2018年1月27日土曜日

ムジカラグー

 前回紹介したように、フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』カセットテープでは演奏者がこう記されていた。

  Vo&G/志村 正彦
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Key/田所 幸子
  Dr/渡辺 隆之

 Wikipediaの「フジファブリック 略歴」の記述は次の通りである。

2001年
    8月 - 一時解散。
    9月 - 志村と渡辺に萩原彰人、加藤雄一、田所幸子を加えて再結成。デモテープ「茜色の夕日/線香花火」を録音する[18]。
2002年
    8月 - 萩原、加藤が脱退。ムジカラグー結成。
    10月21日 - インディーズ1stアルバム『アラカルト』発表。
    12月 - 田所が脱退。知人の紹介で金澤ダイスケ、加藤慎一がサポートとして参加する。

 脚注が示されているがたどることのできないものもある。この略歴については、書物や雑誌、ネットの記事などの「出典」が不明確であるのが残念である。(結成期からインディーズ時代までの初期フジファブリックの歴史について公に記録されることがあればありがたいのだが)
 このWikipediaの記述を根拠にすれば、『茜色の夕日・線香花火』カセットテープの演奏者から成るバンドは、2001年8月から9月までのおよそ一年間活動したことになる。
 ベースの加藤雄一、ギターの萩原彰人が結成したムジカラグーの音楽はどのようなものだったのか。アルバムを入手し、ネットの記事やyoutubeの映像を探してみた。

 ムジカラグーは2002年に次のメンバーがそろい結成されたようである。

  Vo&Key/松田 恵子
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Perc/田中 由美
  Dr/仲間 洋

 結成の経緯と音楽性についてはロフトプロジェクトの記事が参考になる。

2001年、加藤(B)と萩原(G)が出会い、数々のボーカルセッションの中、松田(Vo・Key)が加入。その後、仲間(Dr)、田中(Prc)が加入し、現編成となる。当初は60、70年代のソウル、ファンクなどの要素を取り入れた曲を中心に活動していたが、レゲエとソウルの融合的な楽曲の完成とともにワールドミュージック方面にも幅を広げ、バンド名も、ムジカ(音楽)ラグー(煮込み)とし、暑苦しくないレゲエ、踊れるラテン、景色の見える音楽、浮遊感、を合い言葉に活動中。

  今回、ミニアルバム『デイドリーム』 (2005/11/9)、アルバム『popsica』(2006/7/5)を入手して聴いてみたが、確かに「ワールドミュージック」的なテイストにもとづいた、ときにメロウでときにビート感のあるサウンドが印象的だ。ボーカルの松田恵子の声はのびやかで量感もある。加藤(B)、萩原(G)、仲間(Dr)、田中(Prc)の演奏も巧みで安定している。二枚のCDをリリース後、2007年1月に活動休止に入った。(その後一時的に演奏を再開したこともあったようだが、結局、活動を停止したようである)当時のインディーズ界ではそれなりに評価されていて、休止を惜しむ声が少なくなかったようである。

 この二作では『デイドリーム』 が好みだ。題名の通り、白昼夢を想起させる楽曲、まどろみのある声と音の感触がここちよい。ほとんどの作品を加藤雄一が作詞作曲しているので、彼がこのバンドの中心人物であろう。ネットで彼の記事を検索してみると次の発言が見つかった。(景色の見える音楽 Selector's Playlist selected by 加藤雄一

今の僕が室内音楽に求めているのは踊ることや共感する事以上に、景色が見える事が重要なんです。心理的思いのこもった音楽も素晴らしいとは思いますが、あまりに言葉が重いと疲れます。それよりも楽器の音や声や録音音質や旋律に身をまかせると何かどこかに連れてってくれる音楽が聴いていたいなと思います。その音楽をかけると部屋の風景まで変わるような音楽を聴いていたいです。

 なるほど、と思わせる発言だ。「何かどこかに連れてってくれる音楽」「部屋の風景まで変わるような音楽」とは、ムジカラグーが追い求めた音楽でもある。「あまりに言葉が重いと疲れます」というのは正直な実感だろう。ムジカラグーの歌詞は細やかに情感のある風景を描写するのではなく、枠組や背景としての風景を提示している。あくまでも楽曲を中心に景色を描こうとしている。
 彼らの映像がyoutubeに一つあった。『popsica』収録の『さんふらわぁ』(作詞作曲:加藤雄一)のMVだ。歌詞も引用しよう。
 愉快な曲調、軽快なグルーブにのせて、色彩感のある風景がひろがっていく。




 雲の切れ間に 少しのぞいた
 君は青空 曇りのち晴れ

 空はほら 黄金色
 飛行機雲 消える前に

 太陽は行方知らずでも 花は咲いてるよ
 それなら僕らの 心を照らして


前々回の記事を読んでくれた雨宮弘哲君のメールによれば、加藤雄一さんは今も音楽活動を続けているそうである。

2018年1月15日月曜日

『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ [志村正彦LN173]

 フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』カセットテープのジャケット裏は歌詞カードとなっている。写真の解像度が低いので分からないだろうが、「無責任でいいな ラララ」の部分だけ手書きで記されているのが目を引く。この言葉は多様に読むことができることを考えあわせると、手書きには作者志村正彦のある種の意図があるのかもしれない。



 右下には演奏者のクレジットも記載されている。重要な情報なので転記したい。

  全作詞作曲/志村 正彦
  編曲/フジファブリック
  Vo&G/志村 正彦
  B/加藤 雄一
  G/萩原 彰人
  Key/田所 幸子
  Dr/渡辺 隆之

 「全作詞作曲」とあるのは二曲共にという意味だろうが、この「全」という修飾語には志村の自恃も読みとれる。この下に「Info」として当時の携帯電話のメールアドレスと番号が印刷されている。デモテープという目的から連絡先を入れたのだろうが、活字で印刷されているのは少し驚いてしまう。(写真ではこの部分をカセットテープで隠した)

 写真から分かるように、歌詞カードの黒地と白い文字、カセットテープのタイトル部分のオレンジ色のコントラストが鮮やかだ。「オレンジ色」と書いたが、やはりこの色は「茜色」と呼ぶべきだろう。ジャケットの表側のイラストにも、少し黒みがかった赤色の球のようなものが描かれている。これも茜色の夕日をイメージしたものかもしれない。さらに「線香花火」の火球のイメージも重なるかもしれない。




 「茜色の夕日」が沈むと薄暗い空が闇の黒色へと変化していく。「見えないこともない」「東京の空の星」が広がることもある。「線香花火」の火球と火花、その色合いと光。「短い夏が終わったのに/今 子供の頃のさびしさが無い」(『茜色の夕日』)、「悲しくったってさ 悲しくったってさ/夏は簡単には終わらないのさ」(『線香花火』)。二つの歌は夏の終わりの季節の感覚が色濃く出ている。志村の歌には夏の季節の夕空や夜空の描写も多い。そしてそこには茜色や赤色と黒色の綴れ織りのような色彩感もある。初期の愉快な曲『TAIFU』(詞曲:志村正彦)でも「虹色 赤色 黒色 白!/虹色 赤色 黒色 白!/虹色 赤色 黒色 白!/皆染まっているかのよう!」と連呼されていた。

 『茜色の夕日・線香花火』カセットテープのイラスト画からイメージや色彩の連想や連鎖が起きる。志村正彦・フジファブリックの音楽そのものも色彩感が豊かである。

   (この項続く)

2018年1月5日金曜日

贈り物[志村正彦LN172]

 去年の大晦日の前日、贈り物が届いた。
 雨宮弘哲君からの小包だった。(「弘哲」は「ひろあき」と読む。ここからは普段通りに「弘哲君」と記すことにしたい)彼のことは以前このブログの記事で紹介したことがある。もう二十年以上も前になるが、勤め先の高校で彼と出会った。弘哲君は高校生の頃から歌を作り、東京に行き大学に通いながら音楽活動を始めた。卒業後も仕事をしながら音楽を続けてきた。(「雨宮弘哲 ホームページ」参照)

 包みを解くと、フジファブリック『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープがあった。2001年夏頃、自主制作のデモテープとして制作された。現在は入手困難な非常に貴重なものである。驚きと嬉しさのあまり、しばらくの間そのパッケージを眺めていた。







 手紙が添えられていた。
 弘哲君は、インディーズ時代のフジファブリック(いわゆる第2期)のベーシスト加藤雄一さんとあるパスタ店で一緒に働いていた。音楽をするバイト仲間ということで親しくなり、加藤さんから『茜色の夕日/線香花火』のカセットテープをいただいたそうだ。年末の片付けの際、どこかにしまいこんだまま行方不明になっていたそのカセットをようやく見つけた。(不思議なことにその日はたまたま12月24日だった)。志村正彦について僕がブログで書いていることを知っていた彼は、この貴重なテープをわざわざ贈ってくれたというわけである。

 このテープは時々ネットオークションに出品され高価で取引されている。そういう形で入手するには抵抗があったのでこのテープを手にすることはなかった。当然、音も聴いたことはなかった。デビューのために準備されたデモテープ。『茜色の夕日』を業界に問うような意志で録音された音源は未知の存在であった。(「ロックの詩人志村正彦展」の際に出品していただいた実物を初めて手にすることができたが、その時も音は聴いていない)

 第2期フジファブリックのベース加藤雄一さんから雨宮弘哲君へ、そしてかなりの年数を経て僕のところへカセットテープが贈られてきた。こんなこともあるのだなと僕はしみじみと縁のようなものを感じた。勝手な想いではあるが、幻のテープが十数年をかけて手紙のような形である一人の聴き手という宛先に届いた。そういう心持ちになった。

 おそるおそるテープをかけてみた。年月を経たテープなので切れてしまわないかという不安もあったが大丈夫だった。しばらくするとドラムのイントロが始まり、志村正彦の声が響いてきた。想像よりもずっと若々しい声だった。21歳頃の録音だが、どちらかというと十代後半のティーンエイジャーの声のように聞こえる。青年ではあるが少年の声が入り込んでいるとでも形容できるだろうか。
 全体的にテンポが速い。アレンジも違う。富士吉田からの友人渡辺隆之さんが的確にリズムを刻む。加藤雄一さんが落ち着いたベースを奏でる。萩原彰人さんが弾くギターの旋律が豊かに広がる。田所幸子さんのキーボードの音色がのびやかで美しい。ミキシングなど録音面の課題があるが、歌も演奏も力強く、作品として充分に高い質を持っている。何よりも言葉が一つひとつ聴き手にせまってくる。

 『茜色の夕日』という作品の重要性はあらためて言うまでもない。志村正彦の原点であり、ある意味ではずっと目標でもあり続けた作品である。
 この歌は志村の個人的な経験を素材にしていると本人が語っている。2001年録音のカセットテープ版『茜色の夕日』は、その個人的経験と時間的にも心理的にもまだそう離れていない地点に歌い手がいる。その出来事の余波の渦中にまだいる中で、その経験を見つめなおし、歌う意味を問いかけている。

 (この項続く)

2017年12月31日日曜日

時代の断裂[志村正彦LN171]

 2012年12月にこのブログを始めてから5年経ち、ページビューも19万を超えた。思いつくままに不定期で書いてきたにもかかわらず、拙文を読んでいただいた方々にはとても有難い気持ちになる。
 毎年大晦日に振り返りのようなものを載せてきた。今年はもう2017年。すでに2010年代も後半に入っている。今日はこの時代についても書いてみたい。

 12月23日のSPARTA LOCALS、Analogfishのライブは、音楽そして言葉の力のあふれるものだった。志村正彦・フジファブリックと同時期にデビューしたこの三つのバンドは、オールタナティブ系という括りを超えて、2000年代を代表する日本語ロックのバンドだろう。
 この三つのバンドのデビュー時のマネージャーが語り合っているLOFTの記事「3バンドマネージャー対談 〜明日のロックを担うのは、俺たちでしょうが!(金八風)〜」がある。発掘からデビューまでの経緯が具体的に言及されていて興味深い。

 SPARTA LOCALSは福岡で、Analogfishは長野で、短い期間ではあるがライブ活動をした後に上京しデビューした。それに対して、志村正彦・フジファブリックは高校卒業後すぐに上京して音楽活動に備えていた。この点が違いといえば違いだろう。富士吉田には活動できるライブハウスなどの場がほとんどなかった。山梨の方が東京に近い(富士吉田から東京までは車で1時間半ほどの距離)という地理的な条件もあった。志村正彦は迷わずに東京へ出ていったのだろう。三つのバンド共に2000年前後に上京し、2002年から2003年にかけてインディーズデビューを果たす。デビューアルバム・ミニアルバムの発表時期を記しておこう。

 2002年 4月  SPARTA LOCALS 『悲しい耳鳴り』
 2002年10月   フジファブリック 『アラカルト』
 2003年 6月    Analogfish 『世界は幻』

 この三つのバンドは同時期にデビューしたライバルとして互いを意識していただろう。作風も演奏も異なるが、日本語ロックの最先端を担う者たち同士として、孤高の道を歩みながら慣れ合うことなく交流していったようだ。2005年11月、合同企画「GO FOR THE SUN」イベントはその象徴である。ないものねだりだが、このライブのフル映像を見たいものだ。CSで放送されたそうだが、権利上の問題からDVD化は不可能なのだろうが。

 11月末まで仕事がとても忙しく、ブログの更新もおろそかになった。12月に入り少し余裕が出てきたので、SPARTA LOCALSとAnalogfishの初期作品から現在までのアルバムを繰り返し聴いてみた。(SPARTA LOCALSの場合、HINTO、堕落モーションFOLK2という流れで)
 彼らの音楽の中心にあるものは全く変わっていない。変わらないということを変えないで持続してきた表現者の刻印がいたるところにある。これだけでも驚くべきことなのだが、それ以上に驚嘆すべきなのは、この二つのバンドの言葉と楽曲がつねに深いところへ進み続けているということだ。変わらないままに進み続けている。変わりながら進むことは可能でも、変わらないままに原点を持続して、進化、深化していくのは極めて難しい。

 SPARTA LOCALSは2009年に解散した。Analogfishは2008年に斉藤州一郎の休養があったが幸いに2009年に復帰した。この時実質的にはバンドとして再出発したのではないかと思われる。
    前々回触れたが、2009年のSPARTA LOCALS解散時に志村正彦が『スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ』と安部コウセイにせまった。
 2009年12月24日、志村正彦は亡くなった。「志村正彦のフジファブリック」は永遠に失われてしまった。「COUNTDOWN JAPAN 09/10」の12月28日のステージで、Analogfishの下岡晃は「ちょっと話したいんだけど」と、スパルタローカルズの解散、フジファブリックの志村の急逝という、仲間との別れへの悲しみを口にして、「俺たちは誠実に旅を続けようと思う」と『Life goes on』を演奏したそうである。(クイックレポート COUNTDOWN JAPAN 09/10 高橋美穂)
 2009年、ゼロ年代の終わり近くに、SPARTA LOCALS、Analogfish、フジファブリックは各々、解散、再始動、終焉を迎えた。

 事実の羅列になってしまうが、SPARTA LOCALSの後継、HINTO/堕落モーションFOLK2とAnalogfishの2010年代のこれまでの展開を振り返りたい。
 2010年、HINTOは活動を始め、2012年6月『She See Sea』、2014年7月『NERVOUS PARTY』、2016年9月『WC』、堕落モーションFOLK2は2012年5月『私音楽-2012春-』、2015年5月『私音楽-2015帰郷-』をリリースした。
 2011年3月の東日本大震災、福島原発事故。その現実に向かい合うようにして、Analogfishは「社会派三部作」といわれるアルバム、2011年9月『荒野 / On the Wild Side』、2013年3月『NEWCLEAR』、2014年10月『最近のぼくら』をリリース。2015年9月『Almost A Rainbow』発表。彼らのアルバムやライブについてはこのブログで何度も取り上げてきた。彼らが誠実に真摯に旅を続けてきたことは間違いない。

 SPARTA LOCALS/HINTO/堕落モーションFOLK2、Analogfish。共に、2000年代と2010年代との間に断絶、というよりも痛みを伴った断裂がある。バンド自体の活動が十年に達し、メンバーの年齢も二十歳代から三十歳代に入る。メジャーからインディーズへと拠点が変わる。各々の固有の問題もある。それと共に、2011年の震災・原発事故という社会的歴史的な断裂が決定的な影響を与えたように思われる。

 日本でも欧米でも、三十歳の壁を越えて優れた作品を作り出すロック音楽家は少ない。(質を保ち続けたとしても寡作になる)自己模倣とファンの囲い込みと業界の法則の中で、軽い石のようにころころと転がり続けるしかないという現実がある。「ロック」という音楽そのものの「壁」かもしれないなどと訳知り顔で言いたくなるが、HINTO・堕落モーションFOLK2やAnalogfishはその「壁」を壊し続けている。少なくとも「壁」に挑み続けている。

 「志村正彦のフジファブリック」が2010年代の音楽を創り上げることができたとしたら、どんなものになっていたのだろうか。音楽的な想像力が乏しい筆者には何も想い描けないのだが、2017年の終わりの日にそんなことをふと思ってしまった。
 


 

2017年12月27日水曜日

SPARTA LOCALS『ウララ』(12/23 渋谷WWW X)

  前回に続き、「SPARTA LOCALS presents『TWO BEAT』:SPARTA LOCALS / Analogfish」(渋谷WWW X)について書きたい。
 
 そもそも「SPARTA LOCALS」というバンドを知ったのは、『美代子阿佐ヶ谷気分』(監督・坪田義史)という映画を通じてだった。公開は2009年。その翌年wowowで放送された際に見た。この作品は安部コウセイ・光弘の父母、安部愼一・美代子を描いた原作の漫画を映像化したもの。70年代初頭の阿佐ヶ谷を舞台に、漫画家の愼一と恋人の美代子の日々の光と影を描いた優れた映画だった。最後の方で時間は現在に変わり、安部愼一本人が登場する。主題歌はSPARTA LOCALS『水のようだ』。タイトルバックで彼らの演奏も映し出される。

 それからしばらくして、志村正彦・フジファブリックとの関係を知り、音源や映像をたどるようになった。
 始めてSPARTA LOCALSを聴いたときに二つのギターの音の絡み方やハイトーンのボイスに、ある種の懐かしさのようなものを感じた。英米のパンク、ニューウェイブ系のバンドに似ているサウンドがあった。どのバンドか、すぐには思いつかない。ネットで記事を探すと、安部コウセイがTelevisionからの影響を語っていた。なるほど、Tom Verlaine率いるTelevisionか。確かに似ている。僕はTelevisionをリアルタイムで聴いている世代だ。70年代ニューヨークのパンク・ニューウェイブの代表、Patti Smith、Talking Headsと共に、Televisionの『Marquee Moon』(1977年)、『Adventure』(1978年)は学生時代の愛聴盤だった。LPジャケットの写真も秀逸で「それらしさ」を醸し出していた。

 SPARTA LOCALSの特徴あるギターサウンドに乗って繰り広げられる歌の言葉には、どこにも帰属できない単独者の憂いや叫びがあった。持て余したような悲しみや怒りの陰影があった。それらと矛盾するようで矛盾しない、ほんわりしたユーモアもあった。そのようにしてかなり練り上げられた歌詞がサウンドと違和感なく融合している。ニューヨークパンクに起源のあるサウンドに優れた日本語歌詞が的確に乗っている。それは驚きであり新鮮な経験でもあった。「日本語パンク」(あえてそう位置づけよう)の伝統の中でもSPARTA LOCALSは独創的な位置を占めている。 2009年の解散時に志村正彦が「スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ」と言ったのは、その言葉通りのきわめて正当な評価だろう。

 安部はSPARTA LOCALS再結成について言及した記事で、「HINTOもあって、堕落もあったから、スパルタを俯瞰で観れるようになった」と語っている。2017年の現在、彼らはHINTO、堕落モーションFOLK2、SPARTA LOCALSという三つのバンドで活動している。このトライアングルの存在自体が現在の音楽シーンできわめて貴重だ。その姿勢は真摯であり、自由であり愉快ですらある。

 今回のライブを前にあらためて7枚のアルバムを繰り返し聴いた。最も好きなのは3rdアルバム『SUN SUN SUN』冒頭曲の『ウララ』だ。冬が終わり春うららの季節を迎える「君」と「僕」の物語。「小さい雨」「なずなの群れ」に見られる季節感は福岡県田川の出身ということもあるのだろう。「ふるさとは今日も晴れてるらしいね/友だちの顔が少しよぎったんだ」にも、地方から上京した都市生活者の想いが自然に滲み出る。ほんのりした笑いもある。そして何よりも「忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた」には、阿部コウセイでしか伝えられない世界がある。

 12月23日の渋谷WWW X。Analogfishのステージが終わり、セッティング時間の後にドラムス中山昭仁のかけ声でSPARTA LOCALSのライブが始まった。伊東真一のギターも安部光広のベースも、あたりまえのことだが、HINTOとは異なる。ホールの音響特性もあり、音の塊感が尋常でない。容赦なくこちらにぶつかってくる。これがスパルタの音かと感慨が走る。でも解散前のことは分からない。これはやはり「2017年のSPARTA LOCALS」の音なのだろう。

 アンコール2曲目、最後の歌は『ウララ』だった。単純にうれしかった。少しやわらかな表情で歌うコウセイ。会場からの「カモン!カモン!カモン!」のやりとり。とてもいい雰囲気だった。
 この歌には、HINTOや堕落モーションFOLK2につながるエッセンスもある。歌詞の全編を引用してこの回を閉じたい。


 ウララ (作詞:阿部コウセイ 作曲:SPARTA LOCALS)


誰かの原チャリまたがって 君は笑う (カモン!カモン!カモン!)
日光とっても やさしいぜ 僕も笑う (カモン!カモン!カモン!)
 何かどーでもいい 理屈や不安に
 ちょっと溺れていた 冬は終わったんだ

ふんだりけったりされたって 僕は唄う (カモン!カモン!カモン!)
ハッタリ元気ふりしぼって 君はおどる (カモン!カモン!カモン!)
 全部わかるふりしなくてもいいかい?
 本当はいつでも こんがらがってんだ

生きてる事とかに緊張したって しょうがねーや
退屈すぎるけど それも嫌だって思わん

  小さい雨 なずなの群れを 濡らしている (カモン!カモン!カモン!)
  青すぎる空気吸い込んで 鼻が出たよ (カモン!カモン!カモン!)

 ふるさとは今日も晴れてるらしいね
 友だちの顔が少しよぎったんだ

世界のイカサマに落ち込んだって しょうがねーや
まじめな事とかは明日話そうか、温いから

  忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた
  忘れちまった事も忘れた 忘れちまった事も忘れた

 君はウララ 僕もウララさ

2017年12月24日日曜日

Analogfish『There She Goes (La La La)』(12/23 渋谷WWW X)

  昨夜、渋谷WWW Xで「SPARTA LOCALS presents『TWO BEAT』出演:SPARTA LOCALS / Analogfish」を見て帰ってきた。甲府駅に着く頃には日付が変わろうとしていた。底冷えのする街を歩きながら、二つのバンドの残響が頭に回り続ける中で、12月24日を迎えた。

 SPARTA LOCALSは2009年9月に解散した。その際に志村正彦が安部コウセイに伝えた言葉が、『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)「Special Interview for Fujifabric」に掲載されている。安部はこう述べている。


 「そういえば、スパルタローカルズが解散するっていう時に、すっごい志村に怒られたんですよね。電話がかかってきたんですよ。うわ、志村だ、あいつ絶対怒ってると思ってシカトしてたら、メールがきて。『てめえ、なんで電話にでねえんだ』って、キャラクター変わってる勢いのメールで。『スパルタが解散したら、ロックシーンはどうなるんだ』みたいな内容でした。別に、どうにもなんねえよって返しましたけど。でも、びっくりした。そんなに怒られるとは思ってなかったから。解散ライブには、フジファブリックみんなが来てくれたんですけど、すげえ睨まれた、志村から。ホント、子供みたいなやつですよね」


 志村にそこまで言わせたSPARTA LOCALSの存在。生で聴くことは永遠にないと思っていたが、昨年、「復活」した。ライブに行く機会を探していたところ、Analogfishとの組み合せで12月23日にあることを知った。クリスマスイブの前夜、渋谷は大変な混雑だろう。どうしようかかなり迷った。Analogfishは甲府の桜座でここ4年ずっと聴いてきた。彼らがライブの回数を減らしたせいか、今年、桜座での公演はなかった。年に一度は彼らの音の波動に浸りたい。SPARTA LOCALSとAnalogfishはフジファブリックの同世代バンドとして、志村が高く評価していた。2005年11月、この三つのバンドの合同企画「GO FOR THE SUN」イベントもあった。この機会を逃したら、この二バンドの組み合せを経験することは当分ないだろう。そう考え決心した。

 予想以上に渋谷は大変な賑わい。昨年のHINTOライブの時はハロウィンの最中だったがそれ以上の人出。華やぐ街を五十代後半男性が一人歩く場違い感がすごい。会場は満員。三十代後半から四十代前半の男性も少なくなかったので、少し落ち着けた。

 7時を過ぎてAnalogfishからスタート。この日はギターの浜本亮(Ryo Hamamoto)を入れての4人編成。桜座でのmooolsとの混成バンドで、浜本のギターを加えたAnalogfishを聴いたことがあるが、最初からは初めて。音に厚みがあり多彩だ。桜座では音が綺麗で垂直に立ち上がるが、WWWXでは音が重厚で水平に広がっていく。フロアで踊る若者にはこの感触の方が好まれるだろう。僕の好みは桜座だが。
 新曲もまじえて馴染みの曲が続く。佐々木健太郎は髪を後ろに束ねて別人のようだったが、力強く伸びる声は彼ならではの個性だ。下岡晃は「クソみたいな気持ちに対抗する」ために歌っているとMCで述べた。彼の歌詞はいつも時代に抗っている。この日は特に『There She Goes (La La La)』が素晴らしかった。祝祭感あふれるグルーブを斉藤州一郎のドラムが支えている。

 この曲のMVが粋だ。色彩のある街は渋谷だろうが、始まりと終わりそして時折、砂浜の白黒の映像が浮かび上がる。「砕けた夢のかけら」が舞い上がるかのように。 公式映像と歌詞の後半を引用したい。こんなラブソングはAnalogfishにしか創れないだろう。
    (この項続く)




『There She Goes (La La La)』(作詞:下岡晃 作曲:アナログフィッシュ)


  長い長すぎる夜を
  駆け抜ける方法は

  君が残していった香りを
  辿るだけでいいのさ

  Where are you going?
  わからない

  What do you believe in?
  何もない

  Where are you going?
  わからない

  What do you believe in?
  君だけさ Yeah

  La La La

  彼女が道を行けば
  砕けた夢のかけらが
  もう一度舞い上がる

  La La La

2017年12月17日日曜日

芥川龍之介の不安にゆれる心象-『蜃気楼』8[志村正彦LN170]

 久しぶりに志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』に戻りたい。

 連載第7回で紹介した芥川龍之介『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』という小説の中で、蜃気楼はどのように描写されているのだろうか。
 作品前半の登場人物「僕等」三人、「僕」芥川と「O君」親友小穴隆一と「大学生のK君」は、ある秋の昼、蜃気楼を見るために鵠沼海岸に出かける。


 蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等はいずれも腹這いになり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。が、その外には砂浜にある船の影も何も見えなかった。
「あれを蜃気楼と云うんですかね?」
 K君は顋を砂だらけにしたなり、失望したようにこう言っていた。そこへどこからか鴉が一羽、二三町隔った砂浜の上を、藍色にゆらめいたものの上をかすめ、更に又向うへ舞い下った。と同時に鴉の影はその陽炎の帯の上へちらりと逆まに映って行った。
「これでもきょうは上等の部だな。」
 僕等はO君の言葉と一しょに砂の上から立ち上った。


 腹這いになった「僕等」が見たのは、「陽炎の立った砂浜」の上に「青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた」光景だった。それは「海の色が陽炎に映っているらしかった」と推測されている。また、どこからか一羽現れた「鴉の影はその陽炎の帯の上へちらりと逆まに映って行った」光景も目撃される。「K君」は失望し、「O君」はこれでも上等だと言う。この日「僕等」が見たのは「蜃気楼」というよりも、「陽炎」の中に映る像や影のようだと「僕」は解析している。あくまで自然現象として考察する「僕」のありかたを記憶すべきだろう。

 作品後半では、夜の七時頃に「僕」と「O君」と「妻」の三人(「K君」は帰京した)が鵠沼海岸に再び出かける。第7回で引用した「鈴の音」の場面に続いて、「僕」はある夢を語る。


 僕はO君にゆうべの夢を話した。それは或文化住宅の前にトラック自動車の運転手と話をしている夢だった。僕はその夢の中にも確かにこの運転手には会ったことがあると思っていた。が、どこで会ったものかは目の醒めた後もわからなかった。
「それがふと思い出して見ると、三四年前にたった一度談話筆記に来た婦人記者なんだがね。」
「じゃ女の運転手だったの?」
「いや、勿論男なんだよ。顔だけは唯その人になっているんだ。やっぱり一度見たものは頭のどこかに残っているのかな。」
「そうだろうなあ。顔でも印象の強いやつは、………」
「けれども僕はその人の顔に興味も何もなかったんだがね。それだけに反って気味が悪いんだ。何だか意識の閾の外にもいろんなものがあるような気がして、………」
「つまりマッチへ火をつけて見ると、いろんなものが見えるようなものだな。」


 芥川はある小品で、かなり唐突な形ではあるが、「フロイト」という固有名詞へ言及したことがある。「フロイト」は精神分析の創始者、ジグムント・フロイトのことであろう。芥川がフロイトの英訳本を読んでいた可能性はあると思われるが、少なくとも、大正時代から紹介され始めたフロイト理論を知っていたことは間違いない。(日本近代文学館と山梨県立文学館の芥川蔵書コレクションにはフロイトの著作はない。ただし、二館のコレクションは蔵書のすべてではないので、実証的には判断できない。)
 この場面で「僕」が述べている「意識の閾の外」にある「いろんなもの」とは、精神分析的な枠組から捉えると、「夢」の中の「無意識」の表象であろう。実際に、晩年の芥川作品には夢や無意識のモチーフが頻繁に登場する。

 『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』では、「鈴の音」の錯覚や「意識の閾の外」にある夢の世界という捉え方の範囲でとどまっている。ある種のバランスがあり、作者芥川もそのことに自信を持っていた。「話」らしい話のない小説の具現とも考えていた。構想したのはおそらく大正15年末だろう。しかし翌年の昭和2年になると、芥川の人生に転機が訪れたこともあり、作風にも大きな変化が生じた。「錯覚」にとどまらない「幻覚」や「幻聴」をモチーフとする『歯車』や、夢と無意識の世界に深く下降していく『夢』(題名そのものが夢である未定稿小説)などを遺している。

 『歯車』の主人公「僕」は、見えてくる形や聞こえてくる音を、そこにはありえないもの、不気味なものや恐ろしいもの、「死」を連想させるものに変換してしまう。『夢』の主人公「わたし」は、作中の現実と「夢の中の出来事」が混然一体となるような不可思議な経験をする。もちろん小説表現の中の出来事であり、作者芥川自身の経験とは分けねばならない。小説とその作者は基本として分離すべきである。しかし、『歯車』や『夢』のリアリティがどこからもたらされたのかは、きわめて重要な問いでありつづける。

 志村正彦作詞の『蜃気楼』と芥川龍之介『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』の間に、直接的で具体的な関係はおそらくないであろう。(志村が「蜃気楼」という言葉を芥川経由で頭に刻んだ可能性はあるかもしれないが)それでも、「蜃気楼」という言葉が、主体の不安にゆれる心象の現れであることの類似性は興味深い。 

  (この項続く)

2017年12月10日日曜日

「すごい才能の塊でしたよ」奥田民生 [志村正彦LN169]

 昨夜12月9日の23:00-24:00、スカパー!のチャンネル「フジテレビNEXT」で「TOKYO SESSION 第七夜」という音楽番組が放送された。
 出演は、奥田民生、斉藤和義、山内総一郎の三人。Vocal, Guitar, Bass, Drumsと曲ごとにパートを変えながらセッションし、セレクトカヴァー&セルフカヴァーを演奏した。舞台は「Bar Monsieur」というライブバー。オーナーはムッシュかまやつ、旅に出ているという設定だった。店長のKenKen、バーテンダーのシシド・カフカが進行役だ。
 この回のセットリストを載せよう。


「はいからはくち」 はっぴいえんど
「スローなブギにしてくれ(I want you)」 南佳孝
「「3」はキライ!」 カリキュラマシーン
「若者のすべて」 フジファブリック
「ずっと好きだった」 斉藤和義
「イージュー★ライダー」 奥田民生
「やつらの足音のバラード」 かまやつひろし


 はっぴいえんど「はいからはくち」は、Vocal・Guitar山内、Bass斉藤、Drums奥田という編成。日本語ロックの名曲というか問題作をこの三人が演奏するのは興味深かった。山内総一郎は数曲でBassを弾いたが、その慣れない姿を含めて珍しいものだった。

 注目の「若者のすべて」は、Vocal・Guitar山内、Bass奥田、Drums斉藤で演奏された。奥田民生はバックコーラスも担当し、「若者のすべて」カバーの歴史の中でも特筆すべき映像となった。その一部が「第七夜SPOT」として公式webにある。




 演奏前に、奥田民生が志村正彦について語った言葉を書き写したい。


いやーやっぱりなんか、とにかくその、個性っていうんですかまあ代わりのいない感じというか。強烈に持っていましたから。曲にしても、声にしても。すごい才能の塊でしたよ。うん


 志村正彦が亡くなった後、奥田が志村について述べた言葉はほとんどないのではないだろうか。特に放送メディアでは。その意味で非常に貴重なものとなった。発言時、奥田が遣る瀬無いような表情をしていたことも記しておきたい。12/16(土) 18:40~19:40に再放送予定だから、視聴可能な方はご覧になることをすすめたい。

 特に、奥田が「声」に言及していることが個人的にはとても納得した。志村の「声」はまさしく代わりのない特別なものだから。そして何よりも、「すごい才能の塊でしたよ」という言葉が、奥田民生の志村正彦に対する想いのすべてを語っている。


2017年11月26日日曜日

矢野顕子『Bye Bye』 [志村正彦LN168]

 一昨日、11月24日の夜、矢野顕子がNHK BSプレミアムの『The Covers』で志村正彦作詞作曲の『Bye Bye』を歌った。この曲はもともと志村正彦がPUFFYに提供し(アルバム『Bring it!』2009/6/17)、フジファブリックがセルフカバーしたものだ(アルバム『MUSIC』2010/7/28)。矢野は『Soft Landing』という 7年ぶりのピアノ弾き語りアルバム(11/29発売予定)の1曲目に『Bye Bye』を収録したようだ。

 矢野顕子という存在は、スペシャルゲストの糸井重里、そしてあのYMOと共に、70年代後半から80年代にかけての若者文化や音楽の象徴の一人だった。僕らも同じ時代を呼吸してきた世代だ。だから事前にこの情報を知ったときに、あの矢野顕子が志村正彦をどうカバーするのか、嬉しいことではあるのだがどんな歌になるだろうという想いもまたよぎっていた。

 『MUSIC』は志村正彦の没後に、メンバー・スタッフが残された音源を基に完成させた作品である。その過程の悲しさとつらさを思うと何も言えないのだが、それでもあくまで参考作品であるとは思う。ただし、この『Bye Bye』は詞曲共に作品としては生前の完成作である。『MUSIC』の中でも位置づけが異なるだろう。それでも、この曲も他の曲も『MUSIC』を聴き通すのはある苦しさがある。他のアルバムとは異なる緊張感のようなものがある。

 番組に戻ろう。『Bye Bye』は最後に歌われた。見ることのできなかった方のために、画面やナレーション、司会のリリー・フランキーと矢野顕子の会話を書きだしてみよう。

《画面》 
 *テロップ                      Cover Song#2
              フジファブリック「Bye Bye」(2010)
                                          詞・曲:志村正彦
 *背景 『Music』のCDジャケット写真
 *音楽 「それじゃバイバイ またバイバイ/繰り返しても帰れない 離したくても離せない手だ/君が居なくても こちらは元気でいられるよ/言い聞かせていても」まで、志村正彦の歌声が入る。
 *ナレーション 今夜最後の曲はフジファブリックの『Bye Bye』。作詞作曲はメンバーの志村正彦。2010年発表のアルバム『MUSIC』に収録。せつない恋心を描いた一曲です。

(リリー)矢野さんがこの『Bye Bye』を聴いたときに、そのどういうところがこの曲の魅力?
(矢野)あの…やっぱりやっぱり詞かなあ。詞から入っていくので。で、その、メロディもキャッチーだし…あ、いいなと思って。で、次にすることは歌詞カードを見て。そして、自分だったらこれはこういう考え方はしないかなとか…そういう自分の口からこういう言葉は絶対出さないなあみたいなことが入っていたらもうその曲はサヨナラっていうか…でも『Bye Bye』はいける…と思ったので。


 ナレーションではPUFFYに対する言及が一切なかったが、本当は一言入れるべきだろう。音源としてはオリジナルリリースなのだから。
 矢野の発言が興味深い。やはり『Bye Bye』の魅力が「詞」にあると述べている。キャッチーなメロディにも惹かれようだ。「でも『Bye Bye』はいける」の「いける」に、カバーの才人矢野らしい確信のニュアンスが込められていた。

 フジファブリック『Bye Bye』音源の志村の歌は完成段階のものではないと思われる。ラフな感じがして、そのことが逆に、日常の中の想いがそのまま漂ってくるような感触がある。歌詞にある「もう離してしまった」者の透明な寂しさや悲しさが伝わってくる。

 矢野の方は、志村の透明な想いに矢野らしい感情と感覚の色合いを加え、より凝縮された想いを聴き手に届けようとしていた。カバー曲というよりも矢野自身の『Bye Bye』に昇華されて、非常に力のある、すばらしい歌とピアノ演奏だった。そして、矢野のこの曲への想いと共にこの曲の作者への想いも重ね合わされていたように感じた。これは勝手な僕の想いにすぎないが。
 言葉で綴るとそうなるのだが、それよりもここに記すことはただ一つのことだ。涙が静かに静かに落ちてきた。

2017年10月29日日曜日

芥川龍之介『蜃気楼』-『蜃気楼』7[志村正彦LN167]

 『スクラップ・ヘブン』パンフレット(オフィス・シロウズ、2005/10/8)に、「DIALOGUE  李相日×志村正彦(フジファブリック)」という対談が掲載されている。志村正彦は、「蜃気楼」というタイトルの由来は?、という問いに対してこう述べている。   

 絶望だけで終わりたくない、かといって希望が満ちあふれた感じでもないなと思って、その迷っている感じですかね。実際に蜃気楼というものを見たことはないんですけど(笑)、その揺れている感じが合うかなと。

 志村は、「絶望」と「希望」という相反するものが揺れている「感じ」を重んじたようだ。「絶望」と「希望」のあわいにあるもの、「絶望」が「希望」にあるいは「希望」が「絶望」に反転していくような世界、そのようなイメージを「蜃気楼」に託そうとした。「絶望」と「希望」のあわいに「実像」と「虚像」が入り乱れるような光景を心に描いた。それが「蜃気楼」というイメージにつながったのだろうか、それでもなぜこの言葉を使ったのだろうか。

 文学作品の中で「蜃気楼」という言葉で思い浮かぶのは、芥川龍之介の短編『蜃気楼』(正確には『蜃気楼―或は「続海のほとり」―』)だろう。この作品は、1927年3月、芥川の死の半年ほど前に発表された。晩年を代表する小品で、評価が高い。
 志村はかなりの読書家だったことで知られている。彼がこの小説を読んだ可能性は大いにあると思われる。仮に読んでいなかったとしても、「蜃気楼」という作品の存在、その題名は知っていたはずだ。彼の記憶のどこかにこの言葉があっただろう。

 芥川龍之介の『蜃気楼』は次のように始まる。

 或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。鵠沼の海岸に蜃気楼の見えることは誰でももう知っているであろう。現に僕の家の女中などは逆まに舟の映ったのを見、「この間の新聞に出ていた写真とそっくりですよ。」などと感心していた。
 僕等は東家の横を曲り、次手にO君も誘うことにした。不相変赤シャツを着たO君は午飯の支度でもしていたのか、垣越しに見える井戸端にせっせとポンプを動かしていた。僕は秦皮樹のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。
「そっちから上って下さい。――やあ、君も来ていたのか?」
 O君は僕がK君と一しょに遊びに来たものと思ったらしかった。
「僕等は蜃気楼を見に出て来たんだよ。君も一しょに行かないか?」
「蜃気楼か? ――」
 O君は急に笑い出した。
「どうもこの頃は蜃気楼ばやりだな。」

 「僕」は作者の芥川自身、「大学生のK君」が誰かは分からないが、「O君」は芥川の親友小穴隆一を指すものと思われる。虚構作品ではあるが、現実の出来事を素材にしていることは間違いない。「女中」の発言にある「この間の新聞」も実際に存在していたことを調査した研究もある。当時、舞台の鵠沼海岸に多くの見物客が訪れたようである。

 この後、この三人は海岸の方に歩いていく。特に事件が起きるわけでもなく、歩行中の会話や心象風景が次々と綴られていく。芥川が晩年唱えた、「話」らしい話のない小説の一種とも言われている。物語らしい物語がないとしても、何らかの表現のモチーフがあるだろう。それは何か。
 不気味なものに遭遇する。そのように「錯覚」する。作者芥川の分身である「僕」の不安が、中心的なモチーフとなっていると言えるかもしれない。「錯覚」という言葉が何度か繰り返される。

「好いよ。………おや、鈴の音がするね。」
 僕はちょっと耳を澄ました。それはこの頃の僕に多い錯覚かと思った為だった。が、実際鈴の音はどこかにしているのに違いなかった。僕はもう一度O君にも聞えるかどうか尋ねようとした。すると二三歩遅れていた妻は笑い声に僕等へ話しかけた。
「あたしの木履の鈴が鳴るでしょう。――」
 しかし妻は振り返らずとも、草履をはいているのに違いなかった。
「あたしは今夜は子供になって木履をはいて歩いているんです。」
「奥さんの袂の中で鳴っているんだから、――ああ、Yちゃんのおもちゃだよ。鈴のついたセルロイドのおもちゃだよ。」
 O君もこう言って笑い出した。そのうちに妻は僕等に追いつき、三人一列になって歩いて行った。僕等は妻の常談を機会に前よりも元気に話し出した。

  引用文の「妻」は芥川夫人の「芥川文(ふみ)」であろう。この場面では芥川、妻の文、小穴の三人が海辺を歩いている。「僕」は「鈴の音」が聞えるような気がする。「この頃の僕に多い錯覚」かと思うが「実際」にどこかで音がしているようにも思える。錯覚だろうか現実だろうか、そのように心が揺れること自体が「僕」は気がかりだ。その「僕」の不安を敏感に察した「妻」は「笑い声」で先を制すように「木履」を、「O君」も「鈴のついたセルロイドのおもちゃ」を原因として挙げる。「妻」も「O君」も笑いによって「僕」の不安を鎮めようとしている。その二人の想いが少しは通じたのか、「僕等」は「常談」として受けとめ、「前よりも元気に」話しだす。

 この場面はおそらく、芥川、妻の文、小穴隆一との間で現実にあった出来事であろう。妻の芥川に対する気遣い、小穴の友情が伝わってくる。暗い心象風景を描いたと言われる『蜃気楼』だが、この二人の言葉や心情がほのかな光を灯しているようにも読みとれる。

  (この項続く)

2017年10月22日日曜日

「この素晴らしき世界に僕は踊らされている」-『蜃気楼』6[志村正彦LN166] 

 一月ぶりに志村正彦・フジファブリックの『蜃気楼』に戻りたい。
 『スクラップ・ヘブン』のエンディング・バージョン(映画の時間の「1:53:22」から「1:56:32」まで3分10秒ほど流れる)の歌詞をあらためて引用する。オリジナル音源の全8連から第2,3,4,5連を削除した残りの第1,6,7,8連で構成されている。


1  三叉路でウララ 右往左往
   果てなく続く摩天楼

6  この素晴らしき世界に僕は踊らされている
   消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる

7  おぼろげに見える彼方まで
   鮮やかな花を咲かせよう

8  蜃気楼… 蜃気楼…


 オリジナル音源の第2,3,4,5連は、「月を眺めている」「降り注ぐ雨」「新たな息吹上げるもの」という自然の風景や景物を描いた上で、「この素晴らしき世界」の「おぼろげに見える彼方」に「鮮やかな花」を出現させて、作者志村正彦が映画から感じとった「希望」を象徴的を表現しているが、映画版ではそのような系列が削除されてしまった。 その代わりに、第6連にある「世界」というモチーフが前景に現れている。このモチーフは、『スクラップ・ヘブン』の物語の中心を成す「世界を一瞬で消す」から発想されたものだろう。「世界」の消滅への欲望をめぐって、シンゴ、テツ、サキの三人が絡まり合う。特にラストシーンのシンゴにとって、「世界」は「消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる」という実感を伴って迫ってくるものだったろう。

 ただし、『プラスアクト』2005年vol.06(株式会社ワニブックス)で、志村が「霞がかかった何もない所で、映画の主人公なのか僕なのかわからないですけれどウロウロしてる時に、色んな人が来たり、色んな風景が通り過ぎて”どうしよう”という感じ」と述べているように、この「世界」に対する捉え方は作者の志村自身の経験も反映されているのではないだろうか。
 志村正彦の歌詞の中で「世界」が登場する作品を挙げてみる。


  どこかに行くなら カメラを持って まだ見ぬ世界の片隅へ飛び込め!
    『Sunny Morning』

  Oh 世界の景色はバラ色 この真っ赤な花束あげよう
    『唇のソレ』

  小さな船でも大いに結構! めくるめく世界で必死になって踊ろう
     『地平線を越えて』

  遠く彼方へ 鳴らしてみたい 響け!世界が揺れる! 
     『虹』

  世界の約束を知って それなりになって また戻って
    『若者のすべて』

  世界は僕を待ってる 「WE WILL ROCK YOU」もきっとね 歌える
    『ロマネ』

  これから待ってる世界 僕の胸は踊らされる
    『夜明けのBEAT』

  煌めく世界は僕らを 待っているから行くんだ  
    『Hello』

  羽ばたいて見える世界を 思い描いているよ 幾重にも 幾重にも
    『蒼い鳥』


 いくつかの重なり合うモチーフがあるが、『蜃気楼』の「この素晴らしき世界に僕は踊らされている」と関連が強いのは、『地平線を越えて』の「めくるめく世界で必死になって踊ろう」であろう。「蜃気楼」と「地平線」という舞台の類似性もある。世界で踊る、世界に踊らされているという「踊る」という身体の運動は、志村正彦の「世界」に対するイメージの結び方を表している。「踊る」は自動詞だが、「踊らされる」は「踊らす」という他動詞の受動形である。何ものかに操られてその思いどおりにさせられる、という意味がある。歌詞を文字通りに受け止めれば、その何ものかは「この素晴らしき世界」になる。幾分かアイロニカルなニュアンスで「素晴らしき」という形容がされているのか、そのままの素直な意味合いなのかは分からない。「世界」に対する視線が肯定的なのか否定的なのかも判然としない。だが、いずれにせよ、「消えてくものも 生まれてくるものもみな踊ってる」の「踊り」には、「世界」の中で存在するしかない私たちの動き、そのあり方が象徴されている。

 (この項続く)


2017年10月7日土曜日

一人ひとりに伝える-宮沢和史氏の講演会2

 宮沢和史氏の講演会について追記したいことがある。

 講演終了後、生徒からの声を募った。
 沖縄でなく山梨のことを歌ったものがあるかという質問があった。宮沢さんはいくつもあるとした上で特に『星のラブレター』『中央線』の二曲の名を挙げた。軽音楽同好会の部長は、私も音楽を作るのですけど音楽を人に伝えるためにどのようにしていますかと尋ねた。宮沢さんは、観客が数千人の時も五十人位の時もあるが、どんな時でも一人ひとりに向けて歌を伝えていくように心がけていると語った。
 聴き手の一人ひとりに伝える。あの日の体育館には九百人ほどの生徒、保護者、教師がいたのだが、あの『島唄』はまさしくその一人ひとりに届けられた。そのような感触が確かにあった。

 最後に生徒会代表の生徒が御礼のあいさつをした。
 生徒は静かに話し出した。私には沖縄の血が流れている。祖父は沖縄で生まれて小さい頃に沖縄戦を経験し、本土に移住してきた。祖父からは沖縄の話をたくさん聞いてきた。私が今ここで生きている。その命のことを宮澤さんの講演からあらためて考えた。そのような話だった。
 この事実は講演会を企画した私たちも全く知らなかった。偶然だった。
 沖縄にルーツがある生徒と『島唄』の歌い手。かけがえのない講演会となった。