2025年12月21日日曜日

見えない銀河を渡ることにしよう[ここはどこ?-物語を読む 12]

  平野や西側が海という場所に住んでいる人には意外だろうが、山梨では真っ赤な夕陽は沈まない。 太陽は赤くなる前に西の山に沈んで、それから山の端からせり上がるように夕焼けが広がる。だいぶ昔のことだが、関東平野にある県に住むことになって、初めて丸くて赤い太陽が地平線に沈むのを見たとき、ああこれが夕陽というものかと思った。そもそもそれまで地平線を見たこともなかった。

 山がすっかり闇に飲み込まれてしまうと、空は月と星の時間になる。冬の空気はピリリと冷たいが、星を見るのは冬がいい。年のせいかだいぶ目が効かなくなっていて、カシオペアやオリオンなど見つけやすい星座しか見つからないが、それでも見つけられると嬉しくなる。


 さて、銀河である。 残念ながら、街の明かりのせいか、こちらの視力の問題か、肉眼で夜空に銀河を見つけることはできない。 子どもの頃は見えていたかと考えてみたが、あれが銀河だと確信した記憶はない。銀河のイメージはプラネタリウムやテレビの番組の望遠鏡の映像などによって作られた二次的なものでしかない。中国や日本の古典には天の川がよく出てくるから、昔の人は実際肉眼で見ていたんだろうが。

 何でも年のせいにするのはどうかと思うが、「銀河」を歌いこなすことができない。

 問題は「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」である。一回目はクリアしても四回も繰り返しているうちにほぼつまずく。口も舌も回らないのだ。

 ところで、この「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」はなんだろう。真夜中二時過ぎに街を逃げ出す二人の足音と考えるのが普通なんだろうか。では次の「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」(心なしかこちらの方が歌いやすい)は何か?  走り続けた二人の吐く荒い息が立ち止まった丘の上で闇の中に白く浮かぶ様だろうか。

 歌詞の中にはこの二人についてほとんど説明がないから、例によってはっきりしたことは言えない。 わかっているのは二人が真夜中に街を逃げ出したことだけ。二人で手に手を取って逃避行。駆け落ちなのか?  いや、二人が恋愛関係にあるとは限らない。青春時代、閉塞的な社会から逃げ出したい友人同士かもしれないし、因習的な家制度から逃げてきた親子かもしれない。無実の罪を着せられそうな男とその日に出会ってなぜだか巻き込まれてしまった他人というミステリー仕立てもできないことはない。これは聴き手が自由に想像すればいいのであって、面白い設定を想像できたら、隣で志村正彦がニヤニヤしてくれそうな気もする。


 しかし、問題はここからだ。二人の行く先は「UFOの軌道に乗って」「夜空の果て」までなのである。いきなりジャンルがSFになってきたではないか。こうなると二人の設定も修正が必要になるかもしれない。なぜ逃避行しなければならないかも地球規模になる。人類滅亡を防ぐためとか。宇宙のどこかに閉じ込められている誰かだけが二人を救う方法を知っているとか。空を飛んで旅をするとなれば宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や松本零士の「銀河鉄道999」のイメージも浮かぶ。

  夜空の果てに何があるのか。UFOは敵か味方か。 二人の行く末は吉か凶か。何もかもわからないまま、しかし、二人は宇宙へ旅立ったのだろう。


  きらきらの空がぐらぐら動き出している!

  確かな鼓動が膨らむ動き出している!


 これはつまり二人がUFOに乗り込んだということなのではないか?だから空がぐらぐら動き出しているのだ。

 そうなると「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」も「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」もUFOに乗り込むための呪文のようなもの(言葉ではなく動作みたいなものかもしれない。ダンスとか)に思えてくる。それができた人だけUFOに乗ることを許される。二人はきっと淀むことなく難関をクリアして、UFOで夜空を渡っていくのだ。 


 歌いこなすことができない私はたぶんUFOに乗せてもらえないだろう。  せめて想像の翼で夜空の果てまで向かう二人を追いかけ、見えない銀河を渡ることにしよう。