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2020年8月22日土曜日

花火のない夏-『線香花火』1[志村正彦LN261]

 八月に入っても、成績処理その他の仕事に追われていて、このブログの更新も滞っていた。四月からのオンライン授業、それに関連する業務もすべてコンピュータ上の作業。画面を見るだけで、身体の動きがほとんどないことが辛い。神経の疲労が濃いので、しばらく休む時間を作った。

 前回、七月の最後の日に「今年は花火のない夏。時が進むのが早い、短い夏となるのだろうか」と書いた。まだ梅雨明けの頃だった。その後は猛暑の連続。私の住む甲府はいつも全国トップクラスの暑さである。盆地ゆえに熱がこもる。富士吉田も例年より暑いようだ。「真夏のピーク」が続いたまま下旬に入っていく。猛暑が凝縮された夏は、時が進むのが早いのだろう。

 「花火のない夏」、正確に言うと「花火大会のない夏」になったが、ところどころで予告なく花火が打ち上げられているようだ。僕はまだ見たことがないが、そのまま夏は終わるのだろう。2020年の夏は「花火のない夏」として記憶される。花火を巡る物語もなくなる。

 今月の初めにたまたまBSを見ていたら、BS朝日で「山形・赤川花火大会2019」中継録画の番組が放送されていた。もしかすると思い録画しておいて再生すると、最後の方で『若者のすべて』の花火が流された。以前youtubeで見たことがあるが、こちらは「4K完全版」ということで映像が非常に鮮明である。画面には、「エンディング ephemeral bloom  伊那火工堀内煙火店  長野県上伊那郡」と示され、イントロが始まると「♪若者のすべて フジファブリック」と表示された。花火と楽曲がシンクロナイズされた見事な演出だった。最初の画面の方に小さく満月のようなものが見えた。美しい花火と『若者のすべて』そして月。会場ではどのような光景が見ることができたのか。そんなことも想った。

  エンディングの曲はもう一つあり、Superflyの『bloom』だった。作詞は、いしわたり淳治。つまり、2019年の赤川花火大会のエンディングは、フジファブリック『若者のすべて』とSuperfly『bloom』の2曲で構成されていた。そのテーマ名は「ephemeral bloom」となっていたが、「bloom」(花)はSuperflyの曲名から取られただろうから、その形容詞の「ephemeral 」(儚い、人生や存在が短い)が『若者のすべて』を指し示していたのかもしれない。併せて「ephemeral bloom」、儚い花。志村正彦『若者のすべて』にふさわしいテーマ名である。

 花火のない夏。花火のことを思い浮かべているうちに、フジファブリック『線香花火』を聞きたくなった。それも、2001年夏頃、自主制作のデモテープとして制作された『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープの音源を久しぶりに聴いてみたくなった。このテープをいただいた経緯は、「2018年1月5日 贈り物[志村正彦LN172]」の記事に書いてある。再度、ジャケット写真を添付したい。




 あらためてこのジャケットを見ると、やはり、「赤色の球」は、『茜色の夕日』の太陽と『線香花火』の火球のダブル・イメージなのだろう。見る者は勝手にイメージの連想を作ってしまう。僕にとって、『茜色の夕日』と『線香花火』の像はやがて、『若者のすべて』の「最後の最後の花火」につながっていく。
 言うまでもなく、花火は、花の火と光、そして、火の光の花である。

 カセットテープのクレジットは次のように記されている。

  全作詞作曲/志村 正彦
  編曲/フジファブリック
  Vo&G/志村 正彦
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Key/田所 幸子
  Dr/渡辺 隆之

 いわゆる第2期のフジファブリックのメンバー。この五人による『線香花火』カセットテープ版音源は、演奏が若干走りすぎていて、ミキシングのせいで志村の声もクリアとは言いがたいのだが、キーボードとギター、ベースとドラムのグルーブ感はなかなかのものであり、一種の明るさ、爽快感がある。夏の季節感が伝わる。しかし、その音のドライブに志村正彦のやや暗い声が入ってくると、悲しみの疾走感のようなものに変容していく。特に、「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」のところが印象的だ。そのシャウトは何かを吐き出すかのようで、幾分か投げやりのようでもある。「さ」の反復に突き動かされるようにして、終わらない夏というか、むしろ終わらせたくない夏とでもいうべきか、その想いを歌っている。

 花火大会という風物詩がない夏。外出を控える夏。夏の景物や風景を見て、季節を味わうことが少ない。
 花火のない夏は、始まらない夏、それゆえに終わることもない夏かもしれない。

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