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2024年7月30日火曜日

二人の《ほんとうのこと》、現在と未来への歌 [志村正彦LN348]

 Netflix制作の映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』の開始40分後のシーンで、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流れてくる。前々回でも書いたが、今回はそのシーンをより詳しくたどっていきたい。

 このシーンは、二人の恋愛についての問答が中心となっている。

 秋人が「春菜はどうなんだよ。好きな人とか」と問いかける。以下、字幕つきの映像に基づいて、秋人のセリフは青、春菜のセリフは赤、状況の説明は黒で記す。    

怖いの 期限つきの恋

え?

始まる前から終わりがある恋をするの
いいな 明人君は 片思いでも何でも未来があって


秋人は独り言のように小声で呟く。

違う 俺も未来なんてないよ 俺だって……

君は長生きすること その恋を諦めないために

明人君が どんな人を好きになって どんな家族を持って どんなおじいちゃんになるのか 天国から眺めていたいから
明人君は長生きしなきゃダメだよ


春菜がスマホで秋人を撮影する。シャッターの音がする。

それが私の今の願い事 かなえてくれる?

(秋人の内心の言葉)余命のことは 言わないと決めた

毎日来るよ

え?

毎日来るから

うん 待ってる 毎日待ってる

 この後『若者のすべて』のイントロが始まる。

“もうすぐ死ぬと分かっていたら何をしますか”
その答えは 残された時間を彼女のために使うことだ”


 秋人のセリフをはさんで、志村の声が聞こえてくる。


真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


 ここまで紹介した場面は、〈若者のすべて - 2人が過ごしたささやかで特別な日常 | 余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。 | Netflix Japan〉という映像になっている。この映画で使われた『若者のすべて』のすべてを聴くことができる。この映像を添付したい。




 この二人の対話の場面をもう一度振り返りたい。


 春菜は、〈期限つきの恋〉すなわち〈始まる前から終わりがある恋をするの〉が〈怖いの〉と語る。〈いいな 明人君は 片思いでも何でも未来があって〉という言葉に対して、秋人は〈違う 俺も未来なんてないよ 俺だって……〉と独り言のように小声で呟く。

 春菜は秋人の人生を〈天国から眺めていたい〉、〈秋人君は長生きしなきゃダメだよ〉と率直に伝え、〈それが私の今の願い事 かなえてくれる?〉とまで述べることによって、秋人は〈余命のことは 言わない〉と決める。

 このシーンでは、二人は各々の《ほんとうのこと》を相手に伝えることを禁じてしまう。春菜は、〈始まる前から終わりがある恋》が怖いと伝えることで秋人への想いを告げることを止めてしまう。秋人は、自らが長生きすることが春菜の願いであるであることを受けとめざるをえなくなって、自らの余命が一年であるという《ほんとうのこと》を伝えないことを決める。

 この《ほんとうのこと》を伝えないという決断によって、逆説的ではあるが、二人は各々の余命を共有するように生きていこうとする。そのような展開によって、このシーンの背後に流れる『若者のすべて』は、ある種の明るい色合いを帯びることにもなる。背景の映像は、病室での二人、病院の屋上での春奈、学校での秋人、スマホでのやりとり、教室、病室、花屋、ガーベラの花と続いていく。明るい光と色彩の感覚に満ちている。

 『若者のすべて』は、〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉いくという現在の決意と〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉という未来への想いを表現している。現在と未来に向かって歩んでいく歌である。


 そしてこの場面の後で、二人の《ほんとうのこと》、特に春菜にとっての《ほんとうのこと》を伝える重要なシーンが現れる。

   (この項続く)


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