2017年8月19日土曜日

ストリンドベリ(Strindberg)、地下鉄駅の壁面、青い塔-ストックホルム2

 午後6時半頃、スルッセンにあるホテルに到着した。
 スルッセンとは「水門」のこと。水位の異なるバルト海とメーラレン湖を繋ぐ水門がここにある。ホテルの窓からガムラスタンを眺望できた。リッダーホルム教会、大聖堂、ドイツ教会。第二次世界大戦に参戦しなかったため空襲がなく、13世紀の街並みが残っている。

 夏は白夜の季節で午後十時頃まで明るい。まだまだ外出する時間がある。白夜をありがたく思う。
 午後7時、ストリンドベリゆかりの場所に向けて出発する。スルッセン駅から地下鉄に乗り、四つ目のRådmansgatan駅(ロドマンズガータン)で降りる。十分もかからなかった。後方寄りの出口に進むと、通路の壁面のタイルにストリンドベリの写真が大きくプリントされている。夕焼けのような赤の地色が目立つ。関連のパネルも飾られていた。現在のスウェーデンでは古典的な作家に入り、現代の文学としてはあまり読まれていないのだろうが、知名度は高いのだろう。

 

 彼の存在は今の日本ではあまり知られていないので、略歴を紹介してみたい。
 ストリンドベリ(Johan August Strindberg)はスウェーデンの劇作家、小説家。1849年1月22日、ストックホルムで生まれる。ウプサラ大学で学ぶが中退、職を転々とする。1874年、王立図書館司書となる。近衛士官の妻シリ・フォン・エッセンと恋に落ち、77年、結婚。 79年、自然主義小説『赤い部屋』)を発表、文壇の注目を浴びる。『父』 (1887) ,『令嬢ジュリー』 (88) 等の戯曲が高く評価。91年にシリと離婚。この経緯は小説『痴人の告白』(1888)に詳しい。

 92から96年にかけて、ベルリンやパリに滞在。93年、オーストリアの記者、フリーダ・ウールと結婚、97年に離婚。この数年間はいわゆる「地獄時代」で、迫害妄想的な精神の異常をモチーフに『地獄』(1897)、『伝説』(1898)等の自伝的小説を創作する。やがてキリスト教に救いを見出し、象徴劇『ダマスカスへ』(1~2部 1898,3部 1904) に回心の過程を表し、後期の創作活動に入る。1901年、ノルウェーの女優ハリエット・ボッセと結婚、04年に離婚。07年、小規模な「親和劇場」を開き、小品の室内劇『稲妻』等を発表。1912年5月14日、胃癌で死去。享年63歳。葬儀には王室、政府、国会、大学の代表者が参列、数千人の市民が見送った。

 壁面には妻たちの写真がプリントされたものがあった。


 彼が28歳の時に27歳のシリと、44歳で21歳のフリーダと、52歳で23歳のハリエットと三度結婚する。そして晩年には若い女優、ファンニー・ファルクナーに求婚した(結婚には至らなかったが)。パネルの左上下、右上下の順で、シリ、フリーダ、ハリエット。一番右下の女性はファンニーだと思われる。すべて若く美しい女性であり、すべて短い結婚生活で終わっている。
 ストリンドベリには女性嫌悪・憎悪(その裏側には女性崇拝があるのだが)が凄まじい作品が多い。時には迫害妄想や被害妄想に至る精神の軌跡が描かれている。

 Raadmansgatan駅の階段を上がると、Sveavägenという大通りに出る。この日は「Stockholm Pride」という北欧最大のLGBTのパレードがあった。その関連イベントかは分からなかったが、大勢の人が詰め掛けていた。道路にオープンカーが行きかい、街路にはダンスミュージックが大音量で流されていた。「Pride」、尊厳や自由を重んじる社会なのだろう。

 喧噪の大通りを通り抜け、ゆるやかな坂を上っていく。目的地の Drottninggatan(ドロツトニング通り)85番地を目指した。五分も経たないうちに、角の頂上が青く光る建物が見えてきた。「青い塔」( Blå tornet )、ストリンドベリの旧居だ。
   

 1908年、59歳の時に、Drottninggatanという由緒ある通りの上り坂にあるこの美しい建物内の部屋に移り住んだ。ここが彼の最後の住居となった。1912年に亡くなるまで彼はこの家に閉じこもりがちだったという。孤独に向き合いながら晩年の作品を生み出していった。


2017年8月17日木曜日

Bob Dylanの似顔絵、Evert Taubeの銅像―ストックホルム 1

  8月上旬、妻と二人で北欧に行ってきた。ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの三か国を回るツアーだが、一番の目的地はスウェーデンの首都ストックホルムだった。

  ストックホルムというとまず思い浮かぶのは、僕にとって作家のストリンドベリ(Johan August Strindberg)だ。芥川龍之介が影響を深く受けた作家である。『令嬢ジュリー』などの演劇は今でも上演されることがあるが、小説家としてはすでに忘れられた存在かもしれない。大正時代にはたくさん翻訳されていて、大正から昭和の初期にかけて文学者によく読まれていた。この街にはストリンドベリの記念館やゆかりの場所があり、以前から訪れてみたかった。

 そして、志村正彦・フジファブリックのファンとしては、4thアルバム『CHRONICLE』をレコーディングした街として記憶されている。この街に25日間滞在して全15曲が収録された。最後の曲『Stockholm』は現地で作詞作曲されたそうだ。さらに、かけがえのない名曲『ルーティーン』もストックホルムで録音されている。

 8月5日の昼前、空路でノルウェーのベルゲンからストックホルムへ。市街へ向かう途中で王家の住居ドロットニングホルム宮殿を見学した。宮殿前の湖には遊覧船だろうか、停泊中だった。「水の都」らしい風景。水が涼しげだ。緑も多い。気候も暑くはなく、日陰に入ると涼しいというか肌寒いくらい。北欧の人は短い夏を慈しむ。



 宮殿を離れ、旧市街のガムラスタンへ。13世紀に作られたという街路をしばらく散策。ところどころ路地裏の風景が広がる。ストックホルムというとやはりノーベル賞が浮かぶ人が多いだろう。中央の広場に面したノーベル博物館に入ることにした。受賞者の展示ディスプレー装置が並んでいる。山梨出身のノーベル生理学・医学賞受賞者、大村智先生の画面を選ぶ。「Nirasaki,Yamanashi」という字を認めると、山梨県人として単純にうれしくなった。



  ボブ・ディランを選択すると、肖像が写真ではなく似顔絵だ。鋭さに欠けた間延びしたような表情。かなり微妙だ。しかも似顔絵であるゆえに変に自己主張しているようで場の雰囲気には合わない。本人の意志なのか。ロック的といえばロック的ともいるが。売店には評伝も平積みされている。ディランがノーベル博物館に(いささかおさまりが悪い形で)「収蔵」されたことは確かだ。




 博物館を出て近くのレストランで夕食をとる。前の広場の向こう側に、眼鏡をかけた銅像があった。地面のプレートには「Evert Taube」と刻まれている。抱えているのは楽譜のようで音楽家かもしれない。何となく感じるものがあって写真を撮る。



 帰国してから調べると、Evert Taube(エヴェルト・タウベ、1890-1976)という音楽家、詩人だった。20世紀の「troubadour(吟遊詩人)」の伝統の体現者らしい。若い頃、各地を航海し、アルゼンチンでラテンアメリカの音楽に興味を持つ。youtubeにたくさんある音源を聴くと、確かに、タンゴ調の明るいリズムに乗せて歯切れよく歌う。スウェーデンのリュートという不思議な形の楽器で弾き語る写真や映像もあった。歌詞は全く分からないが、「R」の巻き舌の音がここちよい。メロディもリズムもシンプルだが、軽快でどこか懐かしく響く。反ファシスト、反戦の歌もあり、スウェーデンで最も尊敬されている音楽家の一人だそうだ。新しい50クローナ紙幣の肖像にもなっている。

 スウェーデンには吟遊詩人やシンガーソングライターを高く評価する伝統があるようだ。ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したのも、このようなスウェーデンの伝統の力があったのかもしれない。

2017年7月30日日曜日

鏡に映し出された「覚悟」-『ダンス2000』[ここはどこ?-物語を読む9]

  ディスコと言うと年がばれるが、ディスコにしろクラブにしろ縁のない人生を送ってきた。オバサン世代にとって、ディスコと言えばマハラジャか。バブルとボディコンとお立ち台と羽扇、行ったことはないけれど、ずいぶん映像化されたし、イメージはできる。もちろんそこに身を置いていた人たちとは、全く実感は違うのだろうけれど。

 世の中がバブルに浮かれていたころ、裸電球の四畳半に住んでいた。「神田川 」の時代からはだいぶ時が経っていて、さすがに遊びに来た友達が驚くほどのぼろ屋だったが、駅にも近くて、お風呂もあって、新宿や渋谷に20分くらいで行けるその部屋をそれほど不満に思ってはいなかった。映画や芝居を観に行ったり、ライブに出かけたり、友達と居酒屋で飲んだり、本を読んだり、やりたいことは山のようにあって、踊りに行くという選択肢は優先順位をつけると底につきそうなくらい低かった。理由はいろいろある。お金がかかる(当時、若い女の子が自分でお金を払おうと考える時点で既にずれていたかもしれない)。ボディコンが着られない。特段ディスコミュージックが好きではない。そこで心を通わせる男の人に会えるとは思えない(もしかしたらいたかもしれないけれど)。まあ 、一言で言ってしまえば、私はディスコに似合わなかったのだ。

 時代的に『ダンス2000』の舞台はクラブだろうか。どちらも縁のないオバサンにはディスコとクラブの違いが奈辺にあるかわからない。わかるのは『ダンス2000』の主人公がその場に全く似合っていないということである。


  ヘイヘイベイベー 空になって あの人の前で踊ろうか
  意識をして 腕を振って 横目で見てしまいなよ

  少しの勇気 振り絞って

  いやしかし何故に いやしかし何故に
  踏み切れないでいる人よ


 出だしこそ「へイヘイベイべー」と始まるものの、これは一種の記号のようなものだ。自分が軟派で軽い男(女の人のセリフとは思えないので)であると世間に示しているのだが、そのポーズはあっという間に崩れてしまう。「空になって……踊ろうか」とか「意識をして腕を振って」とか、わざわざ言うのは、主人公である《彼》があえて意識をしなければそうできないことを物語っている。


 また、この曲でもっともインパクトのある歌詞「いやしかし何故に」にも《彼》の性格は表れる。「いや」はそれまで考えていたことに疑いを持って立ち止まることばだ。「しかし」はそれまで考えていたこととは違う方向に向かうことばだ。「何故に」は理由を探ることばだ。たったワンフレーズの間に《彼》の頭は目まぐるしく回転している。この主人公は忘我とか没頭とか夢中とかいうダンスの世界とはずいぶん遠いところにいるように思える。

 実は『ダンス2000』の物語は何気ないようでいて意外と手ごわい。出だしの2行からして、誰が誰に何を言っているのかという単純な点でさえ、いくつかの解釈が考えられる。

①主人公である《彼》が自分自身に言っている。
 この場合は「ベイベー」が「あの人」で、その前で踊ってアピールしようということだろう。しかし、そうなると「横目で見てしまいなよ」が気になる。「しまいなよ」というのは自分自身に呼びかけることばとは思えないからだ。
②主人公である《彼》が「ベイベー」に促している。
 この場合は主人公と「ベイベー」の他に第三者の「あの人」がいることになる。「横目で見てしまいなよ」は「ベイベー」に向けられたことばとして違和感はなくなるが、今度は「あの人の前で踊ろうか」が難しくなる。自分と「ベイベー」の二人であの人の前で踊ろうと誘っているとも考えられるし、演出家が演者に演技をつけているように「ベイベー」に「やってみなさい」と言っているようにも感じられる。

 どう解釈しても聴き手の自由だが、私自身は②の方がしっくりくるので、今回は②の解釈に沿って進めてみたい。

 ②だと「ベイベー」を誘っているのかと思って聴いていたら、実は第三の人物「あの人」にアピールするように「ベイベー」を促していたということになる。しかし、《彼》の思いとは違って、「ベイベー」は「あの人」を横目で見ながら踊ることに踏み切れないでいる。何故踏み切れないのかと言いながら、《彼》の中に去来しているものはどのような感情なのだろう。もどかしさか、それとも裏腹な安堵感だったのか。それは《彼》と「ベイベー」の関係による。単純に彼女の恋を応援している知り合い、実は彼女のことが気になっているが彼女の気持ちが別の人にあることに気付いている内気な友人、たまたまその場で彼女を見かけた赤の他人、いろいろ考えられる。

 いずれにしても「踏み切れないでいる人よ」という時点まできて、これは観察者の視点だと気づかされる。つまり「ヘイヘイベイベー」以降これまでのことばは、彼女に直接語りかけたのではなく、彼女の観察者である《彼》の内心の声であると捉えることができる。「ヘイヘイベイベー」と「いやしかし何故に」が同じ人の口から発せられるのは違和感があるが、内心の声だとすれば納得がいく。
 わが主人公はいつの間にか当事者から観察者になってしまっているのだ。

 しかし、この曲はなかなか聴き手に一つの物語を描かせてはくれない。主人公はすぐに観察者の立場を放棄して、自分の気持ちを吐露し始める。


  ヘイヘイベイベー 何をやったって もう遅いと言うのなら
  今すぐでも投げ出す程の 覚悟ぐらいできてるさ


 ここに描かれるのが、「ベイベー」と《彼》と二人の関係だとすれば、「ベイベー」に「もう遅い」と言われるのは《彼》で、「投げ出す程の覚悟」をしているのも《彼》である。第三者である「あの人」に好意を寄せる彼女にとって、今さら《彼》が何をしても心が動くことはなく、《彼》は自分の恋をあきらめる覚悟をしていると解釈することもできる。だが、「もう遅いと言うのなら」と仮定表現になっているのだから、まだ「もう遅い」と言われたわけではない。「少しの勇気振り絞って」一発逆転を狙うこともできるはずだ。 しかし、「踏み切れないでいる人よ」と《彼》は今度は自分自身の観察者になる。
 
 それも一つの物語だ。しかし、ディスコに似合わなかったオバサンには、クラブに似合わない《彼》を主人公にした、もう一つの捨てきれない物語がある。

 「ベイベー」と《彼》とは赤の他人だ。心ならずもこの場にやってきた主人公はなじむことも楽しむこともできずに観察者としてフロアを眺めているうちに「ベイベー」を発見し、「あの人」を意識しながらアピールすることすらできない彼女をひそかに応援する。そして、遠くからひそかに彼女に向けて自らの決意を語る。それは《彼》がここにやってくる前からずっと考えてきたことなのだろう。何が「もう遅い」のか、何を「投げ出す」「覚悟」なのかはわからないが、それは《彼》にとって人生を左右する大切な事なのだ。《彼》は誰かに向けてその覚悟を語らなければならない。その誰かが、家族でも恋人でも友達でも同僚でもなく、赤の他人の、ことばを交わしたことすらない「ベイベー」であ るというようなこともあり得ると思うのだ。たぶん「ベイベー」はその場で《彼》が見つけた鏡なのだろう。鏡に映し出された「覚悟」とためらいを行きつ戻りつしている自分を眺めながら、《彼》は狂騒の中で独り異次元を生きている。

2017年7月23日日曜日

李相日監督『スクラップ・ヘブン』-『蜃気楼』2[志村正彦LN160]

 どの映画にもその中心となる風景のイメージがある。
 開発途中で放置された地区に取り残されたように存在している公衆トイレ。そのありえないほど汚れて荒廃したトイレの彼方には大都市らしき街並みや高層ビルが広がっている。近景のトイレと遠景の高層ビル街。李相日監督『スクラップ・ヘブン』にはこの対比的なショットが数回現れる。近景から遠景の方向へ視線が移動するように、物語は復讐劇として動き始める。


『スクラップ・ヘブン』DVD


  警察官のシンゴ(加瀬亮)、公衆便所掃除人のテツ(オダギリジョー)、薬剤師のサキ(栗山千明)の三人は、たまたま乗り合わせた路線バスがバスジャックされたことで知り合う。この三人はそれぞれの事情を抱え、現実に満たさていない。
 シンゴとテツはその後再会し、開発地区の公衆トイレを舞台に「復讐請負業」を始める。依頼人の復讐をこの二人が代行するのだ。「世の中想像力が足りねぇんだよ」というテツのセリフがその推進力となるが、物語の後半から事態は想像力を超えて展開し始める。

 一方、サキは黄色い液体の小瓶の爆弾を密かに製造している。何故なのか理由は分からないままに、「全部を一瞬で消しちゃう方法」の具現化である小瓶は大量に造られていく。テツとシンゴ、サキとシンゴという組み合わせで事件は動いていくが、「世界を一瞬で消す」欲望をめぐって、この三人が絡まり合う。

 『スクラップ・ヘブン』の色や光のイメージは独特だ。内部がかなり破壊されひどい落書きだらけの公衆トイレの形容しがたい色合い。殴り合いの暴力による血の赤色。サキの製造する爆弾の黄色い液体(薬剤師らしく点滴液のような色だ)。身体的で生理的な感覚の色合いと大都市の全景のくすんだ灰色が色の基調をなす。

 音楽監督の會田茂一によるサウンドもこのイメージを補強している。DVDには六曲のサウンドトラックが特典として収録され、作曲は五曲が會田茂一、一曲が二杉昌夫と記されている。編曲は曲により異なるが、會田茂一、中村達也、佐藤研二、生江匠、二杉昌夫の名があり、この編曲者たちが演奏も担当しているようだ。インダストリアルな曲調のインストルメンタルで、この映画の感触に非常に合致する。

 物語の最後で、シンゴは「世界を一瞬で消す」欲望に向き合わざるを得なくなる。一人でその欲望に結末をつけようとする。もともとシンゴは受動的な位置にいて、能動的なテツやサキに引きずられるようにして行動化(アクティング・アウト)していく。この物語では受動的な存在のシンゴがむしろ主人公であり、彼が初めて主体的な位置にたどり着くのがラストシーンだ。結末は意外というか偶然というのか、ある意味では必然のように展開するのだが、ここに記すことは控えよう。

 映画本編の終了と共に間髪を入れず、エンディングテーマ曲のフジファブリック『蜃気楼』(詞曲:志村正彦)が流れだす。


  三叉路でウララ 右往左往
  果てなく続く摩天楼

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…


 映画版の『蜃気楼』は、六分近くあるオリジナル音源の半分程度の3分10秒ほどに縮められた。タイトルバックに合わせて時間を調整したのだろうが、歌詞の半分が省かれたのは映画のモチーフとのつながりを重視したとも考えられる。この点については後に考察したい。

 志村正彦の声が聴こえてくると、物語がもう一度動き始める。映画の本編は終わっている。その断絶と共にある種の余韻というのか余韻以上ともいえるような重厚な言葉の響きを伴って、歌が始まる。

  (この項続く)

2017年7月9日日曜日

音の連鎖と反復-『蜃気楼』1 [志村正彦LN159] 

 初めてフジファブリック『蜃気楼』(詞・曲:志村正彦)を聴いたときの戸惑いと驚き。かなり前の事だが、記憶をたどりなおして書いてみたい。
 ギターとピアノが奏でる静謐で不穏なイントロの後、志村正彦のどちらかというと無表情な声が立ち上がってきた。

  サンサローデウララー ウオーサオー

 この言葉というより音の連なりが聞こえてきた時に、何を意味しているのか掴めなかった。続く「ハテナクツヅク マテンロー」。こちらの方は「果て(し)なく」「続く」と区切れそうだ。そうなると「マテンロー」は「摩天楼」か。そうであれば、さかのぼると「ウオーサオー」は「右往左往」になるのかもしれない。

 歌詞カードを参照してみた。こう書かれてあった。


  三叉路でウララ 右往左往
  果てなく続く摩天楼


 「サンサロー」は「三叉路」。文字を読むことでやっと了解できた。「三叉路」「右往左往」「果てなく続く」「摩天楼」という意味がつながり、ぼんやりとではあるが、ある風景が浮かび上がってきた。


  喉はカラカラ ほんとは
  月を眺めていると


 第1連の「ウララ」に呼応する「カラカラ」。作者の志村正彦は音の繰り返しにこだわっているようだ。ここでは彼がよく描く「月」が登場している。
 音だけで追いかけていくことを断念して、歌詞カードを見ながら聴くことにした。

 第3連から最後まではこのように展開していく。


  この素晴らしき世界に降り注ぐ雨が止み
  新たな息吹上げるものたちが顔を出している

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…


 全体を通してみると、「サンサロー」「マテンロー」「シンキロー」という単語末尾の音韻の反復と連鎖が耳に刻まれていく。視覚化すると、「三叉路」「摩天楼」「蜃気楼」という三つの風景が目に浮かんでくる。人工的な風景や不可思議な風景。それに対比されるように、「月」「雨」「花」という自然の風景も現れる。この三つは志村正彦の詩的世界に不可欠の景物だ。
 特に「おぼろげに見える彼方まで/鮮やかな花を咲かせよう」という一節の中で「花」が取り上げられていることには感慨を覚えた。

 題名であり歌詞のエンディングの言葉でもある「蜃気楼」。辞書によると、「熱気・冷気による光の異常な屈折のため、空中や地平線近くに遠方の風物などが見えたり、実像の下に虚像が反転して見えたりする現象」だ。現象としての「蜃気楼」を目撃したことはないが、芥川龍之介の短編『蜃気楼』のモチーフとなっていることで、この言葉には親しんできた。芥川の晩年の心象風景を象徴する言葉がこの「蜃気楼」である。

 「蜃気楼」という歌声の背景には、ピアノとギターの不協和音、即興演奏のような展開があった。「不穏」と「不安」を象徴するかのような演奏が、この作品が映画のテーマ曲として制作されたことを想起させた。歌の言葉も曲の展開も、映画作品との対話の中でほんとうの意味を明らかにしていくのだろう。そのような予想がもたらされた。

 『蜃気楼』は李相日監督の映画『スクラップ・ヘブン』のエンディングテーマとして録音された。音源は2005年9月7日発売の6枚目のシングル『茜色の夕日』のB面としてリリース。映画は2005年10月8日に封切。ほぼ同時期の公開となった。
 七年ほど前、この歌を聴いた後で『スクラップ・ヘブン』のDVDを見たのだが、予想をはるかに超え、『蜃気楼』はエンディングテーマとして傑出していた。

 次回以降、李相日『スクラップ・ヘブン』や芥川龍之介『蜃気楼』に言及しながら、志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』についての試論を書いていきたい。「右往左往」することになろうが、この歌を追いかけていくことにしよう。

  (この項続く)

2017年6月11日日曜日

HINTO『花をかう』LIVE映像 -言葉の響き合い

 梅雨に入り、初夏の花の季節を迎えようとしている。雨上がりの花壇の色彩は強い日差しをあびて、ひときわ濃くなる。

 四月末にHINTO『花をかう』のLIVE映像がHINTOofficialで公開されてから、数日に一度は視聴してきた。この歌の尽きない魅力を味わっている。




  2016年10月30、渋谷WWWでの収録。『HINTO release ONE-MAN TOUR 2016』最終日の演奏で、運よく、この日はその場にいることができた。映像を見ると記憶も再生される。この歌のイントロが始まると場内が静寂に包まれたこと。安部コウセイがラップ風のジェスチャーをしながら歌い出したことに目を奪われたこと。語りの要素と歌の要素がおおらかに溶け合っていたこと。LIVEならではのいくつかの発見があった。

  特筆すべきなのは、LIVE映像に歌詞のテロップが付加されていること。これは極めて珍しい。歌の言葉を伝えたいという意志の現れだろうが、このような方法は素直に歓迎したい。
 映像を追いながら、安部コウセイの歌と歌詞を追いかけていくと、『花をかう』の声と言葉は絶妙に響き合っているのが分かる。ギター、ベース、ドラムスの音色と律動はその響き合いにさらに複雑な効果を与えている。

 最近、「SPICE」というネットメディアで「ホリエアツシのロックン談義 第3回:SPARTA LOCALS / HINTO・安部コウセイ」という記事が掲載されていた。こんな発言がある。


安部:メロディから作っていって、詞が乗ってガッカリすることってある? 俺は時々、これめっちゃいい曲じゃんっていう曲に詞が乗ったらガッカリすることがあるんだけどさ(笑)。

ホリエ:自分で?

安部:そう。嘘英語みたいな仮の歌詞で作っているときが一番カッコよくて、詞が乗ると「はぁ、なんだこれ」って。俺の場合は声も変わっちゃうというか。日本語にスポイルされて日本語の声になっちゃう。

ホリエ:ああ、それは俺もそうだよ。俺がentでほとんど英語で書いてるのはそういう理由。英語っぽい節回して歌いながら曲を作ってるから、それを無理に日本語にすると歌い方も変わっちゃって、語気が変わってきたり。

安部:やっぱり日本語と英語ってかなりギャップがあるんだなぁって。


 安部は、嘘英語みたいな仮の詞から日本語の詞に作りかえていく際に「日本語にスポイルされて日本語の声になっちゃう」という興味深い発言をしている。このニュアンスはよくつかめないが、「ロックの声」の乗りからほど遠くなる感じだろうか。そして、日本語と英語の「ギャップ」への言及。日本のロックの歌詞にはその成立の時代から、日本語か英語(カタカナ語)かという問題があった。ことは複雑であり、安易に語ることはできない。一つだけ逆説を言うなら、この「ギャップ」があったからこそ、この「ギャップ」と闘ったからこそ、日本語ロックは独自の優れた果実を得たのだろう。
 
 例えば、『花をかう』の「花をかう トゥユー」、あるいは『シーズナル』の「めぐってめぐってくシーズン」。どちらにも素晴らしい日本語と英語(カタカナ語)のミクスチャーがある。私たち聴き手はなにげなく無意識に聞いてしまうが、この言葉の複合のありかた、意味と韻律の作用に、私たちのロック、その響き合いの現在がある。

2017年5月29日月曜日

花の季節

 このブログを書いているテーブルからは窓越しに小さな花壇が見える。小さい花たちが惜しみなく彩りを風景に放っている。赤のチェリーセージ、薄紫のジャーマンアイリス、ピンクのバレリーナという名のバラ。冬からなんとか持ちこたえているパンジーとビオラ。少し気温が上がり過ぎ、その強い日差しに耐えているが、そろそろ終わりそうな気配も漂う。
 この花の季節が過ぎたら初夏を迎えるのだろう。

 『セレナーデ』の一節、「明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ」に込められた《祈り》について考えあぐねている。そんな時は書くのを止めてほんとうに好きな作家を読むようにしている。例えば須賀敦子の散文。《祈り》という主題であれば須賀の言葉ほどふさわしいものはない。

 『須賀敦子全集』を読み返すのは三度目か。ゆっくりと読み進めていく。第8巻の書簡に次の手紙が収められていた。1960年2月21日、ローマにいる須賀敦子がミラノの住むペッピーノにあてたものだ。現代作家の書簡を読むのは私生活をのぞきこむようで後ろめたい気持ちにもなるが、もともとイタリア語で書かれたものを翻訳者が訳したものなので、《作品》として受けとめることもできる。

 ミラノではまだ雪が降っているのでしょうか。こちらでは、私の窓の下のスイス人学校の庭のアーモンドの花はもう終わりました。ヨーロッパの大部分の花と同じように「ビジネスライク」に咲くのです!こうした、ただたんに果実を得るためだけに花を咲かせるということを、こうもあからさまに示す樹木を見ていると、なんだか悲しい気持ちにさせられるものがあります。私には、日本の花の独特の美しさは、少なくとも部分的には、その花の、まるで花開きながら遊ぼうとでもしているような、そんな咲き方にあるように思えるのです……こんな説明の仕方でわかっていただけるでしょうか。
 いずれにしても、なにもかもありがとうございます、そして私のためにたくさん祈ってください。私のために、遊びのように、祈ってください……。

 「ビジネスライク」なヨーロッパの大部分の花に対して、「花開きながら遊ぼうとでもしているような」日本の花。対比の感受が独特だ。そのような花の捉え方が、「私のために、遊びのように、祈ってください」という《祈り》に重ねられていく。
 このとき須賀敦子は三十一歳。後に夫となるペッピーノ(ジュゼッペ・リッカ)と毎日のように手紙を交換していた。年譜を読むと「ミラノでペッピーノと祈りについて語り合う」という記述もある。イタリアのカトリック左派の拠点であったコルシア書店という場で二人は出会った。

 小さな花壇を見ているときに、この手紙の言葉が風景に重なってきた。花のような存在に向けた《祈り》があるとしたらそれはどのようなものか。ぼんやりと想いが巡るだけで、言葉はつながらない。そうこうしているうちに、志村正彦の歌詞が浮かんできた。


  蜃気楼… 蜃気楼…

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう        (『蜃気楼』)


 「蜃気楼」がゆらめく世界の彼方まで「鮮やかな花を咲かせよう」とは、いうまでもなく《祈り》の言葉である。聴き手はそれを意識しないが、意識しないがゆえに、それはそのものとしてたどりつく。

2017年5月5日金曜日

『セレナーデ』と『夜汽車』 [志村正彦LN158]

 志村正彦・フジファブリック『セレナーデ』について調べようとしたが、雑誌でもインターネットでも関連記事が見つからない。一つだけ、ドラムを担当した城戸紘志が自身のwebで、「フジファブリックの10thシングルは珠玉のバラードです。セレナーデでは、いつかしてみたかった一人オーケストラに挑戦しました。」と述べていた。この「一人オーケストラ」が具体的に何を指すか分からないのが残念だがが、彼のドラムが『セレナーデ』の重要なアクセントになっていることは間違いない。
 歌詞の[3b-4c][6b-7c]のブロック、「セレナーデ」が「僕」を「眠りの森」へと誘い込む場面で、城戸の敲くリズムは催眠のような効果を果たしている。bcメロディの展開と反復を彼のドラムが支えていると言ってもよいだろう。


 あらためて『セレナーデ』を聴くと、最初から最後まで通奏音のように流れる虫の音や小川のせせらぎがいつどこで録音されたのか、という問いが生まれる。
 志村正彦は、高校の教室の音や高速道路の音を録音していたというエピソードがあるように、相当な録音マニアだったようだ。『セレナーデ』の自然の原音についての事実は知らないが、何となく、彼の故郷の地で録音されたものではないかなどと想像してしまう。僕の住む甲府でも、虫の音で季節の変化を感じ取ったり、時には虫の音の大きさに眠りが邪魔されたりすることがある。眠りにつこうとする意識が外の世界、自然の世界へと少しずつ連れ出されそうになる。そのうち虫の音にも慣れていき、眠りの世界に落ちていくのだが。

 虫の音や小川のせせらぎ、自然の奏でる通奏音。言葉のない世界の「鈴みたいに鳴いてる その歌」に誘われるように、「僕」は「口笛」を吹き、自らの声で歌い始める。その言葉は、[1a-2a-5a]そして[8c]に結実している。それは「僕」が「君」に伝えようとする「本当の事」なのだろう。ここで「本当の事」という言い回しをしたのは『夜汽車』という作品が念頭にあるからだ。
 『夜汽車』の歌詞の一部を引用する。志村作品の中で「眠りの森」という表現が出てくるのは、『夜汽車』と『セレナーデ』の二つだけである。


  話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く

  夜汽車が峠を越える頃 そっと
  静かにあなたに本当の事を言おう   (『夜汽車』) 


 夜汽車の車中で、「あなた」は「眠りの森」へ入り込む。歌の主体はその「あなた」に向かって、「そっと静かに」「本当の事」を言おうとする。でもおそらく、「眠りの森」の中にいる「あなた」に「本当の事」が伝わることはない。そもそも「本当の事」を「言おう」としても、それが声として語られることはないようにも思われる。「本当の事」とは何か。『夜汽車』の聴き手であれば、その問いを抱え続けるだろう。
 今回書き続けていくうちに、それに近い言葉があるとするのなら、『セレナーデ』のこの一節ではないだろうか、という想いが浮かんできた。それも「眠りの森」の夢の舞台で、そっと静かに語られたような気がする。「本当の事」は本当の想いであればあるほど、面と向かって相手には伝えられない。『セレナーデ』は夢の世界を設け、現実を隔てることで、「本当の事」を歌った。夢の中の言葉であるから、「君」に届くことはなく、消えてしまうのかもしれないが。「僕」と「君」の夢の記憶としていつまでも残り続ける。そう祈りたい。


  明日は君にとって 幸せでありますように
  そしてそれを僕に 分けてくれ      (『セレナーデ』)


2017年4月30日日曜日

『セレナーデ』ー言葉のない世界 [志村正彦LN157]

 一月ぶりに、志村正彦・フジファブリックの『セレナーデ』に戻りたい。
 はじめに、[3b-4c]と[6b-7c]の部分をもう一度引用する。


3b 木の葉揺らす風 その音を聞いてる
  眠りの森へと 迷い込むまで

4c 耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
  僕もそれに答えて 口笛を吹くよ

6b 鈴みたいに鳴いてる その歌を聞いてる
  眠りの森へと 迷い込みそう

7c 耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
  僕もそれに答えて 口笛吹く


 3b「迷い込むまで」から6b「迷い込みそう」へ、4c「口笛を吹くよ」から7c「口笛吹く」へと表現を変化させて、作者の志村正彦は、歌の主体「僕」が「眠りの森」へと迷い込むまでの時間や意識の変化を描いた。

 つぎに、[3b-4c]と[6b-7c]以外の部分、1a・2a・5aを[1a-2a-5a]という括りにして引いてみよう。


1a 眠くなんかないのに 今日という日がまた
  終わろうとしている さようなら

2a よそいきの服着て それもいつか捨てるよ
  いたずらになんだか 過ぎてゆく

5a 明日は君にとって 幸せでありますように
  そしてそれを僕に 分けてくれ


 [1a-2a-5a]には、1a「今日という日」の終わり、2a「いたずらになんだか過ぎていく」時、5a「明日」への祈り、というように、今日から明日へと流れていく時の層に、歌の主体「僕」の日々の想いが重ねられていく。
 二つに分けた[1a-2a-5a]と[3b-4c][6b-7c]とは、言葉もメロディも別の系列に属している。

 [3b-4c][6b-7c]の部分は、「眠りの森」「セレナーデ」「口笛」のモチーフから成る。歌の主体「僕」は「流れ出すセレナーデ」に答えて「口笛吹く」。ここからは想像だが、セレナーデに誘われるようにして、「僕」は眠りについたのではないだろうか。「僕」は夢の中でそのまま「セレナーデ」を聞いている。木の葉の音、風の音は夢の中の音へと変わっていく。この曲は冒頭から、虫の音、小川のせせらぎ、自然の音がずっと鳴り続けている。自然の奏でる音と楽曲の音とが混然一体となっていく。それらの音のすべてが眠りに誘い込むように。

 言葉では語られていない部分をさらに想像で補ってみる。
 「僕」の夢の中で、「僕」は「君」に会いに行く。「僕」と「君」との逢瀬がどのようなものであったか。すべては夢の中の出来事。起きたことも起こりつつあることもこれから起きることも夢から覚めた後には消えてしまう。

 夜明けが近づく。「僕」の夢が終わろうとしている。「セレナーデ」も終わろうとしている。夢からの覚醒の直前か、あるいは覚醒の瞬間か、「僕」は「君」に最後の言葉を告げようとする。


8c そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
  消えても 元通りになるだけなんだよ

 
 「お別れのセレナーデ」が響く。「僕」はどこに行くのだろう。夢の中の出来事であれば「消えても 元通りになる」。「僕」は「君」にそう言い聞かせる。夢の中の世界は消えても、元の世界はそのまま在り続ける。そのようなあたりまえの事実が残るのか。
 そのように解釈しても、理屈で捉えてみても、あたりまえすぎるこの最後のフレーズが作用する、あたりまえではない力を受け止めることはできない。「そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ/消えても 元通りになるだけなんだよ」は、このフレーズを聞き終わった後も、どこかでこだまし続ける。まるで現実と夢との狭間にこびりついて、意識と無意識との合間のような場所に固着して。

 そうこうしているうちに、「お別れのセレナーデ」は虫の音の高低や小川のせせらぎの重なる自然の音の群れに溶け込んでいく。聴き手もまた「眠りの森」へと迷い込んでいく。『セレナーデ』が言葉のある世界から言葉のない世界へと連れていく、かのように。

   (この項続く)

2017年4月26日水曜日

Jack Bruce『Theme For An Imaginary Western』

 前回、Felix Pappalardiが歌う『Theme For An Imaginary Western』の映像を紹介した。ネットで関連映像を探すと、Jack Bruceがピアノ弾き語りで歌うものが見つかった。しかも、「Felix Pappalardi、我が友に捧げる」と告げて歌い出している。





 1990年10月17日、ドイツのテレビ音楽番組『Rockpalast』のために、ケルンのLive Music Hallで収録されたようだ。もともとこの歌は1969年リリースのJack Bruceのソロ1stアルバム 『Songs for a Tailor 』で発表された。プロデューサーはFelix Pappalardi。そのような関係から、後にMountainの1stアルバム『Climbing!』にも収録されたのだろう。
 作曲はJack Bruce。作詞のPete Brownは1940年生まれの朗読詩人、作詞家、歌手。Bruce/BrownのコンビでCreamの代表作を作った。
 歌詞を引いてみたい。

  When the wagons leave the city
  For the forest, and further on
  Painted wagons of the morning
  Dusty roads where they have gone
  Sometimes traveling through the darkness
  Met the summer coming home
  Fallen faces by the wayside
  Looked as if they might have known
  Oh the sun was in their eyes
  And the desert that dries
  In the country towns
  Where the laughter sounds

  Oh the dancing and the singing
  Oh the music when they played
  Oh the fires that they started
  Oh the girls with no regret
  Sometimes they found it
  Sometimes they kept it
  Often lost it on the way
  Fought each other to possess it
  Sometimes died in sight of day

 『想像されたウェスタンのテーマ』という直訳の邦題が付けられているように、架空のの西部劇の物語のための主題歌なのだろう。風景の描写が巧みでまさしく想像力が喚起される。しかし、歌の中心軸はつかみにくい。最後の部分で繰り返される「it」が何を指すのか判然としないからだ。歌詞の中のモチーフというよりも、「Theme For An Imaginary Western」という「Theme」自体を指し示しているのだろうか。私たちが探し続けている「it」としか名付けようのない何かなのか。聴き手にゆだねられていると考えてよいのか。

 それでも最後の「Sometimes died in sight of day」に引きずられて勝手に想像してみると、歌詞の全体が死者の視線からの光景を描き出しているようにも感じられる。これはFelix Pappalardiの死という事実から逆に投影された解釈であるのだろうが、この歌詞の描く風景の底にはある種の儚さ、朧げな感じが横たわり、生き生きとした実感がないことからも来ている。もう見ることのできない夢の中の光景のようでもある。

 このライブでJack Bruceは、人生の旅の途中で倒れたロック音楽の開拓者Felix Pappalardiに捧げてこの『Theme For An Imaginary Western』を歌ったのは間違いない。
 Jack Bruceも2014年10月25日に71歳で亡くなった。肝臓の病気が原因のようだ。
 ブルース・ロックを基調にしながら、その定型を超えて、サウンド面でも歌詞の面でも新しい世界を創造した貢献者が、Jack Bruce、Pete Brown、そしてFelix Pappalardiだった。「ロックンロール」とは異なる「ロック」音楽の源を彼らは造った。

2017年4月17日月曜日

Felix Pappalardiの手紙

 今夜は激しい雨が降っている。
 桜の季節の終わりには冷たい大粒の雨が降る。毎年そうとは限らない。でも、いつもそんな気がする。

 ブログを書き始めるとき、一年前に何を書いたのか振り返ることがたまにある。昨年の今日、4月17日は「Felix Pappalardiの悲劇」という題だった。この日は彼の命日。それから1年後の今日も再び彼に関するある出来事に触れてみたい。『桜の季節』の「愛をこめて手紙をしたためよう」に触発されてなのか、ある手紙のことを思い出している。

 僕はFelix Pappalardi(フェリックス・パッパラルディ)に手紙を書いたことがある。1973年夏の武道館ライブの後のことなので、その年の秋だったように思う。もう四十数年の時が流れているので記憶はおぼろげだ。

 当時の僕は中学三年生。そのレベルの拙い英語で何を書きたかったのか、どうしてファンレターを書く気になったのかもはっきりしないが、Mountain(マウンテン)の武道館ライブを直に聴いた感動を言葉にして伝えたい欲望があったとしか言いようがない。(それはこのようなブログを書いている今とどこかでつながっているのかもしれない)
 後にも先にもこれ以外にファンレターを書いたことはない。もちろん初めてのAir Mailだった。ほとんど自己満足のようなものだから、書けばそれで終わりでもよかったのだろうが、結局、僕は投函した。宛先は所属先のアメリカのレコード会社だった。

 冬が近づく頃、Air Mailの手紙を生まれて初めて受け取った。どうして海外から手紙が届くのか、よく分からないままに封筒を見ると、Felix Pappalardiという文字があった。信じられないまま開封すると、すべて自筆で書かれた便箋三枚があった。末尾にFelix PappalardiとGail Collins の連名の署名があった。便箋はロサンゼルスのホテルのもので、とても薄くて独特の手触りの紙だったことをよく覚えている。滞在先のホテルで二人が書いたのだろう。

  ファンレターに対する形式的な内容の返信かもしれないとも思ったが文面を読むと、僕の手紙に対する本人の言葉としか思えない感触が確かにあった。武道館ライブの感想に対する感謝の言葉、制作中のアルバム(名前はなかったが、翌年の1974年にリリースの『Avalanche(雪崩)』というアルバムを指していたのだろう)についての言及、日本に対する印象や関心が綴られていたと記憶している。記憶しているとしか書けないのは、その後、東京での学生生活を含め三度ほどの転居でその手紙が行方不明になってしまったからだ。(まだどこかにあるのではないかという望みは捨てていない。僕にとっての宝物であるこの手紙を失うことは残念というよりも、申し訳ないというか罪のようなものを感じてしまう)

 制作中のアルバムのコピーを送ってもよいとも書かれてあったが、畏れ多いような気持ちになって、どう返事を書こうかなどと考えているうち に時間が経ち、返信の機会を失くしてしまった。そのことにもどこか罪の気持ちが残っている。
 極東の国の素性も分からない一少年からのたどたどしいファンレターに、Felix PappalardiとGail Collins は誠実にあたたかい文面の手紙を返してくれた。今日はそのことをこの場に記しておきたかった。

 70年代前半の時代にはまだどこかに、ロック音楽を通じた音楽家と聴き手との間のつながり、音楽を通じた共同体という理想が共有されていたのかもしれない。それはある種の美しい幻想だったのだろうが、Felix Pappalardiからの手紙は現実の出来事だった。

 Felix Pappalardiが歌う映像をネットで探した。Mountain の『Theme For An Imaginary Western (想像されたウェスタンのテーマ)』。Pappalardi/Collinsのオリジナル作品ではなく、作曲JACK BRUCE /作詞 PETE BROWNだ。JACK BRUCEのソロアルバムで発表され、後にMountainがレコーディングした。
 映像は1970年夏の「the Cincinnati Pop Festival」を収録した番組「Midsummer Rock Festival」のもの。タイムコードが入っているので編集段階のようだ。画質が粗いが、あの時代のロックフェスティバルの雰囲気が濃厚だ。四人のオリジナルメンバー、ギターLeslie West(レスリー・ウェスト)、ドラムスCorky Laingコーキー・レイング、キーボードSteve Knight(スティーヴ・ナイト)と共に演奏しているのも貴重だ。

 彼の声は憂愁をおびているが、のびやかで力強く広がっていく。




  手紙を受け取った十年後、1983年にFelix Pappalardiは亡くなった。彼の手紙が行方不明のままだということがずっと心の痛みとなっている。

2017年4月10日月曜日

「愛をこめて手紙を」[志村正彦LN156]

 金曜日、たまたまNHKのニュースチェック11を見ていると、最後の「きょうの一曲」でフジファブリック『桜の季節』がかかった。「この季節に聴きたくなる大好きな曲」というコメントでリクエストされていた。地上波で思いがけなくあのメロディが流れると、心がどことなく燥ぐ。

 土曜日、勤務先の高校で入学式があった。ここ数年、桜の開花がはやく、入学式の日にはすでに散りかけていた。今年はどこもそうであるように開花が遅く、桜はその盛りを迎えようとしていた。新入生とその保護者が正門近くの桜の樹の下で記念写真を撮影していた。桜の花びらが樹と人を、そして人と人を結びつけていた。桜のそばに人がいるとぬくもりのようなものが漂う。

 日曜日、甲府盆地の桜が満開だという報道があった。

 『桜の季節』の中にも、桜が人と人とを結びつけるモチーフがある。手紙のモチーフだ。


    ならば愛をこめて
  手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!


 以前書いたこととかなり重複するが、この「手紙」について再び触れてみたい。志村正彦は『音楽と人』2004年5月号でこの歌について語っている。インタビューした上野三樹氏はこう問いかける。


 -今作の「桜の季節」は手紙がモチーフですが。手紙って、よく書かれますか。

「ほとんどないです。今って、メールがあるから、みんな手紙って書かないですよね。だから誰かが時折、手紙をくれたりすると驚くじゃないですか。家の母親とかよく送ってくるんですけど。そういうハッとする感じを出したかったんです。」

 -お母さんに返事書かなきゃ。

「書かないです!恥ずかしい。(後略)


 -しかも結局書いたけど出してないでしょ、この曲。

「そうです。手紙を書いて、そこで終了している曲です。」

 -そこでまたひとりになると。

「そうですね。」


 作者自身が「手紙を書いて、そこで終了している曲」だと述べている。「手紙」は宛先人に届くことなく、差出人のもとに留まる。歌の主体は「ひとり」になる。きわめて志村らしい展開ではある。
 手紙を書く機会が減ったとはいえ、誰もが手紙を書いたがそれを相手に送らなかった経験はあるだろう。葉書やメールの場合でもよい。書き終わっただけで心が整理できたり、目的のようなものが達成できたりする。そんなこともあろう。手紙はその宛先人という他者に向けて書くと同時に自分に向けて書くものでもあるからだ。書かれただけで投函されなかった手紙。でも、それは宛先人にほんとうに届いていないのだろうか。そんなことをふと考えた。

 手紙はつねに宛先に届く、と精神分析家ジャック・ラカンは著書『エクリ』の冒頭「『盗まれた手紙』についてのゼミナール」で書いている。この言葉を詳述することは控えるが、確かに、一度書かれたものは書かれた時点で少なくともどこかに他の場所に届いているような気もする。そもそも手紙は誰が誰に向けて書いているのだろうか。手紙は不可思議なものでもある。

 「愛」をこめてしたためた「手紙」は、志村正彦の作品そのものの喩えである。歌詞の中の一つの言葉がその歌詞全体を指し示す言葉にもなる。そのように捉えてみる。
 ならばこう考えよう。この作品の聴き手である私たちは、この作品の宛先人でないにしろ、受取人の一人となることができる。「僕」が読み返して「感動している!」もの、「花を咲かせ」た「作り話」は、作品という手紙を通じて私たち受取人に届く。しかも、そこには「愛」がこめられている。『桜の季節』そのものが春という季節の手紙となる。

 毎年この季節に、この手紙は私たちに届けられる。その手紙にこめられた「愛」もくりかえしくりかえし届けられるのであろう。