2026年2月18日水曜日

〈ある地点〉高橋亜子氏の脚本-『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台と小説

 原作の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、単行本で618頁の分量の長編小説である。この舞台を見るにあったてまず関心があったのは、この長編小説をどのように脚本化していくのか、ということだった。「世界の終わり」パート(以下、「世界」パートと略記)と「ハードボイルド・ワンダーランド」パート(以下、「ワンダー」パートと略記)という二つが独立して交互に進行していく展開をどう構成するのか。この長編小説のたくさんの重要なシーンからどの箇所を選んでいくのか。舞台の演出以前の脚本の段階に興味があった。

 結論から言えば、高橋亜子氏の脚本はこのかなり長い小説を2時間40分ほどの舞台に的確に集約させた。(もちろん、いろいろな脚本の可能性はあるだろうが)。 高橋氏はパンフレットの中で次のように述べている。


 原作では「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」、それぞれの世界が交互に描かれます。脚本化にあたって核となるのは、このパラレルワールドをどう組み立てていくかです。膨大な原作の描写の中から私が抽出したのは"私と"僕”の心が、目の前で起きる出来事と呼応する場面です。”僕”は影と切り離され、次第に自分らしく感じることができなくなっていく。一方"私"は原作の猫写によると、ある地点から人生をねじまげるように生きており、心を閉ざした孤独な生活をしている。そんな二人の心が揺れる瞬間、それを辿っていけば、やがて物語の核心にたどり着けるはず。そう思いながらブロットを組み立てて行きました。


 この舞台では、〈僕〉と〈私〉の〈二人の心が揺れる瞬間〉を辿ることで物語の核心にたどり着くという方針が貫かれていた。

 舞台は「世界」パートから始まった。冒頭で金色に輝く〈一角獣〉が登場して、奇妙な動きを続けていたことがまず目を引いた。いくぶんか不気味であるが、照明の光と音楽の流れのもとで〈一角獣〉の動作やダンスの効果によって不思議な美しさと仄かなエロティシズムが醸し出されていた。さらに、〈門番〉が登場して、〈僕〉(駒木根葵汰/島村龍乃介、私が観劇した回は島村だった)からその〈影〉(宮尾俊太郎)を切り落とす。〈僕〉の〈心〉が文字通り揺さぶられて、本体と影に分裂する。

 そのシーンがYouTubeの〈舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 ゲネプロ〉の冒頭にある。



 その後、〈僕〉は図書館で少女(森田望智)に出会うことになる。小説の「世界」パートではこの時、〈僕〉は次のように感じる。

僕は長いあいだ言葉もなくじっと彼女の顔を見つめていた。彼女の顔は僕に何かを思いださせようとしているように感じられた。彼女の何かが僕の意識の底に沈んでしまったやわらかなおりのようなものを静かに揺さぶっているのだ。しかし僕にはそれがいったい何を意味するのかはわからなかったし、言葉は遠い闇の中に葬られていた。

 つまり、〈僕〉の意識の底に沈んでいるもの、無意識の世界にあるものが、〈彼女の何か〉によって静かに揺さぶられている。脚本はこのような揺れる瞬間を場面として切り取っていく。もちろん、舞台という性質上、詳細に示されることはないのだが。


 冒頭場面の後で「ワンダー」パートが始まる。〈私〉(藤原竜也)は、「シャフリング」を開発した博士の孫娘、ピンク色の服を着た女性(富田望生)によって地下にある博士の研究所に連れて行かれる。その後〈私〉は図書館で司書の女性(森田望智、一人二役)に出会うことになる。このように、小説の中の重要なシーンが的確に脚本化されて、舞台で演出されていた。


 先ほどの引用で高橋氏は、原作の「世界」パートの〈僕〉は〈影と切り離され、次第に自分らしく感じることができなくなっていく〉、「ワンダー」パートの〈私〉は〈ある地点〉から〈心を閉ざした孤独な生活をしている〉と延べている。この〈ある地点〉での出来事が重要なのだが、原作でも舞台でも、当初はそれが明示されることはない。「ワンダー」パートでは最後まで全く語られることがなく、「世界」パートでは次第におぼろげに示されるだけである。

 この点について、原作小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の言葉を使って説明したい。

 「世界」パートの最初の章「金色の獣」には〈僕が最初にこの街にやって来た頃〉という記述だけがある。〈僕〉は〈街〉でしばらく過ごした後で、門番の〈ここは世界の終わりなんだ〉という言葉を受けて、次のように考える。

 世界の終わり。
 しかしどうして僕が古い世界を捨ててこの世界の終りにやってこなくてはならなかったのか、僕にはその経緯や意味や目的をどうしても思いだすことはできなかった。何かが、何かの力が、僕をこの世界に送りこんでしまったのだ。何かしら理不尽で強い力だ。そのために僕は影と記憶を失い、そして今心を失おうとしているのだ。

 つまり、〈僕〉が何のためにどのようにして〈街〉にやってきたかという理由や経緯は不明である。〈僕〉にとっての〈君〉という存在の意味も明示されない。そのような設定があり、〈僕〉は〈僕〉と図書館の女性〈君〉がかつての記憶、そして〈心〉を取り戻そうとする過程が「世界」パートの中心的なモチーフとなる。小説「世界」パートの16章の「冬の到来」でやっと、図書館司書の〈君〉が四歳と一七歳の時の出来事の記憶ををかすかに思い出すことになる。

 これに対して中編小説『街と、その不確かな壁』(以下中編『街』と略記)では、この〈ある地点〉は、〈僕〉が〈十八歳の夏〉の時に〈川縁の草の上〉で〈君〉が〈本当の私が生きているのは、その壁に囲まれた街の中〉と言う地点に該当する。なお、長編小説『街とその不確かな壁』(以下長編『街』と略記)では〈十七歳〉であり、人称代名詞も〈ぼく〉と〈きみ〉という表記に変わっている。

 中編『街』の〈僕〉はおそらくまだ若者であるころに〈君に会いたかった〉せいで〈壁〉に囲まれた〈街〉に行く。長編『街』では一八歳の少年〈ぼく〉は書籍取次会社に務める中年男の〈私〉になり、四五歳になってまもなく〈穴〉に落ちて〈壁〉に囲まれた〈街〉に入る。〈私〉は〈きみ〉に再開する。失われた〈きみ〉に再開するために、〈私〉が〈壁〉に囲まれた〈街〉に入り込むというのが基本的な設定である。

 つまり、中編『街』と長編『街』では初めから、〈私・僕・ぼく〉は、〈君・きみ〉を失った出来事を覚えていて〈君〉と再開するために意識的無意識的に〈街〉を訪れようとするのだが、「世界」パートの〈僕〉はその記憶を失ったままなぜか〈街〉に入り込んでしまい、次第に記憶をたぐり寄せていく。記憶に対する関わり方が大きな違いとなっている。

    (この項続く)


2026年2月1日日曜日

〈夢読み〉―『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台と小説

 今日2月1日、舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の東京公演は終わってしまうが、この後、仙台市、名古屋市、西宮市、北九州市でも開催される。座席の種類によってはチケットがまだ取れる公演もあるようだ。

 YouTubeにこの舞台のプロモーション映像があるので紹介したい。


 舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』プロモーション映像 ロングver.



 今回もまた、1980年の『街と、その不確かな壁』、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、2023年の『街と、その不確かな壁』の三つの作品に共通する《街とその不確かな壁》の物語について述べたい。


 この物語を支える中心的なモチーフは〈夢読み〉だと言えるだろう。 〈壁〉に囲まれた〈街〉の〈図書館〉のなかで〈僕〉は〈古い夢〉を読む仕事に就く。 『街と、その不確かな壁』から引用しよう。

 僕は用意された布切れで古い夢につもったぶ厚い埃を拭ってからその表面に手を置き、目を閉じる。五分ばかりで古い夢は目覚め、僕の手は心地良い温もりを感じはじめる。そして彼らはその古い夢を語る。しかし彼らの話る声はあまりに低く、僕にはそれを殆んど聞きとるとともできない。
 彼らは明らかに語ることには慣れていないようだった。まるで長いあいだ見捨てられていた老人のように突然の日差しにとまどい、そして口ごもった。彼らの目覚めは不確かであり、その放つ光は弱く、そして僅かばかりの時が過ぎると再び深い限りの中に落ちこんでいくのだった。


 〈僕〉が〈夢読み〉であることは、三つの作品で共通しているが、その夢が包まれている器は異なる。

  『街と、その不確かな壁』では、〈図書館の書庫には埃をかぶった何千という古い夢〉の〈大きさはテニス・ボールほどのものからサッカー・ボールまで、色あいも多種多様〉で〈形は殆んとが卵型で、手にとってじっくり眺めてみると下半分が上半分に比べて僅かにふくらんで〉いて〈大理石のようにつるりとした手触り〉である。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、〈古い夢〉は〈一角獣の頭骨〉の中に〈しみこんで閉じこめられている〉。〈頭骨を正面に向け、両手の指をこめかみのあたりにそっと置〉き、〈骨の額をじっと見る〉と〈頭骨が光と熱を発しはじめる〉ので、〈その光を指先で静かにさぐっていけば〉〈古い夢を読みとることができる〉とされる。

 『街とその不確かな壁』では、〈書庫の棚には数え切れないほど多くの古い夢が並んでいる〉とされ、その形態についての具体的な描写はない。書棚の棚に並んでいるということから、書物のような形をしているのかもしれない。

 つまり〈古い夢〉は、ボールほどの大きさで色あいも多種多様な卵型の形、一角獣の頭骨、書籍のような形、というように作品ごとに異なる。今回の舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、一角獣の頭骨が演出上で重要なオブジェとなっていた。明るく輝く一角獣の頭骨やそれを持ってダンスする演出が目を引いた。


 〈夢読み〉とはどういう行為なのか。2023年の『街とその不確かな壁』ではこう語られている。

 ひとつの夢を読み終えると、しばしの休息をとらなくてはならない。机に肘をついて両手で顔を覆い、その暗闇の中で眼を休めて疲労の回復を待つ。彼らの語る言葉は相変わらずよく聴き取れなかったが、それが何らかのメッセージであることはおおよそ推測できた。そう、彼らは何かを伝えようとしているのだ――、私に、あるいは誰かに。でもそこで語られるのは私には聴き取ることのできない話法であり、耳慣れない言語だった。それでもひとつひとつの夢は、それぞれの歓びや悲しみや怒りを内包しつつ、どこかに吸い込まれていくようだった――私の身体をそのまま通り抜けて。


 〈夢〉は〈何らかのメッセージ〉であるが、〈聴き取ることのできない話法〉によって〈耳慣れない言語〉で語っている。夢独自の話法と言語によるメッセージというロジックは、ジークムント・フロイトの『夢解釈』を想起させる。フロイトによれば、夢は無意識の夢思考のメッセージである。私たちの潜在的夢思考から私たちが実際に見る顕在的夢内容が作られる。

 われわれの目には、夢思考と夢内容とは、同じ一つの内容を違う二つの言語で言い表しているように見える。あるいは次のように言ったほうがよいかもしれない。すなわち、夢内容とは、夢思考を違う表現様式の中へと転移させたもののように思われる。われわれとしては、これらの原本と翻訳とを比べ合わせて、書き換えにあたっての記号法と統語法とを学ばなければならないのである。 (フロイト『夢解釈』第6章夢工作)


 夢独自の話法と言語によって夢思考を夢内容に変換するのが夢工作の過程である。夢解釈はその逆をたどる。夢内容を分析し、その話法と言語を明らかにして、夢思考を構築する。フロイトの実践を読むと、夢解釈は複雑で難しく、忍耐と根気のいる仕事であることがよく分かる。

 《街とその不確かな壁》物語の〈夢読み〉である〈僕〉もまたその困難と向き合い、ひとつひとつの夢の〈歓びや悲しみや怒り〉を受けとめようとして、夢を読みとっていく。

      (この項続く)

2026年1月25日日曜日

〈僕〉と〈影〉―『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』舞台と小説

 先日、舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の東京公演を見てきた。  

 原作の村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が、脚本高橋亜子、演出・振付フィリップ・ドゥクフレ、主演藤原竜也でホリプロによって舞台化された。


 この日の東京は厳しい寒さが予想されたので、午後1時過ぎに甲府駅を発った。新宿で降りて、SOMPO美術館の開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」を見た。最も好きな画家、中村彝の「頭蓋骨を持てる自画像」と、三十年ぶりほどになるだろうか、再会することができた。佐伯祐三や松本竣介の名作もあった。新宿という場におけるモダンな絵画の歴史を概観できる展覧会だった。

 新宿を後にして池袋に向かった。会場は東京芸術劇場プレイハウス。午後6時半からの開演だった。




 この舞台について語る前にまず、原作について述べたい。

 村上春樹の長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は1985年6月の刊行だからすでに四十年を超える年月が経つ。僕は刊行直後に読んで感銘を受けた。単行本で六百頁を超える分量、話者兼人物の「私」が語る「ハードボイルド・ワンダーランド」の章と話者兼人物の「僕」が語る「世界の終り」の章が交互に配列され、全四十章で構成されるなど、本格的で実験的な長編小説だった。現在という時代、東京を舞台とする画期的な作品であり、当時はまだ東京で暮らしていたのでこの小説をリアルタイムで愉しんだ。

 「世界の終り」のパートは『文學界』1980年9月号に発表された中編小説『街と、その不確かな壁』が原型となっている。村上はその「世界の終わり」パートに新たに書いた「ハードボイルド・ワンダーランド」パートを複合させて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を作った。さらに2023年4月、『街と、その不確かな壁』を書き直して第一章にした上で第二章と第三章を新たに書き加えて、長編小説『街とその不確かな壁』を刊行した。

 つまり、《街とその不確かな壁》の物語は、1980年の『街と、その不確かな壁』、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終わり」パート、2023年の『街とその不確かな壁』と三度にわたって書き直され、書き継がれていった。


 《街とその不確かな壁》物語は三つのヴァージョンがあるが、その共通するあらすじについて簡潔に述べたい。

 一人称の話者兼人物である〈僕〉が、現実とは異なる世界、無意識の領域にある世界、高い〈壁〉に囲まれた〈街〉の世界に入り込む。その際に自身の〈影〉が門番によって引き剥がされる。〈影〉は人の〈心〉を表している。

 舞台『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では冒頭近くで、〈門番〉が〈僕〉から〈影〉を切り落とすシーンが演じられた。小説ではそれまでの過程が語られるのだが、舞台では突然の出来事としての演出効果を狙ったのだろう。〈僕〉とその〈影〉の切断からこの舞台は始まる。


 〈壁〉のある〈街〉ので〈僕〉は〈君〉に再会することができた。そして、古い〈夢〉を読みとる〈夢読み〉の仕事に就く。(この〈君〉は、現実世界で〈僕〉がかつて愛していた少女であり、ある時消え去ってしまったが、〈街〉の世界で図書館で働いているという設定。この〈街〉の世界では〈君〉も〈影〉、〈心〉を失っている)

 〈僕〉は〈君〉の〈心〉を取り戻そうとするが、それは極めて難しい。その試みをめぐる〈僕〉と〈君〉の交流が物語の中心軸となる。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、〈君〉が自らの〈心〉、自らの過去を想起する契機となるのは、母親が口ずさんでいた音階のある言葉すなわち歌であった。また、歌は「世界の終り」パートと「ハードボイルド・ワンダーランド」パートを媒介するものとなる。「ハードボイルド・ワンダーランド」パートの最後では、〈私〉はボブ・ディランの『激しい雨』を聴きながら深い眠りに入る。

 「世界の終り」パートの最後の場面で〈僕〉の〈影〉は、〈僕〉に対して、一緒に〈街〉から脱出しようと提案する。ここが最後の場面となる。〈僕〉はどうするのか。〈僕〉のこの選択が 《街とその不確かな壁》物語の中心的テーマとなる。

 この結末部は三つの作品で異なる。

 〈僕〉と〈君〉はどうなるのか。〈僕〉はどうすればよいのか。〈僕〉は、〈影〉と一緒に現実世界へ戻るのか、それとも〈君〉と一緒に〈街〉の世界で暮らしていくのか、それとも〈影〉とはいったん離れてから単独で現実世界に回帰するのか。その選択によって物語は変化していく。

      (この項続く)

2026年1月18日日曜日

11月・12月のBe館『見はらし世代』『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』『殺し屋のプロット』

 もう新年を迎えてしまったが、昨年の11月と12月にシアターセントラルBe館で見た映画について書きとめておきたい。


見はらし世代



 監督・脚本、団塚唯我。再開発されていく東京・渋谷の風景を経糸に、ランドスケープデザイナーである父・初(遠藤憲一)、母・由美子(井川遥)、主人公・蓮(黒崎煌代)、姉・恵美(木竜麻生)の家族を緯糸にして、風景と人物の物語が織り込まれている。
 家族再会の場面で天井の電球が落下する瞬間に、物語が転換する。脚本も演出も新しい感覚に満ちていて、ラストシーンも独自の味わいがあった。


ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師



 監督・脚本、トッド・コマーニキ。ドイツの実在の牧師・神学者、ディートリヒ・ボンヘッファーの伝記映画。幼年時代から、ナチスの独裁者ヒトラーをー暗殺する計画に加担し処刑される1945年4月までの人生を追う。第2次世界大戦中のナチス政権に加担した牧師や神学者たちに危機感を抱いた牧師ボンヘッファーは、ナチズムを崩壊させるため「ヒトラー暗殺計画」に加担するが、捕らえられる。実話に基づく極めて厳しい内容の作品だった。 
 大学生の時、哲学の岩波哲男先生の教養演習というゼミ形式の授業で、半年の間、ボンヘッファーのテキストを読んだことがあった。軽井沢のセミナーハウスで夏の合宿もしたので非常に印象に残っている。もともと文学よりも哲学に関心のあった僕にとって、この授業は限界状況におけるキリスト者の倫理について考える契機となった。そういう経緯からこの映画には特別の関心があったのだが、特にボンヘッファーの最後の姿に胸を打たれた。


 ザ・ザ・コルダのフェニキア計画


 ウェス・アンダーソン監督。ヨーロッパの富豪ザ・ザ・コルダが娘で修道女のリーズルとともに、架空の大独立国「フェニキア」のインフラを整備する大プロジェクトを進めようとする。
 様々な出来事が起きるのだが、それぞれのプロットの最後がほとんど省略されて描かれない。全体の展開がよく分からないままフィナーレを迎えるのだが、とりあえずハッピーエンドといったところだろうか。本物の美術作品をたくさん使った演出がとても豪華だった。物語よりも映像そのものを純粋に見ることを愉しむ作品だろう。


殺し屋のプロット


 監督・主演・製作、マイケル・キートン。急速に記憶を失う病によって数週間以内にすべてを忘れてしまうという運命の殺し屋ジョン・ノックスは、息子のマイルズが娘をレイプした男を殺した罪を隠すために人生最後の完全犯罪に挑む。
 考え抜かれた脚本ときめ細かい演出によって、優れたサスペンス映画になっていた。エンディングのシーンでのおそらくすべての記憶を失ってしまった男の表情が印象深かった。


 2025年5月のシアターセントラルBe館の再開の後、年末までに24本の映画を見たことになる。この映画館のセレクトが素晴らしく、どの映画も十二分に愉しむことができた。2026年も、甲府の街中の映画館に足を運び、スクリーンで見ることにこだわっていきたい。



2026年1月11日日曜日

「短く 鮮やかに 土橋芳次回顧展」南アルプス市立美術館


 画家土橋芳次(1908~38年)の回顧展「短く 鮮やかに 土橋芳次回顧展」が、南アルプス市立美術館で開催中である。

  1908年、土橋芳次は甲府市富竹で生まれた。県立農林学校を卒業後、独学で洋画を描き始め、34年に上京して本格的に洋画を学んだ。36年、甲府市内で第1回個展を開き、同年の文展で初入選して、山梨県内の洋画家として頭角を現した。37年に山梨美術協会の創立会員となり、第2回個展が開催された。しかし、1938年病気により29歳という若さで亡くなった。この回顧展のテーマが「短く 鮮やかに」となったゆえんであろう。


 土橋の絵を初めて見たのは、昨年2024年、山梨県立美術館で開催された「山梨モダン 1912~1945大正・昭和前期に華ひらいた山梨美術」展の時だった。1937年の作品「美ヶ森」に魅了された。「美ヶ森」は八ヶ岳の尾根にある標高1500mほどの小高い丘。その丘に洋装のモダンガールが二人佇んでいる。咲き乱れる花々。向こう側に広がる高原。遠方には山脈の連なりが見える。山梨の壮大な風景とモダンで繊細な感覚が見事に融合した美しい優れた絵画だった。

 実はこの展覧会の時に、私のゼミで「Kポップと韓国社会」というテーマで研究をしていた女子学生が土橋の曾孫であることを知った。もともと、この女子学生の母(土橋の孫)が県立文学館で私の同僚であったという縁もあって、私のゼミに入ることになった。そういう関係も手伝って、私はこの画家に非常に興味を持った。


 南アルプス市立美術館の回顧展では、土橋家から寄贈された作品を中心に約60点の絵画や資料が展示されている。代表作の「お花畑」(1937年から1960年頃まで旧甲府駅舎の壁に掲げられていた。戦中は「出征兵士を送る絵」とも呼ばれていた)と「美ヶ森」の他に、山岳や高原を描いた風景画、コラージュ作品を載せたスケッチブック、新聞の連載記事や挿絵などが展示されていた。(同館のHPからフライヤーの表の画像を添付させていただきます)




 「お花畑」も「美ヶ森」と同様に、二人の女性、花、高原、連山が描かれている。高原と洋装の女性という不思議な取り合わせがモダンな雰囲気を醸し出している。モデルとなった女性によると、一週間ほど美ヶ森に出かけて描かれたそうである。美ヶ森は八ヶ岳の尾根にある標高1500mほどの小高い丘。レンゲツツジの群生や南アルプスの山々の眺望で知られている。

 「お花畑」や「美ヶ森」は、この山梨という場の中で、近景に〈花〉、近景から中継にかけて〈女性〉、中景から遠景にかけて〈高原と山〉という三つのモチーフから成り立っている。その三つの要素が写実的に遠近法的に描かれるのではなく、コラージュ的な組合せによって構成され、一つの空間の図として表現されている。時代的な制約を超えた独自性のある構図と描法である。


 この展覧会にはすでに二回ほど訪れたのだが、二回目は私の義母も一緒だった。義母は甲府駅に飾られていた「お花畑」のことを鮮明に覚えていて、再会することを楽しみにしていた。会場でおよそ60年ぶりに見た画と記憶の中にある画は完全に一致したそうだ。この「お花畑」には人々の記憶に何かを刻み込む力があるのだろう。

 2月8日(日)まで開催されているので、機会があったらぜひご覧になっていただきたい。


2026年1月3日土曜日

破魔弓や山びこつくる子のたむろ  蛇笏


 新年になると想い出す句がある。

  以前、芥川龍之介の〈元日や手を洗ひをる夕ごころ〉について書いたことがあるが、今日は、飯田蛇笏が正月の風景を詠んだ次の句を紹介したい。


  破魔弓や山びこつくる子のたむろ  蛇笏


 蛇笏が「雲母」昭和二年二月号の「山廬近詠」で発表した十三句のうちの二番目の句である。時節から題材は年末年始に関するものが多い。

 正月。神聖な破魔弓に守られるようにして、子供たちがたむろをつくり、その声が山びことなってこだましている。

 このような山国の情景が伝わってくる。蛇笏の住む村の子供たちの姿を描いたものだろう。そのなかには蛇笏の子どもが含まれているかもしれない。破魔弓は、弓の弦を鳴らす音には邪気を払う力があるという古来の教えから、男の子の健やかな成長と災厄から守るお守りとして、12月中下旬から1月中旬頃まで飾られる。


 飯田蛇笏と芥川龍之介は大正12年から手紙の交流や書籍の贈呈をするようになった。

  龍之介は〈春雨の中や雪おく甲斐の山〉という句を蛇笏に贈っている。〈春雨〉は冬から春へと移り変わる時期に降る霧雨。春が近づきつつある季節に〈甲斐の山〉には残雪が置かれている。この残雪を置く高峰、峻厳な山には、孤高の存在としての飯田蛇笏が重ね合わされている。蛇笏はおのれのなかに残雪のようなもの、厳しい冬の残像を抱えた孤高の俳人だと龍之介は感じていたのではないか。さらに言うと、龍之介が青年時代からの数回にわたる山梨への旅で実際に見て感銘を受けた甲斐の山々の記憶も刻まれているだろう。

 蛇笏は明治18(1985)年生まれ、龍之介は明治25(1992)年生まれ。七歳ほどの違いがあるが、俳句そして甲斐の山の風景を通して、この二人の間には深い心の交流があった。


 昭和2年4月10日、龍之介は蛇笏に宛てたの書簡で、「破魔弓」の句について〈人に迫るもの有之候。ああ云ふ句は東京にゐては到底出來ず、健羨に堪へず候〉と書いている。

 「破魔弓や」の句からは子供たちの生命力あふれる声が聞こえてくる。新年という新たなものが始まる季節。子供たちの元気な声が山々に反響し、山国の厳しい冬に暖かさや明るさをもたらす。龍之介は子供たちの命の声による〈山びこ〉に〈人に迫るもの〉を感じとったのではないだろうか。

 龍之介が東京と山梨という場の差異を意識して〈東京にゐては到底出來ず〉と率直に述べたのは、青年時代から何度が山梨を訪れ、山梨という場、土地の雰囲気、山々の風景をある程度まで実感として受けとめていたからであろう。〈健羨に堪へず〉は単なる儀礼ではなく、龍之介の本心からの言葉だと思われる。

 筆者は、龍之介の〈春雨の中や雪おく甲斐の山〉と蛇笏の〈破魔弓や山びこつくる子のたむろ〉との間に、〈山〉を媒介とする交響のようなものを感じる。蛇笏の「山びこ」は龍之介の記憶のなかの〈甲斐の山〉を想起させた。これは無意識の作用かもしれない。


 龍之介は東京と山梨の生活や風景の違いをかなり意識していた。

 大正十五年刊行の『梅・馬・鶯』では七十四の代表句を自ら選んでいる。実はこのなかで都道府県相当の名が句に詠まれているのは、〈木がらしや東京の日のありどころ〉と〈春雨の中や雪おく甲斐の山〉の二句だけである。この東京と甲斐(山梨)という選択と対比にも龍之介の意図を読みとってしまうのは筆者の考えすぎだろうか。


【付記】これまで芥川龍之介については、〈芥川龍之介の偶景〉と〈芥川龍之介(偶景以外)〉の二つのラベルに分けていましたが、〈芥川龍之介の偶景〉に統一します。(過去に遡って変更しました)