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2019年2月4日月曜日

青柳拓監督『ひいくんのあるく町』

  一昨日、青柳拓監督の映画『ひいくんのあるく町』を見た。

 24歳の若き監督が日本映画大学の卒業制作で撮ったドキュメンタリー作品である。一年半ほど前に公開され地元の山梨で話題となったが、なかなか見る機会がなかった。この日は富田克也監督の『Furusato2009』とのカップリング上映会。富田監督は「山梨」という場をモチーフとする優れた作品『国道20号線』『サウダーヂ』で知られている。この機会を逃してはならないと会場の「へちま」へ出かけていった。「へちま」は甲府の中心街にある小さな複合文化施設。30人ほど入れる3階のホールで上映が始まった。




 『ひいくんのあるく町』冒頭シーン。
 カメラは小高い場所に構えてある。
 視野の下方には甲府盆地、遠く向こう側には高い山々がそびえ立つ。映画の舞台は、山梨県の「市川三郷町」という甲府盆地の一番南西にある町。この町名は三つの町が合併してできた名前なので、もともとこの地域を指す「市川大門」の方がしっくりする。この街には昔から和紙と花火という産業があり、賑わいや風情があったが、近年は過疎化が進みシャッター街が広がっている。
 僕の父母の故郷はこの町よりもさらに南に下った山間の地にあるので、幼い頃から親戚に会うために年に一二回にすぎないがこのあたりの道路を通っていた。だからこの町や周辺の山々の風景には馴染みがある。現在は中部横断道という高速道路ができて通過点になってしまったが、いつかまたこの町を通ってみよう。

 カメラは下方の町に降り立つ。
 通りを一人の男性が歩いている。この映画の主人公「ひいくん」だ。町を歩く彼の「まなざし」を監督の「まなざし」が追いかけていく。
 この映画について具体的に触れるのは控えたい。上映の機会は少ないのだろうが、公式HPの情報を参照して機会があればぜひ鑑賞していただきたい。ドキュメンタリー映画として極めて優れた、そして心を動かされる作品である。山梨のある町を舞台としているが、世界のどの場所にもつながっていく普遍的な映画である。

 上映後、監督の富田さん、青柳さん、『Furusato2009』主演の鷹野毅さん、「ひいくん」渡井秀彦さん、『ひいくんのあるく町』撮影者の山野目光政さんによるトークがあり、映画に深く関わるある奇跡のような物語が披露された。触れずにはいられない素晴らしい話なのだがここに記すことは控えたい。当事者や監督たちがどこかに書かれることを待ちたいと思う。

 一つだけ記しておきたいことがある。

 「ひいくん」がスクリーンに登場した瞬間、どこかで会ったことがある、という想いが去来した。もちろん現実に会ったのではないが(だろう、を加えなくてはならないかもしれないが)、記憶の中の断片が揺れて、彼の表情が浮かび上がってくるような不思議な感覚にとらわれた。どこか懐かしい。失われてしまっているようだが失われていない。そんな感覚と記憶だ。

 どうしてそう感じたのか。かつてはどの町にも彼に似た存在がいた。町を歩き人と語る。そのような光景が日常をなしていた。その存在が大切な何かを町という場に与えていた。理屈を付ければそう書くことができるかもしれないが、そのような理窟を超えて、この映画にはかけがえのないものがあふれていた。

 映画とは「まなざし」が「まなざし」に出会う物語である。かけがえのない「まなざし」は失われることがない。


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