11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2023年5月14日日曜日

NHK 『SONGS』菅田将暉、『鶴瓶の家族に乾杯』富士吉田市[志村正彦LN332]

 今回は、最近のNHKの放送のなかで、志村正彦が取り上げられたり、音楽が流されたりした二つの番組について書きたい。


 4月20日、菅田将暉がNHK総合の『SONGS』に初出演した。2月の日本武道館公演の映像や『まちがいさがし』『ゆらゆら』の二曲が披露された。そのなかで、志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』の影響で音楽を始めたことが紹介された。

 五分ほどのその箇所を記録のために記しておきたい。ナレーションは黒色、須田の発言は青字(そのうちテロップとしても表示されたものは青の太字)、映像についての説明は赤色で示す。


【ナレーション】
菅田将暉さんは幼い頃からピアノを習い、歌うことが大好きでした。
しかし、十二歳で声変わりを経験し、人前で歌うことを避けるように。
音楽から遠ざかっていきました。

その後、十六歳で俳優デビュー。十代のほとんどを音楽を聴くことなく過ごしました。

映画『共喰い』(2013監督:青山真治、脚本:荒井晴彦、原作:田中慎弥)の映像
 
転機が訪れたのは十九歳の時。映画「共食い」の主演をつかみ、それまで経験したことのない難しい役を演じました。
 
必死で撮影に挑む日々。この頃出会ったある歌が菅田さんの心を動かしました。フジファブリックの「茜色の夕日」。

                                           
音楽活動原点の一曲 茜色の夕日(2005) フジファブリック

「茜色の夕日」MVの映像
「茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました 晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと」
 
菅田将暉〈20歳のバースデイイベント〉の映像
 
20歳になった菅田さん。思い出深いこの歌との出会いを語りました。
 
【菅田】

北九州にずっと一か月泊まって撮影という感じで
その中ですごい毎日すげえ好きな景色がありまして
門司港っていう港から見ると海が紫で
何とも言えない組が オレンジだったり
空がちょっとこう何とも言えない色で
それを僕が
「わぁ茜色の夕日ってやつじゃないですか」って言ったら
先輩の女優さんが「茜色の夕日って曲あるよ」って
そのタイトルだけでマッチしたっていうこともそうですし
歌詞に出てくる言葉とか
音楽聴いて初めて泣いて
プライベートの自分も含め 仕事上の自分 
そして「共食い」の遠馬っていう役の心情というか
人間のこう 素直な弱さというか

  
菅田さんの心を揺さぶった「茜色の夕日」。この日初めて人前で歌いました。
 
菅田将暉 アーティストブック 『20+1 』ワニブックスの映像         
 
(大泉洋の「当時、何がそこまで響いたのか」という問いかけに対して)

映画という現場の熱量みたいなものをたぶん初めて体感した十九歳とかで
。それが「茜色の夕日」って言う曲のなかの
「東京の空の星は見えないと聞かされていたけど  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ」
ていう部分があるんですけど。ちょうど上京して3年くらいだったのでなんかこうグッときたんですねえ
一見華やかでキラキラしているけど
でもなんか孤独な感じがあった
んでしょうね
まあ、そんなこともないんだっていうこの歌詞がたぶん響いたんだと思います。


 番組の記録は以上である。

 すでに、菅田将暉と『茜色の夕日』のことは、偶景web 2018年5月7日の〈菅田将暉『5年後の茜色の夕日』(志村正彦LN177)〉に書いたので、このテーマについてはここでは触れない。 その際に、菅田のデビュー・アルバム『PLAY』の初回生産限定盤付属の特典DVD『5年後の茜色の夕日~北九州小旅行ドキュメント映像~』について、〈映像中に、『茜色の夕日』の作詞作曲者である志村正彦の名、そしてフジファブリックの名もまったく記されていないのだ。何故なのか。疑問が湧き上がってきた〉〈本編映像の中でインポーズする必要はない。この歌の説明をする必要もない。しかし、タイトルバックの記載事項として、作詞作曲者の志村正彦という固有名(フジファブリックという名も)を明示することは、絶対的に必要な事柄である〉と指摘した。


 今回のNHK『SONGS』の映像にも、どういうわけか、作詞作曲者志村正彦のクレジットがなかった。番組内で歌詞に対する重要な言及があった。番組内で作者志村正彦の名を記すべきである。放送番組の制作・著作者は、音楽作品の著作者人格権を尊重しなければならない。


 もう一つの番組は、NHK総合の『鶴瓶の家族に乾杯』。先週の月曜日、5月8日舞台は富士吉田市だった。鶴瓶さんとゲストの木村佳乃さんは、NHKのプロジェクト「君の声が聴きたい」とコラボということで、地元の中学生と「白須うどん」に行った。(もう三十数年前になるが、僕もこの「白須うどん」で初めて吉田うどんを食べた。素うどんの値段は300円ほどで、うどんの固さ、キャベツが入っていること、民家の中で食べること、何もかもが驚きだったが、白須のうどんはとにかく美味しかった。数年前に新しい店になったようだが、また行ってみたい)その他、アートギャラリーの〈FUJIHIMURO〉や上吉田の四代にわたる大家族が紹介された。

  

 もしかしたらという予感というか予想があったのだが、中高生とのインタビューの際にフジファブリック『TEENAGER』が流された。『若者のすべて』のイントロやエンディングのメロデイも二回ほど使われた。特にクレジットはないので、純粋なBGMとしての扱いだったが、やはり、富士吉田には志村正彦・フジファブリックの音楽がよく似合う。

  

 明日、5月15日は富士吉田篇の第2回が放送される。織物工場や地域活動する高校生のもとに向かうそうだ。富士吉田を愛する人にとっては必見の番組である。


【付記】5月15日の『鶴瓶の家族に乾杯』では冒頭で、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が流れた。〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と歌う志村の声。富士吉田の高校生や若者に取材した回でもあるので、最もふさわしい曲であることは間違いない。



2018年5月7日月曜日

菅田将暉『5年後の茜色の夕日』(志村正彦LN177)

 門司には一度だけ行ったことがある。
 博多駅から小倉駅へ、それから鹿児島本線に乗り換える。しばらくすると、車窓から関門海峡の海、その向こう側に下関側が見えてくる。十五分ほどで門司港駅に到着。駅舎は「レトロ」な雰囲気で有名だ。門司港の方へ降りていくと、関門橋が近づいてくる。本州と九州の境界の橋。この眺望は感慨をもたらした。

 俳優の菅田将暉はデビュー・アルバム『PLAY』(3月21日リリース)で、志村正彦作詞作曲のフジファブリック『茜色の夕日』をカバーした。その初回生産限定盤には、『5年後の茜色の夕日~北九州小旅行ドキュメント映像~』(監督・島田大介)という特典DVDが付いている。
 2012年撮影、2013年公開の映画『共喰い』(監督・青山真治)のロケ地、北九州市門司を5年振りに訪れるというドキュメント映像だ。この撮影時に、フジファブリックの『茜色の夕日』(作詞作曲・志村正彦)を繰り返し聴いたことが歌い手となる契機になったそうだ。音楽活動の原点を再訪する映像を制作するのは珍しい。

 映画の原作である田中慎弥の小説『共喰い』は、芥川賞受賞時に読んだ。中上健次を思い起こさせる作風だった。ただ中上と異なり、神話や歴史にこだまする大きな物語はどこにもなく、山口県下関市の川辺の街の小さな物語、極小の家族の物語が浮かび上がってきた。これは時代の必然のような気もした。

 映画『共喰い』の方はWOWOW放映時に見た。撮影場所は関門海峡の反対側、門司で行われたことを知った。ロケ地の景観の問題だったようだが、監督の青山真治が北九州市出身だということも関係しているかもしれない。ちなみに青山のデビュー作『Helpless』も北九州市で撮影されている。主人公の高校生「健次」(浅野忠信)は中上健次の名から取られているように、中上作品へのオマージュの色が濃い映画だ。
 脚本は荒井晴彦。荒井には『赫い髪の女』(監督・神代辰巳)という優れた作品があるが、中上健次の『赫髪』が元になっている。小説から映画まで、原作者、監督、脚本家と、中上健次という固有名を想起させた。

 映画では菅田将暉が17歳の高校生「遠馬」を演じる。昭和63年。昭和という時代の最後の夏の季節がこの物語の背景となっている。菅田はリアルな演技を披露している。演技というよりも切実な何か、透明な鬱屈のようなものを感じさせる。小説原作の映画には駄作が多いが、『共喰い』は原作に対して優れた水準を維持している。

 『5年後の茜色の夕日』に移ろう。
 菅田はある通り(映画では「通学路」という設定の通り)を歩きながら『茜色の夕日』に触れている。(須田の語りの中でこの歌に言及しているのはこの箇所だけである)


こうやって俺らが都会から来るとすごい心地いいけど、ここにいる人間からしたら、もうちょっと毎日見てるからうんざりだみたいな、(抜け出したくなる…*スタッフの声)そうそうその感じも茜色の夕日なんすよね、それはもうなんか上京組としてすごくわかるっていうか、通学路が急にさめて見える瞬間っていう


 映像だけでは、この界隈の風景が『茜色の夕日』の感じだということが今ひとつ伝わらないことが残念である。この映像よりも映画『共喰い』で撮影された風景の方がそれらしい感触を持っているだろう。言葉にすると紋切り型の表現になってしまうが、昭和の路地裏の風景だと書いておきたい。

 最後に水路沿いに腰掛けて、菅田がアコースティックギターを奏でながら『茜色の夕日』を歌う。菅田の歌い方は誰かに伝えるためというよりも、自分自身に伝えるためのものだという印象を持った。五年後の菅田将暉が五年前の菅田将暉に歌いかける。そのように完結させていることはむしろ、この歌に対する誠実さの表れなのだろう。この映像はだから極めて私的な映像である。私的なものの徹底が原動力となって、須田の歌を支えている。『茜色の夕日』に対する尊重の在り方の一つかもしれない。そのことは評価できる。

 映像の本編が終わり、タイトルバックに移った。監督やスタッフの名が示された後で、菅田による追伸の手紙のような言葉が流されていった。記録のために文字に起こしておく。


10代最後の夏
この街で面白い出会いがありました
それは自分にとって 菅田将暉にとって大切な出会いになりました
俳優部という部署の在り方 人と人が触れ合った時にしかない温かさ
そして、音楽
大袈裟なことを言うと この一曲で人生が変わったのかもしれません
それまで僕の携帯に音楽は一曲も入ってませんでした
一曲も
というか
人生で何がしたいのか 一つもわかりませんでした
あれからしばらく経ち なんと今人前で歌ったりしています
何が起こるかわからないものですね
なので
ふと訪れてみよう
ということになり 足を運んだ次第でございます
相も変わらす声が響く街でした
新しいものと残されたものが共存していて
とてもお気に入りの場所です
幸せな出会いに、感謝
                                                  菅田将暉


 「この一曲で人生が変わったのかもしれません」という素直な吐露には共感できる。映画撮影時に須田は19歳だったという。志村正彦がこの歌を作ったのも同じ頃の年だった。よく知られているように、志村の人生もこの曲で変わった。
 『茜色の夕日』には十代最後という時間そのものが込められている。これまでの時とこれからの時、これまでの場とこれからの場。これまでの僕とこれからの君。これまでの君とこれからの僕。そこで佇むこととそこから歩み始めること。その狭間に起きる事柄と想いを志村正彦は描いた。

 DVDはこの菅田将暉の言葉で終了するのだが、ある違和感が残った。『5年後の茜色の夕日』の映像中に、『茜色の夕日』の作詞作曲者である志村正彦の名、そしてフジファブリックの名もまったく記されていないのだ。何故なのか。疑問が湧き上がってきた。

 本編映像の中でインポーズする必要はない。この歌の説明をする必要もない。しかし、タイトルバックの記載事項として、作詞作曲者の志村正彦という固有名(フジファブリックという名も)を明示することは、絶対的に必要な事柄である。付言すれば、「著作権」や「著作者人格権」の観点からも問題がある。そもそも『5年後の茜色の夕日』という題名にも疑問がある。茜色の夕日は作品名であるから、『』あるいは「」という引用符は不可欠である。

 このことを制作者側はどのように判断したのだろうか。
 僕はかつてこのblogで『若者のすべて』のカバー曲の広がりについて、「作者の名を知らない、ある意味では和歌の『詠み人知らず』のよう に、歌そのものの魅力によって人々に愛されていく。これもまた、曲の運命としては光栄なことに違いない」と書いたことがある。この見解は今も変わらない。ただしこの「詠み人知らず」という視点はあくまで聴き手側のものである。制作者側がカバー曲の音源や関連映像を公的に発表する場合は、オリジナル作品の作詞作曲者(必要に応じて演奏者も)の固有名を記すことは、絶対にそして永遠に守らなければならない。