公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ

申込方法

右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2017年7月23日日曜日

李相日監督『スクラップ・ヘブン』-『蜃気楼』2[志村正彦LN160]

 どの映画にもその中心となる風景のイメージがある。
 開発途中で放置された地区に取り残されたように存在している公衆トイレ。そのありえないほど汚れて荒廃したトイレの彼方には大都市らしき街並みや高層ビルが広がっている。近景のトイレと遠景の高層ビル街。李相日監督『スクラップ・ヘブン』にはこの対比的なショットが数回現れる。近景から遠景の方向へ視線が移動するように、物語は復讐劇として動き始める。


『スクラップ・ヘブン』DVD


  警察官のシンゴ(加瀬亮)、公衆便所掃除人のテツ(オダギリジョー)、薬剤師のサキ(栗山千明)の三人は、たまたま乗り合わせた路線バスがバスジャックされたことで知り合う。この三人はそれぞれの事情を抱え、現実に満たさていない。
 シンゴとテツはその後再会し、開発地区の公衆トイレを舞台に「復讐請負業」を始める。依頼人の復讐をこの二人が代行するのだ。「世の中想像力が足りねぇんだよ」というテツのセリフがその推進力となるが、物語の後半から事態は想像力を超えて展開し始める。

 一方、サキは黄色い液体の小瓶の爆弾を密かに製造している。何故なのか理由は分からないままに、「全部を一瞬で消しちゃう方法」の具現化である小瓶は大量に造られていく。テツとシンゴ、サキとシンゴという組み合わせで事件は動いていくが、「世界を一瞬で消す」欲望をめぐって、この三人が絡まり合う。

 『スクラップ・ヘブン』の色や光のイメージは独特だ。内部がかなり破壊されひどい落書きだらけの公衆トイレの形容しがたい色合い。殴り合いの暴力による血の赤色。サキの製造する爆弾の黄色い液体(薬剤師らしく点滴液のような色だ)。身体的で生理的な感覚の色合いと大都市の全景のくすんだ灰色が色の基調をなす。

 音楽監督の會田茂一によるサウンドもこのイメージを補強している。DVDには六曲のサウンドトラックが特典として収録され、作曲は五曲が會田茂一、一曲が二杉昌夫と記されている。編曲は曲により異なるが、會田茂一、中村達也、佐藤研二、生江匠、二杉昌夫の名があり、この編曲者たちが演奏も担当しているようだ。インダストリアルな曲調のインストルメンタルで、この映画の感触に非常に合致する。

 物語の最後で、シンゴは「世界を一瞬で消す」欲望に向き合わざるを得なくなる。一人でその欲望に結末をつけようとする。もともとシンゴは受動的な位置にいて、能動的なテツやサキに引きずられるようにして行動化(アクティング・アウト)していく。この物語では受動的な存在のシンゴがむしろ主人公であり、彼が初めて主体的な位置にたどり着くのがラストシーンだ。結末は意外というか偶然というのか、ある意味では必然のように展開するのだが、ここに記すことは控えよう。

 映画本編の終了と共に間髪を入れず、エンディングテーマ曲のフジファブリック『蜃気楼』(詞曲:志村正彦)が流れだす。


  三叉路でウララ 右往左往
  果てなく続く摩天楼

  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
  消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

  おぼろげに見える彼方まで
  鮮やかな花を咲かせよう

  蜃気楼… 蜃気楼…


 映画版の『蜃気楼』は、六分近くあるオリジナル音源の半分程度の3分10秒ほどに縮められた。タイトルバックに合わせて時間を調整したのだろうが、歌詞の半分が省かれたのは映画のモチーフとのつながりを重視したとも考えられる。この点については後に考察したい。

 志村正彦の声が聴こえてくると、物語がもう一度動き始める。映画の本編は終わっている。その断絶と共にある種の余韻というのか余韻以上ともいえるような重厚な言葉の響きを伴って、歌が始まる。

  (この項続く)

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