2025年2月2日日曜日

oppeke⇒notteke⇒otteke を「追ってけ追ってけ」[志村正彦LN361]

  志村正彦の歌詞には、〈音〉の効果を活かした言葉、擬態語、擬声語、オノマトペ的な言葉が少なくない。おそらく、意味にならない言葉を追い求めていくことが彼の歌詞作りの原点だったのではないか。

 「追ってけ追ってけ」の〈追ってけ追ってけ追ってけよ/ほら手と手 手と手〉を聴くと、アストロノウツ「太陽の彼方に」の日本語カバー曲の〈乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン/波に波に波に乗れ乗れ〉〈notteke notteke notteke/namini namini namini nore nore〉というフレーズを思いだす人も少なくないだろう。

  アメリカのバンド、アストロノウツのインストゥルメンタル曲「太陽の彼方に」にタカオカンベによる日本語歌詞を載せたカバー曲「太陽の彼方に」は、1964年、藤本好一・寺内タケシとブルージーンズによるシングルが最初にリリースされたが、僕等の世代にとっては1972年のゴールデン・ハーフの「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」が印象に残る。その音源と歌詞を引きたい。

 


 乗ってけ 乗ってけ 乗ってけ サーフィン
 波に 波に 波に 乗れ乗れ
 揺れて 揺られて 夢の小舟は
 太陽の彼方

 60年代のエレキサウンドに合わせた譜割りの歌詞が心地よいリズムを奏でる。今この曲を聴くと、あのPUFFYのサウンドの原型がここにあるのではないかとも思ってしまう。


 もっと時代を遡ると、ある曲のフレーズが浮かんでくる。「オッペケペー節」の〈オッペケペー オッペケペ/オッペケペッポーペッポッポー〉だ。

 「オッペケペー節」は明治時代の流行歌。川上音二郎が「オッペケペー節」(三代目桂藤兵衛作)を寄席で歌い、大評判となり、1900年に欧米に行った際にイギリスのグラモフォン・レコードで録音し、SP盤を発売した。これが日本人初のレコード録音だったとされている。また、そのリズミカルで奔放な歌詞から、日本語ラップの最初の歌とも言われている。歌詞を読むと、明治時代の社会や政治に対する皮肉や批判が込められている。

 youtubeにはオリジナル録音からカバーヴァージョンまでいろいろな音源があるので聴いてみるとよいだろう。あるヴァージョンの歌詞にはこうある。〈心に自由の種をまけ〉というところは、きわめてロック的でもある。

 貴女に紳士の出で立ちで 上辺の飾りはよけれども
 政治の思想が欠乏だ 天地の真理がわからない
 心に自由の種をまけ
 オッペケペー オッペケペッポーペッポッポー

 

 「追ってけ追ってけ」は〈otteke otteke ottekeyo/hora tetote tetote〉。「オッペケペー節」は〈oppekepe oppekepe/oppekepeppo peppoppo〉。《oppeke⇒otteke》《peppoppo⇒tetote》というあたりに、僕は音の響きやリズムの対応関係を感じてしまう。

 志村が「オッペケペー節」の〈otteke otteke〉や「太陽の彼方に」の〈notteke notteke〉のフレーズを意識して作詞作曲したのではないだろうが、どこか無意識の領域で影響を受けている可能性がないとはいえない。〈音〉の反復フレーズの作用は強く、印象深い言葉のシニフィアンは連鎖するからだ。

 そうは言っても、「追ってけ追ってけ」には、「オッペケペー節」の社会への痛烈な批判が込められた自由で愉快な世界や「太陽の彼方に」のどこまでも明るく突き抜けたような夢の世界の感触はない。やりきれない閉ざされた世界から飛び出したいという鬱屈した願望が伝わってくる。

 志村正彦的なあまりに志村正彦的な世界である。

2025年1月25日土曜日

「追ってけ追ってけ」の追跡 [志村正彦LN360]

 2025年になり、新年あらたまってというわけでもないが、今年は原則として時間軸にそって志村正彦・フジファブリックの作品を追っていこうと思う。

 今日は2003年6月リリースのインディーズ2枚目ミニアルバム『アラモード』収録の「追ってけ追ってけ」。翌年のメジャー1枚目アルバム『フジファブリック』で再録音された。

 普段は歌詞カードを見ながら楽曲を聴き、とりあえず思いついたことを書き始める。当然ではあるが最初から言葉が頭に入ってくる。今回はなんとなく音源だけを聴くことにした。

 フジファブリックの公式YouTubeから音源を引いてみる。

  追ってけ追ってけ · FUJIFABRIC (作詞作曲:志村正彦)



 ギター、ベース、ドラムのうねるようなリズムに乗って、ドアーズを彷彿とさせるようなオルガンの音がのびやかに広がっていく。どこかに連れて行かれそうなグルーブの感覚、一種の浮遊感がある。

 イントロに続いて、志村の歌が聞こえてくる。

merameramoeru aitenomemiru to
sugunisorasi tesimattanodatta
muzugayuine mizunomihosityatte

 第1ブロックでは《m》の音が《r》の音と絡まりながら反復し、そのうちに《s》音や《t》音も重なっていく。音が言葉を句切って意味を成していくというよりも、そのまま拡散していく。音のつぶつぶが浮遊していくような奇妙な感覚に襲われる。

 歌詞カードを読むと、聞こえてきた音の群れは次のような言葉を作り出している。第1ブロックでは特に、言葉の句切り方と歌い方とのあいだにズレが起きている。意図的なものだろうが、言葉の音そのものが強調される効果がある。

めらめら燃える相手の目見ると
すぐにそらしてしまったのだった
むずがゆいね 水飲み干しちゃって

 歌の主体は〈相手〉の〈目〉をそらして、水を飲み干す。〈むずがゆいね〉という身体的感覚は、〈めらめら燃える〉相手の視線に対するものだろうか。


 第2ブロックでは《k》音が《r》音と絡まるが、《m》音も引き続き繰り返される。

kirakirahikaru mehosometemiru
maegaminokage tyottodakemieru
modokasiine jamanamonowatotte

きらきら光る 目細めて見る
前髪の影 ちょっとだけ見える
もどかしいね 邪魔な物は取って

 相手の目が〈きらきら光る〉のだろうか。歌の主体は〈目を細めて〉それを見る。〈前髪の影〉が少しだけ見える。〈きらきら〉の光をさえぎる影がもどかしくて邪魔だ。取り払ってほしい。


 この後でサビの〈追ってけ追ってけ追ってけよ/ほら手と手 手と手〉をはさんで、第三ブロックが登場する。《y》音が《r》音と絡まってゆく。続いて《k》音が目立つようになる。

yurayurayureru tabakonokemuri
damattahutari kissatennosumikko
tobidasunowa zikannomondaisa

ゆらゆら揺れる煙草のけむり     
黙った二人 喫茶店の隅っこ
飛び出すのは 時間の問題さ

 歌の主体と〈相手〉の二人は黙ったままで〈喫茶店〉にいる。〈煙草〉をくゆらせているのか、周りにその〈けむり〉が立ちこめているのかは分からないが、この喫茶店の空間は濃密のようだ。


 志村正彦は『FAB BOOK』のインタビューでこの曲について、「カフェミュージック的なものをつくろうとして、うまくできなくて(笑)。で、つくった曲」と述べている。

 〈カフェミュージック〉の〈カフェ〉の痕跡が〈喫茶店〉だ。つまり、〈カフェミュージック〉が上手くできなくて、代わりに作られたのがこの 「追ってけ追ってけ」、昭和風の〈喫茶店〉を舞台とする音楽なのだろう。

 おそらく二人のうちの一人が(あるいは二人かもしれないが)、喫茶店の場から〈飛び出す〉のは〈時間の問題〉だとされるが、歌詞は断片的であり、不確かな物語しか浮かび上がらない。二人のあいだにいったい何が起きたのか。

 この歌の世界は、めらめら燃え、きらきら光り、ゆらゆら揺れている。擬態語、オノマトペが繰り返し使われる。《m》《k》《t》音が《r》の音と絡まって編み出されてゆく〈めらめら〉〈きらきら〉〈ゆらゆら〉が意味にならない想いを表出し、最終的に〈喫茶店〉から〈飛び出す〉という衝動を生み出していく。志村は物語を描くのではなく、物語を生み出しそうな衝動を音そのもの、音のシニフィアンで伝えようとしたのではないか。


 サビのブロックは何度も繰り返される。

otteke otteke ottekeyo
hora tetote tetote

追ってけ追ってけ追ってけよ
ほら手と手 手と手

 《o》の音がキーになって繰り返される。聴き手の感覚として、〈teke〉〈teke〉〈teke〉、〈teto〉〈tote〉という音の組み合せが、芦原すなおの小説 『青春デンデケデケデケ』の題名のように、ベンチャーズのトレモロ・グリッサンド奏法のオノマトペを想起させる。

 〈追ってけ〉は、二人のどちらかがどちらかを追っていき、〈手と手〉を合わせようと物語を描こうとしているのだろうが、そのような物語的解釈ではなく、案外、左の手と右の手によってギターを弾き、楽曲の旋律を追っていくこと、つまりこの曲の演奏自体を表しているのかもしれない。そう考える誘惑に駆られてしまう。


 この不可思議な歌は、物語を超えた遊びを〈追ってけ追ってけ追ってけ〉と追跡している。

  (この項つづく)


2024年12月31日火曜日

2024年/NHK甲府「……志村正彦がのこしたもの~」 [志村正彦LN359]

 一週間前、今年最後の「山梨学Ⅱ」の授業で、NHK甲府「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」を受講生に見せた。

 山梨英和大学の2年次前期必修科目「山梨学Ⅰ」では、行政機関や博物館などの実務担当者や専門家を招聘講師として招いて、「行政と地域活性化-富士吉田市ハタオリフェスの試み」(富士吉田市富士山課)、「世界文化遺産-富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」(山梨県富士山世界遺産センター)、後期の選択科目「山梨学Ⅱ」では「山梨ハタオリ産地の歴史とブランディング活動」(山梨県産業技術センター富士技術支援センター)という特別講義を行った。受講生は、地域、観光、行政、歴史、信仰、芸術、技術、広報という様々な観点から、富士吉田を中心とする富士北麓地方について学びんできた。さらに「山梨学Ⅱ」では、10月に富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行き、いろいろな方へのインタビューを通してハタフェスについての報告をSLIDEにまとめて、グループ別に発表した。知識だけでなく、実践的で探求的な活動を試みているが、年間を通じて富士北麓という地域が大きなテーマの一つとなっている。

  今回は、志村正彦・フジファブリックの音楽を広めていく地域の活動に焦点をあてて、志村正彦の同級生たちの活動、地域や地域を越えていく彼の影響力の広がりという観点を設定した。


 学生たちがNHK番組について書いた文章を六つほどここで紹介したい。


  • 彼の魅力が今も語り継がれているのは、志村さんが作る音楽が素晴らしいだけでなく、その人柄や思いが深く周囲に影響を与え続けているからだと感じた。それと同時に、多くの人に愛された志村正彦という存在と彼の作った曲は今後も決して忘れられることなく、人々の心に生き続けると確信した。
  • 番組で語られていた地元山梨に対する志村さんの想いや、音楽を通じて表現しようとした人間的な温かさに触れ、音楽だけでなくその背後にある彼の人生観や価値観にも魅了されました。地元に根差しながらも、広く世界に向けて発信していくその姿勢は、山梨という地域の誇りでもあると感じます。
  • 本人が亡くなってしまった後でも、本人のために何かをしてあげたい、こういう人がいたということを残してくれる人がいるということは、何よりも本人が生きて頑張った証なのだというように思った。

 志村正彦の「人柄や思い」が周囲に深く影響を与え続けていること、地元山梨に対する「想い」、音楽を通じて表現しようとした「人間的な温かさ」、「人生観や価値観」に魅了されたというように、志村正彦の存在そのものを受けとめようとする意見が多かった。また、彼の音楽が聞き続けられ、人柄が語り継がれる今日の状況は「何よりも本人が生きて頑張った証」だとされたことには、このブログの書き手としてとても共感した。

  • 私がフジファブリックを初めて知ったのは小学生の頃で、志村さんが亡くなられた後に志村さんを除いたメンバーが音楽番組に出演されていたのをたまたま目にして、それが非常に印象に残っていました。亡くなられてからもたくさんの人々に愛されていたお方なんだろうなあというのはその際から印象として持っていました。
  • 志村正彦さんの曲は中学生のときに担任の先生がギターで演奏してくれて知りました。歌詞一言一言に山梨の景色や空気、思い出など詰まっていて、聞いているだけで山梨の街並みが浮かんでくるような思いにさせられます。
  • フジファブリックのことを初めて知ったのは今年の前期で受講した山梨学だった。志村正彦さんの作った曲がその時にやった講義の中で一番心に残った。なぜなんだろうと思ったがおそらく僕は志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違うからだと考える。


 小学生の頃に見た番組、中学生の時の担任のギター演奏、そして大学での講義、と出会い方は様々だが、志村正彦・フジファブリックとの出会いの機会は増えているようだ。もちろん、受講生の八割は山梨で生まれ育った学生だということがあるだろう。最後の文章には「志村正彦さんの歌詞や志村さん自体の世界観が今までに出会った人たちとは全く違う」と書かれている。そのような捉え方をさせる力が志村正彦という存在とその作品にはある。


 授業終了後、中国からの留学生が声をかけてくれた。9月の末に、新倉山浅間公園に行くために下吉田駅で下りたときにある曲が流れていたが、誰の曲かどうして駅でその曲を流すのかを分からなかったが、この番組を見てあの時の曲が「若者のすべて」や「茜色の夕日」だと分かり、志村正彦という人を知ることができて良かった、と語ってくれた。このような出会い方もあるのだ。


 今年2024年を振り返ると、まず第一に7月にフジファブリックが2025年2月で活動を休止することが発表されたことが挙げられるだろう。一つの時代が終わり、フジファブリックという円環が閉じられる。

 それに関連して、8月に、フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」が開かれた。志村家の協力によって、これまでにない素晴らしい演出となった。『モノノケハカランダ』『陽炎』『バウムクーヘン』『若者のすべて』では、志村正彦の音源・映像とステージでの生演奏がミックスされた。アンコールの『茜色の夕日』では画像はない代わりに、志村の歌う声が強く響いてきた。

  6月にNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』が配信された。劇中歌として『若者のすべて』が使われたが、物語そのものに深くこの歌が関わっていた。(そのことはこのブログで数回に分けて書いた)

 『若者のすべて』の優れたカバーが続いた。映画『余命一年の僕が、余命半年の君に出会った話。』主題歌のsuis from ヨルシカ、大島美幸・こがけんのデュエット、ガチャピン。その他、YouTubeでもいくつもカバーがアップされている。すべてを追えないくらいだ。

 この曲が人びとに聴かれて、ますます広がり、知名度も上がっていることを実感した。


2024年12月20日金曜日

アンコール放送・全国配信、NHK甲府「若者のすべて〜フジファブリック・志村正彦がのこしたもの〜」[志村正彦LN358]

 今夜12月20日の午後7時半から、NHK甲府の「金曜やまなし」枠で、2019年12月13日に放送されたヤマナシ・クエスト 「若者のすべて〜フジファブリック・志村正彦がのこしたもの〜」のアンコール放送があった。「アンコール放送」とされているのは、たくさんのファンからの要望があったからだろう。


 初回放送から五年が経っている。すべてが懐かしい。そんな想いにとらわれた。志村正彦という存在も、その歌も、彼の故郷も、彼の友人たちも、この番組自体も、五年の時が流れているのだが(五年の時しか流れていない、というべきかもしれないが)、そのすべてがもはや懐かしい。あたかも、志村正彦が関わる世界のすべてがつねにすでにある種の懐かしさにつつまれているかのように。いまここで、つねにすでに、懐かしい。


 番組冒頭で、1stアルバム『フジファブリック』のプロデューサー片寄明人が、志村正彦・フジファブリックについてこう語っていた。

聴いたことのない音楽だなあってのは思いましたね

ノスタルジックな感情がわーっと湧きあがってくる

十年後二十年後に聴かれても古くならないような 普遍的としか言いようがない言葉が込められていると思いますね


  ノスタルジックな感情とは、まさしく、懐かしさや郷愁を感じることである。志村正彦は、言葉と楽曲によってノスタルジックな抒情を歌いあげた。片寄の言うように、その作品は十年後二十年後でも古くはならない。実際に、この番組で取り上げられた「陽炎」「赤黄色の金木犀」はリリースからすでに20年が経っている。「茜色の夕日」はそれ以上、「若者のすべて」は17年の時間を経ている。しかし古びてはいない。そもそものはじまりから懐かしいものは決して古びることがない。おそらくそうなのだろう。懐かしいものは、逆説的ではあるが、つねに新しい。


 この番組はNHKプラスで見逃し配信しているので、全国どこでも視聴できる。期限は「12/27(金) 午後8:15 まで」である(当初は「1月3日午後8:15まで」と表示されていたので、「通常は1週間だが、その倍の期間、来年の1月3日午後8:15まで可能のようだ。この配慮はありがたい」と書いたのだが、その後変更されたのでこの文も修正した)

 来年2月でフジファブリックが活動休止になる節目だからこその企画かもしれないが、NHK甲府局での再放送、そしてNHKプラスによる全国配信は、志村正彦・フジファブリックのファンにとっては朗報である。

 しかしそれでもできることなら、新しい番組を見たかったというのが本当のところである。まだまだ、もっともっと、深く深く、志村正彦・フジファブリックを掘りさげていくことはできる。その未来の番組に期待したい。


2024年11月22日金曜日

Genesis『The Lamb Lies Down on Broadway』の半世紀

 50年前の1974年11月22日、Genesisの『The Lamb Lies Down on Broadway』というダブルアルバムがリリースされた。半世紀の時間が流れたことになる。

 日本での発売は翌年1975年2月、邦題は『幻惑のブロードウェイ』だった。すでにジェネシスのファンだった僕は甲府のレコード屋「サンリン」で購入した。それ以来、このアルバムは僕の愛聴盤となった。愛聴盤というよりも次第に絶対的な音盤、存在となっていた。

 2枚のLPレコードに全23曲が収録され、ジャケットのインナースリーブはピーター・ガブリエルが書いた物語が載っていた。ジャンルとしてはロック・オペラになるだろう。物語の主人公はニューヨークのプエルトリコ人「Raelレエル」。歌詞と物語は、おそらくピーター・ガブリエルが実際に見た夢(夢というよりほとんど悪夢なのだが)を基にして、様々な文学作品や宗教・神話のテクストを織り交ぜて書き上げられていったと推測される。「Rael」という名はもちろん「Real現実」の綴りを変えたもの。10曲目の「Carpet Crawlers」の歌詞の一節に「We've got to get in to get out 外に出るためには中に入らなくてはならない」とあるように、レエルは自らの無意識の内部に入り込み、最終的には再び、現実という外部へと出て行く。

 youtubeの「Genesis」公式サイトにこのアルバムの全曲がある。冒頭曲、「The Lamb Lies Down On Broadway (Official Audio)」を紹介したい。




 ピーター・ガブリエルは、「Rael」から「Real」への旅の物語を歌った。このアルバムを聴いた当時、その物語の意味はあまり分からなかったのだが、ピーター・ガブリエルの声、歌、囁き、叫び、歌詞や物語の断片、言葉の韻やリズムから、それこそ幻惑のようにしてこのロック・オペラを繰り返し聴いた。微かに物語の断片が浮かんできた。

 1974年の当時、ピーター・ガブリエルは、妻や家庭のこと、バンドメンバーとの軋轢などで精神的に行き詰まり、フロイトやユングなどの精神分析の本をよく読んでいたそうだ。その苦難の痕跡がこの作品に現れている。ダブルアルバムだからというわけでもないのだろうが、物語には「Rael」の兄「John」も登場し、「Rael」と「John」とは分身、二重身、ダブルの関係でもある。分身は精神分析が探求したテーマだ。


 今振り返ると、このダブルアルバムから僕は決定的な影響を受けたようだ。ロック音楽そして文学へと深く入り込んでいった。ここ数年、芥川龍之介や志賀直哉の夢をモチーフとする作品を分析する論文を書いていることも、このアルバムとの出会いが重要な契機になっているのかもしれない。


2024年11月10日日曜日

2024ハタフェスと「赤黄色の金木犀」の黒板画[志村正彦LN357]

 もう三週間前になるが、10月19日、「山梨学Ⅱ」という授業で30人の学生と一緒に富士吉田の「2024ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを学ぶための現地見学と調査だ。ここ数年の間、行っている。朝9時にバスに乗って大学を出発。心配していて天気も何とかもちそうで、御坂トンネルを越すと、富士山がその美しい姿を現した。少し雲はかかっていたが、まだ雪はなかった。夏山の富士だった。10時に富士吉田市役所の駐車場に到着。バスを降りて会場に向かった。引率教師と学生たちが集団で歩く姿は、まるで小学生の遠足のように見えただろう。

 ハタフェスは富士吉田の秋祭り。二日間、本町通り沿いの各会場でハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。昼までは五人ずつの六つのグループに別れて見学し、インタビューなどを通して調査を行い、見学報告のSLIDEを作成するのが課題だ。午後は各自の自由見学という流れだ。僕もいくつかのスポットを廻った。ところどころで学生たちとも出逢った。


 まずはじめに、KURA HOUSEで開催の「私のハタオリマチ日記展」。イラストレーターのmameさんが描いてきたRIHO、SACHI、AOIの物語とそのイラストが展示されていた。mameさんの絵のキャラクターはとにかく愛らしいのだが、状況や背景もしっかりと描かれているので、その場の雰囲気がよく伝わる。富士吉田という街と人の物語が浮かんでくるのだ。志村正彦ゆかりの喫茶店と言われる「M2」の前で佇むイラストも飾られていた。ポスターやポストカードのプレゼントもあったのが嬉しかった。


 今年はフードコートのようなエリアが充実していた。甲府のAKITO COFFEEの店があったので、フィルターコーヒーを深煎りで注文した。出来上がりまでの時間、このエリアにいる人びとを眺めると、各々がゆっくりとこの場にいることを楽しんでいるようだ。一息つくことができた。コーヒーで身体が温まる。チョコレートのマフィンも美味しかった。

 次は小室浅間神社。ここに来るといつもポニーを見に行く。可愛い眼が和ませる。こういう場もあるのがハタフェスのよいところだ。



 この後、中村会館を目指して本町通りを上がっていく。途中で驚くことがあった。M2近くにある謎の古書店「不二御堂」が何とオープンしているではないか!ここは何度も通ったことがあるが、いつも閉まっていた。初めて入り、高速に眼を動かして、書籍を物色。僕の趣味に合う本が多い。懐かしい本もたくさんあった。「現代詩手帳」のバックナンバーに掘り出し物があったので購入した。

  中村会館のエリアには黒板当番さんのコーナーがある。毎年ここに寄るのを楽しみにしている。志村正彦の黒板画をプリントした小さな絵が並んだパネルが立っていた。何度見てもあきることがない。


 

 さらに、富士山駅まで歩いていく。ゆるやかだが上り坂なのでけっこうしんどい。目指すは、駅ビル『ヤマナシハタオリトラベル』にある、志村正彦・フジファブリック「赤黄色の金木犀」をテーマとした黒板画だ。

 今年はいつもと違い、エレベーター近くの目立つ場所に飾られていた。
 絵の全体が赤黄色の色合いに溶け込んでいる。金木犀が香ってくるようだ。チョークの綺麗な点描で志村正彦の表情が繊細に描かれている。黒板当番さんがたくさん描かれてきた志村画のなかで、この絵がもっとも好きになった。




 見学から一週ほど後に、授業で六つのグループによる「ハタフェス見学報告」SLIDEの発表会を行った。全グループをまとめると120枚のSLIDEが出来上がった。いろいろな観点からハタフェスの魅力を語り、地域活性化のためのアイディアを考えた。課題や改善点も探った。

 あるグループが「YOUは何しにハタフェスへ」と題して、海外から来た人へのインタビューをまとめた。このユニークなテーマが大好評だった。フランス人夫婦(40代)、台湾人カップル(30代)、ドイツ人女性(30代)、オーストラリア人女性(40代)、マレーシア人男性(20代)と、国際色がほんとうに豊かだ。
 ハタフェスについては、「民泊のところに置いてあったチラシで知った」「泊まってるホテルから教えてもらった」「富士山や新倉山浅間公園を見に来たら、たまたまやっていた」という回答。みんな、雰囲気が素晴らしいと答えてくれたそうだ。

 これから、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」が世界に知られるようになるのかもしれない。この街にはそのようなパワーがある。

2024年10月17日木曜日

「赤黄色の金木犀」と「金麦〈帰り道の金木犀〉」[志村正彦LN356]

 僕の住む甲府では、毎年、九月の下旬には金木犀が香り出すのだが、今年はまったくその兆しもなかった。金木犀は気温があるところまで下がってくと、花が開花し、香り始める。今年はあまりにも猛暑が続いた。その影響で全国各地で金木犀の季節が遅れているようだ。

 もしかすると今年はもう香らないなのかもしれない。そんな心配をしていたところ、一昨日から、家の周りからあの特別な香りが微かに漂い始めた。例年より二十日以上遅いことになる。暑い季節と寒い季節の二つが巡っているような季節感が定着しだした。秋は束の間に過ぎ去っていく。


 毎年、金木犀が香り始めると、志村正彦・フジファブリックの『赤黄色の金木犀』の音源をあらためて聴くことにしている。大学の日本語表現の授業では、短い時間を使って曲の歌詞を分析して、日本語の詩的表現の特徴を伝えることがある。一昨日、この授業があった。このタイミングしかないと思って『赤黄色の金木犀』を取り上げた。学生に音源を聴かせた後で、特に〈赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって/何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道〉の箇所について次のようなことを語った。


  • 香りというものは我々の記憶の深いところに作用する。意識にも上らない何かの出来事と金木犀の香りが結びつき、無意識の底に張り付いているのかもしれない。
  • 〈何故か〉〈無駄に〉〈胸が〉〈騒いでしまう〉。一つひとつの言葉は分かりやすいものであっても、この配列による表現はなかなか解読しがたい。言葉の連鎖のあり方が単純な了解を阻んでいる。〈胸が〉〈騒いでしまう〉想いの内実は明かされることなく、言葉の間に隠されているが、〈何故か〉〈無駄に〉という修飾語が痛切に響く。
  • 歌詞の全体に三拍の言葉によるビート感があり、〈強・弱・弱〉の反復がリズムの区切りとなっている。特に〈何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道〉の〈なぜか・むだに・むねが・さわい・で・しまう・かえり・みち〉というフレーズは、三拍の頭の〈な・む・む・さ・し・か・み〉の強い響きが、何かに急き立てられるような感覚を打ち出す。


 この九月サントリーが発売した発泡酒「金麦〈帰り道の金木犀〉」が、志村ファンの間で話題になった。そのWEBには〈アロマホップを使用し、上面発酵酵母を用いて醸造することで、甘く爽やかな香りを実現しました〉とある。〈帰り道の金木犀〉という命名は、〈帰り道〉〈金木犀〉という語を各々使うことはあるかもしれないが、〈帰り道〉〈の〉〈金木犀〉という言葉の連鎖になると、おそらく、「赤黄色の金木犀」の歌詞から着想を得たものだと思われる。あるいはむしろ、この歌に対するオマージュのような気もする。9月のアルコール飲料売上ランキングの1位はこの〈帰り道の金木犀〉だったという記事を読んだ。商品名のセンスが良いことも売れている要因だろう。



 販売開始後まもなくスーパーで買ってきたのだが、僕は酒がまったく飲めない。缶を眺めるだけの日々が続いたが、昨夜、甘い香りがする酒を飲む夢を見た。これまで酒を飲む夢を見たことは一度もない。間違いなく、金木犀の香りがしたことにも触発されて、僕の無意識が〈帰り道の金木犀〉を飲みたいという欲望を成就させたかったのだろう。


 今夜、10月17日のNHK「クラシックTV」という音楽番組を見た。テーマは「音楽会議ふたたび! エモいって何?」。〈最近よく耳にする「エモい」ってどういう意味?に音楽から迫る「音楽会議シリーズ」第2弾!エモい感情を生み出す音楽とは?おすすめの「エモ曲」と共にひも解きます〉という趣旨だった。

 この番組で〈世の中には「これはエモい!」と感じるエモ曲があります〉というナレーションとともに、フジファブリック「若者のすべて」のMV映像が一瞬だけ流れた。志村の声も聞こえてきた。「エモ曲」の代表曲としての扱いだが、時間が短すぎて「エモい」感じに浸れなかった。他にいくつもの曲が紹介されていたが、音楽はそもそもエモいものである。


〈エモい〉の辞書的な意味は〈感情が揺さぶられて何とも言い表せない気持ちになること〉だと説明されていた。このような意味合いであれば、志村正彦のかなりの、というよりもほとんどすべての曲は、エモいと言える。「若者のすべて」は、当然、エモい。しかし、エモい感情や感覚が最もあふれている曲は、「赤黄色の金木犀」ではないだろうか。

 この曲は聴き手の感情を揺さぶる。イントロとアウトロの志村によるアルペジオのギター音が流れ、歌詞の言葉は繊細に情緒深くつながる。曲が金木犀の香りを想起させる。音と言葉、様々な要素が複雑に共鳴して、感情を揺さぶり続け、何とも言えない気持ちにさせる。まさしく、〈何故か無駄に胸が/騒いでしまう帰り道〉にいるようなエモい想いに聴き手は包まれる。


  金木犀が香りはじめた。「赤黄色の金木犀」に耳を澄ました。「金麦〈帰り道の金木犀〉」の缶を眺めていた。甘く香る酒の夢を見た。何故か、無駄に、僕の無意識が騒いでしまった。