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2016年2月22日月曜日

Auf、解放の叫び。ー『新・映像の世紀』第5集

 昨夜、2月21日夜、NHKで放送された『新・映像の世紀』第5集の題名は『若者の反乱が世界に連鎖した』。60年代後半の若者の反乱やカウンターカルチャーの発掘映像が流れた。前半はどこかで見たことのあるような映像が多く、取り上げ方も紋切り型で期待はずれだった。ジャン・リュック・ゴダールがカンヌ映画祭開催の中止を要求する映像には惹きつけられたが。

 後半になって、ベルリンの壁崩壊に話題が移ると、その映像に釘付けになった。 1987年6月6日、デビッド・ボウイの西ベルリンでの野外コンサート。壁近くの共和国広場で開催されたライブの演奏とその状況を撮影した映像が放送されたのだ。数回前、このblogで言及したあの伝説的なコンサートの映像を見るのは初めてだった。4分ほどに編集されていたが、とても印象深いものだった。

 ボウイがドイツ語のMCで「今夜はみんなで幸せを祈ろう。壁の向こう側の友人たちのために」と語っていた。この場に最もふさわしい曲『ヒーローズ』が歌われていた。
 演奏の映像はほんの短いものだったが、東ベルリン側の様子を密かに撮影した映像が非常に貴重だった。ライブ数時間前のまだ明るい日中からブランデンブルク門近くに集まる若者たち。それを監視し警備する当局。ライブが始まる頃だろうか、夕暮れ近くになり、一人の男の叫ぶ大きな声が録音されていた。字幕では「ここから出せ!」と記されていたが、録画を再生すると、「Auf」と聞こえる。ブランデンブルク門の東側の広場に響く「Auf」。この短く鋭い言葉が耳に刻まれた。

 「Auf」の意味を辞書で調べてみてもしっくりとこない。妻の叔父はドイツで哲学を研究し、ドイツ人女性を伴侶としている。日本とドイツを行き来し、今は日本で暮らしている。時々、哲学や欧州の文化について教示してもらっている。そこで今夜電話して二人に「Auf」の意味を尋ねてみた。
 結論は、ブランデンブルク門、ベルリンの壁近くの場所であることを考慮すると、「門を開放しろ」「壁を解放しろ」という意味になるようだ。「Auf」には閉じられた門を開けるという用例があるそうだ。あの場所から数百メートル向こう側でボウイのコンサートは開催された。その東側にいた若者は、門を超えて壁を越えて、向こう側、西側にあるライブ会場に行きたいと叫んでいたことになる。
 ロックを聴くこと、ライブを見ることへの欲望、その自由を解放すること。「Auf」は「解放」への叫びだった。

 叔母によると、この出来事はドイツでは有名らしい。以前紹介した『朝日新聞』2016年1月24日付の記事には、〈「壁を倒せ」と叫ぶ若者が東独警察と衝突した、と当時の報道は伝える〉という説明があったが、そのような状況を裏付ける映像だった。このNHKの映像の出所は分からないが、貴重な発掘映像であることは間違いない。

 ブランデンブルク門周辺の画像を探してみた。wikipedeiaに壁建設中の1961年の写真が掲載されていた。

 ベルリンの壁建設(1961年秋) wikipediaより

  中央やや左にブランデンブルク門。その周辺を囲むように壁が建設されている。わかりやすく写真の左右で言うと、右側が西ベルリン、左側が東ベルリン。下側が北、上側が南だ。このフレームからすると、写真の撮影位置は西ベルリン側の国会議事堂(当時は議事堂としては使用されていないが)だろう。門の西側に広がるのはティーアガルテン公園。門の南側の広大な空地の奥の方がポツダム広場の跡だ。(今はここに「冨士山」を有するソニーセンターもある)
  ボウイのコンサート会場は、この写真の撮影位置が国会議事堂で正しいのなら、その前の広場になる。(この写真で言えば、フレームから外れた右下の場所になるだろうか)

 2000年の旅の際この辺りを歩いたのだが、国会議事堂の屋上にはドームができて、観光名所になっていた。裏側から上れないかと建物に入ろうとしたら警備員に注意された。結局上るのはあきらめたのだが、屋上ではこの写真のフレームに近い風景が眺められたのだろう。
 この写真が1961年、ボウイのライブは1987年、壁崩壊は1989年、ドイツ再統一は1990年。この場には、20世紀後半の歴史の記憶が渦巻いている。
 
 この番組には他に、1963年公民権運動の大集会でのボブ・ディラン、1967年ザ・ビートルズ“All You Need Is Love”のレコーディング風景などの貴重な映像もある。

 明日、火曜日の深夜[2月24日(水)00:10~01:00]再放送があるので、未見の方はご覧になられることをおすすめします。

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