2026年4月27日月曜日

芥川龍之介『蜃気楼』・富山湾の蜃気楼

 芥川龍之介の1927(昭和2)年の短編小説『蜃気楼』。芥川の分身である話者兼人物の〈僕〉は、ある秋の昼頃、大学生の〈K君〉と親友の画家小穴隆一をモデルとする〈O君〉と三人で蜃気楼を見るために鵠沼の海岸に出かける。

 作中で蜃気楼について言及している場面を引用する。


 蜃気楼の見える場所は彼等から一町ほど隔っていた。僕等はいずれも腹這いになり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。が、その外には砂浜にある船の影も何も見えなかった。
「あれを蜃気楼と云うんですかね?」
 K君は顋を砂だらけにしたなり、失望したようにこう言っていた。そこへどこからか鴉が一羽、二三町隔った砂浜の上を、藍色にゆらめいたものの上をかすめ、更に又向うへ舞い下った。と同時に鴉の影はその陽炎の帯の上へちらりと逆まに映って行った。


 〈僕等〉が〈陽炎〉の立つ〈砂浜〉を眺めると〈砂浜〉の上に〈青いもの〉が一すじリボンほどの幅でゆらめいている。それは〈海〉の色が〈陽炎〉に映っている光景らしい。これは「下位蜃気楼」と呼ばれる現象、陽炎など地表の熱い空気で光が屈折することによって空や海の景色が地面近くに映り込む現象のようである。K君が失望した瞬間、話者の〈僕〉は〈鴉〉と〈陽炎〉を重ね合わせて描写する。

 〈鴉〉が一羽〈砂浜〉の〈藍色にゆらめいたもの〉の上をかすめ向こう側へ舞い下りる動きと同時に〈鴉〉の〈影〉が〈陽炎〉の帯の上へ逆さまに映る光景である。この下位蜃気楼に対して、実際の風景の上側に伸びたり反転したりした虚像が見える現象が「上位蜃気楼」と呼ぶれるものである。上位と修飾される方が本物の蜃気楼である。

 芥川、K君、O君が見たのは下位蜃気楼であったが、そのことはこの作品の本質ではない。下位であっても上位であっても、どちらであっても、彼らが見たかったのは一種の幻としての蜃気楼である。特に芥川の分身〈僕〉の場合、不安な心象のゆえにあえて幻視したいなにものかの象徴としての蜃気楼であろう。


 この上位蜃気楼が昨日4月26日富山県魚津市で観測された。Yahoo!ニュースに転載されたチューリップテレビ(富山県)の報道「富山湾の春型しんきろう 8年ぶりのAランク 新湊大橋が反転 建物に非常に明瞭な伸びも 富山・魚津市」によると、昼過ぎに風景が非常に明瞭な伸びや反転が確認できるようになり、その見え方が5段階評価の最高のAランクであると8年ぶりに判定された。富山湾の海面上に冷たい空気が層をつくり、その上の暖かい空気とのあいだで急に密度が変わるときに出現するそうである。

 魚津市の富山湾から対岸の射水市の新湊大橋をとらえた画像をこのニューズ記事から引用させていただく。


チューリップテレビの画像


 人々が湾の堤防に集まり対岸の方を眺めている。視線の彼方に浮かぶのが蜃気楼である。画像の中央より少し右側の細長い塔のようなものが実物より縦に高く引き伸ばされ、対岸の建物と海面の間に空の色が入り込み、建物が空中へ浮き上がっているように見える。これらが上位蜃気楼の典型的な特徴のようだが、筆者はこのような特徴を明確に示す蜃気楼の画像を初めて見ることができた。

 この蜃気楼の画像は陽炎のような物の像の揺れではなく、実像の風景と虚像の風景という二つの映像そのものが相対峙して揺らめいている。実像と虚像が分離したり接続したりして互いに互いを照らし合わせているように見える。さらに時間の推移と共に多様に変化していく。


 実際の現地で蜃気楼を実景として見なければ、その本当の姿は分からないであろうが、このニュース映像によってその姿をある程度まで想像することはできた。いつか実景として見てみたいが、それは偶然の出来事、偶景としてしか遭遇できないのだろう。


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