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2014年2月5日水曜日

a flood of circle ・ 曽根巧、山梨のHangar Hallで。

 2月2日夜、a flood of circleのライブに初めて行った。
「Tour I'M FREE "AFOCの47都道府県制覇!形ないものを爆破しにいくツアー/行けばわかるさ編"」という長い題名のツアーが、山梨のHangar Hallであった。

 a flood of circleのサポートギターは、あの曽根巧だ。彼のツイッターでこのライブの情報を得た。a flood of circleの存在を初めて知ったが、録画しておいた「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013」に映像があることに気づき、早速見てみた。
 曽根巧のギターが素晴らしい。ストレートにぐいぐいと観客を押してくるバンドのスタイルにも好感を持った。ただし、かなりの「爆音」が予想され、「おじさん」としては「参戦」にためらいがあったが、曽根巧、そしてa flood of circleの生演奏を地元で聴く機会など滅多にないだろうから、思い切って行くことにした。

 曽根巧は、クボケンジや志村正彦とのゆかりがある。2012年12月24日、富士吉田市民会館の前の駐車場に人々が自然に集まり、みんなで『若者のすべて』のチャイムを聴いた時も、クボケンジ、片寄明人・ショコラ夫妻と一緒に聞いていた。(「山梨日日新聞」13年1月8日付の記事参照) 私もあの場にいたので、何となく親しみを感じている。

 1月の佐々木健太郎に続き、このところ山梨で志村正彦と関わりのあった音楽家のライブが多い。(1月12日には桜座で、『共騒アパートメント』吉野寿(eastern youth)・向井秀徳(Zazen Boys)があった。興味深いライブだったので追って書いてみたい)山梨にもこのような企画が多くなって、いろいろと困難なこともあろうが、担当者に感謝している。
 私の中のライブ熱ともシンクロしているようで、とても有り難い。

 Hangar Hallには初めて出かける。甲府盆地の南の果てといった場所にあり、甲府の中心街からは車で30分以上かかる。このあたりは田園地帯だったが、最近は商業施設が多くなって、プチ市街地化しているので、ライブハウスの運営もできるのだろう。

 開演ぎりぎりの6時少し前に到着。暗がりの中に、円筒を半分切ったようなユニークな建物の光が浮かびあがる。中に入ると、カウンタースペースには水路があり、かなり洒落た雰囲気だ。
  ドリンクを取るまもなく、ライブが始まる。想像以上の爆音。圧倒される。ただし、爆音とは言っても、演奏の技術が高いので、耳障りではない。入り口近くの袖の場所で見ていたので、音圧も少しかわすことができた。客は百人ほど(山梨でこの数字は悪くはないだろう)。ほとんどが若者で、流行りのスタイルで弾けている。熱狂の渦から少し離れて眺めているのも悪くはない。

 ボーカル・ギターの佐々木亮介はしきりに「ヤマナシ!」と叫び、煽る。客も応える。a flood of circleは、聴き手とのコミュニケーションを大事にしている。MCを通じて伝わる佐々木亮介のキャラクター。あたたかみのある雰囲気だ。女性のベーシストHISAYO、ドラムス渡邊一丘も、激しいが柔らかさのあるリズムを打ち出す。

 曽根巧は写真で見るよりもたくましい感じ、年齢のせいか、良い意味での安定感がある。小さなライブハウスなので、各楽器の音が重なってしまい、音のクリアさが少し失われるのが残念だったが、それでも、曽根巧の鋭くて重いギターの音色を堪能できた。ギターリストの本質はその音色に現れる。時々、弟分?の佐々木を見つめていたが、その眼差しは優しかった。

 このようなスタイルのロックは、「aggressive」な音楽と捉えられるが、彼らは「攻撃的」「暴力的」というより、「活動的」「意欲的」な意味での「aggressive」さを持つ。
  英米の社会や文化の文脈では、ロックバンドの「aggressive」な在り方の対象は明確だが、日本ではそれが曖昧だ。形ばかりの「aggressive」を売り物にするバンドがあるのは滑稽だ。
 しかし、爆音の渦から時折聞こえてくる歌詞の断片から、a flood of circleは、自分たちの向かう対象を見定めながら歌を作っているような気がした。(彼らの作品を聴きこんでいないので、あくまで直感的感想だが)

 ニューアルバムの題名曲(このツアーの題名でもある)『I'M FREE』では、歌というより、詩の朗読のように、モノローグ風に言葉が語りだされる。

 I'M FREE I'M FREE I'M FREE I'M FREE
 I'M FREE 見りゃわかるだろ 俺に価値などないよ 生も死も俺のジャッジメント


 「FREE」は「自由」だと普通は解釈される。日本語の文脈では、「自由」はひたすら肯定的な価値を持つ言葉だ。脳天気に「自由」が謳歌される。しかし、佐々木(彼は外国育ちで、英語が堪能なようだ)は、「FREE」をこの言葉の原義に近い、「何ものからも離れている」というような意味合いでで使う。この「何ものか」には世間で言われる通常の「価値」も含まれている。だから、「価値からも離れている」という「FREE」の究極の意味として、「俺に価値などないよ」という言葉が立ち上がってくる。

 I'M FREE 成功だと?金の話か?ギャラか?印税か?ミュージックに価値はあるか?
 もともと価値なんかないもんだと言ったボブディランを信じる


 音楽にはもともと価値などないとディランは発言したそうだ。音楽に価値がないということは、佐々木の文脈では、音楽は価値からも離れていなければならない、ということになるのだろうか。それが、音楽自身の「I'M FREE」だ。
 「FREE」の本質は「運動」だ。いわゆる「自由」からも、「価値」からも、何ものからも離れて、転がる石が転がり続けるように、永遠に運動し続ける。

 a flood of circleのこのツアーは「47都道府県制覇』とあるように、全国を転がり続けるようだ。山梨の前夜は岩国、その前が静岡だったらしい。静岡→岩国→山梨、何という大移動!。並のバンドにできることではない。
 徹底して現場にこだわるのは、今までのライブの常識から離れた「FREE」の姿勢とも言える。地方では1会場100人位だとしても、大都市や日比谷野音もあるので、動員は7000人を超えるだろうか。音楽業界が厳しい状況にある中、このようなライブを貫くことも、ネットとは異なる形での、音楽を支える新しいスタイルになるだろう。

 冬にしては温度の高い日々が続いた。それにつられるように、Hangar Hallのホール内もかなりの熱気を帯びていた。終演後、外に出る。日没後の冷たい外気に包まれ、爆音と言葉で火照った頭と身体が冷やされる。「I'M FREE」、佐々木亮介の言葉と曽根巧のギターのリフがぐるぐる回り続けていた。

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