2024年8月11日日曜日

Xの呟きから 「THE BEST MOMENT」ライブ[志村正彦LN351]

  フジファブリック20周年記念ライブ「THE BEST MOMENT」から一週間が過ぎた。あの夜、なかなか眠れないなかでXの呟きを読んだ。4日と5日の呟きのなかで心を動かされたものについて触れてみたい。


 はじめは、メジャーファーストアルバムのプロデューサー片寄明人氏@akitokatayose。


Aug 5 ひっそり参加するつもりでしたが、金澤くんのMCでまさかの紹介をして頂いたので…1stアルバムのプロデュース以来、20年ぶりにお手伝いをさせて頂きました。2024年のフジファブリックのステージに志村正彦を呼んで共に祝おうと、志村家、メンバー、スタッフ、みんなで考えた選曲、演出、映像でした。

Aug 5 志村くんの歌とギターは、EMI期ディレクター今村くんに相談し、志村くんが当時OKを出したマスターを借り、エンジニアの上條雄次と2人でMIX用に施されたエフェクトや調整を外し、歌った瞬間、弾いた瞬間を封じ込めた生々しい処理に仕上げました。そこに今のフジの演奏が重なった時、それは魔法でした。


 志村は片寄氏を音楽的にも人物的にもとても慕っていた。その片寄氏が演出に加わったことが「THE BEST MOMENT」の成功につながった。彼の呟きから、志村正彦をステージに呼んで共に祝うという意図があったこと、志村家、メンバー、スタッフ、そして、片寄明人氏、今村圭介氏、上條雄次氏(山梨県出身のレコーディングエンジニア。志村日記にも登場する)が協力したことが分かる。

 具体的な作業としては、録音マスターテープからMIX用のたエフェクトや調整を外して音源を作成した。確かに、8月4日の志村正彦の声にはある種の生々しさがあった。まさにその場で生で歌っているような臨場感と言ってもよい。山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一と二人のサポーターメンバーの演奏との重ね合わせもかなりリハーサルが必要だっただろう。さらに、編集された映像とのタイミングの調整もある。丁寧に時間をかけて演出されたステージは確かに魔法をかけられたようだった。魔法ではあるのだが、極めてリアルな魔法、現実のような魔法であった。

 今村圭介氏 @KeisukeImamura の呟きも記しておきたい。

Aug 4 フジファブリックのデビュー20周年記念スペシャルライブへ。感情が溢れすぎて止まらなかった。終演後、同じくライブに来てたエンジニアの川面さんとKJと合流して色々語り合ったら少し元気になりました笑   またいつか! 

  KJとは上條雄次氏のことだと思われる。今村氏は志村在籍EMI時代の4枚のアルバムの制作を担当し、志村を支えた方なので、いろいろな感情が溢れてきたのだろう。


 音楽関係者が多いなかで、映画監督の塚本晋也氏のX@tsukamoto_shiny  が目にとまった。

Aug 4 ふとした機会を得、フジファブリック20年記念ライブに。『悪夢探偵』で蒼い鳥を作ってもらった。映像の志村正彦と生のバンドがうまくミックスされ、そこに志村がいるようだった。画面の下を見るとメンバーは激しく動いているが、マイクの前は無人。あの頃から若い人が亡くなることへの恐れが強くなった


 塚本晋也監督は志村正彦の音楽を深く理解していた。『悪夢探偵』のエンディングテーマ曲『蒼い鳥』の制作を依頼した。二人は『QRANK』という雑誌で対談しているが、音楽と映画、その関係について考える上で非常に貴重なものである。(後日、この対談について書いてみたい)

 塚本監督の代表作『鉄男』はリアルタイムで見ている。とにかく衝撃だった。それ以来ほとんどの作品を見てきた。映画監督として異能を発揮してきたが、俳優としても独自の存在感を持つ。


 ライブの翌日、新宿のシネマカリテでピエール・フォルデス監督のアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』日本語版を見てから甲府に帰った。

 この作品は、村上春樹の六つの短編「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」を自由に組み合わせて作られた。今年度は前期のゼミナールで、「UFOが釧路に降りる」「かえるくん、東京を救う」を含む連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』を学生と一緒に読んできたこともあって、ぜひ見てみたい作品だった。

 中心人物は「UFOが釧路に降りる」の小村だが、それに続く重要人物が「かえるくん、東京を救う」の片桐だ。片桐はある信用金庫新宿支店の係長補佐を勤める中年男性。原作では〈私はとても平凡な人間です。いや、平凡以下です〉と述べているが、かえるくんが東京を地震から救うことに協力する重要な役割を持つ。私のゼミでも学生たちは、この片桐という存在をどう捉えるか、活発に議論していた。

 このアニメには字幕版と日本語版の二つのヴァージョンがあるが、日本語で吹き替えて制作された日本語版で、片桐の声優を担当したのが塚本晋也だった。その声と語りは片桐のイメージに重なるところが多かった。難しいキャラクターの微妙な心の陰影を塚本は的確に表現していた。声優としての才能も抜群であることが分かった。


 塚本監督のXを読み、特に〈あの頃から若い人が亡くなることへの恐れが強くなった〉という言葉に心を動かされた。その翌日、声優としての声を存分に聞くことができた。片桐がリアルな存在として迫ってくるような魔法の声だった。その偶然が心のなかに深く刻まれた。


2024年8月6日火曜日

〈フジファブリックという大切な場所〉20周年ライブ「THE BEST MOMENT」 [志村正彦LN350]

 一昨日8月4日、フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」を見てきた。熟考したいことがあるのだが、それは後日に譲ることにして、一昨日の余韻が残るうちに書いておきたいことを記す。

 東京での夜のライブの場合、いつもは日帰り。時間を気にしながらあわただしく甲府に帰るのだが、この日はゆっくりとライブを味わいたかった。会場隣のホテルを予約して午後3時にチェックイン、ひとやすみしてから開演間近に会場に向かった。壁面の大型画面に、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の画像が表示され、三人のやわらかい微笑みが来場者を迎え入れた。



 会場のキャパシティは八千人。チケットは売り切れたそうだ。年齢層が広い。親子連れもいる。二代にわたるファンなのだろう。僕と妻の年齢でもあまり疎外感はなかった。

 座席は、バルコニー3のHというステージに面してかなり右側に寄ったエリアにあった。かなり高い位置から斜め下のステージを見下ろす。傾斜がきつすぎるが、会場のほぼ全体がサイドの側から見渡せた。視野のなかに八千人の観客がいたのは壮観だった。ライブが始まると、記念のペンライトの光が輝いた。曲にあわせて色合が変化していく。


 2000年、志村正彦はフジファブリックを始めた。2004年のメジャーデビュー、2009年の志村逝去を経て、2024年の現在、八千人ほどの観客がこの場に集っている。7月3日発表の「大切なお知らせ」のなかで、志村を失った後、〈フジファブリックという大切な場所を音楽を作り続けながら守っていくという覚悟〉という言葉がある。山内・金澤・加藤の三人にとって、フジファブリックは大切な場であったと同様に、ファンにとっても大切な場であった。この日の東京ガーデンシアターという会場自体が大切な場として可視化されていた。

 山内・金澤・加藤の三人は、フジファブリックという大切な場を〈音楽を作り続けながら守っていく〉ことを選択した。ギター担当だった山内総一郎をメインボーカル、フロントマンに起用して音楽を作り続けた。バンドを解散し、新しいバンドを作り、周年や特別な機会にあわせて、ゲストボーカル方式で志村の作品を演奏していくという選択肢もあっただろう。しかし、彼らはフジファブリックとしての新作をリリースしていくかたちでフジファブリックを存続させようとした。


 僕自身は2019年の〈「15周年」への違和感〉という記事で、〈フジファブリックは2009年12月でその円環が閉じられた〉〈志村正彦のフジファブリックと2010年以降のプロジェクト・フジファブリックとの間には、作品そのものの根本的な差異がある〉と書いた。現在もこの考え方は基本的には変わらない。その時点では2010年以降のフジファブリックを「プロジェクト・フジファブリック」と名付け、その目的が〈志村正彦の作品を継承すること〉〈山内総一郎のフジファブリックを確立すること〉だと捉えていた。


 フジファブリックのバンドとしての継続が、『FAB BOX』のⅠ・Ⅱ・Ⅲなどの音源や映像のリリースや新しいファンの獲得につながり、結果として〈志村正彦の作品を継承すること〉に大きな役割を果たしたことは間違いない。このライブを通じて〈山内総一郎のフジファブリック〉のファンもかなりの数に上っていることが実感できた。〈山内総一郎のフジファブリックを確立すること〉というプロジェクトもある程度まで成功したのだろう。

 「プロジェクト・フジファブリック」のそのような展開のなかで、活動休止が告げられた。なぜこの時期なのか、という問いへの答えがこのライブで伝えられるかもしれないという期待はあった。この点に関しては、金澤ダイスケが、フジファブリックの活動に区切りをつけると言いきった。大型モニターには硬い表情をした金澤が映し出された。彼の脱退の意思が活動休止につながった。そのことに対する複雑な気持ちもあっただろう。しかし、彼は静かに毅然として区切るという意思を示したことが心に強く残った。金澤にとってこれからもフジファブリックは大切な場であり続けるのだろうが、〈音楽を作り続けながら守っていく〉場であることには区切りをつけたのだ。

 ここ十数年の間でも『若者のすべて』が示すように、志村正彦・フジファブリックの作品は広く浸透していった。『若者のすべて』は夏の定番ソングの一つとなり、数多くの歌い手からカバーされ、高校音楽の教科書に掲載されるようになった。最近では、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』の劇中歌となり、映画の重要なモチーフを支えた。フジファブリックが独自で特異な世界を創造したことが、日本語ロックの歴史のなかで高く評価された。三人が〈音楽を作り続けながら守っていく〉必要は薄れていったと言える。このことが金澤の決断の理由の一つだと推測する。

 ライブ前の数日、三人体制後のアルバム、特に2016年から2024年までの『STAND!!』『F』『I Love You』『PORTRAIT』を繰り返し聴いた。〈山内総一郎のフジファブリック〉だけでなく、〈金澤ダイスケのフジファブリック〉〈加藤慎一のフジファブリック〉も存在し、各々が時を追うごとに進化していることに気づいた(この四枚のアルバムを断片的にしか聴いていなかったのは自分の不明だった)。〈山内総一郎のフジファブリック〉〈金澤ダイスケのフジファブリック〉〈加藤慎一のフジファブリック〉という言い方をしたのは、彼らの作品の根柢には志村正彦の歌詞と楽曲があるように感じられるからだ。ここでは具体的に指摘しないが、言葉やモチーフには意識的無意識的に志村の世界の痕跡があることは確かだろう。

 さらに踏み込めば、〈フジファブリック〉という枠組から離れても、三人の作品が作品として自立する可能性も出てきた。三人のソングライターとしての能力が上がってきた。逆説的だが、フジファブリックとしての〈音楽を作り続けながら守っていく〉ことはむしろ、彼ら自身の音楽を成長させた。活動休止後は、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一は各々が自分の音楽を創造していけばよい。このことが活動休止の第二の理由となったのではないだろうか。


 金澤は、志村正彦に対する感謝とこのライブの企画に関わった志村家への感謝を語った。御家族は、志村正彦の尊厳と彼の作品を大切に大切に守ってきた。振り返ってみれば、2010年のフジフジ富士Qライブや周年ごとの記念ライブの会場で、このような感謝の言葉が観客に向けて率直に語られたことはなかった。この感謝の明確な表明は重要なことだったと考える。


 ライブの内容については後日書いてみたいが、『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』と、志村正彦の音源・映像とステージでの生演奏を複合させた演出。志村正彦の画像や映像をこのライブのテーマである「THE BEST MOMENT」の瞬間としてつなげていく演出は見事だった。画像ではあるが、彼の表情とその変化に魅了された。時には強い眼差しで、時には憂いを秘め、時には笑顔で見つめている。これまで公開されたことがない画像(記憶違いでなければ)もあった。


 『陽炎』の志村の声が聞こえてくると、涙腺がゆるんできた。この歌は、聴き手の感覚や記憶に直接作用する。そのまま、過去の時や場へと持って行かれる。〈きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう/きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう/またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ/出来事が 胸を締めつける〉のところで涙が落ちてきた。〈無くなったもの〉と〈変わらず過ごしている〉もの。この二つの対比はそのまま、志村正彦とこの場にいる者たちを表している。この日の『陽炎』は特にそのように迫ってきた。アウトロのラストが金澤ダイスケが実際に弾くピアノ音で終わったことにも心を動かされた。


 結成十周年の武道館ライブの際は、志村の歌う声に演奏を重ねるものであり、画像はなかった。この日のアンコールでの『茜色の夕日』も同様の演出だったが、冒頭で富士吉田市民会館での志村の〈この曲を歌うために僕はずっと頑張ってきたような気がします〉というMCが入った。『茜色の夕日』以外の四曲で志村の画像が大型モニターに映し出されたことはまったく予想していなかったので、この演出には驚いたが、それ以上に、この演出は最初でおそらく最後のものなのだろうとも思った。

 ほんとうにフジファブリックの活動は終わるのだ。しかし、音源や映像のなかの志村正彦・フジファブリックはこれからも生き続ける。言葉の真の意味において、志村正彦が創造した作品は永遠である。この会場にいる八千人の聴き手、この場には来られなかった数千、潜在的には数万に上る聴き手、そして未来の無数の聴き手にとって。


 演奏は2時間40分に及んだ。密度の濃いライブを集中して見て聴いたので、心も体も重いものを受けとめたように疲れきった。このところの酷暑や年齢のせいもあるだろう。終了後すぐに隣のホテルに戻れたのは幸いだった。だが、なかなか眠ることができないので、Xをリアルタイムで検索して様々な呟きを読んだ。

 フジファブリックとしての活動、音源のリリースやライブの開催という〈場〉は失われる。これからは、聴き手一人ひとりが自ら〈場〉となって、フジファブリックを聴き続ける。そんなことを思い浮かべながら、ようやく眠りにつくことができた。


2024年8月2日金曜日

虚構内の現実としての『若者のすべて』[志村正彦LN349]

 映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』で、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流された後で、二人は8月20日の花火大会を病室で一緒に見る約束をする。しかし、秋人が映画館で倒れてしまう。その直後(というか時間的には同時の設定なのだろうが)春菜が『若者のすべて』を鼻歌で歌うショットに切り替わる。春菜は花火の日の晴天を願って作ったてるてる坊主を見つめながらこのメロディを鼻歌で歌うのだ。

 つまり、映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』という虚構内の現実で、『若者のすべて』という歌が存在していることになる。花火を秋人と一緒に見たい春菜にとって、この歌は特別な歌であったと想像される。そして、『若者のすべて』の作詞作曲者であり歌い手である志村正彦が、虚構の世界の中で存在していることになるだろう。


 結局、二人が一緒に花火を見る約束は果たされなかった。秋人は心臓に機械を埋める手術をするために緊急入院し、意識が戻ったのはちょうど8月20日だった。春菜は秋人に電話をかけ続けたのだが、やっと電話が通じた。花火が打ち上がる音。二入は別々の病室で、花火を、同じ空を見上げている。『若者のすべて』の〈ないかな ないよな〉のフレーズのメロディが流れる。

  春菜は〈もう少しだけこの電話を切らないで〉と言う。〈花火見るの これが最後かな〉と言う。このシーンを中心に編集した〈叶わなかった8月20日の花火の約束 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。〉というタイトルの映像がある。



これに続く場面が重要である。二人の台詞を紹介する。


秋人君 あのね 私ね 本当のこと言うと…

(フィナーレの連発、花火の音)
何? なんか言った?

(春永が鼻をすする音)
ううん 花火 終わっちゃったね


 春菜は《ほんとうのこと》を言うことが、やはり、できない。〈始まる前から終わりがある恋〉が怖いという想いでいるのかもしれない。〈終わりがある恋〉が怖いという気持ちは誰にもあるだろうが、〈始まる前から終わりがある恋〉が怖いというのは、余命という現実を生きる者にしか分からない。春菜が《ほんとうのこと》を言えないまま、8月20日の花火は終わってしまう。あるいはこの日に、春菜は病室で秋人と一緒に過ごし、花火を見ながら《ほんとうのこと》を言うつもりでいたのかもしれない。この一連の場面の脚本と演出には、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉というフレーズが影響している可能性もある。


 さらにこの場面から、映画からは離れてしまうが、志村正彦・フジファブリックの『夜汽車』という歌を思いだした。

話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く
夜汽車が峠を越える頃 そっと 静かにあなたに本当の事を言おう
   

 夜汽車の車中で、歌の主体は〈あなた〉に〈本当の事〉を言おうとする。しかし、〈あなた〉に〈本当の事〉が伝わることはないだろう。〈夜汽車〉が峠を越えても、おそらく〈あなた〉は〈眠りの森〉の中にいる。そもそも〈本当の事〉が声として語られることはないように思われる。〈本当の事〉を言うことができないというモチーフは志村正彦が繰り返し歌ってきたものだ。あるいは、このようなモチーフがどこかでこの映画に影響を与えているのかもしれない。

    (この項続く)

   

2024年7月30日火曜日

二人の《ほんとうのこと》、現在と未来への歌 [志村正彦LN348]

 Netflix制作の映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』の開始40分後のシーンで、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流れてくる。前々回でも書いたが、今回はそのシーンをより詳しくたどっていきたい。

 このシーンは、二人の恋愛についての問答が中心となっている。

 秋人が「春菜はどうなんだよ。好きな人とか」と問いかける。以下、字幕つきの映像に基づいて、秋人のセリフは青、春菜のセリフは赤、状況の説明は黒で記す。    

怖いの 期限つきの恋

え?

始まる前から終わりがある恋をするの
いいな 明人君は 片思いでも何でも未来があって


秋人は独り言のように小声で呟く。

違う 俺も未来なんてないよ 俺だって……

君は長生きすること その恋を諦めないために

明人君が どんな人を好きになって どんな家族を持って どんなおじいちゃんになるのか 天国から眺めていたいから
明人君は長生きしなきゃダメだよ


春菜がスマホで秋人を撮影する。シャッターの音がする。

それが私の今の願い事 かなえてくれる?

(秋人の内心の言葉)余命のことは 言わないと決めた

毎日来るよ

え?

毎日来るから

うん 待ってる 毎日待ってる

 この後『若者のすべて』のイントロが始まる。

“もうすぐ死ぬと分かっていたら何をしますか”
その答えは 残された時間を彼女のために使うことだ”


 秋人のセリフをはさんで、志村の声が聞こえてくる。


真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


 ここまで紹介した場面は、〈若者のすべて - 2人が過ごしたささやかで特別な日常 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。 | Netflix Japan〉という映像になっている。この映画で使われた志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』のすべてを聴くことができる。この映像を添付したい。




 この二人の対話の場面をもう一度振り返りたい。


 春菜は、〈期限つきの恋〉すなわち〈始まる前から終わりがある恋をするの〉が〈怖いの〉と語る。〈いいな 明人君は 片思いでも何でも未来があって〉という言葉に対して、秋人は〈違う 俺も未来なんてないよ 俺だって……〉と独り言のように小声で呟く。

 春菜は秋人の人生を〈天国から眺めていたい〉、〈秋人君は長生きしなきゃダメだよ〉と率直に伝え、〈それが私の今の願い事 かなえてくれる?〉とまで述べることによって、秋人は〈余命のことは 言わない〉と決める。

 このシーンでは、二人は各々の《ほんとうのこと》を相手に伝えることを禁じてしまう。春菜は、〈始まる前から終わりがある恋》が怖いと伝えることで秋人への想いを告げることを止めてしまう。秋人は、自らが長生きすることが春菜の願いであるであることを受けとめざるをえなくなって、自らの余命が一年であるという《ほんとうのこと》を伝えないことを決める。

 この《ほんとうのこと》を伝えないという決断によって、逆説的ではあるが、二人は各々の余命を共有するように生きていこうとする。そのような展開によって、このシーンの背後に流れる『若者のすべて』は、ある種の明るい色合いを帯びることにもなる。背景の映像は、病室での二人、病院の屋上での春奈、学校での秋人、スマホでのやりとり、教室、病室、花屋、ガーベラの花と続いていく。明るい光と色彩の感覚に満ちている。

 『若者のすべて』は、〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉いくという現在の決意と〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉という未来への想いを表現している。現在と未来に向かって歩んでいく歌である。


 そしてこの場面の後で、二人の《ほんとうのこと》、特に春菜にとっての《ほんとうのこと》を伝える重要なシーンが現れる。

   (この項続く)


2024年7月21日日曜日

フジファブリック活動休止、山梨での報道。[志村正彦LN347]

 7月3日、フジファブリックの活動休止が発表され、いろいろなメディアでその事実が報道されたが、特にその続報となるものはなかったようだ。今日は地元山梨での報道についてここで記しておきたい。


 7月4日の山梨日日新聞で次の記事が掲載された。

 フジファブ活動休止へ 「残されたライブに全身全霊」
 ロックバンド「フジファブリック」は3日、2025年2月で活動を休止すると公式サイトで発表した。「残されたライブの一本一本、一曲一曲に全身全霊をささげたい」とコメントしている。
 バンドは00年、富士吉田市出身の志村正彦さんを中心に結成され、04年にデビユ-。09年に志村さんが急逝した後、3人で活動を続けてきた。
 志村さんの誕生日と命日に合わせ、富士吉田市は代表曲「若者のすべて」「茜色の夕日」のメロディーを市防災行政無線の夕方のチャイムで流している。


  7月11日、NHK甲府の朝のニュース番組で「若者のすべて」のチャイムの報道があった。甲府局のHPには映像もある。その記事を紹介するが、最後に〈来年2月で活動休止することを公式ホームページで発表しています〉とある。

 志村正彦さん「若者のすべて」夕方チャイムで流れる 富士吉田
ロックバンド「フジファブリック」で活躍し15年前に亡くなった志村正彦さんの誕生日にあわせ、地元の富士吉田市では10日、ふだん、夕方に流れるチャイムが代表曲の「若者のすべて」に変わりました。
志村正彦さんは富士吉田市出身のミュージシャンで、ロックバンド「フジファブリック」のボーカルとして世代を超えて愛される曲を発表しましたが、15年前に29歳の若さで亡くなりました。
地元の富士吉田市は、志村さんの音楽の魅力や功績を語り継ごうと誕生日の7月10日の前後に毎年、ふだんの防災行政無線で流す夕方のチャイムを、代表曲のひとつ「若者のすべて」に変更しています。
志村さんが育った下吉田地区にある富士急行線の下吉田駅には10日、地域の人や全国から訪れたファンなどおよそ40人が集まりました。
そして午後6時が近づいて降り続いていた雨がやみ、曲が流れ始めると、集まった人たちはチャイムの音色を動画に収めたり、じっくり聴き入ったりしていました。
東京から訪れた20代の男性は「志村さんの曲は学生時代から10数年聞き続けているので、人生を一緒に歩んできたように感じている。志村さんの出身である富士吉田市でチャイムが聞けたことに感動しています」と話していました。
「若者のすべて」のチャイムは今月13日まで夕方6時に流されます。
フジファブリックは志村さんの死後も活動を続けていましたが、来年2月で活動休止することを公式ホームページで発表しています。


 7月16日のYBSワイドニュースでは「フジファブリック活動休止へ  志村正彦さん 時を超え愛される歌」と題して、7分弱の特集が放送された。

 富士吉田のゆかりの地、同級生のコメント、下吉田駅のチャイムの様子などが紹介された。曲は、「茜色の夕日」「陽炎」「若者のすべて」が流された。ファンの一人が〈今年のチャイムは休止の発表もあってちょっと複雑な感じはするんですけど、でも歌は消えないので変わらず応援したいなっていう気持ちでここに来ると志村君になんか会えるような気がしたので来ました〉と語っていた。フジファブリック活動休止という発表を受けて、今年の夏のチャイムは特別な響きがあったのかもしれない。


 このような状況があり、このところ自然にフジファブリックの軌跡を振り返ることになった。アルバムに関して言えば、2004年のメジャーデビューから2024年まで12枚がリリースされたことになる。

 1. 2004年11月10日   『フジファブリック』
 2.   2005年11月 9日    『FAB FOX』
 3.   2008年1月23日    『TEENAGER』
 4.   2009年4月 8日     『CHRONICLE』
 5.   2010年7月28日    『MUSIC』
 6.   2011年9月21日    『STAR』
 7.   2013年3月6日      『VOYAGER』
 8.   2014年9月3日      『LIFE』
 9. 2016年12月14日  『STAND!!』
10. 2019年1月23日  『F』
11. 2021年3月10日  『I Love You』
12. 2024年2月28日  『PORTRAIT』


 志村正彦が中心となって制作した『フジファブリック』『FAB FOX』『TEENAGER』『CHRONICLE』および『MUSIC』までの5枚と、それ以降の山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の3人体制の『STAR』『VOYAGER』『LIFE』『STAND!!』『F』『I Love You』『PORTRAIT』の7枚に分けられるのだが、僕は『STAND!!』以後のアルバム、つまりこの十年間に制作されたアルバムについては断片的にしか聴いてこなかった。

 いくつかの理由があって、8月4日開催の〈フジファブリック20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」〉に行くことに決めた。2014年の「フジファブリック 10th anniversary Live at 日本武道館」以来のフジファブリック体験になる。

 そこで最近は、『STAND!!』『F』『I Love You』『PORTRAIT』を中心に、3人体制のフジファブリックの作品を時間軸にそって聴いている。いろいろと感じること、考えること、気づいたことがあるのだが、それについては「THE BEST MOMENT」ライブの終了後に書いてみたい。


【追記 7.30】7月16日のYBSワイドニュースの内容が、〈【特集】フジファブリック志村正彦 バンドは休止発表も…故郷に息づく“変わらぬ記憶” 山梨県〉というweb記事になっています。

2024年7月10日水曜日

『若者のすべて』と映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』[志村正彦LN346]

 今日7月10日は志村正彦の誕生日。彼が存命であれば44歳になる。ちょうど一週間前、フジファブリックの活動休止が発表された。メジャーデビュー20年という節目の決断なのだろう。

 十年前の2014年7月、山梨県立図書館を会場に「ロックの詩人 志村正彦展」を開催した。もう十年というのか、まだ十年というべきなのか、時の感覚をどう受けとめたらよいのか混乱する。年齢や周年の積み重ねは、ただただ、時の流れをあからさまに示す。

  そういうこともあってか、最近、志村正彦やフジファブリックの話題が多い。今日は、『若者のすべて』のドルビーアトモス版がApple MusicとAmazon Musicで配信されたと報じられた。

 6月27日には、Netflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』が配信された。劇中歌にフジファブリック『若者のすべて』が使われたと知って、配信開始日の夜にさっそく鑑賞した。(以降の記述には所謂「ネタバレ」があることをお断りします)


 映画は冒頭の病院屋上シーンから、『若者のすべて』のアレンジされたメロディが流れる。この美しく繊細なメロディは劇中で時々流れる。通奏低音のように全篇を貫いているともいえる。オープニングのタイトル表示の際には、「ないかなないよな」「同じ空を見上げているよ」のメロディが融合されていた。音楽担当の亀田誠治のアレンジだろう。開始40分経過した頃に、志村正彦の声が聞こえてくる。フジファブリック『若者のすべて』のオリジナルヴァージョンだ。エンディングのタイトルバックで流れる主題歌は、ヨルシカのsuis による『若者のすべて』のカバーだった。

 ティーザー予告編では、志村の声によるオリジナルヴァージョンが使われていた。この映像をまず紹介したい。

映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』ティーザー予告編 - Netflix

  



 この映画は、三木孝浩監督が森田碧の同名小説を映画化したものだ。脚本は吉田智子。主役「早坂秋人」は永瀬廉が演じた。NHKの2021年前期の連続テレビ小説『おかえりモネ』での「及川亮」役の演技が印象深かった。眼差の中に若者らしい力と孤独な翳りがあった。もう一人の主役「桜井春奈」は出口夏希。「春奈」の親友「三浦綾香」役は横田真悠。「花屋の娘」の「実希子」役は木村文乃。

 映画鑑賞後、小説『余命一年と宣告された僕が、余命半年の君と出会った話』 (ポプラ文庫)も読んだ。映画と原作との差異を把握するためだ。映画タイトルの末尾には句点「。」が添えられていることに、初めて気づいた。予想していたよりも、映画は原作に忠実だった。出来事の順番の入れ換えや設定の変更などはいくつかあるが、重要な場面やその台詞はほぼ原作通りだった。注目していた花火をめぐる物語も原作にあったが、これに関しては『若者のすべて』を使うことによって演出上の変更が加えられている。


 物語は題名通りに展開する。余命一年の秋人が春奈と出会い、同じ時と場を分かち合い、そして各々の時を終えていく話である。

 作中人物には、春奈、秋人、夏美(秋人の妹)と季節の名が付き、ガーベラの花が物語の鍵を握っている。季節と花。原作、映画、そして志村正彦の作品にも共通する重要なモチーフである。「花屋の娘」実希子は秋人に、ガーベラ全体の花言葉が希望だと教えていた。実希子の名自体が「希望が実る」という意味を持っているのだろう。


 開始40分のシーンを振り返りたい。秋人が春奈に病院に「毎日来るよ 毎日来るから」と約束し、春奈が「うん 待ってる 毎日待ってる」と応える場面の直後から、志村正彦の歌が聞こえてくる。優しく、美しい声だ。場面に透き通っていく。儚げだが、内に秘めるもののある、力強い声でもある。『若者のすべて』の1番、次の部分が歌われる。


真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


 『若者のすべて』と共に、病院での春奈と学校での秋人の日常が映像に映されていく。花屋のガーベラの花のクローズアップのシーンで、曲が終わる。

 (この項続く)


2024年7月3日水曜日

フジファブリック、活動休止。

  今日、「2024.07.03 フジファブリックからの大切なお知らせ」が発表された。

 すでに、ネットのいろいろなところでこのお知らせが紹介されているが、このブログは、志村正彦、フジファブリックに関する記録を残すことも役割としているので、ここでも全文を引用したい。


いつもフジファブリックを応援していただき、ありがとうございます。
この度フジファブリックは、2025年2月をもちまして、活動を休止させていただく事となりました。
20周年イヤーが進む中、突然このような報告をさせていただくことをどうかお許しください。

2000年に志村正彦によって結成されたフジファブリックは2009年に大切な志村正彦を失いました。彼と共に歩んだ時間、共に育んだ思いや一緒に見た景色は、かけがえのない宝物だと思っています。
その思いをメンバー3人が胸に刻み、フジファブリックという大切な場所を音楽を作り続けながら守っていくという覚悟を持って2011年に活動継続を決め、多くの方々に支えられながらこれまで歩んで参りました。

今年2月にリリースされた12枚目のアルバム「PORTRAIT」を制作中の2023年、金澤ダイスケより、自分のすべてをこのアルバムに注ぎ込み、20周年イヤーを全力で駆け抜け、その後バンドを脱退したいとの申し入れがありました。メンバー、スタッフ間で何度も話し合いを行いましたが、この20年間でバンドに対してすべてを出し尽くしたという金澤の意思は固く、バンドとしての活動継続は困難という判断に至り活動休止という決断をしました。
今後、メンバー3人それぞれが新たな道を進みます。その道がフジファブリックという場所に繋がっているのか、今後の活動の中で見つけられるかどうか、現時点では正直なところ分かりません。今は残されたLIVEの1本1本、1曲1曲に全身全霊を捧げていきたいと思います。
これまでフジファブリックを守り抜くという使命を幾度となく自らに問い、「絶対に解散しないバンド」という信念を持って活動してきました。今回の決断でファンの皆さまに残念な思いをさせてしまう事を大変申し訳なく思っています。
どうか受け止めていただきたいと思います。

フジファブリックにたくさんの愛情を持って応援し、支えてくださったファンの皆さま、全国のメディアの皆さま、そしてバンドを何度も救ってくださったアーティストの皆さまには心から感謝を申し上げます。
来年2月以降のメンバーの活動につきましては、現在のところ未定となりますが、新たな一歩を踏み出した際には、温かく見守っていただけますと幸いです。

2024年7月3日

フジファブリック
山内総一郎
加藤慎一
金澤ダイスケ


  今年2月リリースの 『PORTRAIT』は、この十年ほどの間では最も力の入ったアルバムだった。金澤ダイスケが、〈自分のすべてをこのアルバムに注ぎ込み〉という意志を持っていたことが、このお知らせで明らかとなったが、そのことも肯けるような気がする。

 一曲目の「KARAKURI」。作詞は加藤慎一、作曲は山内総一郎。1970年代の英国プログレッシブロックを今日的解釈によって解体構築した作品。前奏からはEmerson, Lake & Palmer、間奏からはGenesisの雰囲気が濃厚に漂ってくる。後半からは次第に、志村正彦のフジファブリックそのものが浮かび上がってくる。サウンドの要は金澤ダイスケのキーボードだ。そして、加藤慎一の歌詞には奇妙なリアリティがある。中頃の〈ただ僕は祈ってる解放の時は来ると言ってくれ/出してくれ籠から食い破れば鳥のように飛びたって〉から最後の〈大体奴ら籠の中/もしや己も籠の中〉へと、〈籠〉のモチーフを追いかけている。

 四曲目の「プラネタリア」。作詞は山内総一郎、作曲は金澤ダイスケ。金澤ダイスケらしい明るい輝きのある作品。題名からも曲調からも「星降る夜になったら」(作詞:志村正彦、作曲:金澤ダイスケ・志村正彦)を想起させる。山内総一郎の〈ほら あなたの言葉も 笑顔の魔法も/僕には失くせない宝物さ/見えるものはポケットに 見えないものは心に〉という歌詞の一節、それを歌う声も綺麗に響いてくる。

 この二曲は、フジファブリックのサウンドのパフォーマンスの質がきわめて高いことを示している。2024年という今日、この日本において、このようなロックのサウンドは稀有なものといってよい。


 アルバム『PORTRAIT』を聴いた時は、フジファブリックは、あのユニコーンのように今後は、山内総一郎、加藤慎一、金澤ダイスケの三人のソングライター、作詞者、作曲者が作品を創り出すユニットのようなバンドになっていくのかもしれないとも考えたのだが、今日の発表では活動の休止を選択したことになる。活動休止とはいっても、他のバンドの事例からして、解散と名のらない解散という意味合いが強いのだろう。

 僕にとって、この活動休止はそれほど意外だったわけではない。いつかはそうなるという予感があったからだ。しかし、このタイミング、2024年7月の時点での決断と発表は予想外だった。

 「大切なお知らせ」にある〈2000年に志村正彦によって結成されたフジファブリックは2009年に大切な志村正彦を失いました。彼と共に歩んだ時間、共に育んだ思いや一緒に見た景色は、かけがえのない宝物だと思っています。〉という言葉はそのままに受けとめたい。僕たち聴き手にとっても、彼の作品は〈かけがえのない宝物〉であった。これからも宝物であり続ける。

2024年6月26日水曜日

リーガルリリー「1997」アコースティックとライブのヴァージョン

 前回紹介した〈リーガルリリー 『1997』Music Video〉の視聴回数は先ほど確認すると、1,706,841 回。2020.1.18の映像アップから四年半ほどでこの数字は素晴らしい。若い世代を中心にこの作品は確実に浸透しているのだろう。 

 この作品にはアコースティックバージョンの映像がある。図書館での弾き語りLiveだ。


   たかはしほのか (リーガルリリー)『1997』Live in Library


透き通るように聞こえてくる、たかはしの声。アコースティックギターが共鳴を広げていく。

 youtubeのライブヴァージョンには、〈Live Video @Zepp Tokyo (2020.12.10 リーガルリリーpresents「1997の日」〜私は私の世界の実験台〜)〉と〈Live at 日比谷野外大音楽堂(2023.7.2)〉の二つがある。ここには、最新の日比谷野外の映像を添付したい。右上に小さい字ではあるが、縦書きで歌詞が表示されている。


  リーガルリリー - 『1997』Live at 日比谷野外大音楽堂(2023.7.2)  


 たかはしほのかはMCでこう述べている。


1997年の12月10日に私はこの世界の空白をひとつ奪いました
そしていつかまたその空白を返すまでのお話しです

むかしむかし あるところに


 歌詞の〈なくなった空白 1997年の12月〉とは、この世界からひとつ奪いった〈空白〉であること、そして、この世界にいつかまた返す〈空白〉であることが明かされている。

 この世界から〈空白〉を奪い、世界に〈空白〉を返すまでの時間が、生きることであること。それは〈片道切符〉の往路というよりもむしろ帰路であること。

 もしかすると、このような生存の感覚が、意識的あるいは無意識的に、現在の若者のすべてに共有されているのかもしれない。

 〈むかしむかしあるところに〉という語り出しで、この歌が、この旅が始まる。



2024年6月23日日曜日

リーガルリリー「風をあつめて」、「1997」と「若者のすべて」

 リーガルリリー。ここ数年で聴いたバンドのなかで最も気に入っている。今日、こういうロックが存在していることへの驚きとともに。

 たかはし ほのか(ボーカル・ギター)、海(ベース)、ゆきやま(ドラムス)の三人編成。ただし、ゆきやまはこの3月に脱退。これからはサポートドラムを入れて活動するようだ。

 出会いは、はっぴいえんど「風をあつめて」のカバー曲を探したときだった。2021年の映画『うみべの女の子』(監督:ウエダアツシ、原作:浅野いにお)の挿入曲として、「風をあつめて」をカバーしたのがリーガルリリーだった。ミュージックビデオには歌詞がテロップで映されてゆく。映画の映像が断片的に流れるシーンに、たかはしほのかが「それで ぼくも/風をあつめて 風をあつめて/蒼空を翔けたいんです/蒼空を」を歌うシーンが織り交ぜられ、最後は「風をあつめて」をめぐる主役二人の会話のシーンで閉じられる。秀逸な出来映えのMVだった。「風をあつめて」の歌詞の世界と映画の物語とは重ならないのだが、たかはしの声による「風をあつめて/蒼空を翔けたいんです」のフレーズが入れ小型の役割を担って、若者たちの風をあつめて青空を駆けたいという欲望をさりげなく支えているようにも聞こえてくる。映像を添えたい。


リーガルリリー『風をあつめて』×映画『うみべの女の子』Collaboration Music Video


 リーガルリリーの映像や音源はyoutubeにアップされている。どの作品も歌詞、楽曲、演奏ともに高い質を持っている。なかでも、「1997」はきわめて優れている。まだまだ日本語ロックには可能性が残っている。そんなことを感じさせられた。MVを添付して、歌詞も引用したい。 


リーガルリリー   『1997』Music Video


「1997」詞・曲:たかはしほのか

降り立った東京 1997年の12月
始まった東京 1997年の12月

私は私の世界の実験台 唯一許された人

あの坂を越えて 私に会えたらいいなんて
思わせないでほしい。
最終列車飛び乗って 降り立った世界で
片道切符に気付いた

なくなった空白 1997年の12月

私は私の世界の実験台 唯一愛した人

あの坂を越えて 私になれたらいいなんて
思わせないでほしい。
最終列車飛び乗って 降り立った世界で
片道切符を失くさないように

あの坂の意味が 私に分かる時だって
あなただけがいいなって。
最終列車飛び乗って 孤独だった世界で
片道切符を失くさないように

1997年の友達を集めてチョークの粉を集めた
何をしているのかなぁ私たちは
催涙弾で流した涙が光の反射で集まった
人々は目を眩ませた
私は泣くことしかできなかった
私は泣くことしかできなかった


〈降り立った東京 1997年の12月〉というのは、作者たかはしほのかの誕生を示すのだろう。そして誕生は〈なくなった空白 1997年の12月〉というように、ある空白をなくすことにつながる。誕生した〈私〉は〈私の世界の実験台〉であり、〈降り立った世界〉で持つものは〈片道切符〉でしかない。このような生存の感覚はかなり独自なものである。特異なものといってもよい。この特異なもの。かけがえのないもの。

 イントロのベース、ギター、ドラムス。すべて遠くから〈降り立った〉ように響いてくる。何かが始まる予兆のような音群。言葉としての声が聞こえてくる。〈実験台〉のロックだ。


 実はこの「1997」の誕生には、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」が関わっている。「spice」のインタビューで〈この曲のインスピレーションはどこから生まれたんですか?〉という問いに対して、たかはしはこう語っている。


アルバムの曲を作っている時、一番最後に生まれた曲なんです。スタジオで個人練習に入った時に……その時は夏が終わりそうだったので自分のためにフジファブリックの「若者のすべて」を一人で弾き語りしてたんですよ。そこで生まれた、なんか気持ち悪くて気持ちいいギターがあって。そのギターフレーズから2番のAメロのギターが生まれて、別の日にスタジオに持って行ったらすぐにこの曲が完成したんです。


  このようなプロセスで曲が生まれることは珍しいのだろうが、「若者のすべて」が「1997」に作用したのは現実だ。

 「1997」も、今この時代に生きる若者たちのすべてを語っているようにも聞こえてくる。リーガルリリーの生存の感覚が今日的である。

2024年5月5日日曜日

青柳拓監督『フジヤマコットントン』山梨上映会

  昨日、青柳拓監督の新作『フジヤマコットントン』を甲府で見ることができた。

 青柳監督は1993年、山梨県市川三郷町で生まれた。2017年、日本映画大学卒業制作のドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』が公開されて高い評価を受ける。2021年公開の『東京自転車節』は、コロナ禍の緊急事態宣言下の東京で自転車配達員として自ら働く姿を記録したドキュメンタリー作品。社会への鋭い批評性と働くことへの問題提起によって、国内だけでなくドイツ、フランス、イギリスでも上映された。

 主要な作品としては三作目となる『フジヤマコットントン』は、山梨県の中巨摩郡昭和町にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」に集う人びとを描いたドキュメンタリー映画。連休中の5月3日・4日の2日間、甲府駅にも近い「やまなしプラザ」のオープンスクエアで、山梨では初めての上映会が開かれた。2月の東京での公開以降各地で公開されたが、なかなか見る機会がなかったので、この上映会はありがたかった。

 2日間で合計6回の上映。各会定員が150名。私は4日の第1回目に行ったのだが、予約客だけで満員となった。会場は貸しホールなのでフラットな形状、座席もパイプ椅子と、映画を見る環境としては恵まれてはいない。本来は映画館での上映が望ましいが、現在、山梨県内の映画館は、シネコンの「TOHOシネマズ 甲府」(イオンモール甲府昭和内)しかない。甲府市内の唯一の映画館「シアターセントラルBe館」は昨年12月以来休館している。(この映画館での上映作品はこのブログでも何度か書いたことがある。甲府のミニシアターとでも言うべき貴重な場だったので、再開されることを願っている)

 地方では映画を見る環境自体が衰退している。しかし、この『フジヤマコットントン』の山梨初上映はこの「やまなしプラザ」のような場所でよかったのかもしれない。この施設は山梨県防災新館という山梨県庁の建物の一階にある。言うならば、甲府中心街のちょっと洒落た「公民館」のような所。この映画を見たい人びとが集う場としては良い選択だったとも思う。

 この映画の予告編を紹介したい。




 会場では、青柳監督の挨拶の後、映画が始まった。公開してまだ三か月ほどの映画なので、内容そのものについてここで触れることは差し控えるが、冒頭とその直後のシーンについて少し書かせていただきたい。


 冒頭のシーン。一人の男性が畑の中の道をゆっくりと歩いて行く。

 その向こう側に、御坂山地の山々とその稜線の上に富士山が見える。フジヤマ、富士山がこの映画の舞台を見つめる、見守るような位置にあることが暗に示される。

 『ひいくんのあるく町』では、ひいくん(渡井秀彦さん)が山梨の市川の町を歩いた。『東京自転車節』では、青柳監督自身が自転車で東京の街を疾走していた。『フジヤマコットントン』では、甲府盆地の南にある畑道を歩く。歩く、移動する男はこの三作の共通のモチーフだろう。

 そしてこの冒頭には「甲府盆地のど真ん中 山はゆりかごのように 囲んでゐる」というテロップが表示される。『フジヤマコットントン』の充実したパンフレットの中で監督は、「山梨出身の歌人・山崎方代さんの短歌を参考にしてオリジナルで作成しました」と述べている。

 方代は、1914年山梨の右左口村で生まれた。「漂泊の歌人」として知られる。戦争で右目を失明。晩年は鎌倉で過ごし、1985年に亡くなった。「ふるさとの右左口邨は骨壺の底にゆられてわが帰る村」が代表作。この歌にあるように、方代は山梨に帰郷しなかった、帰郷できなかった出郷人である。

 映画の幾つもの場面で監督作の短歌風のテロップが流れる。この手法は、木下恵介監督の『二人で歩いた幾春秋』(1962年)へのオマージュであろう。この作品は、戦後の山梨で野中義男(佐田啓二)・とら江(高峰秀子)の夫婦と一人息子の利幸(山本豊三)が苦労に苦労を重ねながら懸命に生きていく家族の物語。原作の歌集『道路工夫の歌』の河野道工の短歌がテロップとして効果的に使われている。また、青柳監督の故郷市川大門の町やその周辺が舞台となっている。以前、この作品について語ったtweetを読んだ記憶があるので検索すると、次の呟きが見つかった。

青柳 拓 Aoyagi Taku @otogisyrupz Apr 27, 2021
歌集『道路工夫の歌』(河野道工著)は地元山梨・市川大門を代表する労働歌。佐田啓二と高峰秀子主演で木下監督作『二人で歩いた幾春秋』の原作。現代の労働映画『東京自転車節』をこれから語っていく上で自分のルーツを読んでおかねばと思い購入。これが刺さりまくってる…いずれ少しずつ紹介します

 私が『二人で歩いた幾春秋』を初めて見たのは、二十数年前にNHKBSで放送されたときだった。木下作品の中ではあまり知られていないが、きわめて優れた映画である。昔の市川大門の町や道、市川の花火、路線バス、甲府一高の講堂、もう解体された岡島百貨店など、山梨の人にとっては懐かしい映像が映し出される。

 河野道工(本名  河野利和)は、1909年山梨県市川大門町で生れた。戦争から復員後、市川土木出張所に入り、道路工夫となる。短歌を山梨時事新聞「山時歌壇」に投稿。後に歌誌「樹海」同人。1960年、第一歌集『道路工夫の歌:河野道工歌集』、1969年、第二歌集『雑草の歌 : 自選歌集  続・道路工夫の歌』(共に甲陽書房)刊行。1972年に亡くなった。

 木下恵介監督『二人で歩いた幾春秋』と河野道工『道路工夫の歌』については別の機会に書いてみたい。


 『フジヤマコットントン』は記録映像を主とするものだが、青柳拓が親しんできた映画や文学に対する細やかな愛やそれを活かす技法が、ファブリックのように織り込まれている。


 ふたたび映画に戻りたい。冒頭シーンのすぐ後で施設内部の風景に、「バラバラの人たちの バラバラのリズムが 鳴り響く場所」というテロップが表示される。その後の映像はまさしくこのテロップ通りに展開していく。2022年から約1年かけて1か月2回、1回につき3~4日集中して撮影されたそうだが、カメラとインタビューが丁寧に繊細に「バラバラの人たち」の施設での生活や労働を追っていく。彼らの「バラバラのリズム」は時に融合して、美しい音楽も奏でていく。95分の上映時間はそのように流れていく。

 『ひいくんのあるく町』の「ひいくん」の歩行のリズムと祭り囃子の音、『東京自転車節』の自転車のペダルのリズムとテーマの節、『フジヤマコットントン』の綿繰り機や織り機のリズム、というように、青柳作品からはいつも働く人間のリズムや音が聞こえてくる。


 上映後、監督と出演者二人の挨拶とトークがあった。その時のフォトセッションの写真を添付したい。左から、けんちゃん(木内賢一さん)、青柳拓監督、たつなりさん(小林達成さん)。監督が両手に持っているのは、二人がプレゼントした花。「みらいファーム」で育てられたものである。




 『フジヤマコットントン』は各地で上や上映予定があるので、ぜひ見ていただきたい。劇場情報は公式webにある。ドキュメンタリー映画という枠を超えた独創的な作品である。このような映画はかつて存在しなかった。そして、これからも存在しないであろう。この映画については考えてみたいことがたくさんある。上映が一段落したあたりで、再びこのブログに書きたい。


2024年4月27日土曜日

葉桜の季節、小さな旅 [志村正彦LN345]

 一昨日、妻と二人で富士吉田へ出かけた。

 車で甲府を9時半頃に出て11時に吉田に到着。道が混んでいつもより時間がかかった。すぐに「白須うどん」へ。もう三十数年前になるが、ここで初めて「吉田のうどん」というものを食べた。かけうどんが三百円以下だったと記憶している。コシがしっかりとして、キャベツがたくさん入っていた。当時は民家そのものの店だった。生活感のある風情があったが、数年前にリニューアルして普通の食堂風になった。少し残念だが、大勢のお客さんに対応するためには仕方がなかったのだろう。今、かけうどんは五百円。小麦粉高騰のせいで値上がりしているが、それでもリーズナブルな値段。美味しかった。記憶にかすかにある味と変わらない。「吉田のうどん」の原点とでもいうべき味ではないだろうか。

 お腹がいっぱいになって白須うどんを出た後、シフォンケーキが有名な「シフォン富士」に寄った。定番の「ふじフォン」をお土産に買う。軽やかな食感と爽やかな甘みが良い。それから富士山駅に向かって、Q-STAヤマナシハタオリトラベルmill shop店内にある黒板当番さんの絵を見た。彼のXに「フジファブリック 志村正彦メジャーデビュー20周年記念」のために、『唇のソレ』『桜の季節』の2曲をイメージした黒板絵でお祝いしているとあったからだ。二つの黒板絵の他に、小さな志村正彦が並んでいるコーナーがあった。九つの絵がとても可愛らしい。(その写真を掲載させていただきます)





 この後、新倉富士浅間神社へ。おそらくもう葉桜になってしまったのだろうが、その景色を見たいと思った。すでに「桜まつり」は終了していて、駐車場が使えるはずだったが、けっこう車もたくさん走っていて、少し遠い臨時駐車場に何とか駐車できた。そこから歩いて神社へ向かったのだが、想像をはるかに超える人が押し寄せていた。そのほとんどは海外からの方だ。異国の言葉が飛び交う。ニュースで知っていたが、自分の目で目撃するのは初めて。なんだか別の世界に迷い込んだような気がした。

 神社に参拝した後、階段近くの桜を眺めた。やはり、葉桜になっていた。葉桜のその向こう側には、雲がかかってしまった富士山と青い空、吉田の街が広がる。桜の色はないが、緑と青と白の色のハーモニーが美しい。枝の形は文字のように見えた。




 志村は「桜の季節」でこう歌っている。

  oh その町に くりだしてみるのもいい
  桜が枯れた頃 桜が枯れた頃      

 歌詞の〈その町〉がこの地を指しているわけではないのだろうが、通常の解釈を超えて、〈その町〉とはこの地、新倉富士浅間神社とその公園の桜が咲く地であるような気がする。つまり、〈その町〉とはこの町、この地である。
 この日のこの地の現実の景色からは、引用した歌詞の一節にあるような情緒や感慨はまったく感じられなかったが、それでも、葉桜の光景には、過ぎ去っていくもの、枯れてしまうかもしれないものの、微かな残響のようなものもあった。

 志村はまた「浮雲」でこの地を「いつもの丘」と呼んでいる。当時の「いつもの丘」はいつもではないような丘になった。特にこの桜の季節、異次元の丘に変わっている。日本ではあるのだが、世界への通路にもなる不思議な場所への変貌。時には、この町にくりだしてみるのもいい。そう呟いた。


 四月なのに夏日という天候もあって、帰り道を急いだ。その途中、御坂で山梨県立博物館で開催中の「富士川水運の300年」展を見た。

 富士川は、山梨県の大きな二つの川、笛吹川と釜無川とが甲府盆地の南端で合流して、静岡県へと流れていく川である。その水運は、江戸時代から明治そして昭和初期まで、山梨と静岡を結ぶ「川の道」として発展した。この展示会は、17世紀初頭から20世紀前半に至るまでの富士川水運の300年間の歩みを振り返るものだった。

 展示資料は地味だが非常に充実していた。最後のコーナーの「富士川下り疑似体験コーナー!」が格別だった。正面、左側面、右側面の三面にプロジェクターによる映像が映し出されて、まるで富士川を舟下りしているような疑似体験ができる。このような手法の展示映像を初めて見たが、とても効果的な方法である。

 展示室を出て、二月にオープンしたばかりの「Museum café Sweets lab 葡萄屋 kofu」に寄った。五十層ものパイに旬の果実、山梨の桃と苺をのせたケーキを堪能した。フルーツ王国山梨ならではのスイーツ。この店には博物館の外の公園側からも入ることができる。お洒落で美味しいカフェでおすすめである。

 甲府から富士吉田へ。白須うどん、ふじフォン、志村正彦の黒板画、新倉富士浅間神社の葉桜。帰り道、御坂の県立博物館での「富士川下り」の疑似体験、旬の果実のケーキ、そして甲府へ。
 葉桜の季節の小さな旅を楽しんだ一日だった。

2024年4月14日日曜日

二十年目の「桜の季節」[志村正彦LN344]

 2004年4月14日、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」がメジャー・デビュー・シングルとしてリリースされた。すでにこの年の2月、ミニアルバム『アラモルト』がメジャーのプレデビュー盤として発売されているが、これはインディーズ時代の既発曲の再録音盤だ。新曲の「桜の季節」によって、フジファブリックはメジャーデビューを果たした。今日はその二十年目の日となる。

 「桜の季節」についてはすでに30回ほどエッセイを書いてきた。今日はそのすべてを読み直してみた。この曲に初めて言及したのは志村正彦ライナーノーツの第4回。2013年3月18日の日付である。「志村正彦の歌の分かりにくさ」と題したそのエッセイの冒頭部を引いてみたい。


 志村正彦の歌、その言葉の世界には、ある特有の分かりにくさがある。言葉の意味をたどっていっても、その意味がたどりきれない。その言葉が展開される文脈、背景が理解しにくい。歌が繰り広げられる舞台が明瞭でない。通常「僕」「私」という言葉で指示される、歌の話者や歌の世界の中の主人公としての主体の把握が難しい。そのような想いを抱いたことがある聴き手が多いであろう。少なくとも私にとって、彼の歌はそのように存在している。例えば、『桜の季節』はその代表ともいえる歌であろう。


 志村の言葉の世界のある特有の分かりにくさの代表例として「桜の季節」があげられているが、この捉え方は基本として今も変わらない。ただし、分かりにくいというよりも、むしろ、言葉の世界を捉えようとしてもその向こう側に言葉が遠ざかっていくような感覚とでもいうべきかもしれない。分かる/分からないという対立ではなく、その対立を言葉自体が超えていってしまう。

 そうは言っても、「桜の季節」の世界を何とかして捉えてみたいという気持ちもある。二十年を迎えた機会にその試みをあらためて書いてみよう。


 この歌は〈桜の季節過ぎたら/遠くの町に行くのかい?〉という二人称に対する問いかけと〈桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない〉という一人称へ回帰する想いとがループのように綾をなす。このループがグルーブとなって楽曲を貫いていく。この問いかけや想いのループには具体性がほとんどない。具体性が欠如しているからこそ、聴き手は「桜の節」の世界に召喚される。

 しかし、ある程度具体的な出来事が描写されている、ひとまとまりの場面がある。


  坂の下 手を振り 別れを告げる
  車は消えて行く
  そして追いかけていく
  諦め立ち尽くす
  心に決めたよ


 〈坂の下〉と示された場がこの場面の舞台となる。歌の主体〈僕〉は手を振る、別れを告げる。〈車〉は消えて行く。〈僕〉は追いかけていく、諦め立ち尽くす。〈僕〉の一連の動作が現在形で叙述されている。〈僕〉が別れを告げた相手は車に乗って視界から消えてゆく。

 この場面は〈心に決めたよ〉という完了の助動詞〈た〉と相手に対する呼びかけの助詞〈よ〉で終わっている。この〈心に決めた〉ことは何であるのか。この歌のすべてがその回答であるような気もするが、歌そのものはつぎのように展開していく。


  oh ならば愛をこめて
  so 手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!


 歌の進行からすると、〈心に決めた〉ことはすぐ次のフレーズ、〈oh ならば愛をこめて/so 手紙をしたためよう〉が該当すると考えるのが自然だろう。〈oh〉と〈so〉という間投詞的な表現から始まるこの二つのフレーズは、この歌の中でも最もエモーショナルな部分だ。まさしく、〈心に決めたよ〉という声の残響が聞こえてくるようだ。


 歌の主体〈僕〉は別れの相手に対して〈手紙〉をしたためることを決意する。その〈手紙〉には〈愛〉がこめられている。ここで終わればよくある恋愛物語になるだろう。しかし、志村の場合、物語は折れ曲がる。〈僕〉は屈折する。〈作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!〉とあるように、〈手紙〉のなかでは〈作り話〉が〈花〉を咲かせている。作り話とは志村が作る物語だ。つまり、物語の花が咲く。その花は舞い散ることも、枯れることもある。「桜の季節」は、「手紙の、作り話の、物語の季節」のことでもある。