公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の申込

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込・先着90名/内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて演じます)・下座(三味線)エイコ

申込方法

右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2016年1月31日日曜日

ベルリンの富士山

 ベルリンには富士山がある。

 前回、ポツダム広場について書いて、そのことを想いだした。広場の中心地にある「ソニー・センター」の屋根が「富士山」の姿に似ていることが知られている。

 2000年の秋。ベルリン三日目の朝、僕と妻の二人はクーダム近くのホテルを出て、Uバーン(地下鉄)に乗り、ポツダム広場駅に向かった。駅から地上に上がると、まだまだ再開発中のモダンな街の光景が広がる。見渡すと、高層ビルの隙間からわずかに「富士山」に似た稜線が現れる。しかし近すぎて、全貌が見えない。たどり着いて下から眺めると、巨大な円錐形のテントで覆われているようにしか見えない。

 センターに入ると、映画館(ベルリン映画祭の会場にもなっている)やレストランなどの商業施設が並んでいる。当時は懐かしの「AIBO」ロボットや最新の「PlayStation 2」が展示されていた。ここにはソニーのヨーロッパ本社もあった。(ソニーの苦境により、すでにこのセンターは売却されてしまったそうだが)

 見るべきものは特にないので外へ出て、すぐ近くにある文化フォーラム内の絵画館の方へ歩いていく。その広場から振り返ると、ポツダム広場中心のビル街の合間から、本物の富士山でたとえると五合目くらいまでの富士山の形が綺麗に見えた。
 ベルリンの富士山にやっと出会うことができた。

 写真も撮ったのだが、鮮明ではない。ネットで探してみると、旅行会社JTBのサイトに、美しくライトアップされた画像があった。JTBの旅行情報の引用として、ここに添付させていただきたい。


JTBのHP(http://www.jtb.co.jp)から


 もう一つ、音楽との関わりで印象深い出来事があった。
 ポツダム広場近くの文化フォーラムはもとの西ベルリン地域にあり、ベルリンフィルハーモニーの拠点である不思議な形をした黄色の大きな建物、「カラヤン・サーカス」がある。ぶらぶら歩いているとホールの入り口が見えた。まだ午前中で辺りは閑散としていたが、ドアは開いているように見えた。思い切って入ることにした。もしかしたらホールだけでも見学できればと期待したからだ。

 中に入るとチケット売り場があった。その上の表示板を見ると、今日のコンサートに「満員」の表示が出ていないことに気づいた。おそるおそる、ドイツ語に英語が混じった訳の分からない言葉で尋ねてみると、1人ずつの別の席なら用意できるとのこと。演目は、マリス・ヤンソンス指揮のバルトーク『ヴァイオリン協奏曲第2番』、客演はギル・シャハム。僕はクラシック音楽はあまり聴かないのだが、ベルリンフィルを本拠地で聴ける機会はなかなかないので、購入することにした。

 チケットは真ん中の11列目とやや左側の3列目という素晴らしい席、しかも95マルク(4500円程度)と非常に安い。会員席のようなチケットがキャンセルとなり売り出されたのかもしれない。街を歩き回ると、時々、このような幸運に恵まれることもある。
 その後、さらに西の方に歩いて下り、バウハウス展示館を見ていったんホテルに帰り、ちょっと良い服に着替えてホールに再び向かった。

 僕にはバルトークの曲やベルリンフィルについて語る知識も能力もない。音楽そのものとホールの音響に圧倒されたと記すことができるだけだ。
 建物の五角形の形に合わせてアリーナ形式の座席が広がる。その中心にステージがある。これまで経験したことのない音の反射、残響だった。大げさでなく、四方八方から音の重厚な響きに包まれた。クラシック音楽の場合でも、音楽はそれが演奏される「場」と切り離せないということを痛感した。

 もう一つ音楽そのものからは離れるが、忘れられない光景があった。幕間の休憩時間、ホワイエに聴衆がたくさん集まってきた。「ベルリンのエスタブリッシュメント」という感じの中年の紳士淑女が綺麗に正装して、シャンパンを飲み歓談していた。映画の1シーンのようだった。僕たち二人の日本人はいかにも場違いな雰囲気だった。彼らと僕たちのとの間には「見えない壁」のようなものがあった。考えすぎなのかもしれないが。

 欧州では今でも(少なくともオーケストラの本拠地のホールでは)、クラシック音楽はある種の「階級」が支えているという実感を持った。そのことは日本ではあまり可視化されない。
 このような経験も旅のもたらす貴重な出来事だろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿