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2014年10月21日火曜日

季節の中の『赤黄色の金木犀』 [志村正彦LN92]

 先週の木曜日。富士の初冠雪。その日の夕暮れ、西側から陽が当たり、富士が赤く照り返されていた。
 甲府盆地からは夕暮れ時の「紅富士」が、やや遠景ではあるのだが、時に現れる。青黒い御坂山系に遮られて、富士は半分ほども見えないのだが、その白い肌が薄赤く染まる。台風も過ぎ去り、空の青も透き通っていた。彩りが美しい。甲府盆地からやや南西側にある富士山の位置がこの幸いをもたらしている。
 富士が雪化粧をすると、秋を通り越し、冬が近づいている実感を持つ。

 一月近く前になる。9月の下旬、甲府でも金木犀が香りだした。
 昼間、勤め先の近くで、香りをのせた風に包まれた。見渡しても、金木犀の樹は見えない。少し歩くと、香りが強まったり弱まったりする。強まるあたりで金木犀を探しても、見えない。香りをたよりに歩行を続ける。しかし、相変わらず樹の姿は見えない。探すことをあきらめて立ちつくす。樹の姿が現れないからこそ、風景が金木犀に染め上げられる。
 一週間ほど経つと、金木犀の香りは消えてしまった。香りの命は短く、目に見えない金木犀の風景も過ぎ去ってしまう。

 十年前の2004年9月29日、『赤黄色の金木犀』シングルCDがリリースされた。その日の前後、このことに触れたツイートが多かったようだ。十年という時を経てもますます、この作品は秋の季節の歌として聴き継がれている。
 ミュージックビデオの監督スミス氏も「懐かしい」と呟いていた。このMVは出色の出来映えだ。長野県上田市でロケされ、同一のポジションで撮影したシーンをつなげていくという作業を経て完成した。撮影と編集の作業そのものが、秋の日の時の流れを感じさせる。この季節に久しぶりに見ることにした。

 二十四歳の志村正彦はやや暗い眼差しでこちら側を見つめている。珍しく、視線はまっすぐなのだが、それでもやはり少しだけ傾けているのが彼らしい。クリーム色のテレキャスターを弾き、歌いかける。独自の言葉の世界が広がっていく。
 イントロとアウトロのギターの旋律は、金木犀の香り、どこからとも流れてくる風に乗った香り、その目には見えない動きを奏でている。ギターリストとしての彼の才能を感じさせる。

 今、巡回中のフジファブリックの LIVE TOUR 2014 "LIFE"の仙台公演で、『赤黄色の金木犀』が演奏されたそうだ。2010年7月、「フジフジ富士Q」でクボケンジが歌った以来のことになるのだろう。山内総一郎がどのように歌いこなしたのか、興味深い。志村正彦を離れて、この歌はどのように聴き手に伝わっていくのか。そのことに関心がある。『赤黄色の金木犀』は、志村の作品の中でも最も彼らしい言葉の世界を構築しているからだ。

 季節の感覚が薄まりゆくこの時代、金木犀という花の香りや『赤黄色の金木犀』という歌の響きによって、私たちファンは、秋という季節を感じ、秋という季節を想っているのかもしれない。

 (この項続く)

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