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2016年1月24日日曜日

we could be heroes

 今朝の朝日新聞「世界はうたう:アンコール」は、デビッド・ボウイ「ヒーローズ」を取り上げていた。(2016年1月24日05時00分、デジタル版)

 1987年6月6日、ベルリンの壁近くにある国会議事堂前の広場で、ボウイの野外コンサートが開催された。単なる事実としてしか知らなかったこの日の様子を、この記事で初めて知ることができた。

 当日、スピーカーが壁の向こう側にも向けて設置され、東ベルリンの大勢の若者も壁の近くに集まってきたそうだ。その一人が「あの時、壁越しにデビッド・ボウイの歌声をはっきり聞いた」と語っていた。ベルリンの壁の西と東で、聴衆が壁と向き合うように立っていたことになる。ベルリンの壁崩壊の二年半ほど前の出来事だ。

 「ヒーローズ」自体は1977年にリリースされた。



 
 ベルリンと関わりのある部分の歌詞を引く。

   I, I can remember
   Standing, by the wall
   And the guns, shot above our heads
   And we kissed, as though nothing could fall
   And the shame, was on the other side
   Oh, we can beat them, forever and ever
   Then we could be heroes, just for one day

 引用したブロックの4行目まではおおまかに覚えていた。「the wall」「the guns」「kissed」、喚起力の強い言葉が並んでいる。この「we」は、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティと当時の恋人であったドイツ女性の二人から着想を得ているそうだ。二人の逢瀬と「ベルリンの壁」がモチーフとなっている。

 5行目の「the shame, was on the other side」という一節は全く抜けていた。この「the other side」という言葉と、今朝の新聞記事が伝えた壁崩壊前の状況とが何となく結びついてしまう。「the other side」は何を指し示しているのか。具体的な状況としては、やはり、壁の向こう側と捉えることができるのか。あるいは違う背景があるのか。そもそも、「the shame」の意味が難しい。

 さらに、このブロックでは「we could be heroes」と歌われていることに、迂闊にも初めて気づいた。この歌ではすべて「we can be heroes」と繰り返されていると思いこんでいた。僕の拙い英語力でも、「can」と「could」ではニュアンスが異なることくらいは分かる。一般的には「could」の方が実現の可能性は低くなるだろう。(ここで明確に説明できる能力はないが)

 全体を通じて、「ベルリンの壁」という当時の現実、そしてその後起きた「ベルリンの壁」崩壊という(当時からすると未来の)出来事から遡行して考えてみると、「heroes」の意味が多義性をおびる。ある種の予言性すら感じとれる。

 この記事で、ドイツ外務省がツイッターに次のメッセージを出したことも知った。

Good-bye, David Bowie. You are now among Heroes. Thank you for helping to bring down the wall.
 「さよなら、デビッド・ボウイ。今やあなたは『ヒーローズ』の仲間入りだ。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」

 「we could be heroes」が本当の現実となり、ボウイが「we」の一人になったということだろうか。それにしても、政府が公式ツイッターで言及するのには驚く。欧米の社会でロック音楽の持つ影響力にも。

 ルー・リードの『ベルリン』(1973年)やボウイのベルリン三部作に影響され、若い頃から、ベルリンは最も訪れてみたい外国の街だった。

 2000年、20世紀の終わりの年に初めてベルリンに行った。
 わずか三日間だったが、街を歩き回った。ベルリン三部作の拠点ハンザ・スタジオはポツダム広場近くにある。戦後、この広場は廃墟と化していたが、東西ドイツ統一後、ベルリンが再び首都になり、この地帯は新開発の中心地となった。
 すでに新築のモダンな高層ビルが林立していたが、広大な空地にはまだ巨大な建築クレーンがたくさん並んでいた。その光景をよく覚えている。


 2009年に再び訪れることができた。
 ポツダム広場周辺の開発はすでに終わり、街は完成していた。そのあたりは未来都市のような風貌に変わり、ベルリンの壁の痕跡など消えてしまっているかのようだった。

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