2025年9月25日木曜日

11月3日公演の〈申込フォーム〉設置

11月3日(月・祝日)、こうふ亀屋座で開催される〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉の〈申込フォーム〉をこのブログのトップページに設けました。

この〈申込フォーム〉から一回につき一名のみお申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉  ②メール欄に〈電子メールアドレス〉  ③メッセージ欄に〈11月3日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません。特に、メッセージ欄へ何も記入しないと送信できませんのでご注意ください。(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)

申し込み後3日以内に受付完了(参加確定)のメールを送信しますので、メールアドレスはお間違いのないようにお願いします。3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください。

*メールアドレスをお持ちでない方はチラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 

*先着90名ですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。よろしくお願いいたします。

2025年9月17日水曜日

11月3日公演情報、「こうふ亀屋座」HPに掲載

 本日9月17日、「こうふ亀屋座」のホームページの「お知らせ・イベント」欄に、 

【2025.11.3】太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会

 の情報とフライヤー画像が掲載されました。

 青字の部分をクリックするとHPが開きます。

「こうふ亀屋座」の御担当者様、どうもありがとうございました。

2025年9月11日木曜日

11月3日(月・祝日)こうふ亀屋座、〈太宰治「新樹の言葉」「走れメロス」講座・朗読・芝居の会〉開催

 11月3日(月・祝日、文化の日)の午後2時から「こうふ亀屋座」で、〈甲府 文と芸の会〉の第1回公演〈太宰治「新樹の言葉」「走れメロス」の講座・朗読・芝居の会〉を開催します。

 〈甲府 文と芸の会〉は、甲府や山梨に関わる小説や詩歌などの〈文〉の講座や演劇・音楽・映画などの〈芸〉のイベントを行うために設立しました。第1回目のテーマは、甲府ゆかりの作家太宰治の小説「新樹の言葉」と「走れメロス」です。このブログでイベントの詳細の説明や申込の受付をします。

 

 太宰治は、1938(昭和13)年の十一月から甲府に住み始めました。翌年一月に甲府の女性石原美智子と結婚して新婚生活を送ります。五月刊行の小説集『愛と美について』に収録された「新樹の言葉」は、甲府の中心街や舞鶴城跡を舞台とする作品です。

 九月、作家としての仕事のために東京の三鷹へ転居しました。翌年五月に代表作「走れメロス」を発表しました。

 「新樹の言葉」と「走れメロス」は、ストーリーは全く異なりますが、登場人物の造形や関係が類似しています。太宰の分身ともいえる存在が、兄・妹・親友という三人の若者の真摯に生きる姿に感銘を覚えて、自らの生き方を変え、再生への道を歩もうとします。

 この公演ではミニ講座・作品朗読・独り芝居の三つのプログラムによって、甲府時代の太宰治を浮き彫りにします。以下、その概要をお知らせします。


日時:2025年11月3日(月、文化の日)
    開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30
会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)  
内容:
Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」
 講師 小林一之(文学研究[芥川龍之介・山梨ゆかりの作家] 山梨英和大学特任教授)
 朗読 エイコ(有馬眞胤の芝居に津軽三味線で合いの手を入れる活動を中心に朗読や篠笛      も行う)
Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」 
 俳優 有馬眞胤(劇団四季出身。舞台を中心に活動し、蜷川幸雄演出作品に20年間参加した。2005年より文学作品をすべて覚えて独りで演じる「有馬銅鑼魔」の公演を続けている)
 下座(三味線) エイコ

主催:甲府 文と芸の会
料金:無料(事前の申込みが必要です。9月25日から受付を開始します。先着90人)

 *9月25日(木)からこの〈偶景web〉内に申込フォームを設置します
 *先着90人ですので、ご希望の方は早めにお申し込みください
  よろしくお願いいたします。



〈甲府 文と芸の会〉の公式ブログはこの〈偶景web〉 https://guukei.blogspot.com です。



2025年9月8日月曜日

『太陽(ティダ)の運命』佐古忠彦監督/山梨と沖縄

 8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督の映画『太陽(ティダ)の運命』を見た。この日は佐古監督の舞台挨拶もあった。今日は昨日に続いて、佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について書きたい。


 佐古監督はTBSの元キャスターだからご存じの方が多いだろう。現在は映画監督として、沖縄の歴史と現実をテーマとする『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年)、『米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019年)、『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』(2021年)と今回の『太陽(ティダ)の運命』(2025年)の四本の映画を制作してきた。まず、予告編を添付する。


 

 この日の観客は30名ほどでいつもよりかなり多かった。上映後、監督がこの作品について語った。RBC琉球放送の資料室で30年間の映像を見て、映画に使う箇所を探していったそうだ。ニュース映像自体は短く断片的でもあるので、その基になった素材映像を見つけるのも大変なことだっただろう。Be館で語ったことを正確に再現できないので、その三日前に地元のUTYテレビ山梨で放送されたインタビューの記事を紹介したい。


「反目しあっていた2人が長い時を経て、結果同じ道を歩んでいく、そこを紐解くことが、実は沖縄の歴史を見ることにもなり、この国が沖縄に対してどう相対してきたのかの答えがある」

「民主主義だと言って常に少数派の上に多数派があぐらを書き続けている状態が果たして民主的といえるのかどうか、多数派こそが実は考えなければいけない事象がここにあるのではないか」

「複雑な感情を抱えながら人間が物事を動かしてきた歴史だと強く感じる。どんな人間ドラマがあったのか、そこにぜひ注目してほしい。その先にあるのが沖縄という場所であり、丸ごと日本の歴史だというところをぜひ伝えたい」


 佐古監督が沖縄そして日本の歴史や社会、政治の現実をドキュメンタリー映画で一貫して追究している。沖縄と本土、地方自治と国家、日本とアメリカ、民主主義の少数派と多数派という関係のあり方を鋭く問いかける。イデオロギーではなく、人物の生き方を通じて問い続けているところが優れている。

 監督の舞台挨拶の後、パンフレットのサイン会があり、僕もサインしていただいた。その時少し言葉を交わすことができた。穏やかな視線と物腰の柔らかい姿が印象的だった。


 沖縄と山梨にもいろいろな関わりがある。

 戦後、1945年から米軍は富士北麓(富士吉田市と山中湖村)にある「北富士演習場」に常駐していたが、1956年、その大部分が沖縄に移った。その11年の間、現在の沖縄と同様の事件や事故が起きたことを地元紙の山梨日日新聞社の取材班が「Fujiと沖縄」という連載記事で綿密に報道した(2022年1~6月新聞連載、2023年6月書籍『Fujiと沖縄』刊行[山梨日日新聞社]、第22回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)。つまり、富士北麓の困難や混乱を結果として沖縄に押しつけたことになる。このような事実に無知であった僕は衝撃を受けた。また、北杜市出身の八巻太一は沖縄各地で教員を務め、退職後に私財を投じて私立沖縄昭和女学校を設立し商業教育を推進したことも「Fujiと沖縄」の記事から詳しく知ることができた。

 音楽でも深いつながりがある。

  甲府育ちの評論家竹中労は、『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースし、コンサートも企画して、嘉手苅林昌を始めとする「島唄」を紹介した功績は大きい。また何といっても、甲府出身の宮沢和史・THE BOOMの「島唄」が挙げられる。1992年1月のアルバム『思春期』で発表され、1993年6月シングルとして発売されて大ヒットとなった。この歌によって沖縄戦に関心を持った人は数知れないだろう。リリースから三十数年が経つが、この歌の影響力は非常に強い。


 8月にBe館で見た『マリウポリの20日間』と『太陽(ティダ)の運命』は、ニュースの取材記者や番組のキャスターであるジャーナリストが監督した。ドキュメンタリー映画の持つ、映像の力、時間を記録する力の可能性を強く感じた。『木の上の軍隊』は劇映画だが、実話を元にしているのでドキュメンタリー的な要素があり、そのことが作品に力を吹き込んでいた。

 Be館の小野社長とも少し話ができたが、この8月に『マリウポリの20日間』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』という作品を上映したのは、やはり戦後80年を意識しての計画だったそうだ。このような企画をするミニシアターが地方にあることには大きな意義がある。

 この映画はBe館では11(木)まで上映している。その他の地域でもまだ上映中の館もある。今後配信されることがあるかもしれないので、機会があったらぜひご覧いただきたい。



2025年9月7日日曜日

8月の甲府Be館 『マリウポリの20日間』『バッド・ジーニアス』『木の上の軍隊』『太陽(ティダ)の運命』

 8月は甲府のシアターセントラルBe館で四本の映画を見た。これらの作品について少し振り返りたい。


   『マリウポリの20日間』


 ロシアがウクライナに侵攻してからマリウポリが壊滅するまでの20日間を記録したドキュメンタリー映画。ミスティスラフ・チェルノフ監督。この映画を見ていると、記憶の中にある、2022年2月の侵攻開始直後にテレビのニュース番組で放送されたAP通信の映像がいくつも使われていた。あの当時はこの映像がどのようにして撮影されたのか全く分からなかったが、この映画は撮影の過程や経緯を教えてくれた。そして、取材班のたぐいまれな使命感や勇気、緊張感や苦悩をあますところなく伝えている。いきなり侵攻が始まり日常が崩壊していく。爆弾が破裂して家や病棟が破壊されていく。その惨状にも関わらず、状況がよくつかめない。不安と絶望が広がる。死者が増えていく。直視することができない凄惨な映像が続くが、私たちが知らなければならない現実である。

 ウクライナ人の記者チェルノフたちの取材班は、やがて、ウクライナ軍の援護によってマリウポリから決死の脱出を図る。そのような過程を経て世界に配信された映像が日本のニュース番組でも見ることができた。それらの映像を元にして作成されたのがこの映画である。2024年、第96回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞し、ウクライナ映画史上初のアカデミー賞受賞作となった。また、AP通信にはピュリッツァー賞が授与された。


   『BAD GENIUS バッド・ジーニアス』


 2017年のタイ映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」をハリウッドでリメイクした作品。J・C・リー監督。貧しい家庭に育った秀才の少女リンは名門高校に特待生として入学し、劣等生たちから持ちかけられて、彼らを救う「カンニング」作戦を指揮するようになる。その方法がなかなか巧みであり、映画として楽しめたのだが、アメリカ社会の移民や貧困の問題にも踏み込んでいるところが単なるエンターテイメント映画ではないことを示していた。


  『木の上の軍隊』



 沖縄の伊江島で終戦に気づかないまま2年の間もガジュマルの木の上で生き抜いた二人の日本兵の実話に基づいた井上ひさし原案の舞台劇を映画化した作品。平一紘監督。

  上官の少尉(堤真一)と沖縄出身の新兵(山田裕貴)がその立場ゆえに距離があるのだが次第に互いを理解していく。飢えに苦しみながら木の上とその周りの森で孤独な闘いをを続ける。時が経つにつれて、二人の心の中で「帰りたい」という想いが強くなる。最後の浜辺の場面で上官の堤真一が微笑みながら山田裕貴に「帰ろう」という場面が秀逸だった。映画はここで終わったが、実際にモデルの二人は故郷に帰ることができたそうだ。それを喜ぶと共に、帰りたくても帰ることが叶わなかった無数の人々のことを考えた。戦場に行くことは帰ることをあらかじめ断念することでもあった。その現実を強く思い知らされた。 


『太陽(ティダ)の運命』


  沖縄県の二人の知事に焦点を当て各々の闘いの軌跡を通じて沖縄現代史を描いたドキュメンタリー映画。佐古忠彦監督。タイトルの「ティダ」は沖縄の方言で太陽の意味、古くは首長=リーダーを表す言葉である。

 沖縄本土復帰後の第4代知事大田昌秀と第7代知事・翁長雄志は、政治的立場が正反対であることから対立しながらも、大田は軍用地強制使用の代理署名拒否、翁長は辺野古埋め立て承認の取り消しを巡って国と法廷で争った。結局、対立していた二人は沖縄の平和を守るために同じ道を歩むことになる。この映画は、本土と沖縄、国家と地方自治、日本とアメリカという関係のあり方を深く問いかける作品だった。


   8月31日、シアターセントラルBe館で佐古忠彦監督がこの映画の舞台挨拶を行うことを知ったので、この映画はその日に見に行った。佐古監督の舞台挨拶を含め、この映画について考えたことを後にあらためて書きたい。


2025年9月3日水曜日

「こうふ亀屋座」の空間/11月3日の公演(太宰治「走れメロス」独り芝居 他)

 この春、甲府城跡(舞鶴城公園)の南側エリアに、歴史文化交流施設「こうふ亀屋座」と交流広場、江戸の町並みをイメージした飲食と物販の店が集まる「小江戸甲府花小路」がオープンした。

 11月3日(月・祝日)午後2時から「こうふ亀屋座」の演芸場で、〈甲府 文と芸の会〉主催の「講座・朗読・芝居の会」を開催する。横浜から招く有馬眞胤(アリママサタネ)さんの太宰治「走れメロス」独り芝居、エイコさんの「新樹の言葉」朗読と「走れメロス」下座の津軽三味線、前座として私のミニ講座が予定されている。

 有馬さんは劇団四季出身で舞台を中心に活動してきた。蜷川幸雄演出作品に20年間参加し海外でも公演した経験豊かな実力派の役者である。彼の独り芝居は、朗読ではなく一篇の小説を全て覚えて声と身体で演じる。文学作品の語りの新しいスタイルを探究している独自性がある。

(この会は無料ですが、事前の申込みが必要です。その詳細は来週お知らせします)

 

「こうふ亀屋座」

交流広場から見た「こうふ亀屋座」




 この会の準備のために先日、演芸場の舞台や客席、プロジェクターや照明の設備を実際に見てきた。江戸時代の芝居小屋を再現したデザインと木材をふんだんに利用した内装が美しい。一階と二階に席がある。120人ほどが定員のこじんまりとした空間ではあるが、木の香りが漂い、すがすがしくなる場だ。独り芝居の舞台としては最高のものだろう。


客席から舞台へ

舞台から客席へ

 この「こうふ亀屋座」は、江戸時代に甲府にあった芝居小屋「亀屋座」をイメージして建設された。 

 演劇研究者の木村涼氏は論文「八代目市川團十郎と甲州亀屋座興行」(早稲田大学リポジトリ)で〈亀屋座は明和二年(一七六五)創設の芝居小屋で、時代を代表する名優が出演している芝居小屋である〉として、七代目と八代目市川團十郎、五代目松本幸四郎、三代目坂東三津五郎、五代目岩井半四郎などが一座を率いて芝居を上演したと述べている。

 江戸時代、甲府で流行った芝居は江戸でも流行ると言われていた。山梨は徳川幕府の直轄領であり、甲府城の周辺には甲府勤番の武士が住んでいた。芝居を見る目が優れた人が甲府には多いという定評があったようだ。

 「亀屋座」は甲府の中心街から少し南に下った現在の若松町にあった。「こうふ亀屋座」は元の場所とは異なるところに建てられたのは、この小屋の演芸場で様々なイベントを実施して、このエリアを人々の集いの場にするためだろう。


 「小江戸甲府花小路」の小路には、食べ物屋、甘味処、カフェ、お土産屋などの店舗がある。小路の向こう側には「甲府城跡」(舞鶴城とも呼ばれる)の石垣や展望台が見える。近くには「舞鶴城公園」もある。甲府の中心街はかなりさびれてきたが、この江戸情緒の街並みや芝居小屋は新しい拠点となる。


小江戸甲府花小路


 このエリアから南に下ると、移転して再オープンした「岡島」やいろいろな飲食店や商店が続いている。この一帯が中心街の散策コースとしてとても綺麗な空間になってきたのが、甲府市民としてはとてもうれしい。 


2025年8月31日日曜日

2024.8.4/2025.2.6 フジファブリック活動休止前の二つのライブ [志村正彦LN370]

 今日で8月が終わるが、真夏のピークは去ることがない。

 気象庁によれば統計的に最も暑い夏になるそうだ。僕の住む甲府は昔から全国でも有数の酷暑の街。猛暑日の日数は今日で53日となり、過去最多の更新が続いている。実感としてもこれまでで最も暑い夏だ。できるだけ外出を避け、家に籠もり、PCに向かうことが多かった。偶景webのリニューアル、〈芥川龍之介の偶景〉シリーズの開始があり、ブログの記事を三日に一度ほどのペースで書いてきた。


 6月25日に、『フジファブリック LIVE at NHKホール』DVD/Blu-rayが発売された。今年2月6日(木)に開催された活動休止前最後のフジファブリックのワンマンライブの映像である。以下の三つの仕様があった。

・完全生産限定盤(Blu-ray 2枚組+48P LIVE写真集) ※大サイズ豪華三方背BOX仕様
・通常盤初回仕様(Blu-ray 2枚組+24P LIVE写真ブックレット) ※トールサイズクリアスリーブケース仕様
・通常盤初回仕様(DVD 3枚組+24P LIVE写真ブックレット) ※トールサイズクリアスリーブケース仕様

 完全生産限定盤と通常盤初回仕様は数に限りがあり、通常盤初回仕様は初回仕様が完売になり次第トールサイズクリアスリーブケースが付属していない通常盤へと切り替わるそうである。つまり、通常版を加えると四つ以上の仕様があるようだ。こんなにも仕様を複数化するのは、ファンへのサービスという面もあるが、ビジネス面での判断があるのだろう。他のアーティストでもこういう傾向があり、DVD・Blu-rayのパッケージソフトが以前ほど売れない現実がある。




  僕が購入したのは通常盤初回仕様のDVD。「24P LIVE写真ブックレット」を開くと、メンバー欄に〈山内総一郎/金澤ダイスケ/加藤慎一/一行開け/志村正彦/一行開け/Support Musician/伊藤大地 drums/朝倉真司 percussion〉、Special thanks to欄は左右の2段あり、左側の最後に〈志村家のみなさま/フジファブリックに関わってくださったみなさま〉右側に〈志村正彦〉一人が掲載されていた。

 活動休止前最後のライブということもあり、本編からアンコールまでMCも入れたほぼ全編の映像が記録されていた。配信にはなかった映像も挿入されて編集されていた。山内・金澤・加藤の姿もクリアに映し出されていたが、その表情はやはり四十代半ばの男性のものだった。時の流れを感じざるを得ない。メジャーデビューから21年の年月が経ったのだ。

 メンバー三人が最後に挨拶をしてステージから去った後、観客が静かなたたずまいのまま力強く拍手を続けていた。フジファブリックのファンならではの姿と拍手の音でエンディングを構成した編集が良かった。


 一年と少し前の2024年8月4日、フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」に出かけた。このライブでは特に、志村正彦の音源・大型モニターの映像とステージでの生演奏を複合させた演出による「モノノケハカランダ」「陽炎」「バウムクーヘン」「若者のすべて」と、アンコールでの冒頭で2008年富士吉田市民会館ライブの志村の〈この曲を歌うために僕はずっと頑張ってきたような気がします〉というMCが入った後は志村の声と生演奏だけで構成された「茜色の夕日」に感銘を受けた。映像ではあるのだが、志村正彦の表情とその変化に魅了された。時には強い眼差しで、時には憂いを秘め、時には笑顔で見つめている。片寄明人によると、志村家、メンバー、スタッフの皆で考えた選曲、演出、映像だったようだ。

 この五曲はこのライブのテーマである「THE BEST MOMENT」、最も素晴らしい瞬間、最も重要な時を表現していた。おそらく、この「THE BEST MOMENT」はまさしく、この8月4日のこの瞬間においてのみ存在させるという意図や合意があったのではないだろうか。そのためか、このライブの映像は(少なくとも現時点まで)発売されることはなかった。今、それで良いのだ、「THE BEST MOMENT」はあの時だけのものだ、という気持ちもあるのだが、心のどこかに、あの特別な五曲を含む映像が(どのような形でもよいが)リリースされないことを残念にも思う。


  これまで発売されたフジファブリックのライブ映像を挙げてみる。発売日、パッケージの名称、メディア(DVD or DVD/BD)を示す。また、志村正彦在籍時のものは青字で記しライブの日時を( )内に記す。(他にドキュメンタリー映像の中にライブが入っていることもある)


①2006年 7月12日 『Live at 日比谷野音』DVD (2006年5月3日 日比谷野外大音楽堂)
②2008年12月17日『Live at 両国国技館』DVD (2007年12月15日 両国国技館)
③2010年6月30日 「FAB MOVIES LIVE映像集」DVD[『FAB BOX』所収] (2003年~2009年 各地 全20曲)
④2011年7月20日『フジファブリック presentsフジフジ富士Q -完全版-』DVD/BD
⑤2013年4月17日『FAB LIVE』DVD/BD
(2012年12月11日Zepp DiverCity Tokyo/2011年12月16日Zepp Tokyo/2012年7月19日恵比寿リキッドルーム)
⑥2014年4月16日『Live at 富士五湖文化センター』DVD (2008年5月31日 富士五湖文化センター)
⑦2014年4月16日『Live at 渋谷公会堂』DVD (2006年12月25日 渋谷公会堂)
*2014年4月16日『FAB BOX Ⅱ』DVD ⑥⑦所収
⑧2014年5月21日『FAB LIVE Ⅱ』DVD/BD
⑨2015年4月8日『Live at 日本武道館』DVD/BD
⑩2016年2月17日『Hello!! BOYS&GIRLS HALLTOUR 2015 at 日比谷野音』DVD/BD
⑪2019年7月10日『Official Bootleg Live&Documentary Movies of“CHRONICLE TOUR”』DVD (2009年6~7月 全国9会場10公演)
⑫2019年7月10日『Official Bootleg Live&Documentary Movies of“デビュー5周年ツアーGoGoGoGoGoooood!!!!!”』DVD (2009年9~10月 全国8会場10公演)
*2019年7月10日『FAB BOX Ⅲ』DVD   ⑪⑫所収
⑬2020年2月26日『フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019 「IN MY TOWN」』DVD/BD
⑭2022年12月7日『フジファブリック LIVE TOUR2022 ~From here~” at 日比谷野音』DVD/BD
⑮2025年6月25日『フジファブリック LIVE at NHKホール』DVD/BD
*なお、2019年8月28日『FAB LIST 1』CD(初回盤)にはライブ音源CD(2005年7月21日渋谷AX)がある。


 20年の活動歴の中でライブ映像は15のパッケージでリリースされている。こうしてまとめてみると、フジファブリックはライブバンドでもあったという事実が見えてくる。卓抜な演奏力があった。そして活動休止前に、2024年8月4日のTOKYO GARDEN THEATERが〈志村正彦のフジファブリック〉のライブ演奏の集大成、半年後の2月6日のNHKホールが〈山内・金澤・加藤のフジファブリック〉のライブ演奏の集大成という意図で開催されたのだろう。


 また、『フジファブリック LIVE at NHKホール』には付録として、最近の五つのMUSIC VIDEOを収録した『FAB CLIPS 5』が付属されたいた。ミュージックビデオとそのメイキング映像などを収録したDVD『FAB CLIPS』は、結局、1から5までリリースされたことになる。フジファブリックはミュージックビデオにも力を入れてきた。

① 2006年2月22日 『FAB CLIPS』(1)
② 2010年6月30日 『FAB CLIPS 2』*「SINGLES 2004-2009」初回生産限定盤の付録
③ 2015年4月8日  『FAB CLIPS 3』
④ 2020年1月29日 『FAB CLIPS 4』
⑤ 2025年6月25日 『FAB CLIPS 5』*『フジファブリック LIVE at NHKホール』の付録


 最後に一人のファンとしての願望を書きたい。

 2024年8月4日の20周年記念「THE BEST MOMENT」TOKYO GARDEN THEATERライブの映像を含めて、いろいろな権限を何とか調整してその他のフェスやスタジオライブなどの映像を収録した『FAB BOX Ⅳ』とでも名付けられる映像集・音源集をリリースしてほしい。そうするだけの価値のある映像である。


2025年8月27日水曜日

「若者のすべて」-夏の終わりに聴きたい“グッとフレーズ”[志村正彦LN369]

 8月22日(金)夜7時からTBSで『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』第21弾の3時間スペシャルが放送された。夏の後半という時期に合わせ「夏の終わりに聴きたい“グッとフレーズ”」の特集があった。

 今回の出演者は、MCの加藤浩次(極楽とんぼ)、アーティストゲストのデーモン閣下(聖飢魔Ⅱ)・田邊駿一(BLUE ENCOUNT)・矢井田瞳、スタジオゲストの影山優佳・川村エミコ(たんぽぽ)・末澤誠也(Aぇ! group)・土田晃之、・矢作兼(おぎやはぎ)、VTRゲストの狩野英孝・橋本環奈・原菜乃華・間宮祥太朗。

 番組の半ば頃に「夏の終わりに聴きたい」というコーナーがあり、ZONEの「secret base~君がくれたもの~」、山下達郎「さよなら夏の日」、フジファブリック「若者のすべて」、米津玄師「灰色と青」(+菅田将暉)、松任谷由実「Hello, my friend」などが選ばれていた。


 「若者のすべて」を取り上げた部分を簡潔に紹介したい。テロップやクレジットの言葉は〈〉で括る。


 街頭インタビューでのコメントの後で、イントロが始まり、〈若者のすべて フジファブリック/ユニバーサル ミュージック〉というクレジットが示され、「若者のすべて」のミュージックビデオが流され、志村正彦が歌う姿が映し出された。歌詞のテロップが横書きに縦書きにと変わり、フォントの大きさも変化した。〈グッとフレーズ〉という字と共に、鮮明な黄色の字で〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉が縦書きで、〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉が横書きで表示された。

 次に下記の歌詞が一面に示され、街頭インタビューのコメントが加えられた。

 

   ―グッとフレーズ-   

 ないかな ないよな      

 きっとね いないよな     

 会ったら言えるかな     

 まぶた閉じて浮かべているよ 

           作詞 志村正彦   


 ここで初めて作詞者の「志村正彦」の名が登場した。やはり作詞者の名は必須である。

  MCやゲストの話の後で、ナレーターが語り始めた。そのテロップを記したい。


〈夏の恋に期待するも〉 
〈結局何もなく終わってしまう〉
〈誰もが共感できる経験を歌詞に〉

〈2番 主人公に嬉しい展開が!〉


 続いて、2番のミュージックビデオと〈ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉が表示され、この歌詞をまとめた画面に切り替わった。


  ―グッとフレーズ-    

 ないかな ないよな      

 なんてね 思ってた        

 まいったな まいったな    

 話すことに迷うな      

     作詞 志村正彦   


 ナレーターが〈好きな人とまさかの遭遇〉と語った。

 この後、MCやゲストの間でこの場面をめぐっていろいろな話が出るのだが、印象深かった箇所のテロップを書き写す。


加藤浩次  〈これは声をかけたんですかね?〉
末澤誠也  〈どっちでも捉えられる〉
加藤浩次  〈どっちですか皆さん〉
土田晃之  〈この時点では話しかけてない〉
川村エミコ  〈私は話しかけてる〉〈話しかけて一緒に花火を見てる〉
      〈でも何も言えなくて〉〈関係はどうなるのかな?〉
      (変わるのかな)〈同じ空見てるな〉
……
川村エミコ  〈花火の音が間を埋めてくれて〉
      〈助けてくれる情景が浮かぶ〉


 川村エミコの最後のコメントに説得力があった。二人が再会したとしてもあまり言葉を交わすことがなく、その間を花火の音が埋めてくれて、沈黙を助けてくれる。確かにそのような情景も浮かんでくる。


 今回の「若者のすべて」の歌詞考察は、〈ないかな ないよな〉部分のフレーズが1番から2番へ、〈きっとね いないよな〉⇒〈なんてね思ってた〉、〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉⇒〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉と転換していくことに焦点を当てていた。この転換されたフレーズが「若者のすべて」のキーフレーズの一つであり、この番組で言う〈グッとフレーズ〉であろう。これまで「若者のすべて」の歌詞の素晴らしさに触れた番組はいくつもあったが、今回の番組のようにこの歌詞の転換とそれによる歌詞の意味の展開について取り上げるものはほとんどなかったように思う。


 このシリーズ番組を振り返ると、2022年12月29日放送の『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ〜私を支えた歌詞SP2022〜』でも「若者のすべて」が取り上げられた。この時は、ナレーターが「実はこの曲を作詞作曲したボーカルの志村正彦さんはこの曲をリリースした2年後、29歳の若さで亡くなったのですが、生前この曲についてこう語っていました」という説明が入り(テロップでは〈作詞・作曲Vo.志村正彦さん 「若者のすべて」リリースの2年後… 2009年12月24日29歳で急逝〉と表示)、両国国技館ライブでの志村のMC〈センチメンタルになった日だったりとか 人を結果的に裏切ることになってしまった日 色んな日があると思うんですけども そんな日の度に 立ち止まって色々考えてた それはちょっと勿体ない気がしてきて 歩きながら 感傷に 浸るっていうのが 得じゃないかなって思って 止まっているより歩きながら悩んで 一生たぶん死ぬまで 楽しく過ごした方がいいんじゃないかなということに 26、27歳になってようやく気づきまして そういう曲を作ったわけであります〉がテロップで示された。

 ナレータは続けて「そして志村さんはその思いをこの二行のフレーズに込めたといいます」と話した。志村の歌声と次のテロップが表示された。


       ―グッとフレ ーズ―      

     すりむいたまま 僕はそっと歩き出して 


 つまり、2022年12月の番組では、〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉が〈グッとフレ ーズ〉に、今回2025年8月の番組では〈ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉〈ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉という〈ないかな ないよな〉をめぐる対比的な歌詞が〈グッとフレ ーズ〉にされている。TBS『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』シリーズは毎回「若者のすべて」の歌詞を丁寧に考察していることが分かる。

    

 「若者のすべて」には三つのキーフレーズ、〈グッとフレ ーズ〉があるだろう。TBS番組が示したように〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉のフレーズと〈ないかな ないよな〉をめぐる対比的なフレーズ、その二つに〈最後の花火〉〈最後の最後の花火〉という対になるフレーズを加えると三つになる。この三つのフレーズを複合的に交錯させながら、聴き手はこの歌の物語を心の中のスクリーンに投影していく。これが「若者のすべて」の尽きない魅力となっている。



2025年8月24日日曜日

芥川龍之介 夏季休暇中の山梨への旅(三)八ヶ岳・南アルプス

 7月28日、芥川龍之介と西川英次郎は昇仙峡から甲府に戻り、上諏訪まで汽車に乗った。前回述べたように、この旅程の参考となった徳冨蘆花は青梅街道を通って塩山、甲府、そして昇仙峡に行った後に富士川水運で静岡へ向かったが、中央線が開通したことによって、二人は汽車で長野へ向かうことができた。鉄道という近代のテクノロジーによって、高速で移動する車窓から眺める風景とその変化というパースペクティヴが生まれた。新しいパノラマビューであり、それを記述する主体の眼差しを誕生させた。

 芥川は中央線の車内の人々や車窓から八ヶ岳や南アルプスの山々を興味深く眺めて、次のように描く。

 汽車が驛々で止る每に 必 幾人かの農夫の乘客がはいつてくる。それでなければ自分等と同じ樣な檜木笠の連中がやつてくる。作物の話が出る。空模樣の話が出る。無遠慮な雜談と 氣のをけない髞笑とは 間もなく 彼方にも此方にも起つた。今は〔車〕内は、山家の人の素樸な氣で 充される樣になつた。

 汽車が進むにつれて 目の前には八ケ嶽の大傾斜が開けて來る 落葉松の林 合歡の花 所々に散在する村落。其處から上る白い烟 さては野に牛を飼ふ人の姿。―自分等〔欠字〕 物を眺めながら窓によつて この山間にすむ甲州人の剛健な素朴な生活の事を考へて見た。

 農夫たちが作物や空模様についておそらく甲州弁で話しあっている。芥川は耳をそばだてて聞いていたのだろう。親しいもの同士の遠慮のない雑談や高笑いによって、車内は山国の人々の素朴な気風で満たされる。次第に車窓から八ヶ岳が見えてくるが、山岳の風景だけでなく「この山間にすむ甲州人の剛健な素朴な生活」のことも考える。

 そのうち、南アルプスの山々の荘厳な姿が視界に入ってくる。

 甲信の山々は いづれも頂を力と熟との暗影を持つた 深い銅色の雲に 埋めながら、午後の日の光をうけて 遠いのは藍色に 近いのは鼠色に 濃い紫の皺を縱橫に刻で 綠の野の末に大きなうねりをうたせてゐた。永河の遺跡が見られると云ふのは そこであらう。白根葵の咲くと云ふのは そこであらう。 長へに壯嚴な山々の姿。―雪にうづもれた其頂には宇宙の歷史が祕めてあるのではあるまいか。

 ここで芥川は、「深い銅色の雲」のもとに「午後の日の光」を受けて、「遠いのは藍色」「近いのは鼠色」に「濃い紫の皺」を刻んだ南アルプスの山々を描写している。芥川の眼差しは色と光とその変化に敏感である。「長へに壯嚴な山々の姿」「雪にうづもれた其頂」に「宇宙の歷史」が秘められている、という箇所はこの『日誌』の中で、風景の荘厳さとその悠久な時間への感嘆が最も込められた記述である。


 このあたりの表現は、国木田独歩の「忘れえぬ人々」(『武蔵野』明治34年)の影響を受けているかもしれない。芥川が書いた車中の農夫たち、山間にすむ甲州人は、独歩の言う「忘れえぬ人々」のような存在である。

 独歩は九州旅行で立ち寄った阿蘇山を次のように描いている。 

天地寥廓、しかも足もとではすさまじい響きをして白煙濛々と立ちのぼりまっすぐに空を衝き急に折れて高嶽を掠め天の一方に消えてしまう。壮といわんか美といわんか惨といわんか、僕らは黙ったまま一言も出さないでしばらく石像のように立っていた。この時天地悠々の感、人間存在の不思議の念などが心の底からわいて来るのは自然のことだろうと思う。

 独歩は阿蘇山を見て「天地悠々の感」「人間存在の不思議の念」を思い浮かべる。厳かな風景から漢語的で抽象的な観念や感覚を思い浮かべている。この表現のあり方と芥川が山梨の荘厳な山々に「宇宙の歷史」という観念を見いだした叙述には共通点がある。

 芥川龍之介にとって国木田独歩は特別な存在であった。昭和2年の小説「河童」では尊敬すべき先人としてニーチェ、トルストイ、ゴーギャンらと共に日本人ではただ一人独歩の名を挙げている。同年の文学論「文芸的な余りに文芸的な」では「独歩は鋭い頭脳を持つてゐた。同時に又柔かい心臓を持つてゐた。しかもそれ等は独歩の中に不幸にも調和を失つてゐた。従つて彼は悲劇的だつた」と書き、独歩を「詩人兼小説家」として捉えている。


 柄谷行人は『日本近代文学の起源』で、独歩や芥川が記した荘厳な山岳美について次のように述べている。

 総じて、ロマン派あるいはプレ・ロマン派による風景の発見とは、エドマンド・バークが美と区別して崇高と呼んだ態度の出現にほかならない。美がいわば名所旧跡に快を見出す態度だとすれば、崇高はそれまで威圧的でしかなかった不快な自然対象に快を見出す態度なのである。そのようにして、アルプス、ナイアガラの滝、アリゾナ渓谷、北海道の原始林――などが崇高な風景として見出された。明らかに、ここには転倒がある。 〔……〕

リアリズムとは、たんに風景を描くのではなく、つねに風景を創出しなければならない。それまで事実としてあったにもかかわらず、だれもみていなかった風景を存在させるのだ。したがって、リアリストはいつも「内的人間」なのである。

 柄谷は、ロマン派やプレ・ロマン派の人間によって、名所旧跡の風景ではなく、山岳などの荘厳で崇高な自然の美が新しい「風景」として発見されたと考えている。そして、そのような風景の発見が、結果的に転倒されて、崇高な自然の美に憧れる「内的な人間」を創り出す。ロマン派的な主体にとって崇高さは至上の観念の一つとなる。芥川も独歩もそのような主体、「内的人間」である。彼らは風景を創出するために、リアリズムの文章を描いていく。紀行文や日誌はそのスタイルの具現化である。


  この後、芥川と西川の二人は長野県の諏訪に入り、小諸、浅間山、軽井沢と移動して、8月1日に東京に帰った。

 8月21日の日誌には、上野の図書館に行き、館上の西の窓から夕暮れの空を見た際に「そゞろに甲斐の山の夕暮もしのばれる」と書いている。山梨の風景については繰り返し想い出したようだ。

 ここで「甲斐の山」という言葉が使われていることにも注目したい。この言葉はやがて、芥川が飯田蛇笏に贈った「春雨の中や雪おく甲斐の山」という俳句に結実していく。


2025年8月21日木曜日

芥川龍之介 夏季休暇中の山梨への旅(二)甲府・昇仙峡

  7月26日の夜、芥川龍之介と西川英次郎は甲府の佐渡幸旅館に泊まった。

 十一時何分かの汽車で 甲府へついて 「佐渡幸」(宿屋)の二階に この日記をつけ終つたのは 丁度二時である。西川君は例の通り「峨眉山月半輪の秋」を小さな聲でうたひながら 疲勞がなほると云つて、ちやんとかしこまつてゐる。

 二人が甲府駅に着いたのはおそらく夜十二時近くだった。その後旅館で律儀にも二時まで日誌を書いた。

 佐渡幸旅館の本店は柳町通りに、支店は甲府駅前にあった。明治後期から昭和前期にかけて、甲府を訪れた文学者がよく泊まっていた宿舎である。当時の絵はがきを入手したのでその画像を添付する。




 翌日の27日には昇仙峡まで歩き、猪狩村の宿に宿泊した。

 昇仙峡は甲府市北部の荒川上流にある渓谷。国の特別名勝にも指定された景勝地である。花崗岩の断崖や奇岩・奇石、清く澄んだ水の流れ、四季折々で変化に富んだ渓谷美を楽しめる。2020年、「甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~」が文化庁の日本遺産に認定された。


 芥川は友人の上瀧嵬に手紙を出し、その文面を日誌で披露する。

 今日はいやにくたびれて 日記をかく氣にもならぬ。上瀧君へ手紙を出す。

 「甲府からこゝへ來た 昇仙峽は流石にいゝ 水の靑いのと石の大きいのとは玉川も及ばないやうだ しかし惜しいことに、こゝ(昇仙峽)の方が眺めが淺いと思ふ 昇仙峽は藤と躑躅の名所ださうな この靑い水に紫の藤が長い花をたらしたなら さだめて美しい事と思ふ  亂筆不盡」

 手紙をかきをはつた時には 山も川も黑くくれて鬱然と曇つた空には 時々電光がさびしく光る。こんな時には よくいろな思がをこるものだ。大きな螢が靑く 前の叢の上を流れてゆく。(二十七日 荒川の水琴をきゝつゝ。)

 16歳という若さゆえの体力があるとはいえ、真夏の季節に甲府の中心街から昇仙峡まで徒歩で歩いたのでかなり疲れたことだろう。昇仙峽は流石にいいが、眺めが浅いと述べている。青い水と紫の藤の長い花の想像、黒い山と川、曇った空、大きな蛍。昇仙峡という美しく静かな渓谷の中で、芥川の心にはいろいろな思いが浮かんできたようだ。旅の《偶景》は人の想いを喚起する。


 そもそも、芥川龍之介と西川英次郎はなぜ青梅街道を歩いて山梨に入る旅を試みたのか。

 西川によると、二人は徳冨蘆花の「甲州紀行はがき便」(『青蘆集』所収、明治35年刊)という紀行文を読み、その行路を辿る計画を立てて実行したようである。日向和田、氷川、丹波山、塩山、甲府、そして昇仙峡という行程までは同じだが、その後、蘆花は鰍沢から富士川を舟で駿河へと下り、東海道線で逗子へ帰ったが、二人は中央線が開通したこともあり、汽車で上諏訪へ向かった。

 また、田山花袋の紀行文の影響もあるかもしれない。明治27年4月、田山花袋は、甲府徽典館の学頭も勤めた林靏梁が奥多摩を描いた文章に感化され、多摩川上流へ徒歩で向かった。その際の「不遇山水」(「多摩の上流」と改題され、『南船北馬』明治32年刊に収録)という紀行文で「山愈奇に水愈美なり」「天然の美のかくまで変化の多きものなるかを感ぜしむ」と書いている。明治後期、花袋は紀行文の名手として知られていた。芥川は学生時代に小説家としてよりも紀行文家としての花袋を評価していたので、この花袋の文章がこの旅程に影響した可能性もある。


 この時代、鉄道をはじめとする交通網が発達した。徳冨蘆花や田山花袋らの紀行文にも影響されて、青年は各地を旅するようになった。そして、作家志望者は旅の日誌や紀行文を書くことを試みた。芥川龍之介もその一人であろう。 

       (この項続く)


2025年8月18日月曜日

芥川龍之介 夏季休暇中の山梨への旅(一)丹波山・塩山 

 明治41(1908)年の夏、芥川龍之介は16歳、東京府立第三中学校の4年生だった。夏季休暇中の7月24日から8月1日までの9日間、親友の西川英次郎と山梨と長野へと旅した。 その際の日録が、丹波・上諏訪・淺間行 明治四十一年夏休み「日誌」(『芥川龍之介未定稿集』、引用文は同書による)、として残されている。この日誌には芥川が山梨で見た様々な《偶景》の記述がある。

 なお、この自筆資料は山梨県立文学館に収蔵されている。昨年10月から、同館のデジタルアーカイブ内で「暑中休暇日誌」という名で画像が公開されたので、インターネット上で閲覧可能である。


 西川英次郎(ひでじろう)は後に東京帝国大学の農科に進学し、農学博士となり、鳥取大学や東北大学などの教授を歴任した。府立三中時代の五年間を通して学年全体で、西川が一番、芥川が二番という成績だった。 才気煥発な芥川に対して冷静沈着な西川というように性格は異なるが、大秀才同士で仲が良かったようだ。


 7月21日に夏休みが始まり、日誌はその日から書かれている。21日に〈學校へ汽車の割引券と證明書とをもらひに行く〉〈一日中 旅行の準備に何くれとなく忙しい〉、23日に〈茣蓙も帽子も施行の準備はのこりなくすン だ〉〈明日は雨のふらない限り出發する豫定である〉〈同行は西川君〉とあるように、夏休みの最初の三日間で旅行の準備を進めた。茣蓙(ござ)は徒歩旅行中の休憩のために用意したのだろう。


 7月24日、芥川と西川の二人は東京を出発する。日向和田までは汽車、そこから青梅街道を歩き、氷川で宿泊する。芥川は氷川が〈淋しい町〉であると繰り返し記している。

 25日、氷川から丹波山へと歩いていく。

 氷川と丹波山との間の路はわすれ難い、ゆかしい路であつた。右は雜木山 左は杉木立。

 道中のところどころに滝がある。玉川の流れが見える。寺、半ば傾いた山門、道祖神の祠。静けさにみちた村の人々の生活を羨む。

 村がつきると又山になる。靑黑い山と靑黑い谷 その間を縫ふ白い細い道 玉川の水の音 水車小屋 鶯の聲――あゝ夏だ。

 十六歳の少年は青梅街道の夏を満喫したようだ。日暮れに山梨に入る。鴨沢を経て、丹波山の宿「野村」に泊まる。後に芥川は「追憶」というエッセイでこう述べている。

 僕は又西川と一しよに夏休みなどには旅行した。西川は僕よりも裕福だつたらしい。しかし僕等は大旅行をしても、旅費は二十圓を越えたことはなかつた。僕はやはり西川と一しよに中里介山氏の「大菩薩峠」に近い丹波山と云ふ寒村に泊り、一等三十五錢と云ふ宿賃を拂つたのを覺えてゐる。しかしその宿は淸潔でもあり、食事も玉子燒などを添へてあつた。


 7月26日、二人は丹波山から落合を経て塩山へと向かう。『日誌』にはこうある。

 丹波山から落合迄三里の間は殆ど人跡をたつた山の中で 人家は素より一軒もない。はるかの谷底を流れる玉川の水聲を除いては 太古の樣な寂寞が寥々として天地を領してゐるばかりである。

 實にこの昏々たる睡眠土は 自然の殿堂である。思想と云ふ王樣の 沈默と云ふ宮殿である。

 あらゆる物を透明にする秋の空氣が この山とこの谷とを覆ふ時 獨りこの林の奧の落葉をふみて 凩の聲に耳を澄したなら 定めて心地よい事であらう。

 この日誌は学校の宿題として課せられたものだろうが、芥川はそれを契機として自分なりの紀行文を書こうと試みたのではないだろうか。山国の風景を写生文的な口語文で叙述しているが、その印象は〈太古の樣な寂寞〉〈寥々として天地を領してゐる〉〈思想と云ふ王樣の 沈默と云ふ宮殿〉などの漢文の美文調の表現で記されている。また、秋の風景やその感触も想像しているところが季節に敏感な芥川らしい。


 芥川と西川は夜7時頃塩山駅に到着した。甲府行の汽車を待つ間、外を歩き空を仰いだ。

 紫に煙つた甲斐の山々 殘照の空 鉛紫の橫雲。

 それも程なくうつろつて 終には野もくれ山もくれ 暮色は暗く林から林へ渡つて 空はまるで限りのない藍色の海の樣。涼しい星の姿が所々に見えて いつか人家の障子には 燈が紅くともる樣になつた。

 龍之介の眼差しは、甲斐の野、山、林、空、星、人家に対して、「紫」「殘照」「鉛紫」「暮色」「藍色」「紅」と色合や光の濃淡が微妙に変化する《偶景》を捉えている。

 自分等は 塩山の停車場に七時から十一時迄汽車を待つた。眠くなれば、外を步いた。步いては空を仰いだ。

 嚴な空には 天の河が煙の樣に流れてゐた。


 当時の中央線の本数は少なかったので、二人は四時間も待つことになる。夜も更けて、山国の「天の河」の光が美しく見えたことだろう。この後二人は汽車に乗って甲府に向かった。

        (この項続く)


2025年8月12日火曜日

7月の甲府Be館 『104歳、哲代さんのひとり暮らし』『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』『ルノワール』

 7月は、甲府中心街の「シアターセントラルBe館」で三本の映画を見た。この三つの作品についての感想を少し書きたい。


『104歳、哲代さんのひとり暮らし』

 104歳の石井哲代さんのひとり暮らしの日々を追うドキュメンタリー映画。監督は山本和宏。地元紙の中国新聞で哲代さんを取材した連載記事やベストセラーとなった書籍が元になった。哲代さんは広島の尾道の山あいにある一軒家で一人で生活している。笑顔の表情、ユーモアある言葉が生き生きと撮られている。自宅から坂道を後ろ向きでゆっくりと下りる姿が時々挿入されるが、この映画のリズムを奏でている。
 哲代さんは〈みんなになあ、大事にしてもろうて、ほんとうにいい人生ですよ、だった、言ったらいけんけん、人生です、ingでいきます!〉と語る。いつも〈ing〉でいくこと、この現在進行形の生き方に感銘を受けた。百年を超える時間も現在進行形で流れている。時はいつも現在である。




『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』

 93歳のテルマがオレオレ詐欺で奪われた1万ドルの金を取り戻すストーリー。ジョシュ・マーゴリン監督の祖母の実話が元になっている。役柄同様に93歳の女優ジューン・スキッブが電動スクーターに乗って行動する姿がとてもカッコイイ。仲良しの孫ダニエルをフレッド・ヘッキンジャーが好演している。
 見る前は冒険活劇風の愉快な展開を予想したのだが、映画はアメリカ社会の歪んだ現実をリアルに描いていく。先進国はオレオレ詐欺や高齢化社会など共通の問題を抱えていることを痛感した。     





『ルノワール』

 早川千絵監督の『PLAN 75』に続く長編第二作。1980年代後半、11歳の少女フキ(鈴木唯)は闘病中の父圭司(リリー・フランキー)と仕事ばかりの母詩子(石田ひかり)と3人で郊外の家に暮らしている。感受性が豊かなフキはあれこれと想像をめぐらせる。当時流行した伝言ダイヤル(出会い系サービスのはしり)で知り合った男との場面が緊迫感をもたらす。
 11歳の少女の固有な存在感を際立たせた演出は評価できる。ただし、作品内の現実と想像(というよりも幻想や妄想じみたもの)を交錯させながら映像が展開していくが、その転換、切り替わるポイントがつかみにくいところが気になった。脇役の中島歩、河合優実、坂東龍汰を含めて役者たちが好演していただけに、そのことが残念だった。





 この三作は、104歳と93歳の高齢女性から11歳の少女まで、女性の生き方を余すところなく描いている。特に高齢者の場合、女性の方が生き生きと現実に向き合っているように感じた。そのような意味での「女性賛歌」の映画には独特な魅力がある。