてくれた
パパはいないよもうママもいないよ
なんにも言わずにただ抱きしめてくれた
人はいないよ君に会いたいよ
愛されたいより愛せ
I say ただI say
ただ愛せ
世界じゃなくても
時代でもなくても
卵が先でも
鶏が先でも
I say ただI say
ただ愛せ
S/R(Songs to Remember)は、洋楽と邦楽を交互に取り上げている。邦楽は、フジファブリック、HINTO、メレンゲ、そしてAnalogfishと続いてきた。HINTO、メレンゲ、Analogfishは、志村正彦とのつながりの流れだと受けとめられるかもしれない。自然にそう思われることはその通りなのだろうが、そうではないという気持ちの方がはるかに強い。この三つのバンドは日本語ロックの最高水準にある。安部コウセイ、クボケンジ、下岡晃の歌詞、そして楽曲、バンド演奏も、洋楽・邦楽を超えてロック音楽の「Songs to Remember記憶すべき歌」に入る。
Analogfish 『 I say 』は2013年リリースのアルバム『NEWCLEAR』収録曲。アルバムではバンドサウンドだが、映像『Analogfish - I say / TOKYO ACOUSTIC SESSION』では、下岡晃、佐々木健太郎、斉藤州一郎の3人によるコーラスとアコースティックギターがとても美しい音楽を響かせている。クレジットには「Sunday 25th of August 2013 経堂 しゅとカフェ」とある。8月の日曜日のカフェ。やわらかい光と樹の緑に囲まれている。
これと対照的なのがもう一つの映像『 “I say”【下岡晃バージョン】』。クレジットは「@代官山ノエル 2018/12/22-23」、クリスマスの前夜に本多記念教会で収録されたものだ。
『Suono Dolce「Music Go Round」』(GUEST : 下岡晃、聞き手 : 小野島大)で、下岡は次のように語っている。
「I Say」は、街を歩いてる時にずらずらっと出てきましたね。
「I Say」みたいな歌詞は、もう完璧にそぎ落として、何度聴いても耐えうるように磨きこんでいく。
この歌街を歩いてる時に出てきてから完璧にそぎ落として磨きこんでいくまで、どれくらいの時間が流れたのだろうか。「夕日が道行く彼女の頬を染めれば/もう済んだ事をなんだか思い出して/テールランプの灯りが夜に滲めば/無い物ばかりがやけに気になって」のところが染み込んでくる。
下岡は日常の光景、見える世界を掴みながら、それを見えない世界、不可視のものへとつなげていく。
「I say / 愛せ」という音の戯れ。音の戯れを通じてあえて語ろうとする愛であろう。愛とは持っていないものを与えることである、というジャック・ラカンの言葉を想い出す。
2013年、TOKYO ACOUSTIC SESSION」versionの夏の昼の光、自然の陽光。Analogfish3人のおだやかな「I say」が漂う。2018年、「代官山ノエル」versionの冬の夜の光、クリスマスのキャンドルの灯り。下岡晃の「祈り」のような「I say」が教会に広がる。
『Analogfish - I say / TOKYO ACOUSTIC SESSION』
Sunday 25th of August 2013 経堂 しゅとカフェ
Editor:Yuko Morita Camera:Tetsuya Yamakawa,
Takaaki Komazaki Director and Producer:Rie Niwa
“I say”【下岡晃バージョン】@代官山ノエル 2018/12/22-23
撮影:澤崎昌文 (VANESSA+embrasse) 制作補助:有吉達宏
ディレクター:西川啓
アナログフィッシュ 『 I say 』
作詞:下岡晃
作曲:アナログフィッシュ
悲しいときは泣いたら見つけてくれた
パパはいないよママもいないよ
なんにも言わずにただ抱きしめてくれた
人はいないよ君に会いたいよ
愛されたいより愛せ
I say ただI say
ただ愛せ
夕日が道行く彼女の頬を染めれば
もう済んだ事をなんだか思い出して
テールランプの灯りが夜に滲めば
無い物ばかりがやけに気になって
愛されたいより愛せ
I say ただI say
ただ愛せ
悲しいときは泣いたら見つけてくれた
パパはいないよもうママもいないよ
なんにも言わずにただ抱きしめてくれた
人はいないよ君に会いたいよ
愛されたいより愛せ
I say ただI say
ただ愛せ
世界じゃなくても
時代でもなくても
卵が先でも
鶏が先でも
I say ただI say
ただ愛せ
2020年5月10日日曜日
Lou Reed 『Perfect Day』 [S/R006]
Lou Reed ルー・リードの『Perfect Day』パーフェクト・デイをS/R(Songs to Remember)第6回にとりあげたい。
1972年、ソロ2枚目のアルバム『Transformer』(トランスフォーマー)の一曲。彼の数多くの作品の中でも最も親しまれているものだろう。
この歌は、ルー・リードが当時の婚約者(後の最初の妻)とニューヨークのセントラルパークで過ごした一日をモチーフにして書いたそうだ。「この男にとっての完璧な一日のビジョンは、女の子、公園のサングリア、そのように過ごして家に帰ることだった。完璧な一日、すごくシンプルなものだ。この言葉は私が言ったことだけを意味している」とインタビューで述べている。
ルー・リードが言うように、シンプルな言葉でショートストーリーが綴られる。何でもない日であるがそれゆえに完璧な一日の物語。しかし、歌詞の後半に彼らしい屈折が現れてくる。
「Just a perfect day/You make me forget myself/I thought I was/someone else, Someone good」のところが気に入っている。誰だって自分のことを忘れたい。何か別のものになりたい。そうしてくれる存在がほしい。
そしてラストの「You’re going to reap/Just what you sow」は、『ガラテヤの信徒への手紙』(パウロ書簡)第6章 第7節にある「A man reaps what he sows.」(この英訳は新国際版聖書による)から着想を得たようだ。この「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」の次の第8節は「すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう」とある。Lou ReedにしろPeter Gabiriel にしろ、欧米のロックの歌詞の中には聖書や文学作品の言葉が織り込まれている。キリスト教文化圏の人々にとっては自明のことでも僕たちには分からないことがある。
あなたが蒔いたものは何だろうか。そしてあなたはそれを刈り取っていく。詩的な想像が膨らむ。
2000年10月の"ECSTASY" TOUR で来日したときに、この『Perfect Day』が最後に歌われた。この曲らしい余韻を残す終わり方だった。この時はLou Reed、Mike Rathke(ギター)、Fernando Saunders(ベース)、Tony Smith (ドラム)の4人編成だった。ロックバンドらしいユニットによるグルーブ感とPAの音が素晴らしくクリアだったことが印象に残っている。
紹介する映像は、「Lou Reed - Perfect Day (Live) | Montreux Jazz Festival 2000」。"ECSTASY" TOUR と同じユニットである。
Lou Reed 『Perfect Day』
Just a perfect day
Drink sangria in the park
And then later
when it gets dark we go home
Just a perfect day
Feed animals in the zoo
then later
A movie, too, and then home
Oh, it’s such a perfect day
I’m glad I spent it with you
Oh, such a perfect day
You just keep me hanging on
You just keep me hanging on
Just a perfect day
Problems all left alone
Weekenders on our own
It’s such fun
Just a perfect day
You make me forget myself
I thought I was
someone else, Someone good
Oh, it’s such a perfect day
I’m glad I spent it with you
Oh, such a perfect day
You just keep me hanging on
You just keep me hanging on
You’re going to reap
Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
1972年、ソロ2枚目のアルバム『Transformer』(トランスフォーマー)の一曲。彼の数多くの作品の中でも最も親しまれているものだろう。
この歌は、ルー・リードが当時の婚約者(後の最初の妻)とニューヨークのセントラルパークで過ごした一日をモチーフにして書いたそうだ。「この男にとっての完璧な一日のビジョンは、女の子、公園のサングリア、そのように過ごして家に帰ることだった。完璧な一日、すごくシンプルなものだ。この言葉は私が言ったことだけを意味している」とインタビューで述べている。
ルー・リードが言うように、シンプルな言葉でショートストーリーが綴られる。何でもない日であるがそれゆえに完璧な一日の物語。しかし、歌詞の後半に彼らしい屈折が現れてくる。
「Just a perfect day/You make me forget myself/I thought I was/someone else, Someone good」のところが気に入っている。誰だって自分のことを忘れたい。何か別のものになりたい。そうしてくれる存在がほしい。
そしてラストの「You’re going to reap/Just what you sow」は、『ガラテヤの信徒への手紙』(パウロ書簡)第6章 第7節にある「A man reaps what he sows.」(この英訳は新国際版聖書による)から着想を得たようだ。この「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」の次の第8節は「すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう」とある。Lou ReedにしろPeter Gabiriel にしろ、欧米のロックの歌詞の中には聖書や文学作品の言葉が織り込まれている。キリスト教文化圏の人々にとっては自明のことでも僕たちには分からないことがある。
あなたが蒔いたものは何だろうか。そしてあなたはそれを刈り取っていく。詩的な想像が膨らむ。
2000年10月の"ECSTASY" TOUR で来日したときに、この『Perfect Day』が最後に歌われた。この曲らしい余韻を残す終わり方だった。この時はLou Reed、Mike Rathke(ギター)、Fernando Saunders(ベース)、Tony Smith (ドラム)の4人編成だった。ロックバンドらしいユニットによるグルーブ感とPAの音が素晴らしくクリアだったことが印象に残っている。
紹介する映像は、「Lou Reed - Perfect Day (Live) | Montreux Jazz Festival 2000」。"ECSTASY" TOUR と同じユニットである。
Lou Reed 『Perfect Day』
Just a perfect day
Drink sangria in the park
And then later
when it gets dark we go home
Just a perfect day
Feed animals in the zoo
then later
A movie, too, and then home
Oh, it’s such a perfect day
I’m glad I spent it with you
Oh, such a perfect day
You just keep me hanging on
You just keep me hanging on
Just a perfect day
Problems all left alone
Weekenders on our own
It’s such fun
Just a perfect day
You make me forget myself
I thought I was
someone else, Someone good
Oh, it’s such a perfect day
I’m glad I spent it with you
Oh, such a perfect day
You just keep me hanging on
You just keep me hanging on
You’re going to reap
Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
You’re going to reap Just what you sow
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Songs to Remember[S/R]
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