昨日、ページビューが20万に達した。このblogが実質的に始まった2013年3月から5年以上が経ち、記事数は300を超えた。
拙文を読んでいただいている方々には深く感謝を申し上げます。
志村正彦はかつて、自分が聴きたいと思う曲を他ならぬ自分が作り出すことが作詞作曲の原点だったと述べていた。『茜色の夕日』についての貴重な証言でもある。「志村正彦LN21」(2013/4/27)で一度引用したことがあるが、再度ここで紹介したい。
色々なアーティストの感動する曲があって
そういう曲ってすばらしいなあと思いつつも
あの、ちょっと自分じゃないような感じがするんすよね。
100パーセント自分が聴きたい曲ってないかなと
ずっと探っていたんですよ。てっ時にもうなくて。
自分が作るしかないってことに、行きついたんですね。
『茜色の夕日』って曲を作ってかけてみたんですよ、ステレオに。
そうしたらすごい、あっこれこれ、この感じって感動して、自分で。
で、そういうのを毎回求めて作ってしまうんです、曲を。
(2004年 タワーレコード渋谷店でのインタビュー )
何かの想いや衝動にかられて自分で曲を作ることと、自分が聴いてみたい曲を誰か他者ではなく自分で作り出すこととは決定的に異なる。人が表現者になる際には、やむにやまれぬ表現への欲求が原動力となることが多い。しかし志村正彦の場合、そのような意味での表現への欲望や衝動はあまり強くはなかったのではないだろうか。それよりも作品そのものに対する欲望や感受性が深まっていった。聴き手、作品の享受者としての審美眼や選択眼が磨かれていった。作品についての関係の在り方が能動的というよりも受動的であったとも言えよう。これはあくまで断片的に残されている資料からの推測であるが。
特に私的な経験を素材とする作品の場合、単純な自己表出に終わってしまえば、作り手側の自己が現れてきてもそこで止まってしまう。聴き手側に届いてこない。音源を聴いても作り手は向こう側にてこちら側に近づいてこない。聴き手は置き去りにされている。そのような経験はないだろうか。
現在、日本語のロックやフォークが衰退しているのは、この種のあまりに閉じられた歌が多いことにある。その反面で「きずな」や「つながり」を聴き手側に届けようとする作品も、それらのキーワードが具体性や状況を欠いていて、あまりに紋切り型で現実感がない。前者と同様に後者も閉じられている。
志村が述べる「聴き手」とは自分自身であり、一般的な聴き手、現実の聴衆ということではない。聴き手としての自分が作り手としての自分を作り出す。そこに対話が生まれる。逆に、作り手としての自分が聴き手としての自分に問いかける。その繰り返しによって作品が練り上げられていく。楽曲の質が高まり、言葉が深まる。
自分の内部に優れた聴き手がいなければ優れた作品は成立しない。しかし、この過程は悦びであると同時に苦しみでもあるだろう。彼が曲作りに苦心したのは、聴き手として満足できる水準について妥協することがなかったからだろう。当然それは高度な次元のものだった。作品への欲望について譲歩することはなかった。彼にはそれに応える自恃や自負があった。2000年代の音楽状況で次第に熱心な聴き手は増えていった。しかし、一部の優れた音楽批評家やジャーナリストを除いて、彼の作品の独創性が正当に評価されたとは言えない。それでも彼はそのような状況に対して孤独に闘っていた。
紹介した発言を再び引用したのは、この言葉がこのblogを続けてきた僕にずっと作用し続けていたからだ。彼の発言に倣って今回は率直に記したい。志村の作品と比べようもないが、僕の拙い文も、志村正彦やフジファブリックについて自分が一人の読者として読んでみたいモチーフや問いが原動力となった。読み手としての自分が書き手としての自分を促してきた。これからも自分が読んでみたいことを探しながら書いていきたい。
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