2026年8月17日月曜日

「黒板当番」五十嵐哲也氏の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』(2018)

 「黒板当番」五十嵐哲也氏の『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』は、2018年12月、富士吉田織物協同組合から刊行されたZine風の本である。

 五十嵐氏が2016年6月から2017年3月まで、富士急行線富士山駅のヤマナシハタオリトラベル mill shop で展示した黒板画とそのストーリーを記した日本語と英語のテクストが見開き頁尾の左右に配置されている。001頁の「はじめに」と002-003頁から042-043頁までの21のシーンがある。

 刊行の経緯については、ハタオリマチのハタ印プロジェクトの「ヤマナシハタオリトラベル mill shopの「黒板当番」のグッズを制作しました!」に詳しい。(今でもこの本は常時ヤマナシハタオリトラベルmill shopで、ハタフェスの歳には黒板当番ブースで購入可能ですので、関心のある方はぜひご覧になることをおすすめします。)


 当初から、黒板画とストーリーが一緒に展示されていたのかなど、この作品の成立過程について知りたかったので、五十嵐氏に伺ってみたところ、いくつかの点についてご教示いただいた。

 この物語の全体について語るのはネタバレになってしまうので、五十嵐氏のご教示に言及しながら、「はじめに」と最初の三つのシーンに限定して紹介していきたい。


 001頁の「はじめに」をまず引用したい。

これはヤマナシの織物工場で使われていたシャットルが、宇宙を旅するお話です。スペースシャットルが、なぜ宇宙を旅するようになったのかは分かりません。あるとき、スペースシャットルは土星の衛星エンケラドスの氷の下の海にすむ小さな生き物たち、トコトコ族に出会いました。そして、スペースシャットルとトコトコたちのお話が始まります。

 「シャットル」(shuttle)は織物を織るときに、経糸の間に緯糸を通すのに使われる道具。現在では「シャトル」というカタカナ表記が一般的だが、織物産業などでは「シャットル」が今も使われているようだ。

 この言葉が語源となって往復を繰り返すものをシャトルと呼ぶことがある。アメリカ航空宇宙局(NASA)が1981年から2011年にかけて打ち上げた有人宇宙船の名前は「スペースシャトル」(Space Shuttle)だった。地球と宇宙空間を往復して再利用することからこのような名が付けられた。五十嵐氏もこれに倣って宇宙を旅するシャットルを「スペースシャットル」と命名したのだろう。

 山梨の織物工場のスペースシャットルが、NASAのスペースシャトルのように宇宙へ旅発つという愉快で可愛らしい設定の話である。


 002-003頁から物語が始まる。左側の黒板画と右側の日本語テクストを掲載する。




宇宙を旅するスペースシャットルが、何かに誘われて土星の近くまでやってきました。土星をとりまいているリングの近くでは、太陽の光を受けて輝く氷のつぶやかたまりが、はるか彼方までびっしりと浮かび、とても美しい光景が広がっていました。けれども、スペースシャットルの目的地は、ここではないようです。

 左側の黒板画は、五十嵐氏によると、2016年6月に描いた最初の絵であり、トコトコの物語として描いたものではなく、あとから舞台の説明に使えると思って序章に挿入したそうである。確かに、この画では左上に「スペースシャットル」、中央に土星とそのリングの氷の粒や塊が描かれている。モノトーンの黒と白の対比が宇宙空間をくっきりと描いている。ここにはまだ生物の感触はない。


 004-005頁で「トコトコ」が登場する。左側の黒板画と右側の日本語テクストを引用する。




ここは土星の衛星のひとつ、エンケラドス。表面を覆う厚い氷の下には、広大な海が広がっています。その深い海の底、熱水が湧き上がる海底火山のまわりには、トコトコたちが住んでいました。トコトコは、その名のとおリトコトコと歩き回る生き物で、珍しいものを探して旅をするのが大好きでした。

 物語の舞台になるのは、土星の衛星のエンケラドスの氷の下の広大な海の底。登場する生物はトコトコ。右側の画の一番下に、深海の底で不安げに周りを見つめているトコトコが描かれている。この黒板画は『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』の表紙絵にもなっている。


 006-007頁ではトコトコが不思議なもの(スペースシャットル)と出逢う。この黒板画は五十嵐氏によると2016年8月に描かれた。ちょうど今から十年前になる。

 富士山駅のmill shopで展示した当時の写真を五十嵐氏から送っていただいた。直接チョークで板に解説文の文字を書いていたそうである。その画像を添付したい。




 当時の画の解説文にはこうある。

土星まで旅をしたスペースシャットルは衛星のエンケラドスの地底海でトコトコ族に発見されるのだった。

 完成版の本の日本語テクストにはこうある。

ある日、1人のトコトコが歩いていると、不思議なものを見つけました。「これはいったい何だろう?」


 この二つのテクストを比較すると、「スペースシャットル」が「トコトコ族」に発見された、から、「トコトコ」が「不思議なもの」を見つけた、に修正されている。「トコトコ」に焦点を当てた表現に変化した。さらにこの場面ではまだ「不思議なもの」の発見であり、「スペースシャットル」という名も示されていない。次頁以降で宇宙人のマルベリーとグリッパーが地球でハタオリに使う道具であることを教えてくれる。


 トコトコとスペースシャットルという未知との遭遇によって物語は進んでいく。
 五十嵐氏はこの作品の成立についてこう述べている。

最初に描いたときには、物語を描くつもりはなく、独立した一つのシーンの絵として描きました。描き終わってから、これの続きを描いてみよう、と思い立ってストーリーを考えました。
   
 002-003頁のスペースシャットル、004-005頁のエンケラドスとトコトコ、006-007頁のトコトコとスペースシャットル、というように最初の三つのシーンで主要な物、舞台、生物が登場して物語が展開していく。

 五十嵐哲也氏は、まず黒板画のシーンを描いてから想像力を膨らませて次第に物語を紡いでいった。彼自身の手がシャットルのように動いて、黒板画のシーンという経糸の間に物語テクストの緯糸を通すことによって、『トコトコとスペースシャットルの宇宙のハタオリトラベル』という織物の作品を創造していった。織物の研究や開発という本職と黒板チョークアートという活動のファブリックでもある。


 二つのものが美しく織り込まれるときに新たなものが生まれてくる。

 織物、ファブリックの魔法である。


 なお、五十嵐氏が本職の関連で運営している「シケンジョテキ」というサイトの「2021年8月16日テキスタイルの生態系/織物工場を植物に例えてみる」などに、この物語を理解する上で参考になることが書かれていることを付言したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿