早川義夫・佐久間正英のシカゴ大学ライブの中継から一日が経つ。
回線の問題か、音と映像の間に時間差があるという難しい状況にあった。しかし、聴いている内に、音が先に届き、その像が遅れてたどりつくという「ずれ」が、何だか、あの場の中継としてふさわしいような気もしてきたから、不思議だ。
2回のアンコールも含めて、1時間10分ほどのコンサートで、強く記憶に刻まれる演奏だったのは、やはり、『からっぽの世界』だった。早川義夫の歌う言葉の一つひとつが、今日のこの日のために選択されたかのようだった。佐久間正英の演奏は、彼がギターを奏でているというよりも、ギターが彼の身体を静かに奏で、水の音が流れるように、透明に音を響かせていた。
佐久間は早川について、「goodbye world」(http://masahidesakuma.net/2013/08/goodbye-world.html)という文で、「自分はこの人の歌のために音楽をやって来たのではないだろうか。この人と出会うためにギターを弾き続けて来たのではないだろうか、と。そんな風に思えるほど歌にぴったりと寄り添うことができる。」と述べている。この「寄り添う」という言葉は、限りなく美しい。
昨日は、二人が互いに寄り添うように歌い、演奏していた。あの場にいた聴衆も、中継を通じての聴衆も、皆、寄り添うように聴いていたことだろう。
回想を語りたい。
1981年、中野サンプラザで、トーキング・ヘッズの前座として登場したプラスチックスのコンサートで、佐久間正英の演奏を初めて聴いた。尖っていてしかも力が抜けていたモダンなポップミュージックは、頭と体にとても愉快な刺激を与えていた。
1995年、五反田ゆうぽうとホールで早川義夫のコンサートがあった。70年代前半に彼の音楽に出会った私にとって、前年の渋谷公会堂に続く二度目のライブ体験だった。
アンコールで、彼は「佐久間さんに作ってもらったギターです」と言い、うれしそうに微笑みながら、少し照れくさそうに、ギターを掲げ、『いい娘だね』を歌い始めた。ギターを弾く早川義夫。「それは夢の中でも いい娘だね いい娘だね」という一節のように、「夢の中」の光景のようだった。
(ギターを奏でる彼を見たのはこれが最初で、今のところこれが最後だ)
あの時も、そのような形で、佐久間正英は早川義夫に寄り添っていたのだな、と昨日想い出した。
そして、志村正彦のことを考えた。
志村正彦・フジファブリックを遡行していくと、四人囃子を経由して、早川義夫・ジャックスという源流に行き着くと、前回書いた。佐久間正英は、志村正彦の歌、フジファブリックの音楽をどのように受けとめているのか。早川義夫は、(彼が志村正彦の歌を聴いたことがあるのかどうかは知らないが、もし彼が志村の歌を聴いたとしたら)何を感じとるのだろうか。そのような切実な問いがある。
かつて、早川は「歌が伝わるとか伝わらないということではなく、歌う人間が伝わってこなければ駄目なのです」と書いた。昨日のライブ中継では、早川義夫と佐久間正英という、「歌う人間」「奏でる人間」が確かすぎるくらい確かに伝わってきた。
彼らと親子のように年の離れた世代ではあるが、日本語のロックという場の中で、志村正彦の歌はそのような早川の想いに最も近づいた歌だと思われることをここに付言しておきたい。
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