11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2020年1月13日月曜日

松任谷由実『ノーサイド』

 2019年は、ラグビーワールドカップで日本代表が大健闘した年としても記憶されるだろう。一ファンとしてWCを大いに楽しんだ。
 年が明けて、1月11日、新しい国立競技場でラグビー大学選手権が開催され、早稲田大学が明治大学に勝利し大学日本一になった。新国立も満員だった。12日にはトップリーグが開幕した。日本代表大活躍の影響で各会場とも観戦者がかなり増えた。今回のラグビー人気は本物になる予感もする。

 昨年大晦日の紅白歌合戦。流行り歌に疎いのでせめて紅白だけでもと毎年欠かさずに見ている。年々歌はつまらなくなっているというのが正直な実感だが、その中でひときわ歌として輝いていたのは、ラグビーをテーマにした松任谷由実の『ノーサイド』だった。ラグビー日本代表のメンバーも登場し、ワールドカップの映像が流れる中でユーミンが想いを込めて歌い上げた。G 鈴木茂、Ds 林立夫、B 小原礼、key 松任谷正隆が演奏した。松任谷正隆がローズピアノでイントロを弾くと、耳に馴染んだあのメロディーが広がっていく。
 歌詞の前半を引用したい。


   ノーサイド (作詞・作曲 : 松任谷由実)

 彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
 長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた
 肩を落として 土をはらった
 ゆるやかな 冬の日の黄昏に
 彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った

 何をゴールに決めて
 何を犠牲にしたの 誰も知らず
 歓声よりも長く
 興奮よりも速く
 走ろうとしていた あなたを
 少しでもわかりたいから

 人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ


 眼差しの向こう側に「彼」がいて、こちら側に「私」がいる。「私」はただひたすら「彼」を見ているが、距離はある。グラウンドの中と外で隔てられている。その距離感がユーミンの歌の基底にある。
 「彼」が「枯れた芝生の匂い」を「深く吸った」とあるが、ここでは「私」は想像の翼によって「彼」に近づく。しかしその後「私」はふたたびグラウンド全体を見渡す場所に戻って、キックが「ゴールをそれた」軌道を追いかける。「彼」と「私」との距離は近づいたり遠のいたりする。

 次の連では、「歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていた あなた」に焦点が合う。「歓声よりも長く 興奮よりも速く」はなんと卓抜な表現なのだろう。ラグビーの得点シーンは、たとえばサッカーに比べると時間がかかる。何度もアタックする。ボールを回し、走り、起点を作り、その反復がある。もともとボールを後方に渡すという「理」に反した攻め方ゆえにラグビー固有の時間の流れ方がある。だからこそ、応援する側から言うとそのプレーに対する「歓声」は長い。しかし、インゴールにボールをグラウンディングする時間は一瞬の出来事として生起する。ゴールの「興奮」は時間が凝縮されている。だからこの「歓声よりも長く 興奮よりも速く」走るというのは、ラグビーの攻撃の描き方としてきわめて的確なのだ。そしてその走る姿が「あなた」に収斂していく。「彼」が「あなた」に転換されることによって、「私」と「彼=あなた」の距離が極限まで縮まるかのようだ。その「あなた」を「少しでもわかりたいから」、「人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ」と歌うのは、ラグビーに対する愛の賛歌となる。「あなた」はラグビーそのものなのだろう。

  「ノーサイドNO SIDE」は試合終了を示す。その瞬間、自陣と敵陣の区別はなくなり、勝者のサイドも敗者のサイドも無くなる。互いの健闘をたたえ合い、互いを尊重し合う。ノーサイドという境界を消失させる行為は、歪んだ対立が顕在化するこの時代に省みる価値がある。
 ふと思った。『ノーサイド』の歌詞の「彼・あなた」と「私」にある一種の距離や境界も最後に消えていったのではないかと。歌い手と歌われる存在や対象との間にある境界も、歌が終わる瞬間に消失していく。

 「しめくくるキックは ゴールをそれた」というシーンについても語りたい。これはかつての全国高等学校ラグビー大会決勝の「伝説の一戦」から素材を得ているようだ。決まれば同点で両校優勝となるゴールキックを左に外し、その直後ノーサイドの笛が鳴ったそうである。
 こういう劇的なシーンはラグビーで時に遭遇することがある。

 昨年のラグビーWCフランス対アルゼンチン戦を東京・味の素スタジアムで観戦した。山梨で合宿したフランスチームを応援するつもりで行ったのだが、会場に行く途中で陽気なアルゼンチンサポートとも出会い、はじめからノーサイドの気分だった。
 フランスが2点差でリードしている試合の終了間際、アルゼンチンがPGを獲得した。約50メートルのロングキックが決まれば劇的逆転だったが失敗した。まさしく「しめくくるキックは ゴールをそれた」。試合はノーサイドを迎えた。

 もうひとつ思い出を語りたい。もう二十年近く前の出来事だ。
 2001年12月旧国立競技場で、ラグビー関東大学対抗戦の「早明戦」早稲田大学対明治大学の闘いがあった。
 早稲田が1点のビハインドで迎えた後半ロスタイム、ペナルティーのチャンスを得て、武川正敏が蹴ったボールはポストの間を通り抜けた。キックはゴールをそれなかった。早稲田が土壇場で試合をひっくり返し、勝利を掴み取った。現地で僕は父と妻と一緒にこの試合を見ていた。僕が母校の早稲田大学ラグビーのファンだったので、父も熱心に応援してくれるようになっていた。勝利の瞬間の父の笑顔が忘れられない。翌年も観戦し、その次の年もチケットを購入したが、父は体調を崩し国立には行けなかった。その半年後父はなくなった。早稲田のラグビーを見ると父を思い出す。2001年の早明戦はいまだに最も記憶に残る試合だ。みんなで校歌をうたったことも胸に刻まれている。

 武川正敏は山梨のラグビー強豪校である日川高校の出身である。そのこともあり、あの日は特に彼を応援していた。彼は昨年から早稲田のヘッドコーチに就任している。あの日の伝説のキックの経験は後輩たちへ受け継がれていくのだろう。

 紅白歌合戦で歌い終わった後、田中史朗は「皆さんの支えがあってベスト8にいけたのでうれしいですし、ほんとうに日本がONE TEAMになって、この歌も聞けてほんとうにうれしいです。ありがとうございます」と言った。ユーミンは「たくさん勇気をもらいました。この曲にこんなチャンスを与えてくれてありがとう!」と涙ぐみながら選手に語りかけていた。
 「チャンス」を与えてくれたというユーミンの言葉に感銘を受けた。『ノーサイド』というひとつの歌が、ラグビーを祝福し、ラグビーから祝福されていた。


2019年11月30日土曜日

『Hello, my friend』と『Good-bye friend』[志村正彦LN241]

 前回、松任谷由実『Hello, my friend』の「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」という一節を聴いた瞬間、志村正彦のことを考えたと記した。ユーミンはどのような経緯でこの一節を歌詞に入れたのか。そのことが気になったのだが、『Hello, my friend』のwikipediaに次の記述があることを知った。


カップリングの「Good-bye friend」は今は亡き友人を歌ったナンバー。『君といた夏』劇中歌。ユーミン夫妻と親交があったアイルトン・セナの死を悼んで作られた曲。元々は「Good-bye friend」の方が主題歌として予定されていたが、ドラマのイメージに合わないということで、サビの部分以外作り直された。


 歌詞の謎が少し解けた気がした。『Good-bye friend』の歌詞を引用する。


 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥の 友達でいさせて

 君を失くした 光の中に
 指をかざした 眩しくて見えない堤防
 なぜこんなにも 取り残されて
 どのざわめきも鏡の向こうへと消えてく

 悲しくて 悲しくて 帰り道探した
 もう二度と 会えなくても 友達と呼ばせて

 君はとっくに知っていたよね
 すぐ燃えつきるイカロスの翼に乗ったと

 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥の 友達でいさせて

 僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ

 悲しくて 悲しくて 君の名を呼んでも
 めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから

 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥に ずっと生きてるから
 友達でいるから 友達でいさせて


  『Good-bye friend』の歌詞を読むと、サビの部分は『Hello, my friend』とほぼ同一である。「君を失くした 光の中に」「なぜこんなにも 取り残されて」という深い喪失感、そして「離れても 胸の奥の 友達でいさせて」「もう二度と 会えなくても 友達と呼ばせて」という胸の奥から発せられる願いが聴き手に痛切に響いてくる。アイルトン・セナの死を追悼する歌であることが伝わってくる。

 アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)はブラジル人のF1レーシング・ドライバー。1988年・1990年・1991年の計3度F1ワールドチャンピオンを獲得した。1994年5月1日、サンマリノグランプリの決勝レースで首位を走行中コンクリートバリアに高速で衝突する事故によって亡くなった。歌詞にある「すぐ燃えつきるイカロスの翼に乗ったと」という表現はこの事故の隠喩であろう。今年が没後25年目になる。
 当時は僕もF1レースに関心があったので、あの日もフジテレビの中継を見ていた。生中継と一部録画だったようで、途中でセナの訃報が伝えられた。壁へ激突するシーンも放送された。その衝撃、恐ろしさと痛ましさはよく覚えている。今思い返せば、セナの死によってF1の人気も下降していった。僕も見ることがなくなった。

 当初は『Good-bye friend』の方が主題歌として予定されていたようだが、やはり、テレビドラマとは齟齬を来すのだろう。サビの部分以外は作り直しとなり、その結果誕生したのが 『Hello, my friend』だった。しかし、直接的に「死」を想起させる表現は除かれたが本質的には死の追悼というモチーフは引き継がれたのではないだろうか。歌詞の奥深い場所にそのモチーフが継続されている。つまり、『Hello, my friend』も本質的には鎮魂の歌であろう。

 「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」という言葉が受け継がれていることも重要である。『Hello, my friend』の中のこの一節は『Good-bye friend』とこだまし合う。そうなると深い意味合いを帯びてくる。前回、『Hello, my friend』について、この「僕」は歌の話者が失った対象でありもう二度と帰ることのない存在だとする仮定は、おそらく真実に近いのだと思われる。
 この一節を聴いて僕が志村正彦のことを想起したことにも、ある無意識の根拠が見いだせるかもしれない。

 『Good-bye friend』そして『Hello, my friend』も、若くして亡くなった友の安息を神に願うレクイエムのように聞こえてくる。
 『Hello, my friend』では「my friend」に対して、「Good-bye」ではなく「Hello」と呼びかけている。そこに松任谷由実の祈りが込められている。

2019年11月14日木曜日

『若者のすべて』と『Hello, my friend』[志村正彦LN240]

 槇原敬之は、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』について「ほとばしる愛を詰め込んだマッキーの成分文表 槇原敬之」という記事(取材・文 / 小貫信昭)で次のように語っている。


──ここからは、新たに録音された2曲についてお聞きします。まずはフジファブリックの「若者のすべて」です。

東京で花火大会があった日に、たまたま車の中で流れてきて、そのとき初めてこの曲を聴きました。フジファブリックは知っていたんですけど「若者のすべて」は知らなくて。「すごくいい曲だなあ」と思って、それから車内でこればっかり聴いていましたね。しかし残念なことに僕が知ったときには、曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね。こんなことを言うと彼のファンの方がどう思うかわかりませんけど、こんないい曲を残した人と「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と思いましたね。

──楽曲名の表記が「若者のすべて ~Makihara Band Session~」となっていますが、これはどうしてですか?

「Listen To The Music 3」を作ったときにライブをやろうよという流れになり(参照:槇原敬之、敬愛する名曲カバー&ヒット曲尽くしツアー完走)、当時のバンドメンバーに「この曲もやってもらえますか?」とお願いして、実はそのセッションの音にシンセを足したりして完成したのが今回のものなんです。

──だからこうしたサブタイトルなんですね。

そうなんです。ともかく「若者のすべて」を嫌いな人はいないんじゃないかと断言したいくらいです。もう、カタルシスの塊みたいな曲。この歌のような経験をしたことがない人でも、こういう経験をしたことがあるような気分になるというかね。そして、この若々しい歌を50歳の僕が歌ってしまいました(笑)。


 「SONGS」では「しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって」と発言していたが、このインタビューでは「曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね」と「志村正彦」の名に言及している。しかも「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と述べている。『若者のすべて』を愛する者がこの類い稀な作品の作者に関心を持つのは当然のことだろう。槇原は「カタルシスの塊みたいな曲」と捉えているが、これは彼特有の解釈なのだろう。確かに「SONGS」で彼は「カタルシス」、ある種の感情を解放していく歌い方をした。

 今回の「SONGS」では松任谷由実『Hello, my friend』も歌われたが、この曲はアルバム「The Best of Listen To The Music」の中でひときわ魅力のあるカバーソングとなっていた。僕個人としては、『若者のすべて』と『Hello, my friend』の二つがこのアルバムのBestである。しかも、この二つの歌にはどこかに響き合うところがある。

 『Hello, my friend』(ハロー・マイ・フレンド)は、1994年7月27日にリリース。ユーミン25枚目のシングルである。歌詞の前半部を引用したい。


 Hello, my friend
 君に恋した夏があったね
 みじかくて 気まぐれな夏だった
 Destiny 君はとっくに知っていたよね
 戻れない安らぎもあることを Ah…

 悲しくて 悲しくて 帰り道探した
 もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて


 「君に恋した夏」は「みじかくて 気まぐれな夏」とあるので、夏の終わり頃の季節の設定なのだろう。ある意味では『若者のすべて』の季節感に似ているかもしれない。夏が終わりつつある『若者のすべて』、夏がもう終わってしまった『Hello, my friend』という違いはあるが。
 「Destiny」運命を知っていたという過去表現、「戻れない安らぎ」という多様に解釈できる表現。ユーミンらしい歌詞の背景の設定ではあるが、心の深くにとどまる言葉である。直観だが、この「君」はすでに遠い世界に旅立ってしまった人であり、比喩ではなく現実に「もう二度と会えな」い存在ではないだろか。「悲しくて 悲しくて 帰り道探した」、歌詞の後半にある「めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから」という表現からもその印象が強まった。荒井由実、松任谷由実の歌う喪失感にはいつもどこかに、無くなったもの、亡くなったものへの想いが込められている。

 『Hello, my friend』の中で最も突き刺さる歌詞は次の一節である。(同じ箇所を槇原敬之も「SONGS」で指摘していた)


 僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ


 後半部にあるこの一節によって、歌の話者が「僕」であることが示される。『Hello, my friend』は、「僕」が「君」に対して語りかける作品である。この一節は通常、「僕」の「君」に対する呼びかけの言葉だと考えられるが、もう一つの可能性を提示してみたい。この一節の「僕」を「君に恋した夏」の「君」の方だと捉える解釈である。つまり、ここで視点が転換される。この「僕」は、歌の話者が失った対象であり、もう二度と帰ることのない存在だと捉えるのであれば、歌の様相は一変する。

 「僕」は生き急いでいた。「そっとたしなめておくれよ」は、「僕」が歌の話者に対して依頼した言葉、願いの言葉だった。もしもこの「僕」がすでに遠くの世界へと旅だった存在であるのなら、もう取り返しのつかないような痛切な意味合いを帯びてくる。

 このようなことを書いてよいのかためらいがあるが、一歩ふみこんで僕の想いを語ろう。この言葉を聴いた瞬間、僕は志村正彦のことを考えた。『若者のすべて』と『Hello, my friend』が互いにこだまし合っているようにも聞こえてきた。



2019年1月23日水曜日

荒井由実と志村正彦-『陽炎』9[志村正彦LN207]

 荒井由実『ひこうき雲』の一番の歌詞を再び引用したい。


  白い坂道が 空まで続いていた
  ゆらゆらかげろうが あの子を包む
  誰も気づかず ただひとり
  あの子は 昇っていく
  何もおそれない そして舞い上がる 

  空に 憧れて 空を かけてゆく
  あの子の命は ひこうき雲

   
 荒井由実『ひこうき雲』を聴いた者は誰でも、「誰も気づかず ただひとり/あの子は 昇っていく」「空を かけてゆく」という展開と「あの子の命はひこうき雲」という比喩から、「あの子」の「死」を描いた作品であると受けとめるだろう。

 この歌の背景には、小学校時代の同級生の男子が高校一年の時に無くなったという出来事がある。作者自身が『ルージュの伝言』(角川書店 1983/01)という本でそう述べている。その男の子は難病を患っていた。小学校以来会ったことはなく、葬儀で見た写真は高校生の顔をしていた。作者の知らない「あの子」の時の流れがあった。「何もおそれない そして舞い上がる」という詩句から、「あの子」の持つ強い意志のようなものも伝わってくる。何もおそれることなく自らの道を歩んでいく孤高の若者の存在が浮かび上がる。それにしても「何もおそれない」という言葉は重い。荒井由実の歌詞が優れているのはこのような断言の純粋な強さであろう。

 5行目までは「かげろう」に包まれて昇天していく「あの子」の生と死の描写であるが、6行目の「空に 憧れて 空を かけてゆく」では歌い方が幾分か転換する。「空」への「憧れ」は、「あの子」だけが抱いたものではなく、作者が抱いたものでもあるのだろう。そのように聞こえてくる。最後の7行目になると、「かげろう」というイメージが「ひこうき雲」に繫がっていく。「かげろう」が消えていき、「ひこうき雲」が大空に線を描いていく。それも次第に消失していき、「あの子の命」が虚空をかけてゆく。

 荒井由実は「あの子の命」を「ひこうき雲」に喩えた。飛行機のジェットエンジンによって生成された水蒸気の雲は自然の現象とも言えるが、その原動力は人工的なものである。飛翔する動力の軌跡である。
 日本の詩歌の伝統では、命や死を人工的な飛行機雲に喩えることはなかっただろう。死は自然の移ろいとして表現されてきた。「ひこうき雲」による比喩は新しい感受性の登場を告げている。飛行機雲が流れる現代の空の風景。その風景に若者の死が重ね合わされていく。70年代初頭の日本語ロック、ポップスはこのような表現を成し遂げたのだ。

 歌の主体は「あの子」の死に対して過剰な感情を込めているのではない。他者の死への過剰な感情の投影は、自己愛や自己憐憫の発露にもなりかねない。歌の主体は「かげろう」によって「あの子」の現実から隔てられている。作者が「あの子」の小学生から高校生までの時間から隔てられていたように。その隔たりの感覚がむしろこの美しい歌を純粋な哀しみの歌に昇華させている。

 荒井由実の声には透明感がある。彼女の声は、感情を伝えるというよりも感覚を伝える。この時代の都市音楽にふさわしい声の誕生だったかもしれない。イギリスのプログレッシブロック、特にプロコロハルムに影響されたという楽曲には硬質で透明な響きがある。ギター鈴木茂、ベース細野晴臣、キーボード松任谷正隆、ドラム林立夫というバックバンドは、その響きに潤いや柔らかさを与えている。よく言われることだが、イギリス的な端正で重厚な響きとアメリカ的なうねりのあるサウンドが綺麗に融合している
 昇天していくような多分にキリスト教的なイメージがあるが、ミッション系の中学高校で学び、パイプオルガンに親しんでいた荒井由実にとっては身近なものだったのかもしれない。

 前回言及したように、志村正彦は荒井由実のアルバム『ひこうき雲』を「ロックを感じるCD3枚」の1枚目に挙げている。
 『Rooftop』掲載の志村正彦(フジファブリック)とクボケンジ(メレンゲ)の対談、「新宿ロフトで出会い、共に“SONG-CRUX”卒業生の2人が語る内なる“ロック”的なもの」(2004.11.15 interview:Hiroko Higuchi)で、「ロックを感じるCD3枚」について、二人が一枚ずつコメントしている。志村の発言を抜き出してみる。


──では、志村君の1枚は?

志村 荒井由実の『ひこうき雲』です

──これはいつ頃手にしたの?

志村 2〜3年前です。比較的最近なんですよ。曲が良いのはもちろんなんですけど、バックの演奏とか凄いんですよね〜

クボ 何気に凄いよね

志村 バックがティン・パン・アレーなんですよね。凄いファンキーなんです。あと、少女が思ったことを真剣にやっている気がして。そういうの凄い好きだなぁって

クボ 女の子しか判らない世界っていいよね


 ちなみに志村の2枚目はブラジルのエドゥ・ロボの『エドゥ・ロボ』、3枚目はレッド・ツェッペリンの『PHYSICAL GRAFFITI』である。2004年というインタビューの時期からすると、『ひこうき雲』を入手した「2〜3年前」は2001から2002年ころになる。つまり、オリジナルの富士ファブリックからインディーズ時代のフジファブリックの時代だ。

 荒井由実+エドゥ・ロボ+レッド・ツェッペリン。日本語ロック・ポップスの新しい感性+ブラジル音楽のグルーヴ+ブリティッシュロックのビート。志村は正直に自らの系譜を語っている。初期のフジファブリックはこのようにして生まれていった。

2019年1月5日土曜日

荒井由実『ひこうき雲』-『陽炎』8[志村正彦LN206]

 2019年が明けて五日になる。ずっと快晴に恵まれ、甲府盆地から見える冬の富士が綺麗だ。新春という境地になる。

 時間を大晦日の紅白歌合戦に戻す。毎年その年の歌のトレンドを知るために見ている。平成最後が強調されていたが、歌合戦というよりもダンス合戦のような演出にはついていけなかった。suchmosの醸し出す「場違い感」だけがその流れを断ち切っていた。ロックだった。

 圧巻だったのは松任谷由実。教会風のセットを背景に『ひこうき雲』、突如NHKホールに移動して『やさしさに包まれたなら』を歌った。バックには鈴木茂、松任谷正隆、林立夫たち。ベースは細野晴臣ではなく小原礼。それでも四分の三「ティン・パン・アレー」ではないか。会場に呼びかけるユーミンと淡々と奏でるバンドメンバーのコントラストも見物だった。

 『ひこうき雲』の歌詞には「かげろう」が登場する。以前から気になっていたのだが、志村正彦・フジファブリック『陽炎』のエッセイを連載している今、この歌を取り上げてみたい。一番を引用する。
 誰もが知る曲だが、オフィシャル映像に〈松任谷由実 - ひこうき雲 (Yumi Arai The Concert with old Friends)〉という1996年のライブ映像があったので添付する。





  白い坂道が 空まで続いていた
  ゆらゆらかげろうが あの子を包む
  誰も気づかず ただひとり
  あの子は 昇っていく
  何もおそれない そして舞い上がる 

  空に 憧れて 空を かけてゆく
  あの子の命は ひこうき雲


 この映像は、砂田麻美監督によるユーミン×スタジオジブリのコラボレーションによるもので、映画『風立ちぬ』主題歌『ひこうき雲』のMUSIC CLIP(Short ver.)である。荒井由実時代のものか、それを意図した演出かは分からないが、回想的な映像が効果的に使われている。

 一番の歌詞を読んでいきたい。
 歌の主体は、「白い坂道」と「空」を見上げていくまなざしのなかで「かげろう」と「あの子」を描いていく。「かげろう」とひらがなで書かれているので、大気を揺らす現象を指す「陽炎」か、命のきわめて短い昆虫の「蜉蝣」が決めきれないところもあるのだが、「坂道」「空」「ゆらゆら」という表現との関連、この曲全体の雰囲気からするとすると「陽炎」と取る方が自然だろう。それでも、「昇っていく」「舞い上がる」という動きには、か弱くも宙を飛ぶ「蜉蝣」のイメージが入り込んでいるとも捉えられる。「陽炎」「蜉蝣」の二つが「かげろう」に重ね合わされている感じもある。半ば無意識的なものとして。

 『日本国語大辞典第二版』の「陽炎」の項目には次のような説明がある。

平安時代以降の和歌では、あるかなきかに見えるもの、とりとめのないもの、見えていても実体のないもののたとえとされることが多い。また、「かげろう(蜉蝣)」と混同して解され、はかないもののたとえとなることもある。

 「陽炎」は、「あるかなきかに見えるもの」であり、しかも語の混同により「はかないもの」の喩えともなる。実際に詩でも歌詞でも、「かげろう」にはこの二重の意味合いがあることが少なくない。『ひこうき雲』の「かげろう」にもそのようなニュアンスがある。

 解釈の枠組を作る際はどちらかの意味を基本とするかとりあえず決めなければならない。この論では「陽炎」という意味に取りたい。そうなると、「ゆらゆらかげろうが あの子を包む」は、「かげろう」がゆらゆらと揺れて、「あの子」を包んでいくというイメージが生まれる。しかし、歌の主体とそのまなざしの向こう側にいる「あの子」との間で「かげろう」が遮っているとも考えられる。「かげろう」が「あの子」を「ゆらゆら」と揺らすことで、有るか無きかの存在に見えてくる。
 その揺れの狭間で「あの子」の像が微かに現れるが、それはあくまでも儚い。「誰も気づかず ただひとり」とあるように、「あの子」は単独者として空に「昇っていく」。

 実は、志村正彦は『Rooftop』のクボケンジとの対談(2004.11.15 interview:Hiroko Higuchi)で「ロックを感じるCD3枚」の1枚目に、荒井由実のアルバム『ひこうき雲』を挙げている。次回はこのことを考えてみたい。

  (この項続く)